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No.1314 2008-7-26
小淵沢駅

岡谷駅のホームから

友人の店

急行能登

■この夏、青春18きっぷを使っての最初の旅行はまず各駅停車で新宿へ。新宿から「ホリデー快速ビューやまなし号」という二階建ての快速電車に乗車。 18きっぷでグリーン車の指定席には乗車できないが、指定席券があれば普通車の指定席を利用できるし、自由席は18きっぷだけで乗車できる。 4人がけのボックス席なので、グループで旅行するのにはいいかもしれないが、ただ単に移動手段として使うと、向かいに座る人とずっと一緒だったりして、 けっこう狭いので気詰まりするかもしれない。外を見ると夏の濃い緑の木々と、青空と、山並みの上にもくもくした雲が出ているのが見える。終点の小淵沢まで乗車。
■小淵沢駅は、小海線の乗り換えなどで何度か利用したことがあったが、改札の外へ出るのは初めてである。 ホームから階段を上がって改札へ向かう通路の天井には「祭」という文字のある提灯や風鈴がたくさん下がっていた。こぢんまりとした駅舎の中は人がたくさんいた。 立ち食いそばの店だとかみどりの窓口があって、土産物の店が併設されていて賑わっている。改札口の横には、カブトムシを飼っている金網の小屋がある。 駅の外に出ると、土産物の店や飲食店、旅館などが軒を連ねている。そんな中にクリーニング店や薬局なんかもある。平屋建ての駅舎の向こうには山並みが見え、 高原の駅といった風情である。
■駅の中に戻ると、ホーム上では駅弁が売られ、どれもおいしそうだった。ホームにも立ち食いそばの店があり、なかなか繁盛していた。松本行きの列車に乗り継ぎ。 小淵沢の次が信濃境という駅で、駅名のとおり、甲斐の国と信濃の国の境で、山梨県を抜けてここから長野県に入る。茅野を過ぎ、上諏訪、下諏訪のあたりでは左手に諏訪湖が見えた。 何度か中央本線を通ってるのに、列車から諏訪湖が見えることに今回初めて気づいた。いつも山にばかり気をとられていたのかもしれぬ。岡谷を過ぎて塩尻駅で下車。塩尻は中央本線と篠ノ井線の分岐駅になっていて、 北へ行くと松本、長野、東へ行くと新宿、東京、西へ向かうと木曽路、名古屋である。 鉄道の時代は交通の要衝であったのだろう。広い構内を持つ駅である。ガラス張りの待合室があり、ここにも立ち食いそばの店がある。駅前に出てみると、樽のモニュメントがあり 「ワインと遺跡のまち」と書かれていた。キツネの石像もあり、説明書きを読むと、桔梗ヶ原に玄蕃之丞(げんばのじょう)というキツネの親分が住んでいたそうだ。 桔梗ヶ原というのがどこなのかわからないし、キツネの親分と言われてもなんのことだかよくわからないが、よくいたずらをしたそうだ。それにしても暑い。 標高が高いから少しは涼しいのではないかと期待していたが、風もなく、外はすごい熱気だ。でも湿度は低いように感じた。「こあ しおじり」という商業施設が駅前にあり、 古いパチンコ店というか、昔のスーパーみたいな外観で、入ってみると、飲食店なんかが数店入っているが、ひと気もなく、なんだかさびしい感じである。 シャッターが下りている店舗もいくつかある。駅に戻って、立ち食いそばの店で冷やしそばを食べた。安いわりにはまあまあおいしい。
■中央本線は、岡谷を過ぎてから南北二方向に分かれ、みどり湖経由の北側の線と辰野経由の南側の線の二つの線が塩尻で再び合流する形になっている。 昔、中央本線の経路を決めるにあたって、このあたりの有力者が線路の誘致合戦をして、いろいろ争いがあった末に、こういった形になったという話を何かで読んだ。 で、このうちの南側の線にまだ乗ったことがなかったので、乗車。塩尻から辰野行きの列車は、小ぶりで角ばった赤い車両が一両だけである。 長野には何度か訪れたことがあって、諏訪や松本や奈良井など巡ったときは、長野は食べ物もおいしいし空気はすがすがしいし、いい人ばかりで、いいところだなあと思ったが、 日本全国どこへいっても、高校生の振る舞いがちょっとどうかとおもうほど、ひどいことになっていて、長野も例外ではなかった。窓の外を見ると、 山と森と水田が広がる、典型的な日本の田舎の風景で、途中、小野、信濃川島という駅があり、10数分で辰野駅に到着。愛知の豊橋から飯田や天竜峡を経由してくる飯田線と合流する駅で、 山に囲まれた静かな駅である。岡谷行きの飯田線の列車に乗車。数時間前に通った岡谷駅に到着し、下車。ホームには金色の大きな和太鼓が置かれていた。駅前に「岡谷LaLa(ララ)」という商業施設があったので入ってみた。 4、5階まであると思われる外観の建物だが、中に入ると、上の階へゆくエスカレータは閉鎖されていて、エスカレータの前にも商品の棚が置かれているような状況である。 1階しか営業してないみたいだった。その1階も、なんだかがらんとしている。「こあ しおじり」よりは人がいたが、こちらもなんだかさびしい雰囲気である。 LaLaを出て駅へ戻る。駅のはるか向こう、かなり高い場所に、山と山をつなぐようなかたちで高速道路の高架があるのが見える。中央自動車道というんだろうか。 高価な燃料を惜しみなく使ってすごいスピードで自動車が行き交っている。駅前には新しいマンションが建っていて、ロータリーには「岡谷太鼓まつり」と書かれた黄色い幟がたくさん立っていた。 山梨側の空を見ると、山の上に大きな入道雲がもくもくと立ち上がっていた。
■岡谷から松本行きに乗車。列車は少し遅れていた。けっこう乗客は多い。40分ほどで松本に到着。松本駅は、ホームで列車到着時に駅名をアナウンスする自動音声みたいなやつが、 古めかしい感じでまつもとー、まつもとー、と言う。なんだかわかりにくい説明だが、こんど松本まで行ったときに聞いてみたらいい。で、松本駅にはこの二年くらいの間で、 どういうわけか何回も来ている。来るたびに工事をやっていたがようやくそれが終わったようで、ずいぶん近代的で都会的な駅に生まれ変わった。自分が学生の頃だからあれはもう10年近く前だが、 よくある田舎のちょっと大きめの駅という印象だった。そのとき、学割できっぷを買おうとして、学割証に鉛筆で必要事項を書いて窓口に渡したら、鉛筆書きはだめだよ、と言われたことを覚えている。 都会的な駅になったが、コンコースの天井には「松本ぼんぼん」と書かれたピンク色の提灯がたくさん吊ってあった。 それはそれとして、パルコまで歩いて無印良品でちょっとした買物をし、駅に戻って大糸線の列車に乗車。大糸線に乗るのは数年ぶりである。夕方、松本からの帰宅時間だったのか、 立ち客も多くいるほどであった。松本から8つ目の豊科という駅で下車。地名でいうと、安曇野市になるのだと思う。どういうわけか、改札を出ようとする客でごった返して、長い列になっている。よく見ると子供が多いので、なにかあるのかなと思ったら、 お祭りをやっていた。そういえば夏祭りの季節である。大糸線も無人駅が多いので、降車駅で運賃を清算することになり、それで列ができていたようだった。豊科駅は有人駅である。 まじめそうで若い駅員二人が清算の対応にあたっていた。
■駅を出て正面の道をまっすぐ行くと、車が通行止めになっていて、人が大勢、歩いたり座ったりしていた。「とよしな玉ねぎ 元気くん」と書かれた提灯がたくさんぶら下げられていて、 風に揺れていた。頭が玉ねぎになってて、それに目と口がある妙なキャラクターが描いてあった。イカ焼きとかなんかいいにおいがしている。国道147号線まで出て、 南に向かって歩くと、御神輿をかつぐ集団が待機していて、ブラスバンド隊もいて、盆踊りみたいな集団もいて、その脇を子供ががやがや言いながら歩いていく。大人も歩いていく。 みんなにこにこしていて、楽しそうだ。都会の祭りとか花火大会は、遠くから見物に来る者も多いが、こういう地方の祭りというやつは、地元の人間が楽しむもので、 よそ者は入っていけない。祭りっていうのはそういうものなんじゃないかと思う。高額な参加費を払って公道でおかしな踊りをやって審査員が順位をつけるようなのは祭りとは言わない。 ただのイベントである。札幌ドームでも借りてそこで勝手にやってればいいのにと思う。
■豊科で友人が居酒屋を始めたんである。成相交差点から北に150メートルくらい、国道147号に面したところにその店があった。カウンターが5席くらい、 奥の小上がりに4人くらい座れるテーブルが二つ、フロアには10人くらい座れる大きなテーブルが一つ。全部で25人も入ればいっぱいになるくらいの大きさで、 元々飲み屋だった建物をかなりリフォームしたそうで、なかなかセンスのいい店だと思った。外の看板や暖簾も、シンプルでかっこういい。開店して間もないので、 祝いの花があちこちに飾ってあった。まだ外は明るい時間だったが、 既に飲んでいる先客が二人いた。食材は函館やその近辺から取り寄せているようで、ウニやホッケやイカが出てきて、食べるとおいしかった。ツブ貝の刺身も食べた。 じゃがいもの塩煮にイカの塩辛をのせたやつも食べた。あとなんかいろいろ食べた。友人だから言うわけではないが、どれもこれもおいしかった。飲み食いしていたら、 店を始めた友人とはまた別の友人が奥さんと一緒に来てくれて、さらに、友人の友人がほかに4人来て、どういうわけか、そのなかの一人の両親も来て、なんだかにぎやかになった。 気づくと、店内は人がいっぱいだった。ひさしぶりにずいぶん飲酒した。楽しかったからだと思う。みんな豊科のあたりで生まれて育って、そこで働いている。そういう生き方もあって、自分はなぜかそういうことがぜんぜん思い浮かばなかった。 地元を離れることになんの疑問も持たなかった。ずっと地元函館で暮らしていたら今頃なにやってたんだろう、とかそんなことをちょっと思った。
店内のようす ■集まってくれた人たちと店を始めた友人にあいさつして、店を出た。外ではまだまだ祭りをやっていて、人がいっぱいいて、駅までの道をまっすぐ歩けない。 豊科駅から松本まで戻って、篠ノ井線の長野行きの列車に乗った。山梨県内で大雨があったようで、松本のあたりでも列車が遅れていた。長野から信越本線の列車に乗り換え、 日付が変わる数分前、終点の直江津で下車。18きっぷの一日分は、日付が変わるまでが有効なので、なかなか無駄のない使いかただったのではないか。 眠たかったが、ホームに降り立ったら、向こうのホームにはちょうど、大阪発青森行きの寝台特急「日本海」が入線したところだった。 おお、寝台だ、とか思いながら改札口へ向かう階段を上がると、深夜なのでもう駅員さんはいなかった。電光掲示板を見ると、日本海の他に、 「0:31 上野行 急行 能登」「0:39 上野行 特急 北陸」「0:55 大阪行 急行 きたぐに」とあり、この夜行列車の揃い踏みぶりに、思わず嬉しくなり、眠気も失せた。 夜行列車が次々と姿を消してゆくなかで、日本海側ではまだまだ夜行列車ががんばっているんだなあと感慨深い思いになった。そういえば日本海側はまだ新幹線の整備も進んでいない。 そういった事情もあるのだろう。長距離移動の手段として夜行列車はどうにか健在なのだと思いたい。そういえば上野から秋田経由で青森まで行く寝台特急「あけぼの」も、乗車率は悪くないと聞く。
■学生のころ京都駅でみた、夜行列車の「熊本行き」という行き先表示、上野駅で見た「札幌行き」。これに乗れば九州まで行けるんだ、これに乗ったら北海道まで行けるのか、 と思ったことを覚えている。私は夜行列車というのが好きで、乗るとわくわくする。寝台なんだから寝ればいいのに、いつまでも起きていたい気持ちになる。でもいつの間にか眠っている。 停車しているときふと目が覚めて、ここはどこの駅かな、と思ってカーテンを開ける。朝もやの中を走り、いつの間にか太陽が山の上から顔を出してくると、洗面所に歯をみがきに行く。 降りる準備をしながら、もうちょっと乗っていたいなあ、と思う。自分にとって夜行列車というのは、ただの移動手段というんではなくて、乗ること自体が楽しみなんである。
■今年の3月、京都から九州へゆく寝台列車の「なは」「あかつき」、東京と大阪を結ぶ寝台急行「銀河」が廃止になった。去年は東京から島根まで行く寝台特急「出雲」が廃止になった。 「日本海」と「北斗星」が二往復から一往復に減り、来年には東京から九州へ行く寝台特急「富士」「はやぶさ」が廃止になるようだ。繁忙期のみ札幌と釧路を結ぶ夜行の特急「まりも」も今年の8月いっぱいで廃止である。 悲しい。JRは公共交通機関だけど、営利を目的とした株式会社なので、利益を上げて株主に還元しなければならない。採算のとれないサービス、利益の薄いサービスは減らさないといけない。 わかってはいるけど、やっぱり悲しい。
■直江津は特急も停まるような駅なので、さすがに駅前にはひとつくらいコンビニエンスストアなんかあるだろう、と思って外に出てみたら、見事になんにもない。 というか暗い。自動販売機で飲み物だけ買って、急行能登に乗車。どの夜行列車に乗っても、車両の老朽化が嫌でも目につく。採算だけでなくて、安全性とか快適さを考えると、 廃止もやむなしなのかな、と思ってしまう。去年の夏に新大阪でみかけた「なは」だったか「あかつき」だったか、もうぼろぼろだった。老体に鞭を打ってるような様だった。 能登も相当古い。全車座席の夜行列車で、同じルートで上野まで行く特急北陸より、寝台料金が無い分安い。特急料金ではなくて急行料金だから、そのぶんでもちょっと安い。 乗車後すぐに車掌さんが来て検札があり、これで能登に乗るのは最後かな、と思いながら外を見ているうちに眠ってしまった。長岡で進行方向が変わり、背中の方向にむかって走り出したあたりで目が覚めたが、また眠った。 高崎あたりで空が明るくなり、大宮で朝の車内アナウンスがあった。上野には定刻に到着。日曜の朝6時の上野駅は人もまばらで、私が上野駅を利用するのはだいたい金曜とか休みの前の日の夜に夜行に乗るときで、 そんなときはだいたい勤め帰りの者達でごった返しているんで、人の少ない上野駅は不思議な感じがした。 東京駅で快速に乗り換えて津田沼まで帰った。休みの日の朝の下り電車は空いていた。
■画像は上から順に小淵沢駅、岡谷駅ホームから見た入道雲、豊科の友人の店、急行能登。
No.1314 2008-7-19
猫と東京湾
■三連休である。8月の盆休みのことばかり考えていたので、うかつにもぎりぎりまで今回の連休に気づかなかった。なのでなにも計画もなく、 とりあえず、休みの日のわりには早く目が覚めたので起きたが、茫然としているうちに時間が過ぎていった。欲しい指定席券があったので、 津田沼駅のみどりの窓口へ行くことにした。JRの指定席券は、乗車日一ヶ月前の同日に発売開始になるので、 年末年始、5月の連休、盆休みなんかの一月前には、みどりの窓口の前にはたいへんな行列ができる。 今年の場合だと、17日の木曜日までが「盆休み一ヶ月前期間」ということになる者が多いわけである。それが過ぎたから、もうみどりの窓口は空いているのではないかと思ったが、 今回の連休のせいか、やけに人が並んでいたので、また後日買うことにした。どうしても欲しい指定席券は、事前申し込みみたいなやつで手に入れているので、 気が楽である。
■それにしても、みどりの窓口で切符を買うのに時間がかかる人間が多くてうんざりする。とくにおばさん、というか、ばばあども。 窓口でああでもないこうでもないと延々なにか言っている。事前に少しでも調べたらいいのに、と思うが、ばばあに限らず、そう考えない人間のほうが世の中多い。 切符売場の券売機の前まで来てからごそごそと財布を探し、財布が出てきたと思ったらこんどは目的地までいくらの切符を買えばいいのか、 壁の上のほうに貼ってある路線図をあっちこっち見て、なかなか買い終わらない。自動改札の前まで来てから定期入れや切符をごそごそ探す。平気で人の流れを止めて、 悪いとも思わない。社会の害悪である。あと、JRも、窓口を減らすなよ。指定席券売機もだいぶ増えてきたが、乗継割り引きとか周遊きっぷとか寝台券とか買えないし、 JR他社の指定席が買えなかったりする。不便である。
■気を取り直して、駅の近くの服屋でもひさびさに行ってみるか、と思い、行ってみたら、11時オープンみたいで、まだやってなかったので、すごすごと家に帰った。 暑くて茫然としているうちに午後になり、ちょっと昼寝なんかしたりしてるうちに夕方になったので、外もいくぶん涼しくなっただろう、と思い、 自転車に乗ることにした。まろにえ通り経由で茜浜緑地へ。まだ昼間の暑さがいくらか残っているものの、風がここちよい。 緑地公園内で花火をやっているガキどもがいて、煙が上がっている。花火自体やるなとは言わないが、やり終わったら片づけろと思う。花火の燃えカスがそこらにばらばら落ちている。
■沈みかけた太陽が東京湾を照らしていてきれいだった。犬の散歩をしている者が多い。防波堤に腰かけて本を読んでいる者、海に向かってトランペットを吹いている者もいた。 遠くの海沿いに見えるマリンスタジアムはきらきら照明が光っている。浦安のマンション群のシルエットが見える。防波堤の上をやせて小柄な猫が一匹歩いていた。
■日が沈んでしまったので、茜浜を後にした。新習志野駅前経由でまろにえ通り、家まで。夜風が涼しい。走行距離は17km。
No.1313 2008-7-17
■ぼんやりしていたら、ずいぶん更新が滞っていた。
■もっと頻繁に更新する、とかこの前ここで言った気がするが、このざまである。しかし暑くなった。週末、雨が降らなくても、自転車で出かける気がしない。 去年の夏はばかみたいに暑かった。今年もあんな感じになるのだろうか。
■ところで8月の盆休みは、北海道へ行く予定である。実家への帰省をからめつつ、あちこち行ってくるつもりで、いろいろ考えているのだった。 あっちもこっちも行きたい、と欲張ると、なかなかたいへんで、限られた日数のなかでいかにうまく動けるか、試行錯誤しているところである。 計画しているときがなかなか楽しい。ガソリンが高いから、この夏は新幹線や特急が混むかもしれない。車の所有は今や、資産ではなく負債のように思える。
■新車が売れないのだそうだ。若者の車離れ、とか言われてる。「車離れ」ではなく「若年層低賃金化」なんだと思う。問題なのは「格差」ではなく「貧困」だと思う。 今新車が売れないということは、数年後、中古車市場に出回る車も減るということになる。車が減ると、渋滞は減るし、空気もきれいになるし、 交通事故も減る。違法駐車も減る。なんかいいことばっかりでよかった。
■「若者の○○離れ」とか言ってるのを見聞きすると、世の中のおっさんどもってばかなんだな、と思う。価値観とか考え方がバブルの時代のままなのだろう。
■水曜日、ジェフ千葉はアウェイで新潟戦。2−2の引き分けだった。17試合終えて勝ち点10。ぶっちぎりの最下位である。来年は二部だ。 もう腹はくくったつもりである。またたくさん選手がいなくなるのだろうな、と思うとさびしいが、11人いれば試合はできる。 ようやく蘇我に練習場とクラブハウスの建設が決まったのはいいニュースだ。
No.1312 2008-7-06
かき氷
■12時から秋津のサッカー場でJFLのジェフリザーブズ対ソニー仙台の試合があったので、自転車で見に行った。家でだらだらしていたら、ぎりぎりに着いた。 すごく暑くて、いよいよきたか、という感じである。夏はおそろしい。なぜなら、暑いからだ。暑いと汗をかいて不快であるだけでなく、顔が赤くなるし、 頭が痛くなる。早く秋が来てほしい。秋津のサッカー場のスタンドは日陰がないので、昼間は真上から太陽が照りつける。頭がぼうっとした。 こぢんまりとした売店が出ていたので、かき氷を買った。100円だった。
■試合は、後半、堀川がディフェンスの裏にうまく抜け出して先制点をあげたが、その後セットプレーなどから失点し、逆転負けを喫して1−2。 この時期の昼間の試合は、見るほうでさえつらいのだから、やってるほうはもう大変だろう。選手達はしきりに水を飲んでいたが、みなばてばてだった。 リザーブズは若い選手ばかりなので、精神的なもろさを感じた。追いつかれて1−1になった時点でみながっくりきていたように見えた。
■試合後、茜浜の緑地公園まで行って、海沿いの道を走った。東京湾は霞んでいた。海風で涼もうとする者が多いのか、公園には人がけっこういた。 自分もしばらく防波堤に腰を下ろしていたが、あまり風がなかった。まろにえ通りを通って帰った。走行距離は14km。上の画像は、かき氷。
No.1311 2008-7-05
longhorn cafe
■夕方、京成津田沼駅前までぶらぶら歩いていった。日が沈みかけていたが、ずいぶん蒸し暑い。駅前で少し早めの夕食をとり、ワイがや通りへ。 子供たちがたくさん歩いていた。家族連れも多く、いつもはワイがやしていない通りがなんだかにぎやかで、子供達は金魚が入った袋を手にしていた。 後から知ったが、菊田公民館のお祭りをやっていたらしい。
■通りにある「longhorn cafe」という店に立ち寄った。さびれた商店街には似つかわしくない、しゃれた感じの店で、 以前、タンポポカフェという店だったところに、今年の春くらいに新しくできた。さほど広くはないが、ゆったりした店内で、ターンテーブルなんかも置いてあった。 コーヒーが300円だったり、カフェオレが400円で、量も多くて良心的である。ドトールなんかのLサイズとおんなじくらいか、もうちょっと多いくらい入ってる。 アルコールのメニューも多くて、つまみ類も安いわりには凝ってておいしい。ヒューガルテンの生ビールも飲める。 京成津田沼という場所でコーヒー600円、なんてやってたらお客さん来ないだろうから、苦心の値段設定なのだろうと思う。深夜まで営業しているみたいである。 商売としては厳しいと思うが、雰囲気のいいお店なので、がんばっていって欲しい、また行ってみようと思った。となりにはちょっとしゃれた焼き鳥居酒屋もある。
■家まで帰る途中、ユザワヤから国道14号方面に抜ける道のわきに、クロックスの専門店みたいなのができているのに気づいた。なんか去年くらいからよく見かけるサンダルみたいなやつだと思う。 ずいぶん品揃えは良さそうだったが、いまのところあんまり興味ない。昔、ビルケンシュトックとかカンペールが流行ったのを思い出す。 あと、春頃にオープンしたユザワヤの向かいのツタヤに初めて入ってみた。映画のDVDの棚を見て歩いたが、なんだかよくわからなかった。
■調布の味の素スタジアムで夕方、ヴェルディ対千葉の試合があって、千葉は3−0で負けたようだ。外にいたので、試合はテレビでも見てない。 これでもうジ・エンドかな、と思った。それはそれとして、いよいよツール・ド・フランスがはじまった。テレビで見た。 今年はJsportsPlusで全ステージ中継があるので、これから三週間くらい、楽しみである。上の画像は、longhorn cafeの店内。外はワイがや通り。
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