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No.1267 2008-1-27
江戸川サイクリングコース
■自転車でどこか行こうと思い立って外に出て、漕ぎ始めてから、どこに行くか考えた。昨年の11月、荒川サイクリングロードへ行く途中に見かけた、 市川橋からの江戸川サイクリングロードのことを思い出し、津田沼から船橋大神宮の脇を通って国道14号線へ出てからまっすぐ市川まで。 空気は冷たいが天気がよく気持ちがいい。風が少しあったので、船橋あたりでやめようかと思ったが、調子が出てくると、まだまだ走りたい気持ちになる。
■市川橋を越えると東京都に入るが、そちらには行かず、江戸川沿いに東京湾の方向へ走った。市川駅周辺の高層マンションがいくつも見えた。 河川敷のグラウンドでは、大人がちゃんとしたサッカーの試合に興じており、隣のグラウンドでは少年達が野球の練習をしていた。凧揚げをする家族、 犬の散歩をする者などがいて、のんびりしている。河川敷に公園があるのはいいなと思う。浜辺の公園でもいいが。津田沼近辺にはそういう場所がない。 海辺ということになると幕張あたりの東京湾まで行かなければ無いし、大きな川で一番近いのはこの江戸川ということになる。そんなことを考えながらしばらく走り、 京葉道路の高架の下をくぐり、サイクリングロードに入ってから4、5キロほど走った。この区間は、路面の舗装状態がとてもよく、快適である。
■行徳橋を渡って川の西岸へ。川沿いを川下の方へ進むと営団東西線の線路橋が見えてくる。妙典駅の周辺で少し買い物などをし、 江戸川の河口まで出てから国道357号線に入って、市川大橋を渡り、日の出の交差点から船橋市街に入り、国道14号線経由で津田沼まで帰った。 走行距離は約33.1キロ。寒い日だったが、帰宅してすぐ着替えたくなるくらい、うっすら汗をかいた。
■ここのところ、自転車で遠くまで行ったり、電車で自転車を運んで遠くで乗ったりしてないので、またやろうと思うのだけど、計画を練るのが面倒で、 つい近所とか、よく知っている走りやすい道ばかり走るだけになっているのだった。風のないおだやかな日に、千葉県内か、関東のどこか、行ってみようと思う。
■画像は、江戸川サイクリングコースで撮影した自転車。
No.1266 2008-1-26
JR路線乗車記録
■昨年末の山口旅行と、今年に入ってから首都圏のいくつかの路線を乗車し終えたのを併せて、いままでのJR路線の乗車記録をまとめてみたら、 ようやく、全路線の80%を超えたことがわかった。乗車記録をまとめるには「乗りつぶしオンライン」というサイトでユーザー登録をすると、誰でもできる。 上のような乗車マップも自動的に作成してくれる。青が未乗車路線・区間、赤が乗車済みである。(画像をクリックすると、大きいのが出ます)
■残り20%というと、すぐにでも達成できそうな気がする数字だが、未乗車路線・区間が北海道、東北、関西、中国・四国、九州と、まだまだ広範囲に残っており、 とくに九州など、半分以上残っているし、西日本では三江線や姫新線、芸備線など、本数の少ない区間がほとんど手付かずで、これらをどうやって片付けようかと考えるだけで一苦労だ。東北では、 一日三往復しか走っていないという岩泉線もまだ乗っていない。
■ただ、上に挙げたような、いわゆるローカル線群は、乗って景色を見ているだけで楽しいし、空いているからのんびり座っていられることが予想されるが、 大都市圏の大阪周辺や博多周辺の、都会の中をごちゃごちゃ走っていたり、地下を走っている路線は、混んでいるだろうし、乗ってもあまりおもしろくないと思うので、乗りに行くのも気が進まない。 何かのついでに片付けられたらと思うのだった。
No.1265 2008-1-20
幕張の浜
■ここのところ週末になると、天気はよくても風が強い日が多くて、自転車で出かけても7キロとか8キロくらい走って帰ってくることが多かったが、 この日曜日はおだやかな天候だったので、久々に自転車で幕張方面まで行ってみた。いつものように津田沼駅の南口から千葉工大、まろにえ橋、京成津田沼駅前、 ワイがや通り、国道14号、浜田交差点経由で京葉線の海浜幕張駅周辺へ。気温は低いが、こぎだせばすぐに体があったまる。ヴィレッジヴァンガードに立ち寄って、 CDなど見てからマンション街を抜けて海浜大通りを走り、橋の上から東京湾を見ると、波もなくおだやかである。
■幕張の浜の河口から花見川サイクリングロードに入り、少しだけ走った。夏から秋にかけてあんなにたくさんいた自転車乗りはどこへ行ってしまったのかというくらい、 サイクリングロードは、自転車に乗っている者が少ない。汗をかかない冬こそ自転車だと思うのだが。ウォーキングとジョギングの者はけっこういた。帰りは、 新習志野のミスターマックスという、自動車で行ってまとめ買いするような大型スーパーマーケットに立ち寄り、よく行くパン屋にも寄って、帰宅。約28.5キロ。 ひさびさに30キロ近く乗って、体を動かしたから気分がよかった。
■画像は幕張の浜で撮影した自転車。
No.1264 2008-1-19
■18きっぷが残っていたので、電車で出かけた。各駅停車で秋葉原まで行き、京浜東北線で赤羽、川越線直通の埼京線の電車に乗り換えて、 川越に着いてから、八高線に直通する八王子行きの電車に乗り換え。川越線の西の端の高麗川駅で下車して折り返しの川越行きに乗車。 埼京線と川越線は今回初めて乗車した。赤羽から大宮までの区間は埼京線と京浜東北線が並行しているが、たいてい、北へ向かうときは京浜東北線を利用するので、 埼京線は利用したことがなかった。高架を走る列車内からは、東京のベッドタウンの様子がよく見えた。大宮を過ぎて川越線に入ると、 急にローカル線の雰囲気が濃くなる。駅の様子などもずいぶんのんびりしたものになる。先日乗車した相模線と同様に、川越線の列車も、 ドア開閉ボタンがついていて、乗客が開け閉めできるようになっている。
■川越駅に着いて改札を出た。思ったより都会的な町である。駅前は繁華な雰囲気で、大きな商業施設が並んで建っている。 東武東上線との乗換駅になっているせいもあってか、駅の周辺は人が多く行き交っていた。駅前のロータリーから、市内を巡回するバスに乗車。 観光地をぐるっとまわるようなルートになっている東武バスで、車内には、観光案内のビデオを流すモニターも着いている。300円で一日乗車券を購入。 喜多院や成田山などの近くを通り、市民会館前というバス停で下車。ロードバイクで颯爽と角を曲がっていく自転車乗りのグループがいた。 少し歩くと交通量の多い通りの十字路に出た。角に八百屋があり、店先には色々な種類のサツマイモが並んでいた。「べにあずま」や「金時芋」、「紫芋」などと書いてあった。 川越のあたりは古くからサツマイモの産地だったと何かで読んだが、おそらく今もそうなのだろう。その横に目をやると、色鮮やかな柑橘類が並んでおり、 「熊本みかん」だとか「ルビー」「グレープフルーツ」などがある中に「スイテイ」と書かれた、やはり柑橘類があり、一瞬、 なにかなじみの無い種類の柑橘類の名前なのだろうか、「推定」とかなにかそういう言葉だろうか、 八百屋に並ぶ品として「推定」という名前は考えにくいが、などと考えたが、すぐにこれは「スイーティ」のことだと気づく。
時の鐘
■十字路を渡ると、凝った意匠の街灯が立ち並んでいて、「歓迎 蔵の街 川越へ 鐘つき通り商店会」という小さな幟のようなものがついている。 その向こうには鐘楼のようなものが見えた。木製の鐘楼は、小江戸川越のランドマークの一つである「時の鐘」である。 説明書きには「江戸時代初期から時を告げてきた」と書かれている。環境省認定の「残したい日本の音風景百選」に選ばれているそうだ。 音は聞くことができなかったが、とても存在感があり、古い家並みの景色のなかでよいアクセントとなっているように感じた。 時の鐘の近くにある豆腐料理の店で昼ごはんを食べた。あんかけの豆腐が乗ったお茶漬けみたいなものと、豚汁がセットになったものを食べたら、 とてもおいしかった。小皿に、サツマイモを素揚げしたようなものもついてて、なかなかよかった。寒かったので、豚汁で体が温まった。
■食べ終わって外に出て、一番街通りという、おそらく観光地川越のメインストリートと思われる通りに出た。とても賑わっていて、多くの観光客がカメラを構え、 人力車が通り、ボンネット型の古いバスが通り抜けていく。迫力ある瓦屋根の古い木造建築物や、外壁が黒っぽく煤けた蔵がずらりと並ぶ町並みは圧巻で、 そんな町並みの中に時折、明治から大正期のものと思われる石造の洋風建築物もある。近代日本の建築史を学ぶにはよい場所だと思った。 旧八十五銀行本店の建物は教会のような、フランスのアパートのような外観である。いまはりそな銀行になっている。 南北に伸びる一番街通りは、普通のアスファルト舗装の道路だが、歩道部分と、通りから東西方向に入ってゆく路地は石畳風の舗装になっている。 一番街通りは車の交通量がとても多く、観光客がガードレールもないような歩道にいっぱい歩いているので、危ない気がする。
菓子屋横丁
■路地を西へ行くと、養寿院という寺院に突き当たり、うなぎ屋の角を曲がって道なりに北西方向へ少し歩くと、「菓子屋横丁」が現れる。ここもたいへん賑わっている。 100メートルくらいの狭い通りの両側に、駄菓子屋だとかせんべい屋など、こまごました菓子や雑貨などを売る店がひしめいている。 銀杏の殻で作った小さい十二支の動物を作って売っている店があったが、そのなかのウサギが、どう見ても猫だった。黒砂糖の麩菓子の長いやつが売れ筋のようで、 多くの者が、長いそれを小脇にかかえて歩いていた。菓子屋横丁を往復して、一番街通りに戻る途中にある駐車場の地面に、なぜか鳥かごが置いてあって、 その中にセキセイインコが二羽いて、それを猫が狙っていた。地べたに座って毛糸で帽子を編んで売っているおばさんがいた。
川越城本丸御殿
■時の鐘の横を通り、来たときに降りたバス停まで戻ると、ちょうどいい巡回バスがあったので、乗車。博物館前というバス停で下車。 大きな瓦屋根が印象的な、立派できれいな川越市立博物館が目の前にあったが、そこには寄らず、道を渡って野球場のあるほうへ。 川越城本丸御殿があるのだった。城といっても、石垣や堀のあるタイプのものではなく、おおまかに言うと、京都の二条城のような、 大きな屋敷のような建物である。入口は立派な唐破風屋根の車寄せのようになっていて、いきなり迫力がある。靴をぬいで入館料100円を払って入ると、 二間ほどの広さの板張りの廊下があり、広間や使者の間、いくつかの詰所などが並んでいる。開口部が多く、冬は寒くてたいへんだっただろうと思う。 離れのようになっている建物が家老詰所で、渡り廊下とその詰所が庭を囲むような配置になっている。庭の向こうでは、県立川越高校のグラウンドで野球部が練習していて、 さかんに声を出していた。スリッパを脱いで畳に上がると、足が冷えた。三人の家老がなにか地図のようなものを見ながら相談しているマネキンみたいなのがあった。 たくさんの部屋があり、襖で仕切られている。歴史的には、15世紀に、川越城が作られ、16世紀末、秀吉の関東攻略で前田利家がこの城を攻めて落城させたそうだ。 家康が江戸に幕府を開いてからは、川越城には松平一族など、老中、大老クラスの大物が藩主として封じられ、この川越が、江戸の北方を守る重要な土地だったことがわかる。 本丸御殿自体は19世紀に入ってから造営されたものとのことだが、他ではあまり、こういった御殿というやつを見たことがなかったので、よかった。 障子と畳と柱と梁と開口部の格子で、縦横のグリッドが、整然とした空間を作り出しているように感じた。
■巡回バスに乗って川越駅へ。途中、氷川神社というのがあって、そこで結婚式があったのか、正装をした者たちが大勢乗車してきた。東武線の川越市駅を経由し、 終点のJR川越駅前で下車。帰りは川越線、大宮から埼京線、武蔵浦和で武蔵野線に乗り換えて西船橋まで行き、総武線の各駅停車で津田沼まで。
■川越は、首都圏から気軽に行ける距離にある場所なので、観光客が多いのだと思うが、人はたくさんいるのだけど、嫌になるほどではなく、ちょうどよい賑わいの町で、 自分のペースで歩けるから、なかなかよかった。
■画像は上から、時の鐘、菓子屋横丁、川越城本丸御殿。
No.1263 2008-1-13
吉祥寺駅前
■三連休である。ついこの前、年末年始の休暇があったばかりなので、ありがたみが若干薄れるような気がしないでもないが、休めるのはありがたい。 そして寒かった。空気がきりっと冷えていた。そんな三連休の二日目、電車で吉祥寺まで行っていた。津田沼から各駅停車で御茶ノ水まで行き、 中央線快速に乗り換え。津田沼から吉祥寺まで、ぴったり一時間で着いた。
■吉祥寺を訪れるのはこれで確か二度目である。数年前、ボノボというバンドなどが出演するライブイベントのために、 スターパインズカフェという場所に行ったことがあった。JRの快速停車駅であること(総武線と中央線)、 私鉄の駅が隣接してあること(新京成電鉄と京王井の頭線)、ユザワヤがあること、パルコがあること、など、津田沼と吉祥寺の駅前にはいくつかの 共通点があることに気づいたが、だからどうということはなかった。公園口という出口から出て、ドトールコーヒーのすぐとなりにある携帯電話の店で機種変更をやった。
■昨年の12月からずっと調子わるかったので、買い換えようと思って、しばらく、いろいろな携帯電話の店や家電店など見て歩いていたのだけど、 現行のラインナップの中で、これがいいな、と思うものは皆無で、これでもいいか、と思えるものさえ全く無い状態で、これは困ったな、といった感じですっかり年をまたいでしまっていたが、 ネットで調べて、八王子みなみ野という駅の前にある店と、この吉祥寺の店に、ちょっと古いが、次に変えるならこれだな、と思っていた機種の在庫があるのを見つけて、はるばる買いにきたのたった。 店の人は感じがよく、丁寧に対応してくれたので、印象がいい。1ギガのミニSDカードと液晶保護シールをくれた。キティのクリアファイルもくれるといったが、それは断った。
■駅に戻り、新宿方面ではなく、八王子方面行きの電車に乗った。八王子で下りて横浜線の電車に乗り換え、4つ目の橋本という駅で下車し、相模線に乗り換え。 相模線は初めて乗車する路線である。主な駅の到着時刻のアナウンスを聞いていて、路線図を見た感じだとあんまり長い路線ではないのに、結構時間がかかるんだな、 とか思っていたが、乗車してまもなく、その理由がわかった。線路が単線なので、列車すれ違いのための退避などで、時々数分停車することがあるのだった。 沿線には、渋滞情報でよく「海老名サービスエリア付近何キロ」とか耳にする海老名という町や、米軍基地のある厚木などがある。
■一番後ろの車両の、後ろ端の席に座っていた。若い車掌とベテラン車掌が何か談笑しているのが見えた。若い車掌は見習いとか研修とか、そういう感じかもしれない。 ときどき、単線の線路が長くまっすぐ伸びている区間があった。車窓には、収穫の終わったりんご栽培の畑が見えたり、味のある蕎麦屋があったり、 遠くには山並みが見え、のどかな風景で、首都圏の、しかも東京と神奈川を結ぶ路線なのに、とてもローカル線の雰囲気がある。乗客も老人と高校生くらいの者らが中心で、 格好もどこか都会的ではないような印象で、車両のドアには開閉ボタンがついていて、さっきまで東京にいたのに、いつのまにか遠くまで来てしまったような錯覚をおぼえる。
■寒川駅からたくさん乗ってきて、終点、茅ヶ崎で下車。茅ヶ崎駅の周辺はなかなかに都会的である。駅前の立ち食いそば店でそばを食べ、 東海道線に乗り換えて品川で下車。品川駅の構内はいつのまにか、なんだかちょっとした町のようになっていた。チップ制の公衆トイレがあった。 成田空港まで行く快速に乗り換えて、津田沼まで帰った。
No.1262 2008-1-07
実家近くにいた犬
■新年である。
■武田の渾身の山口旅行記などもあるので、12月分も見ていただければと思う。(→こちらです)
■新しい年になってから早くも7日経ってしまい、もうすっかり普通の感じで、休みも終わって仕事も始まった。大晦日は千葉の職場まで自転車で行き、ちょっとだけ仕事をしていた。 元日の午後は羽田へ。函館の実家へ帰省。古い飛行機に当たってしまい、シート間隔が狭くてつらかった。函館空港に着くと、吹雪の一歩手前くらいで、 雪が降っていて寒かった。前年の正月はとても暖かく、雪がまったく積もっていなかったが、今年の正月はしっかり積もっていて、寒かった。 函館駅行きのバスに乗車。大森浜の海が、鉛色みたいな寒々しい色をしていた。函館駅前の百貨店や他の店は、ファーストフード店以外はしっかりシャッターを閉めて休んでいて、 これが正しい正月だと思った。元日から営業、とかやめればいいのにと思う。飛行機とか鉄道は、元日も運行してもらえるとありがたいけど、もしなんだったら休んでしまっても別にいいんじゃないかとも思う。 函館駅からJRの列車で一駅乗車。五稜郭駅から歩いて実家へ。夕食後、地元の友人の実家に何人か集まり、 深夜二時過ぎまでだらだら話などしていた。
■2日は実家の近くをうろうろし、五稜郭駅前にヤマダ電機がもともとあったのだけど、その斜め向かいにはコジマという、 これまた大型家電店がいつのまにかできており、どちらもたいそう客が入っていた。新しいラーメン屋も一軒できていた。函館市立病院の敷地の中に犬が紐でつながれていたので、 近づいたらほえられた。夕方には兄の家族が実家を訪れ、甥達が大暴れして去っていった。夜はまた地元の友人たちと、チェーン系の居酒屋で会い、閉店時間までだらだら話などしていた。 一年に一度か、多くても半年に一度くらいしか会わないので、会えば近況などを聞きあう。ひととおりそれが終われば、今度は、その場にいない者の近況や、家族の近況などを話す。 お互いの親や兄弟姉妹のことをよく知っているので、なんだかおかしい。そういう関係は、地元の友人としか無いものかなと思う。 話しているうちに、そういえばあれは、そういえばあいつは、これはおいしいね、このあいだこんなことがあって、となって、いつまでも終わらない。
■3日は、実家の近所にできた大きなショッピングセンターに行ってみた。ちょっとしたスペースにたくさんのパイプイスが並んでいて、大勢集まっている。なにかと思ったら、 新春お笑いショーみたいな催しで、どうやら鉄拳とか、あと二組くらい、お笑いの人が出るようだった。ショーは見なかったが、あんな田舎に芸能人が来るなんてすごい、 と感慨深かった。ショッピングセンター自体はべつにどうということはなく、よくある郊外型のやつで、スーパーマーケットを核に、飲食店や携帯電話の店、書店、服屋、靴店、 ジーンズショップ、メガネ屋、赤ん坊の店、カフェ、ドラッグストア、など。たこ焼きの「銀だこ」に、行列ができていた。函館なので、そういうこともあるかなと思った。 書店が大きくて、田舎にしてはそれなりの品揃えで、よかった。函館の人間は本を読まない、というのをなにかで聞いた。確かに函館では、書店がよくつぶれる。 夜の便で羽田へ。帰りの飛行機は古くなくて、狭くなかったからよかった。羽田から津田沼行きのバスに乗車。夜だから、津田沼もまあまあ寒かった。
■函館にいた三日間は、食べて、昼寝して、ごろごろだらけて過ごしていた。のんびりできたからよかった。実家ではテレビがついていることが多いので、 なんとうなく、ついている画面を見ていた。関係ねえ、というやつを初めて見た。みなが言っているのはこれか、と思った。
■津田沼に戻ってからは、テレビで高校サッカーの試合を見たり、すこし自転車に乗ったり、ヤギを見に行ったり、旅行の文章を書いたり、古事記を読んだり、音楽を聴いたりして、休みを過ごしていた。 2007年に聴いていたのは、だいたいジャズだったが、KANの「IDEAS」という新しいベスト盤と、土岐麻子の「TALKIN’」というアルバムが良かった。 KANは以前、10年くらい前まで、かなりよく聴いていて、ひさしぶりに思い出して買って聴いてみた。歌がいい感じに渋くなっていた。 「よいメロディ」「美しいメロディ」ということばが死語になってしまった日本のポップミュージック界において、 彼の存在は希有だと思った。作曲家として生き残ってほしい。 土岐麻子は、シンバルズのアルバムと、ヴィレッジ・ヴァンガード限定のスタンダード・ジャズのカバーのライブ作品しか聴いてなかったが、「TALKIN’」は、 様々な音楽の要素をうまく消化して独自の世界観を作り出し、とても質の高い作品が揃っていて、よかった。声もよい。詞は書いているみたいだけど、曲は作ってないみたいなので、 自分で曲も作ればいいのにと思う。
■2008年は、ちょっとジェフ千葉から距離を置いてみようかなと思っているので、とりあえず、シーズンチケットは購入していない、というのは前も書いたが、毎試合必ず行く、という感じではなく、 気が向いたらチケットを買って行くことにする。そんなことを言っておきながら毎試合行ってしまいそうな気がしないでもないが、とりあえず今はそういうつもりで様子を見ているのだった。 サッカー、自転車、鉄道旅行、音楽、などなど、バランスよくやっていけたらいいなと思っているんである。津田沼ノートも、できるだけ更新しようと思っておりますので、また一年よろしくおねがいします。
■上の画像は、実家の近くにいた犬。
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「津田沼ノート」は武田(まだいちおうジェフサポ)がやっています。

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