トップ | メール | BBS
No.1200 2007-6-30
千葉県総合スポーツセンター東総運動場
■JFL後期第1節、ジェフリザーブズ対ソニー仙台。千葉県総合スポーツセンター東総運動場。
■トップチームは同日午後2時から、日産スタジアムで横浜FCとの試合だったので、そちらに行こうか迷ったが、今のトップの試合を見る気があんまりしないのと、 相手が横浜FCということで、よそのことを言えた立場ではないが、あまりいい内容の試合が期待できないと思ったのと、横浜FCが、スポンサー絡みで、 大量の招待券をばらまいたらしいというのを知って、人が多いのはやだなと思ったことなど、いろいろな理由はあるが、なによりあのスタジアムには、 まったく行く気がしない。むしろ避けたい。あんなスタジアムで金を払って見るのはまっぴらごめんだ。そんなわけで、リザーブズの試合を見に行くことにした。
■試合会場の千葉県総合スポーツセンター東総運動場へ自動車を使わずに行くにはどうしたらいいのか、調べたところ、総武本線の旭駅か、 成田線の小見川駅から路線バスが出ているとわかったので、バスの時刻を調べてみると、本数がぜんぜんなくて、例えば、旭駅からのバスだと、一日に8本しかない。 たまたま、試合開始の午後1時にちょうどいい時間のバスが見つかったので、旭駅から小見川駅行きのバスに乗ることにした。
■朝9時半過ぎくらいに家を出て、津田沼から電車に乗り、千葉駅で乗り換えて、旭駅に着いたのが11時過ぎ。バスの発車が11時54分で、時間が少しあったので、 駅前をぶらぶら歩いてみた。駅のすぐそばにスーパーマーケットがあったので、そこで少し買い物。本屋も近くにあった。その他には駅前には、ほとんど何もない。 駅から少し離れたところには商店街もあり、煤けきった目覚まし時計などが汚れたガラスケースにならぶ時計店や、 いつ仕入れたのだろうと思わせる衣類を着た不気味なマネキンがうつろな目で宙を見つめる衣料品店などがある。よくある寂れた商店街の風情だ。さびしい。
■旭駅前のバス停から千葉交通のバスに乗り、途中、「袋」とかいう妙な名前のバス停などを通過しながらおよそ20分ほどで、下車する「中和(ちゅうわ)」というバス停に到着。 運賃は340円。降りて驚いたのだが、そのバス停と同じ場所には、東京駅・浜松町行きの高速バスのバス停があり、時刻表をみると、毎時一本から二本はあり、 路線バスよりも需要が多いようだ。運賃は2000円と書いてあった。バス停の向かいにはヤマザキデイリーストアがあった。ゆるやかな上り坂を道なりに歩き、 左手に中学校を見ながら、水路にかかる橋を渡り、信号を左折して少し歩くと、東総運動場である。バス停からは、ゆっくり歩いても10分かからないくらい。 一帯が運動公園となっていて、とてもきれいに整備された広い芝の広場があり、ボールを蹴って遊んだら楽しいと思う。先週行った成田の中台もそうだったが、 ここの競技場も、有料試合をするには、外から丸見えである。それはそれとして、競技場は、メインスタンドのみで、バックとサイド(いわゆるゴール裏)は芝生となっている。 よくある地方の競技場の形だが、施設自体、新しいように見え、とてもきれいである。ピッチは一部芝がはげている箇所があるが、概ね、良い状態。 メインスタンドはアーチの形をしていて、鳥取のバードスタジアムに似ているように感じた。そして、陸上トラックがあるものの、スタンドに高さがあるので、 わりと見やすい。屋根で覆われている席は、スタンドの中央部約三分の一より少し少ないくらい。周囲が小高い山に囲まれている感じは、清水の日本平に似ている。
■試合はリザーブズが3−1で勝利。少ない好機をうまく得点に結びつけた。ここのところ、リザーブズが強くて、試合がおもしろい。 4バックがうまく機能しているように見えるし、越後監督の采配も的確だ。ウォーミングアップを近くで見ていたが、選手やスタッフが明るく、チームの雰囲気がよい。 そしてやはり、レフェリーが、あらら、という感じで、まあ仕方ないが、選手の怪我だけは防ぐジャッジをしてもらいたい。 ソニー仙台は10番の高野という選手が飛びぬけてうまかった。両チームのなかで一番技術があったと思う。サイドのドリブルはかなりの脅威となっていた。 後半、リザーブズの海野という選手が、ハーフライン辺りから三人くらいドリブルで抜いて駆け上がったプレーには、観客だけでなく、 ベンチの監督、コーチからも拍手がおくられ、そのプレーから得たコーナーキックから三点目が入った。やはり攻撃的にドリブルをしていく選手を見るのは楽しい。
■試合後、来たルートを戻って、中和のバス停から15時20分のバスに乗り、旭駅16時13分の列車で千葉駅へ。乗り換えて津田沼。
■千葉県内なのに、行って帰って一日がかりだった。後から知ったが、日産スタジアムでは、招待券で4万以上の客が入ったらしいが、運営の不手際や、 子供が大勢騒ぎまくって、大変な観戦状況だったらしい。行かなくてよかった。試合は0−1でジェフ千葉が勝ったようだ。

No.1199 2007-6-28
■仕事で北茨城市まで行った。上野から常磐線の朝早い特急で高萩まで行き、普通列車に乗り換えて磯原という駅で下車した。
■仕事とはいえ、ひさしぶりに長い時間列車に乗って、遠くの知らない土地を訪れたので、なんだか少し楽しい気持ちになった。
No.1198 2007-6-24
成田市中台運動公園陸上競技場
■JFL前期第17節、ジェフリザーブズ対アルテ高崎。成田市中台運動公園陸上競技場。
■中台に行くのは初めてだった。地方の運動場というやつはだいたい、交通機関でのアクセスが良くないところにあることが多いが、この競技場は、 JR成田駅から歩いて10分ほどのところで、とても行きやすい。途中にはコンビニエンスストアや弁当屋、パン屋などもあり、買出しに不自由しないのもいいのではないか。 そして私は初めて、京成電車の特急「スカイライナー」というやつに乗って、成田まで行ったのだった。京成の津田沼駅には停車しないので、JRで船橋まで行って、 京成船橋駅から乗った。船橋から成田まで停車なしで27分くらい。速かった。でも、通過する駅の駅名標が見えるくらいの速度。成田空港行きなので、 大荷物の乗客が多い。日曜日から、成田を発って海外へ行く者はそんなに多くないだろう、と勝手に思っていたが、予想に反して、かなりの乗車率だったので驚いた。 京成船橋駅の前後の区間が高架化されてから初めてこの区間に乗ったので、高いところから見下ろす景色が新鮮だったし、普段ほとんど京成を利用しないので、 たまに乗ると、いろいろ新鮮だ。佐倉のあたりの印旛沼が見えるあたりとか、なかなかいい景色だ。京成成田駅とJR成田駅は徒歩2分くらいの距離。
■アルテ高崎を見るのも初めてだった。現在JFLの最下位となっているが、昨年は18チーム中10位で、ジェフリザーブズ(当時ジェフ・クラブ)より順位が二つ上だった。 今年ぜんぜん勝ててないのはどうしたのだろう。監督が外国人だった。そしてジェフ千葉のトップチームで、日本代表にも選ばれている水野晃樹選手の兄が出場していた。 警告を二度受けて退場になったが。
■試合は2−1でリザーブズが勝利した。点差以上に力量の差があった印象だが、高崎もそんなに悪くないチームで、前線からアグレッシブにプレスをかけてくるし、 玉際で激しくやってくる。ただ、技術やスタミナの面で劣るせいか、試合が進むにつれてラフプレーが多くなっていた。そして画像は、試合後、勝利のでんぐり返しである。
■これでJFLは、リーグの前期の日程が終了し、折り返し地点である。前期終了時点でリザーブズは5位。かなりの健闘といっていいのではないか。 予想外といったら失礼かもしれないが、上位下位全てのチームとの対戦が一巡してこの順位は立派だと思う。そして前期首位のチームに与えられる天皇杯シード出場権は、 佐川急便SCに決まった。ロッソ熊本が今日勝っていれば首位だったのに、もったいない。あと、三菱水島FCがHondaより上の順位にいるのが信じられない。
■帰りはJRの快速がちょうどあったので、それで帰った。JRだと津田沼まで快速で乗り換えなし、47分くらい。
No.1197 2007-6-23
フクダ電子アリーナ
■Jリーグ一部第17節、千葉対新潟。フクダ電子アリーナ。
■試合は1−2で負け。負けるべくして負けた試合だった。トップの試合については、勝っても負けても、内容など、書く気がしない。 この試合が終わって確信したのは、今年、ジェフ千葉が、十中八九、二部に落ちるだろうという暗い未来だ。
■私が2003年、ジェフの試合を観戦するようになってから一貫して思っていることは、いわゆる「ゴール裏のサポーター団体」というものは不要である、ということで、 なんでだらだらいつも歌を歌っているのか意味がわからないし、飛び跳ねるのも意味がわからない。試合を見ながらなにか応援のアクションをするというのは、 私には無理なので、せいぜい、いいプレーがあれば拍手をするくらいである。で、それはそれとして、詳しくは書かないが、試合終了後の行動で、 ジェフ千葉のサポーター団体に、心底失望した。いままでこんなクラブを応援していたのかと思って、気持ちがかなり醒めた。シーズンチケットがあるので、 今年は一応最後まで試合見に行くとは思うが、二部に落ちるにせよ、奇跡的に一部残留を果たすにせよ、来年はどうするかわからない。ことによると、 今年中に行かなくなるかもしれぬ。
試合後
■上の画像は、試合終了後、スタジアムの外に集まって話をする大勢のひとたち。中央に翻っている赤、白、緑の旗は、ストヤノフ選手の母国、ブルガリアの国旗。 サポーター団体とその他の人たちの口論がこの後、暗くなっても続いた。
No.1196 2007-6-17
フクダ電子アリーナ
■Jリーグ一部第15節、千葉対甲府。フクダ電子アリーナ。
■ひさしぶりのホームでのリーグ戦だった。甲府のサポーター達は臨時列車を借り切って甲府から蘇我まで駆けつけた。昔、三ツ沢に20人くらいしか来てなかった甲府サポーター達のことを思い出し、 その頃と比べると、なんだかたいしたものである。試合は3対2で辛うじて千葉の勝利。試合が始まる頃まで暑かったが、帰りには涼しくなっていた。
■15試合終えて勝ち点13。まだまだ苦しいが、どうにかがんばってほしいものだ。
No.1195 2007-6-14
■沖縄二日目、日曜日の話。
■朝からカーテン越しに強い光が差している。ちょうどたまたま梅雨の合間だったようで、この土日、晴天に恵まれたのは幸運だったが、たくさん日焼け止めをぬった。 二日目は那覇を離れて一路、南へ向かった。
■ちょっとした漁港みたいな場所の海でも、ものすごく、南国の海の色で、すごい。糸満市役所の建物は、外壁にコンクリート製の巨大なスノコのような、筏のような、 そういったものがくっついていて、南側の壁面にはソーラーエネルギーのパネルが設置されている。空を見ると、那覇空港へ向けて着陸する航空機が降下していくのが頻繁に見える。 集落の外れには、道路沿いの木々の間に、家の形をした立派な墓が建っている。沖縄地方特有の墓の形のようで、那覇市内でも見かけたが、現世の家は仮の住まいで、墓がずっと住み続ける家である、 という考え方らしい。沿道に、アイスクリームを売っている者が座っているのが見えた。町から離れて、郊外へと進むにつれて、ヘチマの畑やさとうきびの畑が多く見られるようになり、 さとうきびというのが生えているのを見るのはたぶん初めてだと思うが、かなり背の高い植物である。ヘチマは炒めて食べるらしい。
■いろいろ調べて、おそらくそれほど観光客がいないであろうと見当をつけていた、具志川城址へ。6月10日分に載せた画像が、それである。沖縄本島には、 いくつかの城跡があり、それらの多くは世界遺産として登録されているようだが、この具志川城址は登録されていない。調べているなかで、いちばん海に近い城跡ではないかと思い、 見に行くことにしたが、これがなかなかのものであった。眼下に崖。そして太平洋が大きく広がっている。城壁の石積みは、物の本によると「野面(のづら)積み」と呼ばれる積み方で、 琉球石灰岩の自然石をそのまま積んだものということだ。現在の沖縄の民家の石垣もこの方法で作られているものがたくさんあって、前日歩いた金城の石畳道のあたりにも、 この石積みによる石垣がたくさん見られた。具志川城址の城壁は、地形に合わせた曲線を描く形状になっている。現在、 糸満市の教育委員会により城壁を修復作業中であるという旨の説明書が設置されていた。訪れる観光客は、片手で数えられるくらいしかいなかった。
■続いて、喜屋武岬へ。喜屋武と書いて「きゃん」と読むのだった。へんな感じである。千葉のbayFMにそういう苗字のひとがいたような気がする。 おそらく先祖がこのあたりの出身なのではないか。喜屋武という集落があって、そこからずっと海のほうへ行くと、この岬まで出る。集落には小学校や郵便局があるようだ。 喜屋武岬は沖縄本島の最南端と言っていい場所で、いまのところ、私にとって生涯最南端の地はこの喜屋武岬ということになる。東屋やトイレ、モニュメントなどがあり、 ちょっとした公園のように整備されていて、白い灯台が建っているのが見える。そしてここも、すごい高低差のある断崖がはるか遠くまで続いていて、戦争のとき、 ここから多くのひとが投身したらしい。崖からもげ落ちたような巨大な岩が海岸にごろごろあり、沖合いに目をやると、大きな船が航行しているのが見え、 海岸から近いところには漁船も見える。美しい海がどこまでも広がっている。見たことのない植物がたくさんあった。ここも観光客はほとんど見かけなかった。
■この後、少し内陸に向かい、有名なひめゆりの塔を見に行った。ツアー客の観光コースになっているようで、いくつかの団体客も見られた。 そしてこんな所にも「海人」や「SHISA」のTシャツ屋がいくつか並んでいるのだった。大きな慰霊碑があり、戦没者の名前が刻まれている。で、 こんなことを書くとあれだが、慰霊碑自体は別にどうということはないのだが、慰霊碑のまん前に、実際に使われたという塹壕が、そのまま残されており、 深く大きな穴がぽっかりと開いている。それがなんとも言えぬ迫力だった。せっかくなので、資料館にも入って、一通り展示を見た。生々しい手記や手紙が印象に残った。
■近くの店で少々遅い昼食。入って左側が座敷、右側がテーブル席とギャラリーのような空間になっていて、焼き物のシーサー等が置いてある。座敷のほうでは、 どういうグループかわからないが、おじさんおばさんたちが大いに盛り上がっており、どうやら既に飲んでいるようだった。彼らが次から次へと食べ物などを注文しているのが聞こえてきて、 そんなに食べれるのだろうか、と心配になった。観光地そばの店だけあって、若干値段も高めである。また沖縄そばを食べた。麩のちゃんぷるも食べた。とてもおいしい。 食べてから、糸満経由で那覇市内まで戻った。
■旭橋の近くを歩いていると、新たに建設中のホテルが二つほどあり、現時点でもかなりの数、那覇市内にホテルがあるように見受けられるが、まだ増えるようだ。 そして唐突に、街角に孔子の像が立っていた。那覇商工会議所の前である。少し歩いて、松山通りという道に面したところに「福州園」という中国式の庭園があり、 入って中を歩いてみた。入り口で係のおばさんに、どちらからですか、と聞かれたので、千葉です、と応えたが、とくにこれという反応もなく、 でも感じのいいおばさんだった。それほど広い庭園ではないが、池あり橋あり、彫刻や門や滝や塔、池には立派な鯉や亀が泳ぎ、さまざまな趣向を凝らした庭園で、 おもしろかった。那覇市と中国の福州市が友好都市ということになっているようで、締結10周年を記念して作られた庭園らしい。この庭園の向かいには松山公園があり、 そこで少し休憩したら、虫に足を刺されてとてもかゆかった。鳩がうろうろして、落ちている木の実のようなものをついばんでいたが、大きすぎて食べれなかった。
■国際通りへまた戻ってきたら、なにやら歩行者天国となっていて、たくさんのひとの往来があり、大道芸のようなことをしている者たちがいくつかの場所にいた。 あと、よくわからないが、子供達が車道の路面にチョークで思い思いに絵を描いていた。あんなことしていいんだろうか、と思ったが、あっちでもこっちでもやっているし、 誰もとがめもしないようなので、多分大丈夫なんだろう。自転車タクシーも走っているし、飲食店が車道にもテーブルと椅子を出していて、なにやら混沌としていて、 活気がある。「ぶくぶく珈琲」というのを出す喫茶店に入り、そのコーヒーをアイスで飲んだ。なるほど確かにぶくぶくの泡が乗っている。味は真っ当なカフェオレで、 黒砂糖のシロップを入れて飲むようになっていて、冷たくておいしかった。国際通りから少し外れたところにある崇元寺の石門を見てから、 スーパーのマックスバリューに立ち寄った。パンとか牛乳など、聞いたことのないメーカーのものが扱われていた。
■前日に続いてまた商店街を見て歩いた。ある地点から急に、やる気のない店が増えて、店先でおばあさんがラジカセでかけている演歌に聴き入っていたり、 店頭にテレビを置いて、それをじっと見ている店のおばさん、居眠りしている店主などもいて、おかしかった。商店街から少し外れたところに「高級安宿」と書かれた広告が貼られていて、 高級なのか安宿なのかどっちなんだ、と思って、それもおかしかった。国際通りに面した店で夕食。また沖縄そばを食べた。沖縄に来てからこれで三度目の沖縄そばで、 定食の汁物として付いてたのも入れれば四度目だ。でもおいしいからいい。飽きないのは味が濃くなくて、それなのにダシがしっかり効いているからだろう。沖縄の料理は、 味付けが濃いのは豚の角煮とかそれくらいで、あとはだいたいシンプルな味付けのものが多いが、どれもおいしくて、なにが違うのだろう、と考えたが、よくわからなかった。 店内ではテレビが点いてて、サザエさんの時間だった。モノレールで那覇空港へ。途中、赤嶺駅で下車。日本の最南端の鉄道駅ということなので、一応降りてみた。 駅のホームからは、マンションの前のちょっとしたスペースで野球をやって遊んでいる少年達が見えた。通りかかったおじさんに怒られていた。 ちなみに国内で最も西にある鉄道駅は那覇空港駅ということになっている。空港は、夜だからか、がらんとしていて、その日の便は残すところ、東京行きと大阪行きが何便かあるだけとなっていた。 広い土産物屋を少し見て回って、定刻よりやや遅れての搭乗。夜遅くに羽田着。津田沼行きのリムジンバスがなかったので、モノレールで浜松町、JRに乗り換えて新橋で快速に間に合い、 津田沼まで帰った。
■それにしても、沖縄は遠い。羽田から飛行機に乗って沖縄まで、二時間半くらいかかる。海外へ行ったことがないので、いままでで一番長い飛行時間だった。 札幌だったら一時間半くらいだ。ものすごく遠いのだなと思った。そして沖縄を訪れて、海外旅行に行くひとの気持ちが少しだけわかった気がする。沖縄では、ごくあたりまえのことだが、 日本語が使われているし、町のなかに建っている建物や全国チェーンの店など、まぎれもなく日本なんだけど、それは表面のことで、根底にある文化は、日本のそれとは異なると感じた。 またいつか行く機会があったら、ゆっくりいろいろ見て回って、また沖縄そばも食べると思う。
No.1194 2007-6-13
■47都道府県制覇の46番目、沖縄県へ。
■この土日で行ってきた。機内のラジオプログラムで、洋楽のチャンネルも、 邦楽のチャンネルでも「雨」をテーマにした曲の特集をやっているような季節である。沖縄の梅雨明けはまだ先のことで、 前日まで那覇の予報は降水確率40%とか50%くらいだったので雨具も用意していたが、どうにか天気は持ちこたえた。 機内で、ひさしぶりにアスカの「はじまりはいつも雨」を耳にし、懐かしかった。 チューリップの特集番組も聞いた。「虹とスニーカーの頃」や「青春の影」はいい曲だと思う。
■着陸直前には、窓から小さな島と美しい海が見え、気持ちが高揚した。
■那覇空港に着き、一歩空港を出ると、たっぷり水気を含んだ空気を感じ、これが沖縄の空気か、 とか思いながら、「ゆいレール」というモノレールの駅へ。那覇空港駅の改札の手前で、沖縄上陸後、 初シーサーを発見。
■ゆいレールは二両で運行。運転席の真後ろ、いわゆる「かぶりつき」の位置に座席があり、 電車でゴーみたいな景色が楽しめる。車両側面の窓が大きく、座席の背もたれを低くすることで、 景色がよく見えるように工夫されているのがいい。
■乗客を見ていると、地元のひとは、黒い。そしてみな南国系の顔立ちをしている。例えて言うなら、 全員が我那覇。川崎フロンターレの我那覇である。びっくりした。那覇市の都心部の景色などは、 大きなオフィスビルや官公庁舎、テレビ局、ホテルや商業施設が林立し、よく見る地方の中心都市といった風情である。 残念なことに、アコムだとか武富士といったサラ金業者の下品な看板が沖縄にも存在しているのだった。 靴流通センターやドコモ、マックスバリューなどなど、馴染みのある店舗も目に入ってくる。15分ほどで牧志駅に到着。 「我那覇」とか「牧志(まきし)」が変換で出なかった。
■牧志駅を出るとそこは、おそらく那覇市の一番の繁華街である「国際通り」で、とても賑わっている。 地元のひとも観光客も両方歩いていて、地元のひと向けの店や百貨店、観光客向けの土産物店や飲食店が入り混じって、立ち並んでいる。 土産物の店がひときわ多く、よく関東などでも見かける「海人」とか背中に毛筆で書いてあるようなTシャツが、 壁にずらっと並んでつるしてある店が多く、修学旅行の定番である京都の新京極とか寺町通のような印象だ。京都では、 缶コーヒーの「BOSS」をもじった「BOZU」とかそういうTシャツが売られているのを目にしたが、 那覇では「PUMA」のロゴが「SHISA」になってて、シーサーが走っているシルエットがプリントされたTシャツをたくさん見かけた。
■国際通りから少し奥まったところに入った店で沖縄そばを食べた。おいしい。小さな路地を抜けて行くような場所にその店はあるのだが、 路地に入るといきなり家の形をした大きな墓があったり、 「ありひやぁ うかーさんどぅ!」と書かれた交通事故注意を喚起するイラスト入りのものが塀に貼られていたりする。 イラストがあるので、交通事故を注意するものだとわかるが、「ありひやぁ うかーさんどぅ!」はわからない。
■再びゆいレールに乗り、終点の首里駅へ。景色を見ていると、建物にいくつか特徴があって、シーサーがどこの家にもあることとか、 バルコニーの手すり壁など、風の通りをよくするためか、スリット状や丸、四角などの穴が開けられており、それが意匠にもなっている。 駅から結構歩くと、龍潭という池がある公園があり、その池越しの高台に、赤い建物群が見える。そこからもうしばらく歩き、 坂道を登ると、首里城の入り口である守礼門で、もっと大きいものを想像していたが、意外と小さかった。 記念撮影をしている者がたくさんいた。門と石段と石積みの城壁が次々と現れ、独特な空間構成は、行ったことがないのでわからないが、 中国の城塞をイメージさせる。石段を登っていくと、見晴らしがよく、那覇を一望できる。見晴らしがよい場所に城を築くのは、 日本も琉球も同じのようだ。ただ、曲線を描く城壁や、正殿の前に広場(御庭と書いて「うーなー」というらしい)がある配置などは、 日本の城にはあまりないのではないか。そして朱に塗られた門や建物と、城内の濃緑な植物のくっきりした色あいなどは、やはり独特なものだろう。
■正殿の一歩手前あたりまでは無料で入って観覧できる。首里城は1992年に復元されたものなので、建物としてはそんなにありがたみがないが、 城域の空間構成を見るだけでもとてもおもしろい。むしろ入場料が必要となる建物の中は、見なくてもいいかもしれぬ。 正殿の中は各種の展示や土産物店などがあるが、関西系のおばさん連中が騒がしかった。
■首里城を見た後は「金城町の石畳道」へ。梅雨明け前だというのに時折猛烈な日差しが照りつける。坂道が石畳で舗装されている道が延々続く。 坂道の景色というのが私は好きで、長崎や尾道、地元の函館も、いい坂道の景色があるが、この石畳道もなかなかのものである。 途中、猫に会ったり、古くて大きな木があったり、真っ黒くて大きな葉にオレンジ色の筋が入っている奇妙な植物を見たりしながら坂を下っていった。
■牧志駅まで戻り、国際通り界隈を再び歩いてみた。夕刻になり、日がずいぶん落ちても、まだ日差しが強い。国際通りの店は、 土産物店でも古酒の店でも、若いひとが熱心に商売をやっている。国際通りから横道に入り、 平和通り商店街や市場中央通りなどを見て歩いた。アーケードのある商店街になっていて、こちらは地元のひとが利用する店のほうが多いようだ。 なかなか賑わっている。ゴーヤが一本60円くらいで、安い。若者向けの服屋と老人向けの服屋がとなりあわせになっていたり、 既に閉めたシャッターの前で将棋を指すじいさんがいたり、なにやら混沌としている。那覇市の公設市場というのもあり、 妙なエネルギーのある通りである。商店街からさらに路地に入ったところにある食堂で夕食をとった。定食である。 グルクンという魚など、初めて食べたが、いたってまっとうな魚で、普段食べる魚と特に変わらない。淡白な白身で、おいしかった。 てびちもゴーヤちゃんぷるも豚の角煮もミミガーも、汁物に沖縄そばも、デザートに沖縄ぜんざいもついた。ごはんは玄米ごはん。 たくさん食べて、おいしいのに安い。メニューに「イナムルチ」というのがあったが、これはいったいなんだろうか。
■パレットくもじまで歩いて少し買い物をし、県庁前駅からモノレールで牧志駅まで戻って、歩いて少しのところにあるホテル泊。 ホテルの窓から外を見ると、遅い時間までひとが歩いていて、店も開いていて、賑わっていた。
■ここまでが土曜日の話。日曜日の話はまた後日。
No.1193 2007-6-10
具志川城跡
■具志川城跡。

喜屋武岬にて
■喜屋武岬にて。

国際通りの猫
■国際通りの猫。
No.1192 2007-6-09
首里城
■首里城。

金城の石畳道
■金城の石畳道。

石畳道の近くにいた猫の親子
■石畳道の近くにいた猫の親子。
No.1191 2007-6-07
■今年も残念なニュースが聞こえてくる季節である。北海道の恥、北海道の汚物であるヨサコイソーランが開幕したという。
■何度かここでも書いているが、私はあのイベントがだいっきらいで、もうほんと、どうにか消滅しないものかと思っているのだが、 嬉々として参加する者がいるので、困ったものである。あれはとてもはつかしいものだということに早く気がついてほしい。 とりあえず、歩道を占拠したり、集団で奇声をあげたり、オーロラタウンとかポールタウンで張り切って点呼をとったりするのをやめろ。聞くところによると、 何やらずいぶん汚い金の流れがあるらしいじゃないか。あんなのを北海道外の人に、これが北海道の文化かとか思われるのはとても心外だし、 北海道出身の人間として、北海道外の人たちに対して申し訳ない気持ちになる。
■話は変わるが、先日、日銀の総裁が、将来に渡って経済規模を維持し、成長させていくには、一人当たりの労働生産性を上げるか、 あるいは移民を受け入れて多様な文化を許容する社会にするしかない、みたいな発言をしていたのをどこかで読んで、いやな気持ちになった。
■まず疑問なのは、なんでその二択なんだ、ということで、「日本人を増やす」という考えが抜けているのはどうしてなのか。 なによりも、日本の社会を犠牲にしてまで、そんなにGDPとかGNPを維持しよう、大きくしようという意味はあるのか。 社会は、国家体制の維持存続という至上命題以外は、家庭と国民の生活に従属するはずで、それなのに現在は家庭と生活を犠牲にして、 国家の経済活動をどうにか大きくさせようとしている。こんなものは長くは続かないし、続けるべきではないはずだ。
■べつに世界二位じゃなくたっていいんじゃないか。資産運用とか経済効果とか、そんなことばっかり気にしてどうするんだ。 棺桶に敷き詰める札束なんて必要ないんじゃないか。ものを減らすという発想はないのか。
■まずはテレビを見ないことから始めるのが大事なんじゃないか。あるとき気づいたんだけど、テレビって、番組と番組のあいだにCMがあるんじゃなくて、 CMとCMのつなぎが番組で、テレビを中心としたいわゆる「媒体」と言われるものは、いかにものを買わせるか、という目的があって、 店の棚に並んでるものの商品の価格には、高い広告料分が上乗せされているし、テレビは何かをブームにして金を動かそうと必死である。 世の中には「テレビを消せない人」っていうのがいて、そういう人たちの購買行動によって経済が支えられているわけだが、まずテレビを消して、 ものを買うときには、これって本当に必要か?と考えるのって大事なんじゃないだろうか。
■書いているうちにだんだん何を言いたいのかわからなくなってきた。
■なんかいま、年金がどうのこうの問題になっている。そして、また税金が上がって、昇給の分以上に控除額が増えるから 手取りが全然増えない。給与微増で手取り激減てこともあり得るわけで、なんなんだこれは。取れるところからとにかくむしり取るなんて、なんだかNHKとよく似ている。 そして、参議院選挙が終わったらおそらくこんどは消費税増税だろう。すごいね。これで議員様や公務員様の豪華視察旅行、 そして政調費の私的流用に充当される分や役所の裏金分は確保されましたね。 住民サービスなんてのは金が余ったらやっていただけるかもしれませんが、わかりませんね。
■日本という国が、もちこたえるられるのはせいぜいあと30年くらいじゃないだろうか。残念ながら、私はまだその頃まで 生きている可能性がある。いつでも日本を脱出できるようにしておく必要があるかもしれぬ。生きるためなら国を捨てる覚悟も必要だと思う。
■なんだかまじめなことを長々と書いてしまったが要するに、ワーキング・プアよりただのプアのほうがいいな、ということだ。
No.1190 2007-6-03
市原臨海競技場
■JFL前期第14節、ジェフリザーブズ対FC刈谷。市原臨海競技場。
■暑すぎず、ほどほど風も吹いていて、ちょうどいい気候だった。もたもたしていて、予定より少し遅く家を出たため、乗るはずだった電車に間に合わず、 一本遅らせたが、千葉駅での乗り換えがぎりぎり間に合って、予定通りに五井駅に着くことができた。五井駅からはいつも通り、 レンタル自転車で臨海まで。
■対戦相手のFC刈谷というのは、もともとデンソーという会社のサッカー部だったが、2005年でJFL参戦を終了したため、2006年より、 市民クラブとして、特定非営利活動法人が運営しているらしい。18きっぷで東海道線を移動していると、名古屋からの快速列車などの車内アナウンスで、 停まります駅は、大府、刈谷、安城、とか言ってるのをなんとうなく記憶しているひとも多いと思うが、愛知の刈谷を本拠地としている。 ユニフォームに入ったタスキ状の赤い帯が、ペルー代表を思わせる。
■試合は2−0でジェフリザーブズが勝利。上の画像は、勝利のでんぐり返しである。この試合のすぐ後に行われた鹿島とのサテライト戦に出場するため、 いつものメンバーのうち何人かは出なかったが、それでも決めるべきところで決め、勝つことができた。FC刈谷も、決して弱くはない、しっかりとした チームである。昨年は18チーム中13位だったが、なんといっても、今シーズン、ホンダに勝利している。TDKにも勝っているチームだ。ただ、 攻撃が少々雑だったように思う。
■リザーブズは、今日の勝利で順位を7位まで上げた。育成に重きを置きながらも、かなりよくやっていると思う。来週は長良川陸上競技場でFC岐阜との 対戦だ。岐阜は今年JFLに昇格してきたばかりだが、首位争いをしている。相当強いようだ。昔、長良川陸上競技場で何度か、 Jリーグの試合を見たことがあった。名古屋のストイコビッチがとても印象に残っている。当時、ヴェルディには、まだラモスや北澤がいたし、 柏にストイチコフがいた。懐かしい。
このページのトップへ

「津田沼ノート」は武田(ジェフサポ)がやっています。

TsudanumaNote

津田沼ノート

BACKNUMBER

2002 ////////////

2003 ////////////

2004 ////////////

2005 ////////////

2006 ////////////

2007 /////

"■"RINGS

PAPERS

ここではありません

タンブリンノート

ヨミヒトシラズ

Anamania

下北沢スタジアム

Matatabi Online

ここであいましょう

あわわアワー

ボクデス on the WEB

Superman Red

LINKS

鹿サポさま別館

astro2050systems

emu no page

dots!

ko-trip

inserted by FC2 system