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No.1609 2011-06-20
■RISING SUN ROCK FESTIVAL 2011 in EZO出演者の追加発表とステージ割りの発表があった。布袋とか曽我部恵一、POLYSICSなどなど。 元ミッシェルガンエレファント系の人達や元ブランキージェットシティの人達、も追加されて、ネット上では「やっとエゾらしくなった」とか言ってる者がけっこういた。 正直このあたりの面々は数年に一度くらいでいいんじゃないかと個人的には思う。怒髪天とかピロウズとかもそろそろちょっと下がってもらえたえらいいのにと思うし、 クロマニヨンズとかスカパラあたりの常連組ももうちょっと出演頻度が低くていいのにとも思う。
■ただ、今回のスカパラには、ゲストとして上原ひろみが出る。こうやってさも知ってるように文章書いてるが、上原についてはぜんぜん知らなかったので、 Youtubeでスカパラと上原ひろみの曲を聴いてみた。すごかった。上原はピアノを弾く人だった。日本にこんなすごいピアニストがいたのかとびっくりした。 で、グラミー賞とってる人だと知ってさらに驚いた。この人のライブというだけでも、石狩まで行く価値があるのかもしれぬ。
■くるりも斉藤和義も出るし他にも若くて活きのいいバンドがたくさん出るのだけど、現状だとなにか物足りない。行かないという選択肢もある。
No.1608 2011-06-19
■ひさしぶりに自転車で南船橋のイケアまで。昼過ぎだったので暑かった。久々にやや大物家具を購入し、配送のカウンターに預けて帰ってきた。 以前より送料が安くなったので助かる。少子化とかいうが、商業施設等に行くと子供がたくさんいる。今の親は、子供が騒いでても叱らないので不思議に思う。 あと、イケアに行くとだいたい一人くらい、買い物に疲れてキレている親父を見る。今回見たのは、まあまあ若い親子の父親で、 「いつになったら帰れるんだよ」と怒っていた。気持ちはわからないではない。50円のソフトクリーム売り場に行列ができていた。 国道14号以外の道を通って帰ろうと思い、知らない細い道をどんどん入っていったら京成の谷津駅の裏に出た。丹生神社経由で帰宅。
No.1607 2011-06-12
浄化センター裏の猫
浄化センター裏の猫。

■自転車で茜浜。ここのところめっきり猫達の姿がない。どこかへ行ってしまったのだろうか。薄曇りだったが、だんだん暑くなってきて、 汗をかいて体がべたべたするし頭がいたくなるからつらい季節である。夏なんてなければいいのにと思う。でも夏がなくなると米とか野菜ができなくなるから困る。 海辺の緑地公園では、地震によるいろいろな補修工事が概ね済んで、法面の芝張り工事まで終わっていた。河口反対側の霊園裏から浄化センター裏へ。 こちら側には猫がちょっといた。釣り人や鳥の写真を撮ってる人などが少し。
No.1606 2011-06-05
稜北高校の北の丘1

稜北高校の北の丘2

稜北高校の北の丘3
稜北高校の北の丘。

■前夜、早く寝たので朝早めに起きることができた。せっかく早起きしたので、2年前の夏にも行った稜北高校の北の丘まで実家のママチャリで行った。 地名でいうと石川町と亀田中野町と桔梗町の接するあたりである。夏に行ったときは汗でべちゃべちゃになったが、今回はひんやりしていたので大丈夫だった。 途中、昭和公園の横を通ったとき、バスケットボールのゴールが設置されてることに気づいた。今度帰省したときに誰か誘って行ってみようかと思った。 丘の手前に川上神社があった。簡素な神社だが、境内には高い松の木があり、それなりに歴史があるようなたたずまいに見えた。 坂道を上ってゆくと見晴らしがよくなり、道の左右には畑が広がる。遠くに函館山が見える。どんより曇っていたが、ときおり雲の切れ間から青空が見える。 ちょうど畑仕事をしているトラクターが一台。

旧函館師範学校
旧函館師範学校。

■その足で五稜郭駅前を経由して八幡町にある北海道教育大学函館校へ。キャンパスの片隅に、函館らしい木造の凝った意匠の西洋建築がある。 1914年(大正3年)に建てられた旧函館師範学校の本館の中央部分の玄関とその両脇の一部である。 昭和40年代の校舎の改築の際、取り壊される予定だったが、保存に向けた活動が行われ、今残っているこの建物は移築保存されたとのこと。 外壁はクリーム色の下見板で、窓まわりは赤く塗られている。外壁の下見板を調べてみると、そのいちばん下の層にオレンジの塗装色が出てきたそうだ。 やすりで削るかなにかしたのだろうか。当初はずいぶんと派手な建物だったのだろう。現在は北方教育資料室として使われているらしい。

末広町
末広町。

旧丸井今井と路面電車
旧丸井今井と路面電車。

■実家へ戻る途中、高校への行き帰りに通っていた道を走ってみた。当時はなかった建物がたくさん建ち、線路わきの空き地だった場所は分譲宅地になっていた。 実家で昼食。また盆に来ると言って五稜郭駅へ。一駅乗って函館駅。時間があったので路面電車で十字街まで行き、坂道を登ったり下りたりしてきた。 基坂の突き当たりのあたりに、以前も見た黒猫がいた。函館山が少し霞んでいた。北海道にも夏が近づいている。
新幹線はやぶさ
新幹線はやぶさ。

■函館駅に戻り、青森行きの特急スーパー白鳥に乗車。あまり混んでいない。前日とはうってかわって、天気がいいから海が明るい。新青森駅で乗り換え。 新しい新幹線「はやぶさ」に初めて乗車。「はやぶさ」というと、東京発熊本行きのあのかつての夜行列車を思い出すが、今は最新鋭の新幹線にその名が受け継がれた。 鮮やかなグリーンの流線型の車両が発車を待つホームには、カメラを持った子供や大人が大勢いて、この新しい新幹線を撮影していた。 定刻通りに発車。震災の影響で、一部速度を落として運転するとのこと。座席は前後の間隔が広く、東海道新幹線のいちばん新しいやつに似ていて快適だ。 新しい路線の車窓はどんな感じかと思い、外を眺めていたが、トンネルが多かった。いまの季節の航空写真を撮ったら、田の水がきらきら光ってきれいだろうなと思った。 トンネルの合間に見える東北の空はまぶしいほど青く、ただただ青かった。盛岡のあたりはそれほどでもなかったが、仙台とその前後は、 屋根にブルーシートをかけた瓦屋根の家がとても多かったし、水路の両側が崩れて、土のう積んである所もいくつか見られた。 壁の補修工事のための足場が組んである大き目の建物が少なからずあり、仙台駅のすぐ近くには仮設住宅がたくさん建っているのが見えた。 ブルーシートは、屋根のてっぺんにかけてある家が多い。平行している在来線の東北本線の車両が走ってるのが見えた。福島行きだった。 乗客が一人もいなかった。あの地震から3ヶ月経った今も、大きな爪跡がいたるところで見受けられた。内陸部でこの有様なのだから、 海側の地域の状況は、察するに余りある。この時期に、自分の目で今の東北の状況を、ほんのわずかでもじかに見ることができたのは良かった。
■はやぶさは上野駅には停車せず、終着の東京駅に到着。新青森〜八戸間は初めての乗車。これでJR全路線営業キロ19981.8kmに対し、乗車済み区間キロ数は19383.2km、 未乗区間は598.6km。乗車率は97.004%となった。
No.1605 2011-06-04
あけぼの車内
あけぼの車内。

あけぼのの車窓
あけぼのの車窓。

■ふと目が覚めて窓のスクリーンカーテンを開けてみたら外は既に夜が明けていた。今の季節の北国の日の出は早い。 山形の余目駅に停車。時計を見るとまだ5時。今回の個室は残念ながら海側ではなく山側の部屋だったので、日本海の様子は見えなかったが、 東北の名山、鳥海山が長い時間姿を見せてくれた。沿線に見える田には水が張られ、朝の光が反射してまぶしい。田の水面には鳥海山が逆さに映っていた。 まぶしい朝の光に目を細めながら、しばらくの間、外の景色を見ていた。早朝から水田で作業をしている人達が多くいる。農家の朝は早いなと思った。 以前、山居倉庫を見に行くバスに乗った酒田駅や蚶満寺を訪れるために下車した象潟駅、JFLの試合を見に来た仁賀保駅などで停車。 さすがにまだ眠たかったので、もう一度眠ることにした。終点までまだまだ時間がたっぷりあるので二度寝できる。秋田県最後の停車駅は大館駅で、 この駅の近くのホテルに泊まったことがあるのを思い出した。たしかハチ公の像が駅前にあった。行ったことがある場所がけっこう増えたものだなと思った。
■ほどなくして青森県内に入る。北に行くほど葉の小さい木が増え、家の造りも変わる。「へ」の字の形をしたトタンの屋根が増え、立派な煙突がついた家も多くなる。 大鰐温泉駅は弘南鉄道との乗り換え駅になっている。弘南鉄道は「日本国内では最北の私営の電気鉄道会社」だそうだ。 ひさしぶりに大きな町に入ると弘前駅に停車。ホームには「SL試運転」という表示の方向幕になっている青い客車をつないだSLが停まっていた。 そして弘前以北の線路沿いにはごついカメラを構えた多くの鉄道ファンと、その数とおんなじくらいの警察官がいた。鉄道ファンを見張るためだろうか。 新幹線が伸びて真新しくなった新青森でも停車し、それから数分、上野駅から12時間以上かかって終着の青森駅に到着。
■青森駅に来るのは2008年の夏以来で、そのときは青森駅発の夜行列車である急行はまなすに乗車するために降り立った。 そのときは夜だったせいか気づかなかったが、ホーム上に今でも、連絡船乗り場への誘導案内の擦れた黄色の文字がかすかに残っていた。 見上げると青森駅を跨ぐ斜張橋。あけぼのからの下車客が大きな荷物を抱えたり引きづったりしながらぞろぞろと改札口へ向かう。 秋田駅あたりで下りる者がほとんどなのかなと思っていたが、青森まで乗る者も案外多い。いつの間にかこの駅にも自動改札機が導入され、 駅自体も以前よりずいぶんきれいになっていた。ホームには青森県警の警察官がたくさんいた。SL関係の警備なのだろうか。いったん外に出てみた。 駅前にはバスロータリーが整備され、全国チェーンのホテルも建っているが、人はそれほどおらず、犬の散歩をしてる者がいたり、のんびりした雰囲気だ。 「おみやげに 特撰 ねぶた漬」という大きな看板が目に入る。最初の予定では、あけぼので青森まで来て、新たに開通した新青森〜八戸の区間を走る 新しい新幹線に乗って帰ろうかと考えていたのだけど、せっかく青森まで来たのだからもうちょっと足を伸ばして函館に寄ることにしたのだった。
■特急スーパー白鳥に乗車。青森に限らず、地方の田舎へ行くと、歩く人が少ないせいか、歩道に雑草が伸びているのをよく見かける。 津軽線を北へ向かって走る。ほどなくして右手には青森湾が広がった。曇り空のせいで、寒々とした海に見える。青森から30分弱で蟹田に停車。 そういえばこの駅でもかつて下りたことがあった。駅の中には煙突のついたストーブがあって、駅前少し歩けばすぐに海で、冬だったから風が強くて寒かった記憶がある。 駅の近くのコンビニエンスストアであたたかい飲み物を買ったことがあった。青函トンネルに入り、抜けると北海道。最初に停まるのが木古内駅で、 駅手前あたりまで新幹線の高架工事が進んでいた。いよいよ新幹線が北海道まで伸びるんだということを初めて目の当たりにした。 津軽海峡には海霧が出ていていっそう寒々しい。この特急は実家の最寄駅である五稜郭駅には停まらないので、終点の函館まで乗車。 定刻通りに到着。夏と比べるとずいぶん観光客も少ない。震災や原発事故の影響で中国人観光客が減っていると聞いていたが、 実際にその影響があるように見えた。棒二森屋百貨店の裏からバスに乗って五稜郭駅前で下車。歩いて実家まで。
■日が出ると暑さを感じるが、空気は冷たく、日がかげると肌寒く感じるほどだった。親は、まだ朝は寒い日があるので、時々ストーブをつけると言っていた。 庭で育てているじゃがいもやきゅうりなどを見た。順調に育っているようで、夏には収穫できるらしい。夜までのんびり過ごし、早々と眠った。夜は寒いくらいだった。
No.1604 2011-06-03
寝台特急あけぼの1

寝台特急あけぼの2
寝台特急あけぼの。

■富士、はやぶさ、出雲、なは、あかつき、銀河、北陸、能登、まりも。
今までに乗車したことのある夜行の急行、特急列車のうち、既に廃止になった列車である。
■東北行きの「上野発の夜行列車」は、かつては何本もあった。急行「津軽」「八甲田」、特急「はくつる」「ゆうづる」などなど。 宮脇俊三さんの本にも出てくる。そんな、何本もあった東北行き夜行も、とうとう「あけぼの」を残すのみとなってしまった。 そして、東北新幹線が青森まで伸びた今、このあけぼのの廃止も間近だろう。今のうちに乗っておかないと二度と乗れなくなると思い、 木曜日の夜、急に思い立って会社の帰り、駅のみどりの窓口で金曜夜の下りの空き具合を聞いたら、たまたま、幸運にも個室に空きがあったのだった。 すぐに切符を購入。
■あけぼのは、上野を21時過ぎに発ち、高崎から上越線に入って長岡、酒田を経由し、日本海沿いを北上して翌朝6時40分頃秋田着。 さらに奥羽本線を北上して、終点青森には10時頃に到着する。東京を朝一番の新幹線で発てば11時には青森に着くということを考えると、 青森10時着というのは、実用的ではない感じがするので、実質、この列車は首都圏と秋田を結ぶ意味合いが強いのだと思う。
■青森まで乗ることにした。夜行列車は、できる限り始発駅から終着駅まで乗りたいと常々思っているんである。発車を待つ駅の雰囲気や、 朝、終点で客を降ろしてしばらくたたずむ列車を見るのは、なかなかいいものである。で、車内販売もないし、途中駅での長時間停車もないので、 翌朝食べるパンを津田沼駅のパン屋で買って持って行った。上野駅のホームには、いまでは珍しくなったブルートレインであるこのあけぼのを撮影する者達がけっこうな数いた。
■車内に入ると、さすがに金曜日なので乗車率はいい。ぱっと見た感じ、個室はほぼ埋まっていたし、開放寝台も、上野駅の時点で下段はほぼ埋まっていたように見えた。 乗り物は空いているほうが快適でありがたいが、寝台列車や夜行列車がにぎわっているのは、ちょっとうれしい。定刻通りに発車。すぐに検札があった。 大宮駅で停車。まだホームには人がたくさんいて、休みの前夜といった雰囲気。次に停車したのが高崎で、既に23時近く。人もまばらなホーム。 窓から見える人のいない駅の景色も夜行列車の醍醐味である。上越線に入り山越え。このあたりから記憶がないので、眠ったのだろう。 あと何度、夜行列車で旅に出ることができるのだろう。朝起きたらどのあたりだろう。そんなことをうつらうつらしながら考えていたような気がする。
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