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No.1430 2009-8-16
■午後まで眠って、起きてからCLOEにコーヒーを飲みに行ったりした。実家を出て五稜郭駅へ。JRでとなりの函館駅まで。 帰省客や観光客も一段落したのか、駅の中や周辺も人が少な目だった。昼は暑かったが夕方から涼しくなってきた。 バスで函館空港へ。ちょっと早めについてしまったので、カードラウンジでゆっくり過ごす。 なぜか国際線仕様の飛行機だったので、座席の前後左右がゆったりしてて快適だった。すぐに眠ってしまった。 着陸直前に目が覚めた。となりの座席のサーファーみたいな男は、着陸してもまだ眠ってた。 意外にも定刻より早く羽田に到着し、ちょっと急いだら、いつも乗るのより一本早いリムジンバスに乗ることができた。 さすがに東京は暑い。
■今回の旅行+帰省は、鉄道、船、そして飛行機を使ったので、陸海空ぜんぶ利用した。
No.1429 2009-8-15
くまの旗
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2009 IN EZO。二日目。晴れて気持ちいい。くまの旗。

ボヘミアンガーデン
BOHEMIAN GARDENでエマーソン北村を待つ。

いろいろ焼いている
いろいろ焼いて食べている。めちゃくちゃうまい。遠くからビギンのライブが聞こえる。

クリスタルパレス
CRYSTAL PALACEで宮沢さんの「赤塚不二夫論」待ち中。

夜明け
そして夜が明ける。

■ぎりぎりの時間にチェックアウト。寝足りなかったのと、ちょっと情報を仕入れたかったので、琴似のネットカフェへ。 少し横になって休んだ。二日目の最初のライブが始まるころにのんびり出発。バス乗り場も人がそんなにいなくて、みんなもう会場に行ったみたいだった。 二日目も晴れて、それほど暑くもなく、風が気持ちいい。友人らのテントに荷物を置かせてもらった。 夜は暗くてわからなかったが、テントそれぞれ目印になるようなものをいろいろつけてて、それを見て歩くと面白い。旗を立てたり、 テントにガムテープを貼って絵や文字を作ったり、怒髪天の増子が毎年会場を徘徊することになってるので「増子直純様お食事処」という幟をつけてたり、 風船みたいなスパイダーマンの人形をぶら下げてたり、清志郎のTシャツを吊るしてたりする。REDSTAR FIELDのそばでは大道芸の人が芸をやってた。 通りかかったときは、傘を空中に浮かべるのをやってた。しゃべるのもおもしろかった。
■歩いて歩いてようやくBOHEMIAN GARDENにたどり着いた。このステージはいちばん奥まった場所にあって、こぢんまりしてるが、 ステージ前の柵などもなく、アットホームというか、楽に聞ける雰囲気がある。みんな寝不足気味なのか、だらっと横になってたりする。 のんびり腰を下ろしてエマーソン北村のライブを待つ。時間になり北村氏が登場。普通なら、座ってた者らがわーっと立ち上がってステージ前に寄ってくのだろうけど、 ちょっと前に詰まったくらいだった。北村さん自身「立ってるひともいるし座ってるひともいて、いい感じだと思う」というようなことを言ってた。 地元北海道出身ということでいうと、ピロウズや怒髪天、イースタンユースやブッチャーズなどが今年出演してるが、北村氏も北海道出身だ。 ロックステディのスタンダード曲を北村流にアレンジ。リズムボックスの伴奏のみ使って、ノードリードのキーボード一台で軽快な演奏。 途中、数曲、松竹谷清氏がゲストで登場。テクニカルなギタープレイと伸びのある歌声とにこやかな表情で楽しい。北村氏もコーラス。 明るい空とここちよい風とがあいまって、気持ちのいいあたたかいライブだった。で、次の出演者が奥田民生ソロだったので、 早くも奥田民生ファンがつまらなそうな顔で前のほうに陣取っていた。なんで民生ファンだってわかるんだよ、いいがかりなんじゃないのかよ、 と思うむきもあるかもしれないが、ユニコーンTシャツに民生Tシャツ、「三人の侍」Tシャツ勢ぞろいである。 で、北村さんのファンが彼らの後ろあたりにいて立ち上がってるのでしかたなく立ってる感じ。棒立ちで最前列とかシュールである。
■友人と合流。友人の知り合いの人を紹介してもらう。ずっと年上の花屋の人で、北村さんの招待で来てた。 テントで肉を焼くというので、そちらへ向かおうとしたら途中のGREEN OASISで小泉今日子のライブやってて、ものすごい人の多さ。 びっくりした。友人のたばこに付きあって喫煙所からぼんやり眺めた。「夜明けのミュー」「あなたに会えてよかった」「学園天国」 など知ってる曲けっこうやってて、すごい盛況。「あなたに会えてよかった」なんかは名曲だと思うし小林武史すげえと思うけど、 いかんせん、歌唱力がない人だから、小泉には悪いけど、曲がもったいないなあと思う。序盤には「渚のはいから人魚」までやったらしい。 小泉すげえ。前の日の吉川のライブでも思ったけど、出し惜しみしないのはえらいというか、大人だと思う。
■テントに戻り、焼肉の準備を手伝う。バーベキューコンロを組み立てたり、炭のセットなど。友人の奥さんのお姉さんのだんなさんとその友人の二人が、 やたらアウトドア慣れしててすごい。淡々と着火材を使って手際よくうちわで扇いで炭火を起こし、肉や野菜を手早く要領よく焼いて、味付けもシンプルなのにおいしくなるやり方で、 とても感心した。食材のセレクトも良くて、オーソドックスなものから意外なものまで、いろいろ揃えてて、自分があんまりアウトドアやらないせいもあるかもしれないが、 いちいち感心した。じゃがいもは丸ごとアルミホイルに包んで炭の中に直接置いて、塩ホルモン、味付けしたイカ、鶏のムネ肉、豚のロースのかたまり、 厚切りなのにやわらかいラム。どれもこれもびっくりするくらいうまい。とうもろこしを皮ごと網で焼いたやつ、初めて食べた。 ゆでたやつとはまた違うシャキシャキした食感と甘さもすごい。中にチーズの入った焼きおにぎりも相当うまい。椎茸やエリンギのバター焼きもうまい。 舞茸もうまいしピーマンの丸焼きもうまかった。ほんとうにびっくりした。 いままでこのフェスに来て、出店してる飲食店でお金出せばおいしいもの食べれるのに、しかもわりと良心的なお店が多いのに、 なんでみんなコンロとか炭とか食材の入ったクーラーボックスとか氷とか網とか鉄板とか、大変な思いして苦労して持ってくるのか、 ようやく意味がわかった。外の空気のなかで炭火で新鮮な食材を焼きたてで食べるのがこんなにおいしいとは思わなかった。通りかかったよそのテントでは、 サンマやホッケなど焼いてて、いいにおいがしてた。あと、炭火はずっとついてるので、夜寒くなってから暖も取れるのだった。
■SUN STAGEでやってるBEGINのライブを遠くに聞きながらうまいものを食べ、ビールを飲んで、こんなぜいたくなことはないなと思った。 会場を歩けばみんなにこにこして、あっちでもこっちでも生の音楽が聴けて、大道芸も講義も笑いもあって、うまいもの食べて酒飲んで、 歌って踊って疲れたらべたっと座ったり横になったり。
なんだこれは祭じゃないか。
このフェスの主催者はWESS(ウエス)という札幌のイベンターで、もう辞めて別会社を立ち上げたのだけど、去年までこのフェスのチーフプロデューサだった山本という人が、 インタビュウなどでことあるごとに言ってた「イベントとフェスの違いってなんだろう」という言葉の意味がようやくわかった気がした。 遠くから「島人ぬ宝」「恋しくて」「オジー自慢のオリオンビール」「涙そうそう」が聞こえてきてた。
■徐々に日が暮れてきて、日が沈んでまた昇ってきたらこのフェスが終わる。夕暮れ時のREDSTAR FIELDへ。 吾妻光良 & The Swinging Boppers with 松竹谷 清のライブ。エマーソン北村のライブに続いて松竹谷さんが、途中ゲストで登場。 音楽ってこんなに楽しい、というのをまざまざと見せつける素晴らしいライブ。前日のLITTLE TEMPOもそうだったが、 ステージ上の者らが楽しくやってるとそれが客にもしっかり伝わるということを強く感じた。最初から最後まで笑える。 おもしろいのに演奏がすげえうまい。そういうのがいちばんかっこういい。こんなに楽しい音楽がこの国にあったかと思えるような幸せな発見だった。 同じ時間帯には、裏に強力なライブ(ユニコーンやミドリ、サカナクション)があったのに敢えてREDSTAR FIELDを選んだ愉快な人たちが思いのほかたくさんいた。
■再びテントへ戻り休憩。SUN STAGEでは渋さ知らズオーケストラ。迫力ある演奏が遠くまで聞こえてくる。ブルーシートを敷いてしばらくだらだらした後、 CRYSTAL PALACEへ。クラブキングの「ART SCHOOL」という枠が夕方と夜の二回、時間がとってあって、夜の部で宮沢章夫さんの「赤塚不二夫論」と、 宮沢さんとしりあがり寿さんの「ライジング博士」があるので、それを見たいなと思ったわけである。 フジロックでも使われてるという組み立て式のCRYSTAL PALACEがこのフェスに登場したのは三年くらい前だったと思うが、今回初めて中に足を踏み入れた。 両サイド開けて風を入れるようにしてるが、けっこう蒸し暑い。でもとてもとてもいい空間。おしゃれなサーカス小屋みたいな感じ。中にはバーカウンターもあってアルコール類も買える。 最初にエレキコミックというお笑いの二人組みが出てきて、ロケ撮影してきた映像を見ながらいろいろくだらない話をする。あんまり知らないのだけど、 エレキコミックというのはなかなか人気あるみたいだった。映像は二本立てで、それがかなり笑えるものだった。一本目は、ブックオフで、 店員じゃないのに「いらっしゃいませこんにちはー」と言ったら、店員達が後を追っていらっしゃいませこんにちはーと言うのかどうかを検証する、 というもので、二本目はカブキロックスの氏神一番氏と仲良くなろう、というものだった。ばかばかしくて笑った。
■桑原茂一さんの紹介のあと、宮沢さんが登場。大学でもやってらっしゃるという「赤塚不二夫論」をぎゅっと凝縮してやや駆け足で。 大きなモニターには時代背景などを説明する資料映像や画像が映し出されるのだけど、それが宮沢さんらしい、スタイリッシュでかっこういいものだった。 そしてなにより、宮沢さんのテンポいい解説を聞いて、驚くことが多かった。自分は赤塚不二夫のことをぜんぜん知らないし、作品にしても、 テレビアニメでやってた「天才バカボン」と「おそ松くん」くらいしか見たことなくて、あれがおもしろいか?と思ってたわけなのだけど、 ふつう、思いついてもやらないようなこと、実験的な試みやくだらない試みを次々とやってのけていたということを初めて知った。 赤塚不二夫の真髄はアニメではなくて漫画にあったということがわかった。いまならそういう冗談や実験的な試みも容易に受け入れられるだろうが、 当時リアルタイムで見てた人たちにとっては、さぞ大きな驚きだったのではないかと想像する。いや逆か。赤塚不二夫の作品があったからこそ、 いまの時代の、漫画等における実験的な表現が普通に受け入れられるということかな。 吉田戦車とか和田ラヂヲとか、野中英次とかうすた京介らのような作品が出現する下地になったのではないか。そんなことを考えた。
■そしてしりあがり寿さんが登場。宮沢さんの隣に座った。そして「ライジング博士」。しりあがりさんは最初、あれほんとにやるんですか、とか言ってて、はじめはちゃんと絵を描いてたのに、 だんだん途中から絵じゃなくて、文字を書いてて、おかしかった。そのときの様子をおもしろく書いてたひとがいたので、そのまま転載。

「しりあがり寿さんはライジングサンに詳しくて、どんなバンドのメンバーも知ってるんです。 じゃ、どんなバンド(人)か説明してください」 って感じで、 スケッチブックとしりあがり氏の手元がスクリーンに大写しになって、 どんどんアーティスト名を言われて「この方はですねぇ・・・」なんて説明しながら似顔絵?を書いてたのよ。
その説明が全部やっつけな感じで、おもろかったの。

奥田民生は・・・奥田タミという女性人権思想家(?)でその子供が民生、タミフルだったっけ。 後二人くらい子供いたな・・・ もう似顔絵じゃなくて家計図で説明w誰だよタミ。

日の出食堂はダンゴ三兄弟みたいな絵を書いたと思ったら、上から洋食和食中華?って説明を入れてたな。 リアルで見てたら、しりあがり氏がサクサク絵を書きながら「日の出食堂は3人なんです。和食と洋食と・・・」 なんて適当な説明をするんでそれが緩い笑いに繋がってさ。 う〜ん、上手く説明出来てないから面白さ伝わらなくてゴメン。

スガシカオは最初、坊主の男の絵を書いてたんだけど、横に「さすがしか男」って書き込みを入れたら 「あ、鹿だから角がいりますね」とか言って角を書いたら「wwwこれはせんとくんだwwww」と本人のツボに入って、 顔も薄い系の顔からせんとくん顔に書き直したりしてどんどん発展してオモロかったです。

50回転ズ(去年までは49回転だったけど今年は50回転ズ)とかセカイイチ(ウチの子世界一!って美容師と子供がやってるバンド。 子供はマラカス担当)とか秀逸な絵が何枚も出来上がって、最後はミドリの後藤まりこ(?)とじゃんけんして勝ち残った4人がしりあがり氏の絵を貰った、と。

これ書いたひと、よく細かいところまで覚えてるなあと感心した。だいたい空気が伝わるだろうか。しりあがりさんの人柄もあいまって、 あははあははと楽しい雰囲気と時間だった。後藤まりこが出てきたのはどうしてなのかよくわからなかったが、 あの子は人前に立ったときどう振る舞えばいいかちゃんとわかってる、意外としっかり者だと思った。
■今年から会場内にホットスポットというのができて、無線LANが使えるらしいので行ってみた。自分の携帯電話が無線LAN使えるので、 フルブラウザでウェブを見れるので便利だ。スポットには椅子とテーブルがたくさん置いてあるのだけど、、徐々に夜も更けてきて、 そこでぐったり休んでる者たちが多くいた。フリーで使えるコンピュータが4台ばかり置いてある。以前は「ネットカフェ」ということで、 たくさんコンピュータが置いてあった。経費削減かもしれぬ。で、無線LAN使ってみたが、大勢使ってるせいなのかなんなのかよくわからないが、 重かった。時間が少しあったので、テントに戻ってから友人らと会場をうろうろ歩いた。食べ物の店やトイレ、グッズ売り場など。 それにしても二日目も、夜になったのに気温がそれほど下がらず、日付が変わる時間になろうとしてるのに、いまだにTシャツの人が多いくらい過ごしやすい。 友人の奥さんが夜なのにかき氷食べるくらいあんまり寒くなかった。
■REDSTAR FIELDへ。quasimodeのライブ。始まるまで客が少なかったが、ふと気づくと後ろのほうまでけっこういっぱい集まってた。 客層的に、BOHEMIAN GARDENでのスカパラ終わってからの人たちも流れてきたのかもしれぬ。で、ライブの感想を端的に言うと、 もう少し工夫が必要だと思った。厳しいことを言うと、飽きるのだ。めりはりがないというか、どの曲も、 最初パーカッションのポンポコポンポコいうのから始まってワンパターンだし、各メンバーのソロパートが長い。 曲と技術はそうとういいレベルなので、あとはライブの工夫だ。まだみんな若いからこれからである。なんだかえらそうなことを言ってるが、 思ったことを正直に書いた。それでも、メンバーのうちのMC担当の人が率直というか朴訥な感じで「ライジングサン出れるのすっげえ楽しみで」と言ってて、 その言い方がほんとうに気持ちがこもってて、好感を持てた。
■SUN STAGEでのベンジーのライブを聞きながらテント方面へ。歩きながら聞いてたけど、けっこうかっこよかった。 そういえば今回一度も足を運んでないと思って、EARTH TENTへ寄り道。以前と形が変わってて、開口部が大きくなっていた。 外からちょっと見ようかと思ったときに、横や後ろからも見やすくなっていた。テントに戻って、 あとは朝までとくに見たいライブもないので、炭火にあたりながらのんびり過ごす。そこらへんのテントからはいびきも聞こえてくる。 EARTH TENTからはイースタンユースのライブの音が聞こえてくる。残ってた食材をちまちま焼いてつまみながらビールなどをいただいた。 お湯を沸かしてコーヒーもいただく。マシュマロを火であぶったのをすすめられたので食べたら、すごい甘さとやわらかさになっててびっくりした。 ブルーシートの上で横になったら、ちょっとの間うとうとした。SUN STAGEの勝手にしやがれのライブの音が大きくて、 寝ぼけながら、うるせえなとか言いながら起きたら、あんたここに何しに来てるんだと笑われた。だんだん夜が明けてくる。 東の空が、高いところは濃くて黒に近い青で、地上に近いところがオレンジがかった薄い青で、そのグラデーションが美しい。 夜明け前のこの空がいい。朝まで話をしてた友人と売店にコーヒーを買いに行って、空がすっかり明るくなって、そろそろ2009年の大トリ、 ピロウズのライブがSUN STAGEで始まる。友人らのテントは、友人以外みんな眠ってしまっていた。少しだけ片づけをして、先に帰る。 友人と、友人の奥さんが起きてきて見送ってくれた。帰りのバスは朝の5時から発車するということに公式ではアナウンスされているが、 実際にはその前から、客がある程度そろえば発車してくれるので、バス乗り場が混みあう前に乗ってしまうことができる。
■空の低いところに立ち上がってる塊の雲のちょっとした切れ目から赤々とした太陽が顔を出した。バスの中からもよく見えた。 帰りのバスは心地よい疲労と余韻。早朝の道路は空いていて、20分くらいで地下鉄の麻生駅に到着。地下鉄の始発まで30分くらいあるので、 松屋で朝の定食。地下鉄の駅のホームには、疲労で地べたに座りこんでる者多数。始発利用者のほとんどがフェス帰りの者だが、 普通に通勤かなにかに使う者も少しだけだがいて、ホームに入ってきた途端、いつもと駅の様子がちがうのにびっくりするさまを見るのが毎度おもしろい。 疲れた客をたくさん乗せた始発電車が発車。みな札幌駅まで乗るのかと思ってたら、途中の北24条とか12条あたりで降りてく者もいて、 おそらく地元の人たちなのだろう。札幌駅に到着。大荷物を背負った者らがぞろぞろとJRの駅の方面へ歩いてゆく。 7時ちょうど発の特急スーパー北斗の自由席を利用。周遊きっぷなので、追加料金なしで乗れる。そんなに混んでなかった。 札幌駅には寝台特急の北斗星が、長旅を終えて停まっていた。うとうとしてたら大沼を過ぎてた。七飯駅でSLとすれ違った。 途中どこかですれ違った札幌行きの特急はかなり混雑してた様子だった。定刻通りに五稜郭駅に到着。太陽がぎらぎらしてて暑い。 歩いて実家へ。午後まで眠っていた。
■書いてもしかたないし、読む人がいやな気持ちになるかもしれないと思いつつ、どうしても書いておこうと思うのは、 いいフェスではあったんだけど、もうここのところ毎年書いてるけど、客のレベルの低下が著しくて、 それはこのフェスが市民権を得たことの裏返しでもあるのかもしれないが、なんといったらいいか、常識や当たり前が通じない人たちが現れているなあと強く思う。 フェスの場だけのことではないが。日本人のいいところって、言わなくてもわかる、というところだったのに、いつのまにか、 言わないとわからない、になって、それがさらに今は、言ってもわからない、というところまできている。それが悲しい。 歩きたばこだめですよ、とか、ライブの撮影だめですよ、と言っても、やってる者らは、それがどうしてだめなのか理解できないのだと思う。 そういう人には言っても無駄だし、逆に、なんだこいつ言いがかりつけてきやがる、くらいに思われるのだろう。
■で、まあ、いやな話はこれくらいにしておいて、今年は客がかなり少ないのではないかと懸念していたが、会場内を見る限りそれほど極端に減ってないようだった。 ただ、ライブの時ステージに集まる客の数が、見たライブ全体的にやや少なかったように感じた。去年が多すぎたともいえるかもしれないが。 そしてなにより書いておきたいのは、なぜなのかはよくわからないが、今年は会場全体に、今までにない、なんといったらいいか、 うまくいえないが、幸福感というか、そういった空気がすごくあったように思う。それは過ごしやすい天候、 適度な人の数やトイレ、飲食、グッズなどをほとんど並んで待つ必要がなかったことだとか、 会場内のせまい通路で渋滞が起きなくて歩きやすかったとか、そういったあたりが大きいのかなとも思ったが、それらが決定的な要因とも思えない。 出演者の素晴らしいライブアクトはもちろん、スタッフやアルバイトの者らのがんばりもあるだろうし、いろいろな人の努力の結果ということだろうか。 とにかく、いままででいちばんいいフェスだったように思う。
■あとから公式サイトの掲示板を見たときに気になったのが、次のような書き込みだった。

FRONTIER BACKYARDがベストでした。格好良かったー。
次点でRAZORS EDGE。終始走ってました。


ライブの感想として「走ってました」というのが、どういう状況だったのかよくわからないが、なんだかすごいなと思ったわけです。 あとオレンジ色のSNSサイトとか、気が進まないながらも覗いてみると、 「○○のライブのときサークルモッシュしました!めっちゃ楽しかった!ドラゴンアッシュのTシャツ着てた♂です!」知らねえよお前なんかと思うし、 だからなんなんだと思って笑える。
■思いつきでこんなのを書いてみた。
「RISING SUN ROCK FESTIVAL参加者の見分けかた」
【初心者】
●ステージ間を走ってでも見たいライブをみる で、ばてて夜明けまで寝てる
●みんなが一斉に動く時間(大物のライブが終わったときとか)に動いて渋滞に巻き込まれる
●同様に、トイレも行列ができるタイミングで行ってしまい、並ぶはめになり、トイレが少ない、と不満を言う
●昼間、首にまいたタオルが暑い。夜は防寒対策が足らずに震える
【中級者】
●自分のテントがわかりやすいように旗などの目印をつける
●一日目、シャトルバス終了後のライブも見て、タクシー相乗りして帰る
●タワーレコード、ドコモ、ジョイサウンド、マイルドセブンなどのブースや会場内でもらえるもので快適に過ごす (タオル、ゴミ袋、小物入れ、ビニールバッグ、Tシャツなど)
●シークレットライブの情報をいち早く知る
【上級者】
●テントでひたすら肉を焼いている
●二日目の深夜のルーパナイトから来場
●タイムテーブルをあまり見てないので、通りかかったステージ見て「○○出てたんだ」と驚く
●ガチャガチャのバッジ交換で夜が明ける

自分で書いておいてなんだが、上級者にはなりたくないなと思った。
No.1428 2009-8-14
トラピスト修道院
トラピスト修道院。

トラピスト修道院の並木道
トラピスト修道院の並木道。

渡島当別駅
海が見える駅。江差線渡島当別駅。

■朝、五稜郭から江差線の列車に乗車。一両だけなので混んでた。座席はいっぱいだったのでずっと立ってた。大学生くらいの女が朝からにおいのする弁当を食べていた。 身欠ニシンが入ってる弁当だった。それがうまそうで。函館駅で売ってる駅弁だと思う。江差線は国道228号線に沿って、道路に近づいたり離れたりしながら走る。 ときどきトンネルがあって、上磯を過ぎたあたりから海が見えてくる。多くの乗客が目を細めて海を見ていた。30分少々で渡島当別に到着し、下車。 ホームに下りると、海側にはちょっとした集落。家の間から海が見える。山側は緑が茂っている。この駅で下車するのは初めてだった。 駅舎は郵便局といっしょの建物になっていて、小さな待合室には煙突つきの石油ストーブが置いてある。駅前には商店が一軒。国道に出てから踏切を渡り、 男爵資料館の敷地を通って山側の集落の道を山側へ向かってしばらく歩き、森の中の遊歩道を抜けると、トラピスト修道院の観光客向けの駐車場に出る。 まだ朝早い時間だったので、いちばんのりだった。両側に大きな木が並ぶ坂道を登ると、修道院の正門が建っている。レンガ造りで、鉄の門扉で閉ざされている。 ここに来るのはたぶん三度目か四度目くらいだと思う。昔、家族で来たり、友人らと来たりした。予約すれば中に入って見学させてもらえるらしいが、 入ったことはない。男子修道院なので、男しか入れない。函館空港の近く、市内の上湯川にあるトラピスチヌ修道院は女子修道院。
■そもそもトラピストってなんなんだと思ったので、この際調べてみた。 正式名称は「厳律シトー修道会」で、ローマ・カトリック教会に属する数ある修道会の一つなんだそうだ。 その歴史は、1098年フランス、ブルゴーニュ地方シトーの地に創立された修道院にまでさかのぼるらしい。 まあ、なんだかわからないが古くからあるみたいで、名前からするときっと厳しいのだろう。 日本には、厳律シトー修道会に属する男子修道院がこの渡島当別のと大分の別府の近くの二つ、女子修道院が函館と那須、兵庫の西宮、 九州の伊万里と大分の宇佐郡、全部で五つある。
■門の前に立って後ろを振り返ると、海までまっすぐに伸びる並木道がずっと続いていて、いい景色だ。湿気のない時季だと、並木道の向こうにきれいに青い海が見えるのだけど、 夏だと空気がもやっとしてるので、海はかすんで見えない。並木道の両側には牧草地が広がっている。並木は杉が多いが、楡の木やポプラ、白樺もあった。 修道院をここに設立したばかりのとき、このあたりは石ころだらけの荒涼とした原野だったそうだ。 渡来した数名の修道士達が苦労しながら原野を開拓し、道南に酪農と乳製品をもたらしたそうである。1996年に、開院100周年を迎えたそうだ。 小さな土産物の売店があったので立ち寄ってみた。バター飴を購入。クッキーやバター類にしてもそうだが、トラピスト修道院関連の土産物は、 あまり利益をのせないのか、全体的に安い。写真の絵葉書なども、ふつうの相場と比べると半額以下だと思う。並木道を歩いて駅方面へ戻った。 途中、集落の家の前に猫がいてこちらをじっと見ていた。函館行きの列車に乗車。こんどは座れたが、けっこうたくさん乗っていて、 途中の上磯や久根別あたりからもたくさん乗ってきた。旅行者というよりは地元の中高生くらいの子供らが多い。函館市内でなにか祭りとかイベントでもあるのだろうか。 五稜郭駅で下車し、実家へ。

入場ゲート
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2009 IN EZO。入場ゲート。一日目は、夜になってから会場入り。

レッドスターの近く
藁ロールの上ではしゃぐ女。REDSTAR FIELDでハナレグミのライブのとき、ゲストでスチャダラパーのボーズが出てきたところ。

ムーンサーカス
moon circusでcapsule待ち中。

■昼食、少しゆっくりしてから再び駅へ。函館駅から特急スーパー北斗に乗車。そろそろ帰省の者らが札幌へ向かうUターンが始まる頃かと思って混雑を予想していたが、 そうでもなかった。札幌までは約三時間。大沼を過ぎると噴火湾。洞爺や東室蘭、南千歳あたりでの下車がそこそこいた。苫小牧からは乗ってくる者も多い。 沼ノ端〜南千歳間で寝台特急のカシオペアとすれ違い、新札幌出てすぐのあたりで今度は北斗星とすれ違った。それからまもなく札幌駅到着。夕方になっていた。 駅から歩いてすぐのホテルにチェックインして少し休み、荷物を整理してから地下鉄の南北線の駅へ。終点の麻生まで乗車。アウトドアっぽいした格好の者がけっこういる。 シャトルバス乗り場へ。夜になってから会場へ向かう者もわりといるようだ。平日だから、仕事終わってからという人もいるのかもしれぬ。 35分くらいかかって石狩湾新港のRISING SUN ROCK FESTIVAL 2009 IN EZOの会場に到着。既に夜になっていた。
■とくに急いでステージに行くほど見たいライブもない時間帯だったので、 会場受取を事前に申し込んでおいたグッズを取りに行った。今年は、かまわぬ製の手ぬぐいだけ。なかなかいいデザインで気に入った。会場内をぶらぶら。 公式Tシャツを見たり、バッジのガチャガチャのところでは既に大勢の交換会が始まってるのを遠目で見たりした。 CRYSTAL PALACEでは中村達也などが参加するセッション系のバンドのライブやってたみたいで、小さいステージなので入場規制がかかり、 中に入れずあぶれた者らが周りで漏れてくる音を聞いてた。やけに金のかかったマイルドセブンのブースやカラオケのJOYSOUNDのブース、 あと祭太郎を見たりしながらREDSTAR FIELDまで歩いた。ちょうどbonobosのライブやっててちょっと見てた。 ひさしぶりに見た。何年かぶりに聞いて、ボーカルの蔡忠浩の歌唱力がすごいことになってた。すばらしい。他のバンドのメンバーのレベルがついてきてない感じ。 あのボーカルがもったいない気がした。曲の合間、この時間、他に何やってるんだっけと思ってタイムテーブルを見たら吉川晃司のライブがSUN STAGEであるというんで、 こういう機会でもないとみることもないだろうと思い、行ってみた。 そしたらいきなり「ビーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベービーマイベイベー」って聞こえてきてびびって、 しかも会場内の人たちがみんなうわーとか言いながらステージに向かって走っていった。そのときの様子をおもしろく書いてるひとがいたので、 そのまま転載してみる。

これなかった人のため雰囲気実況

15分前スタンディングゾーン近辺半分埋まり程度(みんなまだ様子見)
暗転 前方ファンの 「コウジー」コール程度
と、いきなり「ビーマイベイベー ビーマイベイベー ビーマイベイベー」
会場全土が凍りつく(笑)
更に「ピーヨピーヨピーヨピーヨ」音重なる。こりゃ大変な事になったと 各方面からスタンディングにダッシュ開始する人多数。
ギター「グワッ グワァァー」うひゃ本物だ本物だ(笑)空気に。
ご本人登場「♪ヴぁいしつぇ いるのうさ くるうぉすぃーほづぉ」
会場「ぐうおおおおおおおおおおおおおおおおお」
要するに、「キタキタキタキタキターーーー」だけで数スレ消費みたいな雰囲気

ほんとうにこんな感じだった。ベテランが何の遠慮もなくヒット曲という飛び道具を使った時の破壊力はすごい。 で、次が「モニカ」。出し惜しみしないのがすごい。知ってる曲の合間に新曲も入れて、最後が再びCOMPLEXのときの曲「恋をとめないで」。 これもよかった。また見たいか、と言われるとなんとも言えないが、予想外にいいライブだった。バックバンドのメンバーも豪華だった。
■やれやれとまたREDSTAR FIELDへ。ハナレグミのライブ。序盤は「あいのわ」「家族の風景」などよく知った曲。 SUN STAGEでエレファントカシマシのライブが始まって、ちょっとその音がでかくてこっちまでかなり聞こえてて、 ちくしょー!とか言ってておかしかった。彼はいつも機嫌がよくて楽しい。 途中、スチャダラパーのBOSEが登場して「今夜はブギー・パック」。これはすごかった。座って聞いてた者らもみんな立ち上がって喜んでた。 曲が終わるころ友人と合流。ライブの後半はほとんど立ち話しながら聞いてた。 しばらく時間があるのでなにか食べることになり、豚丼にした。うまかった。今年は夜になっても気温がそれほど下がらず、風もないのですごしやすい。 友人らの建てたテントへおじゃました。友人と、友人の奥さんと、奥さんのお姉さんは、去年は会場でお会いして挨拶したのだけど、 今年は世界一周旅行中で来れなくて、そのときはちょうどアフリカのモロッコにいるということで、そのお姉さんのだんなさんと、そのだんなさんの友人と、 その友人の奥さんが来てた。アルコール類をごちそうになる。
■周りを見回してみると、テントがずらっとあっちからずっとむこうまでいっぱい建ってる。今年は集客に不安な点がいくつかあって、 ひょっとしたらお客さんすごい減ってるんじゃないかと思ってた。会場歩けばぞろぞろ人歩いてるし、テントはこの状況だし、 なんだ、ちゃんとこのフェスティバル自体にしっかりお客さんついてたんだな、と、ちょっとほっとした。 またREDSTAR FIELDへ。LITTLE TEMPOのライブ。いちばん新しいアルバムの曲を多めにやるのかと思ってたらそうでもなかった。 数年ぶりに彼らのライブを見たわけだが、たいへんなことになっていた。 バンドの成熟度とか演奏のレベルの高さとか、そういうのはもちろんなんだけど、メンバー全員、 特にフロントマンである土生氏、田村氏のサービス精神旺盛なパフォーマンス、なによりもアッパーな曲の攻撃的なライブアレンジが見事で、 バンドの進化とはこういうことかと、まざまざと見せつけるすばらしいアクト。今後語り継がれていいレベル。 会場からのシャトルバスが終わったあとの時間のライブだったので、見れなかった人もけっこういたと思う。もったいない。
■moon circusへ。capsuleである。まだ時間が早かったみたいで、前のDAISHI DANCEという人だった。DJだと思う。なんかよくわからないが、 ステージ上には和太鼓の人達がいて、どんどこどんどこやってた。よくわからなかった。そしてcapsuleの二人が現れると盛り上がった。二人とも雰囲気を持ってる。 盛り上がるのはいいのだけど、どういうわけかみなステージ前にわっと押し寄せた。そういう感じじゃないと思ってたのでちょっとびっくりした。 more more moreから始まってFLASH BACK、Starry Sky、JUMPER、グライダー、jerry、Sugarless GiRLと、曲順あいまいだが、だいたいこんな具合だった。 間の数曲は忘れた。いい選曲だと思う。capsuleの曲は好きだし、かっこいい。いや、やってることははっきり言ってださいんだ。でもそれを貫いてるのがかっこいい。 そして中田ヤスタカの才能はすごいよ。なんというか、前にレイハラカミのときも思ったんだけど、カラオケっていうか、CDかけてるみたいな印象。 ライブっていう言葉を使っていいのか迷う。後ろのほうでのんびり聞いてた。前のほうは人がぐっと詰まってたが、後ろはみな好きなように踊ったり跳ねたり横になったりでいい感じだった。
■REDSTAR FIELDを通りかかると、OKI DUB AINU BAND。終了時刻をさらっと無視してやってた。言葉で説明するのがむつかしいライブ。 リズム隊の音がぶっとい。こういうバンドの出演が、このフェスの懐の深さというか、幅の広さにつながっているのだと思う。
一日目はこれで終了。友人の車で送ってもらうことに。いつもはだいたいシャトルバスしか使わないので、駐車場がどこにあるのか知らなかった。 会場からかなり歩いた。車を探すのに多少手間どった。道路はがらがらに空いていた。時間は既に朝の4時近くになってて、一日目から サンがライジングしそうな時間になってしまったが、いいライブが見れて満足の一日目だった。ホテルについてすぐ寝た。
No.1427 2009-8-13
摩周丸
青函連絡船摩周丸。

プレイリーハウス
函館元町のプレイリーハウス。

旧イギリス領事館
旧イギリス領事館。

元町公園の近くにいた猫
元町公園の近くにいた猫。

■朝から雨。外を歩きたくないので、雨に降られない場所へ行くことにした。函館駅から歩いてすぐのところにある摩周丸を見に行くことにした。 青函連絡船として実際に就航していた船体が保存されて、船の中に入ることもできる。でも入場料大人一人500円もする。ちょっと高いような気もする。 でも操舵室の機械類をいじくりまわせるし、無線室では気のいい係りのおじさんにモールス信号を教えてもらえる。SOSの打ち方を教えてもらった。 船員の技術として必要とされたひもの結び方の解説はすごい。こんな結び方があるのかっていうくらいたくさんあるし形もいろいろある。 歴代の青函連絡船の模型もずらりと並んでるし、国際信号旗の解説パネルもある。復元された普通座席(カーペット席)やグリーン座席(シートの指定席)もあって、 実際に座れる。「飾り毛布」の展示がすごい。ウィキペディアの説明をそのまま転載する。「青函連絡船をはじめとする客船の寝室において提供されていたサービスのひとつである。 備え付けの毛布を独自の技法で折ることにより、松竹梅や桜、初日の出などのさまざまな風物詩や自然等を表現したものである。」と書いてある。 実際に寝台が置かれてて、自分が行ったときは「初日の出」だった。このサイトに詳しく写真も出てる。 この摩周丸は、経済産業省が認定する「近代化産業遺産」というのに選ばれてるらしく、その旨のプレートが、入ってすぐのところについてた。 そういえば3日前に見た、青森のむつ市の旧大湊ホテルも、近代化産業遺産に選ばれている。そんなに期待せずに行ったせいか、案外おもしろかった。
■函館駅前のボーニアネックスの無印良品で少し買い物。ワコーにも入ってみたが、いよいよだめになっていた。駅のまん前なのに、あんな寂れた商業施設はやばい。 もう少し行政もなにか関わってどうにかしたほうがいいと思う。アーケードの商店街を歩いてると「社長命令 赤字で売れ」と張り紙してる店があった。 松風町の交差点の玉光堂がすっかり潰れていた。レコード店である。楽器も売ってた。高校のころ友人と何度か学校帰りに自転車でバンドスコアを買いに来たことがある。 松風町の電停からどっく前行きの市電に乗り、末広町。日和坂から旧イギリス領事館へ。元町界隈でいちばん好きな建物のひとつである。 せっかくなので中へ。大人300円くらい。窓からは函館の港が見える。クラシカルな調度品や、部屋の各部のさりげないディテールが、品のいい雰囲気を作っている。 紅茶を飲みたくなる感じの部屋である。幕末期の開港へ向かってゆく函館の様子の展示などはなかなか充実してるし、工夫があって、おもしろい。 土産物を扱う売店もあるが、イギリスにちなんだゴルフ小物や紅茶関連の食器類、ニット製品など、そこらの土産物店とはちょっとちがった品揃えである。 国旗のピンバッジも売ってるが、イギリスの4つある王国のうち、赤いドラゴンが描かれてるウェールズの国旗がいちばんかっこういいとおもった。
■基坂に出ると、ツツジかなにかの植え込みのそばに猫がいた。弱い雨のなかぽつんと座ってたので近寄ってみると、猫のまわりに蚊が数匹集まってて、 たぶん刺されてたんじゃないか。かわいそうだった。そんな様子を見てたら、元町公園の方向から別の黒い猫がやってきて、遠巻きにこちらの様子を見ていた。 見上げると函館山は低い雲に覆われていた。旧函館区公会堂のすぐ上まで雲がかかっている。雨は朝にくらべるとずいぶん小降りになった。 元町公園内にある函館市写真歴史館に入ってみた。昔、北海道庁函館支庁庁舎として使用されていた建物で、1909年竣工の木造洋風建築である。 公会堂の鮮やかな外観とは対照的に、モスグリーンに近いグレーぽい色をしていて、地味な印象だが、美しい、いい建物だ。 写真歴史館なので、カメラも展示しているのだけど、その数がすごい。年代ごとにずらっと、国内・国外メーカーのあらゆるカメラが整然とガラスケースに展示されている。 これはカメラ好きな者だったら興奮するのではないか。ニコンもキャノンもペンタックスもヤシカもオリンパスもコンタックスも、ハッセルブラッドもある。 35ミリのがほとんどだが、イレギュラーなサイズのものもあるし、一眼もあれば二眼もある。昔の蛇腹式のもあるしピンホールもある。 二階建てで、1階は無料の展示と、ものすごい数のカメラと、観光案内所がある。2階は有料で、大人200円。古い写真や初期の大掛かりなカメラや、函館の変遷がわかる古写真の展示などが、 大きな部屋にずらりと並んでいる。正直言って、無料で見られるものすごいカメラの印象が強烈で、2階の展示のことはあんまり覚えてない。 函館は横浜、長崎と並んで、日本における写真の発祥の地だそうだ。日本最古の写真というのもある。どこかの奉行と従者が並んで写ってた。
■写真歴史館から出ると、まださっきの猫が同じ場所にいた。雨は上がっていた。歩いてて、そういえばこのあたりに、と思い出して見に行ったのが「プレイリー・ハウス」である。 高橋病院の裏手、日和坂の天使寮あたりからちょっと奥まったところに入っていくと、ある。フランク・ロイド・ライトの弟子、田上義也の設計。 昭和3年の建物で「旧佐田邸」とも呼ばれる。これがまたいい建物で、函館のほかの洋風建築物とは一味ちがった意匠だ。 なるほどフランク・ロイド・ライトの弟子だなと思わせる印象的な縦横の構成で、がっしり骨太なデザインのなかに、窓枠や柱、角の処理などに細やかな装飾が施されている。 シンプルすぎず、派手すぎず、こんな家に住みたいと思うような外観。中は見れない。というのも、人が住んでいるんである。うらやましい。 文化庁が認定する登録有形文化財となっている。どんな平面構成になっているのだろう。入ってみたいものである。 坂を下りて市立函館博物館郷土資料館(昔の金森洋品店)の前を通り、ホテルニューハコダテの交差点から西波止場、金森倉庫のあるあたりを歩いた。 ハセガワストアの焼き鳥弁当を数年ぶりに食べた。いちばん小さいサイズにしたが、串が3本入ってて、ごはんもそれなりの量。ひさびさに食べたが、おいしかった。 金森倉庫界隈はなかなかの賑わいで、土産物の店が多いが、なかにはわけのわからない玩具や衣類も売ってて、誰がこんなの買うんだ、と思う。 明治館から函館駅の方向に少し歩いたところに、新しい飲食店が数軒建ち並ぶ一角があって、そこの真ん中の広場に足湯があった。 谷地頭の温泉みたいな、さび色のお湯だった。少し足を入れて休んだ。国際ホテル前を通り、函館駅。一駅乗って五稜郭駅で下り、実家へ。
No.1426 2009-8-12
函館市電
函館市電のハイカラ号。奥に見えるのが函館山。青柳町電停で撮影。

函館公園
函館公園。噴水の向こうにあるのが、こどものくに。

函館市立図書館
函館市立図書館。

■午後、函館駅から歩いてすぐのところ、若松町のアクアガーデンホテルの近くにあるラーメン屋へ。 ずっと食べたかった、函館の昔からある塩ラーメンをようやく食べれた。函館で、店で食べるラーメンといえばこれだったと懐かしく思う味だった。 函館駅前から谷地頭行きの市電に乗車。たまたま、レトロなタイプの電車に乗ることができた。「ハイカラ号」というらしい。 車内に整理券の機械などはなくて、車掌さんが乗務していて、切符を売っていた。かなりの部分が木製で、照明やつり革まで、 古いデザインのものだった。
■十字街の操車塔や宝来町の高田屋嘉兵衛の銅像を見てるうちに青柳町の電停に到着し下車。 宝来町の大森浜通のカーブを抜けると、山に向かって景色がひらけて、函館山が真正面にあって、でかく見える。 昔、家族で住吉の墓地に墓参り行ったとき車でこの道を通って、ぱっと目の前に函館山が現れて、遠くまで来た、と思ったことを覚えている。 話がそれたが、青柳町で降りて、少し坂を上ると函館公園に着く。明治時代、市民の手によってつくられた大きな公園である。 春には桜が咲き、夏には噴水の池で子供が遊ぶ。旧函館博物館一号と二号の建物があって、今は使われていないが、 これらは現存する日本最古の博物館施設だそうだ。 今の時代に博物館と聞いてイメージするような大きな建物ではなく、両方とも小さな木造の建物で、白く塗られているが、 塗装が少し剥がれ落ちていたり、窓枠が錆びてたりして、少々傷みが目立つ。そのそばには現役の市立函館博物館が建っている。 今回は中には入らなかったが、「アイヌの美」という企画展をやってたようだ。公園内には、1927年に建てられた市立函館図書館もある。 現在はその機能を五稜郭にある中央図書館に完全に移したので、建物は使われておらず、閉鎖されている。弥生小学校と同様、 この建物も取り壊しになるような話があったのだけど、いまは、これをどうにか活用できないか、という懇談会などが作られて、 保存・活用について検討されているそうだ。なかなか雰囲気のある建物なので、できることなら残してほしい。 公園の一角には小さな動物園もあるが、なにか工事中のようで、動物たちは一時的にどこかへ移っているらしく、いたのは鹿と孔雀だけだった。
■公園の海側の一角には「こどものくに」という昔ながらの遊園地があって、ひどく時代遅れの乗り物がいまも現役で稼動しているが、 客がぜんぜんいなくてさびしい。小さい観覧車があって、これがどうやら現存する日本最古の観覧車だそうだ。幼いころ、 親に連れられてここに来たときの記憶がかすかによみがえった。たぶんその頃からある乗り物ばかりだと思う。一応、少しだけ客がいて、 ときどき乗り物が稼動している。中学生くらいの男子三人女子三人ずつのグループが来てて、一生懸命おしゃれしてて、 なんだかいじらしくて泣ける。噴水の池でカラスが水浴びしてた。
■市電とJRを乗り継いで実家へ戻る。夕食後、甥っ子たちと家の前で花火。少し雨が落ちてきた。ちいさい子供というのは、 どういうわけか花火が大好きのようで、夢中でやってる。そのうちの一人が「おれの花火だけすぐ終わる」とかわけのわからないことを言って泣いてた。
No.1425 2009-8-11
丘の風景1
丘の風景1

丘の風景2
丘の風景2

丘の風景3
丘の風景3

丘の風景4
丘の風景4

丘の風景5
丘の風景5

■母の乗っているママチャリがいよいよだめになっていたので、すぐ近くにある自転車屋へ。最初、母はホームセンターなどに売ってる安いのを買おうと思ってたらしいが、 近所の自転車屋で買ったほうが、あとあと何かといいと説得した。母と、一人で泊まりに来てた甥っ子と三人で自転車屋へ歩いていった。 自分が小さいときからある店だが、入ったことなかった。そこらにある町の自転車屋だと思って中に入ったら、ピナレロのロードもあるしビアンキの小径車もあるし、 フジのクロスもあるし、ウェアやらグローブやら、本気の自転車乗りに対応できる品揃えだったのでびっくりした。後から知ったが、 函館の自転車乗りはよくこの店を利用するらしい。そんな店でママチャリを一台、母親に購入してあげた。防犯登録と自賠責保険にも加入しておいた。 サービスでチェーンの鍵をくれた。
■せっかくなので、新しい自転車でぶらぶらしてみることにした。亀田港町から昭和町に入り、いつの間にかできていた昭和公園という広くて立派な公園の横を通り、 踏み切りを渡ってホテルオークランドのわきから国道5号線に出て、赤松街道沿いの桔梗小学校の先のパチンコ屋のあるT字路から産業支援センターのある通りを抜けて函館新道に出た。 ぜんぜん知らなかったが、桔梗中学校や稜北高校のあるあたりに、マックスバリューやホーマックなど、大きな商業施設ができてて驚いた。 気づいたら実家を出てから30分以上経っていた。晴れてやけに暑い日だったので、汗をかいた。山の方向に行くと上り坂になり、ママチャリでよいしょよいしょと登る。 普段自分が乗ってる自転車の性能の良さを痛感した。坂道を上がってゆくと、美しい丘が広がり、函館の市街地が一望できる。以前、友人らと車でこのあたりに夜景を見に来たことがある。 普通、函館の夜景というと、函館山の山頂から見ることになっているが、市街地をはさんで反対側の石川町や赤川、亀田中野町あたりから見る通称「裏夜景」も、なかなか美しいんである。 昼間このへんを訪れるのは初めてだったが、なかなかいい景色だ。なだらかな丘やきれいに手入れされている畑、ぽつんと立っている木など、 美瑛を思わせるような景色である。カラスの群れが飛んでて少しこわいが、いつまでも眺めていたい気持ちになった。
■汗をかきながら実家まで戻る。シャワーをしてから母と、家のすぐそばにある大きな病院へ。母が手術を受けることになったので、その説明を聞きに家族の者が来るように言われてたらしく、 たまたま帰省してた自分が行くことになった。脳の血管に動脈瘤というのができてるそうで、それをどうにかする手術を9月に入ってすぐ、やるらしい。 夕方、甥っ子兄弟たちが遊びにきたので、家の横の空き地でサッカーをして、また汗をかいた。
No.1424 2009-8-10
旧大湊ホテル
旧大湊ホテル。青森県むつ市。

大間崎
本州最北端、大間崎。

函館山の裏側
船上から、函館山の裏側を見る。

■早朝チェックアウトし、山田線の始発列車に乗車。宮古から数人の乗客を乗せて出発。前夜からの弱い雨がまだ降り続いている。 雨のせいで湿度が高い。山間や川面に霧が立ちこめるさまは水墨画のようで、なかなかいいものである。 旅行中の雨は嬉しくないが、こんな景色が見れるなら少しくらいはいいかという気になった。山田線は雨の日に乗るべし。 窓ガラスに雨粒がたくさんついてたから、車窓はあまり撮影しなかった。茂市までは前日に通ったので、茂市から先が初めて乗車する区間となる。 相変わらず沿線はひと気のまばらな土地が続く。ときどき民家があって、屋根こそ萱葺きではなくてトタンだが、南部の曲り家が時々見える。 岩手らしい風景。そういえば前日から気になっていたが、駅名が「○○石」というのがこのあたりいくつかあって、 山田線の「釜石」「両石」「津軽石」「箱石」、岩泉線の「二升石」など。東北地方では「○○森」というとだいたい「○○山」ということになっているので、 「○○石」というのもなにか地形の特徴を表しているのかもしれぬ。川内駅で列車すれ違い待ちのため数分停車。区界駅を過ぎると盛岡市内には入るが、まだまだ景色は山深い。 盛岡市は広くて、山田線はこれからまだあと40分くらい盛岡市内を走り続けることになる。区界駅のホームに名所案内の看板が立っていて、 「ハイキング適地 当駅附近一帯」と書かれてた。区界の峠を越えて下りに入ったのか、スピードが上がる。 大志田駅を過ぎたあたりで川を見ると、いままで水の流れが太平洋に向かってたが、いつのまにか逆方向に流れている。分水嶺も越えたようである。  そういえば岩手県内で、あじさいが咲いてるのをたびたび見る。普通6月頃に咲くのではないかと思うが、気候の違いで咲く時期が遅いのか、 それとも関東あたりのと種類がちがうのか。車内の乗客の会話を聞いてると、だんだん東北なまりが強くなってきた。  上米内駅からちょこちょこ乗車してくるが、あと十数分で盛岡に着くとは思えない、自然豊かな景色。山岸駅あたりでようやく町中に入った感じ。 通勤・通学客が数人乗ってくる。考えてみれば平日だった。上盛岡までくると、マンションなど大きな建物が目立つようになり、次が終点の盛岡。 これで山田線は完乗。
■盛岡駅にはこの数年の間、何度か来ているような気がする。朝ごはん用に弁当をひとつ買い新幹線はやての自由席へ。 このはやては東京から来るやつではないので空いてるんじゃないかと思ったら、案外乗ってる。ビジネス客が多い。 スーツ姿の者達が、いわて沼宮内や二戸みたいな地味な駅でもそこそこ降りていく。企業の営業所や工場などがあるのかもしれぬ。 今回買ったのは「岩手のおべんとう」というわかりやすい名前の駅弁である。説明書きを読むと、名前のとおり、 ほとんどのおかずに岩手県内の食材を使っているということである。ごはんも、岩手県産の「ひとめぼれ」という米らしい。 これがうまい。いままで食べた駅弁の中でも、ベスト3に入るかもしれない。漬け物、梅干にいたるまで手抜きなし。 にんじんの煮物のやわらかさと味加減が駅弁のおいしさのバロメータのひとつだと思うが、そこも満点だった。 とくに「南部鼻曲鮭のトバ味噌和え」がおいしかった。
■盛岡から一時間弱で終点の八戸に到着。在来線に乗り換え。特急スーパー白鳥に乗車。これに乗れば寝てても函館まで行けるのだけど、 30分ほどで着く野辺地で下車。「野辺地」という名前は、辺境の地という感じがして、なんともいえない旅情がある。 特急停車駅にしては、がらんとした駅前の様子である。タクシーの運転手はひまそうにしている。ひと気は少しあるが、どことなくさびしい雰囲気。 駅のすぐとなりに観光物産PRセンターという建物があったので入ってみた。お土産も売ってるが、人は他にだれもいなくて、 カウンターのおばさんがひまそうにしてた。 野辺地から、下北半島の西の端をまっすぐ北上する大湊線に乗車する。この路線も今回初めて乗車する路線で、野辺地から終点の大湊までの58.4km。 乗るのは青森始発の快速しもきたという列車で、大湊線内の11ある駅のうち、停車するのは野辺地と陸奥横浜、下北、終点の大湊だけである。 ホームで待ってる間、後ろに並んでた、いかにもその道の趣味の者と思われる男が、ホームに入ってきた列車を見て 「旧型のディーゼル車だ!これはラッキー」とかほざいててうざい。青森から来た列車なので既に大勢乗ってた。どうにか座れるところを見つけた。 外の景色を見ていると、荒涼とした土地で、沿線には笹や松の木が多く、広い畑もあって、北海道の日高本線あたりの景色によく似ている。 野辺地を出てから20分ほどノンストップで走る。陸奥横浜駅で停車。線路のカーブも少なく、停車駅も少ないので、スピードが出て、特急列車みたいな走りだ。 ときどき、風力発電の大きな風車が見える。終点のひとつ前の下北駅でほとんどの乗客が下車。野辺地から50分ほどの乗車で終点大湊に到着。 ホームから陸奥湾が見える。「てっぺんの終着駅」とか「ようこそ いらっしゃいませ! 本州最北の観光地 下北半島へ」とか書いてある。 これで大湊線も完乗。この二日間で、東北地方の未乗路線約340kmに乗車したので、JR全線のうち、乗車済みは93.162%となった。
■大湊駅から一駅歩いてとなりの下北駅の方向を目指した。国道338号線をひたすら東へ。2kmほど歩くと、大型の商業施設が集まる交差点があり、 その交差点の北側に旧大湊ホテルという建物がある。白い漆喰の壁に赤い瓦屋根、左右対称のファサードに縦長の窓が規則的に並んでいる二階建ての建物で、 かわいらしい外観をしている。青森県内唯一の近代産業遺産だそうで、1920年に建てられ、1985年まで営業していたそうだ。 で、そんな貴重な建物なのだが、じっくり見れないのだ。高い塀で囲われている。一般公開していないのだった。 こんないいものが残ってるのだから、お金とってもいいから公開すればいいのにと思うが、いろいろ事情もあるのだろう。 塀の外をうろうろしながらぐるっと見て回ってから、下北駅へ。町外れではあるが、むつ市の中心部への最寄り駅のようで、駅前にはビジネスホテルもあるし、 駅舎自体も小さいがきれいな建物である。タクシーでむつバスターミナルへ。途中、田名部高校の前などを通る。 徐々に雑居ビルや銀行、ホテルが建ち並ぶ町中に入ってゆく。住所が本町となっているので、このあたりがむつ市の中心部と思われる。 バスターミナルは、昔なつかしい感じの建物で、地元商店の古めかしい広告が貼ってあったり、瓶の牛乳が売ってるような売店があったりする。 ターミナルといっても、ちょっとした空き地みたいなスペースにバス乗り場があるだけで、こぢんまりしている。 佐井線の佐井車庫行きの路線バスに乗車。古いバスだからか、座席の前後の間隔がせまく、足元が窮屈だった。 乗客はほとんど老人で、地元のネイティブな言葉なので、いよいよ何を言ってるかわからない。
■バスは国道279号線を北上。むつ市街を抜けるといきなり人家も途絶え、さびしい景色が続く。途中、町らしい町は大畑のあたりくらいで、 あとはちょっとした集落ごとにバス停があるような感じ。かなり小さな小学校が、このあたりの人口の少なさを物語っているように思った。 大畑の町で降りる者が多かったが、長い距離乗り続ける者も少なくない。大畑を過ぎると険しい峠道に入ってゆき、かなり高いところまでバスは上がってゆく。 右手には海。峠を下り切ると広いむつ市が終わり、風間浦村に入る。村の名前から、津軽海峡からの風が吹きつける小さな漁港のある村、 と想像したらだいたいそんな感じだった。下風呂という集落に入ると、外から硫黄の匂いがしてくる。その名の通り、温泉があるようで、旅館もある。 風間浦村の役場のあるあたりがちょっとした集落になっているが、バス停が「易国間(いこくま)」という妙な名前だった。 易国間小学校もあるし、易国間郵便局もあるので、このあたりの地名のようである。もう少し先に行くと「蛇浦」というバス停で、 確かに蛇のようにぐねぐねした海岸線があった。驚いたのは、下風呂保育所の手前あたりに「函館病院案内」という大きな案内看板が立っていたことで、 このあたりの人が大きな病院に行くのならば、遠い青森市内の病院へ行くよりも、海を隔てた函館の病院へ行くほうが近くて便利ということなのだろうか。 地図で測ってみると、青森市街地までだと、直線距離で約76km、函館までだと約40kmである。一日二便か三便しかない大間からのフェリーで函館に渡るのだろうか。 それと、函館牛乳の販売トラックも見かけた。本州でありながら、函館との結びつきが強い土地のようである。
■海沿いの道は、ずっと霧が出ていたが、風間浦村から大間町に入るあたりで霧が晴れて、青空が広がった。大間町は、本州の最北端に位置する町で、 緯度でいうと北海道の南端の松前町よりも北にある。いよいよ最果ての土地という感じが強まり、土地も、北の端に向かってせばまってゆく感じがする。 果ての土地の先に新しい大地があって、それの繰り返しで世界ができているのだなあとか考えていた。むつバスターミナルからおよそ一時間半かかって、 大間崎のバス停に到着。運賃はなんと1820円。路線バスでこの運賃は驚きだったし、運賃箱に千円札を入れるのも初めての経験だった。 大間崎の一帯はちょっとした公園として整備されていて、「本州最北端の地」という立派な石碑も建っている。碑の前には、ひっきりなしに記念撮影する者がやってくる。 数百メートル北の沖には弁天島という、灯台のある島が見える。 そのはるか向こうには、北海道が見えるはずなのだけど、晴れて天気がいいのにその影は見えなかった。海の水がものすごくきれいなのが印象的だった。 バイクでのツーリングで来て立ち寄っている者がとても多い。土産物の店が建ち並び、イカとか海産物を焼いて売っているので、とてもうまそうなにおいが漂っていた。 けっこうな観光地である。どこもそうだが、端や岬は観光地になりやすいようだ。公園の一角に観光案内所があって、 そこで「本州最北端大間崎到着証明書」というのが手に入るのだった。一枚100円だったか200円だったかするが、記念と思って発行してもらった。 小さな証明書に日付印を押してくれる。ウミネコがたくさん上空を舞っていた。犬を連れてきている者が多く、そのうちの一匹は、海で泳いでいた。 飼い主の男性が、ボールを海に放り投げると、犬がそれを泳いでとりに行くのだった。犬えらいなあと思って見てたら、それを何度もやるので、 ちょっとかわいそうに思ったが、犬も楽しそうにしてるので、心配することでもなかったのかもしれぬ。大間はマグロ漁でも有名らしく、 マグロ一本釣り漁のモニュメントや説明書きがあった。クロマグロが獲れるそうだ。台湾の東方の海域で生まれて、 アメリカ西海岸のカリフォルニアまで回遊するやつもいるらしくてすごい。
■本州の最北端は、天気のせいもあるかもしれないが、意外と明るい雰囲気だった。ここから少し南の、フェリー乗り場のある大間港まで移動。 大間のフェリーターミナルの建物は平屋建ての小さなもので、どこか田舎の駅みたいだった。 青森港からのフェリーは一日何本も出ているが、陸奥湾の一番奥からの出航になるので、函館までは4時間ほどかかる。 大間から函館へのフェリーは、繁忙期は一日3便、普段は一日2便しかないが、距離が短いので、所要時間は約2時間だ。 今回、大間からのフェリーで函館まで行こうと思ったのは、未乗路線である大湊線に乗るという事情もあったのだけど、 かつて先人が、北海道に渡るときに通ったであろうルートで函館に渡ってみようとおもったんである。おそらく古代、北海道に渡った人は、 いちばん北海道に近い大間から船を出したと思う。
■フェリーターミナルで乗船手続きを済ませ、時間がかなりあったので、港をぶらぶらして漁船を見たり、 待合室で西日本の豪雨の被害のニュースを見たりしていた。フェリーに乗るのは確か2007年11月の今治〜神戸間のに乗った以来である。 乗船時間となり、自動車、バイク乗りが次々と車両甲板へ乗り込んでゆく。自転車乗りも少しいた。いいなあと思う。 徒歩での乗船はいちばん最後。2等船室利用、インターネットでの予約で大間〜函館は大人片道1980円。 夏休みや帰省の時期なので、船内はなかなかの賑わい。カーペット敷きなのでしばらく横になっていたが、デッキに出てみることにした。 ウミネコにじゃがりこを投げて与えてる者がいて、ウミネコはうまくキャッチしていた。津軽海峡は濃くて深い青だった。 デッキに長い時間いると海風が冷たいので、長袖を着た。ずっと遠くに、雲のかかった函館山がうっすら見えてきた。 ちょっとずつちょっとずつ、函館山の影が近づいてくる。かなり近づいて、函館の町並みがぼんやり見えてくる。 五稜郭タワーがひときわ目立っている。東に見える大きな建物群は、湯の川の温泉街のホテルだろう。 自分の生まれた町に船で渡るというのは、なんだか特別な感情が湧いてくる。以前、青森からのフェリーに乗ったことはあったが、 そのときは深夜で、外の様子はぜんぜん見えなかったので、なんとも思わなかった。普段見ることのない、函館山の裏側は、迫力のある断崖絶壁で、 植物の生えてない部分がずいぶんある。住吉漁港側から徐々に函館港へ入ってゆくと大小いくつもの船が行き交っている。 漁船もけっこう出ていて、なぜかその漁船に向かってフェリーに乗ってる子供たちが「がんばってー」と叫んでいた。 函館どっくのゴライアスクレーンがすっかり無くなっていて、あるはずのものがないというのは、妙な感じがした。 ほぼ定刻どおりに函館のフェリーターミナルに到着。しばらく見ないうちに、ターミナルの建物が立派になっていた。 空港みたいなきれいな建物になっててびっくりした。歩いてでも実家まで行けるが、たまたま路線バスがあったので、それに乗った。 数分で到着。実家には小学生の甥が一人遊びに来ていた。
No.1423 2009-8-09
浄土ヶ浜
浄土ヶ浜。岩手県宮古市。

岩泉駅
岩泉線の終着駅、岩泉駅。

茂市駅
山田線と岩泉線の接続駅、茂市駅。

■東京から新幹線に乗るために早朝起床。目覚ましが鳴ったのか鳴らなかったのかよくわからないが、寝坊。ばたばたあせって津田沼駅へ。 余裕で間に合ったが、飛び起きて急いだから、なんだかきもちがわるい。快速で東京駅、東北新幹線に乗り換え。盆休みが分散したのか、 東京駅は思ったより人が少ない。やまびこに乗車。とても空いている。こんな空いてる新幹線に乗ることは滅多にない。 やまびこは、はやてやこまちより停車駅が多くて、こまめに停まって人をちょっとずつ乗せる。東海道新幹線でいうところのこだまみたいな感じ。 朝早い新幹線は、前の座席の背のポケットに入ってる車内誌が整然としてる。 新幹線の車窓はあんまりおもしろくないが、田んぼのなかにぽつぽつ住宅があり、その向こうに靄のかかる低い山が連なって、なかなか幽邃な景色。 宇都宮を過ぎたあたりから、川の水量多い。雨が多く降ったのだろうか。両岸に河岸段丘を従える大きな川から水路みたいな小さな川まで、 にごった水がたっぷり流れている。仙台駅のすぐ近くに「花京院マンション」というのが見えた。ジョジョ好きのオーナーか、とか思ったが、 調べてみるとそのあたりの地名だった。水沢江刺あたりで霧がはれてくっきりした景色に。約三時間で新花巻に到着。
■新花巻から釜石線の未乗区間である新花巻〜釜石間に乗車。一度駅の改札を出て、駅舎の外へ行き、地下にもぐる階段で道をくぐって、 在来線のホームまで行く。妙な構造の駅である。釜石線は、東北本線の花巻から東へ向かい、太平洋側の釜石までのおよそ90kmの線。 以前、花巻〜新花巻の区間は乗車した。快速はまゆりという列車に乗る。三両編成で、先頭の一両は指定席になっている。 長い時間の乗車になるので、いちおう指定席券をとっておいた。思いのほか利用者は多い。指定席券を持ってなかった外人の夫婦かカップルが、 車掌から説明を受けていた。この座席はリザーブだ、シテイセキだ、と一生懸命説明していた。外人はよくわかってなくて、 しばらく座っていたが、なんとか車掌が別の車両に移動させた。あの外人、ほんとうはわかってんのにわからないふりしてたんじゃないか。 列車は東へ向かい、徐々に山中へ。線路は川に沿って敷かれている。宮守駅のホームには「よ〜ぐおでんたなす 清流とわさびの里 宮守さ」 と書かれた横断幕みたいなのが貼ってあったが、降りる者はいなかった。柏木平という駅を過ぎて、河原に黒い牛が3頭ほど見えた。 後ろの席に旅行中と思われる女二人組がいたが、ずっと仕事の話をしていた。せっかくの旅行なんだから仕事のことなんか忘れればいいのにと思う。 遠野駅で乗客のほとんどが降りた。なかなかの観光地になってるようである。「民話の里」とか、たしかそんな土地だったように思う。 上りホームにも人がたくさんいた。家族連れが多い。沿線は、トウモロコシ畑や牛、針葉樹が多いことなど、どことなく北海道を思わせる景色。 陸中大橋駅の手前で、トンネルでもないのに窓が曇って真っ白になった。仙人峠のΩループに入ると、これから走る線路が木々の間から眼下右手に見えた。 Ωループは、難所を越えるためにぐるっと遠回りにレールを敷いてる形がギリシャ文字の「Ω」みたいになってるからそんなふうに言うみたいである。 そのΩのスケールが思ったより大きかった。徐々に町に入ってゆき、小佐野駅で残りの乗客の多くが下車。次が終点の釜石で、これで釜石線は完乗。
■釜石から山田線の列車に乗り継ぐ。山田線は太平洋側の釜石から三陸海岸を北上したあと、宮古から西に曲がって内陸へ入り、 閉伊川に沿って山中を行き、区界の峠を越えて盛岡まで至る157.5kmのなかなか長い路線である。宮古を過ぎると、大きな町もなく、沿線は人口密度が低い。 二両編成の列車には思いのほか利用者がいる。鉄道好き親子や帰省らしき家族。一駅止まるごとに「着いた?次で降りる?」と親に聞く子供。 釜石駅を発車するといきなり上り勾配。リアス式海岸の入江ごとに漁港と町があり、町外れの高台に駅がある。線路はそれほど海に近くないが、 時々遠くに海が見える。岩手船越駅のホームには「本州最東端の駅」という看板が立っている。途中駅での乗降は少ないが、陸中山田駅でそこそこ下車。昼過ぎに宮古に到着し、下車。小さいながらも、 しっかりとした「駅前」がある町並み。ちょっと離れたところに三陸鉄道の駅があり、高校生らが列車を待っていた。 JRの宮古駅は「東北の駅百選」というのに選ばれてるらしく、そういうプレートが入口のわきについていた。昼ごはんは駅のそば屋で冷たいそば。
■この日の夜泊まるホテルは駅からすぐのところにあるので、チェックイン前だけど荷物を預かってもらい、駅前のバス停へ。 次に乗る予定の列車までかなり時間があるので、バスに乗って浄土が浜まで行くことにした。普通の路線バスだが、乗客がけっこういる。 乗客は年寄りばかりでなく、年齢層は幅広い。バスは駅から離れて海の方向へ向かう。おそらく宮古の町は、駅周辺よりも先に、 漁港のある海側から栄えていったのだろう。せまい道に沿って昔ながらの町並みが残っている。タイムスリップしたような景色。 途中「角力浜(すもうはま)」という名前のバス停があった。20分ほどで終点の「奥浄土が浜」に到着。210円。 浄土が浜は、中学生のときの修学旅行で一度来たことがあるのだった。でも、そのときのことはほとんどなにも覚えてない。 海だったな、という記憶くらいで、あとは、そのころジャンプの「ろくでなしブルース」かなんかに影響されて、 意味も知らないで中指立てるポーズ覚えて、写真撮られるときそればっかりやってたような記憶があって、いま思い出してもはつかしい。 で、今回あらためてゆっくり見て歩いて印象に残ったのは、海の水がものすごくきれいで、なにより、ゴミがまったくない。これはすごい。 浜辺の石が、丸くなくて、長方形だった。で、夏なので、浜辺は海水浴の客でにぎわっていた。景色の写真を撮りたいのに、 カメラを持って歩いてたらへんな目で見られるんじゃないかと少し不安になった。白いごつごつした岩が海にせり出し、 沖では奇妙な形をした岩山が屹立する様は、先人が浄土の景色と思うに十分な美しさだと思った。宮城の松島なんかよりきれいなんじゃないかと個人的には思う。 ウミネコがたくさん飛んでて、鳴いていた。
■バスで宮古まで戻る。山田線の列車に乗車。途中の茂市から岩泉線に入る岩泉行きの列車である。
岩泉線。
高校球児が甲子園を目指すように、自転車乗りが「しまなみ海道」を目指すように、鉄道オタクは岩泉線を目指す。 山田線自体がそうとう、沿線人口の少ない地域を走る、本数の少ない、ローカル度の高い路線なのに、その路線の途中からさらに僻地へ向かって伸びてゆく路線が岩泉線で、 岩泉線の茂市〜岩泉間の距離は38.4kmである。一日三往復と、区間往復の列車が一本走るだけの路線で、輸送密度が全国のJR線で最も小さいそうだ。 この路線に乗ってしまうと、当日中に東京まで帰れないし、朝の列車に乗るためには茂市や宮古で一泊しなければならず、 乗るだけでもなかなか苦労する。いつかは乗ってやるぞ、なんとか廃止になる前には、と思っていたが、ようやく乗ることができた。 で、実際乗ってみると、景色も格別なものではなく、べつにどうということはない。よくこんな路線が残ってるなと思うようなひと気のなさが強く印象に残ったが。 かつて北海道内たくさんあった大赤字線がこんなかんじだったのかなと思った。乗客はそれなりに乗っていたが、その手の趣味のひとばっかりで、 移動の手段として使ってる者なんてほぼいないのだろうな、みんな終点まで乗るんだろうな、とか思ってたら、途中で降りていった家族連れやジャージの高校生がいた。 岩手刈屋駅で下車する者がそこそこいた。
■で、茂市駅から、ツアーの老人集団が乗ってきたのだ。「究極のローカル線に乗ろう」みたいな企画だと思われる。添乗員がついてて、 茂市までバスに乗ってきて、終点の岩泉駅で降りて、待ってたバスに乗って去っていった。あれは邪道だと思う。ここまで苦労して鉄道を乗り継いでくるから、 その僻地具合を味わえるというのに、車で来たら醍醐味も半減である。まあ、遊びなんだから人それぞれだが。 で、老人が集まるとうるさくて腹が立つ。へんなにおいするし。タンスに入れてた服のにおいとか。 給料から天引きされてる安くは無い年金がこいつらの遊ぶ金とブクブク肥えた腹の肉になってんのかと思うとほんとうにやりきれない。 私は老害ということばを思い出していた。
■終着駅の岩泉で下車。山の中の町にある駅という風情である。駅に貼ってある時刻表を見るとと、ほんとうに一日三本しかない。 そのわりにはおおきく立派な駅舎で、広々とした待合室もある。車ですぐのところに龍泉洞という観光地があるのだけど、岩泉線で訪れる者はほぼ皆無だと思われる。 盛岡や三陸海岸沿いの小本あたりからのバスで来るのが楽だし早い。それでも駅のホームには「ようこそ岩泉へ」というような観光客へ向けた看板も出している。 それがなんだかむなしい。駅には「岩泉線を共に守ろう」というメッセージの看板があるが、守ろう、と言われても一日三本じゃどうしようもないのではないか。 その手の趣味のひとたちがカメラを手に駅構内や駅舎、駅周辺をうろうろうろうろしている。終着駅ではあるが、 線路は駅の先数百メートル伸びていて、終端が見えない。かつてこの路線は、太平洋側の小本まで延伸する計画があったらしいが、結局それは実現しなかった。 伸びているレールは、その計画の名残だろう。駅のちかくから見える送電線の大きな鉄塔には「たこあげ注意」と大きく書かれている。
■乗ってきた列車でおよそ50分後に折り返す。老人集団こそいなくなったが、車内を見渡すと、乗ってきた列車で見かけた顔ばかりである。 外は徐々に日が暮れてきて、いっそうさびしい。茂市で山田線に乗り換え。すっかり日も落ちて真っ暗になったなかを列車は進む。 ようやく少し町の灯りが見えてくると宮古に到着。雨が降っていた。駅前の店はすでに明かりを消していた。一度ホテルに行ってから、 かろうじて開いてた駅前の店で夕食。刺身を食べた。漁港のある町にしては味は平凡なものだった。 2月に奈良へ行ったときは、店が閉まるのは夜8時で、早いなあと驚いたが、宮古は7時だった。でもそれでいいんじゃないか。 夜遅くまでなんでも営業してる便利さが当たり前だと思ってるけど、夜は子供は早く家に帰って、大人はこっそり開いてる店に行けばいい。
No.1422 2009-8-02
■8月になった。
■一年でもっとも苦しい季節がとうとう来た。でも今年は冷夏といううわさもちょっとあるみたいなので、期待しているのだった。
■習志野の自衛隊駐屯地でやる夏祭りに自転車で行こうと思ってたら雨が降ってきたのでやめた。歩いて駅前へ。 パルコとイオンとヨーカドー。買ったのは無印良品で写真のアルバム、カメラのキタムラで露出計用のちっちゃい電池など。 マイクロSDカードの2GBが398円だったので、使うあても無いのに、買っておこうか、とか一瞬思った。買わなかったが。 自分が最初に買ったコンピュータは東芝のダイナブックというやつだったが、あれのハードディスクメモリがたしか4GBだったように思う。 それと比べると、値段もサイズもすごいことになっているなと思った。
■午後は山下達郎のラジオを聞いて、それからBS1でツール・ド・フランスの総集編を見た。初心者にもわかりやすい内容だったのではないか。 いろいろ複雑な部分があるスポーツだが、難解なのは、出場者全てが総合優勝を目指しているわけではない、という点ではないか。 そこを理解できてないと、なんなんだこれは、という部分が多いかもしれぬ。毎年見てるとわかるようになる。 で、総集編は、物足りない部分もあるものの、おおむね、よい番組になっていた。あんまり関係ないが、ツール・ド・フランスで美しい景色を見てると、 シムシティがやりたくなる。あんなきれいな町並み作れないかな、とか思って、もう古いゲームだが、 WindowsXP版の「シムシティ3000」を引っ張り出してきた。なかなかうまくいかない。このゲームは確か、アマゾンのマーケットプレイスというところで、 300円くらいで買った。送料のほうが高くついた。やり始めるとおもしろくてやめられなくなる。
■最近、Youtubeで聴いた曲。
Bob Marley 「Waiting In Vain」
dachambo 「ピカデリア」
The Carpenters 「I Need To Be In Love」
森山良子 「涙そうそう」
GOMA & JUNGLE RHYTHM SECTION 「One Groove」
Art Blakey & The Jazz Messengers 「A Night in Tunisia」
SAWA 「Many Colors」
Courtney Pine feat. Carroll Thompson 「I'm Still Waiting」
オリジナル・ラヴ 「SUNSHINE ROMANCE」
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