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No.1235 2007-9-30
シアタートラム
■午後、津田沼から電車に乗り、錦糸町で半蔵門線の東急直通のに乗り換えて、三軒茶屋まで出かけた。津田沼からはちょうど一時間くらい。 小雨が降っていて、肌寒い。シアタートラムで、宮沢章夫さん作・演出の「ニュータウン入口」を見たのだった。この日は公演最終日で、 昼夜の二公演あるうちの昼の公演を見た。見た感じ満席で、立ち見のお客さんもいた。音楽のライブや映画などと比べると、お客さんは、 みな非常に落ち着きのある人ばかりで、なんだかほっとする。
■宮沢さんの舞台作品を見るのは2003年の「トーキョー・ボディ」、2005年の「トーキョー/不在/ハムレット」に続いて三度目である。 で、今回の「ニュータウン入口」を見て、どうだったか、というのを書こうと思うのだけど、宮沢さんの舞台作品を見て感想を書くというのは、 とてもむつかしい。見た直後は、しばらくぼんやりして、口数が少なくなって、頭のなかでいろいろ処理しようとするのだけど、なかなかうまくいかない。 「ニュータウン入口」という作品の中では、ギリシャ悲劇のこと、考古学の捏造問題、神戸でかつて起きた幼児殺害事件、パレスチナ、 そしてニュータウンとそこで排除されるノイズ、などなど、といったような色々な要素が折り重なったりくっついたりくっつかなかったりしながら話が進んでいくのだった。 で、俳優さん達の動きだとか、映像を使うときに出てくるスクリーンのタイミングだとか、舞台上の造形そのものだとか、とても洗練されたもので、 造成地の端に置いた落蓋式じゃないU字溝をひっくり返して置いてあるのなんかは、視覚的に全体のバランスをとるのに効果的だな、とかそんなことを勝手に一人で思っていた。 あと、俳優さんそれぞれが、すごかった。若松武史さんがとにかくすごいし、南波典子さんもすごいし、山縣太一さんもすごい。何がすごいのか、と言われると困るが、 おかしいしおもしろかった。とにかくみな魅力的な演技をする。カメラマンがせりふを発するのもびっくりしたけど、よかった。最後に出てくるパレスチナの映像の中の、 現地の人たちの屈託のない笑顔も、びっくりした。
■私は、ジェフ千葉の試合を見に行って、勝利したり、いい試合だったりすると、録画中継をテレビで改めて見る。それを録画しておいて、さらにまた後から見ることもある。 試合内容と結果がわかっている上で、もう一度見るんである。そうすると、より、印象に残るし、楽しめる。「ニュータウン入口」を見て、そんなふうに、 もう一回見てみたいなと思った。二回目見たらもっとおもしろいんじゃないかなと思うんである。技術的なこととか、芝居の詳しいこととか、ギリシャ悲劇とか、ぜんぜんわからないし、パレスチナのことも、 ごく基本的な部分しか知らないけど、おもしろかった。宮沢さんはすごいなとも思った。そんなすごい方のウェブサイトからここのサイトにリンクをしていただいてて、恐れ多いことで、嬉しいしありがたいことだな、と思った。 画像は、三軒茶屋のシアタートラム。

フクダ電子アリーナ
■Jリーグ一部第27節、千葉対F東京。フクダ電子アリーナ。
■三軒茶屋から錦糸町経由して、そのまま蘇我まで行き、試合を観戦。日曜夜、寒くて雨、という悪条件にも関わらず、かなりの客。FC東京のサポーターも大勢来た。 でも、ジェフ千葉のサポーターも、ずいぶん増えたものだなあと思った。今のスタジアムで試合をするようになってもうすぐ丸二年になるが、 ようやくホームスタジアムらしくなってきたかな、と思う。いい雰囲気だった。結果は3−2で千葉の勝利。一時は3−0になったのに、一点差まで追い上げられてはらはらしたが、 なんとか逃げ切った。新居がよかった。守備も一生懸命やっていて、走り回る姿を見て、がんばってるな、と思った。私は以前からFC東京の石川選手を、とても脅威に感じているのだけど、 FC東京サポーターのブログや掲示板を見ると、必ずしも彼の評価が高くないので、へんな感じするのだけど、あのスピードと失敗を恐れぬ思い切りのいいプレーは怖い。 この試合では、相対した山岸が、よく彼を抑えた。トラップした瞬間や、突っかけようとする一歩目にうまく足を出したりして、スピードに乗せないようにしてたと思う。
■あと、毎度のことながら言いたくなるのは、レフェリーがだめだめである。なんだあれは。西村とか言う主審だった。どっちに贔屓、とかじゃなくて、 ぜんぜん見えてない。主審二人制とか、副審や第四審判にもっと権限を持たせるとか、そういう大きな手を打たないとだめなんじゃないか。
■画像は、試合後の水本選手のインタービュウの様子、と、FC東京サポーターが去った後のアウェイ側自由席。この画像でわかってもらえるだろうか。 ゴミがかなり散らかっている。こんなに汚くして帰るサポーターは、初めて見た。もう二度と来ないでほしい。
No.1234 2007-9-29
旧大沢家住宅
■朝から肌寒くて、弱い雨が降ったりやんだりしていた。そんなに降らないかな、とか勝手に決めて、自転車で出かけた。取り外しできる泥除けをつけて、 合羽を持った。津田沼駅の北口側から、県道69号を通って、NTTのところから奥に入り、藤崎の森林公園まで行った。何年か前に一度来たことがあった。 再度訪れたのは、前に来たときは既に夕方で、公園内で公開されている古民家を見ることができなかったからである。
■古民家というのは「旧大沢家住宅」で、昭和51年11月5日千葉県長生郡長生村から移築復原したものとのこと。県指定有形文化財で、 「大沢家はかつて名主を勤めていたと伝えられ、系譜によると寛文4年(1664)にこの住宅が創建されました。間取りの型式は、居間の前面が格子窓と壁で構成され、 客座敷の奥の間にはまだ床の間がなく格子窓だけであることなど、房総の古民家に共通した特色を示しています。また、 客座敷の周囲には居間との間仕切以外に差鴨居を用いず、一間ごとに柱を立てていますが、これは房総の古民家のなかでもより古い型式です。」 と説明板に書かれている。今からおよそ340年前の家だ。
■丸太で拵えられた階段を上がってゆくと、こぢんまりとした門があり、生垣に囲まれた前庭があった。傘をさして、かがんで雑草を抜いているおじさんが一人いて、 おそらく管理人なのだと思う。挨拶して、中に入ると、薄暗い。印象的なのは、入ってすぐ、家の半分もあろうかという土間で、ガレージのような広さである。 土間の片隅には竈があり、釜の下で薪が燃えていた。土間から一段あがった場所が「デイ」で、最初なにかわからなかったが、漢字で書くとおそらく 「出居」だと思う。居間のような板張りのスペースで、畳は敷かれていない。囲炉裏がひとつあって、奥に向かって左側には格子が付いた大きな窓がある。「デイ」の一角にはナンド(納戸)があり、 デイの奥にはザシキ(座敷)とヨジョー(四畳)という畳敷きの部屋があって、ここがおそらく寝室なのだろう。
■直方体のシンプルな建物にシンプルな間取りで、天井が張られていないので、小屋組の梁と桁がそのままむき出しになっている。外に出て見ると、 大きな寄棟の茅葺屋根の端がきれいに切り揃えられていて、シャープな印象を受ける。家の裏には、竈で使う薪が積み上げられていた。雨がちょっと強くなっていた。 合羽を着て、旧大沢家住宅を後にした。
■森林公園から県道69号を東に向かって、ハミングロードに入って、津田沼まで帰った。新しい自転車で初めて雨の日走ったが、 やはり雨の日はあまり自転車に乗らないほうがいいなと思った。濡れるし汚れるというのもあるが、眼鏡に水滴がたくさんついて、視界が悪くなるし、 ブレーキの効きも悪くなって、あぶない。走行距離は約13.6km。
■午後はおとなしく、家のテレビでサッカー中継を見ていた。ガンバのバレーが終了間際にゴールを決めたときの、スタジアムの歓声が、すごかった。
No.1233 2007-9-24
昆陽神社
■午後から自転車に乗って出かけた。津田沼から藤崎、大久保などを経由する東金街道をずっと道なりに行き、実籾手前で京成線の踏み切りを越えて千葉市に入り、 天戸大橋を渡ってから広尾十字路を左に折れて花見川大橋の脇から花見川サイクリングコースに入った。花見川に沿って、東京湾から、ずっと内陸の八千代や印旛沼、 佐倉方面まで続くこのコースは、地図で見ると35kmくらいある。今回は、そのコースの一部を走ってみた。だいたい、コース全長の三分の一くらいではないかと思う。 思ったより多くの人が走っていて、ヘルメットにサングラス、ぴっちりした衣類を身につけた本気度の高い自転車乗りの者から、自転車降りて歩いたほうが早いんじゃないか、 と思わせるような速度の、古いママチャリの老人まで、さまざまである。子供もたくさんいるので、注意が必要だ。あと、川べりには、菜園がたくさん作られていて、 農作業しているひとがけっこういる。川で釣りをしているのも見かけた。それと、よくわからないが、川辺でゴミかなにかを燃やしている者が少なからずいて、 白い煙がもうもうと上がり、いやな空気を吸わされる。それはそれとして、自動車がいないので、おおむね快適に走ることができるのがいい。海に向かう方向で走ると、 全体的に見て下りなので、楽だと思う。
■総武線の線路をくぐってから一度、一般道に戻り、千葉街道を通って幕張駅の前まで行った。世間的には「幕張」というと、幕張メッセとか、ビル街とか、 マリンスタジアムなどのある京葉線方面のエリアを思い浮かべると思うが、元々の幕張は、総武線の幕張駅あたりの地名で、昔は「馬加村」という地名だったそうだ。 なんて読むのかはちょっとわからない。幕張駅のあたりはずいぶん長い間、大がかりな道路工事をやっていた。電車からも工事の様子が見え、なかなか終わらんな、 と思っていたが去年くらいに終わっていたようだ。大きな道路が線路の下をくぐる形になり、ずいぶん渋滞も解消したと聞く。 工事に伴って新しくなったという「昆陽神社」を見に行った。京成幕張駅の目の前にあるその神社は、たしかに新しく、きれいだった。新しいので、 見た感じあまりありがたさはないが、この地域にとってはとてもありがたい神社だと思う。
■祭神は青木昆陽という江戸時代の蘭学者である。歴史の授業で学んだ者もいるかもしれぬ。私はあんまり覚えてない。 青木昆陽が、1735年に実地でサツマイモを栽培をしたのが幕張で、九十九里のほうでも試作したが、失敗したそうだ。幕張でも、悪いうわさが流れて、 最初はあまり生産が拡大しなかったらしい。九十九里のほうではその年、漁業が不漁で、その原因をサツマイモのせいにされたんで、誰も食べなくなっていった、という エピソードがあるみたいだが、このへんはよくわからない。サツマイモと漁業は関係ないように思うのだが。で、幕張でも、 サツマイモには毒があるといううわさが流れたんで、あまり生産は拡大しなかったんだけど、幕張の周辺の人達は、実際に食べて、 おいしいことや毒がないことを体験していたので、狭い範囲では栽培が続けられていて、天命の大飢饉のときも、馬加村では、 サツマイモのおかげで餓死者が出なかった。それで、青木昆陽は「芋神さま」と呼ばれてこの地に祀られたとのことである。 現在、関東でサツマイモというと、埼玉の川越が有名だそうだが、川越には、幕張で試作されてから16年後に、千葉県市原市の村から伝わったという記録があり、 関東地方で最初にサツマイモが伝わったのが幕張ということになるようだ。明治初期の頃で、 津田沼の由来になった三つの村である谷津村、久々田村、鷺沼村の農業生産の8割が甘藷、つまりサツマイモだったという統計が残っている。
■初めて知ったが、普通、植物は根から地中の窒素を吸収するのに、サツマイモというやつは、葉から空気中の窒素を吸収して成長できるらしい。だからサツマイモは 火山灰などのやせた土壌の土地でも栽培できるということのようだ。驚いた。
■昆陽神社を見ていたあたりで、少し雨が降ってきたが、そのうち止んだ。再び花見川サイクリングコースに戻って、海のほうへ。 右手にベイタウンのマンション群が見えてきて、海岸まで出る。美浜大橋を渡り、左手に東京湾を見ながら、前日と同じようなルートで津田沼まで帰った。 走行距離は約35.5km。
■画像は、昆陽神社。向こうに総武線の電車が走っている。
No.1232 2007-9-23
江戸川河川敷
■自転車の後輪のところの、ギアというのか、ディレイラーというのか、そういったあたりがなにか、漕ぐと音がするので、 下総中山の自転車屋さんに行って見てもらったら、すぐ直った。なにか困ったことがあったらいつでも来なさいと言ってくれたので、 ありがたかった。町の自転車屋さんで自転車を買うと、こういうときに頼りになるからいいなと思った。
■産業道路で船橋市から市川市に入り、京葉道路の市川インターチェンジの脇をスロープで抜けると、 沿道には「東京外かく環状道路」の用地が広がっていて、いつか新しい道路ができるようだ。新行徳橋で江戸川を渡る。橋の上から江戸川を見ると、 魚釣りなのか何なのかわからないが、小舟がたくさんぷかぷか浮かんでいるのが見えた。貸しボート屋があるようだ。橋を渡ると、妙典である。 地下鉄東西線の妙典駅のあたりは大きなサティがあり、線路の高架下には飲食店などが軒を連ね、それなりに賑わっている。 以前はよく電車でこのあたりに来ていた。サティの中のヴィレッジヴァンガードで買い物をし、江戸川の河川敷をぶらぶらしたりしていたが、 しばらく来てなかった。サティの中の適当な飲食店でカツ丼定食というのが安かったので頼んだ。カツ丼と麺のセットだったんだが、 その麺というのが、カツオ出汁のつゆに、ラーメンのようなうどんのような麺が入ってて、よくわからなかった。不味くはなかった。
■旧江戸川にかかる江戸川水門の橋を渡ると、東京都である。初めて自転車で都内に入った。でもべつに「ここから東京都」とか書いてあるわけでもなく、 ただ地図を見るとそうなっているし、ゴミの不法投棄禁止の看板に「江戸川区」と書いてあったりするので、まちがいないと思う。 少し走って引き返し、遠くに江戸川大橋を見ながら河川敷を走った。反対側には東西線の橋が見える。このあたりでは、東西線は橋で江戸川を渡り、 都営新宿線はトンネルで江戸川をくぐる。相変わらず江戸川にはたくさんの小舟が浮かんでいて、あと、びっくりしたのは、河川敷にたくさん自動車が停まってて、 テントの屋根だけみたいなやつを設営したり、肉を焼いたり、なんだかアウトドアみたいなことを、大勢の人間がやっていて、小さな子供がふらふら歩いてたりして、 こういう光景は以前はなかった。
■海の方向へ向かって河川敷をしばらく走ると国道357号線に出た。この道路沿いのあちこちで大掛かりな道路工事が行われていて、何箇所か、 歩行者・自転車の通路はちょっとした迂回路を通るようになっていた。左手には大きな倉庫や工場が建ち並び、右手を見ると東関東自動車道のでかい高架がそびえていて、 あまり気持ちのいい道ではない。そして私は一つ学んだ。「自転車で川を越えるときは、なるべく上流で越えたほうがいい」ということだ。何を言っているのかというと、 川は一般に、下流にいくほど川幅が広くなる。そこに架かる橋は必然的に大きなものとなるが、橋というやつは必ず、真ん中が一番高くなっている。 平らな橋を作ればいいのに、と思うが、大雨などの増水時に橋が沈まないように、とか、力学的に真ん中を高くしたほうが強い、とか、橋の下を船が通る、 とか色々な理由で真ん中が高くなるのだろうが、大きな橋になればなるほど、上り坂になるのだった。これが結構、自転車乗ってると、足にくる。 国道357号線には、そういうところが何箇所かある。で、はあはあ言いながらペダルを踏むことになるわけだが、足に力を入れながら、自転車で坂を登るのは、 貯金に似ているな、とかぼんやり考えたりする。高いところまで登るというのは、位置エネルギーを貯めることで、貯めるのはたいへんだけど、 下るときは一気にそのエネルギーを使ってしまう。お金も使うと一気になくなるよな、とかそんなことを考えたりする。
■ららぽーとやIKEAのあるあたりを通り過ぎて、秋津公園へ。午後一時から、秋津のサッカー場で、ジェフ千葉のサテライトチームと早稲田大学の練習試合があるというんで、 立ち寄って、見ることにした。サテライトチームのやる気のなさが気になった。大学生相手にいい加減なプレーをしているのが目立つ。見るべき内容もなく、 前半が終わって席を立った。大学生が、大学生のくせにレフェリーに文句を言っているのも気になった。私は大学生が嫌いだ。隣の野球場では、何の試合かわからないが、 ものすごい盛り上がりだった。カキンと、バットでボールを打つ音が響くと、わあーっと歓声が上がっていた。それはそれとして、試合を見てだいぶ休めたので、 こんどは国道357号線に沿って広がる香澄公園と幕張海浜緑地のなかの遊歩道を通って、海浜幕張方面まで行った。日曜日の幕張のオフィス街はひっそりとしている。 駅のほうまで行くと、買い物客がたくさん歩いていてにぎやかだ。ベイタウンを抜けて、海浜大通りから花見川のサイクリングコースを少しだけ走り、 海まで戻って、海浜大通りを北西に向かうと、ちょうどプロ野球の試合が終わったところだったようで、マリンスタジアムから人が大勢まとまって出てきて、 タイミングが悪かった。車道をかなりのスピードで走って人ごみを追い抜いて、事なきを得た。菊田川沿いの道から千葉街道に入り、ワイがや通り、津田沼小学校前、 まろにえ通りを経由して、家まで帰った。走行距離は約56.4km。上の画像は、江戸川の河川敷。遠くに見える橋が国道357号線と東関東自動車道。 その向こうに東京湾。
No.1231 2007-9-22
駒場スタジアム
■Jリーグ一部第26節、大宮対千葉。さいたま市駒場スタジアム。
■各駅停車で秋葉原まで行って、京浜東北線に乗り換え。南浦和駅停車中、人身事故で京浜東北線運転見合わせ、というアナウンス。 あと一駅で浦和駅、というところで、電車が止まってしまった。埼玉の土地勘はぜんぜん無いので、困った。どうしようか少し考えた結果、 よし、一駅歩こう、と決めて、線路沿いに北に向かって歩いた。なんだかやたら暑い日で、日陰も無く、なかなかたいへんだったが、 今考えても、あの状況で、タクシーを除けば、浦和駅にたどり着く一番早い手段だったんじゃないかと思うのだが、どうだろうか。 浦和駅とその周辺は、工事中だった。普通どおりに電車で浦和駅まで着いたら、スタジアムまで歩いていくつもりだったが、 一駅歩いてつかれたので、スタジアム行きのシャトルバスに乗ろうと思ったが、いくら待ってもバスが来ないので、あきらめて、 また歩いた。
■駒場スタジアムでの観戦は初めてである。ジェフ千葉がここ最近駒場で試合をしたのは、2005年8月のナビスコカップ準決勝、 浦和との第一戦だった。駒場での浦和戦は、アウェー席が極端に少なく、いままでなかなか行く機会がなかったが、現在、 大宮のホームスタジアムが改修工事中のため、一時的に大宮がホームスタジアムとして駒場など埼玉のいくつかのスタジアムを使用していて、 今回はたまたまジェフ千葉との試合が駒場で行われた。
■試合は0−1で千葉が勝利。アウェイの試合に出かけて、勝利を見れるのは嬉しいが、試合内容に関して言うと、暑さと、傷んだ芝生のピッチのせいもあってか、 ミスが多く、見所の少ない試合だった。それでも、千葉の選手達は勝利への執念を前面に出して、それぞれができることを精一杯やっていたように見えたので、 それで勝ち点3を積み上げることができたから、よかった。
■帰りは、夕日を見ながら、住宅街や学校の横などを通って北浦和駅まで歩いた。この時間には、京浜東北線は、普通どおりに走っていた。 東京駅で総武線快速に乗り換えて津田沼まで帰った。
No.1230 2007-9-16
薬円台公園
■午後、夕方近くなってから自転車で出かけた。津田沼から成田街道と言われる国道296号線をずっと北東へ。京葉線方面の埋め立てで出来た新しい土地の道路と比べると、 古くからある道は狭くて、車道も歩道も走りづらい。船橋市の郷土資料館がある薬円台公園に立ち寄ってみた。公園内の野球場では、少年野球の試合が行われていて、 親もたくさん見に来ていてにぎやかである。公園内には、蒸気機関車が展示されていて、説明板を見ると「D51−125号」と書かれていた。1938年に製造されて、 神奈川の新鶴見機関区に配置され、その後静岡機関区、岐阜の中津川機関区、山口県の長門機関区で働いて、1973年に廃車となり、 この公園に保存されるまで247万km以上走ったそうだ。
■あと、この蒸気機関車に隠れるような場所に「習志野」という地名の由来の説明を書いているプレートがあって、読んでみると、明治6年、 明治天皇を迎えて近衛兵の天覧演習が行われて、そのときの指揮官だった篠原国幹(くにもと)の名前からこのあたりの土地の名を「習志野ノ原」 とするよう勅諭があったんだそうで、それがいまの習志野というふうになったみたいである。このときの演習には西郷隆盛も来てたそうだ。 習志野はわかったが、「薬円台」というのは、いったいどういう由来なのか気になる。地名は「薬円台」なのに、新京成線の駅名が「薬園台」なのも気になる。 かつてこのあたりで、なにか薬になる植物でも作っていたのかもしれぬ。
■さらに296号線を北東に行くと、陸上自衛隊の習志野演習場があり、広大な敷地に沿ってフェンスがずらーっと設置されている。演習場の敷地が途切れると、 八千代市に入る。新しい町なのか、やや道幅が広くなり、整然と区画された団地なども見える。296号線を左折し、真北に向かう道を少し行くと、 東葉高速鉄道の八千代緑が丘駅前にイオンショッピングセンターがあり、中にヴィレッジヴァンガードがあるので立ち寄った。小さい店舗だった。 タワーレコードもあった。家族連れでにぎわっていた。
■津田沼のほうに戻るのにまた296号線だと、狭くて走りづらいからいやなので、別の道にしようと思い、適当に走ってみた。広い高津団地の中を通り、 県道262号線をしばらく南へ向かい、一瞬、千葉市の花見川区に入ったところ、「さと」という和食のレストランのある交差点から「マラソン道路」 に入った。どうしてマラソン道路というのかわからないが、歩道が広くとられていて、その中に未舗装の道があって、そこをたくさんのひとが走っていた。 犬の散歩をしている者も多い。マラソン道路に入ってすぐ、「あさひ」というチェーン店の自転車店があった。駐輪場を見ると、ルイガノとかビアンキとか、 高そうな自転車が置いてあった。ずっとマラソン道路を道なりに行くと、以前通った「ハミングロード」にたどり着いた。京成大久保駅のあたりでは、 なにか祭りのようなことをやっていて、人が多かった。鷺沼台郵便局の前を通って、津田沼三丁目のマンション群の中を抜けて、京成津田沼駅の近くに出て、 まろにえ通りから家まで帰った。もう暗くなっていた。走行距離は約25.4km。
No.1229 2007-9-15
浜田川
■午前中、津田沼から国道14号線を南東へ。この国道はかつての「千葉街道」で、東京の日本橋を起点とし、千葉市中央区の広小路交差点までの道である。 途中、幕張インターチェンジで京葉道路の下をくぐるあたりは、有料道路へ入って行く車と、出てきて一般道に合流する車の交通量が多く、 気をつけて走らなければいけないが、そこ以外はしっかり整備されていて、自転車で走りやすい。船橋市から習志野市に入り、 千葉市の美浜区、花見川区、稲毛区を通り抜け、中央区に入る。モノレールの下を通り、そごうの横を抜け、パルコの裏から東金街道(国道126号線)に入り、 少し走って、私の職場に着いた。
■自転車を買ったら、やってみようと思ってたことがいくつかあって、そのうちの一つが、自転車で職場まで行ってみる、ということで、 土曜日は仕事が休みだったが、試しにやってみた。地図上で距離を測ると、約16km。いつもの通勤は、家から津田沼駅まで歩いて、電車で千葉駅まで行って、 駅からバスに乗って、バスを降りて職場に着く。だいたい50分かかる。自転車だと、途中何度か道を確認したりしながらだったが、55分で着いた。 なんだ、あんまり変わらないじゃないか、と思い、これなら自転車で行けるんじゃないか、と思ったが、それは秋になるまでやらないでおこうと思う。 なぜなら、暑いからだ。一時間近く、そんなにスピードを出さずに走っていても、汗をたくさんかく。仕事前にそれはまずいので、もっと気温が下がったら、 自転車で職場まで行ってみようと思う。幸い、関東は冬でも雪が積もらないので、自転車に乗れる。
■帰りも、国道14号線でずっと行こうと思っていたのに、どういうわけかいつのまにか国道357号線を走っていた。14号線より海側の道である。 後から地図で確かめたら、途中、花見川橋の少し手前で、14号から357号線が分岐していて、東関東自動車道と京葉線の間を通っている。 海浜幕張のオフィスビル街のそばを通り、秋津公園の横からまろにえ通りに入って、家まで帰った。帰りは少し遠回りになってしまった。 走行距離は約39.0km。上の画像は、357号線の浜田川橋から見た浜田川。

フクダ電子アリーナ
■夜は、電車で蘇我へ。
■Jリーグ一部第25節、千葉対神戸。フクダ電子アリーナ。
■試合の前、久しぶりに、フクダ電子アリーナの近くにある「アリオ蘇我」というショッピングセンターに立ち寄って、 中にあるヴィレッジヴァンガードと自転車店などを見て歩いていた。オープン当時はずいぶん人がたくさん来ていたが、今は、そうでもない。 飲み物など買って、スタジアムへ。
■客の入りは、まあまあ。13000人を超えるくらい。臨海時代の神戸戦だと、6000〜7000人くらいだったので、それと比べると、 およそ倍である。そういえば平日開催の大分戦でも10000人を超えた。臨海の頃のことを考えると、これで満足してはいけないんだろうが、 本当に客は増えたと思う。
■試合は4−2で千葉が勝利。前半20分頃、神戸のゴールキーパーが退場処分となり、一人少なくなった。巻も新居も水野も水本も羽生も下村も良かったが、 相手が一人少なくなってから、セットプレーからとはいえ、二点とられたのは大いに不満が残った。そして、主審の柏原が、またひどかった。 なんだあれは。見ているほうでさえ、相当いらいらするのだから、試合やってる選手達の憤りといったらもうたいへんなものだと思う。 なぜか日本のサッカーはレフェリーに甘い。レフェリーに対して厳しく処分するべきだ。客は金を払って試合を見に行っているし、 何より、選手達は一試合一試合に生活がかかっている。
No.1228 2007-9-12
夕暮れの空
■奇妙な色の夕焼け空だった。きれいだけど、なんだかいやな感じの色。大きな地震が来なければいいと思った。
No.1227 2007-9-11
■「チームマイナス6%」とか言ってるのを、なにかで目にしたり耳にしたりしたことがある。環境のことを言ってるんだと思う。たぶん、二酸化炭素の排出量を減らして、 温暖化を防ごう、みたいな趣旨だろう。で、ブログとかウェブサイト上で、「私もチームマイナス6%です」と宣言してるかたなどもあり、大いに結構なことだと思う。 京都議定書だったか、なんかそういったものの絡みで、日本の政府も多少本気で環境問題について考えてるのかな、とか思うのだけど、このことについて、ずっと違和感があったんである。
■なんで、自動車を規制しないんだろう。
■私は自動車を持っていないし、この先も、今のところ、持つつもりもない。できれば持ちたくないし、運転するのが嫌だと思っているんである。 で、必然的に、移動には公共交通機関を利用することになる。バスに乗ってて、隣の車線を見ていると、自動車に乗っている人数は、だいたい一人で、一人の人間が移動するのに、 ずいぶん大きなスペース使って、排気ガス出して走っている。道路の容量には限りがあるので、一人の移動のために大きなスペースを使うから、渋滞が発生する。渋滞すると、 ますます、ガソリンが燃焼して、二酸化炭素が、がんがん出る。
■こまめに電気消したり、テレビのコンセント抜いたり、エアコンの設定を控えめにしたり、買い物バッグ持ったり、そういう地道な努力を一気に吹っ飛ばすくらい、 自動車は環境に負荷をかけているんじゃないかと思うんだが、どうだろうか。どうしても、自動車じゃないといけないという用事って、そんなにあるのかな、と思う。
■雨が降ったとき、夏の暑いとき、冬の寒いとき、風が強い日、自動車乗ると楽だ。でも、雨が降ったら濡れながら歩いて、暑いときには汗をだらだら流して、ハンカチで拭きながら歩けばいい。 冬は多めに着込んで、歩けば暖まるし、風が強かったら帽子をおさえて歩けばいい。
■自動車を規制すれば、郊外の大型ショッピングセンターに行くのたいへんだから、駅前の商店街に人が戻ってくるかもしれない。交通事故も減るし、 飲酒運転や路上の違法駐車も減る。なんか、いいことばかりな気がするんだけど、どうだろうか。そう思うのは、私だけだろうか。
■自動車メーカーが黙っていないだろうが、自動車の規制をしないうちは、政府の環境対策は本気じゃないと私は思う。
No.1226 2007-9-08
内房線の車内
■夏の18きっぷ使用期限前最後の週末、一回分残しておいたのを使って、自転車をかついで房総半島の南端目指して出かけてきた。早朝の下り列車はがらがらで、いい。 車内から、久しぶりに日の出を見た。津田沼から快速に乗り、千葉で内房線の安房鴨川行きに乗り換え。どの車両も、数えられるくらいの人数しか乗ってない。その少ない乗客たちも、 五井、木更津あたりでほとんど降りていった。途中、部活と思われる中学生や高校生らが乗ってきたが、すぐ降りていった。外房線に比べると、 海が見える区間が多く、天気もいいので、きれいな海が見渡せた。画像は、内房線の列車のなか。奥に置いてあるのが、自転車を入れた袋。
■途中から単線になり、列車行き違いのために数度、5分から10分ほど駅に停車することがあるが、そういうのんびりした感じもなかなかいい。 8時20分頃、千歳駅に到着。千歳駅と聞くと北海道みたいだが、千倉駅のひとつとなりの無人駅である。関係ないが、内房線に「青堀」という駅があって、 車掌さんが「次はあおほり」というのが「あおもり」に聞こえた。千歳駅のベンチには、上り列車を待つばあさんなどが数人いた。 でかい自転車袋を持って列車から降り、駅の前で袋から自転車を出して、折りたたんであるのを元に戻して、出発。駅のすぐ前を走る国道410号線を南に走る。 「おどや」というスーパーマーケットが朝8時半から営業しているので、立ち寄って飲み物などを購入。海水浴場に沿って、車が入ってこれない舗装路があって、 そこを通ったが、台風のあとだからなのか、いつもそうなのかわからないが、砂が積もっていて、走るとハンドルをとられる。漁港に沿って走ると、 平舘(へだて)とか忽戸(こつと)とか、少し変わった名前の集落があり、背の高い地蔵様が立っていたり、魚屋があったりする。平磯とか七浦、乙浜など、 いかにも海沿いらしい名前の集落があり、しばらく南へ行くと「ちくら・潮騒王国」という道の駅があった。広い芝生の広場があり、漁船が展示されていたり、 立派な物産館みたいなのがあるが、どのへんが「王国」なのかは、ちょっとわからなかった。王様がいるのだろうか。昔、王様というミュージシャンみたいなのがいたような気がする。 それはそれとして、海辺は奇妙な形の岩がごつごつとしていて、そこに降りられるようになっている。家族連れが遊んでいた。
野島崎
■国道410号線を道なりに進み、白浜という町に入り、道が二手に分かれる場合はなるべく海沿いの道を選んで走った。車は、ぜんぜんいない、というほどではないが、 かなり少ないので、わりと気が楽だった。ときどき、道端に「この道は、ツールドちばのため、たくさんの自転車が通ります」だったか、 なんかそういったことが書かれた看板がたびたび立っていて、ツールドちばは9月17日に行われるそうだ。いくつかリゾートホテルがあって、 しばらく行くと、房総半島の最南端である野島崎に到着。白い灯台が建っていて、数軒の飲食店や土産物店などがあり、ちょっとした観光地になっている。 野島崎は、小さな半島状になっていて、遊歩道が整備されている。海の色が、南国のようで、きれいだった。画像は、野島崎の「房総半島最南端の地」の石碑。
■野島崎から再び国道410号線で海岸沿いに西へ向かう。晴れていい天気だったが、空が急に薄い雲に覆われた。「和田白浜館山自転車道」という看板があり、自転車専用道路があったので、これはいい、 と思って走ってみると、これがひどかった。先にも書いたが、舗装路の上に浜の砂が積もり、ゴミは散乱し、雑草が生い茂って自転車道をふさぐように覆いかぶさって生えている。 ツール・ド・フランスで、山の頂上に向かって選手が必死で自転車をこいで登ってるときに、沿道からわらわら観客がせまってきて、危なくて邪魔だなと思うシーンがあるが、 ああいう感じで背の高い雑草が道の両側にぎっしり生えている。管理はおそらく、県の管轄になると思うが、自転車道などはあまり気にされず、手入れしていないのだろう。 せっかくの自転車道がもったいない。
■かなりの上り坂を登って、眼下には「白浜フラワーパーク」というのが見えた。観光施設のようで、花畑や温室の建物が見えるが、人の姿はなく、さびしい。 館山市内に入り、国道410号線から分かれて県道257号線に入る。このあたりで青空に戻った。「房総フラワーライン」という名前がつけられている道路のようで、歩道と車道の間には花壇があって、 小さなオレンジ色の花などが咲いていた。「南房パラダイス」という大きな敷地の施設があり、県立の植物園のようなものがあるみたいだった。 「王国」もすごいが「パラダイス」というのもすごい。その先には、館山カントリークラブというゴルフ場があり、お城のような建物が建ってるのが見えた。 このあたりは平砂浦という浜になっているが、防風林の松の林がずっと植えられていて、道からは海があんまり見えない。ときどき、 サーフボードを抱えた若者が歩いているのが見えた。
■海添いなので、あまり上り坂はないんじゃないか、と地図を見たときは思っていたが、それはまちがいだった。房総半島は、山すそが海岸ぎりぎりまできているところが多いので、 崖の上に道を通したりしている箇所も多く、上り下りがかなりあって、自転車にとってはきつい。はあはあいいながらギアを軽くしてこいでいる横を車がすーっとのぼっていくのを見ると、 車っていうのはやっぱりすごいな、と思うが、苦労して登ったぶん、下るときの気持ちよさはなかなかのものだし、なによりも高いところから海を見下ろすのは気分がいい。 ただ、最初のうちは、おおー、海が見えて、いいなあ、とか思って走っていたが、ずっと見えているので、正直なところ、だんだん飽きてくる。いい景色だ、と思って、 立ち止まってたくさん写真撮っていたのが、飽きてくるのと、かなり疲れてくるのとで、写真を撮る回数が、後半はぐっと減ってしまった。 景色がいいところにはレストランやペンションなどがあって、このへんのそれらの建物は、なんだかバブル期の残骸のような、ちゃらちゃらしたものが多い。
■房総半島の西の端である洲崎を過ぎ、「矢尻の井戸前」という、なんだかわからない名前のバス停があり、「香」とかいて「こうやつ」と読む、 なにか謂れがありそうな集落があった。大学や自治体が所有する「臨海実習所」などと称する施設がたくさんある。上り坂が多くてかなり疲れていたところで、 大賀という場所にセブンイレブンがあったので、立ち寄って、食べ物などを買って、食べた。そういえばここまでずっと、コンビニエンスストアはほとんど見かけなかった。 昔ながらの個人商店や、あってもせいぜい、小さなスーパーマーケットくらいだった。見た感じ、かつてはコンビニエンスストアだったであろう、 朽ち果ててシャッターを下ろしている建物は何軒か見かけた。おそらく商売的にはきびしい土地なのだろう。でも自動販売機は、いろんな場所に設置されているので、 それはありがたかった。
北条海岸
■県道257号線を道なりに進み、ようやく人家も多くなってきたあたりで、道が左右二手に分かれていたので、どっちに行くか迷ったが、下り坂だし、 海の方向だからということで左に行ったら、海上自衛隊の航空基地で、行き止まりだったので、失敗した。来た道を戻り、坂を登って右の道へ行くと、 館山の市街地にだんだん入ってゆく。北条海岸に着いて、あとは館山駅に向かうだけになったので、しばらく腰をおろして休んだ。通ってきたどこの海もそうだったが、 9月に入ったせいか、気温はまだけっこう高いけど、海辺には人があんまりいない。人のいない海はのんびりできていい。沖のほうにむかって、 板敷きの桟橋みたいなのが伸びていて、こういうのって「ボードウオーク」と呼ぶような気がする。辞書によると、ボードウォークというのは 「海岸・森林・湿原などにつくられる、板敷きの道」ということらしい。私の自転車の名前がボードウォークなので、 「ボードウォークがボードウォークの上に」みたいな写真を撮ったらおもしろいかなと思ったが、案外平凡な写真になった。館山駅について、自転車をたたんで袋に入れ、 駅の中に入ると、次の列車まで一時間近くあった。売店で飲み物を買ったり、顔を洗ったり、土産物店をぶらぶらして、それから列車に乗った。 君津始発の快速に乗り換えて、津田沼まで帰った。帰りの列車も空いていてよかった。画像は、館山の北条海岸を歩く親子。
■初めて、自転車をかついで列車に乗ってみたが、こういうのを「輪行(りんこう)」というそうだ。自動車でも飛行機でも船でも、そんなふうに言うらしい。 やってみて、そんなに困ったこともなく、最初にしては上出来だったのではないかと思う。混雑した列車だと、自転車を入れた大きな袋を持ち込むのはちょっと気が引けるが、 列車の一番前とか一番後ろ、運転席の後ろのスペースとか、車椅子のスペースなどに置けば、どうにかなるかもしれない。車椅子の乗客がいたら、 車椅子のスペースには置かない。混んだ電車のなかで平気でベビーカーをたたまないばかな親よりは、じゃまにならないと思う。無印良品のショルダーバッグを自転車にむりやりくくりつけたり、 自転車の袋をたたんで丸めて、自転車にくくりつける場所など、いろいろ試行錯誤した。荷物は背負ったりしないで、自転車にくっつけたほうが断然楽だと思った。 走行距離は、自宅から津田沼駅までの往復も含めて約55.2km。初めて一日で50km以上走った。
No.1225 2007-9-02
IKEAの前
■自転車でIKEAまで行ってきました。
■と書き始めると、女の子のブログみたいだと思った。それはそれとして、自転車のヘルメットを買おうと思って、まろにえ通りをまっすぐ南へ行き、 新習志野駅前のスポーツデポに行ってみたが、自転車関連の品はまったく置いてなかったので、南船橋駅まえのららぽーとの中にあるセオサイクルへ。 地味で安いヘルメットがあったので購入。自転車やパーツなど、予想してたよりはるかに品揃えが充実していて、びっくりした。船橋じゃないみたいだった。 ららぽーとなど、なかなか行こうと思わないが、あなどれない。バッグ売場など、なかなかいいものが置いてあった。人がたくさんいた。
■IKEAは、以前から噂には聞いていたが、なんだかいろいろすごい。まず、客がものすごいいる。なんだこれは。そして広い。商品は安くてそれなりにしゃれている。 売場はだいたい一方通行で、広い売場をくねくねと歩かされる。逆戻りがだめとは書いてないが、どうも戻れないような人の流れがあり、 ここで色々見て楽しむというスタンスであれば楽しいのかもしれないが、なにか欲しいものが決まっていて、それを買おうと思ってこの店に行くと、 非常にストレスが多い。
■商品や売場など見ていると、安くてそれなりにいいもの、生活に取り入れやすく、どんな部屋にも合う、わかりやすいコンセプトといったあたり、 IKEAはユニクロのインテリア版という印象を受けた。白人の外人店員がさっそうと売場を歩き、たくさんの白人ファミリーが買い物するという、 そういうイメージ戦略が受けているんだと思う。買い物している白人たちは、サクラなんじゃないか、という穿った見方をしてしまった。
■セオサイクルに行こうと思ったらあったので寄ってみたが、今日初めて行ってみた感じでは、IKEAはあんまりいい印象はない。 夕方、津田沼のイオンに行ったりして、今日の走行距離は約16.4km。
No.1224 2007-9-01
■9月になった。いくぶん涼しくなったが、まだまだ暑い日もあるだろう。8月29日の大分戦の記事もアップしたので、 もしよかったら8月分もご覧いただきたい。(こちら→津田沼ノート2007年8月)
■そんな9月の初め、まだ18きっぷが残っていたので、普通列車を乗り継いでちょっと出かけていた。津田沼から秋葉原、上野。高崎線に乗り換え。 下り列車は空いていた。宮原駅前に停まっている東武バスを見て、北関東まで来たことを感じ、籠原駅あたりで、 「ガリガリ君のふるさとです」というアカギという会社の看板を目にし、深谷駅には「渋沢栄一の生誕地」と書かれていたが、渋沢って誰だったかな、 聞いたことある、とか思いながらぼんやり外を見ているうちに高崎に到着。駅のなかに、自転車をたたんでかついでいる者がいた。 いずれは自分もあれをやってみようと思う。ずっと曇っていたが、山を越えて越後湯沢まで来ると、天気がよく、少し暑さがあった。空を見ると、 すじ状の雲が出ていて、秋のような空だった。
越後湯沢のへぎそば
■越後湯沢は、何度か乗り換えで利用したことはあったが、駅の外に出たことはなかった。今回初めて外に出たのは、 「へぎそば」というやつを食べようと思ったからである。新潟の名物らしいというのを聞いていたので、一度、どんなものか食べてみたかったのだった。 駅から歩いてすぐのところにあるそば屋に入った。よくわからないが、メニューを見ると、へぎそばの最小単位は二人前ということになっているようで、 二人前、四人前、というラインナップである。かっこ書きで、三人前、五人前も承ります、と書かれている。どういうわけか、一人前はないみたいで、 事前にネットで調べているときに、どの店でもどうやらそんなふうになっているみたいだったのを見て、不思議に思っていたが、結局、 どうしてかはわからなかった。「へぎそば」は、そばのつなぎに「ふのり」とよばれる海藻を使っているもので、独特の色と香りのそばである。 食べてみると、たしかに、わずかに海藻ぽい香りがあるが、言われないとわからないくらいだった。つるっとしてておいしかった。
■駅に戻り、長岡行きの列車に乗ろうと思ってホームまで行ったが、入ってきた列車を見ると、立ち客がいるほど混雑していたので、乗らなかった。 見送った列車は、上野、高崎、水上、長岡、新潟、と乗り継いで行くのにちょうどいい接続の列車なので混むんである。 18きっぷで楽に旅行するこつは、接続のよくない列車、そして始発駅から乗ることだと思う。当たり前のことだが、これを心がけるだけでずいぶん違う。 安く旅行、といって張り切って乗り継いでも、ずっと立ちっぱなしで、目的地に着いたらへろへろ、というんでは、なんだかばかみたいである。 のんびり、列車一本見送るくらい余裕がある旅行をしたいものだと思うが、木次線とか、只見線とか、五能線など、一日数本しか走ってない路線ではむつかしい。
■それはそれとして、時間ができたので、駅の中や外をうろうろした。駅の構内には「越後湯沢駅」という演歌の曲のポスターが貼られていた。香田晋だった。 この駅の中には、屋台みたいなたくさんの土産物屋があって、団子とか売ってた。温泉もスキー場もあって、新幹線も停まる駅なので、観光客は多いのだろう。 一番奥には「ぽんしゅ館」という大きな土産物販売のエリアがあって、漬物や菓子、日本酒、魚沼産のコシヒカリなどなど、たくさん陳列されていて、 試食もたくさんあった。そばで腹がいっぱいだったので、試食は食べれなかった。500円でいろんな日本酒をちょっとずつ「利き酒」できるコーナーや、 入浴施設もあるみたいだった。
■越後湯沢駅始発の二両の列車で長岡へ。長岡で新潟行きの列車に乗り換え、新津で下車。駅の外に出て、商店街を歩いてみたが、書店と小さな旅館が多かった。 果物店や学習塾もあった。でもほとんどシャッターを下ろしていて、さびしい。旅館が多いのは、かつては新津が鉄道交通の要衝だったからかもしれない、とか考えていた。 信越本線、羽越本線、磐越西線の交わる駅で、駅は広大な敷地を持っている。商店街の途切れたところには「新津ショッピングプラザ」とい建物があるが、 廃墟のようになっていて、煤けたガラス窓に貼られた「いらっしゃいませ」という文字がなんともわびしい。
■新津駅始発の列車で新潟へ。新潟駅の北口から歩いて「万代シティ」という、伊勢丹やALTAなどがある商業エリアまで行ってみた。なかなかのにぎわいで、 若者もたくさん歩いている。おそらく新潟のいちばんの繁華街なのではないか。京都だと四条や河原町、札幌でいう大通、名古屋の栄などに当たる場所だと思う。 都市の構造はいくつかパターンがあって、中央部に中心駅、その隣接地に官公庁・新聞社・放送局、その外周に商業地、というタイプが多いが、 新潟もこれに当たるのではないか。駅まで戻り、今度は南口へ。ジュンク堂書店があったので入ってみると、売り場は、書棚と書棚の間のスペースが広く取られていて、 いい感じである。文庫本を一冊購入。そういえば駅周辺は、北口には朱鷺メッセで行われるジャニーズのイベントの客、 南口にはアルビレックス新潟の試合に向かうシャトルバスを待つ者の行列で、なんだか混沌として、妙な熱気に包まれていた。
■シャトルバスに乗り、東北電力ビッグスワンへ。Jリーグ一部第24節、新潟対千葉。成田の中台での天皇杯千葉県予選の決勝、ジェフリザーブズの試合に行こうか、 新潟に行くか、それともどちらも行かずに他のことをするか、前日まで迷ったが、金曜日になって、満席だったはずの上りのムーンライトえちごに空席が出たのを、 たまたま気づいて切符がとれたので、急遽新潟行きを決めたんである。バスに乗るとき、新潟サポーターの中年女性が、がんがん横入りしてきて気分が悪かった。 これがアウェイの洗礼か、とか別に思わなくて、ばばあむかつくな、と思ったが、バスは渋滞で一向に進まず、駅からスタジアム前まで30分近くかかった。 市原臨海よりも駅からのアクセスが悪いスタジアムもあるんだな、と思いながら進まないバスの窓の外を眺めていた。
東北電力ビッグスワン
■スタジアムは大きくて、新しいからきれいだった。芝生もとてもよい状態で、照明も明るい。スタンドの傾斜もあり、座席も比較的ゆとりがある。 なんで陸上のトラック作ってしまったんだろうと悔やまれるスタジアムだ。見易さは、陸上トラックがあるわりにはまあまあ。以前から、新潟の四万の観衆はすごい、 と聞いていたが、そんなでもなかった。あれなら豊田スタジアムのグランパスサポーターのほうが迫力ある。屋根があるわりには、応援が響かない。 屋根のない埼玉スタジアムのゴール裏と比べると、ぜんぜん弱く感じた。でも、アクセスが悪くても毎試合四万入るのだから、 努力次第でお客さんは入るのだな、と思った。地元企業と思われる広告看板も非常に多く、営業努力は立派だと思う。
■試合は0−1で千葉の勝利。私が行くアウェイの試合はだいたい負けることが多いのだけど、今回は後半の新居の得点を粘り強く守りきって、アウェイで貴重な勝ち点3をもぎとった。 新潟は主力のブラジル人が二人出てなかった。試合後、去年までジェフに在籍し、現在新潟の主力として頑張っている坂本へ、ジェフサポーターから「坂本コール」が送られ、 坂本もそれに応えて挨拶していった。画像は、新居のゴール直後の様子。
ムーンライトえちご
■帰りもバスは遅々として進まず、少し疲れた。駅に着いて、少し歩いたところにある「みどり湯」という銭湯で入浴し、駅に戻って新宿行きのムーンライトえちごに乗車。 ホームにはたくさんのジェフサポーターがいた。各車両ジェフサポーターが多く乗っていた。勝って帰れるのは嬉しい。はるばる行った甲斐があった。 画像は、ムーンライトえちごに乗り込むジェフサポーターたち。
■翌朝新宿駅に定刻通り到着。まだ5時なのにもう人がたくさんいる。中央線で御茶ノ水へ。千葉行きに乗り換えて、錦糸町で下車。快速に乗り換えて津田沼まで帰った。
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