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No.1506 2010-4-30
厳島神社 大鳥居1
厳島神社 大鳥居1。

厳島神社
厳島神社。

厳島神社 大鳥居2
厳島神社 大鳥居2。

宮島の鹿
宮島の鹿。

宮島 白糸川の遊歩道
宮島 白糸川の遊歩道。

芸備線 下和知〜山ノ内間
芸備線 下和知〜山ノ内間の車窓。

備後落合駅
備後落合駅。

■ホテルの朝食のバイキングに、切り分けられたお好み焼きがあったので驚いた。朝食を済ませて広島駅へ。 平日なので、駅からオフィス街や学校へ向かう人たちがかなりいる。山陽本線の岩国行きに乗車。 広島でほとんどの乗客が降りるので、車内はガラガラになった。発車して間もなく橋で大きな川を渡る。 地図を見ると、広島市内には幾筋かの大きな川が流れているようだ。大きな都市には大きな川が流れてることが多いように思う。 東京、大阪、京都、福岡、札幌、盛岡、新潟、そして広島、いずれも町の景色を思い浮かべるとき、都市の中を大きな川、有名な川が流れている。 五日市駅に停車中、線路脇のカラスが一羽、きょろきょろしながら列車に近づいてきて、見上げたりしてた。発車したら飛んで去っていった。 電車好きのカラスかもしれぬ。
■広島から30分弱で宮島口駅に到着。駅を出て海の方向へ歩くと国道2号線をくぐる地下道があり、駅から200mくらいのところに宮島口フェリーターミナルがある。 宮島口と宮島を結ぶ航路には二つの会社のフェリーが運航していて、一つは広島電鉄系の宮島松大汽船、 もう一つはJR西日本宮島フェリーである。JR唯一の航路がここで、かつて国鉄時代にあった4航路のうち唯一、宮島航路だけが民営化後も存続ということになった。 あとの3つはというと、函館と青森を結ぶ青函連絡船、岡山の宇野と香川の高松を結ぶ宇高連絡船、前日乗った呉線の仁方と愛媛の松山市の堀江港を結ぶ仁堀連絡船という航路があったようである。 宮島航路は、地図上で距離を測るとおよそ1.8km。対岸が見えるほどの距離である。二社の桟橋が隣接した場所にあるが、 どちらもそれなりに乗客があるようで、にぎわっている。さすがに世界遺産への航路という感じ。運賃はどちらも片道170円。 JR西日本宮島フェリーのほうは、JRなので、18きっぷでも乗れる。両社とも、15分間隔で船が出ている。JRのほうは、 9時以降の島行きの便に限って、大鳥居に接近するというサービスをやっている。
■JR全路線乗車を目指しているので、当然JRのフェリーを選んだ。桟橋近くで乗船を待っていると高校生の集団がぞろぞろ一隻のフェリーに乗ってゆく。 どうやら五日市高校の貸切船らしい。その次のフェリーに乗り、宮島へ向かう。フェリーは小さいながら自動車も載せられる構造になっていた。 一層が車両甲板、二層目が客室、三層目がオープンデッキになってて、まだ午前中で風が冷たいので三層目まで上がってくる者は少なかった。 大鳥居に近づくために大きくカーブしたコースをとって宮島桟橋に到着。乗客はみな手にデジタルカメラを持って一生懸命鳥居を撮影していた。 10分ほどの船旅だった。島側の乗船桟橋には、大きな駅のような待合所の建物があって、宿や土産店の広告のパネルがたくさんあった。 建物の外に出ると壁には鯉のぼりがたくさん取り付けてあった。外にはいきなり鹿がいた。海沿いには松並木の遊歩道が整備されていて、 途中で白い猫に会った。遊歩道沿いには土産物の店や飲食店が多く建ち並んでいて、開店の準備をしているようだった。
■大きな狛犬の間を通り、まずコンクリート製の鳥居をくぐると、前方の海中に立つ赤い大きな鳥居が見えてくる。 今回の旅行に関しては、準備時間が短かったのでほとんど下調べみたいなことはできなかったが、このあたりの海の満潮の時間だけは調べておいた。 海に浮かぶ厳島神社を見たかったんである。この日の満潮は午前10時過ぎと午後11時過ぎということだったので、朝の満潮に間に合うように予定を組んだ。 それにしても、赤い鳥居はとても堂々とした力強い形をしている。薄曇の空だが、時おり雲の切れ間から日が差し、 その瞬間、青い海の上に鮮やかな朱の鳥居がくっきりと光を放ってるように見えてすごい。 神社の入口に着いて、拝観料300円を払い、中へ。入口には向かって右に「国宝厳島神社」左に「世界文化遺産」と墨書された看板が立ててある。 朱塗りの壁の社殿は、奈良の春日大社にちょっと似ている。入って最初にある回廊から、大きな五重塔が見える。
■厳島神社の創建は593年というから、ちょうど聖徳太子の時代あたりになるだろうか。 平安時代後期になると平家の援助を受け、現在のような回廊で結ばれた海上社殿が造営されたということである。 社殿は、平安期の代表的な建築様式である寝殿造りとなっていて、他の神社とはずいぶんちがった形式になっている。 というのも、そもそも寝殿造りは貴族の住宅の様式だったので、それを神社に取り入れているというのは、自分が知る限りではここ以外知らない。 中央に「寝殿」と呼ばれる正殿があり、その左右に「対屋(たいのや)」と呼ばれる付属的な建物を従えるような並びとし、 そしてそれらを回廊で結んで、シンメトリーな配置とするのが基本的な構造である。厳島神社の場合はそれに加えて、 平舞台、高舞台、能舞台、反橋等がある。いずれの建物、構造物も、国宝や重要文化財に指定されている。
■とにかく特筆すべきなのは、海を庭に見立てた奇抜な発想と、それを実現できた技術力だろう。 言ってしまえば、砂浜の上に高床で寝殿造りの神社を造りました、ということなのだが、並大抵の労力では成し得なかっただろうということは容易に想像できる。 そして本殿の正面沖合いに立つ大鳥居は力強くしかも神秘的で、日本人なら一度は見たほうがいいと思った。すごい。
■今後見に行く人のためにも書いておこうと思う。この厳島神社から鳥居越しに対岸の本州本土側を望むときに、 ちょうど鳥居の真正面の山の中腹に白くて巨大な奇妙な建物が見える。何なのかよくわからないが、直感的になんとうなくいやだな、と思って、 写真を撮るときもなるべく、それを入れないように気をつけていた。帰ってきてから調べたら、一応美術館ということになっているが、新興宗教の施設だった。 明らかに厳島神社から見て正面に来る位置に狙って建てている。美術品や収蔵品に罪はないが、非常に悪趣味で醜悪だ。 景観をぶちこわすような美意識の施設が美術館というのも笑わせてくれるが、とにかく、 あんなものを建てさせてしまった広島や日本の大失態である。
■神社の裏手を歩いていたら、島の中央方面へ向かって坂道を登っていったところに大きな寺のようなものが見えたので、 歩いていってみることにした。宮島は、厳島神社の存在感が圧倒的なので、自分もそれしか知らなかったが、 観光マップのようなものを見てみると、神社仏閣、古い町並み、水族館、ロープウェイや自然遊歩道、いろいろあるらしい。 で、坂道の上のほうにあるのは大聖院という寺院だったが、そこを目指していたはずなのに気づいたらいつの間にか山道のようなところに入っていた。 ごつごつした岩がごろごろびっしりあるところに水が流れて川になっていて、ところどころ滝のように流れ落ちている。白糸川というらしい。 その川沿いに遊歩道が整備されていて、どんどん登っていってみた。ときどき振り返ってみると、遠くに海が見え、宮島航路のフェリーが見える。 途中、岩ががっちり高く積み上げられて堰のようになってる場所があり、城の石垣のようで、なんだこれはと思ったら、 看板があって、どうやら土石流を防ぐための堰堤のようである。すごい迫力だ。大きな岩盤の上を水が滑るように流れて滝のようになっているのが遠くに見えた。
■引き返して神社の脇を通り、海沿いの松並木を歩いて桟橋まで戻る。島内は中学生や高校生の団体がたくさん歩いていた。 フェリーで宮島口へ。外のデッキにいると、歩いて暑くなった体が冷まされてちょうどいい。東南アジア系らしきグループが船上でたくさん写真を撮っていた。 電車で広島駅まで戻り、昼食は駅でうどん。山陽本線の車内は仕事での移動と思われる人が多い。 広島から芸備線の列車に乗車。芸備線は岡山県新見市にある備中神代駅から三次を経て広島駅に至る160kmほどの路線で、 備中と安芸を結ぶことからこの路線名になっている。全線を一本で通して走る列車はなく、 備中神代(発着は伯備線の新見)〜備後落合、備後落合〜三次、三次〜広島の三つの区間に分かれて運行する形態になっている。 2006年12月に備中神代〜備後落合、2009年1月に塩町〜三次の区間乗車したので、残りの備後落合〜塩町、三次〜広島の区間に初めて乗車。
■芸備線三次行きは二両編成で、黄色と白のツートンカラーの列車。広島駅を発車するとしばらくは、都市郊外の発展したエリアを見ながら走る。 広島駅から、住宅街が広がる下深川駅あたりまでの区間は20分に1本くらいの頻度で走っているが、その先へ行く列車になると一時間に1本くらいになってしまう。 左手には太田川という大きな川が見える。中深川駅で多く乗り降りあり。徐々に山が近づいてくる。山の緑が鮮やかだ。 狩留家駅で3分ほど停車。長塚駅の手前の集落あたりから石州瓦ぽい屋根の家が多い。あの落ち着いた赤い色の瓦はたしかに石州瓦だと思う。 島根の瓦だ。日本海側から山を越えて広島側に瓦が伝わったのか、中国地方の土で瓦を焼くとああいう色になるのか、たまたま今このあたりで流行ってるのか、 このへんの工務店が安くたくさん仕入れられるルートがあるのか、よくわからないが、山と田と小さな森のある景色の中にあの瓦屋根の色の集落はとてもよく映える。 上三田駅の周辺は山間のそこそこ大きな町のようだ。志和口駅のあるあたりも建物が多い。このへんまでが普通列車で広島から一時間圏内なので、 通勤利用の者もわりといるのではないか。茅葺はさすがに見当たらないが、大屋根の昔ながらの農家がいくつも残っているし、 広い敷地にゆったりと建つ城みたいな立派な屋敷が多い。すでに水を張った田が多く見られる。向原駅のあるあたりは大きな町だった。 このあたりまででずいぶん乗客が少なくなり、駅間距離が長くなってきて、そういう区間では結構スピードを出して走る。 甲立駅前を見ると、小さな食堂とか商店とかタクシー乗り場があって、ちょっと駅前らしい感じがある。 広島から約二時間かかって、列車の終点である三次駅に到着。三次はこの沿線ではひさしぶりに大きな町である。 線路のそばに、前(2009年1月)に泊まったホテルが見えた。すぐに三次から先へゆく次の列車に乗り継ぐ。
■備後落合行きは一両。急いで乗ったが、先客はたしか一人だけだった。この区間を走る列車は、1日7往復しかない。そういえば18きっぷ期間ではないからか、鉄道おたくぽいのは自分以外まったく見かけない。 備後庄原駅を過ぎて、川沿いに出ると、線路がかなり川べりのきわどいところに敷かれているためか、相当速度落とした。 沿線には田や畑が多いが、見ていると、農作業してるのがことごとく年寄りばかりだ。 高駅の近くにある家の大きな鯉のぼりが、強風で泳ぎ過ぎてポールが折れるんじゃないかと思うくらいかなりしなってた。 小学校のグランドで子供らがサッカーをやってるのが見える。こういう土地でも思ったより子供いるもんだなと思った。 備後西城はそこそこ大きな町のようである。駅の近くに「さとやま交流館」というのがあった。どういう交流をするのだろうか。 役人と建設業者の交流だと思う。比婆山駅を過ぎ、しばらく左手に川と国道が見えているが、 ふと気づくと一本の線路がすーっとこちらの芸備線の線路に寄ってきた。木次線の線路である。 三次から一時間強で終点の備後落合に到着。木次線と芸備線の接続駅なのに無人の駅である。 下車したのは3人か4人で、年寄りばかりだった。迎えの人が来ており、車で早々と去っていったので、駅はすぐ静寂に包まれた。 この駅には2006年の12月に一度訪れたことがあったが、そのときとまったく変わってなかった。
■時間があったので駅のまわりを歩いてみた。家はわずかだがあって、山の中のわりには国道にそこそこ交通量があるので、 まったくひと気がないわけではないが、さびしい場所である。国道沿いの歩道は、人がほとんど歩かないためか、雑草は伸び放題だし、 なんだか荒れている。その歩道には「国際結婚相談 美しいタイ人女性と結婚しませんか 中高年者歓迎」という錆びた看板が立っていた。 駅の近くに一軒だけある民家のそばに黒い猫がいたが、近づいたら逃げてしまった。駅舎の小さな待合室には駅ノートが置かれていて、 訪れた人がいろいろ書き残しているのを読んだ。ニコンのNewFM2で駅の写真などを撮っていたら、 JRの運転手さんに「今でもフィルムで撮りよるけんね」と話しかけられた。昔、これとおんなじカメラを使っていたらしい。 デジタルよりもフィルムのほうが好きや、とも言っていた。
■備後落合から、来たのと同じルートを延々引き返す。帰りの三次行きでは、途中、備後西城から若者が何人か乗ってきた。 備後庄原からも若者、高校生がたくさん乗ってきた。時間的に学校の部活帰りだろうか。備後三日市からは大きなトランクを持った男二人が乗ってきた。 連休の旅行かもしれぬ。帰りは、来たときに乗ってた席と反対の席に座ったが、車両の右側の席に座るか左かで、車窓から見る町の印象がけっこう変わる。 さびしい駅前だなと思ってたら、反対側はけっこう家が建ってたりするし、逆もある。水を張った田に夕日が映ってまぶしい。 地形に合わせてうまく棚田をつくってる。空間認識能力というか造形能力というか、そういう部分が優れてる先人がいたんだなあと思う。 福塩線との接続駅である塩町駅からたくさん乗ってきた。この時間の上り方向の列車なのでガラガラなんじゃないかと思ってたが、 予想とちがってた。
■向原駅から乗ってきた高校生か中学生くらいの連中がさわいでうるさい。息を切らしておっさんが一人で乗ってきた。 すっかり日が暮れた。それにしても沿線の景色が暗い。灯りが少な過ぎる。広島から電車で30分圏内に入っても外は闇である。 玖村駅で数人降りていった。安芸矢口駅は有人駅のようで、駅員さんの姿が見える。午後8時を過ぎても、高校生が制服のまま乗ってくる。 広島が近くなってからちょっとずつ乗客が増えてきた。広島駅の近くに新しくできた球場でプロ野球の試合をやってるみたいで、 野球場がきらきらしてた。
■中国山地を走る芸備線沿線は過疎が進んでいるらしいが、景色を見ていると立派な和風の屋敷が集まって建ち、 集落ごとに小さいながらも神社と菩提寺があって、土地の神様を祀り、ご先祖様が眠っている。 田に水を引き、畑を耕し、自分達の食べるものを自分達で作る。「幸せな生活」という言葉の定義は人によってさまざまだろうから一概には言えないにしても、 少なくともこういう土地の人たちの生活は「人間らしい生活」ということは言えるんじゃないかなとぼんやり考えていた。 「人間らしい」というのもあいまいな言葉だし、そこで生活してる人たちは都市に住む人と比べてもさまざまな不便や大変な苦労があるだろうことは容易に想像できるから、 軽く、いいなあこういう土地の生活、なんてことはとても言えないが。
■一両か二両でしか走らないのにホームがやけに長くて、駅だけが立派でさびしい駅前の風景を見ていると、 鉄道が建設されたときのその土地の人達の未来への期待と現在のギャップを強く意識させられる。 前日乗った呉線もそうだが、主要路線、本線沿いは町が繁栄し豊かに見えるが、本線からちょっと外れてそれてみると、 昔のままのようなさびれた風景が広がっていて、時代から取り残されてるように感じる。日本人の人生みたいである。
No.1505 2010-4-29
呉線の車窓
呉線、三原〜須波間の車窓。

竹原の町並み1
竹原の町並み1。

竹原 西方寺
竹原 西方寺。

竹原の町並み2
竹原の町並み2。

竹原 照蓮寺
竹原 照蓮寺。

竹原 普明閣
竹原 普明閣。

竹原の町並み3
竹原の町並み3。

海が見える駅 呉線 かるが浜駅
海が見える駅。呉線 かるが浜駅。

■30日の金曜日が急遽休めることになったので、とっさに思い立って旅行に出かけることにした。 かなり急いで計画したので、無駄の多い行程になってしまった気がするが、しかたない。 新幹線往復で広島で二泊。JR未乗路線乗りつぶしと観光である。おんなじ月に二回も新幹線で出かけるとは思ってなかったが、 せっかくの機会を逃したくなかったので、思い切って出かけることにした。
■品川から朝早い博多行きののぞみで岡山まで行き、こだまに乗り換えて三原まで。 途中、新幹線はいくつも川を渡るが、橋の上から川を見ると、水量が多くて水がにごっている。前夜までの雨の影響だろう。 またN700系というやつを選んで切符をとったので、無線LANでネット接続できるな、と思ってたが、うまくつながらなくて少し苦戦した。 どうにかようやくつながった。もうやりかたがわかったから次は大丈夫だ。ローカル線はもちろん、主要在来線でも、 よほど乗りなれた総武線などに乗るとき以外はたいてい車窓を流れていく景色見ているので退屈しないが、鉄道のなかで新幹線は景色がいちばんつまらないので、 ネット使ってひまつぶしできるのはありがたい。
■それでも、せっかく窓側の席がとれたので、ときどきぼんやり外を眺めていたら、時節柄、鯉のぼりをちらほら見かけた。 木曽川、揖斐川を越え、大垣あたりは雲が低く、山から湯気が立ってるみたいだった。京都駅の南には東寺の五重塔が見え、 新大阪駅近辺からはスカイビルが見える。のぞみは混んでたが、岡山からのこだまはガラガラだった。新尾道でいくらか乗り降りがあり、 三原ではけっこう乗車する客が多いみたいだった。三原は「タコのまち」ということになっているらしく、 駅構内にタコのオブジェが置いてあった。
■在来線のホームへ行き、三原駅始発の呉線の列車に乗車。白い車両で、赤と青のラインが入ってる。 呉線は三原駅から瀬戸内海沿いをぐるっと走り、海田市駅まで至る87kmほどの路線で、全区間広島県内を走っており、山陽本線の迂回路のような形になってる。 海沿いを走るというんで、ずっと乗ってみたかった路線だったのだけど、なかなか乗ることができず、今回初めて乗車することができた。 列車は二両のロングシートだった。座席は8割がた埋まっていて、若い家族などもいるが、総じて客の年齢層は高く、老人が目立つ。 この列車は途中の広駅止まりで、車掌さんのアナウンスが「この列車は呉線普通列車広行です」と言う。「広行(ひろゆき)」なので、 人の名前みたいだ。天井に扇風機がついてる古いタイプの車両だった。がたんがたんと発車し、数分でいきなり青々した瀬戸内海が見えてくる。最初の停車駅である須波駅は、ホームから海が見渡せる。 その後もしばらく海沿いを行き、白い砂浜も見える。安芸幸崎駅手前で造船所のドックやクレーンが見える。 施設には「KOYO DOCK YARD」と書いてある。防波堤越しに見える海面が近くて、船にのってるような車窓が続く。 忠海駅でけっこう乗り降りがあった。しばらく海から離れたところを走り、三原から40分強で竹原駅に到着し、下車。
■駅には「ようこそ安芸の小京都 竹原へ」という幕が張られ、駅前のロータリーには「よう来てつかァさったのゥ」と書かれた看板が立っていた。 小さい「ァ」や「ゥ」がなにかいい味を出している。駅を出て右手にあった観光案内所で地図をもらい、町並み保存地区までの道を調べる。 竹原市は人口3万人ほどの瀬戸内海に面した町で、東西と北の三方を山で囲まれている。 平安時代、京都の下鴨神社の荘園として栄えたそうだ。江戸時代後期には製塩業や酒造業で栄え、その時代からの屋敷や寺などが今も残っている。 この町の酒造業からは、ニッカウイスキーの創始者である竹鶴政孝が輩出されている。 駅前の様子は、時代に置いてかれたような懐かしい景色で、廃業したパチンコ店と、営業してるのかどうかわからない小さな旅館、 誰が買うのかよくわからない品を揃えた洋品店などが建ち並ぶさびしい商店街が続く。祝日だからなのか、シャッターが下りている店舗ばかりだった。 ことによると祝日以外でもこの状況のままなのかもしれぬ。商店街を抜けると国道185号線に出て、東へ少し進むと川を渡る橋があって、 交差点を北へ曲がると本町という、古い町並みが残るエリアに到着。まだ昼前だったが、朝早かったこともあり腹が減っていたので、 いちばん最初に目についたそば屋に入ってみた。西日本でそば屋というのはあんまり多くない気がする。たいてい「うどん屋」で、 そばもありますよ、という店が多い。で、観光地の飲食店には過度な期待は禁物というのは広く知られていることと思う。 高いわりには味がいまいち、という体験は自分も何度かしているので、そのつもりでいればあんまりショックはない。 ここのそば屋は、雰囲気もいいし店の人の愛想もよかったし味も十分おいしかった。しかし、量が少なかった。
■新緑を湛えた小山を背後にして、板張りや漆喰の壁の古い家屋や商店、なまこ壁の土蔵などが建ち並ぶ町並みが縦横に続いており、 ところどころに大屋根の寺やお堂が点在している。一軒一軒の屋根の形を見ると、妻入りだったり平入りだったりけっこうまちまちで、 それぞれの建物の格子窓の意匠も、さまざまに趣向を凝らしたものになっている。明治か大正期のものと思われる石造や下見板張りの洋風建築も残っており、 かなり変化に富んだものになっている。だからといって統一感がないわけではなく、道路には小さな石畳が敷き詰められ、 側溝の蓋はスノコのような木製のものを入れてて、とても雰囲気がいい。あとは電線の地中化だけすれば理想的な町並みになるのではないか。 同じ広島県内の古い町並みでも、内陸部の山地に近い上下町を訪れたときはほとんど観光客の姿は見かけなかったが、竹原にはそれなりに観光客が来ていた。
■旧笠井邸や頼惟清旧宅、歴史民俗資料館など、いくつかの建物に入らせてもらったり 「願い事を胸に祈りながら地蔵を抱え、想像したより軽ければ願い事が叶うといわれてる」らしい「おかかえ地蔵」というのを抱えてみたり、 高台にある西方寺や長生寺等を見て歩いた。おかかえ地蔵は、想像したより重かった。 古い家々の多くは窓にアルミサッシを入れてないので、風が吹くと木の窓枠ががたがた鳴る。 長生寺の墓地を抜けてさらに石段を上がったところには、木造十一面観音立像を祀って1758年に京都の清水寺を模して建立されたという、 舞台作りの「普明閣」という建物があり、ここからは竹原の町が一望でき、瀬戸内海まで見渡せる。 海沿いに一本だけそびえている煙突以外は目だって大きな建物もなく、黒い瓦屋根の落ち着いた町並みが広がっている。 高台や斜面に墓地が広がっていて、竹原の町は御先祖様に見守られている。
■駅まで戻った。女子中学生か高校生の集団がみんなで歌をうたっていた。よくわからないがうるさい。のどかな話である。 引き続き呉線で西へ。安芸津駅近くから再び海が見えるようになり、造船所の大きな船が見える。 風早駅のあたりも海に近いところを走るが、家が線路脇に建て込んでいるので海は見えない。無人駅が多いようで、 車掌さんから切符を買い求める者が少なくない。安登駅から安芸川尻駅の区間や仁方駅の手前あたりでも海がよく見える。 広駅に到着。ここから先は広島の近郊区間ということで、快速列車も走っているようだ。この沿線では大きな町のようで、 乗降客はかなり多い。駅員もいるし、自動改札もコンビニエンスストア風の売店もある。ホームに降り立つと、空気が冷たい。 待合室には缶チューハイを飲む親父が一人で座っていた。広島行きに乗り継ぐ。新広駅から高校生くらいの者が大勢乗車。 安芸阿賀駅の近くには呉高校があり、グラウンドでサッカーをやってるのが見えた。 呉駅の手前の河口に巨大な船が見えた。大きな造船所があるようだ。この路線の名前にもなっている沿線の中心都市である呉駅に到着。 たくさん降りていったがそれ以上に大勢の乗客が乗ってきた。駅前の様子が都会的だ。
■呉の少し先にある「かるが浜」という駅で下車。ホームが少し高台になっている場所にあり、瀬戸内海と、海に浮かぶ島々が見渡せる。 ここも無人駅で、ICカード用の自動改札機が一台あるだけのシンプルな駅だった。このあたりは列車の本数が多く、すぐに次の広島行きが来た。 水尻駅のホームからも海が見える。海田市駅で山陽本線と合流。さすがに本線というだけあって線路の敷き方が広々と、堂々としている。 複々線である。乗客は減らないまま、広島駅に到着。呉線を乗り終えることができ、やれやれと思う間もなく、次の未乗路線である可部線の列車に乗り換え。 可部線は広島駅の一つとなりの横川駅から終点の可部駅までの14kmほどの短い路線だが、かつてこの路線は可部から先、三段峡駅まで伸びていたらしい。 その区間は約46kmあったのだけど、2003年に廃止されたそうだ。利用者が少なかったための廃止ということである。 利用者の少ない区間を切り捨てたことと、広島郊外の宅地化に伴って利用者が伸びたことにより、この路線の収支状況がかなり改善したというデータが東洋経済に載ってた。
■それはそれとして、乗った列車は二両編成で、夕方の広島からの下り列車なので、通勤電車みたいな混雑。しばらく立っていたが途中で席が空いた。 緑井駅前がかなり発展しているようで、大型の商業施設も見える。梅林駅で列車のすれ違い待ちがあった。けっこうな人数が終点の可部駅まで乗り通した。 可部駅前には立派なバスターミナルが整備されていて、バスに乗り継ぐ者が多いようだった。折り返しの上り広島行に乗車。 今度は空いている。途中、大町駅から結構乗ってきた。この時間に都市部へ向かう者が多くて意外だった。すれ違った列車には、 プロ野球の広島のファンと思われるかっこうをした者がちらほらいた。観戦の帰りと思われる。車窓は平凡な都市近郊の景色が続き、あまり印象に残らなかった。 あと、上りの広島行きは、走ってるよりも、列車すれ違い待ち合わせのための駅での停車時間のほうが長いように感じた。
■広島駅に到着し、駅前のテナントビルのような建物の中にある店でお好み焼きを食べた。札幌のラーメン横丁みたいに、 一つの階にたくさんの店が並んでる感じのフロアになっていて、観光客向けなのかなと思ったが、広島カープファンも食べにきてた。 大きさのわりには安くなかったが、おいしかった。大きな川のそばにあるホテルへ。
No.1504 2010-4-24
猿
新習志野駅前のスーパーのところで猿まわし。

茜浜
茜浜。

■午前中、自転車で茜浜。秋津公園の野球場では高校生くらいの野球の大会が行われていたみたいだった。 海辺に出る前に飲み物を買おうと思って新習志野駅前のベルクスというスーパーマーケットに立ち寄ったら、 建物の陰みたいな目立たない場所で猿まわしの芸をやってる人がいた。小さな猿だった。輪をくぐったりいろいろやってた。 茜浜では猫は1匹だけ。毛がふさふさした外国ぽいのがテトラポットの上にいた。 子供の集団と引率の数人の大人が自転車で海辺を走ってた。暑さはなく空気がすっきりしててちょうどいい陽気だった。
■帰る前に南口のモリシアに寄って少し買い物。地下の生鮮食品とかジャスコは人がたくさん来てた。 あと、町の中を自転車で走ってて思ったのは、たしか近年は若者を中心に「クルマ離れ」が進んでるというわりには、 道をゆく車の数はぜんぜん減ってないなあということで、夕方のラジオの交通情報でも、高速道路はものすごく渋滞してる。 休日になると全国の観光地は人が溢れかえってるのをこの目で見てるのだけど、 これだけ多くの人が車で観光地に繰り出している国のどこが不況なんだ。日本は今、本当はまれにみる好況じゃないか。 それに子供からジジババまで全員携帯電話持ってるぞ。不景気とかどこの国の話だよ、 っていうふうによその国の人だったら思うんじゃないか。
■環境のこと考えたら、車減らさないといけないはずなのに、なんで車に減税とか補助金とか出してんの。ばかだろ。
No.1503 2010-4-23
■ふと思ったのは、いま、テレビゲーム類の総称は、どういうことになってるのか、ということである。 自分が子供だったころは「ファミコン」と言っていた。ファミコンやり過ぎたらだめ、とか、親たちは言ってたのではなかったろうか。 それがたとえPCエンジンだったとしても、ネオジオだったとしても、メガドライブとかでも、大人達は「ファミコン」と言ってた気がする。 「ファミコンショップ」と呼ばれる店では、ファミコン以外の各種ゲーム機のソフトも売ってたように記憶している。 いまは「プレステ」と言うんだろうか。「Wii」だろうか。
■そんなことを考えたのは、かつて、携帯オーディオプレイヤを意味する一般名詞が「ウォークマン」だった時代があったなと思ったからで、 しかも長い間ずっとそうだったわけだが、いまや、携帯オーディオプレイヤは「iPodかそれ以外か」という世間一般の認識に変わってしまったのではないか。 その移り変わりは、急激であっというまのことだった。 それとおんなじように、スマートフォンも「iPhoneかそれ以外か」になりつつあるのかな、という印象がある。既になってるだろうか。 Xperiaも「ソニーのiPhone」あるいは「ドコモから出たiPhone」と世間では思われてるのではないか。
■そんななか、ヨドバシカメラから以下のようなプレスリリースがあった。
「アップル社の意向により、インターネット通販サイトの「ヨドバシ・ドット・コム」ならびに、 テレフォンショッピングの「もしもしヨドバシ」において、iPod、MacBook、iMac、関連アクセサリーを含む、 全てのアップル製品の販売を終了しなければならない状況となりました。(リンク)」
■??
■なんだろうこれは。アップルの熱狂的なファンのことを「信者」などといって揶揄する者を時々ネット上で見かけるが、 自分はべつにそっち側の人間ではないので、このニュースを見たときの率直な印象は「最近ジョブス調子に乗りすぎだろこのハゲ」ということで、 イメージ戦略なんだろうけど、このご時世、殿様商売ができるなんてすごいなと思った。これも、革新的な商品を生み出し続けてるからこそできることなのだろう。
No.1502 2010-4-22
■先日ここで、携帯電話のSIMロック解除しろや、みたいなことを書いたが、既にそういう検討が総務省で進んでて、 携帯電話事業者や端末メーカー等を集めて公開ヒアリングを開催したりしてたらしい (そのニュース記事)。 で、総務省がロック解除の方向で動いてる理由というのが「日本の携帯電話メーカーは特定の携帯電話会社向けに製品を 開発するため、海外で販売できず、SIMロックが世界市場でのシェア低迷の一因となっている」と考えてるかららしい。 (そのニュース記事)
■どうなんだろうか。逆にHTCや華為(Huawei)、サムスン、LGあたりの安い端末がどっと入ってきて、国内のシェアをごっそり持ってかれたりするんじゃないか。 で、焦った国内メーカーはさらにいらないものを勝手につけて自爆、総崩れということが起きるような気もする。ワンセグとかいらんよ。 おさいふケータイとか誰が使ってんだよ、と思ってたら、意外と使ってる人が多いみたいでびっくりした。 それはそれとして、SIMロック解除後、NOKIAがひっそり日本市場に帰ってこないかな、と個人的には期待してるのだった。モトローラも。
■そういえば「 世界のスマートフォンのトラフィック、50%がiPhone、Androidが急成長」というニュースがあった。 広告のトラフィックのデータなので、完全に台数とイコールの数字というわけではないのだろうけど、搭載OSの端末台数のデータとほぼおんなじようなものだろう。 Windows Mobileは相当シェアが小さくて意外だ。コンピュータのOSの世界では依然としてWindowsが圧倒的なのに、モバイルの世界ではアップルとマイクロソフトがまったく逆の立場になってるのがおもしろい。 そして世界中でiPhone(iPod touchもか?)がばか売れしてるのがよくわかる。それに対して、NOKIAの携帯に多く採用されている「Symbian」搭載機の激減ぶりがすごい。 NOKIAやばいんじゃないのと思って調べたらやっぱりシェアが大きく落ちてた。 グラフを見ると、サムスンが1位、NOKIAは2位になっていた。 かつて「世界で3人に1人が持ってる」とまで言われていたNOKIAだが、時代は変わった。 企業は巨大でもリーダーシップが悪かった典型のような印象。もう少しフットワークが軽ければ、と思っていたが、NOKIAはこの先盛り返せるのか。
■で、iPhoneが売れ続けている現象についてだが、iPhoneが売れてるのは、ヘビーユーザーとかアップルファンの他に単に「iPod+携帯電話」として 使いたいという一般層がかなり多いんじゃないか、と。「スマートフォン」と意識して買ってる人がどれくらいいるのかなと考えると、 実はそんなにいないんじゃないか。「よし、スマートフォンだ」と意気込んで買う人より「なんかいいらしい。音楽も聴けるし。値段も手ごろ」くらいの人が多いような気がしているのだった。 で、買って使ってみたらなんだかいろんなことできてすげえ、っていうのがメディアを通してとか口コミとかで広がってる。
■先日ドコモから出た「Xperia」がなかなか好調のようだが、これがiPhoneのように売れ続けるか、というと疑問である。 現段階での日本でのスマートフォンの立ち位置っていうのが「これがなかったら無理」じゃなくて「あれば便利」という程度の段階だろうから、 いかにXperiaがスマートフォンとしてのスペックが高かったとしても、そんなのはいわゆるオタク層にしか訴求力はないんじゃないか。 大多数の人が携帯電話に求めるのは、通話できてメールが送れてウェブが少し見れて、あとたまに写真撮るくらいのものだから、 一気にスマートフォンが普及、という流れにはならないだろう。
■それでもiPhone、Xperiaをはじめとして、ソフトバンクからもうすぐ出るAndroid2.1を載せたDesireとかAUのIS01、IS02などなど、 各社からスマートフォンが出てきてて、最近の売り上げランキングを見ると上位にけっこう顔を見せている。 よくわからないのが、Xperiaが出たときに「iモードがないとダメだ」とか言ったり書いたりしてる人がけっこういたことで、 そういう人たちはスマートフォンにiモード載せてもらって、金を払ってわざわざショボいアプリとかコンテンツを使いたいのだろうか。 もしかしたらメールだけのためにiモードを要求してるのだろうか。そういった方々は残念ながらスマートフォンには縁がなかったということだと思うので、 ぱかっと二つ折りの普通の携帯を使い続けたほうが彼らにとってはいいのだろう。
■あと、ランキングを見てておや、と思ったのは、意外にもらくらくホンタイプのが上位に入ってたことである。 高機能の端末なんて必要ない、という人がけっこういる。今はおそらく過渡期みたいなもので、SIMロック解除後の流れとしては、 高価な高機能スマートフォンとメールと通話のみのシンプルだが安価な端末というふうに二つのタイプに分かれるランキングになっていくものと予想する。 で、ふと思ったのは、らくらくホンとスマートフォンの共通点って「日本独自の携帯電話の進化なんかいらんかったんや」ということだ。
No.1501 2010-4-19
■RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZOの出演者発表があった。まずは第一弾ということで、32組である。
andymori / UA / エレファントカシマシ / オーサカ=モノレール / オリジナル・ラヴ / Curly Giraffe / キノコホテル / 清竜人 / グループ魂 / KREVA / GRAPEVINE / Cocco / 斉藤和義 / ZAZEN BOYS / THEATRE BROOK / school food punishment / dustbox / Char / チャットモンチー / the telephones / TOKYO No.1 SOUL SET / the pillows / PLASTICS / bloodthirsty butchers / THA BLUE HERB / ホフディラン / MASS OF THE FERMENTING DREGS / ムーンライダーズ / LOVE PSYCHEDELICO / LOOPA NIGHT / LA-PPISCH / WAGDUG FUTURISTIC UNITY
■なかなか悪くない。幅広いなと思う。若干、年齢層が高めか。

PLASTICS!?

びっくりした。あと、知らない人もいっぱいいる。次の発表は5月17日。
No.1500 2010-4-18
茜浜1
めずらしく奥がにぎわってると思ったら貝獲りだった。

茜浜2
茜浜から浦安方向を望む。

■土曜日とはうって変わってあたたかい日曜日。自転車で茜浜へ。人がたくさん繰り出して来ていた。 テントみたいのを張って大勢でなにか食べてる者たちもいる。フリスビーをやる親子もいる。犬もいる。 猫たちの姿は見なかったが、餌場は残ってたので、たまたまどこかへ行ってたのだと思う。
■茜浜の海岸はぐるっと防波堤で囲まれているが、奥まったところの一部は自然に近いかたちで海岸線が残ってて、 そこでは何か貝類が獲れるらしく、棒の先に金属製のカゴみたいのがついた道具を持った者らが海に入っていた。その様子を遠目に眺めてたら、 海上保安庁の巡視船が来て、「カイマキを使用しての貝の採取は条例で禁止されています。ただちにやめて下さい」 と何度もスピーカーで警告していた。あの道具はカイマキ、又はアサリマキ、ジョレンなどと呼ばれるようである。 調べてみたら、千葉県や神奈川県では、乱獲防止のために、一般の者が貝の採取に使っていい道具の大きさの規定があるらしい。
■巡視船が何度も何度も警告してもなかなか皆やめなくて、警告の口調がだんだん強くなってきてようやくやめた。 巡視船が去ると貝獲りの連中はまたぞろぞろ海に入っていってた。めずらしくいろんな船が入港したり出港したりしてた。 それにしても汗をかきそうな陽気だった。帰りはひさびさに習志野郵便局の近くにある小さなパン屋さんに寄っていくつか買った。うまい。
No.1499 2010-4-17
■寒かった土曜日。このへんでは見なかったが、都内ではうっすら雪が積もったりしてたらしい。こんな時期に雪なんて、 千葉に住んでから初めてのことだと思う。桜に雪、というのは過去に見たことがある気がするが、葉桜に雪とは。 今年は冷夏だろうか。
■アイスランドで大きな噴火。航空便に大きく影響が出たらしい。 アイスランドの噴火が、江戸時代の飢饉の原因になったというのを何かで読んだことがある。 米など、保存の利く食料は買いだめしておいたほうがいいのかもしれぬ。
No.1498 2010-4-14
■学生のとき、ギターレス・バンドであるBEN FOLDS FIVEのファーストアルバム「BEN FOLDS FIVE」をきいた。 びっくりした。三人なのにファイブかよ、ということにではなくて、全曲いいのだ。 収録曲ぜんぶどれでもシングルカットいけるじゃないかと思った。そのクオリティに驚いたのだった。
■そのとき受けたのによく似た印象を受けたのが、相対性理論の新しいアルバム「シンクロニシティーン」だ。 CDを発売日に買うなんてひさしぶりのことであった。正式な発売日の前日の夜に買った。さっそく聞いてみた。
■とてもいい作品である。バリエーションに富んだギターアレンジと独特で耳に残るギターのフレーズ。はぐらかすような歌詞世界とあざやかな韻の言葉遊び。 扱いのむつかしそうなやくしまるえつこのヴォーカルを、前に出過ぎずに活かすバランス。 曲の終わりの一点に向けて収束していく秀逸なまとめ方。あらゆる部分でにじみ出るというか溢れ出すセンス。
■なんて一応それらしい言葉で感想を書き連ねてみたが、音楽を言葉で語ろうとすることくらい意味のないことはない。 自分がいいと思った音楽を人 に奨めたいなら、とにかく聞いてみろと言うのがいちばんいい。 音楽雑誌とかのレビュー読んでわかったような気になることくらいあほなことはない。ロッキンオンジャパンのことです。
■やくしまるえつこのヴォーカルもいいが、とにかくギターを聴こう。聴くんだ。
■曲をつくってるのは主にギターの永井という人と、ベースの真部という人のようである。真部氏の創る曲のほうが好きである。 そして彼らは自分たちで「みらいレコーズ」というレーベルを作って音源を創っている。 今回のアルバムは、前のアルバム「ハイファイ新書」から約1年3ヶ月。大手レコード会社にありがちな 期間を区切ったくだらない契約に縛られずに、自分たちが納得できるまでじっくり時間をかけて作品を創ってもらいたい。 そういう意味で、いいペースだと思う。
No.1497 2010-4-13
■iPhone向けのブラウザのOpera(Opera mini for iPhone)がリリースになった。さっそくiPod touchに入れて使ってみた。 悪くは無いが、期待してたほどは速くない。使ってみた人たちの感想をいくつかの場所で読んでみたが、いまのところ評価はいまひとつである。 でも3Gでネットする場合はけっこういいらしい。wifiだとSafariを使った場合とそんなに大差無いように感じた。
■それでも、Safari以外のブラウザが公式にリリースされたこと自体を評価したい。いま挙がっている不満な点も、 今後のバージョンアップで徐々に対応していくのではないかと思う。
■iPhone用のJリーグ選手名鑑アプリもリリースされた。サッカー専門新聞のエルゴラッソが製作したものである。 600円だった。ちょっと高いかな。導入は見送り。
No.1496 2010-4-11
さくら広場1
さくら広場1。

さくら広場2
さくら広場2。

さくら広場3
さくら広場3。

■まだあちこちの桜の花がかなり残ってるみたいだったので、自転車で幕張のさくら広場へ。あったかいというかちょっと暑いくらいだった。 天気はあいにく曇りだったが、たくさん咲いてて、見物に来る人もけっこういた。 ひらひらと風に舞い散る花びらがとても美しかった。桜の時期はライトアップをやってたみたいなので、来年は夜に行ってみようと思う。 あと、船橋の海老川沿いの桜も来年見に行きたい。
No.1495 2010-4-04
姫路城天守からの景色
姫路城天守からの景色。

姫路城天守から西の丸を望む
姫路城天守から西の丸を望む。

石垣等
石垣等。

三国濠前からの天守閣
三国濠前からの天守閣。

西の丸からの天守閣
西の丸からの天守閣。

勝原薬局
野里商店街勝原薬局。

姫路文学館 北館
姫路文学館 北館。

姫路文学館 望景亭
姫路文学館 望景亭。

■城が8時に開場ということなので7時半くらいに着けばいいと思って行ってみたら既に門からずらっと人が並んでいた。 普段は9時に開場なのだそうだが、客が大勢来るのを見込んで一時間早めたらしい。 天気はよくてそんなに寒くないので、行列してる者らは案外のんびりした感じで、列に並んだままそこらの桜の写真を撮ったりしてた。 確か7時45分くらいに列が動き始めた。既に門の外まで行列が伸びてしまってたんで、少し開場を早めたのだと思う。 何度かに区切って客を入場させて、そのたびに少しずつ前へ進んで、ようやく入場券売り場にたどり着いた。有人窓口と券売機があって、 売り場ではそれほど待つことはなかった。
■最初の門を入ってすぐのところにある石段から、いい角度で天守閣が見えるんで、みなそこでカメラを構えてる。 「いの門」「ろの門」「はの門」とか「水一門」「水二門」など、たくさんの門をくぐりながら少しずつ天守閣に近づく。 石段を登ったり、両側を切り立った石垣に挟まれたぐねぐねした登閣路を上がってゆく。 絶妙なカーブでがっちり大きな石を積んである石垣を見ると、 重機も使わないでよくこんなの400年前に作ったなあと思う。ところどころで見物客の行列が詰まって前へ進まなくなっていた。 城はいっぺんに大勢が入れない構造にわざと造ってあると思うので、その点はちゃんと機能してるなと思った。 ぱっと見ただけでも、城を守るための様々な工夫が施されていることがわかる。老人の団体ツアー客が多い。
■ようやく天守閣の入口まで登って、靴を脱いで中へ入る。入ってみて最初の印象は、案外広いということである。 いままで見たことのある城と比べても、広々してるし天井も高い。現存天守のある彦根城や松本城の中は暗くて狭かった。 軍事要塞なのだからそれは仕方ないと思っていたが、ここの城は住めるくらい広さはあるし、明り取りの窓もたくさんあるからそんなに暗くない。 角度の急な階段で上の階へ。頭をぶつけそうになる。さすがに高さがあるので眺めがいい。前日見た姫路神社や市立美術館も眼下に見える。 この大天守は5層6階地下1階で、最上階には長壁神社という小さな神社があり、もともとこの城の土地にあった地主神を祀っているようである。
■登ってくるときよりも下の階へ行くときのほうが人が詰まって混雑してて、なかなか進まなかったが、三つか四つくらい階段を降りたら流れがスムーズになった。 下のほうの階の壁には、槍を横にして掛けておくフックみたいのがたくさんついてた。靴を履いて外へ出ると、ずうっと人がどこまでも並んでて、 入城待ちをしてた。一泊して朝早く来てよかったと思った。「いの門」のそばにある三国濠越しに仰ぎ見る天守もとてもよかった。 前の晩にも来た西の丸へ。渡櫓と化粧櫓の中に入ってみた。廊下みたいになってて延々ずらずら歩いて出てきた。廊下に沿っていくつも部屋があって、 そこの窓からは天守閣が見える。
■それにしても姫路城はとても美しい城であった。で、桜と城の組み合わせは、あまりにも絵葉書的というかパンフレット写真的な感じだが、 本当に美しいものである。
■城の外へ向かおうとすると、大手門の外まで行列が伸びてて、城に入る人と、花見をする人が次々と押し寄せてきてた。 大手前公園に立ち寄って出店でちょっとしたものを食べてから商店街を歩き、 NTT、市民会館などのある辺りを歩いて播磨国総社という神社に立ち寄ってたら昼近くなったので、たまたま通りかかったうどん屋で昼食。 なかなか繁盛していた。味はまあふつうにおいしい。城の東側、内濠から300メートル以上離れた町の中に中濠というのがあって、鯉がたくさん泳いでいる。 学校があって、そこの敷地内にも石垣が残っていて、姫路城の城郭の範囲の広さに驚く。地図を見ると、城の周囲、今は住宅地になったり商業施設だったり、 大きな通りや学校などになってる場所に、いろいろな門の跡が残っている。中濠沿いの遊歩道を歩き、 城の北東にある野里商店街のはずれの勝原薬局の建物を見物。昭和2年に建てられた3階建ての洋風建築で、 当時の流行であるゼセッション風意匠が特徴的である。アーチ窓や小さな塔がついていたりして、装飾的なファサードだ。 日曜日だったせいか閉まっていたが、どうやらいまも薬局として現役で使われているようで、こういう古い建物が大事に使われているのを見ると嬉しい。 城などを見るのとまたちがったおもしろさがある。
■城の北側にあるシロトピア記念公園内を歩いてみた。ゲートボール場くらいの大きさのちょっとした広場で、小さな少年が親と自転車に乗る練習をしていた。 なかなかうまく乗れなくて、見てると、もっと足を動かせ、とかアドバイスしたくなるが、何度か挑戦してだんだんうまくなってきた。 おそらくあの後、そんなに時間かからずに乗れるようになったのではないかと思う。公園内には兵庫県立歴史博物館などがある。 そしてこの公園でも多くの者が花見をしていた。午後になって逆光だが城も近くてよく見える。 城の西にある男山千姫天満宮へ。姫路城に関するものを読むときに必ずこの千姫という人物が出てくるが、詳しく知らない。 姫路城と縁の深い人らしい。で、男山というちょっとした山の中腹に神社があるみたいなので、石段を登る。 急な石段を登りきったところにあるのが男山配水池公園で、下の道路との高低差は60メートルくらい。見晴らしがよくて、 城もよく見えるし、姫路の市街地が見渡せる。ここから夜景もきれいに見えるのではないか。 そこから少し下がったところにあるのが男山八幡宮で、さらにもう少し下ると千姫天満宮だ。縁結びの神様ということになっているようで、 たくさん掛けられてる絵馬にはいろいろ生々しい願望が書いてある。誰々と両想いになれますように、とかそういうのが多い。
■男山からほど近い場所に姫路文学館という施設があって、姫路を中心とした播磨ゆかりの文人たちに関する資料の研究、収蔵、展示のために建てられたらしい。 施設の内容にはそれほど興味はなかったが、建物の設計が安藤忠雄氏ということなので、見に行ってみた。 二棟から成り、北館は1991年、南館は1996年に開館したそうだ。地上3階地下1階と、それほど大きなものではないが、 コンクリート、幾何学形状、ぶつかり合うグリッド、親水スペースが組み合う安藤さんらしい設計。螺旋状のスロープを上がると屋上に出る。 近隣の迷惑になるので騒がないで下さい、という注意書きがあった。水が張られた池ではカラスがばちゃばちゃと行水をしていた。 文学館の敷地の一角に「望景亭」という大正初期の和風建築があり、 登録有形文化財となっている。立派な日本庭園があり、庭越しに姫路城の天守閣が見える。庭とつながるようなつくりの茶室もあり、 欄間の細工や襖絵、窓の木枠等、細かいところにまで手が込んだ装飾が施してある贅沢な建物である。
■商店街の喫茶店で少し休憩し、駅へ。みどりの窓口にはすごい行列。姫路観光から帰る者らが帰りの切符を買っていたのではないか。 ホームで夕食用の駅弁を購入し、帰りの新幹線に乗車。帰りもN700系の車両に乗ったが、iPod touchでうまくネットに接続できず、 ノキアの携帯電話ではちゃんと無線LANに接続できた。原因はよくわからなかったが、本を読んで過ごしたのでそんなに問題なかった。 帰りは伊吹山を見たくらいで、景色はぜんぜん見なかった。弁当は「姫路駅 旨い!たこめし」という名前で、 明石産の真だこを煮たのがごはんの上にのってた。たこが思ったよりもやわらかくておいしい。昆布の煮たやつも入ってて、それもおいしかった。 たこがメインの駅弁というのは他ではあまり見ない気がする。品川で総武快速に乗り換えて津田沼。
No.1494 2010-4-03
姫路城西側
姫路城西側。

姫路城1
姫路城1。

姫路城2
姫路城2(三の丸広場から)。

姫路城と足場、クレーン
姫路城と足場、クレーン。

姫路城ライトアップ1
姫路城ライトアップ1(西の丸から)。

姫路城ライトアップ2
姫路城ライトアップ2。

■朝、品川から新幹線。はじめてN700系という新型車両ののぞみを利用した。普通車なのに、座席の前後の間隔が広くてゆったりしてていい。 そしてこのN700系では、無線LANサービスが使える。BBモバイルポイント、docomoとかUQ Wifiとかのスポットが車内に設置されてて、 ワイヤレスゲートなど契約してあれば誰でも利用できる。iPod touchで使ってみたら、少し通信速度が遅い感じだったが、ちゃんと使えた。 それにしても東海道新幹線はいつも混んでる。10分に1本以上走ってるのに、どの列車も、よくこんなにたくさんの人間が乗ってるなといつも思う。
■約3時間で姫路に到着し、下車。そんなに極端に早起きしなくても午前中には姫路に着けるなんてすごい。 姫路駅は何度か利用したことがあるが、こんなに人がたくさんいる姫路駅を見たのは初めてだった。 新幹線ホームからも在来線ホームからも、次々と人がわらわら階段を降りてきて改札へ向かう人波が途切れない。 そんな流れと逆に在来線の7番8番ホームへ行き、まねきの「駅そば」で早めの昼食。和風だしに中華麺という変り種の立ち食いそばだが、 これがなかなかおいしい。鉄道好きの者らの間ではけっこう有名だと思うが、なんかテレビでも最近紹介されてたそうで、 知名度高くなったのかもしれぬ。食べたあと、駅北口から地下街を通って姫路城を目指す。
■姫路市の人口は56万人。駅前の様子を見ただけでもかなりの大きな町とわかる。城に向かう南北方向の大通りと、 東西に走る小路で碁盤目状の街路になってて、城下町の名残りが見受けられる。地図で町の名前を見ても、紺屋町、塩町、呉服町、 材木町、鷹匠町、綿町などなど、昔ながらの町名が残っているようだ。 ひときわ目立つ「ヤマトヤシキ」という看板のある百貨店らしき店舗を見ながら、駅からまっすぐ城へ向かう大きな通りを歩いた。 「大手前通り」というらしい。天気はいいが思いのほか空気はひんやりしていた。駅から城へ向かう人がかなり多い。外国人もけっこういる。 そして歩道が広くて歩きやすいのがいい。横道を見ると、大きな商店街が長く続いている。
■姫路城である。駅前や新幹線の中から遠目に見たことはあったが、近づいて見るのは初めてである。大きいから遠くからでも見えたが、 近づくと、やはり大きい。現存天守を含め、この城は国宝であり、世界遺産でもある。この4月から5年にわたる大掛かりな改修工事に入って、 しばらく見れなくなるというんで、ちょっとあわてて見にきたのだった。そんな者が自分以外にもたくさんいたようで、そしてさらに、 ちょうど桜の見ごろを迎え、この姫路城界隈は桜の名所でもあるというんで、花見の者も大勢来ており、たいへんな混雑ぶりだ。 そういったわけで、城内の見学は翌日の朝いちばんでということにして、城の南側から周囲を時計回りにじっくり歩いて見ることにした。堀に沿った道を歩く。 ちょうど見ごろの花をつけた桜の木がたくさんあってきれいだ。地元の人と思われるジョギングの者や自転車のおばちゃん等がいる。 近年は小さな子供を自転車に乗せる時、ヘルメットをかぶってるのをよく見かける。いいことだと思う。 城郭の中とは思えないような鬱蒼とした森のようになっているエリアがあったりする。石垣と堀が立派で、攻め込むのは大変そうだ。 城の北側は公園として整備されていて、そこここでいろいろな年代の者達が花見をしている。
■城の東側、堀の内側に隣接して建っている姫路神社では結婚式が行われていたようだった。こちらの境内の桜も大きくきれいだった。 切った木を積んである場所で黒い猫が爪を研いでいたので近づいてみたら逃げていった。 見上げると、ビルの鉄骨みたいなでかくてものすごくごつい足場が城の建物をまたいで組んであって、城より高いクレーンも聳えて、 すごい迫力だ。過去の技術と現代の技術の産物ががっちり組み合ってるような具合で、不思議な光景。 城の南側にある三の丸広場では、なにか祭りのような催しが行われていて、ステージが設えてあって「しろまるひめ」という、 丸っこい妙なキャラクターと子供達が踊っていた。なぜか奈良の「せんとくん」もいた。広場には武将や忍者の格好をした者達が何人も歩いてて、記念撮影に応じていたり、 花見客達が右へ行ったり左へ行ったりして大いににぎわっていた。出店も出てたし、枡酒を飲む外人もいれば服を着た犬も歩き、 なんだかわけのわからない熱気に包まれている。ヒメジロックフェスみたいな様相だった。そんな熱気にのまれ、気づいたら チーズの入ったあつあつの棒状のかまぼこみたいなやつを食べていた。チーズが溶けてうまい。
■三の丸広場のすぐとなり、城の南東にある姫路市立動物園が無料で開放されていたので入ってみた。 フラミンゴ、猿、ホッキョクグマ、あとなんだかわからないカンガルーみたいな動物などを見た。ホッキョクグマはでかくてすごい。 二頭いるうちの一頭は檻の中でやる気なくごろんと横になっていた。城の北東、姫路神社の外側には市立美術館があり、 中には入らなかったが、明治〜大正にかけて陸軍の倉庫として建造された建物をそのまま利用した赤レンガの美術館は、 広々とした前庭と相まっていい雰囲気の空間になっていて、背後には城が見えている。こちらは城の周辺ほど人がいなくてのんびりしてる。 城の南、堀の外側にある大手前公園の一角では、地元の物産の販売をやってて、その場で食べられるものもいくつかあって、 なかなかにぎわっていた。大手前公園の南側に「イーグレひめじ」という建物があり、そこの5階の屋上に上がってみると、城がよく見える。 城の向こうには山並みが見える。城の前の通りは、観光バスがずらっと並んで混雑している。
■城と駅方面を結ぶ方向に「みゆき通り」という長い商店街があって、人通りが多く活気がある。 活気のある商店街っていうのはいいなと思う。札幌の狸小路や高松の丸亀町、大阪の天神橋筋、那覇の平和通りなど、 いくつかそういう場所を見たが、商店街はその町の活力のバロメータのような気がする。そういう意味で姫路は元気だ。 その商店街を通って一度、ホテルへ行ってチェックインし、少し休んでから夕方再び外へ。 十二所前町、魚町、塩町、西二階町などのあたりのエリアには大きな飲み屋街が形成されてて、 たくさん看板が出ている。姫路には、いわゆる「土地のB級グルメ」として「姫路おでん」というのがあるらしくて、 それを食べてみようと思い、飲み屋街の中にある一軒の古びた店に入ってみた。6時からの営業だったようで、 少し早めに店の前まで行ってしまったが、中で待ってていいと言われたんで、先に入れてもらうことにした。 のれんがかけられると次々と客が入ってくる。人気のある店なのだろうか。気づくと座席が埋まり、後から入ってくる客を断っていた。 店のおばちゃんと店員二人、かなり忙しくあれもこれもやって大変そうだった。 「姫路おでん」というのは、ぱっと見たところ普通のおでんなのだけど、生姜醤油をつけて食べるのだった。 大根、糸こん、牛すじ、ふきなどなど、たくさん食べた。うまい。正直なところ、生姜醤油をつけなくてもうまい。つけてもよし。 最後に雑炊を作ってもらって、おいしかった。
■店を出るとすっかり夜になってて、気温も下がっていた。再び城へ。夜間のライトアップが行われてるというんで、見に行ってみた。 昼間にくらべるとずいぶん人は少なくなってるが、それでも夜桜の下で寒いなか花見してる者らがけっこういた。 城が闇の中、白く光っている。西の丸が開放されてて無料で入れるようになっていたので、中へ。灯りに照らされた桜もきれいだ。 夜も遅い時間になってたのに、まだ土産店は営業していた。甘栗の店も出てた。 姫路旅行を計画するなかで、旅行代理店のパンフレットやネットのパックツアーなども見てみたのだけど、 だいたいが神戸とセットというのが多かったし、有馬温泉とセット、あるいは広島の宮島とセットという欲張りなものまであったが、 姫路だけで一泊二日というのはまずなかった。姫路観光というとたいていはせいぜい半日、城と好古園を見て終わり、という感じなのだと思う。 どこへ行くにしてもそうだが、一泊すると、おでんを食べれたり、ライトアップが見れたり、夜の街の様子を見ることができたりする。
■ホテルへ戻る途中、酔って千鳥足の若者二人組みを見た。飲み屋街の色とりどりの看板が光っていた。
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