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No.1240 2007-10-28
寺の門と自転車と猫
■天気が良くて、日差しが暑いくらいの昼近く、自転車で外へ。県道69号線から中野木交差点を北に曲がり、総武線の線路を陸橋で越えて、駿河台の交差点から西へ。 船橋の中央卸売市場の前を通って船橋駅の北口を通り過ぎ、東葉高速鉄道の東海神駅のそばをかすめて東武野田線の高架をくぐってT字路に突き当たってから北へ。 地図で見ると円形の行田団地の外周道路を道なりに少し行き、武蔵野線の高架をくぐって西へ。団地が円形をしているのは、ここがかつて、軍事無線基地だったとか、 そういう話を何かで読んだことがあった。「ニイタカヤマノボレ」をここの基地から発信したとか、そういったエピソードである。 やたら警備員とか交通整理員の類の格好をした者らがあっちにもこっちにも立っているので、いったい何事だろうかと思っていたら、日曜日なので、 どうやら競馬関係のようである。中山競馬場がすぐそこに見える道をゆく。住宅街なので、細い路地がたくさんあるが、 その路地の入口ごとに、違法駐車を監視するため、制服を着たおじさんたちが配置され、ものものしい。競馬には全く興味がないが、こんなに人を使って、ずいぶんコストがかかるものだな、と思った。
■競馬場の近辺を通り過ぎると船橋市から市川市に入る。「若栄会通り」という商店街のような通りを抜けると、ぐねぐねした細い道となり、 そのまま道なりにゆくと、法華経寺に着いた。広い敷地を持つ日蓮宗の寺である。1260年というから、鎌倉時代からの歴史を持つ寺だ。 日蓮が書いた「立正安国論」と「観心本尊抄」という書物が保管されていて、それらは国宝となっているとのことである。境内を歩くと、五重塔やらなにやら、重要文化財がそこら中にある。 説明書きの看板を読むと、日蓮が書いた書物の中には、どうやら使用済みの書物の紙の裏を使ってるものがあって、人身売買の記録だとか、借金のことなどが書かれていて、 その時代のそういった記録はあまり残っておらず、貴重だそうだ。回廊があり、石段があり、池や庭があり、塔もあるし大仏まであって、参詣道には茶店もあって、 なんだかにぎやかで楽しい雰囲気で、これは京都の東福寺に行ったときも思ったが、昔は寺社参りがおそらく今でいうアミューズメントパークだったんじゃないかなと思う。
■境内には何匹か猫がいて、なつっこいのもいて、通りかかるとにゃにゃと言う。なにかと思って立ち止まると、足元にやってくる。なでるとごろごろいって、まわりをぐるぐるまわったり、 ぺたりと座ったりする。立ち去ろうとするとついてくるのもいた。
■大きくて立派な門をくぐって外に出て、京成線の踏切を渡ると国道14号線に出るので、まっすぐ東へ。船橋で本町通りに入り、スクランブル交差点を渡って大神宮の横を通り、 県立船橋高校の前を通って、中野木の交差点を通って、家まで戻った。走行距離は約20.8km。画像は、法華経寺の門の前、自転車と猫。
No.1239 2007-10-21
幕張の浜から見た東京湾
■昼前、自転車でまた幕張方面までぶらぶら行っていた。先日、100km走った帰りに偶然、国道14号線の幕張インターチェンジを、あまり遠回りせずうまく迂回するルートを発見したので、 再度そのルートを確認しつつ、幕張のイトーヨーカドーのある交差点を曲がって海浜幕張方面まで行き、ヴィレッジヴァンガード店内の小さなDVDプレーヤーで再生されていた 「ピタゴラスイッチ」のDVDを、おおおもしろいな、とか思いながらちょっとの間見て、何も買わずに出て、マンション街の中をぶらぶらしていた。 せっかくのきれいな町並みだが、道路脇にびっしり、路上駐車の列である。平気でああやって車を停める連中は、馬鹿じゃないかと思う。セオサイクルなどを冷やかしつつ、 花見川緑地の交通公園のわきを通り、花見川サイクリングロード、幕張の浜、マリンスタジアム、海浜大通りを経由し、新習志野まで行ってから、 香澄公園を通って、幕張西あたりの団地を経由して国道14号、マルエツ、アンポンタン(パン屋。おいしい。)に立ち寄ってワイがや通りから津田沼まで戻った。 走行距離は約33.2km。画像は、幕張の浜から見た東京湾。
■基本的に、自転車に乗るのは週末だけだが、毎週のように幕張のあたりとか、海浜大通り、県道15号あたりを走っていて、週ごとに、 自転車走行者が増えているような気がするのだが、気のせいだろうか。特にロードバイクが多い。流行っているような気もする。 ロードバイク乗りは本気度の高い格好をして走っているが、信号無視をする者が少なくない。スピードを落としたくない気持ちはわからなくはないが、 ルールくらい守ればいいのに、と思う。
No.1238 2007-10-20
■午前中、自転車で習志野のハミングロードとマラソン道路をぶらぶら走った。約19.1km。帰り、津田沼のイオンの3階にある自転車売場に立ち寄ってみたら、 意外と、自転車関連のアクセサリやパーツが、まあまあ揃っていた。タワーレコードでひさびさにCDを購入。 ビル・エヴァンスの「INTERPLAY」という、1962年の作品だ。彼の作品は何枚か聴いてるが、ホーンが入っている編成は初めて聴いた。 一曲目聴いて、おっと思ったが、格好いいので問題なし。ビル・エヴァンスという人物を生で見たことはないが、ジャケット写真などからは、理知的な印象を受ける。 でも、彼の美しい楽曲からは時々狂気じみたなにかを感じる瞬間がある。買ったら1100円だった。安くてありがたい。できることなら、音楽くらいは、金を出して聴きたい。 ネットで手に入れた音楽は、結局粗末に扱ってあんまりちゃんと聴かない。
■夜は蘇我へ。Jリーグ一部第29節、千葉対浦和。フクダ電子アリーナ。
■二週間ぶりの試合、7連勝をかけて首位との一戦、ということもあってか、気持ち的にずいぶん入れ込みすぎたせいか、スタジアムに着いたときには、 なんだかぐったり疲れてしまっていた。大量の浦和サポーターの暴力的な声援とブーイングが響き渡る。アジアでの戦いを経験して、より一層自信を深めたのだろう。 試合は2−4での敗戦。浦和は守備の集中力がすごい。
■負けた試合の後、悔しい気持ちよりも怒りの気持ちのほうが強かった。負けた試合のあとで言うのはただの負け惜しみになってしまうので、 できれば言いたくないのだが、さすがに今回ばかりは我慢ならぬ。まずひとつは、勝った試合の後でも毎度ここで言ってきたことだが、レフェリーのことについてである。 ジャッジがへたくそで、ぜんぜんちゃんと見えてなくて、試合のコントロールがだめだ、と、いつも言ってきた。この試合を見て感じたのは、 リーグによるジャッジのコントロールというやつが、残念ながら、あるとしか考えられないということだ。
■私は、川崎フロンターレに、あまりいい感情をいだいてない。というか、そんなまわりくどい言い方より、はっきり言ってしまうと、 私は川崎が嫌いだ。選手も監督もサポーターも嫌いである。ただ、2005年の埼玉スタジアムでの浦和対川崎、関塚監督が試合後の会見で言い放った 「我々を勝たせない何かの力が働いた」という言葉には深く共感できる。どう見てもクリーンな佐原選手の得点をノーゴールにされ、不可解なファールをとられ、 川崎が敗戦を喫したあの試合だ。関塚監督の勇気ある発言だったと思う。やっぱりあるんだろうな、そういうことが、とつくづく思って嫌な気持ちになった。 要するに、時としてリーグが、ある特定のクラブに勝たせようとすることがあるということだ。千葉もその恩恵を受けたこともあるだろう。 心当たりがないわけではない。やたらよくわからないPKを得たり、相手選手があっさり退場処分に合うこともあった。だから、 「リーグによるジャッジのコントロール」が常に千葉にとって不利益ではないのだから、お互い様でいいじゃないか、ということになるかもしれない。 そんなことを色々考えているうちに、ばかばかしくなった。勝敗がそんなことで左右するような試合を、リーグを見ることに果たして意味があるのか。 安くはないシーズンチケットまで買って、一週間に二日しかない貴重な休日のうちの一日を費やして、自分は何をやってるんだろう、と思ったのだ。
■もう一つ書いておきたいのは、トゥーリオと田中達也についてである。水曜日の日本代表戦の召集は怪我のため断っておきながら土曜日のリーグ戦には堂々出場したあげく、 90分間フル出場して元気に走り回っていた(一応説明を書いておくと、トゥーリオは外人だが、日本国籍を取得しているので、日本代表に選ばれている)。 水曜日の試合はだめで土曜日の試合には問題ない、そんな都合のいい怪我ってどんな怪我なんだろうか。 ことによると代表戦が大阪でなく、埼玉か国立あたりでの開催だったら、代表召集に応じていたのだろうか。馬鹿正直に、タイトなスケジュールの中、 オリンピック予選に選手を送り込んだあげく、チームのエースを負傷で失ったのを考えると、これもなんだかもう馬鹿馬鹿しくてどうでもいい気持ちになってくる。
■去年、千葉が、いきなり日本サッカー協会に、大事な監督を奪われたことだとか、もう、時間がちょっと経ってしまったことだが、 先ごろちょっと話題になっていた「ベストメンバー問題」、サッカーに興味のあるかたならご存知のことと思うが、 詳しいことはいろんなところに書いてあると思うのだけど、一応説明すると、川崎が、アジアチャンピオンズリーグとJリーグの試合の過密した日程を考慮した上で、 規定の範囲内でメンバーを入れ替えたことに対して、Jリーグ専務理事の犬飼とかいう馬鹿が言いがかりをつけた件とか (この件に関しては、私は100パーセント、川崎の言い分・判断を支持する)、色々なことがあって、千葉が六連勝している間も、 サッカーに対する気持ちが少しずつ冷めてきているのを感じていた。
■FIFAがアジア市場を重視して、アジアからのワールドカップの出場枠を減らさないのと同じように(個人的には、 レベルから判断して、アジア枠は2から2.5で十分だと思っている)、要するに動員力や経済力がある者が優遇されるのが世の常なのだ。 クラブやサポーターの努力があったからこそ、浦和は今の地位を得たというのは十分わかっているつもりだ。だけど馬鹿馬鹿しいことが多すぎて、 もういいかな、という気分にちょっとずつなっている昨今である。とりあえず来年は、シーズンチケットは買わないでおこうかなとか考えている。
No.1237 2007-10-13
■朝、自転車をかついで、津田沼から電車で千葉へ。ずいぶん涼しくなった。三度目の輪行である。千葉で成田経由の銚子行きに乗り換え。 いつの間にか内房線や外房線、総武本線にもロングシートの電車が走るようになっていた。総武本線や成田線は、景色があんまりおもしろくない。 野原と田んぼ。途中、部活らしい中学生か高校生のグループが乗ってくるが、朝の下り列車は概ね空いていた。8時少し過ぎに香取駅に到着。 香取駅はどんな駅かなと思っていたが、工事中で、建物もなにもなかった。
■駅の前で袋から自転車を出し、畳んであるのを戻して出発。駅から南の方角へ向けて走る。のどかな住宅地を抜けて、少し上り坂があって、 登って下りるとまもなく香取神宮である。観光客用の大きな駐車場があり、自家用車が数台停まっていた。参道の両脇には土産物屋や飲食店が並んでいる。 まだ8時台なのに、すでに営業している店が多い。参道のいちばん境内に近いところにある、漬物など売っている店の前に猫がたたずんでいて、 目が合うと寄ってきた。茶と白の猫で、目が青くて、ころんとしているが、なでるとごつごつしてて強そうだ。ごろんと横になって腹を見せてくれた。 しばらくなでたりしてから、鳥居の方へ歩いた。鳥居の手前に「一九七0年日航よど号乗っ取り事件で乗客百余名の人命を救った身代り新治郎」 という胸像が二体立っていた。
香取神宮
■鳥居をくぐって中に入ると、参道がぐるっとカーブしていた。出雲大社なんかは、もうほんとに、本殿までひたすらまっすぐだが、 そういう形と比べるとちょっと独特である。途中、わき道があって、石段をのぼると、さっき通った、猫がいたあたりの土産物店などを見下ろせる場所に出た。 小さな護国神社があり、男性が一人、姿勢を正して参拝していた。その奥には「要石」があった。鹿島神宮に行ったときも、要石というのがあった。 どうもそれと一対のセットになっているようで、地中の巨大なナマズを、香取と鹿島の要石で押さえつけている、みたいな話。石自体は、柵に囲まれていて、 地上にはちょっと顔を出しているだけだが、昔、この石を掘り出そうとして、掘っても掘っても、掘り出せなかったらしい。本殿の前には赤い山門。 山門の前には幅の広い石段があり、石段の前には砂利が敷き詰められている。池があって、大きな鯉が泳いでいた。石段を上がると、掃除している職員の人がいた。 神官や神職の格好をした人たちが何人か歩いていて、みな挨拶をしてくれる。本殿は黒い木材が多く使われ、装飾的な形の茅葺の屋根が印象的だ。 現在の社殿は、江戸時代、元禄13年に造営されたものだそうだが、細部まで非常に技巧をこらした建物となっており、巨大さはないが、どことなく力強さを感じる。 朝だからかもしれないが、参拝客も少なく、ゆっくり見て歩くことができた。樹木が鬱蒼と繁っていて、その部分は鹿島神宮とよく似ているが、 杉などの比較的まっすぐな木や竹が多いように感じた。樹齢数百年クラスと思われるものすごい太さの木があちこちにあり、高さもすごかった。
■自転車を置いたところまで戻るのに歩いてたとき、声をかけられて、だんご100円、と言われて、つい一本買って食べてしまった。 みたらし団子が、やわらかくてあったかくておいしかった。自転車で西へ向かう。駅でいうと、香取のひとつとなり、佐原のあたりへ向かった。 佐原は以前一度訪れたことがあって、そのときは伊能忠敬記念館に行き、なかなかおもしろかった。川沿いに江戸期の古い町並みが残っていて、 川の両脇は柳の並木になっている。年齢層の高いグループがたくさんいて、観光していた。川では小さな舟がゆっくり遊覧していて、それなりに客が乗っていた。 ちょうど何かの祭りをやっているようで、はっぴ姿の若者も大勢いる。佐原にもこんなに若者がいたのか、と思った。出店もたくさん出ていて、 でもフライドポテト500円は高いんじゃないか。小学生くらいのとき、毎年、函館の亀田八幡宮の祭りに行ってたが、毎年、 焼き鳥の値段が10円ずつ上がっていって、最初50円だったのが、60円、70円、となっていって残念に思ったことをふと思い出した。
■佐原は、駅の前の大きなスーパーが廃墟のようになっていて、他にも駅前にある店はさびたシャッターが閉まっていて、やっぱりどこも地方の駅前はきびしいのだな、 などと思いながら北に向かうと、道幅の広い国道356号線に出た。国道沿いには大型の紳士服店や書店、ファーストフード店やファミリーレストランなどが立ち並び、 見た目にもにぎやかで、交通量も多い。地方では鉄道の役割がもう時代遅れのものとなってしまったことを、日本のどこへ行っても感じて、 少しさびしいような気がする。駅前と国道沿いの対照的な様子は、今の日本の象徴みたいに思えた。
■そして利根川までやってきた。広い川である。水郷大橋で川を渡る。利根川の真ん中が県境で、茨城県稲敷市に入った。自転車で走るのは、 千葉県、東京都、山梨県についで茨城が4番目となった。川を渡って、ここで右に曲がったら、鹿島でナビスコカップの準決勝の試合見れるなあ、 とか思いながらも、左へ。利根川の堤防沿い、県道11号線に沿って堤防上にサイクリングロードが整備されていて、とても快適に走ることができる。 川と広い河川敷を左手に見ながら西へ西へと走った。サイクリングロードを走り始めてまもなく、茨城県からまた千葉県に一瞬入るところがあって、 地名で言うと「香取市石納(こくのう)」とか「香取市野間谷原(のまやはら)」というあたりの三角形のエリアだが、 ここだけ川を挟んで千葉県が茨城県側まで入り込んでいて、どうしてかと思った。昔の川の形の名残なのか、なにか理由があるのだろうか。 またすぐ茨城県に入り、堤防沿いに、大きな屋敷がいくつもある。立派な和風の家で、背後には広大な水田が広がっている。昔からの豪農の家なのかな、 と思った。「海から42.5km」とか書いてある標識がだいたい500メートルごとに設置されている。ほとんど人とすれちがうこともなかった。 先に書いた「石納」だとか「八千石」、「手賀組新田」、「佐原組新田」といった、いかにも水田地帯といった地名が見られ、 利根川がうねってカーブするあたりの土地は「曲渕」という地名だったりして、よくわからないが、なんかちゃんとしてるなあという印象。
水神社と飛行機
■神崎大橋を渡り、再び千葉県側に戻った。今度は千葉県側の利根川沿いを走る。国道356号線と利根川の間の堤防上に、 やはりサイクリングロードが整備されており、そこを走った。ほどなくして成田市に入る。今度は川を右手に見ながら走るが、 河川敷では草刈作業が大々的に行われていて、草のにおいがすごくする。滑川駅のあたりだっただろうか、成田線を走る特急列車が見えた。 「水神社」というシンプルな名前のこぢんまりとした神社があり、場所的におそらく、利根川の氾濫だとか、そういったことと関係あるのかな、 と思った。国道356号線と408号線が交差するあたりに、紀文や日本食研、よつば乳業など、工場が固まって建っているところがあった。 「スーパー堤防発祥の地」という碑が立っていた。スーパー堤防ってなんだ。よくわからないがスーパーな堤防がこのへんで発祥したのだと思う。 なにか説明書きのようなものがあった気がするが、めんどうなので読まなかった。「水と緑の運動広場」を過ぎ、利根川から徐々に離れて、 南の方向へ。いつの間にか印旛郡栄町に入っていた。道幅が狭くなり、どことなく、昔の街道沿いのような町の中に入ってゆく。 利根川の支流のような小さな川を渡り、成田線の踏み切りを越えると「安食卜杭(あじきぼっくい)」という妙な地名表示が見える。 県道12号線に入り、ぐねぐねした道をゆくと「酒直卜杭(さかなおぼっくい)」もあった。水田が広がり、時々、釣堀みたいな池があって、 お金を払ってへらぶななどを釣るようである。
印旛沼のサイクリングロード
■県道12号線をしばらく走り、国道464号線とのT字の交差点から東へ向かうと、印旛沼に出た。印旛沼に沿ってサイクリングロードがあり、 きれいに整備されていてとても走りやすい。途中、ものすごく山深いような景色になって、びっくりした。 印旛郡印旛村から佐倉市に入るちょっと前に公園があり、ナウマン象の大きな像が二体建っていて、説明を読むと、どうやらこのあたりで、 化石が出たらしい。説明板に「(ナウマン象は)水を飲みに沼に近寄り、泥土にはまった」とか、そんな悲しい話が書いてあった。 サイクリングロードは、小高い丘を避けるようにコの字のようなルートになっていて、コの字が終わるところに飯野竜神橋という橋があって、 とつぜん大きな風車が現れる。「オランダ風車」だそうだ。このあたり一帯は「ふるさと広場」となっていて、 ハイキングの人やサイクリングの人の休憩地点になっているようだ。トイレや売店もある。自転車乗りがけっこういて、 サングラスしてヘルメットかぶり、ぴちぴちのやつを着て、気合入った格好をしている。高そうな自転車が並んでいて、引っ掛けて倒したらたいへんだ、 とか思った。ちょうどこのあたり、京成線に乗っていると見えたあたりで、風車あって広場で、水辺があってなんかいいな、と思った場所だが、 実際行ってみたらべつにどうということはなかった。上の画像は、印旛沼とサイクリングロード。
■このあたりずっと「八千代印旛栄自転車道」という名前になっているようで、どこが境目かよくわからないが、途中から 「新川遊歩道」という名前に変わる。新川は、一度北西方向に流れて、ぐるっと南に向かうので、遊歩道もそれにそって、ぐるっと蛇行する。 八千代市に入り、国道16号線沿いにある道の駅「やちよふるさとステーション」というやつがあって、遊歩道からも入れるようになっているが、 立ち寄らなかった。ほぼ真南へ向かって走る。このあたり、オランダ風車のところでレンタサイクルをやってるせいもあってか、 自転車で走っている人が多く、家族連れなんかもいる。犬の散歩をしている者も多いので、注意が必要だ。千葉市花見川区に入り、弁天橋を過ぎると、 しばらく未舗装の砂利道が続き、自転車のスピードが落ちる。多少転圧をかけているようで、普通の砂利道よりは幾分走りやすいが、 舗装路とくらべると、腕に振動がけっこうくるし、ちょっと疲れる。森の中なので、歩くにはいいかもしれぬ。このあたりは既に「花見川サイクリングコース」 となっていて、東京湾まで続くコースである。以前少し、走ったことがあった。かなり通行する人の数が増えてくる。京葉道路の下をくぐり、 総武線の線路をくぐり、新幕張橋から国道14号線に入って幕張インターチェンジのあたりを通り、袖ヶ浦団地、ワイがや通りを経由して、津田沼着。
■途中、疲れたら自転車畳んで電車で帰ろうと思っていたが、どうにか津田沼まで帰ってきた。つかれた。走行距離を見たら103.8kmで、 初めて100km走った。今まで一日で最高が55kmぐらいだったと思うので、いきなりその倍近くである。折りたたみでも100kmならいけるとわかった。 上り坂があんまりなかったからいけたのかもしれぬ。
No.1236 2007-10-06
信玄公像
■朝、自転車で船橋まで行って、千葉発の船橋に停まる特急に乗った。三連休のためか、臨時の増発列車だった。あずさ73号である。 自転車を折りたたんで袋に入れ、特急に乗車。津田沼駅のみどりの窓口で、車両のいちばん後ろの座席をとってもらった。 座席の背もたれと壁の間に自転車を置くとじゃまにならないので、いい。朝7時前だからか、自分の乗った10号車には他に一人しか乗ってなかった。 総武線、中央線を通り、秋葉原を通過して新宿までゆっくり走る。途中、錦糸町に停車。新宿駅から大量に客が乗ってきて、一気に満員になった。 山登りに行くと思われる格好をした中高年夫婦やグループが多く、リュック率・トレッキングシューズ率が高い。 網棚に載せているリュックのストラップの端が何本も垂れて下がっている。立川、八王子、大月などに停車しながらだんだん山深い景色になっていくが、 トンネルが多いのであんまりおもしろくない。塩山あたりから、左手に甲府盆地の景色が見渡せるので、いい。9時頃に甲府駅着。
■南口に出て、自転車をセットした。自転車で山梨県上陸である。駅のすぐ前には大きな武田信玄の像があった(上の画像)。駅ビル「エクラン」、山交百貨店があり、 駅から南に向かって伸びる「平和通り」という大通りに沿って山梨県庁や県警、甲府市役所、裁判所などがあり、コンパクトにまとまった街という印象。 甲府では、北口の武田神社は以前行ったし、甲府城跡のある舞鶴城公園や武田信玄にゆかりのあるいくつかの寺社、湯村温泉などもあるが特に行かなかった。 今回はこれといった観光はしないで、甲府駅からまっすぐ西へ向かい、荒川という川の河川敷にあるサイクリングロードへ向かった。
■甲府市内を南北に流れる荒川の両岸にはテニスコートやゲートボール場など、いろいろなレクリエーション施設や遊歩道が整備され、 ところどころベンチやあずまやなどが設置されていて、ちょっとした公園が連続してあるような河川敷の中に、舗装されたサイクリングロードもある。 まずは、川の上流である北に向かって走ってみた。中央本線の線路をくぐる。東西南北、どっちを向いても高い山がそびえていて、山の中なので、 甲府市内も上り坂下り坂がたくさんあるのだろうか、と思っていたが、ぜんぜん無かった。いたって平坦で、盆地というだけある。 ときどきジョギングしている者やウォーキングをしている者がいたが、総じてあまり人はいない。湿度もなく、 強すぎない日差しがここちよい気候の朝である。しばらく走ってるうちに、サイクリングロードが途切れてしまったので、一度河川敷から一般道に上がって、 橋を渡り、反対岸へ出て、そこから再びサイクリングロードに入った。今度は下流の南へ向かって走った。また中央本線の線路をくぐり、いくつかの橋の下をくぐる。 身延線の線路の下もくぐって、少し行ったあたりで、川から離れて駅のほうへ戻った。
■昼が近くなったので、食事をとろうと思い、せっかくなので、このあたりの名物である「ほうとう」を食べようかと思い、駅近くの、 大通りから少し入ったところを通りかかったときに見つけた店に入った。ちょうど開店時間だったようで、後から次々とお客さんが入ってきて、 どこのテーブルも、見知らぬ者どうし相席になった。ほうとうは頼んでから時間がかかるということと、煮込んだかぼちゃをあんまり食べたくないので、 ほうとうを頼むのはやめて、「おざら」というのを頼んだ。ほうとうに入れるきしめんみたいな太い麺を冷やして、あったかいつゆにつけて食べるもので、 この店が発祥だそうだ。ほうとうは味噌で煮込むが、おざらは、しょうゆベースのつゆで、刻んだねぎやにんじん、あぶらあげなどが入ってて、おいしい。 ふと気づくと、黄色い格好をした者たちが数人店内にいた。ジェフ千葉のサポーター達である。私も、見知らぬサポーターと相席になった。
■県庁の建物の前を通った。小さいが、昔の洋風の建物である。平和通りを南へ行き、再び荒川のサイクリングロードへ。大きな山並みの向こうに、 富士山が見える。2000メートル級の山のさらに上に顔を出している富士山は、ほんとうに高い。南へ行くにしたがって、住宅地も途切れてくる。 荒川と並行して片側二車線の国道358号線があるが、それほど交通量は多くなかった。さらに南へ向かって走ると、荒川と笛吹川が合流する地点になり、 幾筋もの流れの上に橋が架かっている。穏池橋と下曽根橋の間から、笛吹川のサイクリングロードに入れるようになっていて、今度はそこを北東に向かって走った。 荒川よりさらに人の気配がない。一部、雑草がかなりのびていてあまり手入れされていないように見える区間があったり、未舗装の部分があったりするが、 概ねちゃんと整備されている。人があまり利用しないからなのかなんなのかわからないが、虫、とくにバッタがたくさんいて、走っているとあわてて飛んで逃げていく。 ときどきにぶいやつがいて、轢いてしまいそうになる。トンボもたくさん飛んでいた。あと、よくわからないが、繁みからとつぜん茶色くてにわとりくらいの大きさの鳥が走り出てきて、 出てきたと思ったら、すごい勢いでまた繁みに走って入っていった。なんだろうあれは。川の向こうに、大きな照明が何本か立っているのが見えて、あれが小瀬の競技場かな、と思い、 川から離れてそちらに向かってみた。
■小瀬スポーツ公園は、陸上競技場やプール、野球場、武道館など、さまざまなスポーツ施設が一箇所に集まっていて、広大な駐車場もある。 近くのコンビニエンスストアで飲み物などを買い、スポーツ公園の周囲をぐるっとまわってみた。まだかなり時間があったが、自転車を駐輪場に停めて、陸上競技場へ。
小瀬スポーツ公園陸上競技場
■Jリーグ一部第28節、甲府対千葉。小瀬スポーツ公園陸上競技場。
■美しい山並みがこんなに間近に見られるスタジアムを私は他に知らない。松本アルウィンもきれいな山並みが見えるが、小瀬のほうがより近くに見える。 そして予想以上に黄色い格好のジェフサポーターがたくさん来ていたので驚いた。私が初めてジェフのアウェイ戦に行ったのは、2003年11月、 調布、雨の味の素スタジアムでのヴェルディ戦だった。たしかサンドロと村井の得点で、0−2で勝った試合でだった。入場者に、 フライパンですぐ作れるパスタなど配ってたのをもらった記憶がある。あのとき、味の素スタジアムの一画に、こじんまりと固まって応援していたジェフのサポーター達を思い出し、 その頃とくらべると、アウェイまででも行って応援する、という者が本当に増えた。去年の豊田スタジアムとか、先日の新潟、駒場での大宮戦などでも、たくさん来てた。
■甲府がせまいエリアで短いパスを数多くつないで局面を打開していくのに比べて、千葉はサイドチェンジやロングボールでピッチを広く使って攻撃してゆく。 甲府のサッカーはおもしろい。そしてあのスタイルこそ、日本のサッカーが目指すべき方向だと感じる。千葉は試合終了間際のロスタイム、 レイナウドからのスルーパスを受けた佐藤勇人があげた短くてふわっとしたクロスボールを、ニアで青木が合わせて、体で押し込んだ。0−1で千葉が勝利。
■甲府のホームスタジアムである小瀬スポーツ公園陸上競技場は、すこしだけ、市原臨海に似ていた。臨海よりずっと立派だが。
■帰りは、暗くなった道を駅まで走った。自転車があると、駅から遠いスタジアムへ行くのにとても便利だと思った。ずいぶん早めに駅についてしまったので、 ぶらぶら時間をつぶして、改札に入り、ホームまでいくと、スーツを着た集団がいて、よく見たら、ジェフの選手達だった。水本、水野、巻、工藤、中島、下村、ジョルジェビッチ、 立石、新居、佐藤勇人、レイナウド、山岸、斎藤、楽山、伊藤ら選手達、間瀬コーチ、通訳さんなど、みんないた。やはりみな、間近で見ると体が大きい。そして、 佐藤勇人や下村など、スーツを着ている姿は、なんだかホストみたいというか、駅前にいる妙なスカウト達のようである。ジェフのサポーター達に囲まれて、騒然としていた。 水野など、さかんに写真撮影やサインを求められ、疲れていると思うのだが、しっかり対応していてえらいなと思った。携帯電話のカメラで遠巻きに撮影している者も多かった。 選手達は、千葉までまっすぐ行く特急あずさのグリーン車に乗り込んで、帰っていった。私はその一本あとの新宿行きの特急かいじに乗って、三鷹で下車し、 三鷹始発の津田沼行きの総武線各停電車に乗り換えて、津田沼まで帰った。走行距離は約54.6km。列車の中から見た甲府盆地の夜景がきれいだった。
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