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No.1996 2015-11-28
羽田空港

■所用のため早朝の便で羽田から函館へ。羽田空港から見る夜明けの空はきれいだった。搭乗待ちのロビーにいた者たちもスマートフォンのカメラで朝の空の風景を撮影していた。 函館空港から外に出ると空気がきりっと冷えていて、日陰には雪が残る。朝の冷え込みのせいか、水溜りには氷が張っている。 天気がよかったので空港から歩いて市電の停留所まで行ってみることにした。普通ならバスでさっと通り過ぎてしまうがゆっくり歩いてみると、こんなところにちいさな神社があるんだ、とか、 この通りからは函館山がきれいに見えるんだな、とか色々気づく。草刈り機みたいな音がしてるなと思って音のする公園まで来てみたら おじさんがラジコンカーを操縦していた。かなりスピードが速くて楽しそうだった。空港からは歩いて30分で湯倉神社の前にある市電の湯の川の停留所に到着。 電車で五稜郭まで行って実家へ。
No.1995 2015-11-22
弘道館

鹿島神宮

カシマサッカースタジアム

■朝、水戸駅の北側を歩いてみた。けっこう急な坂を上がる。坂の途中に京成ホテルがあり、上り切ったところに三の丸小学校がある。 この学校の名前からもわかるように、かつてこの高台は城があった場所で、水戸城があったことを記した石碑や二の丸展示館といったものがある。 城のような建物があり、何かなと思って見に行ってみると旧水戸藩の藩校だった弘道館だった。ここの正門といくつかの建物は江戸期のもので、重要文化財に指定されている。 水戸駅から鹿島臨海鉄道に乗る。何が原因かわからないがダイヤ乱れが生じていた。二両編成の赤い車両で、海風のせいか外観に傷みが見られる。 ホームにはけっこう人がいて、鹿島アントラーズの応援グッズやウェア、バッグなどを身に着けた者が目立つ。
■鹿島臨海鉄道は第三セクターの鉄道会社で、旅客線と貨物専用線があり、沿線には水戸、大洗、鉾田、鹿嶋といった町がある。 新鉾田〜鹿島サッカースタジアム駅の区間は乗ったことがあったが、水戸〜新鉾田の区間に乗るのは今回が初めてである。 単線にも関わらずほとんどが高架の上を走る。水戸の市街地が途切れるとしばらく水田が広がる風景が続くが大洗の町に入ると建物が多くなる。 地図上で見ると鹿島灘が近いように見えるが海が見えたのは大洗の前後の区間くらいだった。またしばらく長閑な景色が続くが、駅ごとに小さな集落があり、 賃貸アパートなどもちょくちょくあるのは鹿島臨海工業地域に勤める単身者などがこのあたりから通勤しているのかもしれぬ。 新鉾田駅は2006年9月に来た駅である。今は無き鹿島鉄道の終点、鉾田駅で黒ごまあんの入ったたい焼きを一つ買い、食べながらてくてく歩いてここまで 来た。あれから9年も経ってるということに驚く。ついこの間のような気がする。このあたりから北浦という沼がしばらくの間、進行方向右手に見える。
■水戸から2時間近くかかって鹿島神宮駅に到着。通常だと所用時間は1時間半なので、けっこう遅れていたようだ。 鹿島神宮駅は建物も大きく、多くの参拝客が鉄道で来ていた時代があったことを偲ばせる。いまは東京駅からの高速バスの利用が圧倒的に多い。 早いし安いし本数も多く便利だからである。駅から歩いて鹿島神宮へ。駅から歩いて行く人は他にほとんどいないみたいだ。 坂道の途中、空き地の草むらから突然猫が一匹出てきた。毛がやや長い猫で、とても人懐こく、こちらを先導するように歩いていく。時々立ち止まって振り返り、 まるでついてくるのを確認しているようだった。撫でたらすりすりと体や顔をつけてきた。しばらく一緒に歩くと猫はぴたりと足を止め、自分の縄張りはここまで、 というように再び道のわきの草むらへと消えていった。坂道を登りきると参道で、道に沿って旅館や土産物店、飲食店などが建ち並ぶ。人はそこそこ来ている。
■鹿島神宮を訪れるのはこれで三度目である。毎度思うのは、背の高い木々が鬱蒼と茂っているなあということで、 そんな木々の中に神様のエリアがあっていい雰囲気である。鹿もいた。この神社の祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)という神様で、 とにかく強い、勝負の神様とされている。鹿島アントラーズが強いのもこの神様のご加護のためではないかという話もどこかで読んだことがある。 江戸時代以前から「神宮」と称されていたのは伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけで、元日の早朝に行われる天皇陛下の四方拝という儀式で 伊勢神宮についで天皇が拝される神々のうちの一つがこの鹿島神宮である(あとは天皇陵と賀茂別雷神社・賀茂御祖神社・石清水八幡宮・香取神宮・熱田神宮・氷川神社がある)。 重要な神社とわかる。歴史もかなり古い。拝殿の前には人が列をつくっている。奥の参道を進み、奥宮や要石も見た。要石は鹿島、香取の両神社にあって、 地震を起こすとされている大きなナマズを押さえつけている石だという。坂を下りていったところには御手洗池という四角い池があり、水は湧水だという。透き通って底まで見える。 ここの茶屋でみたらし団子を食べた。香ばしくておいしいし、大きいのでけっこう腹がふくれる。
■奥参道からさらに北の外れの森の道へと歩いていく。木々が鬱蒼と茂り、木のいい香りがする。数百メートル歩くと国道124号に出るのでさらに北へ。 Jリーグ最終節の鹿島対名古屋のチケットをいただいたので2006年以来、ひさしぶりにカシマサッカースタジアムに来た。スタジアム近辺には民営の駐車場が多数あり、 旗を振って車で観戦に来る客にアピールしている。名古屋ナンバーの車もちらほらいて、遠くからはるばるご苦労さまである。 どちらにも特に思い入れがない対戦なので気楽にサッカーを楽しんで見ることができた。試合は1-0で鹿島が勝利。ブラジル人のカイオという選手がキレのある動きをしていて目立った。 おそらくもうそれほど選手生活は長くないであろう、名古屋の偉大なゴールキーパー楢崎選手を中心に見ていた。 スーパーファミコンのサッカーのゲームに既にフリューゲルスの控えキーパーとして登場してた記憶がある。 この試合でも奮闘し何度もピンチを防いでいた。
■帰りは臨時駅である鹿島サッカースタジアム駅から鹿島線の電車に乗った。鉄道の接続が悪く、距離のわりに時間がかかった。 混雑していて、結局千葉まで座れず、つかれた。鹿島神宮駅のあたりの地名は「宮下」、神宮がある一帯が「宮中」、 他にも宮津台、神向寺、小宮作、神野、といった具合に「宮」や「神」の字がつく地名が多いのは古い神社のある土地らしいなと思った。
No.1994 2015-11-21
水戸芸術館の塔

水戸芸術館の塔からの眺め

旧水海道小学校

県立歴史館のイチョウ並木

千波湖の鳥

■西船橋から武蔵野線に乗り換え、新松戸で常磐線に乗る。一度我孫子で降り、ホームのそば屋で唐揚げそばを久しぶりに食べた。 相変わらず唐揚げがでかい。以前より10円か20円値上がりしてたが、それでも400円くらいなので安い。まだ昼前だったが他にもけっこう客がいた。 ふとホームを見ると特急「踊り子」が停車している。一瞬混乱した。伊豆に行く特急がなぜ常磐線に、と思った。 上野東京ラインの開通で東海道線まで直通運転するようになったのだと理解するまで少し時間がかかった。 我孫子からさらに先へ。常磐線のこのあたりの景色は、関東平野の田園地帯の平凡な景色が続くばかりであまりおもしろくない。土浦のあたりで ちょっとだけ霞ヶ浦が見えるくらいでとりたてて見所もないが普段乗らない路線なのでぼんやり眺めているとそれなりに楽しい。 石岡で停車したとき外を見て、数年前ここから鹿島鉄道に乗って桃浦、鉾田へ行ったときのことを思い出した。 鹿島鉄道はもう廃線になってしまった。牛久にあるという巨大な観音が見えないかなと思って目を凝らしていたが見えなかった。水戸で下車。
■水戸駅はすっかり変貌しており、駅ビルも駅前も今風の都会的なそれになっていて驚いた。明るい雰囲気で、人も多く歩いている。 初めて水戸を訪れたのは中学生のときだった。高校生のときに水戸のマルイで買ったマフラーは今も手元にある。 その後も数度、鉄道乗りつぶしなどのために来ている。水戸の駅を出て町の中を歩くというのは大人になってからは初めてかもしれぬ。 まず駅の北西にある京成百貨店のあたりまで行ってみた。意外と傾斜の急な坂道が多い。水戸には京成電鉄の路線はないのに京成百貨店がある。 昔は東京の上野と大森、千葉の市川、茨城の土浦にもあったのだそうだ。現在はこの水戸に残るのみとなっている。 百貨店はなかなか大きく、ブランド店や丸善、ロフト、サザコーヒーなども入っている。7階の催事場では水戸市と姉妹提携している町の物産展が開催されていた。 敦賀市、彦根市、高松市などの特産品があった。彦根市の「ひこにゃん」のグッズがたくさんあった。
■すぐ近くにある水戸芸術館へ。建物が建て込んでいるエリアの中にあるが中心に広場を設けていることで明るく開放的な雰囲気がある。 親が小さな子供を遊ばせており、地域に溶け込んだ、地元の人の身近な公園のような存在に見えた。 敷地内には特徴的な塔が建っており、水戸といえばこれを思い出す者も多いのではないだろうか。三角形がたくさん組み合った造形はインパクトが大きい。 この塔は内部に入ることができ、200円で切符を買うとエレベータで最上部まで行くこともできる。高さが100mあるのでエレベータに乗っている時間がけっこう長い。 最上部は狭く、宇宙船のコックピットのようだ。丸い小さな窓がたくさん開いていて、なかなかの眺望である。ミュージアムショップに置いてある物や書籍がなかなか洒落ていた。 ここの建物は磯崎新の設計なのだそうだ。彼のような偉そうにしている建築家はあまり好きではないが、ここの建物や同じく彼が設計の、以前行った由布院駅舎などは好きである。
■西へ向かい、大工町の交差点から南へ行くと茨城県立歴史館がある。その敷地内に建っている旧水海道小学校を見に来た。1881年(明治14年)に建築されたもので、 水海道(現在の常総市)から水戸のこの地に移築された。擬洋風建築の二階建てで中央部に塔があるシンメトリーの建物で、松本の旧開智学校に似てるという第一印象。 あちらは1873年(明治6年)に建てられていて、わりと近い年代である。その時代の流行というか、あらゆる分野に西洋の文化が流入してきたときなので、他にもひょっとしたら 似たような建物が存在したのかもしれぬ。靴を脱いで中に入る。内部は撮影禁止。水戸の歴史や茨城のこのあたりの地域出身の著名人紹介パネルなどが展示されている。 古いアメリカ製のピアノもあるそうだが保護のため公開されてない。教室として使われていた部屋は木製の古い勉強机や教壇、黒板、大きな分度器などがあり、 自分の世代よりももっと上の人ならばおそらく懐かしく感じるのではないだろうか。昔の給食が再現された展示もあった。板ガラスでできたステンドグラスもあり、 木造の美しい建物である。
■敷地内には他にも旧水戸農業高等学校本館という建物もある。元々この農業高校のあった敷地に県立歴史館ができた。 堂々とした寺院のような建物で平屋の木造、壁は下見板張り、和風木造建築だが正面中央には洋館にあるような車寄せがある。瓦屋根も傷みがそれほどなく、 きちんと手入れされている建物のようだ。中には入ることができないが地味ながらなかなか良い建物である。銀杏の木が黄色く色づき、葉がたくさん地面に落ちていて 黄色く明るい。コスプレか何かの撮影をしている者もいた。親子連れが遊んだり、散策したりしていて、こちらも地域の人が普通に使っている公園のような雰囲気がある。 常磐線の線路沿いに広がる偕楽園の中に入ってみた。いちばん西の端から入ると池のある庭園で、赤く色づいた木と緑のままの木があって色が鮮やかだ。 梅園は季節外れなので枯れ木が一面に広がるのみだが、春先にはこれが一斉に咲いてきれいなのだろうなと想像した。 梅園のすぐ隣には常磐神社がある。祭神が徳川光圀と徳川斉昭という二人の水戸藩主で、比較的新しい神社である。 大きな鳥居の向こうに千波湖が見える。
■跨線橋で線路を渡り、千波湖のほとりを歩いてみる。巨大な光圀公の像があり、水辺に近づくと水鳥が首をかしげながら近寄ってくる。  水戸の町灯りが水面越しに見えてなかなかきれいだ。湖の南側にある広場では「ラーメンまつり」が催されており、 人がけっこうたくさん集まっている。ステージでは何か歌っている者がいて、水戸内外のラーメン店が出店してどこもそれなりに人が行列を作っている。 水戸駅前まで戻り、駅のすぐそばにあるホテルにチェックイン。ビックカメラに寄ってみたら中国人が時計売場で店員と交渉していた。 暗くなってから駅の近くにある東照宮へ行ってみた。長い階段を登ったところにある小さな神社だった。参道沿いに服屋などがあった。
No.1993 2015-11-15
飴の缶

■寝台特急のヘッドマークを模した缶に入った飴が駅の売店で売っていたので先頃買ってみた。箱に入ってて中身がわからなくて、 9種類プラスシークレットが1種類あるらしい。富士のやつが入ってた。なかなかいいなと思って後日まだあるかなと思って店を見てみたらもうすっかりなかった。
No.1992 2015-11-01
七年祭り 神揃場前

七年祭り 二宮神社参道

七年祭り 二宮神社境内

■京成大久保駅から歩いて二宮神社まで行く。駅前は普段の様子とさほど変わらないが、大学のキャンパスのあたりから人が増えてきて、 泉三丁目のローソンなどは客が大勢いる。思いのほか人出があり驚いていたが、神社のそばまで行くと人が溢れて大変なことになっていた。 神揃場と呼ばれる空き地にはいくつもの神社の神輿が既に到着しており、前の日に見た習志野市の菊田神社の神輿も見える。 自分が着いたときにはちょうど船橋市古和釜町の八王子神社の神輿が到着するところだった。 しばらくすると八千代市高津の高津比盗_社も到着。これで4つの市から9つの神輿が勢揃いした。 この日が下総三山の七年祭りのメインイベント「安産御礼大祭」で、献幣の儀というのを行った後、各神輿が順番に二宮神社へ向かう。
■二宮神社まで辿り着くのも大変で、それほど広くない幅の道に屋台の露店が出ているせいで一層狭く、そこに人がぎゅうぎゅうに歩いているので なかなか進まない。バナナチョコやらたこ焼きやらのにおいがする中、なんとか神社の境内に入ることができた。 神揃場から一つずつ順番に、この神社の拝殿に神輿を昇殿させることになっており、その様子を見ようと境内も人が既に大勢来ていた。 しばらくして入場制限となってしまった。ちょうど切り口が平らな木の切り株があったので、その上に立っていることにした。少しだけ目線が高くなっていくらか見やすい。 まずは二宮神社の神輿がやってくる。続いて習志野の菊田神社。続けざまにスピーディにことが進むわけではなく、入場も退場も人混みをかきわけながらなので とても時間がかかる。菊田神社の神輿が拝殿に入ってゆき、大きな歓声が上がる。三番目の八王子神社の神輿が到着し、菊田神社の神輿が退場していくときに すれ違うときに、実際にぶつかるわけではないんだけど喧嘩神輿みたいになって迫力がある。神輿を担いできた者たちや他にも色々な役割で行列に参加していた者たちは やり切ったという満足げな表情をしていた。かついだ者達のなかには外国人の姿もあった。
■全てが終わるまで見物していたらおそらく夜になってしまうので、このへんで切り上げることにしたが、駅まで戻るのもまた狭くて人でいっぱいの道を進むのが 大変だった。スマートフォンの地図で裏道を探しながらようやく混雑を抜け出せた。二日に渡って祭を見物して、七年祭りというのはこういうものか、とわかった。 実際には翌日にもまだ祭は続いて、神輿が海のほうまで行ったりするらしい。それにしても地域をあげてのかなりのビッグイベントで、相当な準備が必要となるので、 毎年やるのはとても無理だろうから、六年に一度というのはスペシャル感もあって良いと思う。9つの神社の神輿が一堂に会する、というのがなんだかわくわく感がある。
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