No.1140 2007-01-28
■一月も、もうそろそろ終わる。
■先週くらいに渋さ知らズの新しく出たやつを買った。「渋響(しぶき)」というアルバムである。
■いまひとつ、ぴんと来なかった。彼らの楽曲はやはり、ライブのあのごちゃごちゃ感が醍醐味なんだろうか。 CDだと、なんかちょっと違う。
■そして相変わらず、ジャズを聴いている。ふと思い出してときどきエゴ・ラッピンなども聴いたりするが、 ジャズはすごい。でもエゴ・ラッピンもいいよね。去年けっこうたくさん聴いた。去年出た「On the Rocks!」は すごくよかった。8曲目の「レモン」とか、すごいいい曲だ。
■で、ジャズでは最近、ソニー・ロリンズの「THE STANDARD SONNY ROLLINS」、ビル・エヴァンス・トリオの 「Walts for Debby」、ソニー・クラークの「SONNY'S CRIB」といった三つの作品を立て続けに聴いた。
■「THE STANDARD SONNY ROLLINS」は、正直べつにどうということはなかった。「Walts for Debby」は、 ビル・エヴァンスの代表作のひとつだと思うが、すごく良かった。ソニー・クラークというとたぶん、なんといっても 「COOL STRUTTIN'」ということになるのだと思うし、最高に格好いいと思うのだが、「SONNY'S CRIB」もすごい。 二曲目の「SPEAK LOW」の旋律など、涙が出そうなほど格好よくて感動した。この作品では、テナーサックスで ジョン・コルトレーンが参加している。そういえば年末くらいだったか、コルトレーンの奥さんが亡くなったという ニュースがあったような気がする。
■話は変わる。昨日ようやく、セレッソ大阪の下村選手の、千葉への移籍加入が決まって、いい若手も入ったし、 黒部、新居、池田も来てくれた。あとは外国人選手の加入が二月にあるくらいだろうか。阿部と坂本を売って、 なかなかいい戦力が揃ったと思う。ジェフ千葉はリヨンになれるか。それともリーズになってしまうか。 新しいユニフォームはイタリアのkappaが作ってくれた。なかなかすっきりしてていい。
■リーグの日程が発表され、開幕が楽しみである。アウェイ戦にも何試合か、主に去年行けなかったスタジアムに 行ければ、と思っている。

No.1141 2007-01-27
クマのコドウ
■多気駅に貼られていたポスター。最初、なんのことかよくわからなかった。「熊野古道」のことだった。
Please
■鳥羽駅のトイレ。まさかと思うようなことを外人はやらかすらしい。

No.1140 2007-01-20
■1月13日から14日にかけての話。
■13日、新幹線で名古屋まで行き、駅できしめんを食べてから「青空フリーパス」を買った。
■名古屋から特急南紀に乗った。小学生のサッカーチームの子供達と乗り合わせてしまい、いやな気持ちになる。 途中、桑名や四日市、鈴鹿、津などを経由し、松阪駅へ到着。
■近鉄線との乗り換え駅でもあるためか、思ってたよりも人の往来がある。駅前には三交百貨店というおおきな建物が見える。 キオスクには「赤福」の箱がたくさん積まれていた。ずっと「まつざか」だと思っていたが、駅名表示を見ると「ざ」ではなくて「さ」になっていた。 「まつさか」である。松阪からさらに特急に乗って、紀勢本線の尾鷲へ。このあたりは、普通列車が極端に少ない。
■地図を見ると、紀勢本線は海沿いを走っているのだと思っていたが、しばらくは山のなかを走るのだった。なかなかに険しい景色である。 何度か川を越え、いくつものトンネルをくぐってゆく。紀伊長島の手前あたりでようやく海が見えてくる。山がいきなり海に落ち込む リアス式海岸というやつである。濃い青のおだやかな太平洋に日の光が反射してきらきらしている。陸地からさほど離れていないところに ぽつぽつと、島が見える。
■青空フリーパスの有効区間は、尾鷲の手前の紀伊長島までとなっているので、尾鷲駅で乗り越し分400円精算。尾鷲駅のあたりは海から いくらか離れているので、駅のあたりからは海は見えない。北側には、近くに山がそびえているのが見え、南を見ると、遠くに青い山かげが 見える。駅の壁に設置されている地図を見ると、まっすぐ東へ行ったところに尾鷲港があるようなので、そちらへ歩いてみた。
■通り沿いにはコンビニエンスストアやJA、商店街、ビジネスホテルなどがある。車は少し走っているが、歩いているひとはほとんどいない。 バスにも乗客の姿はない。10分ほど南へ歩くと港に出る。それほど大きくはない漁港で、ちょうど、一隻の漁船から、やや小振りのカツオかマグロの ような魚が水揚げされているところだった。赤い灯台と白い灯台が見えた。
■港から、交通量の多い通りを挟んですぐ、住宅街があり、そのなかの細い路地を歩いて駅まで戻った。路地の入口には、津波のときに閉まる門の ような設備が設置されていた。人の背より高い塀も設けられ、これも津波への備えのようだ。塀には踊っている人の絵が描かれており、この土地には 「尾鷲節」という踊りがあるとのことである。路地を挟んで両側に、相当古い家があり、歴史ある町であることをを感じさせる。魚屋やはんこ屋などもある。
■駅から近いところに携帯の店があり、ノキアの新しいやつの発売日だったことを思い出したので、立ち寄ってみた。三色あって、それぞれ一台ずつの 入荷だという。そのうちの二種類は既に予約が入っている、と言っていた。なかなかかっこういい電話である。見せてもらって、礼を言って店を出た。 日本全国、おんなじものが売られていてすごい。
■尾鷲から多気まで特急で戻り、参宮線に乗り換える。太陽が隠れ、冷たい風がふいてきた。駅前の店であったかい飲み物を買うと、店のばあさんに 話しかけられた。気のいいばあさんである。多気駅のホームから周囲を見渡すと、田や畑が広がっている。参宮線と紀勢線の乗り換え駅で、かつては そこそこ利用者が多かったと思わせる広い駅舎と駅の構内だが、今はがらんとしている。参宮線の列車で鳥羽まで。途中、伊勢市という駅を経由する。 伊勢市駅の周辺にはホテルなど、大きな建物が見える。鳥羽の手前で、左手に海が見える。終点の鳥羽駅に着き、外に出てみると、JRより近鉄の鳥羽駅の ほうが立派で、利用者も多いようだ。降りただけで、折り返しの列車で一駅先の松下までゆき、歩いて臨時駅の池の浦シーサイド駅まで行き、海を眺めて から、松下駅まで歩いて戻った。かなり交通量の多い道を歩いたが、歩道のない区間がかなりあり、少しこわい。車を運転している者からすれば、 こんなところ歩くなよ、と思うのかもしれぬ。実際、私の他に歩いている者も、自転車の者さえもいなかった。
■快速みえ号で名古屋まで戻る。小さいこどもが奇声を発し続けており、気分がわるい。女性専用車両を作るのもいいが、子供連れ専用車両も作ってほしい。 父親は子供といっしょに騒ぎ、母親は一応、子供を注意するが、「怒られるから静にしなさい」という注意のしかたである。このくそばかが、と思った。
■名古屋からは新快速で豊橋まで。「新快速」というやつに乗るのは学生のとき以来ではないか。一時間ほどで豊橋駅着。駅前のホテルに泊まった。

■14日、豊橋駅から飯田線の始発列車に乗る。まだ日が昇っていないので暗い。始発列車というより夜行列車のようである。冬の18きっぷもこれで 最後である。
■飯田線は、愛知県の豊橋から、途中静岡県をかすめて、長野県の辰野までを結ぶ195.7kmの長大なローカル線で、全線普通列車で乗り通すと約6時間かかる。
■まだ暗い中、天竜峡行きの列車は豊橋を出て、豊川あたりの市街を抜け、本長篠のあたりまで来るとようやく空が明るくなってきたが、人家は少ない。並行している 道路も、まだ朝早いせいか、交通量は少ない。線路の両側に山がそびえ、谷の底を走るような感じである。太陽が低いため、山の影が、反対側の山に 映っている。駅と駅の間が以外と近い。集落ごとにこまめに駅がある。あと、やたらとトンネルが多いので、長い時間景色を見ていることができず、 残念である。それでも、トンネルとトンネルの合間にきれいな渓谷が見えたり、橋で川を渡ったりする様子を眺めることができる。大嵐(おおぞれ)という 駅の脇に「日本一のミニ村 富山村」という看板が見える。小和田駅のホームには、愛知・静岡・長野の三県が接する地点を示す木の標識が立っている。 伊那小沢駅で、列車のすれ違い待ちで数分停車したので、外に出てみると、山の上のきりっとした冷たい空気である。太陽は出ているが、とても寒い。 夜明け前の豊橋のあたりよりも寒いのは、標高が高いからだろう。「中井侍(なかいさむらい)」とか「為栗(してぐり)」といったへんな名前の駅を 過ぎると終点の天竜峡駅に到着。さらに先へ進む列車に乗り換える。このあたりからは景色がひらける。山が遠くになり、平地が広がる。
■「駄科(だしな)」や「毛賀(けが)」という、ちょっと変わった名前の駅を過ぎ、徐々に人家が増えてくると、終点の飯田に到着。飯田の市街を見下ろす ように線路が敷かれているので、町並みがよく見える。さらに先へゆく列車に乗り換え。
■「陸の孤島といえば、西の人吉、東の飯田」といったようなことばを聞いたことがあるが、確かに延々、山を越えないと辿り着けない土地だと思った。 でもけっこう建物も多く、相当な規模の町に見える。飯田を過ぎると、小さな川は何度か橋で渡るが、大きな川は見えなくなる。地図で見ると、右手に、 線路とほぼ平行に天竜川が流れているのだけど、距離があるので見えない。そして左手には念丈岳、越百山、南駒ケ岳、空木岳、駒ケ岳、経ヶ岳、黒沢山、 といった二千〜三千メートルクラスの山を常に見ながら走る。きれいに澄んだ青空と雪を戴いた山の景色がとても美しい。
■駒ヶ根や伊那などの町を過ぎると、ようやく飯田線の北の端、辰野に着く。豊橋から辰野まで、標高差は約700メートルである。乗ってきた列車は、 そのまま中央本線の上諏訪まで行くのでそのまま乗車。朝6時に豊橋を出て、昼までずっと乗りとおしてきたが、ずっと座って景色を見ていたので、 疲れは感じなかった。上諏訪駅を出ると、駅前には丸光という百貨店のような大きな商業施設があって、意外な感じがした。駅のホームには足湯があって、 五、六人利用者がいた。自分もやろうかと思ったが、靴と靴下を脱ぐのが面倒だったのでやめた。特急スーパーあずさで八王子へ。
■上諏訪駅の売店では、横川駅の「峠の釜飯」も売っていたが、「小さな信濃路」という弁当を買ってみた。中身は幕の内みたいな感じ。とてもおいしかった。 そして特急はさすがに速い。中央本線も山の中を走る路線なので、左右に大きな山が見える。左手には八ヶ岳、左手には駒ケ岳(飯田線から見えたのとは また別の駒ケ岳である)、甲府を過ぎたあたりからは右手に富士山も見えた。八王子で降りると、山から降りてきた感じがする、やわらかい空気だった。 新宿経由でずっと中央線で津田沼まで行ってもよかったのだけど、18きっぷ利用だったので、たまには別のルートで、と思い、八王子から横浜線で 横浜まで行き、横須賀線の快速で津田沼まで帰った。

No.1139 2007-01-16
■15日、Jリーグ二部鳥栖から、新居辰基選手の千葉への移籍加入が決まった。
■これは千葉にとって、強力な補強だ。強化部はよくやったと思う。生で見たことはないが、映像で見ると、 新居選手の非凡な得点能力は、目を見張るものがある。
■鳥栖のサポーターにしてみれば、新居選手に対して、クラブから初の代表入り、という希望を持っていた かもしれない。チームのエース、主力中の主力が去るわけだから、その心中は察するに余りある。主力選手を 奪われる悔しさ、辛さというのはよくわかったいるつもりなので、よけいに申し訳ない気持ちになる。
■千葉はこの一年、いいことがなかった。つらいことのほうが多かっただけに、新居選手の加入という ひさしぶりの嬉しいニュースで、ちょっと救われたような気持ちになった。この知らせを知ったときは、 おおげさでなく、ほんとうに涙が出そうになるくらい嬉しかった。
■話は変わる。この冬の18きっぷは、五回分使い切ってしまった。五回分のはんこは、以下のようになっている。
新見/益田/新潟/会津若松/豊橋
■13日から14日にかけて出かけた話はまた時間のあるときに書こうと思う。

No.1138 2007-01-14
伊那大島駅
■飯田線伊那大島駅。

No.1137 2007-01-13
池の浦シーサイド駅
■「海が見える駅」。参宮線池の浦シーサイド駅(夏季のみ営業の臨時駅)。

No.1136 2007-01-11
■ここのところ、家に帰るのが早い。
■職場は千葉市中央区である。今やめずらしくもなんともないことだが、残業代など出ないので、なるべく早く帰れるに越したことはない。 なので、以前だったら、他の人の作業を待ってそれから自分の作業に入るという手順が必要だった業務など、待ってる時間が惜しいので、 可能な範囲で、全部自分でやってしまうように心がけてやるようにしたら、仕事ってすごくはやく片づくということに気づいた。まあ当たり前のこと といえばそれまでだが、「楽したい」という気持ちがどこかにあって、人がやってくれるならそれを待ったほうが、という気持ちについなりがちだが、 がんがんやって、さっさと帰るようにした。そうしたら、この「津田沼ノート」の更新のための時間もいくらか増えたし、本を読んだり音楽聴いたり する時間も増えた。
■私の、それほど多くない経験から気づいたことは、「能力のないひとほど残業したがる」ということで、残業代が出る職場だったら、まあ それでもいいのかもしれないが、そうでない職場でも、どういうわけか、残業の多い者がいる。能力がないから残業して仕事を片付けなければ ならないのか、「残業してなんとか片付ければいいや」と思いながら仕事しているせいで時間がかかるのか、ちょっとわからないが、あるいは 両方あるのかもしれないが、そういう人間が職場にいると、いろいろめんどうだ。
■で、まあ、そんなことはべつにどうでもいいんである。
■阿部の、ジェフ千葉から浦和への移籍が濃厚だ。阿部は千葉県市川の出身で、ジュニアユースの時からジェフ一筋、クラブでは主将を務め、 チームを引っ張ってきた、まさにクラブの象徴とも言える選手で、今や日本代表にも常に呼ばれるまでに登りつめ、選手としてのキャリアの 最高潮にいる。そんな選手が、国内の他のクラブへ移籍しようとしている。
■と、そういった現在の状況の説明を自分なりに書いてみたわけだが、今回の移籍については自分でも驚くほど冷静に見ている。2004年の オフシーズン、村井と茶野の移籍の際は、そうとう驚いて動揺もしたし、ジェフはいったいどうなってしまうんだろう、という不安ばかり だった。毎シーズン、オフには主力選手が流出しているので、慣れてしまった部分もあるのかもしれない。移籍しよう、外に出ようと思わせる何かが、 残念ながらこのジェフ千葉というクラブにはあるのだろう。それはなんとも言いようのない悔しさ、悲しさはある。
■ただ、今、千葉入りが噂されている選手達への期待もあるし、既に決まっている新加入の若い選手達、ここ二、三年で入ってきた選手達を 見ると、贔屓目もあるかもしれないが、相当有望な人材が揃っていると私は思っているんである。
■中西や茶野が去って、結城、水本が伸びた。村井が去って、山岸や水野が一気に成長した。チェヨンスやマルキーニョスが去って巻が台頭した。 次はだれだろう、という期待がすごく大きい。
■千葉入りが噂されている選手は、補強すべきポイントをしっかり抑えたよい人選である。幸い、ストヤノフが来季もジェフでプレーすることは 決まっているし、残る二つの外国籍選手の枠をうまく使うことができれば、戦力的にはなかなかのものになるだろう。JFLに下部組織を持っている 強みも発揮できるかもしれぬ。
■そんなこんなで、阿部の移籍に対するネガティブな気持ちはあんまりない。古くからジェフを応援している者らからすれば、阿部には相当な 思い入れがあると思うが、私は2003年からジェフを応援し始めたので、彼らよりは阿部へのこだわりはない。戦力的には、ジェフに残ってくれるのが いちばんいいと思うが、移籍金を満額とることができれば、それはそれでいいのではないか。いずれはどの選手だって、クラブを去るときが来る。 今回の移籍がたまたまそうなるかもしれないというだけだ。
■お前はそれでもジェフのサポーターか、とお叱りを受けそうなことを書いてしまったが、ほんとうにそう思っているのだから仕方ない。だいたい、 私は既に来季のシーズンチケット購入済である。

No.1135 2007-01-10
■唐突だが、とあるウェブサイトの文章を読んでいて、これは、と思う文章があったので、少々長いが、勝手ながら引用させていただく。 この文章は、北海道在住のこの文の筆者が、ある東北地方の祭りを見物に行っての感想などを書いたなかの一部である。
(前略) 自分たちで演奏し,自分たちで舞う。北海道にはない本物の祭りである。北海道では神社祭の行列といっても,どこでも同じ雅楽のテープを スピーカーから鳴らし,子どもたちはみこしの紐に引っ張られて歩くだけだ。そうした文化の素地がないところへ突如として現われたのが YOSAKOIソーランである。自前で演奏しない代わりにスピーカーが割れんばかりの大音量で奇天烈な曲を響かせる。そして楽器としては最も 安直な鳴子を持つ。踊りの貧弱さは,年齢不相応のド派手な衣装で覆い隠す。さらに奇抜な照明で演出する。YOSAKOIソーランとはそういう 虚構に満ちた祭りである。札幌にはもともと文化などないので,札幌の人の自己満足としてのみYOSAKOIソーランが演じられるならよい。問題は それがウイルス化しているということにある。(中略)
東北でもヨサコイウイルスが猛威を振るっている。わたしも1997年に初めて青森のねぶた祭りを見て以来,東北の祭りをいくつも見てきたが, ここ数年の間にヨサコイによって東北の伝統ある祭りががたがたと音を立てるようにして崩れていくのを目の当たりにしてきた。東北には 北海道と違って立派な伝統文化や郷土芸能があるにもかかわらず,それらを捨て去って縁もゆかりもないヨサコイを猿真似のように取り入れることに 恥ずかしさを感じないのだろうか。何百年の伝統のもとに培われてきた郷土芸能は,いったん伝承者が途絶えれば復活させるのは極めて困難である。 これは一地域のみならず日本の文化にとって大きな損失であり,その原因が1992年の高知から札幌へのヨサコイの伝播にあるとすれば,それに関わった 人たちの罪は重大である。(後略)
■この文章を読んだとき、ううむ、と唸らされた。我が意を得たり、という文章である。「ヨサコイウイルス」という表現に、はっとさせられた。 YOSAKOIソーランというやつはほんとうに、はつかしい文化である。文化ということばさえ、もったいない。あんなもの、百害あって一利なしのゴミである。 北海道出身の人間として、申し訳ないきもちになる。
■話は変わる。私は旅行が好きで、車を持っていない私の場合、もっぱら鉄道を利用しての旅行である。というか、鉄道に乗っていること自体が 好きなんだと思う。走る列車の窓から、流れていく景色を眺めていると楽しい。何時間乗っていても飽きない。ただ、鉄道そのものに関する知識は あまりなくて、車両の型とか、なんとか系とか、クハとかモハとか、そういったことはいまいちわからないし、そんなに興味がないのだった。
■そこであるとき気づいたことだが、鉄道好きには、おおまかに言うと二種類いて、ひとつは、「鉄道の外から写真を撮る者」、もうひとつは 「鉄道の中から写真を撮る者」である。どういうことかと言うと、外から、ということは鉄道が被写体である。中から、ということは車窓が被写体という ことになり、自分は後者にあたるだろう。これはおおざっぱな分け方なので、両方好きだという者もあるだろうし、私などにはよく理解できないが、 列車の走行音や車内のアナウンスを録音するのが好きという者もいるようで(実際みたことある。棒の先にマイクのようなものを取り付けて、天井の スピーカーに近づけていた)、そういう世界もあるのか、としか言えない。あとは切符を集める者もいるだろうし、廃線跡をたどってしまう者もいて、 ことは複雑だ。
■いまや鉄道は、交通手段としては、時代遅れなものになりつつあるのかな、などと、地方のローカル線などに乗っているときとか、夜行列車に 乗っているときなど、思うこともある。新幹線や通勤電車などはぜんぜんそんなことはなくて、いつも活況を見せているが、夜行列車を利用する者など、 よほどの物好きなのではないか、と思うむきの者が多いのではないだろうか。昨今の交通事情は、遠方への移動となると航空便、中距離だと高速バスという、 安くて快適な交通手段が幅をきかせている。都市部以外では、自家用車が当たり前になっていて、へたすると一家それぞれ全員一台ずつ所有している なんてのが珍しくない。たいていのひとは、交通手段というのはなるべく速く目的地に着くためのもの、と考えていると思う。でも私は、 移動そのものが楽しいと感じる。なのでこれからも鉄道で旅行する。

No.1134 2007-01-08
■高校サッカーでは、盛岡商業高校が優勝。これといって感慨も感想もないが、北国出身の人間としては、岩手の優勝というのはちょっと嬉しい気もする。 岩手県立の高校とのことなので、公立の学校が優勝したのはよかった。
■話は変わる。2006年の一年間について少し書いてみる。まず音楽のことから振り返ると、CDはちょこちょこ買っていたのに対して、ライブにはほとんどというか まったく足を運ばなかった。夏のライジングサンロックフェスティバルには行ったが、それ以外はゼロである。理由はいくつかあって、前にも書いたことが あるが、シーズンチケットを年のはじめに買っているので週末はサッカー観戦を優先していることがいちばん大きな理由だが、もうひとつ、大きな理由があること に気がついた。
■オールスタンディングはつかれる、ということである。
■ライブ行って、一時間も二時間も立っているのは、正直けっこうきつい。以前はそうでもなかったが、いまはだめだ。ライジングサンロックフェスティバルでは だいたい、腰を下ろして聴いてるから、楽である。そういえば今年のライジングサンロックフェスティバルは8月17〜19日朝までの開催が発表になっていた。それは それとして、よくまあ昔は、スタンディングのライブが平気だったものである。平気どころか、もみくちゃになって跳んだり跳ねたり、あげくの果てに、調子に乗って いわゆる「ダイブ」みたいなことをやって、めがねがすぽーんと飛んでいったりしていた。あれは確か、梅田のヒートビートでのトースターズのライブでのこと だった。いまはヒートビートと言わないんだったかな。話がそれたが、今年もあまりライブには行けないかな。
■CDは何を聴いていたかというと、一年のうち前半はサイゲンジばっかり聴いていたような気がするし、後半はレイハラカミばっかり聴いてたような気がする。 フィッシュマンズのアルバムもほぼすべて揃ってしまった。近頃はなぜか、私が物心ついたころ、ラジオで流れていた大沢誉志幸や村下孝蔵、南佳孝の音源などを 買って聴いたりしていた。懐かしい。南佳孝の作品のクレジットを見ると編曲が坂本龍一だったり、大沢誉志幸の曲の作詞が銀色夏生だったり、村下孝蔵が弾く ギターがめちゃくちゃうまかったり、とか、そういうことに気づいて、へえ、とか思っていた。全然知らなかったが、村下孝蔵は既に亡くなっていた。99年、46歳で逝去。
■あと、最近はなんだか、歌ものを聴くとつかれるので、ジャズばかり聴いている。ジャズといってもコルトレーンとかビル・エヴァンス、マイルス・デイビスや ソニー・クラークなどの、いわゆる大御所のメジャーどころばかりだが、とてもいい。幸い、近頃は、スタンダードの名盤が廉価で手に入るので、ジャズってやつは 何から聴いたらいいかわからない、と悩む前にとりあえず買ってみる、ということができるのがありがたい。
■ブルーノートかなんかで、おいしいものを飲み食いしながらジャズのライブなど聴けたらいいなと思った。
■次に、スタジアムの話である。いろいろなスタジアムに行ってみた一年だった。私が行って観戦したスタジアムで、良かったのをランクにしてみようと思う。 ロケーションや立地、アクセス、スタジアムでの飲食、サポーターの雰囲気、試合内容などその他いろいろな要素を一切無視して、単純に見易さという視点のみで評価 する。で、大きなスタジアムよりこぢんまりとしててピッチに近いスタジアムのほうが見やすいのは当たり前で、西が丘と国立をくらべてもあまり意味がないと思う ので、収容人員二万前後より少ないものと、四万前後からそれ以上の二つに分けることにする。収容人員については、調べたわけではないので、だいたいの印象である。 私が観戦に行ったところ限定で、ベスト5である。
■収容人員四万前後からそれ以上のもの。
(1)豊田スタジアム
(2)カシマサッカースタジアム
(3)埼玉スタジアム2002
(4)大阪長居陸上競技場
(5)味の素スタジアム
■収容人員二万前後より少ないもの。
(1)フクダ電子アリーナ
(2)ユアテックスタジアム仙台
(3)日本平スタジアム
(4)松本平広域公園総合球技場アルウィン
(5)三ツ沢公園球技場
■こういった具合になった。まだまだ行ったことのないスタジアムがたくさんあるので、えらそうなことは言えない。大規模なものではおそらく新潟のビッグスワン なんかはけっこう良さそうだし、小規模のものでは鳥栖スタジアムの評判がかなりいいので一度観戦してみたい。言うまでもないが、いちばん最悪なのは日産スタジアム である。
■三ツ沢とか、日立柏サッカー場、大宮公園、西が丘などの球技専用の競技場は、こぢんまりしていてピッチが近くて、たしかにいいんだけど、私は高いところから 俯瞰できるほうがいいと思う。こぢんまりしていて高いところから観ることができるという点で、フクダ電子アリーナはかなりいい。

No.1133 2007-01-07
山の上ホテル
■「山の上ホテル」というホテルが、東京の御茶ノ水駅から歩いてちょっと行ったところにある。地名で言うと千代田区神田駿河台というところのようだ。 1月5日、そこに泊まった。別館だが。へんな名前のホテルだが、一泊して、感動した。いいホテルっていうのは、こういうものを言うのか、と思った。 感動したので、うっかり、フロントで売っていたホテルオリジナルの革製ブックカバーを買った。
■6日、強い雨のなか、初めて神田明神へ行った。雨でもそれなりに人が来ていた。それから、秋葉原駅まで歩いた。ひさしぶりに見た駅前は、きれいなビルが できていて、すっかり変わっていた。きれいなビルの中にあるお茶漬け屋で昼ごはんを食べた。おいしかった。

No.1132 2007-01-04
■2007年になった。今年もおねがいします。
■1日から3日まで、函館の実家に行っていた。三日間、函館はおだやかな天気だった。驚いたのは、この時期に雪が積もっていなかった ことだ。正月に雪が積もっていないという状況は、いままでほとんど記憶にない。へんな感じがした。
■で、地元の友人と集まったり、親戚が集まったり、雑煮を食べたり、テレビで高校サッカーを見たりして、正月らしい過ごしかたを していた。友人が板場に立っている店に刺身などを食べに行ったら、その日ほとんど入荷のなかった活イカをとっておいてくれた。おいしかった。 親に頼まれて、物置の戸を直したり、居間にある回転する椅子を直したりした。
■そんなのんびりした年明けだった。

■話は前後するが、年末のことも少し書いておくことにする。
■12月29日、上越新幹線で新潟まで行き、信越線で新津へ出て、磐越西線に乗り換えて、喜多方を経由し会津若松へ。一泊して早朝、 只見線の列車でごとごと四時間強、小出まで行き、上越線で越後川口へ。そこから飯山線に乗り継いで長野まで出て、長野新幹線で東京、そして津田沼へ戻った。 南東北から信越地方にかけての地域を、8の字を描くような形でぐるっとまわってきた。喜多方駅から歩いて5分くらいのところにある 「源来軒」という店でラーメンを食べた。とてもおいしい。ラーメンのことはよくわからないが、豚骨こってり系よりもどちらかというと 鶏ガラベースのあっさりとしたもののほうが好みなので、佐野ラーメンとか喜多方ラーメンみたいなのはおいしいと思った。
■磐越西線は新潟県の新津から福島県の郡山までを結ぶ路線で、2006年の5月の連休、私は一度、郡山から会津若松まで行くのに利用した。 その区間では、田園風景の向こうに磐梯山がよく見え、途中、猪苗代湖もわずかに見えたのを覚えているが、今回乗った新津から会津若松までの 区間は、大部分を阿賀野川という大きな川と並行して山中を走る。途中、水力発電用の物と思われるダムも見えた。喜多方からは、ちょうどいい時間に 臨時の快速列車が出ていたのでそれに乗った。三両の列車は、がらがらに空いていた。
■会津若松ではやや早めにホテルに入り、録画放送で天皇杯の準決勝を見ていた。
■翌朝は早起きして只見線の始発列車に乗った。会津若松駅6時ちょうど発なので、まだ夜明け前で暗い。徐々に空が白んでくると、田園風景が 広がっているのが見える。会津坂下という駅を過ぎたあたりから山に入ってゆき、川幅のひろい只見川に沿って走る。会津川口駅のホームでは、目の前に 大きな川があり、眺めがよい。田子倉湖や破間川のそばを通り、終点の小出駅へと至る。
■小出から越後川口まで行き、飯山線に乗り継ぐわけだが、かなり時間が余っていたので、外でぶらぶらして待っているのは寒いと思い、 越後川口とは逆方向の列車に乗り、終点の越後湯沢まで乗って、折り返しの列車で小出を通り過ぎて越後川口駅まで行った。18きっぷだったので、こういうときに 気兼ねなく列車に乗っていられるのでいい。
■越後川口駅は、駅舎の外壁に鯉のモザイク画があり、どうやら錦鯉の産地のようである。中越地震のときには、このあたりも被害があったようで、近くに あったスーパーに貼ってあったチラシには「中越地震復興二周年感謝セール」などと書かれていた。そこのスーパーで昼食を買い、誰もいない駅の待合室で 食べた。ストーブが点いていて暖かかった。窓ガラスが曇っていた。みどりの窓口があったので、帰りの長野からの新幹線の切符を買った。感じのよい駅員さん で、切符と一緒にポケットティッシュをひとつくれた。
■飯山線の戸狩野沢温泉行きの列車に乗った。列車は信濃川(長野県内では名前が「千曲川」に変わる)に沿って走る。長野県内に入ると、どの方向を向いても 高い山がそびえる景色になる。途中、越後田沢駅あたりだったと思うが、列車が、線路上にあった倒木に衝突してストップしてしまうトラブルがあった。 列車に乗っていた作業員二人と運転手によって倒木が処理され、列車の安全点検が済むまで20分ほどかかかったが、運転を再開し、戸狩野沢温泉駅では無事に 長野行きの列車に乗り継ぐことができた。長野行きの列車からは、金色の夕日が見えた。川も金色に光っていた。
■磐越西線、只見線、飯山線はいずれも豪雪地帯を走る路線で、たしかに見渡す限りかなりの積雪だった。このあたりは北海道よりもよっぽど雪の量が多いと 思った。雪が積もっていると、川の形がくっきり見える。雪山と川の景色はとてもいい。乗客が少なくて、外は猛吹雪で、雪がうずたかく積もっている景色を 眺めていると、こころ細くなる。

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