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No.1253 2007-11-25 (2)
淀川大橋から見た淀川と梅田のビル群
■大阪市内に入り、歌島橋という五叉路の大きな交差点を渡り、淀川大橋で淀川を渡る。大きな川である。淀川を上流に遡ると、京都で宇治川になり、滋賀で瀬田川になり、 琵琶湖まで達する。学生のころ、時々電車で滋賀から大阪まで行くことがあったが、新大阪を過ぎて淀川を鉄橋で渡るとき、遠くに見える梅田のビル群を見ると、 ああ大阪まで来たな、と思ってたことを思い出した。その頃は、自転車で淀川を渡ることがあるとは思ってなかった。やはり遠くにビル群が見える。北区に入り、 野田阪神駅のある交差点から南西方向に曲がり、福島区に入って、北港通をしばらく進み、少し道に迷いながら、たまたま見つけたうどん屋でうどんを食べ、 西九条駅に到着。この辺は此花区になるようだ。久しぶりに、JR全線乗車へ向けて少しでも乗っておこうと思い、未乗区間である「ゆめ咲線」に乗ることにした。 大阪環状線の西九条駅から枝線のように出ている路線で、確か昔は「桜島線」といっていたのではないか。終着駅の桜島駅までわずか4駅の区間だが、 おそらく近年非常に利用者が伸びたのではないかと推測されるのは、ユニバーサルスタジオジャパンが出来て、その最寄り駅であるユニバーサルシティ駅が開業したからである。 西九条駅前の駐輪場に自転車を停め、駅の改札を、通勤でいつも使うスイカ定期券で通ってみた。大阪でもスイカはちゃんと使えた。関西ではイコカというICカードが使われているようだ。 そういえば、前日乗車した山陽新幹線、岡山から新尾道までの区間も、今回初めての乗車区間である。
■上の画像は、淀川大橋から見た淀川と梅田のビル群。
西九条駅
■ホームに上がると、やけに派手な電車が停まっていて、セサミストリートとか、あとなんかわからないが色々キャラクターの絵が車体に描いてある。 この派手な電車に乗車。結構乗客が多く、座席はいっぱいだったので、ドアの脇に立った。安治川口駅を過ぎ、ユニバーサルシティ駅でほとんど乗客が下車。 次の桜島駅が終点で、下車。ずいぶん綺麗で新しそうな駅だった。同じ電車には、セレッソ大阪の練習着のようなものを着た高校生くらいの者が一人いた。ユースの選手だろうか。 駅を出るとすぐ目の前に大きな橋が見え、後から地図で確認したら天保山大橋だった。天保山といったら確か海遊館のあるところだったと思う。あと、大きな観覧車も見えた。 すぐにまた改札を通ってホームへ戻り、今度は派手な絵の描いてない電車で西九条まで戻った。西九条駅の周辺で道に迷った。地図を見てもどっちがどっちなのかよくわからず、 適当に走った。商店街や路地の裏をさまよいながら西九条のひとつ隣の野田駅に着いた。新大阪駅まで自転車で行こうと思っていたが、約束の時間に間に合わなさそうだったので、 自転車を畳んで、電車に乗った。環状線で大阪駅まで行き、そこからJR京都線に乗り換えて新大阪まで。事前に連絡していた大学のときの友人が、総勢三名も集い、 自分含めて四人で駅のなかの飲食店で食事をした。約二年ぶりに会い、話をして、楽しかった。
■午後二時過ぎの新幹線で新大阪から品川へ。指定席をとるとき、千葉駅のみどりの窓口の兄さんに車両の一番後ろの座席をとってほしいとお願いして、 無事最後部の座席がとれた。座席の背と壁の間に自転車を置くためである。三連休最終日の午後とあって、私が乗ったのも含め、上りの新幹線はたいへんな混雑だったようである。 新幹線ではほとんど眠っていた。品川で下車し、横須賀線に乗り換えて津田沼まで帰った。この日の自転車での走行距離は約55.4km。

No.1252 2007-11-25 (1)
武庫川河口から見た大阪湾
■フェリーは今治港を出港し、揺れることもなく夜の瀬戸内海を東に進んだ。二段ベッドの上段で、疲れのせいか、朝まで一度も目が覚めることなく、ぐっすり眠った。 このフェリーは夜出港し、早朝に到着するちょうどよい時間帯なので、宿がわりになる上に移動もできて、得な気がする。自転車を運ぶのも、列車と比べて楽だ。朝5時半頃、 神戸の六甲アイランドの埠頭に到着。車が下船した後、自転車の下船となった。兵庫県に上陸し、これで自転車で走る7番目の都県となった。この時期の夜明けは遅く、6時を過ぎてもまだ真っ暗である。港の周辺の道路は、 ほとんど車が走っていないのをいいことに、自転車で道路の真ん中を走った。埋立地だけあって、広い道路である。六甲ライナーというモノレール線を上に見ながら六甲大橋を渡っているとき、 徐々に東の空が明るくなってきた。橋からははるか遠く、六甲山地の麓に広がる町並みの夜景が見えた。橋を渡りきり、海から離れて北へ向かい、 神戸市東灘区の「御影中町二」という交差点のあたりで国道2号線に出た。コンビニエンスストアで朝食を買い、犬の散歩の人達が行き交う住吉公園のベンチで食べた。 国道2号線に戻り、JR神戸線の住吉駅の近くからひたすら東へ。東灘区の区民センターや市民センターなど、国道沿いにある公共施設の横を通ったが、新しく見えた。震災後に建てられたのだろうか。
■国道2号線はほぼ東西方向に伸びていて、国道から南北方向に伸びる道を見ると、北側にはJR神戸線と阪急神戸線の高架が見え、南側には阪神本線の高架、それと阪神高速自動車道の神戸線が見える。 西日本の交通の大動脈といった様相だ。住吉川に沿って、どことなく品のいい感じがするマンションが建ち並び、川の上流には、山の斜面の、森と町並みが見え、川沿いの遊歩道にはウォーキングやジョギングをする中高年の姿が目立つ。 国道を少し行くと「赤鳥居前」という交差点があって、本当に赤い鳥居が道路をまたぐように建っていた。芦屋川を越えるとJRの芦屋駅があり、この界隈は、高い建物が多く、都会的だ。 国道2号線は、舗装状況もよく、路側帯もしっかり確保されており、自転車で走るにはまずまずの環境ではないかと思う。
■JRのさくら夙川駅のすぐ近くに夙川があり、その川辺の木々の紅葉がきれいで、足を止めて写真を撮っている者もいた。川岸の一帯が公園となっている。もう少し行くと西宮で、 走っていると「西宮えびす500m先」と書いてある看板を見つけたので、国道から離れてそちらに行ってみた。国道2号線から「産所町」という交差点を右に曲がるとその通りが 「えべっさん筋」で、「えべっさん」というのはたぶん「えびすさん」を親しみを込めていう言い方だと思う。通りの両側には石製の灯篭が立ち並んでいた。阪神の西宮駅の駅ビルの名前が「エビスタ」だった。 西宮えびす神社はなかなか立派な神社で、外周をぐるっと城壁のような高い壁に囲われていた。そのすぐ近くには「西宮成田山」という寺があった。 私は千葉の成田山には行ったことないのに、まさか関西で成田山に出会うとは思わなかった。立派な木造の門を持つ寺である。
■国道に戻り、再び東へ。阪急今津線の線路をくぐり、阪神高速道路をくぐり、「上甲子園」という交差点を過ぎ、武庫川に架かる武庫大橋まで来た。 橋の上から川を見ると、河川敷にサイクリングコースがあるのがわかったので、行ってみた。少年野球チームがいくつも、河川敷に整備されたグランドで練習をしていた。 ちょっと手狭に見えるグランドだが、たくさん整備されている。朝練に遅刻した少年が怒られていた。川沿いには松並木があり、サイクリングコースに沿って背の低い生垣がある。 コースのための舗装はそれほど幅の広いものではないが、自転車同士がすれちがうのは余裕で、遊歩道からも独立しているので、走りやすい。 ただ、ここのサイクリングコースは、河川敷にかなりたくさんのホームレスの住処があって、青いシートで作った小屋がいくつもあり、それがちょっと嫌だった。 南へ向かってしばらく走ると、だんだん大阪湾が近づいてくる。前日に続いて好天に恵まれ、川が日の光できらきらしている。だんだん川の幅が広くなり、河口までたどり着くと行き止まりで、 目の前には大阪湾が広がる。新聞を読みながら魚釣りをしている者も何人かいた。来た道を戻り、阪神の武庫川駅の少し手前で河川敷から国道43号線に上がった。少し東に行ってから県道192号線で北へ。 「西大島」という交差点を右に曲がり、また国道2号線を東へ走った。
国道2号線の自転車レーン
■このあたりまで来ると、いままで並行していたJRの線路からだいぶ離れ、国道はやや南東方向へ向かう。フェリーを下りてからずっと思っていたが、このあたりの道路はだいたい、 車道から歩道に乗り上げる部分の段差がかなり小さく、自転車のタイヤにやさしい。そういえば、今治の市街地もそうだった。あと、驚くべきことに、国道2号線の一部区間には、自転車専用レーンが設けられている。 歩道を半分に区切って白線を引きました、という、何の意味もない自転車レーンではなく、一車線車道を犠牲にして作られたレーンがあるのだ。歩道とレーンは植樹帯で区分けされ、 レーンと車道はガードレールで、空間的にしっかり分けられている。自転車レーンと植樹帯をつぶせば、もう一車線作ることができるのに、あえてそうしなかったのだと思う。 自転車乗りにとってこれはありがたい。歩道に白線をひいて、というレーンでは、自転車レーンだからといって自転車乗りが無謀なスピードを出して、そのすぐ横に歩行者が歩くから危ない。 車道に白線ひいたレーンは、ただの路上駐車場となってしまう。この、国道2号線の自転車レーンの形態はとてもいい。ただ、肝心の自転車利用者が、歩道もレーンも関係なしにでたらめに走っているので、残念だ。 あと、私がよく走っている千葉県内、先日走った東京都内、あと甲府などに比べると、信号無視をする者の割合が、とんでもないことになっていて驚いた。たしかに、自分の目で見て、 安全だと判断したのなら、赤信号でも渡っていいとは正直思うが、かなり危ない目に合っているおっさんおばさんも目の前で見たので、気をつけたほうがいいと思った。赤で信号待ちしていると、 こいつなんで行かへんのや、みたいな目で見られて、困惑した。上の画像の赤っぽい舗装部分が自転車レーンである。
■賑わう阪神尼崎駅のあたりを抜けて、左門殿川を越え、大阪の西淀川区に入る。この川が兵庫県と大阪府の境になっているようで、これで自転車で走る8都府県目になった。
■一番上の画像は、武庫川の河口から見た大阪湾。
No.1251 2007-11-24 (4)
夕焼け空に浮かぶ来島海峡大橋

来島海峡大橋と夕暮れ時の海
■塩で有名な伯方である。大三島橋からスロープを下り、島の西の端に沿って国道317号線を南へ走った。途中にあったコンビニエンスストアにて食べ物飲み物を少し買い、休憩。 だんだん夕暮れ時がせまり、どうにか暗くならないうちにちょっとでも先に進みたいと思いながら、だいぶ疲れてきていたので、それほどスピードを出さずに走った。もう少し時間があれば、 伯方の塩ラーメンなど食べたかったが、それはまたいつか、と思い、走った。それにしても、朝から一日天気がよく、風もなくおだやかな一日で、暑くなく寒くなく、 自転車で走るにはほんとうにいい一日だった。伯方島は小さな島で、すぐに走り終えてしまった。橋から橋までの距離も短く、早くも5番目の橋、 伯方・大島大橋が見えてきた。みかん畑の斜面の中、橋への進入路を上る。地図を見ると、伯方橋と大島大橋がつながっているようで、 真ん中に見近島という小島がある。橋の上から見る海は、だんだんオレンジ色の光を反射するようになってきて、 空もぼんやりと赤みがかかってきて、とてもきれいだった。
■6番目の島、しまなみ海道最後の島である大島に渡り、国道317号線を南へ。島を縦断するようなルートとなっている。国道317号線は、尾道から最初に渡った向島から、 因島、生口島、大三島、伯方島、そしてこの大島と、海を挟んでずっと続いているのだった。石文化運動公園とか石文化伝承館といった案内看板が見られ、路の脇に石像などが立っていたりする。 石がこの島の売りなのだろうか。島の内陸部に向かってひたすら、かなりの距離の上り坂が続き、しんどい。だんだん足の動きも悪くなってきて、 なかなか進まないが、どうにかがんばった。まだ空には明るさが残っているが、このあたりでライトを点灯。ようやく坂が終わり、平坦になったあたりがそこそこの街になっていて、 このあたりを過ぎたら今度は海に向かって下りになるかな、と思っていたら、さらに上りで、ひいひいいいながら上り切ったら、視界が開けて、 突然、きれいな夕暮れ空と、海へ向かう坂道と、空に浮かぶ大きな橋のシルエットが現れ、とてもドラマチックな瞬間だった。とてもいい景色が見えるとまた元気になって、坂を駆け下り、 橋への上り口を探しながら走った。このあたり、自動車や原付の交通量がやや多い。
■6番目、最後の橋は来島海峡大橋である。疲れていたせいかもしれないが、この橋に上る坂道が、一番長く、高さも一番あるように感じた。 スロープが螺旋状になっていて、すごく浮遊感があり、圧巻である。ぐるぐる回りながらだんだん高くなっていくが、怖いくらいだ。 ようやく橋までたどり着いた。来島海峡大橋は第一大橋、第二大橋、第三大橋の三つの橋から成り、かなりの長さがある。今まで渡ってきた橋の通行料は50円か100円だったが、 ここだけは200円となっている。背後を見ると、大きな月がぽっかり浮かんでいた。橋の上は、いままで通ったなかで一番、自動車の交通量が多かった。 巨大な主塔が等間隔でそびえていて、なかなかの迫力である。橋を渡っているうちに、すっかり日が沈んで、暗くなった。 いままで色々な場所に行き、この景色は一生忘れないだろうなと思ったことが何度かあって、例えば北海道の日高山脈のふもと、平取(びらとり)で見たものすごい星空とか、 出雲の日御碕の雲の切れ間から差す神々しい太陽の光とか、他にもたくさんあるが、この日、来島海峡大橋から見た美しい夕暮れ空と、海と島々の景色もきっと忘れることはないと思う。
■すっかり暗くなって、橋を渡り切り、スロープをずっと下っていき、四国への上陸を果たした。本州から自力で四国までたどり着いたので、そのことだけでもかなりの満足感である。 最初ちょっと渡船を使ったが。かなり気温も下がってきて、手が冷たくなった。しばらく走って、ようやく今治の市街地に入り、とりあえず今治駅のほうへ行ってみた。 駅の駐輪場に自転車に停めた。駅の駐輪場が無料だった。首都圏や関西など大都市圏だとたいてい有料なので、なんだかちょっと新鮮な感じがする。でも、 少し前までは無料の駐輪場も多かった。駅の中にある店でじゃこ天ののったうどんを食べた。朝からコンビニのおにぎりやシリアルバーみたいなものしか食べてなかったので、 駅のうどんでも、あったかくてすごくおいしかった。あと、西日本のうどんのつゆはおいしい。いなり寿司も頼んだ。おいしかった。駅の近くにある宝来温泉という銭湯で入浴。 男湯には自分しかいなくて、貸切状態だった。ゆっくり湯につかった。駅のまわりはもう暗くて、店などもあまりないが、駅の近くに大丸百貨店があって、 今治くらいの規模の街に大丸があることに少し驚いた。駅にあった観光案内を見ると、今治はタオルの町ということになっているようで、生産量が多く、 タオル美術館なんていうものまであるらしい。ひときわ目立つ高い建物は今治国際ホテルで、建物の上のほうがライトアップされていてきれいだった。
■駅の近くにあったマルナカというスーパーマーケットで買い物をし、今治港のフェリー乗り場へ。神戸行きのフェリーに乗船。連休中だからなのか、ふだんからそうなのかわからないが、 なかなかの乗客数である。自転車をフェリーに載せるのは初めてだったが、私以外にも何人か、自転車の人がいて、トラックや自動車、バイクに混じって自転車を船に載せ、 船内の客室へ。久々の船旅だったので、船内をうろうろした。天理教の団体の貸切となっている部屋もあった。広いレストランがあり、土産売場もかなりの品揃えである。 私が利用したのは、部屋の真ん中に通路があって、その両側に二段ベッドが3つずつ、定員12人の2等寝台の部屋である。この船は九州の大分を出港し、途中松山に寄港してきた便なので、 先に乗っていて既に眠っている客も多かった。一日走って疲れていたので、自分も早々と眠った。走行距離は約118.3キロ。一日の走行距離としては、今までの最長記録だ。
■上の画像は、夕暮れ空と来島海峡大橋。
No.1250 2007-11-24 (3)
生口島のバス停

多々羅大橋からの眺め

大山祇神社
■生口橋から下りてくると、生口島の東端に出る。左に行くと、島の北側の外周に沿って海を右手に見ながら走るサイクリングロードに出る。右に行くと、 海を左手に見ながら島の南の外周を走る国道317号線に出る。今までのいくつかの経験から考えると、半島や島を走るときは、 自転車は道路の左端を走るので、左手間近に海を見ながら走るほうが気分がいいと思う。なのでサイクリングロードではなく、国道を走ることにした。 車もそんなに走ってないし、少しアップダウンがあるくらいで、走りやすい。国道沿いには集落が点在し、小学校や中学校もあった。島にはどれくらいの生徒がいるのだろう。 海の際ぎりぎりまで家が建っているのは、このへんの海が穏やかで、波をかぶったりすることがないからなのだろうか、と考えたりした。 コンビニエンスストアに立ち寄ると、ちょっとした惣菜コーナーのようなのがあり、見てみると「ささみの天ぷら」というのがおいしそうだったので買って食べてみた。 塩コショウがふってあって、少し塩辛い感じがしたけどおいしかった。少し先へ行くと、右に曲がる道の先、300メートルほど坂を上って島の内側に入ったところに 「光明坊」という寺があり、行ってみると、それほど大きくはないが立派な寺があり、石製の塔がひときわ目を引く。天平年間(730年頃)、聖武天皇の勅願により、 行基菩薩が開基建立したと伝えられているというから、いまから1300年近くも前からある寺ということになるんだろうか。石製の塔は「十三重石塔婆」で、 これは1294年に建てられたらしい。鎌倉時代である。国の重要文化財だそうだ。「せとうち七福神」の第4番「びしゃもんてん」が祀られている。 門の間から、坂の向こうに海が見える。坂を下って再び国道317号線に戻り、南西の方向へ進むと、3番目の橋である「多々羅大橋」が見えてきた。
■例によって、橋まで上がるために自転車専用の進入路を上る。青々とした海が眼下に広がり、遠くには大きな造船ドックが見えた。スロープの途中に休憩所があり、 そこでちょっと休んでいたら、木のテーブルの上にてんとう虫がいた。「動物注意」の道路標識があり、イノシシの絵が描いてある。北海道にもこの手の標識はあるが、 イノシシではなくて鹿とか熊の絵だったように思う。走っているときは気がつかなかったが、多々羅大橋の真ん中が県境になっていて、 いつのまにか広島県から愛媛県に入っていた。自転車で走る6番目の都県になる。橋を支える逆V型(八みたいな形)の巨大な主塔の真下で手をたたくと、 音が逆V(八)の両側に何回も反射しながら上のほうに反響していくのだった。いくつかの寺などにある「鳴き龍」がこれと同じ現象らしい。 たしかに、龍かなにかわからないが、音が上のほうに響いていって、なんだかおもしろい。「多々羅鳴き龍」というプレートが貼ってあって、 音を出すための拍子木まで用意されていた。主塔の下で手をぱんぱん打っていると、その横をロードバイクのグループが颯爽と駆け抜けていった。 スロープで橋を下りてゆくと、4番目の島である大三島の東端に出る。そこには、道の駅「多々羅しまなみ公園」というのがあり、なかなかにぎわっている。 土産物の店や飲食店、観光案内所やレンタサイクルなどなどがあって、車がたくさん停まっているし、自転車もけっこういる。海沿いの一帯が公園になっていて、 ちょうと、渡ってきた多々羅大橋の全容を見渡せる。建物の入口には丸い水槽が置かれ、ヒラメなどがその中にいた。土産物店では伯方の塩やその塩を使った色々な食べ物、 伊予柑のお菓子、海産物、その他いろいろである。
■道の駅で少し休憩し、海沿いに北へ走る。しばらく海沿いに走ったあと、島の内陸へ進んでゆく。内陸にゆくにつれて標高が上がってゆくので、 しばらく上り坂が続く。それほどきつい勾配ではないが、ずっと上りなので、体力的にけっこうきつい。サイクリングロードがしっかり整備されていて、 車道からは完全に独立した区間もある。森の中を走るような感じになり、人気もまばらで、建物もなくなっていく。ようやく上りの最高点まで達し、 下りに入ると一気に下りて、大山祇神社に着いた。「おおやまづみ」と読む。広くて、白い砂が敷かれ、掃き清められた境内を歩くと、相当古い楠があり、 「天然記念物 乎知命(おちのみこと)御手植の楠」と書いてあった。樹齢2600年だそうだ。この古木以外にも境内にはたくさんの古い楠が見られた。 この神社は、伊豫(伊予)の国一の宮であり、四国地域唯一の「大社」で、祭神は天照大神の兄である大山積大神だそうだ。拝殿はそれほど大きくはなく、 シンプルで余計な装飾のがないため質素な印象だが、黒っぽい木材と屋根材が使われていて、質実剛健という言葉がぴったりくるような、 そんな力強さを感じる社殿である。そしてなんと言っても、ここには日本の国宝・重要文化財の指定を受けた武具類のおよそ8割が保存されているというから、 驚く。なんでこんな、といったらあれだが、瀬戸内海の小さな島に、そんなに貴重なものが集まっているのかはわからないが、とにかく、 宝物館である紫陽殿と国宝館は、大人入場料1000円払って見る価値は十分あると思った。紫陽殿には刀剣類がずらりと並び、 小振りな銅鏡がずらりと並ぶ。国宝館には、源頼朝、源義経が奉納した鎧や斉明天皇が奉納した鏡などなど、すごいものがずらっと並んでいて圧倒される。
■サイクリングロードを、来た方向に戻る。道の駅まで戻ってきて、そこを過ぎ、今度は南へ向かって、左手に海を見ながら走った。ここらへんの海でも、 釣りをしている人がけっこういて、ラジオを聴きながら竿を何本か置いてのんびり待っている者などもいた。なかなか長い進入路を上り、四つ目の橋、 大三島橋を渡る。すれ違う自転車乗りの人が挨拶をしてくれた。だんだん太陽が低くなってきつつある中、5番目の島、伯方島に上陸。
■上の画像は、上から順に、生口島の国道にあったバス停、多々羅大橋からの眺め、大山祇神社。
No.1249 2007-11-24 (2)
因島から本州方面を望む

因島と生口橋
■向島を走り出して、最初のうちは小学校とか商店や住宅街が続き、建物がまばらになってくるとまもなく、長い上り坂を上り始めた。だらだら長い坂で、 息があがった。山の斜面にはみかんの畑が見える。オレンジ色の実がたくさん生っている。そういう時期なのだろうか。伊予柑やレモンの木もあった。 けっこうな高さまで上ったので、今度は下りである。車もほとんど通らないので、道路の真ん中をブレーキなしでぶっとばしたら、時速50キロくらい出て、 こわくなった。坂を下りきると、きれいな白い砂浜と、きらきら光る海が見えた。「千汐海水浴場」という看板が出ていた。瀬戸内海らしい、とても穏やかな海で、 やわらかい秋の日差しとあいまって、のんびりした景色である。海の水も透き通っていてきれいだ。海水浴場のすぐそばには、漁に使う小さなボートが多数停泊していた。海を左手に見ながら南へ向かってしばらく走った。 島の外周には、海岸線に沿って道路があり、道路から釣りをしている人が結構いた。
■いよいよ一つ目の橋が見えてきた。見上げるほどの、そうとうな高さである。歩行者と自転車、原付(125cc以下の自動二輪)専用の入口から、専用のスロープをじわじわ上ってゆく。 勾配をなるべく緩くするために、うねうねと蛇行し、ヘアピンカーブのようになっている箇所もあり、ループになって高さをかせいで、ようやく因島大橋の入口に到着。 はるか眼下には日の光を反射してまぶしい瀬戸内の海と、海に浮かぶ島々が見渡せ、すごく眺めがいい。因島大橋は二層構造になっていて、上が自動車道、下が自転車・歩行者道となっていて、 側面はごつい金網のフェンスが張られているので、橋を渡っている間は、いまいち爽快感はないが、とにかく自転車のための道がこんな高いところに作られているということに興奮しながら走り抜けた。 ちゃんと料金所があり、無人だが、支払い金額は50円です、とアナウンスされる。料金箱にお金を入れ、一つ目の橋を渡り終えた。出口の脇には、 公衆電話のような一本足のボックスに、記念のスタンプが設置されていて、「因島大橋を渡橋したことを証明します」とかそういうスタンプである。
■長いスロープをぐねぐね下って、因島の地上まで降りてきた。右手を見ると、島の北端で、坂を下りた向こうに海が見えている。そちらへ行ってみると、 その一帯が公園になっていて、首の長い恐竜の大きな白い石像が置いてある。意味がよくわからないが、とりあえずそこの公園でトイレを借り、自動販売機で飲み物を買った。 あずまやのような場所で、高校生くらいの男二人が、ノートを広げて勉強をしていた。白い砂浜が広がり、浜辺には板張りの遊歩道が整備されていて、 プールもあった。若い父親とその息子がキックボードで遊んでいた。橋から下りてきた場所まで戻り、今度は反対側へ。島の南側へ向かった。 しばらく海沿いの国道317号線を道なりに進んだ。時々、道端に、10〜15個くらいずつ網の袋に入ったみかんが山積みになってて、「一袋200円」とか書いてあるのを見かけた。 一個か二個なら買って食べたいが、かなりたくさんの量なので、買うのはあきらめた。海から離れ、「北インター(南)」という、北なのか南なのか判然としない交差点から県道367号線に入り、 北西方向へ。やや上り坂の道をしばらく進み、因島北インターチェンジをトンネルでくぐり、「重井東西橋」という交差点を西へ曲がり、県道366号線に入って、海を右手に見ながら南へ走る。 ちょうど島の北から「Z」の字のようなルートで島をめぐり、二つ目の橋、生口(いくち)橋へ。スロープ状の専用進入路をよいしょよいしょと上り、橋の上までたどり着くと、 造船所や自動車道のインターチェンジが眼下すぐ近い場所に見え、因島と生口島は距離がそれほど離れていないので、島の間の海は大きな川のようにも見える。料金所の箱に50円を入れて、 下りのスロープを進み、下りきったところで、三つ目の島、生口島に上陸した。
■上の画像は、因島から本州方面を望む景色。手前に見えるのは向島。下の画像は生口橋。向こうに見えるのは因島。
No.1248 2007-11-24 (1)
朝の尾道の町並み
■前の晩、東京を発ったサンライズ出雲は定刻通り、岡山駅に朝の6時30分頃到着。岡山始発のこだま625号広島行きに乗り換えた。全車自由席の列車だった。 土曜日の早朝の下り列車だからか、岡山を発車する時点でほとんど乗客はなく、6両編成の5号車は自分一人だけだった。 がらがらに空いている新幹線に乗った経験がいままでほとんど無かったので、変な感じがした。新倉敷、福山でそれなりに乗客があった。 瀬戸内の工業地帯の煙突の向こうから太陽が昇ってきた。新尾道駅で下車。ホームの壁には「コメット・紙ふぶきの使用及び胴上げはかたくおことわりします」 と書かれた駅長からの注意書きが貼ってあった。「コメット」ってなんだろうと思い、調べても「彗星」とかそんなのしか出てこなかった。あと、 駅のホームで胴上げした者がかつていたのだろうか。たしかに危ないが、ちょっと見てみたい気もする。
■駅の前で自転車を袋から出して組み立てていたら、バスを待っていたおばちゃんに話しかけられた。自転車を折りたたんで持って歩くということに驚いたらしい。 南へ向かって走り出すと、いきなりトラブルというか、困った。ギアが7速に入らなくなってしまったんである。一番、スピードが出るギアが使えない。 少しいじってみたが、どうにもうまく解決できず、とりあえずそのまま走っていたら、そのうち気にならなくなった。自転車で走るのは千葉、東京、山梨、茨城に続いて、5番目が広島県となった。 国道184号線を南に向かってしばらく走ると、きらきらと光る海が見えてきた。海をはさんで向島がすぐ見えている。造船所のクレーンがいくつも見える。 在来線の尾道駅前まで走った。2005年の12月に一度尾道を訪れたので、駅の周辺はなんとうなく頭に残っていて、見覚えのある雑貨屋や喫茶店が健在なのを確認し、 商店街の中を通り、路地から海が見えて、千光寺山の斜面にへばりつくように建つ家並みを眺め、駅前の渡船で向島に渡った。一人百円、自転車10円。
■広島県の尾道市と愛媛県の今治市を、瀬戸内海に浮かぶ六つの島を橋でつないで結ぶ「西瀬戸自動車道」という有料道路があり、通称「しまなみ海道」と呼ばれ、 本州と四国の連絡ルートの一つとなっている。尾道の市街地と向島を結ぶ尾道大橋を除く、それぞれの島を結ぶ橋にはそれぞれ自転車専用路が設けられており、 さらに島の中の道路にもサイクリングロードや自転車レーンが整備されていて、自転車乗りにとっては、とても理想的な環境がそこにはあり、 「しまなみ海道はいい」という評判をいろいろなところで目にし、耳にし、いつか行ってみたいな、と思っていたのだった。案外早く、それが実現した。
■渡船をおりて、向島を走り出した。
■上の画像は朝の尾道の町並み。
No.1247 2007-11-23
■とある集まりがあって、東京の飯田橋駅の近くにある、エドモンドだったか、メトロポリタンか、そういったホテルの中華料理店で会食をし、生まれて初めてツバメの巣というのを口にした。 なんだかよくわからなかった。ロンジン茶というのを飲んだら、おいしかった。いろいろおいしいものを食べた。天気はいいが、空気が冷たい。
■一度津田沼に帰ってから夜、電車で東京駅まで自転車をかついで行き、横須賀線快速ホームから東海道線のホームまでよたよた歩いた。かなりの距離で、たいへんである。 9番線から、東京駅22時ちょうど発の寝台特急列車サンライズ出雲に乗車。この夜行列車に乗るのは二度目だ。前に乗ったときは、個室を利用したが、今回は、 指定席料金だけで乗れる「のびのびシート」を利用。二段になったカーペット車で、となりのスペースとの間には仕切りがあり、毛布を貸してくれる。 通路側にはカーテンがあって、それなりに落ち着いて眠れた。個室じゃなくても、横になれるというだけで、気持ちがぜんぜんちがう。安いし。 公衆電話のスペースが広くなっていて、車掌さんに言ってそこに自転車を置かせてもらった。たしか横浜くらいまで起きてた気がするが、それから眠ってしまったようで、 記憶がない。
■夜行列車といえば、来年3月のダイヤ改正で、東京と大阪を結ぶ夜行の急行寝台列車「銀河」が廃止になることが決まったそうだ。 今年の7月に乗ったときはかなり高い乗車率だった覚えがあるが、平日などはがらがらだったという。さらに順次、東京発の九州行き寝台特急「富士」「はやぶさ」、 京都発の同じく九州行き「なは」「あかつき」も廃止されるらしい。東海道本線、山陽本線から寝台列車がほとんどなくなってしまう。悲しい。 利用者減、車両の老朽化などが廃止の理由だと思う。空港、高速道路の整備が進み、航空便や高速バスの路線網が発達した現在では、夜行列車の役目はもう終わったのかな、 という気もしないではないが、私は夜行列車で旅をするのが好きだから、さびしい。
No.1246 2007-11-18
フクダ電子アリーナ
■日が暮れるのがずいぶん早くなってきた。午後、電車で蘇我へ。
■Jリーグ一部第32節、千葉対マリノス。フクダ電子アリーナ。
■ひさしぶりに、試合の一時間くらい前に会場に着いてしまった。試合開始まで時間を持て余す。風が冷たい。10位対11位、優勝はもちろん、賞金も、 残留・降格も関係ない、いわば消化試合のようなもので、しかも寒い日曜の夕方というのに、15000人以上の観客が入り、少し驚いた。 スタジアム前の広場では、サポーター達が大勢集まって、倒れたオシム監督の回復を願っての千羽鶴のための折鶴を作っていた。
■試合は2−3での敗戦。もう何度も、同じような失点を繰り返すので、呆れた。ああ、ぜんぜん進歩してないな、と思い、ため息の出るような負け方。 しかも、相手が一人退場してからの逆転負けである。情けない。今年になって初めてマリノスの試合を見たが、私はマリノスの早野監督を見くびっていた。 柏を降格させたダメ監督だと思っていたが、マリノスのサッカー、けっこうすごいよ。90分間絶え間ない前線からのプレス、中盤でも早い寄せで、 相手に苦し紛れのボールを蹴らせて、綺麗にそろったラインディフェンスでオフサイドをとってしまうか、半端なパスをかっさらって一気にカウンター。 アリゴ・サッキのゾーンプレスを髣髴とさせるサッカーだった。ほめ過ぎだろうか。その戦術を徹底してやりとおせる選手の質の高さも目を見張る。 マリノスがなんで優勝争いしてないのか不思議だ。
■千葉サポーターはゴール裏に、オシム監督へのメッセージの横断幕を貼り、マリノスサポーターは「SVABO! OSTANI!(シュワーボ!オスタニ!)」 と書かれた横断幕を出した。意味は、検索すればすぐわかると思う。試合終了後は、両サポーターからオシム・コールが起きた。千葉のサポーターからは、 大量の千羽鶴が、勇人と巻に渡され、それに対してマリノスサポーターも拍手してくれた。
■下部組織では、ジェフリザーブズがアウェイでアルテ高崎に0−4で勝利、ユースはサハラカップ予選で札幌ユース相手に4−1で勝利し、トーナメント進出を決めた。 レディースはバニーズ京都と対戦し、3−1で勝利。二部の二位が確定し、一部の七位との入替戦出場が決まった。トップチームはだめだったが、下部組織がよくがんばった。 女子一部の七位は、アルビレックス新潟レディースか、伊賀フットボールクラブくノ一、又は大原学園JaSRA女子サッカークラブのいずれかになる見込みである。 「伊賀フットボールクラブくノ一」ってすごいな。
No.1244 2007-11-17
姉崎公園クラブハウス前でのイビツァ・オシム監督
■上の画像は、2004年11月、市原の姉崎フットパーク、ジェフ千葉のクラブハウス前、有志のサポーター達が集まり、 来季(2005年)も千葉で指揮を執って欲しい、と嘆願しに行ったときの様子である。左側にいるのがサポーターの代表者、オシム監督の左にいるのは、 当時通訳(現コーチ)の間瀬さん、一番右にいるのが、当時のクラブのゼネラルマネジャ(現フランスリーグ、グルノーブルのゼネラルマネジャ)の祖母井さんである。
■どうにか、回復して、せめて故郷サラエボの土を踏んでほしい。あの人は強いから大丈夫だと思う。
順天堂病院前
■自転車で出かけた。かなり空気が冷えているので寒いが、5分も走っていると体はあったまる。国道14号線で船橋駅からの道との交差点まで行き、 そこを東京湾の方向へ左折、京葉道路をくぐり、日の出の交差点から東関東自動車道に沿う国道357号線へ。京葉線の線路の高架も並行している。 夏にこの道を走ったときは、橋の上り下りがかなり体力的にきつかったので、ここを走るのはあまり気が進まなかったが、気温が下がったことと、 自転車のギアの使い方もその頃よりはうまくなったようで、上り坂もあまり苦にならなかった。京葉線沿いのこのあたりは、工場や倉庫、オフィスが多く、 住宅はそれほど多くないので、人があまり歩いておらず、自転車も走れるように歩道が広くとられ(そのかわり車道にほとんどまったく路側帯がなく、 交通量も多い)、排気ガスで臭いが、それを気にしなければ、快適に走れる。市川大橋で江戸川の河口を越え、浦安の立体交差から新浦安駅方面へ。 道路が非常によく整備されていて、浦安市の財政が豊かであることを想像させる。京葉線の高架に沿って少し南西方向へ行き、境川という川を渡ったところに、 茶色い建物の順天堂病院がある。
■オシム監督が入院しており、報道陣が多数、病院の正門前や、歩道にたむろしている。荷物を広げ、機材などを置き、 小さな脚立のようなものに腰をかけて新聞を広げ、たばこを吸い、携帯電話をいじっている。非常に通行の邪魔になっているのだが、 彼らは傍若無人に振る舞っている。「マスゴミ」と言われる所以のひとつがこういうところであろう。
■マスコミの連中というのは、どういうわけか、自分達が特権階級の人間だと勘違いしているふしがあって、困ったものである。 雲仙普賢岳の火砕流発生時に、避難した家に土足で上がりこんで電気を盗み、警戒区域から出るよう要請した警察の言葉を無視して消防団員や警察官を巻き添えにして殺し、 阪神大震災の時には、建物の下敷きになって、助けを求める声をヘリコプター見物の騒音でかき消し、まだ煙の立っている現場に降り立って、 「そこには亡くなった方がいるので踏まないでください」という被災者の声を無視して「まるで温泉地にきたみたいですね」とい言い放ち、 日航機事故の時に、より悲惨な死体を求めて駆け回り、お棺をまたぎ、あまつさえ、棺のふたを開けて中を撮影しようとし、 新潟地震では、山古志村に入り込み、被災者に混じって救助され、おまけに救援物資のパンを我先に食い散らかし、 松本サリン事件の時には、あれほど無実の人間を犯人扱いし、真相が明らかになったら、すべて警察の所為にし、 愛知長久手の拳銃男立てこもりの時は、中継できそうな高さのマンション探してに勝手に入って管理人につかみかかり、 飲酒運転をし、少女買春をし、麻薬を吸い、脱税をし、放火し、詐欺をはたらき、横領し、暴力をふるい、痴漢をし、泥棒をし、捏造をする。 そういった種類の人間の集まりがマスコミだと思って間違いないと思う。
■話がそれた。病院の前を通りかかってみたが、くそばか取材連中がいる以外は、とくに人の出入りもなく、平穏な様子であった。寝巻き姿の患者さんが、 外の様子を興味深そうに見たり、通りかかる親子が、オシムさんここに入院してるんだって、と話をしたりしているくらいだった。
■病院を離れ、「浦安マリナイースト21」と呼ばれる埋立地のマンション群のほうへ行ってみた。幕張と比べると、 それほどデザイン性の強いものではない大型のマンションが整然と建ち並んでいる印象だ。ところどころ、手付かずの荒地のようなものもあり、 今後ますます建物が増えるのだろう。明海大学という大学の敷地が道路を挟んで広がっており、あまり賢くはなさそうに見える学生達が歩いていた。 ふと、この一帯は、電柱と電線がないことに気づいた。その点はとてもいいと思う。電線の地中化なんて、やればできるんだから、 どこでもやったらいいのに、と思う。
■浦安の立体交差まで戻り、国道357号線には入らず、北西方向へ。「やなぎ通り」と名づけられている県道242号線を道なりに進んだ。 たしかに沿道には柳の木が植えられている。道沿いには、大型の紳士服店やファミリーレストランなど、大きな駐車場を持つ店舗が建ち並び、 よく見る地方の郊外の景色といった風情である。営団東西線の浦安駅のあたりで右に曲がり、県道6号線に入って北東方向へ。 浦安駅周辺はとてもごちゃごちゃしていて、総武線沿いの駅前の様子によく似ている。道も狭く、埋立地のマンション街とは違っておそらく古くからある町なのだろう。 東西線の線路と並行するような感じでしばらく北東に走り、妙典のサティに立ち寄って、ヴィレッジヴァンガードをぶらぶらし、江戸川の河川敷に出て、 市川大橋のたもとから国道357号線に入り、ここから往路と同じルートで津田沼へ。国道14号線で、中野木交差点方面へ行く道を通り過ぎ、 京成津田沼駅の近くのアンポンタンというパン屋さんに寄ってから帰った。走行距離は約50.9km。
No.1243 2007-11-11
■昨日土曜日(10日)は、一日中雨が降っていたので、ずっと家にいた。家で、正月休みの帰省のための航空券の手配などをしたりしながら、 テレビでサッカーを見ているうちに一日が終わってしまった。今年は大手航空会社が、元日の割引を設定していないようで、そのせいもあってか、 例年なら発売日にかなり埋まる元日前後の便も、わりと残席に余裕があるみたいだった。
■今日も朝からどんよりした空だったが、雨はそんなに降ってなくて、一時は晴れ間も見えたんで、自転車で近所をぶらぶらした。 かなり空気が冷たく、ようやく秋らしくなってきた感じがする。京成津田沼駅とJRの津田沼駅の界隈を8の字のようなルートで、 ほんの8.6km程度走っただけで帰ってきた。いつ降りだすか不安な感じの空だったので早々と帰ったが、その後も雨はほとんど降らなかったみたいなので、 もっと遠くまで行けばよかった。
■週末自転車に乗れないと、いまひとつ物足りなく感じるようになっているここ最近である。自転車の何がいいかというと、自分の力だけで、好きなタイミングで、 行きたい場所まで、行けるというところだと思う。あきらめなければ、普段ほとんど運動していない私のような者でも一日100kmは走れる。
■先月、一度、通勤に自転車を使って見た。津田沼から千葉市の中央区まで、片道およそ16km。距離としてはさほどたいしたことはなくて、朝など、 すがすがしい空気の中、こいでいるうちにうっすら汗ばむくらいの感じで、とても気持ちがいいのだが、問題は帰り道である。これでも一応会社員なので、 明るいうちに帰宅するというのは無理で、夜、自転車で走るとなると、暗い。路面の段差は見えにくいし、無灯火の自転車が対面から突然現れたりして、 ぎりぎりまで気づかないこともあるし、自動車のライトがまぶしくて視界が無くなることもある。ただでさえ目が悪いので、夜走るのはかなり危ないと感じた。 ただ、海浜幕張あたりを走って、夜のビル街を見たときは、きれいだった。
■自転車に乗るようになると、街の自転車屋を気にするようになる。ここに自転車屋があるのか、なんかトラブル(タイヤのパンクなど)があったらここに来ればいいな、 とか思う。あと、人の乗っている自転車が少し気になる。おお、ブロンプトン(高い)、とか、アレックスモールトン(すごく高い)かよとか、 自分がダホンの折り畳みに乗っているせいか、折り畳み自転車には特に目がいく。ごくたまにダホン乗りの人がいると、おお、とちょっと思う。 思ったより見かけないが。あと、クロスバイクを最近とても多く見かける。ロードもいいな、速いんだろうな、と思う。あと、長い距離乗ると、腹が減る。 それなりにカロリー消費しているような感じがする。そして、路上の違法駐車がものすごく多くて、これでも以前より減ったんだろうが、それにしてもひどいもんである。 基本的に自転車は、道路交通法上、「軽車両」に分類されるので、路側帯、あるいは車道の左端を走るのが原則である。自分もなるべく、そこを走るようにしているが、 路上の駐車車両を避けようと思うと、どうしてもふくらんで車道の中央あたりに出ざるを得ない。後ろから車が来る。危ない。あと、わざと幅寄せしてくるような車もいて、 そういう運転する奴は事故って死ね、と思う。邪魔なんだよ自転車は歩道を走りやがれ、くらいに思っているのだと思う。教習所で何を勉強したんだろう、 と残念な気持ちになる。でも、意地を張って実際車とぶつかり合いしても、死ぬのはこっちなので、危ない車がいれば、さっさと歩道に上がるなり、 停まってやり過ごすなりしないと、こっちが損するので、逃げる。
■ただ、自転車乗りも結構ひどい。逆走、無灯火は当たり前、二人乗り、信号無視、併走、歩道を我が物顔でどけどけとベルを鳴らしながら爆走などなど、 なんでもありな状況である。極力そういったことをしないようには気をつけているつもりである。あと、ヘッドホンで音楽聴きながら走っている人。 気持ちはもう十二分にわかる。好きな音楽を聴きながら走るのはさぞ気持ちがいいだろう。でもやっぱり危ないんじゃないか。私はこわいのでやらない。

No.1242 2007-11-04
フクダ電子アリーナ
■以前からやってみようと思っていた、フクダ電子アリーナへの自転車往復を、ようやく実行することにした。試合が午後一時からなので、 暗くならないうちに帰ることができる。
■津田沼から、まろにえ橋、ワイがや通り、第三中学校、袖ヶ浦運動公園経由、幕張インターチェンジを迂回しながら国道14号線へ。 何度か試してみて、千葉市内方面へ行くときはこのルートが今のところいちばんいいと思う。あとは14号線をひたすら南東方向へ。 千葉駅等、千葉市内の中心部に向かう場合は登戸の交差点を左へ行くが、目的地は蘇我なので、今回はそちらへは行かず、まっすぐ行く。 左へ行くとそのまま国道14号線だが、まっすぐ行くと、この交差点から国道357号線となる。千葉市役所の横を通り、モノレールの高架をくぐり、 寒川大橋で都川を越える。何箇所か、歩行者・自転車が渡ることのできない交差点があり、歩道橋を利用することになる。どうして歩行者・自転車に不便を強いて、 車様の便を優先するのだろうと思う。交通弱者に対する配慮のない道路政策だといつも思う。
■予想していたよりずいぶん早く着いてしまったので、アリオというショッピングセンターに行って少し食べるものと飲み物を購入。 357号線の歩道橋下に設けられた駐輪場に自転車を停めて、スタジアムへ。
■天皇杯4回戦、千葉対大分。フクダ電子アリーナ。
■主催がリーグ戦と違い、席割りもいつもと若干ちがっていて、バックスタンドはゾーン指定なので、どこに座ってもよいのだが、 シーズンチケットのいつもの、最上段の席につい座ってしまう。フクダ電子アリーナで、きれいな青空の下での試合は久しぶりのような気がする。 日曜の昼間、好天だが、観客は少ない。いつもの半分かそれ以下。
■前日のリザーブズの試合のような展開で、千葉は何もいいところなく、1−3で敗れた。大分がとてもよかったという印象もあるが、 それにしても情けない試合だった。見に行かなければよかったとさえ思うような内容。毎年、千葉は天皇杯で早々に敗退し、姿を消す。 私が千葉の試合を観戦するようになってから、天皇杯での勝利は、2003年の三回戦大塚製薬戦、2005年の四回戦甲府戦のみである。 選手層の薄いチームにとっては、早々に敗退して、長いオフをとったほうが得策なのかもしれないが、 それにしても毎年あっけなく、千葉にとっての天皇杯が終わってしまい、呆れるばかりだ。
■帰りも同じく、国道357号線、国道14号線を走った。走行距離は約41.5km。
No.1241 2007-11-03
西が丘サッカー場
■11月になっていた。
■国立へ行っていたのだった。千駄ヶ谷駅から歩いてナビスコカップの決勝を見に行ったのではなく、もう一つの国立、国立西が丘サッカー場に行ってたんである。 前日の晩、地図を見ていて、荒川のサイクリングロード行ってみたいな、と思っていたとき、たまたま、 西が丘で、JFL後期第13節、横河武蔵野対ジェフリザーブズの試合が昼間にあるというのに気づいて、だったら自転車で荒川サイクリングロードを経由して、 西が丘まで行ってみようと思い立った。地図上で距離を測ると、おおよそで、津田沼からは33kmくらいと出た。
■国道14号線をひたすら北西方向へ。下総中山駅のあたりまでは来たことがあったが、そこから先は走ったことが無かった。 国道14号線は、途中までは総武線とほぼ並行するので、船橋駅、西船橋駅、下総中山駅、本八幡駅、市川駅と、だいたい駅の近くを通るルートになっている。 市川駅のそばを過ぎ、江戸川まで来ると、ここにも川沿いのサイクリングコースが整備されていて、なかなか良さそうに見えた。いずれ改めて来てみようと思った。 市川橋で江戸川を渡ると東京都江戸川区に入る。東京に入ると、歩道と車道を隔てるガードパイプは、四角い枠の中に、 イチョウの葉の形がデザインされたものになる。東京都の木がイチョウなのだと思う。都立や都営の施設にはイチョウの葉のマークがついている。 市川橋を渡ると国道14号線は左へ折れ、南西方向へ向かうルートとなるが、そこは曲がらずに、まっすぐ進むと、蔵前橋通りとなる。 小岩駅の近くで道が南北二手に分かれるY字路となる。南側はそのまま蔵前橋通り、北側は奥戸街道という名前だ。奥戸街道を西へ進み、 新中川を渡る奥戸新橋のあたりで、江戸川区から葛飾区へ入る。都内に入ると、信号が多く、何度も停まって、なかなか進まない。 ラジオの道路交通情報でよく耳にする名前の道路や交差点などがいくつかあって、ここがそうか、と思いながら走った。 東京の下町らしい、アーケードのある商店街がいくつか見えた。
■中川を越えて京成押上線の踏切を渡り、本田広小路交差点、妙源寺交差点を経由して、綾瀬中学校のそばから小菅ジャンクションの下をくぐり、 イチョウの葉のマークがついた下水処理場の脇を抜けて、荒川にたどりついた。このあたりで、葛飾区から足立区に入る。 朝から曇りがちだったが、晴れてきて、日差しが心地よい。 荒川の東岸のサイクリングロードを走った。いままでいくつかのサイクリングロードを走ったが、それらと比べると、ここはかなり舗装路の幅が広く、 一般道からのアクセスのためのスロープもたくさんあり、トイレなどの設備もある程度の距離ごとにあって、とてもよく整備されている。 さすが首都だと思った。右手にはずっと、中央環状線のでかい道路が並行してそびえていて、たくさんの自動車が走っているのが見える。 左手には、川沿いに野球場やサッカーグラウンド、ゴルフの練習場などがいくつもあって、草野球や少年野球、サッカーの試合などが盛んに行われていて、 それを見てのんびり過ごしている者達やジョギング、サイクリングの者もいる。犬の散歩も多い。 草むらからラジコン飛行機を手に持って突然現れるじいさんやゴルフクラブを持って歩いている者、走り回る子供など、非常に活気がある。 ことによると、野球のファールボールなどがこちらに飛んでくるのではないか、などと思ったりしながら走った。ホームレスの住処もたくさんあった。
■一般道に戻って、鹿浜橋を渡り、環七通りを西へ。地下を東京メトロ南北線が走る北本通りを越えたあたりで北区に入る。 東北新幹線の高架をくぐり、京浜東北線の線路を越える。さらに埼京線の線路を越えて、 姥ヶ橋の交差点を右に曲がって、北の方向へ少しゆくと、西が丘サッカー場に着いた。西が丘では、昨年末、高校サッカー、 羽黒高(山形県代表)対鳴門高(徳島県代表)の試合を見て以来、二度目の観戦となった。こぢんまりしていて、いいサッカー場だと思う。 試合は2−0で横河武蔵野の勝利。リザーブズはいいところなく敗戦。今年は二度、リザーブズのアウェイ戦観戦に出かけたが、いずれも敗戦となってしまった。 横河の18番、大多和というフォワードの選手が、とてもしっかり安定したプレーをしていて、よかった。観客数は400人余り。
鹿浜橋から見たビル群
■西が丘から再び自転車で出発。来た道とほぼ同じようなルートで帰った。鹿浜橋の上から見た、夕焼け空に照らされた遠くのビル群がきれいだった。 午後5時を過ぎると、かなり日が落ちて暗くなる。暗いと、路面の状態も見えにくくなるし、周囲の状況にもより気を使うので、神経が疲れる。 あと、無灯火の自転車がとても多いので、それはやめてほしいと思った。危ない。
■走行距離は約77.4km。一日の走行距離としては、今までで二番目に長い距離となった。
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