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No.1371 2009-2-22
法隆寺の五重塔
法隆寺の五重塔

南大門にいた猫
南大門にいた猫

西円堂からの眺め
西円堂からの眺め

ならまち
ならまちの一角

■ホテルで朝食。朝からちゃんと手間をかけたものが食べられるのは嬉しい。おいしかった。トマトジュースとかうまかった。 チェックアウトしてJR奈良駅へ。天気は薄曇ながらまあまあいいが盆地らしい朝の冷え込み。駅は工事をやってて、改札口からホームまでずいぶん歩かされる。 関西本線のうぐいす色の電車で法隆寺へ。奈良〜法隆寺の区間は初めての乗車。といっても駅にして4駅、12km足らずなので10分くらいで着く。 法隆寺駅はふつうの新しめの駅舎に瓦屋根をむりやりくっつけたような妙な外観をしていた。法隆寺行きの路線バスは、冬は9時台からしか走ってなくて、 まだ9時前だったので、駅の北口から歩いていくことにした。世界的観光地の最寄り駅のわりには、商売気のない駅前だった。みな観光バスや自家用車で観光するから、 鉄道を利用する者は多くないのだろう。曲がり角ごとに「法隆寺はこちら」と矢印が書いてあるので迷わない。そういえば駅前に「法隆寺不動産」というのがあった。 このあたりは生駒郡斑鳩町ということになっている。奈良県道5号線を北へ800メートルほど、「法隆寺東」という交差点を左折して250メートルくらいいくと、 まっすぐ北へのびる雰囲気のいい松並木の道があって、そこを抜けると法隆寺の南大門である。門のわきに黒猫がいた。さすがに有名な寺なので、朝から観光客がけっこう来ている。
■拝観料は1000円。他の寺院と比べるとやや高いが、それだけの価値はある。あと、それだけ払ったからには、しっかり見てやろう、という気持ちになる。 西院伽藍と大宝蔵院、東院伽藍(夢殿)の三箇所の拝観が有料となっていて、一枚の券でその三つに入場できるようになっている。 まずは回廊に囲まれた西院伽藍の五重塔と金堂を見た。法隆寺のは、日本最古の五重塔で、七世紀〜八世紀のものだそうだ。屋根のてっぺんには立派な相輪がそびえる。 前の日に見た興福寺の五重塔と似ている。金堂内には壁画があったのだけど、1949年1月26日に、不審火で焼失してしまったそうで、それをきっかけに1月26日は文化財防火デーとなったとのことである。 で、今は1967年から1968年にかけて模写された壁画を見ることができる。部屋の四方に菩薩様だとかいろいろ仏様が描かれている。回廊のわきでは、梅が咲き始めていた。 というか、高校の修学旅行で法隆寺に来たはずなんだけど、まったくなにも覚えてなかった。一般公開していない施設も含めて、境内がそうとう広い。 聖霊院の前に鏡池という、水が緑色の池があり、奥まった場所へ歩くと、大宝蔵院がある。赤と白が鮮やかな新しい建物で、中には教科書に出てくるような国宝クラスがごろごろあってすごい。 玉虫厨子は、思ってたよりでかかった。百済観音はすらっとしててモデルみたいな体型だった。東大門をくぐって夢殿へ。八角の堂の中には救世観音の像があったが、中が薄暗かったのと、 ぞろぞろ団体が来てゆっくり見れなかったので、よくわからなかった。以前も書いた気がするが、私はあの団体旅行の団体っていうのが大嫌いで、うるさいとか図々しいとかいろいろ理由はあるが、 旗を持った姉ちゃんにぞろぞろついて歩いて、ぽかんと口あけて説明聞いてる連中を見ると、見たいものくらい自分で決めて、自分で調べて行動すればいいのに、と思っていらいらする。 子供なら仕方ないが、いい年したじじばばとか、みっともない。夢殿自体は、均整の取れた美しい建築である。屋根にも角が八つあって、それぞれの角の先に鬼瓦が二つ前後に並んでついていて、ちょっと独特である。 東院伽藍の前にある手水舎では鳳凰の口から水が出ていた。
■東院伽藍の裏手には中宮寺があり、法隆寺とは別に拝観料を払う。中宮寺は「斑鳩御所」とも呼ばれ、皇族とのつながりが強い。 寺の本堂は昭和43年にできた新しいものである。池の上に建つコンクリート造の寺である。なので建物自体はそんなにおもしろくはないが、 なんといってもここの寺で見るべきなのは半跏思惟菩薩像である。正式には「如意輪観世音菩薩半跏像」といい、飛鳥時代のもの。足を組み、頬に右手の指をあてて思いにふける菩薩像は、 普通、仏像は立像か坐像で、手で印を組んでいるのが多いと思うので、仏像のなかでもかなり独特な作品なのではないか。ポーズも、かすかに微笑みを浮かべる表情もとても美しい。 「天寿国曼荼羅繍帳」のレプリカも展示されている。本物は奈良の国立博物館に保管されているそうだ。亡くなった聖徳太子のために、往生した天寿国という理想浄土の様子を刺繍で描かせたものだということである。 人物がたくさん描かれているが、左上には月とうさぎがユーモラスに描かれていて印象に残った。 あと、たまたま、普段は公開していない、寺の裏にある表御殿という建物の内部を公開していたので見せてもらった。中では観光ボランティアみたいな感じのいいおじさんが説明をしてくれた。 それほど大きな建物ではないが、襖に仕切られた六つの間があり、皇族のかたに謁見するための建物らしい。書院建築の建物で、全ての襖には障壁画があり、 人や動物・植物等が描かれている。「猿の間」という部屋があって、襖には猿がたくさん描かれていておかしい。 ふつう、障壁画には、描いた人間の名を入れるが、皇族のかたが使う部屋の襖絵なので、自分の名を入れるなんて畏れ多いということで、名を入れてない。 ちなみに、描いたのは狩野派の人物とのこと。
■東院伽藍から来た道をずっと戻り、最初に見た西院伽藍の前を通り過ぎて境内の西の端にある西円堂へ。途中、人懐こい三毛猫がいて、通りかかる人ににゃにゃと声をかけていた。 西円堂は小高くなったところに建っていて、石段をのぼると境内を見渡すことが出来る。五重塔や金堂がよく見える。かすんではいたが、遠くに斑鳩の町並みが見えて、景色がいい。 西円堂は、夢殿や興福寺の南円堂のような八角の堂である。法隆寺のほかの場所と比べると人が少なく、ひっそりしていた。 帰りはバスがあったので、法隆寺門前というバス停から奈良交通の路線バスに乗車。法隆寺駅まで。駅前の郵便ポストはこげ茶色だった。 電車で奈良駅まで戻り、三条通りを通ってならまち方面へ。途中、町なかにふつうに天皇陵があっておどろく。開化天皇陵というらしい。 ならまちというのは昔の町並みが残っているエリアで、歩いてみると、インパクトは強くないが落ち着いた町並みである。家の軒先に赤い色のボクシンググローブみたいなのが吊り下げられていた。 大きいのや小さいのがあって、一個だけ下げている家もあれば、たくさん下げている家もある。なんだろうこれはと思った。身代り申(さる)みたいなことが書いてあって、 どうやら魔よけとかそういったものらしい。近鉄奈良駅の近くで昼食をとり、興福寺の北側、国道369号線を歩いて奈良県庁のあたりを東へ。 歩道を歩いてると向こうから、人ごみにまぎれてなにくわぬ顔でふつうに鹿が歩いてくるからおかしい。奈良国立博物館のあたりの公園に鹿がたくさんいるので、なでたりして遊んだ。 鹿と子供たちが広々とした公園で遊んでいて、のんびりした平和な風景である。
■近鉄の特急に乗ってみたかったので、指定席券を購入してみた。黄色い車両の特急で京都へ。平城宮跡の南側を突っ切って走る。4両くらいの編成で、乗客が少ないのに、 客を一つの車両に集める指定席の売り方をしていて、感心しなかった。あと、くそがきが、土産物かなにかの鈴をずっと鳴らしててうるさくて殴ってやりたかった。 母親は寝てて、父親は知らぬ顔をしていた。子供車両を作ってそこに子供と家族連れをまとめてほしい。座席や走りは快適だった。カーブしながら京都駅に到着。 さすがに京都駅は人がすごく多い。奈良は人が少なかったので、よけいそう感じた。奈良は京都とくらべると、アクセスが少しよくない分、人も少ないからとても歩きやすい。 そのわりには見るべき一級品の場所やものが多いから、とても魅力的な土地である。明日香や吉野、室生寺にも行ってみたいし、斑鳩方面でも法隆寺以外にもいくつかよい寺院があるというし、 今井町とか、まだまだたくさん行ってみたい場所があるので、機会を作って何度でも訪れたい。
■京都駅から夕方の新幹線で東京へ。それなりの混雑。東京駅で快速に乗り換えて津田沼。
No.1370 2009-2-21
興福寺の南円堂
興福寺の南円堂

春日大社の回廊の釣燈篭
春日大社の回廊の釣燈篭

東大寺の鹿
東大寺の鹿

東大寺の中門と大仏殿
東大寺の中門と大仏殿

平城宮跡
平城宮跡

平城宮跡の朱雀門と近鉄の電車
平城宮跡の朱雀門と近鉄の電車

■朝早い新幹線で京都へ。山側の席だったので、富士山が見えた。いままででいちばん、きれいに見えた。天竜川の河口あたりから、でっかい富士山が、裾野までしっかり見えた。 いつも茜浜から見てる富士山がすぐ近くにあって、不思議な感じがする。遠くからでも見えるだけあって、本当に大きく高い。そして美しい山だ。そこらの凡百の山とはちがうなと思った。
■京都駅で近鉄に乗り換え。急行の橿原神宮行きで大和西大寺まで行き、乗り換えて終点の近鉄奈良駅で下車。近鉄の京都駅も奈良駅も、終端式の櫛型ホームなので、終着駅という感じがする。 近鉄の奈良駅は地下にあった。地上に出ると空気が冷えている。国道369号線を渡ってバス案内所に行き、奈良交通のバス一日乗車券を手に入れた。でもバスには乗らずに歩いて、 まずは興福寺へ。
■2006年の6月に乗換えでJRの奈良駅に降り立ったことはあったが、町中を歩くのは高校の修学旅行以来なので、奈良については初心者である。 じゃあ下呂はどうか、浜頓別とか、藤枝は、佐賀はどうか、と言われると、初心者どころか、行ったこともない。日本全国、行ったことない場所だらけである。 で、初心者なので有名どころを中心に見て歩いた。高校のときは、寺なんて見てもおもしろくねえとか、じじくさくてだせえみたいな感じで、ろくに見もしなかった。 いま思うと本当にばかである。でも高校くらいのときは、みんなそんなものかもしれぬ。だから修学旅行なんて意味ないと思った。逆に、高校くらいのときから寺や神社を楽しめた人は、 人生得してると思う。
■猿沢池側からの階段を登る途中に三重塔が見え、階段の両脇には、なんとか観音菩薩と書かれた赤い幟がたくさん立っていて、階段を登りきって興福寺の境内に入ると、 まず目に入るのは南円堂で、上から見ると八角形をしている、どことなく中国風のような印象の建物である。屋根が丁寧な装飾で美しく、建物とは屋根なんだなと思う。 境内はとても広く、力があった寺院であることがわかる。 中臣鎌足以降、藤原氏とかかわりの深い寺だったようである。中心部がぽっかり大きな空き地となっていて、 これは、焼失した中門や回廊、そして寺の中心となる中金堂があった跡で、いずれ修復する予定らしい。そして、焼失を免れた大きな五重塔と東金堂が並んで建っている。 五重塔の近くには数頭の鹿がいて、ぼんやりしたりうろうろしたりしている。人をそれほどこわがらない。 東金堂の近くにある国宝館に入ってみた。薄暗く、天井の高い建物の中には、国宝クラスの塑像類がごろごろある。 木製の仏像が特に多く、流れる布の表現が美しい。現代の知識や技術で創ったとしてもすごいと思えるものばかりで、昔の人はさぞ驚いたことだろう。 阿修羅もいるし金剛力士像もある。薬師如来もいる。有名どころの仏様が勢ぞろいである。千手観音など、 やけにでかい上に金色がきらきらしてて、昔の人たちは腰を抜かしたのではないか。
■少し駅のほうに戻って「しもみかど」と書いてあるアーケードのある商店街のなかの喫茶店みたいな店で昼食。せっかくなので奈良らしいものでも食べようかと思ったが、 なにも思い浮かばなかった。この商店街にはどういうわけか、喫茶店で定食を出している店が多く、そのなかの一つに入ってみた。地元の者と思われる若者や家族などが来ていた。 「えびチリコロッケ定食」というのを頼んでみた。コロッケとえびチリが皿にのって出てくるのではないかと思ったら、大きなクリームコロッケのなかにえびチリが入ってた。おいしかった。
■猿沢池の通りを東へ歩いて春日大社へ。「鹿の飛び出し注意」という道路標識がある。菊水楼という歴史のありそうな立派な旅館の前を通って、一の鳥居前の交差点で信号待ちをしていたら、 外人が人力車に乗って得意げな顔をしていた。道を渡って鳥居をくぐり奈良公園内に入ると、松並木の参道がずっと続いていて、道の両側や真ん中に鹿がいる。 けっこう歩いて二の鳥居あたりまで来ると、苔のついた石灯籠がたくさん並んでいる。参道で眼鏡をかけた外人に写真撮影を頼まれた。ソニーのサイバーショットのαシリーズのいいカメラを渡された。 南門を入ると、回廊に囲まれた空間があり、中門があって本殿がある。全体的に朱に塗られていて鮮やかなので古さを感じないが、春日大社の創建は768年だそうだ。 平城京鎮護の神として広く信仰を集めたとのことである。釣燈篭のある回廊が印象的だった。宝物殿があったので入ってみた。 曼荼羅などの絵図類が多く、鹿に関する美術品・工芸品も多い。刀剣・甲冑も多く所蔵しているそうで、装飾が過剰に施された国宝の赤糸威大鎧などが展示されている。 興福寺にしろ、春日大社にしろ、国宝・重要文化財がごろごろあって、頭がくらくらしそうになる。一時期とはいえ、さすがに都だっただけのことはある。 白人以外にも中国系の観光客も多い。中国だったらすごい遺物がたくさんあるじゃないか、なんでわざわざ日本に来てるんだ、と思ったが、 後から気がついたのは、要するに「世界遺産」というやつである。世界遺産であることを記してある石碑をみな撮影していた。
■広々した公園を歩き、鹿と遊んだあと、参道を途中まで戻り、短い区間だがバスに乗車。すぐに降りて東大寺へ。興福寺、春日大社にくらべて人も鹿も多い。 いきなり南大門がでかい。ものすごい大きさだ。門の内側には運慶・快慶の金剛力士立像があって、これまたでかい。なにもかもでかい。 仏像のおだやかな表情やたたずまいとくらべると、たいへん険しい顔立ちで、筋肉が隆々としていてものすごい迫力だ。 しかし、気がつかないのかなんなのか、素通りする者が多い。みな大仏を見たくて気が早ってるのかもしれぬ。 東大寺というと、大仏である。高校の修学旅行で奈良を訪れたときの唯一残っている記憶が、大仏がでかかったことである。 中門の向かって左側にある入口から回廊に囲まれた場所に入ると、屋根のてっぺんに金色に光る鴟尾をのせた大仏殿が見える。一瞬、遠近感がよくわからなくなるくらいでかい。 遠めで見ても、人がものすごくちっちゃく見える。高さが50メートル近くある。ばかばかしいほどのでかさだ。大仏殿の前には、高さ4.6メートルの銅製の八角灯篭があって、これ単独で見ると、やけにでかい燈篭のはずなのに、 ちっちゃく見えてしまう。大仏殿に入ると薄暗い。そしてみなぽかんと見上げている。右の手のひらをこちらにむけ、黒く光る大仏さまである。でかいな、と思わず言ってしまう。 正しくは「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」というんだそうだ。左右に如意輪観音菩薩、虚空蔵菩薩を従え、そのやや後ろには広目天と多聞天を従えている。それらも十分大きいが、 やはり大仏と並んでしまうと小さく見える。大仏の背後には立体曼荼羅というのか、3D曼荼羅とでも言ったらいいのか、そういったものがどんとあって、 金色のちいさな大仏みたいのがいっぱいあって、なんだかおかしい。「ちいさな大仏」というのもなんだかよくわからないが。 中門の脇には池があり、そのほとりにも鹿が歩いていた。池ごしに見る中門と大仏殿が美しかった。
■路線バスでJR奈良駅へ。駅前でコーヒーでも飲もうかと思って、喫茶店の類を探したが無くて、ミスタードーナツに入った。 先にレジにいたばあさんが店員に「店内でお召し上がりですか?」と聞かれて「お召し上がりです!」と元気にこたえていた。 結婚式帰りと思われるスーツ姿の男達もいた。そろいの紙袋を持っていた。JR奈良駅の西口とつながってるホテルでチェックインついでに荷物を部屋に置き、 再び駅前へ。7番のりばから12系統の西大寺行きのバスに乗車。途中、すごくうるさい家族連れが乗ってきてうんざりした。「カオス」という美容室があった。 距離は約4kmちょっとだったが、思ったよりけっこう時間がかかった。平城宮跡に到着。ここがすごい。なにがすごいかって、なにもないのだ。 そのなにもなさがすごい。本当になにもない。ここがかつての日本の中心だったわけである。奈良時代の都だった場所で、西は西大寺の町、東は奈良の中心市街地となっている。 ここだけぽっかり、野原なのだった。今も発掘調査をやっていて、あんまり広いので、全部終わるまでにあと100年くらいかかるそうだ。 なので国有地として保存されている。南端には復元された朱雀門があって、北の端にはいま復元工事をしている最中の大極殿がある。あとはだいたいだだっ広い野原で、 犬が走り回っている。犬好きの者が集まっているようである。舗装されている道もあって、自転車で通る者やジョギングの者もいる。近鉄電車の線路がこの平城宮跡の中を東西に走っているのがなんとも不思議な感じである。 見通しが利くので、遠くの山に日が沈みかけているのが見えて、きれいだった。
■バスでJR奈良駅へ。細い道を通るので、車が混んでてかなり時間がかかる。ホテルの窓からは奈良駅のホームが見下ろせた。夜8時近くになると、 駅前の店の多くはシャッターが閉じられていた。
No.1369 2009-2-16
NOKIA

■大阪の白ロム専門店の通販で携帯電話を買った。ノキアのN95である。ネット上でも日に日に在庫が減ってゆく様を目の当たりにし、 これやばいと思って購入した。日本から撤退が決まっているノキアなので、買い逃すと二度と手に入らないような気がする。 携帯電話に関しては、日本のメーカーには失望しているので、選択肢がノキアしかなかったのに、それさえ今後買えなくなるとすると、どうしたらいいのだろうかと途方にくれるのだった。 とりあえず、N95は使い勝手もすごくよくて気に入った。
■歴代ノキアを並べてみた。手前から6680、N73、N95である。下の画像はスクリーンショットである。

N95のスクリーンショット1  N95のスクリーンショット2
No.1368 2009-2-15
茜浜の猫たち

■ぱっとしない天気だったが、自転車で走った。風はあまりなかった。まろにえ通り、県道15号線経由で幕張ベイタウンまで。 ヴィレッジヴァンガードで宇都宮徹壱氏の「股旅フットボール」という本を買った。西部謙司氏、六川則夫氏らと同様に、 私が信頼するサッカーライターの一人である。日本サッカーの中で、あえて、四部リーグにあたる地域リーグを精力的に取材している。すごくいい本。
■来た道を戻って新習志野の茜浜へ。雲の間から時折、光が差して、東京湾の一部だけがきらきら光っていた。 いつも見かける猫たちはあいかわらず元気そうだ。
No.1367 2009-2-14
玉田の店

■2月なのに、やけに気温が上がって、暑いくらいの陽気。この時期に「暑い」なんて言うと思わなかった。津田沼駅近辺でちょっとした買い物。 駅前にある千葉工業大学では入試をやってたみたいだった。今年になって駅前にオープンした、 名古屋グランパスエイトの玉田選手がプロデュースしたというもんじゃ焼きの店の前を通りかかったので、ちょっと見てみた。 店はまだ営業時間前だったようで、人はいなかったが、ガラス張りなので中が見える。美容室みたいな店。大きなモニターが壁についてるので、 サッカーの試合など見れるのではないか。
No.1366 2009-2-07
洋食の店

■津田沼小学校のほうにあって、いつも混んでいる洋食屋コモがJR津田沼駅のそばに出した小さな店へ昼ごはんを食べに行った。 JRの駅から新京成の駅に向かう途中、ケンタッキーとかがある並びの小さな店である。イタリアンやスペイン料理みたいなメニューがメインで、 夜はワインなんかを飲む店になるみたいだが、昼はランチなどやってる。ちゃんとした洋食屋の料理人が作ってくれるので、とてもおいしい。 そんなに高くない。店の人は感じがよかった。壁にワインの瓶のコルクがいっぱい貼ってあった。
No.1365 2009-2-01
東京湾と猫と富士山
東京湾と猫と富士山

■自転車で南船橋のワイズロードへ行って、輪行に使うこまごましたものを購入。ららぽーと、イケアの前を素通りして国道357号線に出て、 若松の交差点から県道15号線経由で茜浜へ。昼を過ぎていたが、富士山が見えた。風が強く、東京湾は波が立っていた。秋津公園の中を通ると、 サッカー場でなにか試合をやっていた。
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