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No.1411 2009-6-30
■6月26日、ウェブサイト上で、マイケル・ジャクソンの死を知った。
■最初、マイケル・ジャクソンと「死」がうまく結びつかなくて、一瞬ぴんと来なかった。
最初におもったのは、あんなスーパースターでも死ぬんだなあとか、そんなわけのわからない感想だった。
自分の頭に初めて記憶された外人の名前はたぶん、カール・ルイスかレーガンかマイケル・ジャクソンだったと思う。
しっかり掘り下げて聴いてないので、彼の音楽になにか言うのはすこしはばかられる気がするが、
「Rock with You」と「Don't stop 'til you get enough」(どちらも1979年の作品)の二曲が好きである。
■日本のミュージシャンが何を言うかなと思って、ラジオで、土曜日の桑田佳祐の番組と、日曜日の山下達郎の番組を聴いた。
桑田佳祐のは、生放送ではなくて録音だったので、死について触れなかったが、山下達郎は、番組の最後で少し触れた。
非常に簡潔で、さらっとしたものだったが、それで十分だと思った。たくさん語らなくても、
マイケル・ジャクソンのことはみんなよく知ってるからである。
No.1410 2009-6-27
■朝、自転車。わりと早く目が覚めたので、暑くならないうちに、と思って外へ出た。さわやかな朝の空気が気持ちいい。
新習志野駅前のショッピングセンターはまだ開店前で、駐輪場もがらんとしていた。商品搬入のトラックだけが出入りしていた。
■茜浜へ。幕張のビル街は霞んでいた。夏の景色である。海は満潮時刻前後だったからか、潮位がいつもより高くて、
沖側の消波ブロックは海に沈んでいた。水の色が泥っぽい。遠くに大きな船が見えて、大きな波が寄せてくる。
朝なので人は少なかったが、海辺の道にロード乗りの集団が入ってきてて、スピードを出して走っていた。あまりいい気はしない。
トランペット吹きとサックス吹きが一人ずついた。あとはいつもの猫たち。
■少し時間が経ったら、日差しが強くなって朝の涼しい空気が消えて、暑くなった。ひさびさに暑さで頭が痛くなった。
■前の日、京成津田沼駅から国道14号線に抜けるわいがや通りにあるセブンイレブンのあたりで交通事故があったらしく、
バイク乗りの若者が二人亡くなったそうだ。事故はこわい。
No.1409 2009-6-25
■今年ももうすこしで半分終わるということで、先日はCDを振り返ってみたが、今回は本である。
今年に入ってから読んだ本をいくつか。
「アップルの人」 宮沢章夫
「海と写真の時間」 藤田一咲
「旅は自由席」 宮脇俊三
「旅好きオヤジの自転車巡礼記」 小林建一
「電車の運転」 宇田賢吉
「股旅フットボール」 宇都宮徹壱
「それでも自転車に乗り続ける7つの理由」 疋田智
「時刻表昭和史」 宮脇俊三
「メキシコの青い空 実況席のサッカー20年」 山本浩
「ちゃりんこ東方見聞録」 川端祐介・川端るり子
「たのしい写真」 ホンマタカシ
■自分のいまの趣味がもろに反映された読書になった。鉄道、旅行と自転車と写真とサッカー、そして宮沢さん。
■話は変わる。先日少し書いたが「先見日記」というサイトの駒沢敏器さんの文章にちょっと触れたが、同じサイトに赤瀬川原平さんの連載があるのを見つけて、全部読んだ。
赤瀬川さんの文章はすごく好きである。そんななかで、次のような文を見つけた。
「新聞はここぞとばかり、というか仕事だとばかり、逐一報道するわけだが、新聞テレビをぱっと消したらどうなるんだろうかと、
ときどき思う。あんがい事件もぱっと消えてしまうんじゃないか。」(2006年5月31日「殺人は報道で伝播するのか」)
■知らない、というのはそのひとにとって存在しない、ということと同義だと思う。
たとえば自分は、最近の芸能界の人のことをまったく知らない。だから知らない芸能界の人に対して、お前なんか知らないぞざまあみろ、と思う。
知らないことがすがすがしい。だから私は町で、くそみたいなテレビタレントに「お前俺を誰だか知ってんのか」って言われたい。
たくさんの人がいる前で言われたい。そして、お前なんか知らねえって言ってやりたい。テレビ?いまどきテレビ見てるひとなんていんの?と言ってみたい。
■こんな記事を見つけた。「視聴率崩壊、大幅改変も失敗......TBSはもう『何をやってもダメ』なのか」
「改編早々の4月9日、ありえない事態が起こった。その日の全番組の視聴率が、すべてヒトケタを記録してしまったのである。
しかも、その日の最高視聴率7.2%を記録したのが、『水戸黄門』の夕方の再放送だった。14、15、22日と、全日ヒトケタの日が続く。」だそうだ。
■TBSといえば坂本弁護士一家を殺した放送局だが、
そもそも、視聴率というもの自体の信憑性なんて、あって無いようなものだと思っている。
視聴率を調べてる会社が「株式会社ビデオリサーチ」一社という時点で、数字なんてなんとでもできるだろうし、
この会社の株主見ると、株式会社TBSテレビ、日本テレビ放送網株式会社、株式会社フジ・メディア・ホールディングス、株式会社テレビ朝日、(…以下テレビ局たくさん)、
株式会社電通、株式会社博報堂などなど。これで数字信用しろって言われても、という感じである。
■だから、ほんとうの視聴率なんて、発表されてるよりもずっとずっと低いんじゃないか。スポンサーにはとても言えないくらいの水準なんじゃないの。
■宮沢さんの「富士日記2.1」5月16日の「そんな一週間」の中で「僕の周辺の学生はほとんどテレビを見ていない。」と書いてらっしゃる。
やっぱりそうなんだろうなあって思う。昔、テレビばっかり見てるとばかになるぞ、という大人がいた。その意味が今ならよくわかる。
No.1408 2009-6-24
函館どっくのゴライアスクレーン。2基あるうちの1基。3月に撮影。
■朝、駅まで歩いてるときにたくさん雨に降られた。雨はいやだなあやれやれとか思う。でも雨なんてただの水だからほっておけば乾く。
このあいだも書いたが、休みの日に雨が降ってると、空いてると思って、駅前に買い物にでも行くかな、とか考える。嵐がくると都内行ってみるかなとか、
ちょっと思う。大雨のときは、道路の側溝を水が勢いよく流れてるのが見える。ちゃんと機能してるな、とか思う。
縦樋のいちばん下から水がじゃーと流れ出るのを見ると、日本人は雨の流れる先にまで気を使うのだなあとか感心する。
■以前も書いたと思うが、函館どっくのゴライアスクレーンの解体のことについて少し。
函館を支えた造船業の象徴である函館どっくのゴライアスクレーンの解体・撤去が始まった。
高さ70メートル、幅が110メートルの巨大なクレーンである。
次に帰省するときには、もう、港にそびえるあの赤白のクレーンはないんだな、と思った。
感傷は少しあるが、ぜったい残して欲しいとも言えないし、思わない。
できてから35年くらいしか経ってないあれを産業遺産とか言って残すのはさすがにちょっと無理だろう。
最後にもういちど見たかったが、函館在住のかたのブログなどでその工事の様子が少し見れた。
(こことかここで見れた)
■自分が卒業した小学校も中学校も、校舎が建て替えられて、自分が通っていたあのおんぼろ木造校舎は存在しない。
高校は残っているけど、市立のもうひとつの高校と合併して、高校名は変わってしまった。
帰るたびに増えていく「テナント募集」が貼られた店、駐車場という名前の空き地。
生まれた町の姿がどんどん変わってゆく。自分はもう函館の人間ではないので、口を出すことはできない。
No.1407 2009-6-23
■今年ももうすこしで半分終わるので、2009年になってから買ったCDを振り返ることにした。
「Pirates」indigo jam unit
「the book about my idle plot on a vague anxiety」 toe
「THE SIDEWINDER」 LEE MORGAN
「HARMONY」 FreeTEMPO
「The Land of Freedom」 quasimode
「山と海」 LITTLE TEMPO
■他にもあったかもしれないが、とりあえずそのへんにあったやつで今年になって買ったのを。
こうやって見ると、インストゥルメンタルばっかりだ。
■でもいちばんよく聴いたのは、相対性理論の「ハイファイ新書」かもしれぬ。
No.1406 2009-6-21
■朝たくさん雨が降っていたので外へ。買い物でもしようと思った。雨の日だと空いてるからいい。雨の日曜の午前だから空いてた。
いいものが無かったのでなにも買わなかった。びしょびしょになった。
■船橋市長選挙の投票日だったので、投票所へ。4人立候補者がいて、どんなことを掲げているのか調べてみたらどいつもこいつもだめでつらい。
投票したい人がいなくて悲しい。なぜか4人のうち2人が北海道出身だ。ジジババばっかり。50歳以上は被選挙権与えたらだめにしてもらいたい。
老い先短い連中なんて10年20年先のことなんて考えるわけない。
■いま年寄り・金持ち優遇の政治になってるのはやっぱりそういう人たちが投票し続けてたからだろう。
票になる政策を優先するに決まってる。若者にとっていい政治をしたって投票してくれないのだから、そうなる。
どうして若い人は投票に行かないのだろう。
投票は義務じゃなくて権利なのに。政治に関心を持たない人達は、民主主義社会においては切り捨てられてしまう。
■若者が投票に行かなかった結果、どうなったか。「世代会計」ということばがある。検索すればいろんなサイトが出てくるのだけど、
大雑把に言うと、人が生涯を通じて、政府に対してどれだけ負担し、政府からどれだけ利益を得られるか、
という視点から財政のあり方を評価する仕組みのことである。内閣府の「経済財政白書」に詳しく載っている。
税金や保険料などの「負担」の金額から、年金や社会福祉による「受益」の金額を引いた額で見ると、
2005年のデータで、25歳が2466万円、70歳が−1382万円となっている。
マイナスになってるのは、負担が少なくて受益が多いということである。若い世代と老人で4000万近くの差がある。
若い世代は、払い続けた分よりもらう分のほうが少ない。
どうしてこんなことになるのかというと、要するに若い世代が搾取されて、老人が、負担したよりも多くの利益を得ているんである。
いびつな再分配である。
■それと、世代に関係なく問題だと思うのは「社会保障への還元率」である。「社会保障統計年報」という
「支払った租税と社会保険料の総額のうち、社会保障給付としてどれだけ国民に還元されているか」を示す数値で、
2002年の資料なのでちょっと古いが、日本は41.6%。
スウェーデンは75.6%、ドイツで58.6%、イギリス59.0%、アメリカ53.2%となっている。
41.6%ってなんだ、6割は何に使ってんの、ばかじゃないの、金返せよ、とか思う。
■そんなわけで、政治に興味もつのは悪いことじゃないので、投票行きませんかという話。
あ、でもワイドショーとかテレビの印象だけで投票する人決めるのはやめてくれと思うわけです。
たぶんいまも露骨にやってるんだろうな。テレビは。「椿事件」というのも検索してみるとおもしろいです。
No.1405 2009-6-20
海老川沿い
■午前中自転車。中野木の交差点から船橋大神宮経由で国道14号線の海老川河口へ。
川沿いに歩行者・自転車用の道路が整備されているというのを知ったので早速行ってみた。
河口に架かるのは「船橋橋」というくどい名前の橋で、船溜まりが見える。いまは埋め立てられてしまっているが、
かつてはこのあたりから東京湾だった。この近くにいまでも船橋の漁港があって、江戸前の魚を獲っている。
上流に向かうと、何本も橋が架かっていて、橋ごとにカッパとか船とかカエルとか、あとなんかわからんようなのとかいろんなオブジェがある。
川の水はきれいではないが、両岸が整備されていて、車が入ってこないので、のんびり散歩したりジョギングするにはいい。
サイクリングロードみたいにスピード出して自転車で走るには向いてないが、ゆっくり走るにはまあまあいいと思った。
川沿いは、二階建ての家とマンションが多い。途中、船橋の中央卸売市場の敷地をかすめるので、
フォークリフトみたいな作業車が行き来していて気をつけないといけない。
■市場を過ぎると川は北東方向にカーブしていく。このあたりから、川の両側に桜の木がたくさん植えられていて、木のトンネルみたいになっている。
春にはきれいに咲くことだろう。途中、木製の橋もある。ベンチがあって、休憩している年寄りもいる。ゴミ箱があるのだけど、
ゴミがあふれてて汚い。東葉高速鉄道の高架をくぐるあたりから、畑が広がるのどかな景色になる。
夏見台2丁目に入るあたりで川沿いの道は途切れて、住宅展示場に突き当たる。左へ曲がって夏見台の高台沿いの道を北へ。
舗装状態があんまりよくなくてぼこぼこしていた。フェンスに囲まれた小さな広場で子供が野球をやっていた。外野なんてほとんどなさそうな広さだ。
広さというか狭さというか。ホームランなんか打ったらボールがどっかに行ってしまうんじゃないかと思ったら、少し離れた道路のわきの茂みで、
おっさんと子供がボールを捜していた。船橋の医療センターの近く、夏見台小学校のあたりまで行って、引き返すことにした。
途中、川の中州にアヒルが二匹いた。帰りは国道14号まで出ずに、本町通りから大神宮、東船橋駅前経由で昼頃帰宅。
■ひさびさのJ1のリーグ戦の試合を家でいくつか観戦。大宮対京都の試合で、2番のフリーキックがすごかった。
京都の朝鮮人が退場になった場面は、大宮の選手がレフェリーをだます形になったわけだが、大宮の選手が悪いとは思わない。
芝居を見破れずにだまされるレフェリーが悪い。
No.1404 2009-6-13
茜浜の猫 (NewFM2で撮影)
海浜霊園裏の公園 (NewFM2で撮影)
■晴れて暑い。昼近く、自転車でまろにえ通り、秋津公園経由で茜浜。海と猫を見てから習志野海浜霊園裏の公園、その後砂浜へ。
■数年前にトイカメラを買ってそのままほったらかしてたのを思い出して、部屋を探したら出てきた。
Lomoというメーカーの「ColorSplash」とかいうモデル。フラッシュの色が赤とか黄色とか何色かあって、
それで遊べる、という触れ込みなんだけど、買ってすぐのころ、いじってたらその何色かの色の部分を壊してしまった。
それはそれとして、初めてフィルムを入れて使ってみることにした。いつものNewFM2と一緒に持ってでかけることにした。
■で、一本撮ってみた。
■わかったのは、寄って撮影するとピントが合わないということである。あと、できあがった写真を見たら、やたらと指が入ってた。
感想としては、思ったよりあんまりおもしろくない。うまく使いこなせてないだけだと思うが、
トイカメラらしい味のある感じの写真が簡単に撮れるかと思ってたら甘かった。
■フィルムカメラを使うようになって、ひさしぶりに思い出した文章がある。
■以前「"■"RINGS」の宮先さんの「ここであいましょう」で紹介されていた「先見日記」というサイトの中の、
駒沢敏器さんの「新しさの発見」という、2006年11月に書かれた文章だ。
駒沢さんがどういった人なのかわからないが、このサイトの中にたくさん、駒沢さんの文章があったので、ついいくつも読んでしまった。おもしろかった。
■デジタルカメラはいろんなものが写り過ぎると思う。こんなふうになってたんだ、とか、こんなものあったんだ、とか、旅行から帰ってきて、
コンピュータのモニタで見て初めて気づくことがけっこうある。せっかくその場に行って、自分はいったいなにを見てきたんだ、と思って少しがっかりもする。
見てるようでなにも見てないんじゃないか。その場でしっかり見ないといけないと思う。見るには集中力が要る。
ついデジタルカメラに甘えてしまっているのではないか。とにかくたくさん撮っといて、家でゆっくり見ればいいや、と、心のどこかで考えてる気がする。
それで結局、頭には残らない。あとからモニターで見る画像が、記憶にいくらか残っている風景に取って代わってしまう。
■フィルムカメラは集中力が要る。少なくとも、撮ろうとする対象はよく見る。フィルムカメラには液晶画面がついてないから、どんなふうに撮れてるか、
現像してプリントされるまでわからない。撮った瞬間のファインダ越しの風景の記憶と、できあがったL版とは、ギャップがあることがほとんどだけど、
まれに、記憶というか、こういうふうに撮れててほしい、という理想にけっこう近いときもある。そういうときは、うれしい。
■帰りはひさびさに国道14号沿いのアンポンタンでパンを買って、わいがや通り、京成津田沼駅前経由で帰宅。
京成の駅のわきの踏切がいつまでも開かなかった。下の三枚はLomoで撮影。
No.1403 2009-6-07
車窓から見た棚田
遠く、阿蘇の町並みを見おろす
SL人吉号
三角線終点、三角駅
■外から聞こえてくる鳥のきれいな声で目がさめた。町の人たちは、日曜日なのに意外と朝早いみたいで、
車の走る音が時々聞こえてくる。早く寝たからか、案外すっきり起きられた。チェックアウトを済ませて駅へ。
天気はいいが、空気はひんやりしていた。長袖を着る。駅までの道すがら、竹田の町並みを見て歩くと、どことなく品のいい感じがする。
あと、マクドナルドとかコンビニエンスストアなどのチェーン系の店がない。
それと、町の人が、こんにちは、こんばんは、お気をつけて、と挨拶してくれる。こどもや老人が挨拶してくれるのは他の町でもあったが、
高校生のあんちゃんまでも元気にこんちわす!と挨拶してきたので一瞬びっくりした。駅舎の中は人がいないからがらんとしてて、
水槽の金魚二匹がぷかぷか泳いでるだけだった。豊後竹田始発の熊本行きと大分行きの普通列車が発車を待っていた。
7時前だからか、どちらの列車も乗客は少ない。熊本行きに乗車。高校生らの会話で日本代表のワールドカップ出場決定を知る。
■豊肥本線を西へ。大分と熊本の県境へ向かって走る。玉来駅から豊後荻駅の駅間がかなり長かった。
沿線には背の高い木が多く、線路脇の枝が列車をたたく。人里からずいぶん離れた谷あいに作られた田や斜面の棚田を見ていると、
日本人の、稲作というか水田作りへの強い執念を感じる。県境を越え、熊本県に入って最初の駅である滝水駅から数人乗車。
きつい勾配を登ると、エンジンの振動が大きくなる。九州でいちばん標高の高い駅という波野駅は、標高754メートル。
ホームにそのことが書いてある看板が立っている。駅の周囲はなだらかな丘で、チューリップなどが咲いてるのが見えた。
この駅で列車すれ違い。最高地点を過ぎると、列車は快調にスピードを上げてどんどん下っていく。
トンネルとトンネルのわずかな間に、遠く、阿蘇の町並みを見おろす。肥薩線の矢岳越えのような、胸のすく景色である。
いつの間にか阿蘇のカルデラの外輪山の中を走っている。宮地駅で高校生の乗車下車あり。ローソンやファミリーレストランもあるそこそこの町のようだ。
徐々に人の乗り降りが増え、有人駅も多くなる。阿蘇駅からは登山姿の男三人乗車。
内牧駅手前あたりで、あざやかな緑の丘が見えた。山の斜面には風力発電の風車が何機も見える。立野でスイッチバック。
Z字に敷かれたレールでジグザグに斜面を下り、一気に高度を下げる。ひとつ前の赤水駅の標高が465メートル、
立野が277メートル、次の瀬田駅が170メートル。この高度差を、かつてのSLは相当苦労して登ったそうだ。
立野で列車すれ違い。南阿蘇鉄道との乗り換え駅でもある。外輪山を抜け、瀬田駅のまわりは茶畑が広がっていた。
肥後大津あたりからは、都市の郊外といった具合の景色で、戸建住宅が多いが、時々マンションなんかもある。
水前寺で大勢乗り降り。降りる人のほうが多かったので、列車内は少し空いた。新水前寺駅の近くには熊本市電の停留所見えた。
ここでもたくさんの乗り降りがあった。 豊後竹田からおよそ二時間半ほどで熊本に到着。
■これで豊肥本線も全線乗車できて、やれやれと列車を降りると、熊本駅のホームには、なにかの人ごみができてた。SLが停まっていたんである。
「SL人吉号」というらしい。今年の4月から走っているそうだ。蒸気がシューっと出ている。自分はSLにあんまり興味はないのだけど、
間近で見るとすごい迫力だ。しかも停車中だが発車準備が進んでいるようで、機関車の近くに行くと熱い。石炭が燃えているのだろう。
黒光りするごっつい鉄の塊のような車体から白い蒸気が出ていて、近寄るとすごい熱気で、ただただ圧倒された。SLが好きな人たちの気持ちが少しわかった。
駅の二階にある喫茶店で少し遅めの朝ごはん。テラスがあって、気持ちよさそうなので出てみると、駅前では大掛かりな工事が行われてて、
あまり景色はよくなかったが、外の空気の中でごはんを食べるのはいいものだ。路面電車が走っているのも見えたし、バスも頻繁に走っているようだ。
3年前に熊本駅まで来たときは夜で、ひと気もあんまりなくてさびしい感じがしたが、朝の熊本駅は人の往来が多かった。
駅のいちばんはずれにある4番ホームから三角線の三角行き快速列車に乗車。午前の下り列車だから空いてるかなと思ったが、
意外と混んでた。二両編成。一筆書きの経路から外れるので、別に切符を購入。
■三角線は熊本から南へ二駅行った宇土が起点で、西の島原湾の海に向かって突き出た宇土半島を西へ進み、島原・天草の海の方へ向かう30キロ弱の路線である。この路線は今回初めて乗車。
熊本を出てまもなく、右手に車両基地があり、今年の3月に廃止になったはやぶさと思われるブルートレインが置いてあった。
方向幕は「東京行き」になっていた。川尻駅を過ぎ、宇土駅まで、鹿児島本線の線路を走る。この快速列車は一応観光客向けの列車らしく、
車内では自動音声による観光案内のアナウンスがある。宇土駅のホームには人が結構いるが、みな鹿児島本線の列車乗るみたいで、
三角行きにはほとんど乗ってこない。宇土から線路は鹿児島本線と別れて、カーブしながら進路を西へ変える。
宇土半島の北岸を国道57号線と平行に走る。緑川駅の近くの倉庫のような建物の壁には「海藻選別スタッフ募集」というお知らせが貼ってあった。
肥後長浜駅からは海が見えた。一旦、線路は内陸に向かい、網田(おうだ)駅のあたりで再び海沿いに出る。
このあたりを御輿来(おこしき)海岸と言うそうで、観光案内による説明があったが、木が多いせいで海がほとんど見えない。4世紀に景行天皇が訪れた海岸だそうだ。
海辺を走っていたと思ったらいつの間にか山のなかのような景色だった。宇土半島を横断するので上り勾配となる。
半島を横断して南岸に出ると波多浦駅。いかにも海辺らしい名前の駅である。すぐ近いところに戸馳島が見えている。
熊本から50分弱で終点の三角駅に到着。
■線路の終端がホームの先に見える、終着駅らしいたたずまいの駅である。有人駅。それなりに大きな駅舎で、天井が高い。
駅前の国道266号線をはさんですぐのところに三角港が見える。島原方面への航路があるようだ。こんなに駅と港が隣接している場所は、
青函連絡船無き今、他であまり見たことがない。
港には「海のピラミッド」という円錐型の建物が建っていて、螺旋状のスロープがついてて、展望台まで上がれるようになっている。
港からは南国の色の海に浮かぶ天草の島々が見える。港の駅らしく、三角駅の駅名標の上には船の操舵輪が飾ってある。
駅から2.5キロほど北にある三角西港の明治・大正期の建物や港湾施設など見に行きたかったが、
どうしても時間を捻出できなかった。路線バスやタクシー利用も考えたのだけど、断念した。来たルートで熊本まで戻る。
宇土からの鹿児島本線の上には、真新しい新幹線の高架がそびえる。もうすぐ開通する九州新幹線の高架だ。
熊本駅で、昼ごはん用に駅弁を購入し、特急リレーつばめ44号に乗車。なかなかの乗車率である。
今回の旅行での三つ目の駅弁は「九州うまか赤鶏弁当」である。鶏と錦糸たまごとごぼうの混ぜごはんの上に甘辛のタレの鶏の照り焼きがのってて、
やわらかくてかなりうまい。ごはんもうまい。熊本の弁当らしく、からしレンコンもひとつ入ってた。
■リレーつばめは鹿児島本線で博多まで行く特急で、車両の外観はメタリックグレーで、メカニカルなデザイン。客室内は飛行機みたいな内装で、
デッキ部分は、ドアなどに赤が多く使われている。鹿児島本線はさすがに九州の主要幹線なので、線路の敷き方も悠々としている。
この路線は過去に数度乗っているが、景色はとくにおもしろくない。山並が東に少し見えるくらいで、あとは田んぼばかりである。
途中、羽犬塚(はいぬづか)というへんな名前の駅がある。この駅名は、いつもなにかひっかかる。どんな由来なんだろうか。
久留米のあたりで、線路からだいぶ離れた所に白い観音さまが見える。かなりでかい。熊本からはおよそ1時間20分で終点の博多に到着。
地下鉄に乗り換えて福岡空港へ。成田空港行きの便に搭乗。成田行きだからか、外国人が多く乗っていた。海外の航空会社とのコードシェア便だったようである。
定刻から30分ほど遅れて離陸。九州からの便に明るいうちに乗るのは初めてだったので、景色が新鮮だった。瀬戸内海の島々、静岡のひたすらまっすぐな海岸線がとくに印象に残った。
九十九里の海岸もなかなか。なじみのないルートだったからいままで見たことない上空からの景色だった。
日本地図とうまく頭の中で合致できなくてなんだかちがう国みたいだった。
■成田空港からは京成の特急で津田沼へ。羽田より成田のほうが近いし、乗り換えもないから便利だが、国内線はあまり成田に乗り入れてない。
■これでJR全線のうち乗車済み区間は、ようやく90パーセントの大台を超えて、91.4パーセントまでいった。
35歳までに全線完乗を達成したい。
No.1402 2009-6-06
海が見える駅、日豊本線豊後豊岡駅
岡城跡と遠くの山並み
殿町武家屋敷通り
キリシタン洞窟礼拝堂跡
■マイルが貯まったので、土日で九州へ行ってきた。行きも帰りも飛行機はただである。九州はこれで5回目の訪問になった。
普段より少し早起きして羽田へ。空港にはけっこうぎりぎりに着いた。3番搭乗口まで少し急いで、宮崎行きに搭乗。
満席ではないが座席はだいたい埋まっていた。雲が多くて地上の景色はあまり見えなかった。九州に近づくと雲間から海が見え、
宮崎の市街地を遠くに見ながらだいたい定刻とおりに宮崎空港に到着。
■今回の九州旅行の目的は、まず、未乗路線の消化である。宮崎空港からスタートして、
アルファベットの「Z」をひっくり返して斜めに傾けたような経路で博多まで行く。
遠回りの一筆書きの経路である。へんな経路の切符を作ってもらうときは、時刻表の最初についてる路線図を白黒でコピーして、
乗車経路を蛍光ペンでなぞったものを用意しておいて窓口の人に渡すとスムーズなので、そうしている。
主に利用するのは津田沼駅か千葉駅だが、どちらの駅も、みどりの窓口の係の人は手際いいように思う。
へんな切符とか周遊きっぷとか、スムーズに発券できるし特急の乗り継ぎ割り引きのこともよく知っている。
■JR九州は、温泉地やテーマパークとセットになった企画乗車券や回数券タイプのかなりお得な切符がたくさんある。
都市間バスが充実していて、それらのバスとの競争が激しいから、JRも対抗していろいろやってるそうだ。
調べると確かにお得な切符がけっこうあって、なにか使えるのはないかなと検討したが、私がやるような旅行に合う商品はやっぱり無かった。
■宮崎空港到着はほぼ定刻通り。建物の外に出てみると、南国らしい色とりどりの花が咲いていた。
すぐ近くに宮崎空港駅がある。宮崎駅まで普通列車に乗車。宮崎駅までは分。一度改札を出て、駅弁をひとつ、朝食用に購入。
2008年3月に宮崎を訪れたとき食べた「椎茸めし」という弁当を、また買った。
およそ主役になるとは思えない食材である椎茸を大胆にメインに据えた弁当で、
前に食べたとき、椎茸ってこんなにおいしいんだ、と驚いた。もう一度食べたいと思ってたら案外早く叶った。
駅弁はどこのやつもだいたいおいしいんだけど、たいていは、一度食べたら満足である。
また食べたいと思ったのは、下諏訪駅の「小さな信濃路」とか横川の「峠の釜飯」とか、いくつかはあるが、そんなにたくさんはない。
そんななかで、また食べてくなったこの弁当は、昭和28年からずっと売られているそうだ。長いこと売れ続けている理由がわかる味。
■九州は駅弁がうまいと思う。今回の旅行のもうひとつの目的は、九州の駅弁をいくつか食べるということで、早くもひとつ食べることができた。
そして、九州といえば、魅力的な列車がたくさん走っているが、とくに特急がいい。特急に乗車するのも楽しみにして来たのだった。
で、宮崎駅から特急にちりん10号に乗車。楽しみにしてたのだけど、古いタイプの車両で、シートの前後の間隔がちょっと狭かった。
でも窓が大きくて景色がよく見えるからいい。日豊本線を北上。日豊本線は、北九州の小倉から大分、宮崎を経由して鹿児島中央まで至る約465キロの路線で、
2006年の6月に鹿児島中央〜隼人、2008年3月に隼人〜宮崎、11月に小倉〜大分の区間を乗車した。
宮崎から大分までの区間だけ、まだ残っていたのだった。
■日向灘沿いに、一ツ瀬川、小丸川、耳川などの大きな川を渡りながら北へ向かって走る。
田んぼやトウモロコシ畑の向こうにきらきら光る海が見える。人家は少ない。都農駅あたりには、リニアモーターカーの実験線の高架がかなり長く続いている。
たまたまそういう実験線だと知っていたが、知らないであれを見たら、いったいなんだ、ひそかに新しい路線でも作ってたのか、と思ってしまうかもしれぬ。
実験線の高架は、鉄道総合技術研究所という施設まで続いて、そこで終わっていた。この沿線の中では比較的大きな町である日向市で停車。
日向市のとなりの駅の名前は「門川」で、駅の近くの河口の両側に大きな岩山があって、川の門のように見える。あれがこのあたりの地名の由来ではないか。
五ヶ瀬川を過ぎると旭化成の企業城下町である延岡に停車。駅の周囲に工場等の建物があって、それらの敷地に向かう引き込み線も多く見える。
工場に関係あると思われるコンテナがたくさん積んである。「旭」と書いてある団地が見えた。社宅だろうか。
延岡から、墓参りにでも行くと思われる、供花を持ったばあさんが乗ってきた。特急列車で墓参りとはすごいなと思ったが、
延岡から佐伯までの区間、宮崎と大分の県境のいわゆる「宗太郎越え」と呼ばれる区間は、普通列車が一日三往復しか走ってない。
18きっぷ旅行の難所である。そういう土地なので、特急が身近な交通機関なのかもしれぬ。
窓からは国道326号と10号の道路が見える。延岡を過ぎるとめっきり人家が減る。市棚から宗太郎あたりの県境はかなりの山越えで、
並行する道路を走る車はほとんど見かけない。
■道路沿いに「ようこそ宮崎県へ」の看板が見えた。宗太郎駅で特急すれ違い。周辺を見ると何軒か家があるだけの小さな集落のようである。
そこから佐伯まで約35キロほどの間はノンストップで走る。朝早起きしたことと、弁当をひとつ食べたせいか、眠気がすごい。
初めて乗る区間で居眠りしてはいけない、と必死に起きていようとする。佐伯駅で停車。ホームにでかい招き猫があった。
太平洋セメントの大きな工場が見える。狩生駅前後で久々に海が見えた。浅海井駅で貨物列車とすれ違い。既にどこかで荷下しした後だったのか、
コンテナが少なくて、荷台が見えている。前の方の席の人が広げている新聞が見えて「仏像ブーム最高潮」という見出しが書いてあった。
最高潮なんだろうか。津久見駅のホームには大きなみかんのオブジェみたいなベンチがあった。山肌ががりがり削られて、痛々しい景色である。
臼杵駅近くでは、線路のすぐそばに造船所があり、大きな船を造ってるのが見えた。上臼杵駅を過ぎると「甘夏倉庫」と書いてある建物が見られ、
下ノ江は木造の古い駅舎。木々を見ると、黄色い実がついたみかんか何かの木や杉、竹などが目立つ。鶴崎あたりまでくるともうすっかり町で、
大分川の鉄橋を越えるとほどなく大分駅に到着。これで日豊本線は全線完乗。
■少し時間があったので一度改札を出てぶらぶらしたが、2008年の11月に来たばかりなので、けっこう駅構内や駅前の様子は覚えていた。
大分トリニータの試合映像を流しているモニターがあって、去年のナビスコカップ決勝のダイジェストだった。
別に切符を買い、一筆書きの経路から少し外れて、もう少し日豊本線を北上。別府湾を右手に見ながら25分ほどで豊後豊岡に到着。
この駅は、昨年このあたりを通ったときに、車窓から見てて、海が見渡せるいい駅だなと思っていたので、今回改めて訪れたんである。
木造の駅舎はこぢんまりしているが、駅員さんがいて、窓口では切符の販売もしている。少しの間、ホームから海を眺め、
折り返しの列車に乗車。遠くには大きなフェリーが見える。途中の東別府や西大分も古い駅舎である。大分駅まで戻り、
少し遅めの昼食用に弁当を購入。
■大分から豊肥本線の特急「九州横断特急5号」に乗車。名前のとおり、別府から発車して九州を横断し、熊本の人吉までゆく列車である。
赤い車両で、車内は木目調のインテリアだ。驚いたのは、特急なのにたったの二両編成だったことである。
大分〜熊本の移動は、高速バスに客とられてるのか、それともそもそもそれほど需要がないのだろうか。しかも空いていた。
前の座席の背に収納されているテーブルの裏面には「TRANS−KYUSHU LIMITED EXPRESS」とロゴが入っている。
テーブルを出して弁当を食べた。今回二つ目の駅弁は「豊後やまが牛めし」である。
「山香牛・山香米使用」と書いてある。山香というのは大分の北、国東半島の南端の杵築市にある地名で、中山香という駅がある辺りのようである。
牛肉がやわらかくてうまいのと、ごはんがなんだかえらくおいしかった。
■豊肥本線は豊後の大分と肥後の熊本を東西に結ぶ150キロほどの路線で、途中、九州山地の山を越え、阿蘇のカルデラの中を通る。
この路線は初めて乗車する。大分から列車はすぐ西へ向かうのかと思ったら、線路はまず南へ向かってからぐるっと方向を変えて西へ。
途中、中判田、三重町、緒方に停車。座席に座っててもはっきりわかるほどの勾配を列車は登ってゆく。
大野川に沿って線路が敷かれていて、川底の、鋭利な角をもつ岩がごろごろしているのが見える。
水の張られた田に、山や濃い緑の木々が映りこむ景色は美しい。ひと気のまばらな土地をしばらく走るが、
三重町はちょっとした町だった。午前中、にちりんに乗ったときも思ったが、九州の特急は停車駅がやや多いように感じる。
地元の人にとっては便利かもしれぬ。乗るとすぐカーテンを閉めてしまって、早く目的地に着きたい人はいらいらするかもしれぬ。
自分としては、停車してくれたほうが駅やその周辺の様子をじっくり見れるから、あまり気にならない。
本来なら、特に初めて乗る路線は、なるべく各駅に停車する普通列車に乗りたいと思っているのだけど、九州は特急が楽しいし、
時間的な制約もあって今回はほとんど特急利用である。豊後清川ですれ違った大分行き普通列車も、こちらと同様に二両だった。
時々はっとするような渓谷の景色や蛇行する川の景色、遠くにそびえる高い山並みなど、さすがに山越えの路線という景色だ。
大分からは一時間ほどの乗車で豊後竹田に到着。下車する者は少なかった。長いホームに二両の列車が停まるので、
ホームを持て余している感じ。この駅の発車メロディは滝廉太郎の「荒城の月」だ。
ホームでは高校生くらいの三人が、ベンチでカードゲームみたいのをやってた。城の模型が展示されている。北側を見上げると、切り立った崖の小山が見える。
■豊後竹田駅は大分県西部、人口約2万6千ほどの竹田市の中心にある駅で、市の名前、駅名ともに「たけだ」ではなく「たけた」である。
国土地理院の2万5千分の1の地図で見ると、駅のあたりの標高は、海抜約240メートル。駅の裏の崖のある山は296メートルとなっているので、
60メートル近くの高低差だ。駅舎は城に似せた建物で、背後に小高い山があるところなど、雰囲気が肥薩線の人吉駅に似ている。
改札口の上には立派な振り子の時計がある。広い待合室には高校生と年寄りが座っていた。キヨスクもある。
駅舎の壁には竹田市長からのメッセージが貼ってある。「市民の皆さん、豊後竹田駅の利用者数を増やすために、
お出かけの際には往復切符を 又、通勤通学の方は定期券を必ず地元の豊後竹田駅で買いましょう」ということである。
なんだか切実で泣ける。駅前にはロータリーがあり、稲葉川にかかる橋を渡ると竹田の市街。駅からタクシーに乗車。
町の外れの高台にある岡城跡を見に行った。思ったより近くて、タクシーの運賃は680円だった。
運転手さんの感じがいい。入場料は大人300円。料金を払う小屋のカウンターの上で白黒の猫がだらっと寝そべっていた。
巻物みたいになってる案内図をもらい、城跡の中へ。岡城の標高は325メートルなので、町中との標高差はだいたい85メートルくらいだろうか。
滝廉太郎の「荒城の月」は、この岡城を題材にした楽曲だそうだ。土産物の店などもあるが、もう夕方だったので閉まっていた。
石段を登り、大手門から西の丸、三の丸、本丸などの跡を見て回った。今も発掘調査をやっている箇所があって、
ロープが張られていた。眺望がよく、滝廉太郎の像が立っているところからは、
多少霞んでいたが、遠く九重連山の山並みが見渡せる。石垣の端に立って真下を見ると、切り立った崖の上に石を積んでて、
はるか下に谷底が見えて、柵もなにもなくて、非常にこわい。いちばん高い場所にある本丸跡にはちいさな神社があった。
平地にある城と比べて、山城は「軍事施設」とか「要塞」という感じが強くて、とても格好がいい。
千名の籠城軍で島津勢3万の大軍を退けたという話も残っているので、機能的にも優れた城だったのだろう。
■帰りは下り道なので、タクシーは使わず歩いた。竹田の町はすり鉢というか、お椀みたいな形をしていて、へりに行くほど高くなっていて、
底の平らな部分に人が住んでいる。トンネルを抜けると市街地に出て、郵便局のある交差点を南に曲がると武家屋敷が残る通りがあった。
瓦がのっかった土塀があり、蔵があり、門がある。「殿町武家屋敷通り」というのだそうだ。
通りから赤い鳥居のある路地に入ってみたらちょっとした坂になってて、天理教の教会があって、その先に赤松稲荷という小さな神社があって、
さらに民家のすき間みたいな細い路地に入ってゆき、竹やぶが少し開けた場所にある石段を上がると、
キリシタン洞窟礼拝堂跡がある。岩盤を掘り込んで作った祭壇があり、その横の崖がえぐれた場所で、司祭が暮らしてたらしい。
禁教後もここで密かに信者たちが信仰を続けていたということである。
武家屋敷通りから町のへりの高くなっている場所を道なりに歩くと、竹田創生館だとか旧竹田荘、歴史資料館、滝廉太郎記念館など、いろいろ見所があるのだけど、
もう閉館してる時間だった。石垣沿いの道で、青くてでかいミミズを見た。人が通ると曲が流れる廉太郎トンネルなんていうのもあった。
竹田荘公園から町並みを見下ろすと、テレビ塔みたいな赤白の鉄塔がある以外は高い建物もなく、山に囲まれたこぢんまりとした竹田の町が見渡せる。
滝廉太郎の旧宅には、いまも滝家の子孫が住んでいるみたいで、門には滝なんとかという表札がかかっていた。近くには、
古い民家を使ったしゃれた古道具屋があって、閉まっていたが、看板やディスプレイを見るとおそらく若い人がやっているのだと思う。
赤っぽい看板には「mitsuketa」と書いてあった。尾道なんかにありそうな感じの店。
町の西のへりの高台にある観音寺にある「円通閣」という中国風楼閣建築の門や国の重要文化財になっている「愛染堂」、
斜面に作られた十六羅漢などを見ながら町まで下りてきた。日が長いので、遅くまで観光できた。
■そろそろ晩ごはんでも、と思ったら、7時を過ぎて次々と町のいろんなお店のシャッターが閉じてしまった。
それでも、スナックとか居酒屋とか、そういったお店のネオンはあちらこちらで点いていて、
さびしい感じはない。「ラーメン 焼き鳥」と看板が出ている店で夕食。3階建ての小さなホテルに宿泊。
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