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No.2143 2017-10-02
■毎日ホテルで朝食をもりもりおなかいっぱい食べる。窓の外は今日もどんより曇り空である。結局、滞在二日目以降青空は見えなかったが雨は降らずになんとか持ちこたえてくれた。
ホテルのフロントへ行きチェックアウト手続き。と言っても特別なことはなく、チェックアウトしますよと告げ、しばらく荷物を預かってくれるようお願いした。
新しい建物ではないが清潔で広く、朝食のメニューも豊富でおいしく、従業員の対応も良かったから快適に過ごすことができた。駅や町の中心部、トラムの停留所も近くて申し分ない。
中央駅まで行き、エスカレータで地下へ。かなり深く下ったところに地下鉄のホームがある。ヘルシンキがそうなのかフィンランドがそうなのか、北欧全体がそうなのか、
見る限りどこへ行ってもとにかく地盤が岩である。街中でも岩の上に家が建っているし岩山をくり抜いた教会を作ったり豊富にある岩を材料に道を石畳で舗装したりしている。
地下鉄の駅も岩肌がそのまま露出しているような箇所があって、岩盤の掘削工事は大変困難だったのではないかと思う。そんなことを考えていたらオレンジ色の地下鉄の列車がやってきた。
車両がポップなカラーリングで驚く。乗ってみると座席は2対2のボックスシートで、プラスチックの座席もオレンジ色で、天井と床をつなぐように垂直方向に設置されているステンレス製の手すりのシルバーとの組み合わせが洒落ている。
駅や列車内のサインやピクトグラム、路線図、広告などのデザインもシンプルで格好いい。
■数分の乗車で「Hakaniemen metroasema」に到着。metroはそのままメトロ、asemaはどうやら「station」に該当する言葉。駅から地上に出ると雪でも降ってきそうな冷たい空気だった。
大きな通りを渡ってすぐのハカニエミマーケットへ。二階建ての建物で一階は食料品がメイン、二階は衣類や雑貨、土産物の店が入っている。まだ朝だったが半分以上の店は営業していて、一階を歩いていると何かスパイシーなおいしい匂いがしていた。
2階にはマリメッコの店もある。ヘルシンキ市内にはマリメッコの店がいろんなところにあって、だいたい日本人の客がいた。値段はそれなりに高いが日本で買うより安いのだろう。
シンプルな黒いバックパックや陶器の食器類のデザインに少し惹かれるものもあったが、無印良品で10年以上前に買ったバックパックがまだ健在だし食器なんて使う分だけ最低限あればいいと思うほうなので購入までには至らなかった。
探していたククサ(木製のカップ)を売っている店があり、値段を見ると町の中心部の土産物屋の半額程度だったので購入。今回の旅行で唯一、買おうと思っていたものが買えてよかった。白樺の木のコブの部分を手作業でくり抜いて形を整えて磨いて作るというんで、
本物のククサはなかなか安くは買えないようだ。持ち手には指をかける穴が二つついてて気に入った。コルク製品の専門店もあり、コルク素材でできた傘などを見せてもらった。こんなものが世の中にあるのかとびっくりした。持たせてもらったらとても軽かった。
店の人はこちらが興味を持ったのが嬉しかったのか早口でいろいろ説明してくれた。2階の角には雑多な土産物店があり、ちょっと近づいて見てたら日本語のうまい店主が話しかけてきた。
うっかりトラムの絵が描かれたTシャツを買ってしまった。町中だと24ユーロだけどうちは16ユーロだよ、と英語日本語交じりで言ってた。
■地下鉄で中央駅まで戻る。ストックマンの近くの旅行用品店で首枕を買った。来るときの飛行機で首が痛くなったから帰りは買おうと思っていたのである。海外旅行に行く者達が、嵩張るにも関わらずあれをわざわざ持っていく意味がようやくわかった。
空気を入れて膨らませるタイプのやつは首が締め付けられて嫌なので、ちゃんと中身がつまってるやつを買った。サムソナイトという、なんとなく聞いたことのあるメーカーのものだった。店の人が、これはここのジッパーを開けてこうやれば小さくなるよと教えてくれたが、
大して小さくなるわけではなかった。ホテルに戻って荷物を受け取る。ホテルのすぐそばに日本人がやってる土産物店があった。入ってみたらわりと広くて、HJKヘルシンキの田中亜土夢選手のパネルや写真が飾られていた。
土産物は日本人が好きそうなものがよく揃っていると感じたが、値段がやや高めだった。中高年の日本人客ならば多少高くても言葉の通じるこの店で買うかもしれない。
中央駅周辺を少し歩く。駅の東側には大きなバスターミナルやフィンランド国立劇場、カジノなどがある。駅の西側には図書館や現代美術館、議事堂、コンサートホール等がある。
このコンサートホールは「Helsinki Music Centre」という名前で、日本の永田音響設計という会社が設計に関わっているらしい。調べてみたらこの会社は世界中のコンサートホールを手がけていることがわかった。
もう少し北まで行くと国立博物館がある。大きな石造りの教会のような建物で、エントランスの前には熊がちょこんと座った像があった。国立博物館や議事堂の周辺には芝生が広がっており、
鮮やかな緑の芝の上に赤や黄色の葉が落ちてとてもきれいだった。
■名残惜しいがそろそろ空港へ向かう時間となってしまった。空港からヘルシンキ市街へはバスを利用したが、空港へは鉄道を利用することにした。駅のホームの券売機で切符を買い、
時刻表を見ていたらおじいさんがタブレットの画面をこちらに向けながら近づいてきて、中国語のよくわからないウェブサイトを表示させて話しかけてきた。
最初どういう意図なのかよくわからずあやしい者なのではないかと感じ、自分は中国人ではないよと言ってあしらってしまったが彼は我々に空港行きの列車の時刻とホームの場所を教えようとしてくれていたのだとわかった。
怪しんで申し訳なかった。親切じいさんである。駅のいちばん端にあるホームまで歩き、発車を待つ列車に乗る。ボックス席で、列車内に段差があるという少し変わった車内空間だ。
空港行きの路線だからか大きな荷物置き場もある。そばにいろいろな人種の入り混じった女性グループが乗ってきて座って賑やかだった。中央駅を発ってからしばらくは町が途切れずに続くが、いつしか森や野原となり、
ときどき町が現れては駅に停まる、という車窓を繰り返す。30分少々の乗車でヴァンター国際空港に到着。地下深くにある鉄道ホームから長いエスカレータで空港建物内へ。
到着した日にプリペイドSIMを買ったR-Kioskiが見えた。まだ一週間も経ってないのに、この空港に到着した日のことがずいぶん前のことのように感じる。着いたときは入国審査から空港外に出るまでの距離が短くて
ずいぶん小さな空港のように思ったが、搭乗側の建物はそこそこ大きい。土産物の店がたくさんあって、つい色々欲しくなってしまう。この旅行で自分のために購入したものは、
プリペイドSIM、タリンの市街地マップ、ムーミンがパッケージになっているチョコミントフレーバーのレギュラーコーヒー、トラムの絵のTシャツ、木製カップのククサ、HJKヘルシンキのマフラー、首枕である。
■帰りもフィンエアーの便を利用。前の晩にウェブのチャットサービスで座席を変更してもらったのだけど、その座席は足元ゆったり目のちょっといい座席だったので、カウンターで差額を支払う。
マリメッコ製のポーチが座席に備えられていて、中には耳栓や靴下、アイマスク、歯ブラシセットが入っていた。帰りは足元が広いのと、首枕を使ったので、行きの便より楽だったし夕方発翌朝着の便だったこともあってよく眠れた。
成田からはちょうどいいタイミングでJRの快速があったからそれに乗ってまっすぐ津田沼まで。
■初めてのヨーロッパ訪問は、たくさん歩いて街を見た。基本的にいつも私の旅行はどこへ行ってもそんな感じである。
ヘルシンキは住んでみたいとさえ思える良い町だった。ドアノブ一つから景観に至るまで徹底した美意識が根底にあるデザイン精神と街の清潔さ、極めて利便性の高い公共交通網、道路の広さとよく整備された自転車道、
人のフレンドリーさと治安の良さ、わりと口に合う食べ物が多い、通信費が安い、トップリーグに所属するプロフットボールクラブが二つある、道路を渡ろうとしてると車が止まってくれる、町と海が近い、ほぼ英語が通じる、町ゆく人たちの表情が明るい、
といったあたりが良かった。人口密度がさほど高くないので空間に余裕があり、余暇時間が多く、社会インフラが高いレベルで整備されていて都会的で便利な生活ができる場所で暮らす人たちには精神的な余裕があるのだろう。
毎朝毎夜ぎゅうぎゅうの列車、長時間の過酷な労働の生活の中で生きて他人に親切にできる心の余裕なんてもてるか、という話である。ほめてばっかりもあれなんで良くなかった点を挙げると、
物価が全体的に高い、観光客が気軽に利用できるようなトイレが少ない、フィンランド語が難解、歩きタバコをする者が多い、というあたりだろうか。
物価の高さは税金の高さから来るものなので、これはその分社会保障の財源が確保できるということの裏返しでもある。実際、税金の高い北欧の国の貯蓄額はかなり低いという。
老後に備えてこつこつと貯金といったことを考えなくても良いのだろう。あと、外食が高いなと思ったが逆に日本が安いのではないかとふと気がついた。作りたてのあたたかい食事が数百円から食べられるというのは、
相当どこかで無理をしてようやく実現できる価格ではないだろうか。トイレについては日本があまりにも恵まれていると考えるほうが妥当だろう。フィンランド語はそこで暮らすのであれば覚えるに越したことはないだろうが、
旅行程度の滞在ならば英語で十分どうにかなる。曲がりなりにも英語は中学、高校で6年間、人によってはさらに大学や英会話教室等でも学んでいるので、しゃべってみればわりとなんとかなるはずである。歩きタバコは日本でもなぜかいまだに大勢が平気でやってるが、
ヘルシンキでも似たようなものだった。
No.2142 2017-10-01
■ホテルで朝食をもりもり食べる。前日とメニューはあまり変わらないが食べたことのないものも試してみる。口に合わないなと思うものはなく、なんでもおいしく食べられる。
コーヒーもおいしい。牛乳もおいしい。ホテルの前の停留所から2番のトラムに乗って「Kauppatori」まで。この日も空は雲に覆われている。雨が降らないだけ良いかと思う。
トラムを降りると北の路地の向こうに前日行ったヘルシンキ大聖堂が見える。港に面した場所にマーケット・スクウェアがあって簡易テントの店が並んでいるがまだ朝だからか営業しているところは少ない。
黄色いレンタサイクルがずらりと並んでいる。市内のあちこちでこのレンタサイクルの拠点を見かけた。利用しなかったが、どうやら交通の一日券でも利用できそうである。
観光客だけでなく地元の人も利用しているようだ。マーケット・スクウェアのあるエリアとカタヤノッカ地区のある島を結ぶ橋の欄干には南京錠のような錠前がたくさんつけられていた。
日本にもこういう観光地があると思う。カップルなどが記念につけてゆくのだろう。このあたりにはレンガ造の建物が多い。函館や横浜もそうだが、港に近い場所にはレンガ造の建物が多いのはなぜなのか。
函館の場合はよく大きな火事が起こったから、火災に強いということで倉庫をレンガで造った。どこもそういう理由なのだろうか。橋を渡るとすぐにウスペンスキー寺院がある。
レンガでできた大きな教会で、宗派はロシア正教である。私が行ったときには中に入ることができなかったが外観だけでも見る価値がある。迫力があるのに美しい建物である。
中国人の観光客が団体のバスで来ており、太った女が気合を入れてポーズを作って写真を撮ってもらっていたのがおもしろかった。
■このすぐそばにある桟橋から、スオメンリンナ島へ渡る船に乗る。船の時刻表を見ていると通りがかりの犬を連れた婦人がわざわざこちらまでやってきて次の船の時間を教えてくれた。
多いときで20分ごと、少ない時間帯だと一時間に1便程度の頻度で船が出ている。出発時間が近づくと桟橋の付近には人だかりができた。中国人が多いように感じた。
交通一日乗車券等でこの船にも乗ることができる。船はあまり大きくない。長いベンチのような座席が並んで据えられていて、早い者勝ちで座る。見た感じこの便では全員座れていた。
犬を連れて乗っている人もいた。トラムでも見たがこちらでは公共交通機関に犬を乗せてもいいことになっているようだ。どの犬もしっかりしつけられていて、じっと座っておとなしくしている。
私の前の座席の白人男性二人はスマートフォンで魚をさばく動画を見ていた。船の窓からはヘルシンキの市街地が見える。海の上からだと特に街並みの中の教会の尖塔がひときわ目立つ。
海岸はだいたい岩である。日本の海の岩場のようにごつごつしたところは少なく、長い年月で波に洗われて丸くなっている岩が多い。地震や噴火などの地殻変動がなく安定した地盤なのだろう。
乗船時間は15分程度だった。船着場から人がめいめいに散っていった。18世紀、スウェーデンの統治下だった時代にロシアに対する防衛を目的にこの島に星型の要塞を建設した。簡単に言うと五稜郭が海に浮かんでるような感じである。
大小6つの島が橋で繋がっており、それら全体が「Fortress of Suomenlinna(スオメンリンナの砦)」という名前で世界遺産に登録されている。世界遺産といっても島には普通に居住している者がおよそ800人ほどいるそうで、
船は観光客のためだけではなく、島民にとっての交通手段にもなっている。ピンク色の横長の建物が島の入口にある。
■島を歩いてみるとヨーロッパののどかな田舎町といった風情で、黄色く色づいた木々や明るいけど落ち着いた色の家、飾り気の無い教会、公園で遊ぶ親子たちなどを見ているとここがかつて要塞だったことを感じさせない。
目に見える軍事的な要素は石垣の防壁が長く続いているの点だけである。海辺の開けた場所へ来ると大きな国際客船が海を横切ってゆくのが見える。島の奥へと進んでゆくと徐々に軍事要塞時代の名残が色濃くなり、
防塁や塹壕跡のようなものが点在している。海に向かって設置された砲台がいくつか残っており、中国人観光客達が砲身をかつぐポーズをしたりしておどけて笑っていた。
中国人観光客を見ているととにかく自分の写真を撮るのが好きで、同じ場所で延々と撮り合ったり自撮りをしたりしている。あと、島の普通の民家の敷地に何の迷いもなく入っていったりするので、
見ているこちらがハラハラする。砲台のそばに、砂浜まで降りられるように階段が設置されているところがあって、降りたところで、この島に住んでいると思われる少女が猫にリードをつけて散歩していた。
その様子は、北欧の田舎の島ののどかな海辺というロケーションのせいもあって、なんだか物語というか絵本の世界のような情景だった。猫がこちらに興味を示して近寄ってきたので少し撫でた。
少女はたぶん「なんやこのアジア人」と思っていただろう。去り際に手を振ったら、はにかみながら手を振ってくれた。その後、少女と猫はたくさんの中国人に写真を撮られていた。
高台からはバルト海が一望できる。しばらく進むと、土を盛って扉を付けたような弾薬庫らしき施設も複数ある。このあたりから引き返し、フェリー乗場へ戻る。芝生が広がっている場所があり、
その中心部では大きな鳥が三羽ほど休んでいた。ここ以外でも感じたが、ヘルシンキやその近辺では芝生がとてもきれいである。あざやかな緑色で、枯れたりもしていない。
芝生が育つのに適した気候なのかもしれぬ。日本だと手間ひまかけて手入れしているサッカーのスタジアムの芝生もすぐに傷むから、少しうらやましい。
■船に乗って戻る。昼になっていたので桟橋のそばのマーケット・スクウェアは多くの人で賑わっていた。ホットドッグの店やスープの店など、その場で食べられるものも売っているし、
船の上で魚を売っているおばさんもいる。生の魚もあるし燻製や揚げたやつもある。にんにくや蜂蜜や缶詰も売っている。一人でバイオリンを弾いている少年がいた。
下手なんだけどかろうじて何の曲をやっているかわかる、というレベルだが本人は自信満々で明るく「次はチャイコフスキーだぜ!」みたいに言って張り切って弾いていた。
手持ちの小銭が30セントユーロくらいあったのであげたら喜んでいて良かった。港沿いのすぐ近くには「Old Market Hall」があり、それほど広くはないが多くの店が入った屋内の市場がある。
野菜の店やカフェ、菓子店、パン屋、トナカイ肉の店などもある。トナカイの肉は値段を見たらけっこう高かった。人が多くて活気があった。
港の西側にはエスプラナーディ公園がある。公園に入ってすぐのところにレストランがあって、なんとなく雰囲気がいいなと思って写真を撮った。1867年創業のヘルシンキ最古のレストラン「Ravintola Kappeli(ラヴィントラ・カペリ)」なのだそうだ。
ラヴィントラは「レストラン」、カペリは教会の意味。公園に沿う通りにはマリメッコ、イイッタラ、アルテック、アーリッカなど、北欧の有名ブランド店が並んでいる。フィンランドといえばマリメッコということになっていて日本でも人気があるらしいが、
私はこの旅行でフィンランドのことを調べるまでそのブランドを知らなかった。洋服や生地、カバンなどがメインだと思う。むしろ家具やインテリアのほうには興味があるのでイイッタラやアルテックは知っていた。
公園の中心にはJ.L.ルーネベリという人物の銅像がある。フィンランド国歌の作詞をした詩人なのだそうだ。像のそばの交差点にはヘルシンキ市内のおそらく最高級ホテル「Kamp」がある。
東京で言う銀座的な場所なのではないかと思う。
■公園のそばにある「アカデミア書店」に入ってみた。フィンランドが誇る建築家、アルヴァ・アアルトが設計した建物である。吹き抜けが印象的な空間で、建築関係の書籍が充実している。「ANDO」のコーナーもあった。
安藤忠雄である。書店の2階には「CAFE AALTO」があり、たまたま席に空きがあったので、入ってみた。日曜日は14時までBreakfastのセットが注文できるというんで、それにした。
パンと野菜とハムとチーズ、それにオレンジジュースとコーヒー。食器がシンプルで洒落ている。さすがにアアルトの名前がついた店だと思う。アアルトがデザインした照明「ゴールデン・ベル」がたくさん吊られていてかっこいい。
後から他の場所にあるインテリアの店でこの照明が売られていたので値段を見たら一つ400ユーロくらいした。食べ物も飲み物もおいしい。他の客は本を読んだりしゃべったりしながら思い思いにのんびりと過ごしている。
しばらくいたら日本人の客も来た。店員さんは明るくて日本人客にも慣れているようだった。アカデミア書店の並びにある土産物店に入ってみた。「ククサ」と呼ばれる手作りの木製カップの値段が70ユーロとか80ユーロとか、思ってたより高かった。
熊やトナカイをモチーフにしたグッズが多い。マフラーや手袋、帽子などニット製品も多い。寒くて実用目的で買う者もいるかもしれない。ストックマンのそばの停留所からトラムに乗ってカタヤノッカ地区へ。
「Kauppiaankatu」という停留所で降りる。いわゆる「新古典主義」の、効率化の波に飲まれることなく、ドア一枚、窓一つ、照明一つにまでこだわった建築が通りに沿ってずらりと並んでいる。
クルーヌンハカ地区に似た街並みだが、カタヤノッカ地区のほうがそれぞれの建物が個性的であるように感じた。タリンの世界遺産の街並みにも負けないだけの魅力はあると個人的には思う。
日曜日には国旗を掲揚する習慣があるのか、通りの両側にフィンランドの白に青十字の国旗がずらりとかかげられている様はかっこいいし、国旗とはこうあるべきだよなと思った。
ウスペンスキー寺院のそばにレンガ造の建物が多かったが、そのエリアに近いためこの地区もレンガ造の建物がちらほらとある。地区の中心部にはかつて刑務所だった建物を改装したホテルがあり、その建物もレンガ造である。
■トラムを乗り継いで「Punavuori(プナヴオリ)地区」から「Ullanlinna(ウッラリンナ)地区」にかけてのヘルシンキ市南端のエリアへ。
プナヴオリ地区は「ヘルシンキのデザインシーンを盛り上げるために2005年に立ち上げられた『デザインディストリクト』プロジェクトの中心地」なのだそうだ。
洒落た個人事務所、個人商店が多い。日曜日なので休みのところがほとんどだが、一人でPCに向かっている人が窓やガラスドア越しに見える。このエリアには「Ravintola Kamome」もある。
レストラン・カモメ、2006年の映画「かもめ食堂」の舞台となった店である。映画は前に見たがおもしろかった。店の前を通ってみたが休みだった。
プナヴオリ地区の東側、ウッラリンナ地区にある聖ヨハネ教会へ。19世紀末に完成した大きな教会で、二つの鐘楼が高く聳えているのが印象的である。
ウスペンスキー寺院のように外壁は赤いレンガでできている。ゴシック・リバイバルの最盛期の時代の教会建築らしく装飾が多く施されている。中に入ってみると小さなエントランスホールがあって、
美しいステンドグラスが上部に入ったドアが並んでいる。中には大勢の人たちがいてオーケストラの練習が行われていた。すごい迫力のある演奏が聞けた。教会の高い天井は生演奏に向いているのかもしれない。
外に出たら向かいにムーミンカフェがあることに気づいた。
■ウッラリンナ地区の南端まで歩くと海に面していて、一帯が公園になっている。海沿いの遊歩道にはジョギングしたりウォーキングしたり犬の散歩をしたりしてる人が多くいる。
おばさんが連れていた犬が人懐こくこちらにジャンプしてぶつかってきて驚いていたら「この子(オス)はオス犬以外みんな好きなのよ」と言って笑っていた。海に面したカフェ・ウルスラのあたりから、
今朝行ってきたスオメンリンナ島がよく見える。海を見ていたら二艘のヨットが近づいてきた。なぜかヨットの上でQUEENの「We Are The Champion」を高らかに歌っている若者がいた。
大きな公園の中の並木道を北に向かって歩く。ここの公園もやはり芝生がきれいだ。「Kaivopuisto」という停留所から中央駅方面行きのトラムに乗る。「puisto」はparkの意味のようだ。
停留所の向かいには「Saint Henry's Cathedral」という教会があって、ここも赤いレンガの外壁だった。中央駅周辺の商業施設に少し立ち寄った。
家電売場でスマートフォンのコーナーを見たら売ってるのはHuaweiとSamsungばっかりだった。STOCKMANNやFORUM等の商業施設の出入口で女性や年寄りのためにドアを開けてあげるとちゃんとみんな
「kiitos(キートス:「ありがとう」という意味)!」と礼を言ってくれるので感動した。日本で同じことをやっても、それが当たり前、みたいな態度をされる。見返りを求めてやってるわけではないけど、
感謝されるというのは気分がいいものである。
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