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No.1323 2008-8-17
■五稜郭駅から実家への道の途中で、振り返って見た朝日。
■函館空港のラウンジ。
■札幌からの夜行バスは遅れもなく、定刻通りに函館市内に入り、朝5時ちょうどくらいに、五稜郭駅前に停車し、降車。
短い時間だが、ぐっすり眠ったようで、途中一度も目が覚めなかった。
駅の近くの跨線橋の上から朝日が見えた。朝日を見るなんてひさしぶりのことである。
そろそろ石狩では今年のライジングサン・ロックフェスティバル(以下RSR)も終わる頃だなと思い、
朝の太陽の光が当たる函館山を見ながら跨線橋を渡った。トンボが飛び、空には秋の雲が出ていた。
既に犬の散歩をしているじいさんがいて、ずいぶん早起きなやつもいるもんだなと思いながら歩いて実家に着いたら、
母が庭で植物に水をやっていた。庭ではトマト、ナス、ピーマン、ミニトマト、ネギ、キュウリなど、いろいろな野菜が育っていた。
■入浴後、昼近くまで眠り、CLOEに行ってコーヒーを飲んできた。午後には甥達が突然来襲し、わいわい騒いで嵐のように去っていった。
■夕方、JRで函館駅まで行き、駅前から空港行きのバスに乗車。夜の便で函館から羽田へ。
ひと月くらい前に、持ってるクレジットカードが切り替わって、カードの提示で空港の有料ラウンジに無料で入れるようになったので、初めて利用してみた。
入ると先客は一人しかいなくて、がらんとしているが、すごく清潔感があって、静かでいいスペースだった。さすがに有料だけのことはある。
携帯電話用の通話ブースやパソコンを持ち込んで使えるデスク、雑誌や新聞、ドリンクコーナー、マッサージチェアなんかもある。喫煙者用のスペースはガラスで仕切られていた。
■羽田への着陸待ちもなく、だいたい定刻通りに到着。函館空港ではまったく見かけなかったが、羽田の到着ロビーあたりでは、RSRの入場リストバンドをつけている者を数人見かけた。
空港の外に出ると涼しく、東京という感じがしない。盆休みの最後の日という者も多いだろうから、
羽田からのリムジンバス混んでるだろうなと予想していたが、案外空いていた。
■空港から津田沼行きのバスに乗っていると、右の窓に観覧車が見える。お台場のあたりだと思う。夜はカラフルにライトアップされている。
普通観覧車というやつは楽しいものだと思うが、自分の場合、あの観覧車を見るのはいつも空港からの帰りなので、あれを見ると旅が終わった、と思う。
明日から仕事か、とか思う。東関東自動車道を走り、湾岸習志野から一般道へ下り、京成津田沼駅を経由してJR津田沼駅前で降車。
津田沼も涼しい。
■今回の盆休みは、帰省、RSR、北海道のJR線全線乗車達成、美瑛・豊頃・釧路湿原等の観光、旭川ラーメン・帯広の豚丼の駅弁・釧路でミートカツ、
夜行はまなす、まりも乗車などなど、たくさん成果があった。雨に降られたのは釧路での夜だけで、どうにか天気がもちこたえてくれたのもよかった。
No.1322 2008-8-16
■RED STAR FIELDにて、DOUBLE FAMOUSのライブを待つ。
■RED STAR FIELDに掲げられた旗。
■moon circusと「ハピネス・テントサイト」。
■GREEN OASISにて、元ちとせのライブのとき。人があふれ出ている。
■moon circusの近く。
■毎日、16日の石狩の天気をチェックしていた。二週間前の海外の天気予報サイトでは「雷雨」の予報だった。
一週間前の気象庁の予報では雨だった。二日前の予報ではくもりになり、前日の予報ではとうとう晴れマークが出た。
■寝台列車でこんなにぐっすり眠ったのはたぶん初めてだったと思うくらいよく眠れた。特急まりもは深夜、釧路を発って根室本線を走り、
新得から石勝線に入り、南千歳のあたりで目が覚めた。窓の外を見ると、雲が多いながらも晴れ間が見えている。
列車は遅れもなく、定刻通り走っているようだ。新札幌を過ぎ、豊平川を渡ると札幌の中心部へと入ってゆき、「白い恋人」の看板やテレビ塔が見えてくると、札幌駅に到着。
下車していく乗客を見ていると、家族連れなんかもわりといた。ホームには、まりもを撮影する者たちが数人いて、カメラを手にうろうろしている。
まだ朝早い時間だが、他のホームに入ってきた千歳空港行きの列車など、ずいぶん乗客がたくさん乗っている。
■地下鉄の一日乗車券を買って、南北線で大通駅へ。中央バスのターミナル方面、NHKのあるあたりの31番出口にあるコインロッカーに使わない荷物を預け、再び札幌駅へ戻り、
JRに乗り換えて二つとなりの琴似駅へ。駅の南側にあるネットカフェでシャワーをし、また札幌駅に戻って土産物などを少し買い、駅の中にある郵便局で土産物や不要な荷物を自宅へ送った。
札幌には二年間住んでいたので、わりと土地勘がまだ残っていて、役に立つ。
地下鉄で麻生駅へ。麻生駅前のダイエーにて友人と合流。札幌に住んでいた頃、同じバイトをしていた友人で、ライジングサン・ロックフェスティバル(以下RSR)でしか会うことはないが、
毎年夏になると、連絡し合う。小樽出身のこの友人は、元々洋楽しか聞かなくて、日本の音楽は軽く見ているふしがあったが、自分が彼にくるりやナンバーガール、ROVOなどのCDを貸して聞かせたら、
ずいぶん気に入ったようで、RSRにも行くようになったんである。逆に自分はレディオヘッドやモグワイなんかを借りて聞いたらすごく良かった。
それはそれとして、会場行きのシャトルバス乗り場へ。友人の話によると、前日のRSR一日目は、土砂降りの雨があって、
たいへんだったそうだ。靴もズボンもだめになったと言っていた。バス待ちの列はかなり長いが、バスが次から次へと来るので、列は案外スムーズに進む。
並んでる間、いろいろ話す。RSRへの期待からなのか、テンションが上がる。自分でもびっくりするくらいべらべらしゃべっていた。30分ほどで乗車できた。
会場まで40分弱。着いて降りると、日差しがちょうどいいくらいの晴天で、風もさわやかで気持ちがいい。ゲートをくぐり入場。
友人の友人などが合流。その人たちとは三年か四年ぶりくらいに会った。RSRだけで会う人。サンステージ前の「レジャーサイト」という、
レジャーシートなどの上でくつろぐスペースで適当に場所を確保し、その人たちにはおにぎりやワインなどをごちそうになった。
会場の中の様子をたくさん写真に撮ろうと毎回思うのだけど、浮かれて歩き回ってるうちにそんなことは忘れているのだった。今回もそんな感じで、
あまり撮影しなかった。もっと撮ればよかった。
■ぎりぎりまでボヘミアンガーデンでのエマーソン北村と迷ったが、まずはグリーンオアシスへ。押尾コータローである。
彼はたしか過去にも二度ほどRSRに出演しているが、見るのは初めてである。ロックフェスということもあるのか、
どちらかというと激しい曲調のが多い選曲だったが、みな座ったまま聞いていた。雰囲気はとてもいい。MCもいい。そしてやはり彼のギターは天才的だった。天才なんだと思う。
発想がいいし、それを実際にできてしまう技術がすごい。
彼のワンマンライブに行くとすると、なんとかホールとかで、だいたい6000円とか7000円とかするんだよな、とかちょっと思った。
グリーンオアシスのそばには、木陰にハンモックが取り付けられているスペースがあり、本気で眠ってる者もいた。気持ちよさそうである。
■次はレッドスターフィールドでDoubleFamous。待っている時間にステージの前で、函館時代からの友人と合流。前日の雨がすごかったというんで、彼は長靴を履いてきていた。
話をしているうちにライブが始まった。あまり予備知識は無かったが、メンバーそれぞれがとても高い技量を持ち合わせており、
それがいい意味での余裕につながっているように見受けられた。楽器にしろ曲のタイプにしろ、なんでもできる器用な人たちで、
踊ってみたり、メンバーみんながスティックを持って一つのドラムを叩いてみたりして、客を楽しませる。
歌のある曲とインスト曲があったが、インスト曲のほうが好きだった。ボーカルの畠山美由紀の、馬鹿になりきれない感じのMCや振る舞いにややいらっとするが、
とにかくよい曲と素晴らしいパフォーマンスだった。
■再びグリーンオアシスへ。ゴンチチである。2001年のRSRで初めて彼らの演奏を聞いて、とてもよかったので、今回また聞こうと思ったんである。
何曲か、ファンキーないでたちのパーカッションの人も加わった。のんびり腰をおろして聞いていると、吹いてくるすずやかな風とあいまって、
とてもここちよい。曲の合間で静かになったときに、となりのレッドスターフィールドで爆音でライブしてるらしいTOKYO No.1 SOUL SETの演奏が少し聞こえてきたりして、
どんどこどんどこいってるのに混じって「ライジングサン!」とか言ってるのも聞こえてきて、ちょっとそっちも気になったが、最後までゴンチチのライブを見て、いい気分になった。
ゴンチチの二人の、曲の合間のしゃべりが、とても力が抜けていて、よかった。カフェオレがどうのこうの、カフェラテっていうのもありますよね、キャラメルマキアートなんてのもあって、
とかそんな話なので、なんかそういうタイトルの曲とか、そういうのをイメージした曲をやるのかな、と思ってたら、ぜんぜん関係の無い曲で、
しかも唐突にしゃべりが終わったりする。おかしかった。ジャズのスタンダード曲も何曲かやった。
■友人と飲食スペースでジンギスカン丼を食べながら、まだやっている TOKYO No.1 SOUL SETのライブを遠目で見ていた。
やたら盛り上がっていて、なんだかすごかった。「ありがとうっ!」と言ってるのが聞こえた。時間があったので、ぶらぶら会場内を歩き、ムーンサーカスのほうへ行ってみたら、
ちょうどそちらもブレイクタイムだった。サンステージはあんまりわからなかったが、どのステージも、いままでの開催にくらべてずいぶん立派になっていた。
お金がかかっていると思う。とくにムーンサーカスが立派な姿になっていて驚いた。以前はちょっと貧乏くさい感じさえあったが、今回はそんなことぜんぜんなかった。
レッドスターフィールド方面へ向かう途中、グリーンオアシスの横を通ったら、ものすごい人の多さで、ちょうと元ちとせが「ワダツミの木」を歌っていた。
鳥肌が立つほどの歌声である。すごいなあれは。レッドスター・カフェというのがあって、その脇にある小さなステージで、
KWEENという、QUEENのコピーバンドみたいなやつのボーカルのフレディエトウという人がギター一本でQUEENの「Crazy Little Thing Called Love」を歌っていた。うまかった。
見た目はそこらのおっさんである。でも楽しそうにやってて、見てる客も笑いながら楽しく見ていた。
■レッドスターフィールドでYuji Ohno & Lupintic Fiveである。大野雄二といったら、それはもう、ルパンということになっている。
他にもいろいろ有名な作品の音楽を作曲しているのだけど、「Lupintic」というくらいだから、ルパン作品の音楽のためのバンドなのだろうか。
大野さんはけっこう年を召していて、自分でも「シルバーピアニスト」と言っていたが、なんだか明るいおっさんである。メンバー紹介のしかたが若干昔風だった。
で、ルパン・フルコースのライブだった。峰不二子のテーマ、銭形、次元、そして最後にルパン・ザ・サード。あれをやられたら盛り上がらないわけがない。
基本はジャズバンドなので、曲中、各パートのソロがあったりして、アドリブっぽいことも交えたりするのだけど、自分はあれ結構退屈に感じたりすることがあって、
でも彼らのそれはめりはりがあってよかった。途中、大野さんソロピアノ曲があった。「カリオストロの城」のテーマとかなんとか言ってたと思う。
ぴんと張りつめた空気の中、ピアノの美しい旋律が暮れ始めた空に吸い込まれてゆくようだった。大野さんは飄々と弾いていた。ジャズバンドは、
メンバー全員びしっとしたスーツでずらっと並ぶので、その様も見ていてかっこういい。ハイレベルな演奏で、すごく良かった。大野さんがピアノ弾いてる姿を見れたことだけでもよかった。
■ムーンサーカスまで歩き、pupaのライブ。どうせすごくいいんだろうなと思って見に行ったら、ほんとうによかった。Youtubeで聞いた一曲しか知らなかったけど、
まずオープニングの映像のかっこよさにやられた。シンプルなのにかっこういい。個人的にはそれが、あらゆる表現の理想形だと思っている。それをまざまざ見せつけられた。
バンドのコンセプトは、たぶん、エレクトリックな音に生楽器の音を融合させて、さらに原田知世というシンボリックというか、ポップアイコンというか、そういったものを組み込んだバンドだと思う。
メンバー全員が、フロントマンとなれるだけの実力とキャリアを持っているので、なんだかやたらと豪華である。ウィーアーザワールドみたいだとちょっと思った。
バンドに原田さんがいるというのを知ったときは、ああ、女優さんが歌をうたうのね、と思ったが、ステージに立っていた原田さんは、まぎれもないミュージシャンだった。
よく考えたら彼女は、鈴木慶一さんやトーレ・ヨハンソンと作品を作っているのだった。
あと、このライブを見ていてつくづく思ったのは、生楽器の力というやつで、電子音もいいんだけど、ギターにしろ管楽器にしろ、生楽器の音というやつは、ものすごく体にひびく。
そして高橋幸宏さんのドラムは意外と音がでかい。幸宏さんはたぶん、このフェスけっこう好きなんじゃないかと思った。前に出たときも、
なんだかいい顔してらしたし、今回も楽しそうにやってた。ちょうど夕暮れ時だったというのもあって、気分よくパフォーマンスできたのかもしれない。
日が暮れてきてだんだん風も冷たくなってきた。
■ちょうどこの時間は、サンステージでミスターチルドレンのライブをやっていたようで、彼らの音楽は決して嫌いじゃないし、
いい作品たくさんあると思うが、正直このフェスには合わないのではないか、と思っていた。ただ、そういう思いを抱かせる出演者は過去にもいたが、
結局はみな、いいステージを見せていった。自分は見てないのだけど、2003年の氣志團やチャゲアンド飛鳥、2006年の米米クラブ、
2007年の矢沢永吉、そして今年一日目の藤井フミヤ。いずれも大きなステージ、いい時間帯を与えられて、期待以上のパフォーマンスを見せつけた。
「見てよかった」と客に言わせるライブをやってのけたんである。
自分はこの時間、ミスターチルドレンのライブを見るという選択肢は最初からまったく無かったのだけど、後から彼らのライブの評判や感想を、ウェブ上の掲示板で読んでみたら、
「私個人的にも昔から好きな曲がいくつかあるのですが・・・あのステージが終わった後の周りの客の失笑は忘れられません。
ライジングには毎年行ってますがこんな空気初めてです。」
「いくらセールスランキング上位でドラマのタイアップが付くトップミュージシャンでも、アーティストの実力は直接ライブで触れてみないとわからないものですね。」
などなど、この手の感想がとても多く、まあ、散々なものだった。ファンはもちろん、最高だった、楽しめた、感動した!、といったようなことを書いていたのだけど、
せっかくだから見てみるか、といった人たちには、総じて評判は良くなかったようだ。個人的な結論としては、超人気バンドだけど新曲ばかりやったので、
以前からのファンしか楽しませることしかできなかった、ということではないかと。
まあこのへんは過去の出演者と比べて、工夫の差、フェスに対する姿勢の違いが現れたのかなと思う。
藤井フミヤなんかすごいよ。開き直ったかのように「せっかく藤井フミヤなんで、トゥルーラブ歌います」なんて言っちゃってたらしい。
フェスで新曲のプロモーションして何が悪い、という意見もわかる。ただ、あの時間、あのステージに立つ者の役割っていうのも、
ちょっとだけでもいいから考えてほしかったかな、というのが自分の感じたところである。みんなの期待が大きかったぶん、失望も大きかったのかもしれない。
そういえばpupaのライブのとき、幸宏さんが、ミスチルと時間がかぶってるから、お客さんぜんぜん来ないんじゃないか、もし100人くらいしか来なかったら、
一曲だけやってあとはじゃんけん大会でもやろうか、という話を裏でしていた、なんてことを言って客を笑わせていた。
今日は何を言ってもいいということなんで、という前置きをして、ミスチルだけ楽屋が特別仕様で、専属のマッサージの人もついてて、
マッサージが必要なのはむしろ我々のほうだ、なんてことも言っていた。
■そのままムーンサーカスに残って、レイハラカミ。少々疲れてきたので、地面に横になって聞いていた。
どの曲もほんとすごくいい。疑問なのは、レイハラカミが、ステージの上にいる必要があるのか、という根本的なことである。
ステージの上で、なにか機器類をいじくっているような様子である。たぶんその機器類から音が発せられるのだと思う。
そのへんのことはまったくわからないので、あれが技術的にすごいことなのかどうかすらわからないわけだが、そうやって機器類から音を出すということが、
家でCDを聞くこととどう違うのかがよくわからないのだ。これは自分が何年も前から抱いているRSRにおけるDJの意義への疑問と似ているかもしれない。
この時間、ムーンサーカスにいた客は、レイハラカミの音楽を外で大音量で聴いて踊りたい、という思いなんだろうか。
ムーンサーカスでは毎年、夜から朝にかけて「ルーパナイト」という、よくわからないがいわゆるクラブ的なノリのDJプレイの時間が延々続くわけだが、
せっかくのステージを、生演奏するバンドではなく、DJに使わせるということの意味がいまだにわからない。
でもレイハラカミの音楽はすごい好きで、二年前、矢野顕子と一緒にやったステージでの彼の音楽性にいたく感動して、立て続けにCDを買ったくらい好きである。
ステージから発せられるレーザー光線みたいなのが、曲に合わせて夜空でちかちかしてきれいだった。
■また会場内をぶらぶら歩き、物販のテントに行って、ネットで予約しておいたTシャツを受け取ったり、去年から登場した「クリスタルパレス」という、しゃれたライブハウスみたいなステージを外から眺めたり、
クリスタルパレスでやっているシーナ&ザ・ロケッツの音を聞きながら、RSR参加7度目にして初めて、バッジのガチャガチャをやったりしていた。
出演全アーティストの名前やバンドのロゴが書いてあるバッジが、毎年、一個100円でガチャガチャで売ってるのだった。今まで機会かなくてやったことなかったが、
たまたま通りかかったら空いてたので、やってみた。せっかくフェスに来てるのに、ライブもみないで必死にガチャガチャやってる者が毎年いて、
こいつら何やってんだ、と思って見ていたが、全アーティストのバッジを完璧に揃える、とかそういうのに挑んでいるようである。手に入れたバッジを交換するスペースまであって、
みなタオルの上なんかにバッジをずらっと並べて、くるり(のバッジ)ある人交換して、とか、あと椎名林檎が揃えば全部なんだけど、とかそれぞれいろいろ言っている。
自分がやって出たのは小谷美紗子のやつと、ブラッドサースティブッチャーズと、キャラバンと、DJ NORIだった。どれ一つ、ライブ見てないので記念にもならないが、
一応持って帰ってきた。100円のバッジなんでしょぼいけど、欲しいひといたら差し上げます。
あと、カラオケのできるスペースが毎年あって、たまたま通りかかったら、素人さんのカラオケなんだけど、なんだかやたら盛り上がってて、
すごかった。ばかみたいだけど、本人達や一緒に騒いでる連中は楽しそうだから、あれはあれでいいのではないか。
■サンステージのそばを通りかかったらちょうど椎名林檎のライブだったので、遠くからスクリーンで見た。あの人くらいの世代のミュージシャンで、
あの雰囲気というかオーラを出せるひとは他にいないだろう。やっぱりすごいんだなあ、と思って聞いていた。バイオリンの人もクレイジーでよかった。
最初売れたときに、なんかぽっと出てきたのかな、と思っていたが、しっかりとした音楽的裏づけのある人で、今回のライブも非常に完成度の高いものだったように感じた。
初めて聞く曲でも、ひきこまれる。プロの実力って、そういうものだと思う。そろそろエゴラッピン始まるかな、と思ってレッドスターフィールドへ。
まだ前のLOW IQ 1 & MASTER LOWという人のライブが終わってなかった。レッドスターフィールドのそばに立っているトーテムポールの傍らでぼんやりライブを眺めた。
キッズが好きそうな明るいパンクをやっていた。感想はとくになし。エゴラッピンは毎度、セッティングに時間を食ってるような気がする。
友人と合流し、話しながら始まるのを待ったが、どうもしばらく始まりそうもないので、時間がきたので、会場をあとにした。
朝までいたい気持ちもあったが、夜行バスで函館の実家へ戻ることにしていたんである。シャトルバス乗り場へ行き、乗車。
夜のうちに帰る者が案外たくさんいるみたいで、バスはそこそこ混雑していた。来るときは35分以上かかったルートだが、帰りは20分くらいしかかからなかった。
地下鉄麻生駅前で下車。地下鉄で大通駅まで行き、ロッカーの荷物を出して、中央バスのターミナルへ。歩いてすぐ着いた。
一番前の座席だったせいで、足元がせまく、これだとあんまり眠れないかな、と思っていたが、発車してちょっとしてから車内消灯となり、
それから記憶がないので、すぐ眠ってしまったみたいである。疲れていたのかもしれぬ。
■今回のRSRに関して良かった点を挙げるとすると、トイレで待つことが全くなかったこと、あと、自分が見た限りでは、どのライブも、
開始時間がほぼ予定通りだったことである。エゴラッピンは20分くらい遅れたようだが、あとは概ね5分〜10分程度の押しで済んだ。
トイレは相当がんばって数もそろえたようで、例年だと時間の経過とともに使用不能になっていくトイレがどんどん出てきて、
少なくなったトイレに行列ができる、という光景は当たり前のようにあったが、今年はそれがなかった。やればできるんじゃないか。
■で、今年は今まででいちばん、客の質が悪かったと思う。主に、たばこ、ゴミ、ライブ中の撮影。携帯灰皿を持っていれば、どこで吸ってもいいと思っている輩が多くて、
びっくりした。あとゴミをそこらに平気で捨てる神経が理解できないのだけど、どういうことなんだろうか。それと、ライブ中に携帯電話やデジカメで演奏者を撮影してるばかども。
いつからRSRは撮影解禁になったんだ、と思わせるほど、撮ってる人間が多くて唖然とした。割り込みとか柵乗り越えとか駐車場での場所取りとか、
持ち込み禁止品の瓶、缶類を大量に持ち込んで酒盛りしてるとか、挙げればきりがないが、とにかく年々、客のモラルが低下してゆく。どうしてしまったのだろう。
スタッフも全然注意しないことにもがっかりした。個人で注意なんかしたら、何されるかわからない。来年も開催するとして、
もう行かないほうがいいのかもしれない。フェスの場に限ったことではないが、世の中やばい。
■RSRの公式サイトにあるBBSには、次のような書き込みがあったのだった。
「やはりマナーゎ大切ですょね。」
なにが「やはり」だ。こんなやつには言われたくないなと心底思った。
No.1321 2008-8-15
■豊頃のハルニレ。
■帯広駅で買った豚丼の駅弁。うまい。ペットボトルのお茶は、北海道のキオスクだけで売ってるやつ。
■細岡展望台から見た釧路湿原。
■特急まりも。
■富良野線の始発列車に乗車するために早起きして旭川駅へ。こういう旅行ばかりしてるので、ホテルの朝食を食べる機会がなかなかない。
ゆっくり起きて朝ごはん食べてからチェックアウトしたいという気持ちもあるのだけど、旅先では欲が出て、あっちも行ってみたい、
こっちも見てみたい、となると、どうしても早起きになってしまう。ただこの日は、夜の11時半までに釧路駅にいればよいという日程なので、
移動時間を考慮しても、わりと余裕がある。先日の苫小牧駅にもいたが、旭川駅の軒下で寝袋に入って野宿している若者グループがいた。
自転車旅行の者達のようで、大荷物をくくりつけた自転車が駅の壁にたてかけてあった。よくやるなと思うが、少しうらやましい気もする。
■地下通路を通って、いちばん端っこにあるホームへ。前日に通った富良野線を南へ。旭川駅を発つとすぐにカーブしながら忠別川を渡る。
一つ目の神楽岡駅からはしばらく、国道237号線と平行に南南東に向かってまっすぐ線路が伸びる。西神楽駅からは国道を離れて向きをやや南東に変え、
北美瑛駅を過ぎたあたりから線路はぐにゃぐにゃしながら南へ。曇りがちのぱっとしない天気だが、天気予報ではこの数日間ずっと雨の予報だったにも関わらず、
どうにか雨に降られずに済んできたので、よしとする。あまり日差しがない分、日焼けしないで済む、と、よいほうに考えた。
国道沿いに水田、遠くに山、という景色がしばらく続いたが、徐々に丘が連なる景色に変わってくる。美瑛駅、前日降りた美馬牛駅を過ぎ、
ノロッコ号が停車しなかった鹿討駅や学田駅にも停車しながら、約一時間二十分で富良野着。根室本線の列車に乗り換え。この列車は、朝6時前に滝川を発って、
10時過ぎに帯広に到着するという、最近ではあまりない、長距離を走る普通列車で、二年前にもこの列車に乗った。そのときは滝川駅の近くのホテルに泊まって、
始発からの乗車だった。一両だけだが、あまり乗客はない。余談だが、根室本線には、滝川を朝9時38分に発って、釧路に夕方の17時38分に着くという、
丸8時間かけて走る普通列車が存在する。
■再び国道237号線に沿って南へ。前日に利用した金山駅も過ぎ、トンネルを抜けるととつぜんぱっと、湖が広がっている。かなやま湖というダム湖で、
なかなかきれいである。東鹿越駅は、目の前にそのかなやま湖が広がっているので、降りてゆっくり眺めたい気分になった。
映画「鉄道員(ぽっぽや)」の舞台になった幾寅駅(作品中では「幌舞駅」だったとのこと。この映画も見てないのであんまりわからないが、高倉健だと思う)を過ぎ、
落合駅で8分くらい停車。せっかくなのでホームに降りて外の空気を吸うと、ひんやりした山の空気である。標高は413メートル。古めかしい跨線橋を渡り、駅舎まで行ってみた。
トタン屋根の建物で、けっこう大きいが、ほとんどが鉄道関係の作業員や資材用のスペースだった。出入口の横に平仮名で「おちあい」と書いてある。
駅前から南西に向かう通りの突き当たりには大きな杉の木が林立しているのが見え、その向こうの山には低い雲が垂れ込めていた。ひと気は全く無い。
8分の停車のはずだったが、なかなか発車しなかった。すれ違い列車の遅れのため、数分多く停車した。
■長い長い新狩勝トンネルを抜けると十勝である。行政区分も空知支庁から十勝支庁となる。このトンネルを抜けると、広々とした扇状地が見渡せる雄大な景色が車窓に広がって素晴らしい、
とのことだが、前回通ったときも今回も、濃い霧でぜんぜん見えなかった。地図で見るとこのあたりで線路は、ものすごいヘアピンカーブみたいな線形になっている。
牧場には「道立畜産試験場」と書かれた看板が立っている。遠くに新得の町が見えているが、線路が曲がりくねっているので、なかなか町に近づかない。
ようやく新得駅に到着。富良野を出てから、久々に町らしい町である。定刻通りだと4分の停車時間があるので、駅でそばを買って食べようと思っていたのだけど、列車到着が遅れてしまったので、断念した。
停車したホームに面してすぐそこにそば屋があるのに、食べられず無念である。ここのそばはおいしいと聞いていたので食べたかったが、またいつか時間をとって訪れることにする。
そもそも4分の停車時間でそばを買うことができたかどうか怪しいのだが。けっこう乗ってくる者がいた。線路は国道38号線に沿って南へ。次の十勝清水駅では、
ホームにたくさん人が待っていて、乗車してきた。この列車は、帯広到着がちょうどいい時間なので、利用する者も多いのだろう。
道路沿いには、農機具やトラクターの廃車というのか、スクラップになったのが山積みになってるところが何箇所か見えた。自動車のスクラップが積んであるのはあちこちで見たことがあるが、
さすがにこのあたりは農業が盛んな土地である。畑ばかりだった車窓が、徐々に建物が多くなり、西帯広駅を過ぎると広大な貨物基地があって、貨物列車がずらりと並んでいる。
肥料工場や甜菜の製糖工場など、農業に関わる大きな工場がいくつか見え、それらの工場の敷地に向かって専用の引込み線が敷かれているのが見える。
いつの間にか高架上を走っていて、柏林台駅あたりからは市街地が形成されているのが見渡せる。
10時過ぎに帯広駅に到着。多くの者が改札口の方向へ向かうが、自分は次の列車に乗り換え。5分ほどの接続で釧路行きの普通列車に乗り継いだ。しばらく民家もまばらな場所ばかり走ってきたので、
人口17万ほどの帯広でも、大都市に見える。札内を過ぎると幕別で、「パークゴルフ発祥のまち」だそうである。利別を過ぎるとワインの町池田で、丘の上にワイン城というのが建っているのが列車の中からもよく見える。
ワイン城のとなりには観覧車があって、回ってるんだか回ってないんだかわからないくらいの速度で動いているのが、じーっと見てるとわかった。40分強の乗車で豊頃駅に到着。
■豊頃は無人駅だが、ちゃんとした駅舎があり、男女別のトイレもある。対向式のホームで、跨線橋がある。駅前にある郵便局で、自転車を無料で借りることができるのだった。
豊頃町観光協会が郵便局に貸し出しの業務を依頼しているようである。郵便局の営業時間しか利用できないので、土日はたぶん借りられないと思う。
貸し出し自転車の名前は「はるにれ自転車」と呼ぶらしい。豊頃といったらハルニレということになっている。というかそれしかない。
自転車は、普通のママチャリというか、シティサイクルというのか、そういったタイプの変速機無しのHattoriというメーカーのもので、
「検収 豊頃町」というシールが貼ってある。カゴには「はるにれ」と書かれたプラスチックのプレートが取り付けられていた。
途中、コンビニエンスストアに寄りながら、十勝川の支流旧利別川沿いの道を3キロほど走ると、十勝川沿いの広々とした河川敷にぽつんと立つ二本のハルニレの木が見える。
いつのまにか晴れて、日差しが少し暑いが風が涼しくてとても気持ちがいい。畑の間をどこまでもまっすぐ続く道が伸び、どこからともなく牧場のにおいがしてくる。たまに自動車が通る音以外は鳥の声くらいしか聞こえない。
のんびりした気持ちになる。ハルニレの木は、豊頃町の指定文化財になっているそうで、その旨の看板が立っている。「扇形の枝ぶりが見事であり、また周囲の環境と調和して素晴らしい景観を作っている」と説明が書いてある。
推定樹齢は140年、直径は1.15メートル、樹高は17メートルあるのだそうだ。バイク乗りの者やワンボックスカーの家族連れなどもこの木を見にきていた。
大した観光地ではないので、人はたまにしか来ないみたいだった。ゆっくり見ることができた。近づいて見上げるとけっこう高い。
幹や枝は、触れてみると太くてしっかりしている。広々とした土地にぽつんと立っている大きな木というのは、
なかなか絵になるというか、惹きつけられるものがある。はるばる見に行ってよかったと思える風景だった。
河川敷から上がったところには「はるにれ休憩所」という、白くてかわいらしい二階建ての建物があって、自由に中で休めるようになっている。
中には壁に沿ってベンチがあり、座敷もある。壁には四季折々のハルニレの写真が飾られていて、中央に螺旋階段がある。二階の窓からも、一階の出入口からも、ハルニレの木が見える。
自転車で駅まで戻る。川沿いに牧場があって、牛が集まっていたので、自転車を止めて見てると、牛がみんなこっちをじーっと見ていた。
郵便局の人に言って自転車を返却。「はるにれ自転車」は、もうちょっとタイヤに空気を入れたほうがいいと思った。でも無料で貸してくれてるんだからありがたい。
■普通列車で帯広まで戻り、駅にある店で豚丼を食べようと思ったら、店の前には行列ができていたので断念。その代わりに豚丼の駅弁を買った。
ひもを引くと、石灰とかなんかそういったものが発熱して、弁当がほかほかになるという仕組みのやつで、食べてみると、タレもいい味だし、
肉はやわらかいし、炭火で焼いたような、なんともいえない香ばしさというんだろうか、そういう具合で、とてもおいしかった。帯広から特急スーパーおおぞらで釧路へ。
自由席利用なので、早めに並んでいたが、車内は空いていた。並んでいたらばばあが平気で割り込んでくる。ばばあというのはどうしてああなんだろうか。恥知らずな人間というのは厄介だ。
うとうとしているうちに、一時間半ほどで釧路に到着。釧網本線の普通列車に乗り換え。一両しかないので、けっこうな混雑。
白人の男がコーラのペットボトルを持って乗ってきた。外人はコーラが似合う。釧路の市街を抜け、列車は湿原の中に入ってゆく。
■20分ほどで細岡駅に到着し、下車。観光地のトイレみたいな、ログハウス調の駅舎で、まだ新しいみたいだった。アウトドアっぽい格好をしたグループが車で乗りつけ、
騒がしく入ってきて、トイレを使用して去っていった。駅前には、民家らしきものが一軒あった。あとはなにもない。片面のホームは砂利敷きで、鉄道関連のもの以外は、木しかない。
駅の前の道を東にゆくと釧路川があり、カヌー乗り場みたいなところがあった。もう少し道なりにゆくと湖があり、達古武湖というのだそうだ。
湖に沿って遊歩道が整備されているが、時々、自動車が通っていく以外は人の気配がない。遊歩道の際には白樺の木や、やけにでかいフキの葉っぱみたいなのが生えている。
時々赤い看板が立っていて「鳥獣保護区 特別保護地区 環境省」と書かれている。湖に沿って延々、遊歩道を歩いてみたが、とくに美しいというほどのものでもなく、
ずっと景色が変わらないので、途中で引き返した。細岡駅の前を通って、西の方向へ道なりに歩いた。途中、舗装されていない区間もずいぶんあり、聞いたことにない鳥の声や、
見たことのない虫が飛んでいたりする。虫がやたら多い。というか虫しかいない。タオルでばたばたやって虫を払った。どんよりした空なので、木の繁っているところを通ると、薄暗くて、
建物もなにもないので、このまま日が暮れたら、遭難すると思った。時々、木々の合間に、蛇行する釧路川が見える。水の量が多い。このあたりがいわゆる釧路湿原の一部なのだと思う。
徐々に空も暗くなってきて心細くなるあたりで、細岡ビジターズラウンジという、なんだかよくわからないがサービスエリアみたいな施設の前までたどり着いた。バイクのツーリングの者が二、三人いた。
細岡駅からおよそ2.5キロ歩いて、ようやく細岡展望台に到着、と思った途端に雨が降り出した。あーあなんだよ、と思ったが、考えてみれば、よくここまで天気は持ちこたえてくれた。
階段を上がり、展望台から見渡す釧路湿原は、雄大で、なんだか気が遠くなる。でもなんというか、現実感がないというか、手の届かない感じがする。いや、でもやっぱりすごい。
川でカヌーでもやれば、もう少し身近に感じられるのかもしれぬ。そういう趣味はないのでやらないが。むしろそういうのは積極的に避けたいほうである。積極的に避けるっていうのは日本語が変か。
で、釧路湿原のまわりには、そういうのを積極的に楽しみたい人がたくさんいた。傘をさしたまましばらくぼんやり景色を見ていた。階段を下りて、釧路湿原駅へ。
山小屋みたいな駅にはアウトドアっぽい格好をした若者が大勢いた。釧路行きの普通列車に乗車。けっこう混んでいた。長袖を着ている者が多い。
■釧路駅に着くと、雨は強く降っていた。雨の中、駅から近い「アベニュー946」という商業施設にある100円ショップまで行きちょっとした買い物。
懐かしいデパートみたいな作りの建物だった。「アベニュー946」はたぶん「946」で「クシロ」ということなのではないか。
駅から南へ向かう国道38号線を歩いて、幣舞橋の近くにある泉屋という洋食のレストランで夕食。古き良き洋食屋という感じの店だった。
家族連れや若者のグループで賑わっていた。ミートカツというのを食べた。ミートスパゲティにトンカツがのっている。すごいボリュームだ。
おいしいのでどうにか食べきれた。飲み屋街を抜けて、白山湯という銭湯へ。地方の銭湯へ行くと、客が自分一人、とかそういうさびしいところがけっこうあったが、
ここは案外多くの客に利用されているようだった。いたってオーソドックスな銭湯。自転車旅行の若者達も来ていた。雨に降られないで野宿できる場所はないか、
銭湯のおばさんや客に尋ねていた。幣舞橋あたりのライトアップと、ロータリー交差点を見てからコインランドリーで洗濯をし、駅まで戻った。
■釧路発札幌行きの夜行特急まりもに乗車。8月いっぱいでこの夜行も廃止となることが決まっている。これで北海道内を結ぶ夜行列車が全て消えることになる(北海道と本州を結ぶ夜行列車はまだある)。
ついこのあいだまで、札幌〜網走間の特急オホーツクや札幌〜稚内間の特急利尻が走っていたが、いつのまにかなくなっていた。せめてまりもにはどうにか乗ってみたいと思っていたんである。
既に夜の11時を過ぎているが、ホームにはまりもを撮影する者たちが多くいて、カメラを持ってうろうろしていた。座席車両が4両とB寝台車両が1両の5両編成。
B寝台がとれていたので、横になって寝ることができてよかった。乗客は多く、寝台は満席だったようである。乗車後すぐ車掌さんが来て検札。歯磨きに行って、すぐに眠ってしまった。
No.1320 2008-8-14
■石勝線新夕張駅。
■石勝線夕張駅。
■美瑛の丘(1)。
■美瑛の丘(2)。
■クリスマスツリーの木
■朝、五稜郭駅から札幌行きの特急に乗車。二時間半以上の乗車になるので、朝から立ちっぱなしはきついと思い、前の日に指定席券を買っておいた。見た感じ乗車率は9割ほどか。
あいにく、どんよりした空で、噴火湾も暗い色をしている。時々雨粒が窓ガラスについて筋になっている。長万部から室蘭本線に入って二つ目に小幌という駅があって、
そこは両側をトンネルに挟まれ、急な斜面の下は海、駅まで通じる道もなく、列車以外ではたどり着けないというとんでもない場所にある駅で、その筋の者らには
「秘境駅」とか言われて珍重されたりしてるという話である。もちろん周囲には家もなく、定期的な利用者もいないので、なんでそんなところに駅が、と思う向きもあるだろうが、
どうやら保線作業の人間がときどき利用するらしい。あと稀に魚釣りの者も利用するという。で、当然特急は停車しないのだけど、そこを通過するとき、その駅のホームには数人の人間がいた。
普通の格好をしてたので一般の人間だと思う。物好きが小幌駅訪問をやっていたんだと思う。
■南千歳駅で下車。新千歳空港駅の一つとなりの駅である。少し時間があったので、駅から歩いてすぐのところにあるアウトレットモールに行ってみた。
たしか「レラ」とか言うアウトレットモールで、いつできたのかは知らないが、まだきれいだったので新しいんだと思う。ちょうどオープンの時間だったようで、
それぞれのテナントの従業員が、店の入口に立って、うやうやしくいらっしゃいませと言っていた。カジュアルウェアとかスポーツ、アウトドアブランドの店、セレクトショップ、
靴、Gショックの店、コーチとかそれ系のバッグの店、いろいろである。テーマパークの中を歩いているような感じ。朝からけっこう客がいた。いくつか試しに店に入ってみたが、
札幌あたりから電車で行ってもとりあえず損はしなそうな品揃えと値段だと思った。大きな駐車場もあるみたいである。この手の商業施設が存続するために必要なことは、
近隣の大都市からどれだけ客を呼べるかという一点だけだと思う。ここの場合だと札幌ということになるわけが、かつて、札幌からの集客を見込んで華々しく開業した小樽築港のマイカルなんかも今は悲惨な状況になってると聞く。
わざわざ札幌の人間が行く価値あるかな、と開業した当時行ってみて思ったが、やはりだめだったようである。
■駅まで戻り、石勝線経由で帯広まで行く特急とかちに乗車。長距離利用の者が多いのからなのか、指定席はかなり混雑している反面、自由席はがらがらで、
二両ある自由席車両のうち、私が乗ったほうは自分ともう一人しか乗ってなかった。石勝線に乗るのは今回が初めてである。南千歳駅のホームには石勝線の起点であることを示す、石勝線の0キロ標の石碑があった。
石勝線は、名前のとおり石狩地方と十勝地方を結ぶ線で、道央と道東を短絡するために日高山脈を貫き、昭和56年に開通した比較的新しい路線である。札幌からだと、
滝川を経由して根室本線で帯広までゆくルートよりも50キロ近く短いそうだ。新しい路線なので、とにかくトンネルが多い。大変な工事だったと思う。
そしてスノーシェルターがたくさんある。線路のポイントに雪が積もらないようにしているのだろう。南千歳を発ってしばらくは広大な畑や牧場の中を走り、15分ほどで追分駅に停車。
路線図を見るとこの駅で石勝線と室蘭本線が交差している。鉄道がまだまだ重要な交通機関だった時代の名残か、駅の構内は広く、ホームも大きい。
今では大きな屋根のためかホームは薄暗く、どことなくさびしい雰囲気の駅である。
■徐々に景色は山深くなってゆく。時々、蛇行している川が見える。新夕張で下車。新夕張〜新得の区間は普通列車が走っていないので、普通乗車券や18きっぷだけで特急列車の自由席を利用できる特例があるので、
鉄道でよく旅行をする者にはわりと知名度のある駅かもしれぬ。ホームから、今通ってきた方向を見ると、こんもりした山の一番下にトンネルの穴が開いてるのが見える。
ホームの待合室のドアには「蛾が大量発生しています 夜間はドアを閉めて下さい」という貼り紙が貼ってあった。階段には「ようこそ夕張へ」と書かれ、メロンの絵が描かれている。
駅には駅員がいて、キオスクも営業している。駅舎は二階が赤茶、一階が白の外壁で、駅前には、新夕張に名前が変わる前の紅葉山駅時代の駅名標が保存されて置いてある。
平仮名で「もみじやま」と書いてあるので、遠足の行き先みたいな感じがするが、ひどくさびている。駅前の広場の片隅には「慰霊の碑」という石碑が建っていて、
裏に回ると、石勝線の工事での殉職者の名前が彫ってある。難工事だったのであろう、数えてみると32名の名前があった。車窓を眺めながらのんきにサンドイッチなど食べて旅行できるのも、
尊い犠牲があってのことだと思うと、申しわけないやらありがたいやらである。
■駅前には「メロード」というスーパーマーケットがあって、メロンの直売なんかもやっている。駅の利用者相手だけだとおそらく商売成り立たないと思うが、
交通量の多い国道274号線にも面しているので、それなりに利用者がいるみたいだった。ライジングサン・ロックフェスティバルで雨だったときのために、メロードで安いサンダルを一足購入。
靴がだめになったときに備えて念のため用意しようと思ったのだった。見るからに安っぽいが、軽いし、無いよりましと思った。そこの近くにある紅葉山神社に行ってみた。
北海道の神社というのは、全般的に、あまり歴史が無いので、凝った装飾や意匠はなく、トタン屋根でシンプルなものが多くて、この神社もこぢんまりとした簡素な社殿だが、
これはこれでいいような気もする。屋根にはちゃんと千木がついていて、よく見ると煙突もついていた。
境内には「明治開道 百年記念碑」という石碑が建っていて、説明書きなどがないのでよくわからないが、「開道」というのは、道路をどうのこうのというんではなくて、
おそらく北海道のことではないか。北海道という行政区分ができて、それから百年ということかと思う。北海道庁が置かれたのが1886年なので、この石碑は、
おそらくそれから100年後の1986年頃に建てられたのではないか。賽銭箱も無く、商売気の無い神社だなと思ったら、よく見ると社殿の戸に、郵便受けみたいな口があって、
そこに賽銭を入れるようになっていた。
■駅に戻り、石勝線の本線からの枝線、新夕張〜夕張間の普通列車に乗車。車内は天井の扇風機が回っているが、暑かった。走り出すと、開けた窓からいい風が入ってくる。
座席は半分くらい埋まっている程度。かつては石炭の搬出のための重要な路線だったので複線の線路だったということだが、いまでは単線となっている。
御殿場線だとか三重の参宮線なんかもたしか複線だったのが単線になった路線で、それらは戦時の鉄の不足のためにレールを拠出したという話をなにかで読んだ。
この新夕張〜夕張間の単線化は、単に輸送需要が大幅に減少したからだろう。レールは撤去されても、線路がかつてあったということが、跡を見てわかる。
駅の跨線橋だとかホームの作りを見ると、元々あった線路を跨ぐような駅構内の配置になっている。線路跡は舗装されて、自動車が入ってこれない遊歩道のような、サイクリングロードのような道になっている。
撤去されずに残っている引込み線も時々あって、枕木の間で雑草が伸びている。この区間は、両端の新夕張と夕張を除くと、沼ノ沢、南清水沢、清水沢、鹿ノ谷4つの駅があるが、
どの駅もちゃんとした駅舎が残っているようだ。駅名からもわかるように、沿線の景色は、川が流れ、山の間の谷を走り、人はそれほど住んでいない。
駅のある周辺だけちょっとした町がある。
■新夕張から30分弱の乗車で終点の夕張に到着。短いホームが一面あるだけの小さな駅で、ホームの端には、積雪の高さを測る目盛りみたいな板が設置されていて、
10センチ刻みで数字か書かれている。駅舎は観光地の土産屋みたいな建物である。教会みたいな尖塔があって、てっぺんに風見鶏がついている。
駅舎の中には、黄色いハンカチが、斜めに張った紐にたくさんついていて、たぶん映画の黄色いハンカチとかなんとか、そういうやつに関係あるのだと思う。その映画は見たことないのだけど。
駅のすぐ目の前には巨大なホテルマウントレースイの建物がどーんと建っていて、夕張駅は余計ちっちゃく見える。ホテルの周辺は人や車が多く行き交っていて、賑わっている。
冬には、スキー場があるので、人がたくさん来るらしいが、夏はなにかあるのだろうか。温泉もあるみたいだ。ホテルの裏には深い谷があって、低いところを志幌加別川が流れている。
その谷にかかる橋があって、その橋はなにやらたくさんの電飾で飾り付けられている。夜にはぴかぴか光るのだろうか。その橋のわきには「熊出没注意 7月9日出没 夕張市猟友会」と書かれた立て札があった。
恐ろしい。しかも、その立て札には、熊が大口を開けた顔の絵まで描かれているのだった。橋はラベンダー色にぬられていた。橋から下を見下ろすと、とても深いところに水の流れがあって、なかなかきれいである。
■駅は市街地からかなり離れているので、そんなに時間はなかったが、町の方向へ歩いてみた。いったん下って、下りきったあたりに夕張中学校があり、その前には夕鉄バスの「夕張中学校前」というバス停もあるのだけど、
校舎を見るとどうも荒れ果てているような感じである。向かいには団地がある。上り坂をのぼってゆくと、斜面に住宅が並んで建っているのが見える。途中階段があり、
段の角が欠けてぼろくなっている。階段の横には「この階段は夕張市失業対策事業で施工したものです。みんなで大切に使用してください。平成元年5月 夕張市役所」と書いた看板があった。
道沿いに建っている民家の中には、既に人の住んでないものがいくつもあり、廃業したのに看板なんかがそのまま残っている病院の建物があったりする。
夕張市役所まで歩いてみると、人口一万二千人ほどの町には似つかわしくないような大きく立派な市役所で、1960年代には12万ほどの人口があったというから、
時代に取り残された夕張市を象徴しているように思えた。夕張の町を訪れるのは初めてだったが、予想以上にさびしい雰囲気である。
町のあちこちの建物の壁面に、映画の看板がつけられている。どれもかなり大きくて、1.5メートル×5メートルくらいあるのではないか。
私が見たのは「007 ドクターノオ」「長崎ぶらぶら節」「白昼の無頼漢」「ダイハード」「南太平洋」「心の旅路」「七人の侍」などの看板である。
確か夕張は映画祭を毎年やっているので、映画で町おこしみたいなことなのだと思う。そういえば市役所の壁にも「サウンド・オブ・ミュージック」の看板があった。
■駅まで戻り、新夕張行きの列車に乗車。夕張駅のホームのすぐ隣にある家の軒先で猫が一匹丸くなって寝ていた。沼ノ沢駅に若い親子がいて、二歳くらいの子が列車に向かって手を振っていたので、
振り返してみたら、その子供がなんだか飛び跳ねたりして喜んでいた。新夕張で特急スーパーとかちに乗り換え。自由席は5割くらいの乗車率。一駅となりの占冠駅で下車。
線路にはスノーシェードの屋根がかかっているのが見える。駅の待合室にはストーブが設置されていて、壁には「海抜348メートル」と書かれている。
駅舎はコンクリートの平屋建て。駅前には大きな広場があって、日高町行きのバスが停車していた。大きな三角屋根の土産物店みたいなのがあったので入ってみたら、
薄暗くて人影もなかった。中の感じは昭和の懐かしい感じで、トイレのドアは西部劇の酒場みたいな両開きのやつだった。階段の踊り場には占冠村民憲章が書かれた額みたいなのがあって、
二階には郷土資料室があった。大きな道沿いにある占冠村営バスのバス停から富良野行きのバスに乗車。マイクロバスみたいなやつで、運転手はおじいさんだった。自分以外にも子供含めて7人が乗車。
バスの側面には「自然体感占冠」と書かれていた。「原商店前」があるかと思えば、北海道の山奥に「静岡」があったりする。バス停の名前である。
途中、じいさんが二人乗ってきて、なんとかという温泉施設の前で降りていった。山道をぐねぐね下り、金山駅前で下車。運賃は410円。根室本線の滝川行きの列車には2分の接続である。
都会並みの接続の良さだが、バスが遅れたりしたらこの列車には乗れず、滝川方面行きの列車はこのあと丸二時間待たないと来ないので、ちょっと危うい。
金山駅のまわりにはなにもないが、駅前に郵便ポストがあった。ちゃんとした駅舎があり、かつては駅員がいた痕跡がある。そんなのを見てるうちにすぐ列車がホームに入ってきたので乗車。
予想に反してたいへんな混雑ぶりで、四人がけのボックスで一つ空いてたところに座らせてもらった。このあたりは2年前に乗車しているが、景色はあまり覚えてなかった。
今回もあまり印象に残らなかったが、なにもない山の中である。一時間半強で富良野駅に到着。
■少し時間があるので、駅の外に出てみた。富良野というと有名な観光地である。駅のそばにはレンタサイクルもあり、駅の中も外も観光客がたくさんいて賑わっている。
駅には立ち食いそばの店もあるし、キオスクもある。待合室のテレビでは高校野球。駅前に出ると、大きな建物もあり、携帯電話の店や信金やサラ金、写真のプリントの店なんかもあって、
普通の地方のそれなりの都市といった風情である。富良野は北海道の中でもかなり内陸にある町のはずなんだけど、どういうわけか釣具店もあった。川釣りの客が利用するのだろうか。
駅前の道を走っていたバスの行き先表示を見ると「チーズ工房」と書いてあった。駅の出口から西の方向を見ると、雲をかぶった布部岳などの山並みが見える。
で、中国人や韓国人が多い。日本人に似ているけど、しゃべってるのを聞かなくても、髪形とか服装とかメガネとか、あと振る舞いを見ればだいたいわかる。
あまりいい気分はしない。案内看板にも中国語とハングルが書かれている。駅の前には『北海道の「へその町」富良野市』と書いてある小さな立て札の横にねぶたみたいな顔で、
頭がきのこみたいになっていて、アイヌ民族の服みたいなのを着ている奇妙な人形が置いてあった。うまく説明できないが、説明するほどのものでもない気もする。
富良野といえば「北の国から」ということになっていると思うのだけど、私はあれを見たことがない。じゅんとかほたるとか電気がないとかたぶんそういった話だということくらいはなんとうなく知ってるが、
まったく興味がなく、実家にいた頃も家族の誰も見てなかったし、友人との間で話題になることも一度もなかった。
あと、富良野というとラベンダーだと思う。いちばんきれいな時期は7月くらいなので、もうシーズンは過ぎていたが、畑なんか見るときれいだという。
そもそも富良野では、斜面でも育ち、寒冷地に強い作物ということで、化粧品や香料の原料となるラベンダーを栽培するようになったそうだ。
■富良野から富良野線に乗車。初めて乗る路線である。富良野発の観光トロッコ列車「富良野・美瑛ノロッコ号」というのに乗った。
別にトロッコ列車に乗りたかったわけではないが、ちょうどいい時間の列車が無かったので、これに乗ることにしたんである。
向かいのホームからは、札幌行きの臨時特急が発車していくのが見えた。ノロッコ号は、カラフルに塗られた機関車がこげ茶色のトロッコタイプの客車を牽引するタイプの列車で、
富良野〜旭川間をゆっくり走る。一両が指定席車で、あとの三両は自由席だった。座席は木製のベンチみたいな感じで、壁がないから開放的である。冬も走るのだろうか、車内には煙突付きのストーブまである。
沿線は丘の景色なのかなと思っていたら、意外にも水田が広がっている。とうもろこし畑や牧場もある。黒い牛がたくさんいた。遠くにきれいな丘が見える。
中富良野駅、臨時駅のラベンダー畑駅、上富良野駅などを過ぎてゆくと、徐々に近いところにきれいな丘が見えるようになってきた。
朝からずっとどんよりした曇りがちの空だったが、ときどき雲の合間から日差しが出てくるようになった。
踏切で待っている車に乗っている者が、このめずらしい列車を見て指をさしたりしているのが見えた。一時間弱で美馬牛駅に到着し、下車。
■富良野にはあまり興味がないのだけど、美瑛にはとても興味があって、立ち寄ることにしたのだった。ガイドブックなんかだと、
最近はだいたい富良野と美瑛が一緒に紹介されている。美瑛は美しい丘の風景が広がる町で、「パッチワークの丘」とか「セブンスターの木」とか、
見所がたくさんあるので、ちゃんと見て回るとしたら丸一日かかるのではないかと思う。美馬牛駅で降りるか、一つ先の美瑛駅で降りるか迷ったが、こっちのほうが人が少ないだろう、
と思って美馬牛駅を選んだ。かわいらしい小さな駅舎がある。ホームには背の高い木がそびえている。駅の南東側にある店でレンタサイクルを借りた。
アップダウンの多い土地なので、下りはともかく上り坂はたいへんだと思い、電動アシスト自転車を借りた。初めて乗ったが、平坦な道を走るときは普通のママチャリなんだけど、
坂道でものすごい威力を発揮するので驚いた。レンタサイクルの店で美瑛の見所が書いてあるマップをもらったのだけど、ちょっと走ってみると、あっちもこっちもきれいな丘が広がっていて、
いちいち自転車を止めて見たくなる景色ばかりだった。丘一面に広がっている畑ではじゃがいもやとうもろこしなどを栽培しているようである。
観光客や写真を撮りに来ている者もときどき見かけたが、みな自家用車やレンタカーを利用していた。
短い時間だったが、「クリスマスツリーの木」とか新栄の丘展望台、美馬牛小学校のあたりなどを見て回ったが、美瑛は、私がいままで行った場所の中でいちばん美しい景色の町の一つだと思った。
行ったことはないが、ヨーロッパのようである。ツールドフランスに出てきそうな景色だとも思った。必ずもう一度は訪れてゆっくり巡ろうと思った。
自転車を返しに行く途中、道に迷った台湾人の兄ちゃんに話しかけられ、どうやら私と同じ店で自転車を借りたらしく、店まで一緒に走って行った。
学生で、一人で旅行していると言っていた。日本人はみな親切で、北海道は美しい、といったようなことを英語で話した。かなりうまい英語だった。
こちらはたどたどしい英語だが、だいたい通じた。自転車を返してからもしばらく話をしていた。英語なので、込み入ったことまでは話せなかったが、
案外自分の言葉が通じたので、おもしろかった。
■美馬牛駅から旭川行きの列車に乗車。旭川界隈で祭りがあるらしく、若者がけっこうたくさん乗っていた。40分ほどの乗車。すっかり暗くなって、旭川駅に到着。
ホテルに荷物を置いてから、駅前の「買い物通り」へ。通りからちょっと外れたところにある店で旭川ラーメンを食べた。普通のラーメンだった。
ラーメンは普通がいちばんいい。背脂がどうのこうのとか、なんか薀蓄がいっぱいくっついてくるラーメンよりシンプルなのがいい。
疲れていたようで、早々と眠ってしまった。
No.1319 2008-8-13
■江差線江差駅。
■江差駅は、改札の向こうに海が見える。
■朝、五稜郭駅から江差線の普通列車江差行きに乗車。一両だけの編成で、たいへんな混雑ぶりだった。車内を見た感じだと、
盆の帰省と18きっぷ旅行者という感じの客の構成で、それぞれみな大きな荷物を持っている。しばらく立っていたが、15分ほどで上磯に着くと、
10数人降りていったので席が空き、座れた。向かいに座ったじいさんは朝から缶ビールを飲んでいる。徐々に民家が減ってゆく。
途中、小さな駅に停まるたびに二、三人くらいずつ降りていく。人里離れた場所をしばらく走り、再び人の気配のある町並みの中に入ってゆくと木古内駅に到着。
木古内駅は、列車が青函トンネルを抜けて北海道に上陸すると最初に停車する駅で、江差方面と函館方面へ向かう線路が分岐する地点にある。
将来、北海道まで新幹線が延びた際には新幹線の駅もできることになっている。ここで半分以上の乗客が下車。車内はがらんとし、静かになった。
■木古内〜江差間の区間に乗るのは、かれこれ15年ぶりくらいである。江差線というのは、五稜郭駅から江差駅までの区間のことを言うが、
木古内〜五稜郭の区間は函館と青森方面を結ぶ特急列車や貨物列車、北斗星やトワイライトエキスプレス、カシオペア、はまなすなんかの夜行列車も走る主要幹線で、
自分も何度も乗車している。木古内〜江差間はまったくのローカル線で、列車は一日6往復しか走っていない。新幹線の整備も多少関係するかもしれないが、
北海道のJR線で次に廃止になるのは、この木古内〜江差の区間ではないかと個人的に予想している。乗ってみた経験から言うと、
札沼線の北海道医療大学〜新十津川の区間や留萌本線の留萌〜増毛の区間も危ない気がするが、それはそれとして、新幹線が整備されたときに、並行在来線の整理、
JRからの分割が行われるというのはよくある話で、東北新幹線が盛岡から八戸まで延伸したとき、九州新幹線の新八代〜鹿児島中央間が開通したとき、長野新幹線が完成したとき、
いずれも並行在来線はJRから分割され、第三セクター化された。
第三セクター化でも路線が残ればまだいいほうかと思うが、木古内〜江差間はバスに代替する案が既に検討されていると聞く。
■そんな区間である。木古内までは海沿いを走るが、木古内からは山越えになる。渡島地方から桧山地方へ入っていくことになる。
天気予報でも、渡島と桧山は別扱いである。列車は木古内川に沿って走り、木古内を出て一つ目の駅、渡島鶴岡では、ばあさんが一人降りていった。そのばあさんは、
背中にリュックを背負っていたが、さらにその上に、リュックのように背負えるようになっている大きな巾着袋みたいなのを背負っていた。
二重に背負っていたのだった。次は吉堀で、貨車を待合室がわりに置いてる駅で、江差線にはけっこうこのタイプの駅が多い。
吉堀のほかにも東久根別や釜谷、桂岡、中須田なんかがそうである。吉堀を過ぎるといよいよ山越えとなる。速度が落ち、エンジンがうなりをあげて登ってゆく。
人の気配がほとんどなく、この先に人なんか住んでないだろう、というような場所を延々走る。この先に人なんか住んでないだろう、というような場所を走る路線は北海道には結構たくさんある。
都会では電車というやつは、町の中を走るものだが、北海道などの過疎地では、列車は町と町の間を走っている。町というより集落といったほうがいいかもしれぬ。
その集落も、よく見ると廃屋ばかり、というところもあり、住むには過酷な土地だ。山を登りきったところにあるのが稲穂トンネルで、ここを抜けるとようやく下り勾配となり、
エンジン音も静かになる。下りはじめたところにあるのが神明駅で、一人男性が降りていった。駅以外に何もないような山深い場所である。
彼は自転車をかついでいた。こんなところから自転車に乗るのか。冒険野郎である。でもよく考えると、山越え区間は自転車を降りて列車に乗ってしまうというのは賢いと思う。
下りきったところにあるのが湯ノ岱駅で、ここは、鉄道好きが喜ぶ「タブレット交換」が見られる駅である。
タブレットってなんだ?と思われる向きもあるかと思うが、私もそんなにわかってない。とにかく、交換をする都合で、駅には駅員がいる。
駅前にはちょっとした集落があり、駅名からもわかるように、近くに温泉がある。列車で訪れる者はまずいないだろうけど。このあたりから、天の川という川に沿って走る。
山を越えたので、木古内川とは逆の方向に水が流れている。木古内川は津軽海峡に流れ込むが、天の川は日本海へと注ぐ。
■桧山地方に入った。「桧山」というくらいだから山にヒノキがたくさん生えてるのかと思ったが、杉ばかりである。山の間で少し開けている土地には水田が広がる。
上ノ国という駅を過ぎると左手に突然ぱっと、海が広がる。線路は少し高い場所を走っているので、町を見下ろす景色で、町の向こうには青々とした日本海が見える。
天気がいいから海もきれいだ。海を見ているうちに大きな町の中に入ってゆき、終着の江差に到着。15年前、まだ高校一年生だったころ、友人達と、この江差までキャンプをしに来たことがあった。
駅からテントの部品やら食材やらいろいろかついでしばらく歩いて、カモメ島というところでテントを張って、火をおこしてごはんを炊いたりした。
岩場で友人が海に潜ったとき、ちょうど高い波がざぱーっときて、潜った友人がなかなか上がってこなくて、どうしたかと思ったら、潜った場所とぜんぜん違う場所から出てきたこととか、
少年が一人で釣りをしていて、小さなフグを釣り上げたこととか、荷物が重くてたいへんだったのに、キャンプ場の入口のコンビニエンスストアにはキャンプ用品コーナーがあって、
そこでなんでも買い揃えられたと知ったときに、なんだよー、と思ったこととか、そういう記憶はあるんだけど、江差線に乗ったときに見た景色とか、江差駅に降りたったときとか、
そういう記憶はぜんぜん無かった。初めて来たような気持ちで駅のホームや駅舎や駅前なんかを見て歩いた。片側一面だけのホームで、線路の終端には車止めがあり、その先にはマンションが建っている。
今は使われていない改札口の先には日本海が少し見えている。駅舎に入ると、薄暗いが案外広くて、駅員もいる。ストーブにつなぐ煙突が天井についている。
旅行のパンフレットがきれいに並べられていて、駅全体的にきれいにしてあるので、きっと几帳面な駅員がいるのだろう。ホームの看板には「ようこそ江差 追分流れるロマンの町」と書いてある。
かつてはニシン漁や北前船で栄えた港町である。ここで捕れたニシンが京都でニシンそばになったんである。ニシンそばはうまい。かつてのいわゆる「ニシン御殿」だとか、豪商の家なんかが結構残っていて、
北海道では珍しく歴史のにおいのする町なので、観光したかったのだけど、観光地は駅からかなり離れていて、折り返しの列車で帰らないと次の列車まで3時間以上あるので、
駅の周辺をぶらぶら歩くことにした。駅前にはバス停があり、バスのほうが本数が多い。コンビニエンスストア風の商店が一軒あり、あとは民家が何軒かあるくらいで、特になにもない。
駅舎は高台の上にある平屋建てで、鉄筋コンクリートの平凡な建物である。駅舎の向こうには小高い丘のような山が見える。海が見える方向へ歩いてみた。民家の間を通り、高台から海辺へ降りる階段がある。
階段といってもちゃんとした階段ではなくて、手作り感いっぱいの、ちょっと危なっかしいものだが、どうにか海沿いの国道228号線まで降りることができた。交通量はそれほど多くない。
海はきれいに透きとおっていて、波もなく穏やかだった。北の方向にはカモメ島が見える。島といっても地続きになっているのだけど、島みたいに見える。
■駅に戻り、列車に乗った。前日に乗った日高本線と同じように、この路線を走る列車も窓が開く。開けると心地よい風が入ってくる。来た道を戻る。右手に海。
天の川が流れ、ごくたまに魚釣りや川遊びをしている者が見える。帰りの列車は、湯ノ岱を過ぎると神明、吉堀、渡島鶴岡には停車しないので、30分ちょっと、ノンストップである。
普通列車だから全部の駅に停まるかと思うとそうではなくて、時間帯によっては、普通列車でさえ停まらない駅が北海道には結構あって、そういう駅はよほど利用者が少ないのだろう。
この列車は木古内止まりなので、木古内で函館行きの特急に乗り換え。朝、八戸を発車してきた函館行きのスーパー白鳥の自由席を利用。席はほとんど埋まっていたが、どうにか一つ空いていた。
この特急は五稜郭駅では停まらないので函館までいって、一つ引き返して五稜郭駅で下車。特急だとあっという間だった。
ショッピングセンターの中にあるドラッグストアで日焼け止めと防水スプレーを購入。ライジングサン・ロックフェスティバルのための買い物である。天気がどちらに転んでもいいように、
いろいろ用意する必要があるのだった。それからCLOEという喫茶店でコーヒーを飲んで、実家に戻った。夜は兄の家族と、ショッピングセンターにある店で食事をした。
甥達がぎゃあぎゃあ騒いで、店の人や他の客に申し訳ない気持ちになった。早く店を出たかった。
No.1318 2008-8-12
■海が見える駅。日高本線大狩部駅。
■清畠駅近く、踏切の向こうは海。
■絵笛駅停車中、車内から見た牧場。
■海辺の昆布干し。
■様似駅。日高本線の終端。
■眠っているあいだに北海道に上陸。実家のある函館では下りず、朝5時に苫小牧駅で下車。終点の札幌まで乗る者がほとんどなのではないかと思っていたが、
意外と、苫小牧で下りる者は少なくなかった。駅のトイレで顔を洗うと、水道の水が冷たい。少し時間があったので、駅を出てぶらぶらしてみた。苫小牧といって思い浮かべるものはあまり多くない。
ハスカップとウトナイ湖、あとは製紙工場くらいか。人口は17万人くらい。北海道のなかではかなりの都市と言っていいかと思うが、
さすがに朝5時なので、駅前といっても、人も車も通らず、ひっそりとしてる。というか、朝早くから人がうろうろしている東京とか大阪とかのほうがおかしいんである。
電車が動く時間になると、もう人がいる。なんだろうあれは。で、ひっそりしてるんで、駅の軒下には、寝袋で野宿する若者のグループがいた。自転車旅行をしているみたいで、
傍らにはけっこう高そうな自転車がたてかけてある。TREKとかCANONDALEとか。駅から南へ向かって歩くと王子町で、王子製紙の企業城下町というやつである。。
王子総合病院もあればグランドホテルニュー王子もある。王子製紙スケートセンターもある。コンビニエンスストアしかないので、そこで簡単な朝食を買った。
■苫小牧から日高本線に初めて乗車。「本線」とはいうものの、この線から分岐する枝線はない。かつてはあったようである。苫小牧から様似までの150キロほどの路線で、
はまなすを利用したことで、一番列車に乗ることができた。車内は空いていた。朝早くから部活動だろうか、高校生が乗ってくるが、静かにしていてえらい。
日高本線の車窓から見える景色を簡単に説明すると、最初苫小牧の町並み、それからいきなり茫漠とした原野、大きな火力発電所を過ぎると右手に海、左は牧場。しばらくすると右も左も牧場。
それから海辺で昆布干し。長い昆布がずらーっと並んでいる様子はすごい。日高の海でとれる昆布は質がよくて、けっこうな値段で売られている。
牧場の子馬が二頭、列車を追いかけて走ってきた。
■苫小牧から約一時間半、大狩部駅で下車。太平洋を見渡せる海際の駅だ。近くに小さな集落があるだけで、あとは交通量の多い国道235号線しかない。
雰囲気は、五能線の驫木駅にちょっと似てる。一応、駅舎というか、待合室のような小屋はあるのだけど、コンクリートブロックで作られたこぢんまりとした建物で、
窓も無いから薄暗く、中にいたいとは思わないが、よく見ると「駅ノート」が置いてあった。テプラで作ったシールみたいなのが表紙に貼ってあって、
「いたずらはいやづら。。。」って書いてあった。「設置者」は「あず」という人のようである。短いホームが一つあるだけの小さな駅だが、眼前には太平洋がどこまでも広がっている。
■大狩部から一駅、およそ2キロ歩いて、節婦駅へ。国道235号線をのんびり歩いた。交通量が多く、大きなトラックも有料道路みたいな速さで走る。歩道が無いから、
道の端っこにへばりつくようにして歩く。車はおそろしい。あんなのに当たられたらひとたまりもない。宮脇俊三さんが著書の中で
「列車はスピード違反をしない。車は平気で制限速度を超えて走る。だから人を殺す」というようなことを書いていた。その通りだと思う。
大狩部駅から歩き出してすぐのところに川があって、そこにかかるのが節婦橋である。橋から川べりをみると、どういうわけか、巨大な熊のぬいぐるみが放置されていた。
なんだか奇妙である。このあたりは新冠町で、海辺に「旧節婦小学校跡」という立派な石碑が新冠町教育委員会によって建てられている。
節婦の集落に入ると、猫の親子がこちらをじっと見ていた。朝から畑仕事をする老人や、魚を干す者らの姿が見受けられる。集落に入ってまもなく、節婦駅に着いた
貨車を駅舎にした駅で、こぢんまりした駅前広場がある。花壇があり、きれいな花が咲いていて、駅の中やホームもきれいだった。
おそらく近隣の者が清掃や手入れをしているのではないか。小さな娘を連れた父親がホームの上で写真を撮っていた。周囲には民家がたくさんある。
苫小牧行きの列車で少し戻る。15分ほど乗車。大狩部を過ぎて清畠という駅で下車。大狩部駅に比べると少し距離があるが、こちらもホーム上から太平洋が見渡せる。
小さなガラス張りの駅舎があり、ちょっとした駅前広場があって、その両側には住宅が数軒ある。犬にほえられた。国道235号線を渡ったところには
「ヘアーサロンたけだ」という店があった。まだ朝9時を少し過ぎた時間だったが、「ヘアーサロンたけだ」の並びにある商店が開いてたので、パン一つと飲み物を購入。
相変わらず国道を走る車の量は多いが、大狩部、節婦、そしてこの清畠のいずれの駅でも、乗降するのは私一人だった。様似行きの列車に乗車。
意外にも、乗客はけっこう多い。
■海沿いを走り、三たび大狩部を通り過ぎ、節婦、新冠などを経由し、静内で20分ほど停車。せっかくなので列車を降りて駅の外に出てみた。駅前の様子は、
苫小牧を出てから久々に町らしい町で、建物も多く、駅前にはタクシーも停まっている。駅舎は平屋だが三角屋根で木材の色を活かしたなかなか立派なものである。
駅員もいるし、土産物の店もある。名産の昆布が安い。待合室には何人も人がいた。駅のホームには「ようこそしずない」という看板があって、馬の絵が描かれている。
駅前には馬が跳躍している姿の、背の高いモニュメントがあった。このあたりはサラブレッドの産地のようで、私は競馬にはまったく興味がないのでわからないが、
名馬「なんとか」を生んだ牧場とかそういったのがあるみたいである。静内を発車してからもしばらくは海沿いをゆくが、少しずつ海を離れて、
牧場の中を走るような感じの車窓風景となる。このあたりの駅の名前は「春立」「日高三石」「本桐」「荻伏」といったような具合で、
アイヌ語由来の地名ではなさそうである。おそらくこのあたりは古くから和人が入植していたので、土地に和名があったのだろう。
アイヌ語由来の地名というと「〜ップ」とか「〜ホロ」「〜ポロ」とか「〜ナイ」とか「〜フツ」、あと「〜ベツ」や「〜ウシ」なんてのもある。
特徴的な響きなのでだいたいわかると思う。それらに強引に漢字をあてている。「〜ナイ」というのは「川があるところ」とか、たしかそういった意味があったように記憶している。
日高本線の駅名でいうと「静内」がそれにあたるだろう。「〜ップ」だと「節婦」や「新冠」、「〜フツ」だと「勇払」がある。「日高門別」や「日高幌別」は「〜ベツ」のタイプに該当するだろう。
今は大都会の「札幌」もアイヌ語からきてるし、帯広はたしか元々「オペレケレプ」とかいう地名だったらしい。
■民家が見えなくなり、右も左も牧場で、見えるのは馬ばかりである。たまに牛の牧場もある。絵笛駅なんか、周りが全部牧場、というか、牧場のど真ん中に駅がある、といった具合で、
いったい誰が利用するのか、と思う。浦河まで来るとけっこうな町で、終点の様似まで、途切れずに民家が見える。浦河を過ぎると、再び海が近づき、
このあたりの浜は、敷き詰めた砂利の上にずらーっと、何メートルもある長い昆布を並べて干している。それがずっと続くから圧巻である。日高本線の終盤の車窓を盛り上げる景色である。
■終点の様似に到着。終着駅らしく、ホームから100メートルくらい先の線路の終端に車止めがあり、そこまでレールは延びているが、列車はそこまで行かないので、車止めのあたりは背の高い植物がたくさん生えている。
線路の途切れた向こうには日高山脈の山並みが見える。あの山脈の向こうに、かつて国鉄の広尾線が走っていて、そこに幸福駅なんて駅があった。様似駅の前からバスが出ていて、
襟裳岬まで行けるようだ。今回は襟裳岬までは行かず、乗ってきた列車で折り返して苫小牧まで戻るが、発車まで時間があり、ちょうど昼時だったのでなにか食べようと思ったのだけど、
駅のまわりには食事をできる店はなく、コープがあったので、そこで適当な弁当を買って食べた。様似駅は、改札業務をする駅員はいないが、切符の販売はやっているようで、
窓口に人がいて、切符を買う者に対応していた。駅舎内には観光案内所があって、案内の業務をしていると思われるおばさんの姿があったが、私がいた時間は、
案内所を利用する者はいなかったみたいである。様似には襟裳岬以外に観光できるところあるのだろうか。駅の建物からちょっと離れた場所に「さわやかトイレ」と文字のあるトイレがあり、
利用してみると確かにきれいに掃除が行き届いていてさわやかであった。
■苫小牧行きの列車に乗り、終点まで乗り通す。車両に冷房はついていないが、窓を開けることができるので、走るといい風が入ってきて気持ちがいい。
海沿いを走るときなど、少し寒いくらい、冷えた風が入ってくる。日高東別から春立の間を走行中、列車が急に速度を落とし、警笛を鳴らした。
なんだろうと思ったら車内アナウンスがあり、線路内に鹿が入ったとのこと。へえ、と思って外を見ると、バンビみたいな小さな鹿が一匹、
ぴょんぴょんと跳ねるように逃げていくのが見えた。昆布干し、牧場、海、原野をみながら約三時間、苫小牧まで戻ってきた。
苫小牧からは、札幌発函館行きの特急スーパー北斗に乗車。指定をとっていなかったので、自由席に乗車。盆の帰省等もあってか、スーパー北斗は苫小牧駅に入ってきた時点で既に多数の立ち客。
デッキは混雑していたので自由席車両の通路で立つことにした。函館までの二時間半立ちっぱなしか、と覚悟を決めて音楽を聴きながら本を読むことにしたら、
30分くらいして室蘭に着いたらけっこう下りる客がいて、あっさり座ることができた。五稜郭駅で下車し、夜7時前には実家に着いた。
No.1317 2008-8-11
■夏の帰省と北海道旅行の話。
■一日目は11日月曜日。行きはJR、帰りは飛行機ということにした。今回の旅行は、函館の実家への帰省をからめつつ、
・北海道のJR線全線乗車を果たすために、未乗の日高本線、石勝線、富良野線を消化する
・夜行の急行列車はまなす、最後の北海道内夜行まりもに乗車する
・帯広で豚丼を、新得でそばを食べる
・ライジングサン・ロックフェスティバル二日目に参加する
などなど、他にもいくつか目的があったのだった。で、計画していくなかで、ここで少し観光の時間がとれるな、とか、
ここはどうしても行きたい、とか、ああでもないこうでもないと案を練っていった結果、
6泊あるうちの3泊が夜行、2泊が実家、1泊がホテル、ということになった。
■夕方の東北新幹線で東京から八戸へ。東京駅は混雑していた。大きな荷物やお土産の紙袋を持った者が多い。夕食に駅弁を一つ買った。東京駅で駅弁を買うときはだいたいいつも、
「釜めし弁当」か「深川めし」だが、今回は「たっぷり夏野菜弁当」というやつにしてみた。かなりおいしかった。
大宮を過ぎるあたりまでは外が見えていたので、景色を眺めていた。新幹線は、トンネルが多くて、線路脇は防音壁でがっちり囲ってあったりするので、
あんまり景色が見えないからおもしろくないが、高架の上を走ってるので、町を見下ろす景色が見える区間もある。
上野から赤羽あたりの、東京北部のエリアは、意外と起伏があって、よく見ると丘と谷の上に建物が立っている。
■夜9時過ぎに八戸に着いた。ホームに降り立つと、ずいぶん涼しい。一気に北上したものである。青森行きの在来線の特急に乗り継いだ。
ちょうど一時間ほどで青森駅に到着。自転車を運んでいる旅行者を何人か見かけた。ホームのそば屋が「そば処 八甲田」という名前だった。
青森発、青函トンネルを経由し札幌まで行く夜行の急行列車はまなすに乗り換え。この列車に乗るのは初めてで、一度乗ってみたかった。
おそらくこの列車は、北海道まで新幹線が延伸したときまでに廃止になるのではないかと思う。ことによると思いのほか早く廃止になるかもしれぬ。
盆休みの時期ということで、かなりの乗車率だった。ゆったりしたシートの指定席だったのだけど、足元がせまくて、足をどこに置くか悩んでごそごそやってるうちに眠ってしまった。
■画像は、青森駅に停車中の急行はまなす。
No.1316 2008-8-10
■8月になっていた。
■7月末の、18きっぷと夜行で弾丸ツアー長野編などもあるんで、津田沼ノート7月分もよかったらおねがいします。こちらから(津田沼ノート7月)。
■またもやずいぶん更新が滞ってしまった。だめである。あんまりにも暑いので、自転車に乗る気力もない。
■ツール・ド・フランスも終わってしまい、ぼうぜんと過ごしていたが、とりあえず盆休みの航空券やJRの切符や宿を手配した。
あの手この手で、望んでいた切符はぜんぶとれた。あと、ライジングサンロックフェスティバル(以下RSR)のチケットも購入した。
二日目の16日だけ行く。16日券と通し券は売り切れたそうだ。今年はチケットの出足が早い、というのを小耳にはさんでいたんで、
早めに買っておいてよかった。今年は行くつもり無かったんだけど、RSR10周年のメモリアルフォトブックみたいなやつを買って、
いままでの写真の数々を見てたら、行きたくなった。まんまと連中の術中にはまってしまった。うっかりグッズの予約とかもしてしまった。
■16日最初に見るライブは、Green Oasisの押尾コータローにしようかBOHEMIAN GARDENのエマーソン北村にしようか悩む。二番目はRED STAR FIELDのDouble Famousかな。
次はGreen Oasisでゴンチチだろうな。ゴンチチ終わったらグッズ売場に行って予約したものを受け取って、それからRED STAR FIELDでYuji Ohno Lupintic Five、
早めに移動してpupa、次がEARTH TENTでの少年ナイフとmoon circusでのrei harakamiでまた悩む。
そこのタイミングでmoon circusからEARTH TENTへ移動するのはちょうどSUN STAGEでのミスターチルドレンのライブへ移動する者達で渋滞しそうだから少年ナイフは断念かな、
とか、そういうことをタイムテーブルを見ながらつらつら考える。で、おおまかに計画考えるんだけど、だいたい毎回、たまたま通りかかったステージでおもしろいライブやってて、
予定とかどうでもよくなったりする。
■去年は行かなかったが、2005年、2006年のときは会場内かなり混雑していたんで、チケットの売れ行きを見てると、
今年はさらに混みあいそうである。でもミスターチルドレンの出番が終わったらかなりの人数が帰るんじゃないかなと予想している。
2000年や2001年頃の、のんびりした感じとか、出演者たちがなんとうなく集まって小さなスペースでセッションを始めてしまうようなあの頃のRSRの雰囲気にはもう戻らないのだろうな、
と思うと少々さびしい。昔はよかった、とかすぐ言うおっさんみたいでいやだけど、そう思う。近年になっても多少、そういう雰囲気は受け継がれているけど。
■あと、くそ転売屋どもがRSRのチケットにも手を出していて、ヤフーオークションなんかだと、かなり強気の値段設定をしていて、それも腹が立つ。
今年は運良くチケットをふつうに買うことができたけど、来年以降もこういう状況が続くようだったら、もう行かないようにしようと思う。今回でちょうど10回目の開催で、
きりもいいし。
■でも、かつて、くるりが終演時間を無視してライブをやり続けてくれたり、ザゼンボーイズが結成して最初のライブアクトとして選んでくれて、
フィッシュマンズが仮復活して最初のライブをやってくれ、そして今回、サニーデイサービスが再結成ライブをやってくれる。そんなロックフェスが、
私の生まれた北海道の地で10年間続けてこれたことは素直に嬉しく思う。
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「津田沼ノート」は武田がやっています。
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