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No.1327 2008-9-27
茜浜の猫
■ようやく涼しくなってきた。涼しくなったらこっちのものである。で、涼しいので自転車でまろにえ通り経由、茜浜緑地、県道15号線でマリンスタジアム経由、 幕張ベイタウンのヴィレッジヴァンガードまで行って、帰ってきた。時々雲の合間から日が出ると、まだ日差しに暑さを感じるが、風は乾いていてきもちいい。 茜浜緑地では堤防の上を歩いている猫を三匹見た。マリンスタジアムではちょうどプロ野球の試合をやっているみたいだった。そして幕張のヴィレッジヴァンガードはせまい。 夏とちがって空気が乾いているので、ビル街やマンション街の景色がかすんでなくて、くっきり見える。上の画像は茜浜の堤防の上にいた猫。

■めっきりスタジアムでのサッカー観戦からは遠ざかっているが、テレビでの中継があればちょくちょく見ているし、試合の後すぐにネット上に試合のダイジェストなんかをアップロードしてくれる人がいるので、 そういうのは見ている。上の画像は、もしも今年ジェフ千葉が降格をまぬがれたとしたら、この場面が今シーズンのハイライトになるんじゃないか、というシーン。 9月23日の首位名古屋との試合、深井が「残留」の大きな二文字に向かって、逆転のゴールを決める場面。Youtubeから。
■うちの近くの、JRの線路沿いに、いつのまにか新しく「Football+食堂 Nico」というお店ができていた。営業しているのかどうかいまいちわからないが、 開店祝いの花が店の前に飾られていて、花の贈り主は清水エスパルスの確か原一樹、尾辻、山本の三選手だった。気になる。
No.1326 2008-9-21
■くるりのベスト盤を聞いた。いつころリリースされたのかはちょっとわからないが、わりと最近ではないか。二枚組みである。 かつて私は、ポリシックスが好きで、ナンバーガールが好きで、くるりが好きで、ボノボも好きだった。いまではどれもほとんど聞くことがないが、 今回改めてくるりの作品を聞いて、岸田繁はこういうことを言いたかったのか、と、昔聞いてたころよりもいくらか、わかる気がした。 あのころはわかっていなかった。丁寧に作られた繊細ないい曲がたくさんあって、泣ける。αステーションという京都のFM局がある。 学生のとき、そのFM局でくるりの「虹」がパワープレイされていた。「虹」を聞くと、あのとき住んでいたアパートの狭くて暑い部屋の様子を思い出す。 ベスト盤には「マーチ」や「グッドモーニング」も入れてほしかったなと思うが、彼ららしい、いい選曲だとも思った。
No.1325 2008-9-07
小浜(1)
■小浜の町。

小浜(2)
■小浜三丁町。

美濃赤坂駅
■東海道本線美濃赤坂支線、美濃赤坂駅。

■カッターの刃をばりばり噛み砕いて食べる夢を見ながら目が覚めた。天気予報をチェックすると、雨の確率がずいぶん低くなっていて、安心した。 窓の外を見ると、雲ってどんよりしている。チェックアウトして若狭高浜駅へ。交通量の多い県道236号線を渡るとすぐ駅前で、ロータリーがある。 駅舎は真新しいガラス張りの現代的な建物で、二階建てで大きい。「まちの駅 ぷらっとHome高浜」と書かれている。なにかの施設と併設になっている駅で、 最近は地方へ行くと結構こういうのが多い。コミュニティセンターみたいなのとか、障害者が働くための喫茶店とか、そういったものと駅が一つの建物に入っていることがある。 紀勢本線の周参見駅だったか、駅の中でイカとかよくわからない大きくて奇妙な魚を飼っている水槽があったりした。 無人になって荒れ果てていく駅が多いなか、人が集まって、駅がきれいに管理されてるというのはいいことなのかもしれぬ。 出入口は自動ドアで、待合室の壁には薄型のテレビまである。窓口には人がいて、切符を売っている。 前夜乗ったのと同じタイプの車両が来て、前夜乗ったのと同じ位置の座席に座ったら、前夜見たのと同じ、窓のブラインドのレールの溝に同じゴミが詰まっていた。 前夜乗ったのと同じ列車だったみたいである。
■海沿いに出ると小浜市に入る。急に空が暗くなり、黒い雲がたちこめるとまもなく、窓ガラスに雨の筋がつき始め、アスファルトもあっという間に濡れて黒くなったが、 少しすると空が明るくなり、雨はあがった。小浜駅で下車。駅には売店も待合室もある。駅前にある観光案内所では、レンタサイクルもやっているようで、利用できるのは朝9時からなので、早い時間に着いた自分は利用できなかったが、 自転車でめぐるのもいいかもしれぬ。時代に取り残されたような駅前の風景である。駅舎の出入り口はほぼ真北を向いており、ロータリーがあって、 北へ向かって国道162号線が伸びている。古くて低い雑居ビルが少しあり、北西の方向に向かって「はまかぜ通り」という、歩道にアーケードのある商店街がのびている。 「ビューティサロン テキパキ」という美容室があった。おそらくてきぱきとやってくれるのではないか。他には「RENTAL BOOKS NISHIMURA」もあるし、 「武田呉服店」もある。家電店の壁には「取り揃へてあります」と赤い字で書かれていた。まだ朝なので、どの店もシャッターが閉まっているが、昼になっても閉まったままなのかもしれぬ。道なりに歩いてゆくと交差点になり、 「つばき回廊」という、どうとらえてよいのかわからない名前の大型の商業施設のように見える建物がある。昔のデパートのような外観で、 見上げると道路をまたぐようにして渡り廊下が建物の三階か四階部をつないでいる。直進すると福井の県道15号線、左折すると県道14号線で、右折すると屋根のある商店街が続いているのが見える。 「いずみ町商店街」と書いてある。左に曲がって県道14号線に入ると、ぽつぽつと、古めかしい建物が現れ始める。呉服店や写真館、もっと進むと、めのうのお店がある。 めのうの石を売っているのだと思うが、めのうの専門店というのは初めて見た。このへんで採れるのだろうか。そういえば同じ日本海側にある新潟の糸魚川は、駅前にヒスイの展示施設のようなのがあった。
■めのうのお店の角を曲がるとりっぱな八幡神社があり、木でできた鳥居があって、境内には能舞台まである。能舞台の上にはアルミ製の脚立とほうれんそうと書いてあるダンボールが置いてあった。 地図を見た感じや、町を歩いてみた感じから、おそらく小浜の中心はこの八幡神社があるあたりだったのだと思う。寺院が小高い山の麓にいくつも並んでいて、 細い道に沿って古い木造家屋が建ち並んでいる。寺と山の間に小浜線の線路が通っている。八幡神社のすぐそばには小浜小学校があって、津田沼小学校とそっくりな、円形の校舎があった。 円形の校舎は、一時期流行って日本中あちこちに建てられたと聞くが、いま残っているのは数例しかなくて、それがたまたま私が住んでいる津田沼と、この福井の小浜にもあった。 小浜小学校の裏手にある空印寺というのがあって、そこの門の前に「八百比丘尼 入定地岩窟」というのがあって、看板も出ている。洞窟の入口みたいなのが確かにあるのだけど、 まだ朝だったからか、木の門が閉じられていて、近くまで行けなかった。「比丘尼」は「びくに」と読むのだそうだ。人魚の肉を食べた姫が、7世紀から15世紀まで老いることなく生きたのだそうだ。 どうやらそれが「八百比丘尼」ということらしい。そんなに生きたくないよ。 地図を見ると、町のなかの字名が「小浜鹿島」とか「小浜貴船」「小浜香取」「小浜男山」「小浜浅間」「小浜白鬚」「小浜住吉」などなどといった具合に、 日本の有名な神社の名前の頭に「小浜」とつけている。こういう地名にしたのは最近のことではないと思うが、現代の人間が、町の中心部に「銀座」とか「大手町」とか名づける感じに少し似ているのかもしれぬ。 城もないのに「大手町」とか名づける感覚が私にはわからん。それはそれとして、小浜のなかでも特に古い町並みが残っているエリアがあって、字名でいうと「小浜香取」というあたりになるだろうか、 「三丁町」という町の一角である。観光地という感じはそれほどしないが、一応案内の看板なども出ている。古い家屋には人がちゃんと住んでいて、店で商売もしているようだった。 犬が一匹、家の戸の間から首を出してこっちを見ていた。いくつかの家の玄関先には「町並み相談員」と書かれた木の札が掛けられていた。
■歩いていると、飛鳥寺と常福寺という二つの時宗の寺があった。時宗というと一遍上人の踊念仏である。昔、社会の授業で習った。臨済宗とか曹洞宗とか、 あと浄土真宗とかいろいろあると思う。葬式のときに、うちは浄土宗だったのか、とかわかる。で、時宗というのはもういまは残ってないと勝手に思っていた。 調べたらまだちゃんとあって、鎌倉あたりに総元締めみたいな寺があるそうだ。ばあさん達が集団で空き地の草むしりをやったり、男達が集まって寺の壁かなにかの修繕作業をやっている。 子供が親に頼まれたのか、重そうなダンボールをかついで運んでいて、通りがかった近所のおっさんがその子供に向かって「おりこうさんやなあ」とか言う。 カブに乗ったおっさん同士がすれ違うと停まって、なにか話をしている。そんなちょっとした場面を見ただけだが、小浜のこの辺りには、しっかりしたコミュニティというのか、 地域の強い結びつきのようなものがあるのかなと思った。おそらくずっと遠い昔の日本は、どこでも当たり前にあったことなのだろうと思う。先日長野の豊科に行ったとき、 たまたま町の祭で、そのときの町ゆく者たちにも、なにかその土地に生まれた者同士の強い結びつきのようなものを感じた。それがいいことなのかどうなのかわからないが、 少なくとも今の、拝金主義が蔓延する、人を大事にしない世の中よりはちょっといい社会なんじゃないかとも思う。三丁町からすぐのところに、小浜海浜小公園というのがあって、 日本海に面して白鳥海岸となっている。どこかから白い砂を運んできて砂浜を造ったらしい。すぐ脇には小さな漁港もある。かつてはこのあたりも、日本海側を結ぶ海運ルートの寄港地の一つだったのかもしれぬ。 作られた岩場の上では男女が魚釣りをしていた。
■古い建物がまとまって、連なって残っているということは貴重で、すごいことなんだな、と、小浜の町を歩いて思った。日本が外国から観光客を呼ぶんだったら、なにか作るより、 こういう古い町を残して、必要があれば補修なり整備なりするのがいちばん効果あるような気がする。駅まで戻るころには、雨で濡れた路面もすっかり乾いていた。 小浜駅から敦賀行きの列車に乗車。朝乗ったときより混んでるかな、と思ってたら、空いていた。
■東美浜駅停車中、線路わきの田んぼを見ると、蛇が一匹うねうね動いていた。蛇なんて見るのはひさしぶりである。 ずっと前、まだ学生だったころ、東尋坊を見にいったとき、崖の上の松並木のある遊歩道を歩いてたら、足元に蛇がいてびっくりしたことがあった。 そういえば東尋坊も福井か。あれは98年のフランスワールドカップ、日本対クロアチアの試合の日だった。もう10年前か。あのころは日本代表の試合で熱くなれた。 あと、小浜線沿いの地域は、原子力発電所の受け入れにより、財政的に豊かだと聞いたことがあるが、無人駅のわりには立派な駅が多かったり、 道路が立派だったりするのを見ると、やっぱりそうなのかな、と思う。 小浜線の終点、敦賀駅で下車し、富山を朝出て名古屋まで行く特急列車しらさぎに、北陸本線の敦賀から米原までの区間だけ乗車。短い乗り換え時間だったが、 駅の窓口まで行って乗車券と自由席特急券を購入。敦賀駅には以前何度か、小樽行きのフェリーに乗ったりするのに利用したことがあったが、 駅に降り立つのはずいぶんひさしぶりのことだった。駅の中の様子など、記憶に残っているものはなかったが、大きな赤い文字の「ジャクエツ」という看板はなんとうなく覚えていた。 敦賀を出てしばらくすると、トンネルをくぐりながら山をぐるっと回って下りてゆくループ線に入る。窓から見下ろすと、これから走る線路が下のほうに見えたりする。 余呉湖が見え、徐々に住宅地が増えてゆく。長浜あたりも以前にくらべてずいぶん宅地化が進んだようである。
■米原で降り、大垣行きの普通列車に乗り継ぐ。ちょっと時間あるから駅の売店でも見てこようか、あわよくば立ち食いそばでも、なんて思っていたが、 すでに、大垣行きの列車の入線を待つ者らが並びはじめており、それにつられて自分も並ぶことにした。 東海道線の普通列車乗り継ぎのなかでも、この米原での乗り換えというのはひとつの重要局面で、ホームはなんだか殺気立っている。 というのも、滋賀から岐阜へ、県をまたいで走るいわゆる関ヶ原越えのこの区間は、本数も少なく、列車も短い編成なので、ここで座れるかどうかで、 ずいぶん疲労度がちがうのだった。18きっぷの使用期間はとくに混雑するんである。大垣行きの列車は、背もたれをばたんと動かせるタイプのやつで、あっさり窓側に座れた。 京都方面からの列車が向かいのホームに到着し、その列車から降りてこちらのホームめがけて大勢走ってるのが見える。 でもその列車が来る前にほとんど席は埋まってたので、走ってもあんまり意味なかった。この区間を普通列車に乗るのはとても久しぶりで、 乗り換えでの殺伐とした雰囲気とか、頂上が雲でかくれている伊吹山とか、関ヶ原駅に立っている、関ヶ原の合戦に参加した大名の一覧とか見ているうちに大垣駅に到着。
■18きっぷシーズンの東海道線の最大の見所といってもいいのではないかと思うのが、この大垣での乗り換え、通称「大垣ダッシュ」である。 名古屋方面への上り列車に乗り継ぐのは、本数もけっこう多いし、車両も長い編成なのでそんなにおおごとにはならないが、逆に名古屋方面から米原へ行く下り列車に乗り換えるときに起こる 「大垣ダッシュ」は、少ない座席を賭けた壮絶なもので、老若男女がホームを走る。勢い余ってペットボトルとか時刻表とかを落っことして、脱落していくやつもいる。 昔は自分もあれに参加していたが、いまではこの区間を列車で通るときはだいたい新幹線だ。今回の乗り換えは上りだったので、 そんなに激しいダッシュは見られなかったが、それでもみな急ぎ足で階段やエスカレータに殺到する様など、なかなかのものであった。 機会があれば下りの大垣ダッシュの様子を撮影したい。で、自分は名古屋方面行きの列車には乗り継がず、大垣から出ている短い支線に乗車。 大垣から美濃赤坂までのほんの5キロほどの支線で、途中には荒尾という駅がひとつあるだけの線だが、これも東海道本線の一部ということになっている。 この区間に乗るのは初めてである。大垣駅の端っこに、美濃赤坂行きの3番ホームがあり、名古屋方面行きや米原方面行きのホームの賑わいとは対照的に、 人もまばらである。列車は名古屋方面行きなんかと同じような新しい車両で、二両しかないが、がらがらだった。5キロくらいなので、ぼんやりしているとすぐに終点の美濃赤坂駅に到着。 無人駅で、駅舎は木造で相当古いもののように見えたが、きれいに使われているようだ。地図で見ると、美濃赤坂駅の先に石灰石の工場があるようで、 大垣から美濃赤坂間はおそらくその工場のための路線だったのだと思う。いまでも美濃赤坂駅構内には、乗客用のホームとは別のところにある、屋根がある広いホームのような場所に、袋詰めされた石灰がびっしり積まれている。沿線の宅地化が進んで、 旅客の扱いを始めたのかも知れぬ。4分後すぐに同じ列車で折り返す。もっとゆっくり時間があればよかったが、この次の列車は二時間半後なので止むを得なかった。 駅前には自転車がたくさん停められていたので、利用者は多いようである。車両基地のような場所をかすめながら、すぐに大垣に到着。 ホームからは大きなショッピングセンターが見えた。以前はなかったと思う。学生のころ、この大垣駅で下車して大垣城など見にいったことがある。小さな城で、 中は郷土資料館みたいになっていたように記憶している。豊橋行きの快速列車に乗車。木曽川などの大きな川を何本か渡り、30分ほどで名古屋駅に到着。
■名古屋からは「ぷらっとこだまエコノミープラン」でこだまに乗車。名古屋駅で売ってる駅弁の中では、名古屋コーチン系のがだいたいハズレなしでおいしい。 いままで3、4種食べたことがあるが、どれもおいしかった。今回もコーチンの弁当「名古屋コーイン鳥めし」というやつを買った。 弁当を買ってから、ホームにあるきしめんの店に気づいた。きしめんも食べたくなり、一瞬、食券の自動販売機の前で財布に手が伸びたが、 ぐっとこらえて、車内で弁当を食べた。味つきごはんの上に鳥と煮物と山菜がのっていて、おいしかった。車内誌みたいなのがあったので読んでみたら、 赤瀬川原平さんの文章が載っていた。小さな美術館を紹介する連載のようで、川合玉堂という人の作品を集めた美術館のことが書いてあった。 名古屋駅では日差しが暑いくらい晴れてたのに、いつのまにか空が暗くなり、新横浜を過ぎて、もう少しで品川、というあたりで激しい雷が鳴り始めた。 普通、雷は、ぴかっと光ってから数秒してどーんと音が聞こえてくる。今回は、ぴかっと光った直後にどかーんとすごい音がした。近いところに落ちたのかもしれぬ。 列車が止まってしまうのではないかと危惧するほどのものすごい大雨。それでもどうにか時間通りに品川到着。 キオスクのおばちゃんが、ひゃーすごい雨だ、とか言っていた。品川から快速で津田沼へ。日曜も仕事のサラリーマン4人組がいた。 誰々の加齢臭がきついとか、あいつのため息がくさいとか、くだらなすぎる話をしていた。
No.1324 2008-9-06
竹田城(1)
■竹田城址内。

竹田城(2)
■石垣の上から竹田の町並みを見下ろす。左端に竹田駅が見える。

竹田城(3)
■竹田城から山あいの水田を見下ろす。

竹田城(4)
■天守跡から。

竹田駅
■播但線竹田駅。背後に見える山の頂上に竹田城がある。

■夜明けがずいぶん遅くなった。快速で品川、京急に乗り換えて羽田へ。早起きの人間達がいっぱいいる。朝一番の飛行機で神戸空港へ。 満席ではない便に乗るのはひさびさな気がする。周りを見るとぽつぽつ空席があった。関東はどんよりした天気で、予報では関西もいまいちよくない天気だということだったが、 滋賀の上空では琵琶湖が見えた。山の間の谷にはきっちり水田があって、斜面には等高線の形にそって棚田が作られている。そんな景色を見ると、日本人は古来から几帳面だったのだと思う。 どういうわけかわからないが、定刻よりずいぶん早く着陸した。神戸空港はわりと新しくできた空港だと思うが、滑走路から見る限りでは、つまらない建物だと思った。中に入るとなかなかいい空間だった。
■ポートライナーで三ノ宮へ。学生の頃、これに乗ったことがあった気がするが、なにも思い出せなかった。去年の11月、今治から乗ったフェリーが着岸したのは、となりの六甲アイランドの港で、 神戸空港があるのはポートアイランドのほうである。神戸空港ができたので、ポートライナーが空港まで延伸したみたいだった。新しい駅はガラス張りで、神戸の港が見える。 沖縄のゆいレールに似ている。ポートライナーの窓から見る神戸港の様子は、なんだか物が多くて目がちかちかする。建物とか道路とか工事のクレーンとか、車とか船舶とかいろいろな物がいっぺんに目に入って、 なんだか見ていて疲れる。空港駅から三ノ宮までは18分。都市の空港としては、かなりアクセスのいい部類に入ると思う。福岡空港の次くらいに都心から近いのではないか。 三ノ宮はJRと阪神と阪急と地下鉄とポートライナーが乗り入れるにぎやかな駅で、活気がある。朝から人が多く行き交っているが、東京ほどではなく、落ち着いているし、自分のペースで歩けるくらいの人の数である。 JRの新快速に乗車。すごい混雑だ。なんだこれは。関西はひさしぶりなので、なんだか勝手がちがって戸惑う。ホームの丸と三角印とか、降りる客がいるのに、降りるのを待たずにがんがん乗車していくばばあとか、 電車の中でも携帯電話をマナーモードにしないで着信音を鳴らす者の多さとか、関西独特だと思う。姫路で下車。ずっと混んでた。姫路駅は大規模な工事中だった。
■18きっぷの残りを使って西日本の未乗路線を一つでも減らそうと思って、はるばる飛行機に乗ってきたんである。まずは姫路と山陰本線の和田山を結ぶ播但線に乗車。 姫路駅のいちばん端っこの隅にホームがあって、絵の描かれた二両編成の列車が停車中だった。「銀の馬車道」と書いてあって、なんだかわからないが、子供とか馬とかが描かれている。 なにかのキャラクタだろうか。ドアは開閉ボタンがついていて、乗り降りする者が自分でボタンを押して扉をあける。この列車は、播但線の途中の寺前までゆく。神戸空港到着が早かったので、そのぶんポートライナーも新快速も、予定してたのより一本早いのに乗れたんで、 播但線も予定よりひとつ早いのに乗ることができた。これがあとからものを言った。それはまたあとで書くとして、どことなく、乗客の身につけているものなんかが田舎っぽい。ヤンキー高校生もいた。 顔見知りらしい若者とおばちゃんが、車を買う話をしていた。ばあさんが「次で降りる」と言うときの「つぎ」のアクセントは、「つ」を強く言う。 ロングシートの座席なので、向かいの人がブラインドを下ろしてしまっていたので、あんまり景色が見えなかったが、田んぼの稲がもう黄色くなっているのは見えた。 高い山があるわけでもなく、日本中で見る、ごくありふれた田舎の風景が続く。ワンマン運転のわりには、有人駅が多い路線である。 溝口という駅でたくさん降りていって、次の福崎という駅でもたくさん降りていったので、車内はがらんとした。
■姫路からおよそ40分で寺前に到着。駅の向こうには、こんもりした山が見える。日本むかしばなしに出てきそうな形の山である。四国に渡ると香川あたりでもよくこんもりした山を見るが、それに似ている。 「寺前」というくらいだから、有名なお寺でもあるのかなと思っていたが、どうも駅の周りにはそれらしきものは見当たらなかった。かわりに「又右衛門」という妙な名前のスーパーマーケットがあった。 店の前ではじいさんが焼き鳥を焼いてたので、一本買って食べてみた。甘辛い濃厚な味のタレで、おいしかった。駅に戻り、待合室で少しぼんやりした。黒くて、蝶とトンボを足して二で割ったような、見たことのない虫が飛んでいた。 待合室の天井には、なんという名前なのかわからないが、羽がぐるぐる回るやつがついていて、ぐるぐる回っていた。少し早めに、次に乗る和田山行きの列車へ。 こんどは4人がけのボックス席のやつだった。まだ数えるくらいの客しかいなかったが、少しして、元々自分が乗る予定だった寺前どまりの列車が入ってきて、乗り継ぐ客がどどどと乗り込んできた。 一本早いので来てたんで、座席につくことができたが、一両だけの車内は、通路までびっしり人が乗り込んで、通勤電車みたいだった。
■このあたりで気づいたのは、盆休みに北海道で鉄道旅行したときみたいな気持ちで関西あたりを鉄道で旅行すると、えらい目にあうということだ。 だいたい、沿線人口がまったくちがう。北海道だったら、これくらいの集落なら駅が一つくらいあるだろう、というようなところも通り過ぎてしまうくらい、関西は、どこまで行っても人が住んでいる。 本数も少なく、一両しか走らないとなると、一本の列車に人が集中することも少なくないのだろう。今後気をつけようと思った。生野という駅で、中高年の登山ぽい格好をしたグループが降りていった以外はほとんど降りる客もなく、 混雑したまま40分ほどで、終点の和田山の一駅手前の竹田駅に到着し、下車。
■「たけだ」の名前の駅は、この播但線の竹田駅のほかに、この近くの福知山線にある丹波竹田、あと大分の豊後竹田がある。「武田」の字がつく駅は、これもまた福知山線の「武田尾」という駅がある。 他にもあるのかもしれないが、自分が知っているのはこんなところである。やはり「たけだ」とつくのは、駅でもなんでも多少気になる。事前にネットで調べたら、竹田の駅前にはタクシーは常駐していないということだったので、 寺前駅で時間があったときに、一台電話で呼んでおいた。竹田城まで行くためである。地図で見る限り、そんな大した距離ではなかったので、1000円もいかないかな、と思ってたら、1100円だった。 山の上にある城なので、登るのはきついな、と思い、行きだけタクシーにしようと思っていたんである。若い運転手で、余計なことはしゃべらないで、感じがよかった。 やたら話しかけてくるタクシー運転手は苦手である。車で行けるところまで、とお願いしたら、ぐいぐいと、曲がりくねった急な道を登ってゆく。こういうときは素直に、車はすごいなと思う。 石段の手前の行き止まりまで乗り付けてもらった。
■「史蹟 竹田城址」と刻まれた立派な石柱と説明書きが建っている。誰がいつ頃この城を築いて、うんぬん、といったことが和田山町の教育委員会によって書かれている。 虎が臥せているように見えることから、別名「虎臥城」と呼ばれるらしいが、そう言われてもいまいちよくわからなかった。 城の標高が353メートルで、山麓にある竹田駅の標高が95メートルということなので、高低差は258メートルということになる。タクシーを降りてから、山の頂上に向かって石段を登ってゆく。 どこの城に行っても思うが、城の階段は一段一段が大きくて、登るのがたいへんである。昔の人はこれを毎日上り下りしていたのかと思うと、ご苦労なことである。 視界が開けて、麓の町がすぐ足元の真下にあるような気になる。石を投げれば町に当たるような感じがする。城はいまは無くて、石垣しか残ってない。 石垣はほんの少しだけ赤みがかった大きな石を積み上げて造られている。最初の印象として、なんでこんな高い場所に城を造ったんだ、と思うが、見下ろす景色を目の当たりにすると、ああなるほどなと、 ここに城を築きたくなる気持ちが理解できる。次に疑問に思うのが、どこからこんなでかい石を持ってきたんだ、ということである。そして、城を見て歩いていると、頭の中には自然と「天空の城」ということばが思い浮かぶ。 これで天守閣でも残っていたら、一流の観光地となったのではないか、と思う。でもこうやって山の上に残っている石垣を見るだけでも、すごい。 日本人だったら一度は見ておいて損はないんじゃないか。なにより名前がいいじゃないか。
■で、興奮気味に、デジタルカメラでたくさん撮影して歩いたが、撮った画像を見返すと、高さとか高低差というやつは、写真や画像だと伝わりにくい。 自分も、行く前にネットで竹田城を見たときは、ふーん、まあすごいんじゃないの、くらいにしか思ってなかったのが、実際行って登ってみると、うおーすげーよこれ、という具合になった。 予報に反して、天気は晴れ。日差しが暑い。空には秋の雲が出はじめているが、日差しはまだ夏の名残が強く残っていた。 「三の丸」とか「南二の丸」「搦手口」とか、「本丸」「北千畳」など、案内標がそれぞれの地点に立てられていた。何人か観光客がいたが、数えられる程度である。 木かげで眠っているおっさんが二人ばかりいた。
■山から歩いて下った。獣道をちょっとよくしたような程度の道で、気をつけながらジグザグになってる道をゆっくりゆっくり下りた。足を踏ん張るので、力が入る。 途中、足元を見るとトカゲみたいなのがうろちょろしていた。ようやく町の景色が近くに見えてきて、下り切るころには足ががくがくいった。 登山道の入口には、フェンスみたいな門扉があって「通ったあとは必ず閉めてください」とか書いてある。ここから山道だけど本当に登るのか?と、 ここを通る人に問うてるような感じだが、自分は下ってきたので、関係なかった。押して開けると少し開けた場所に出た。墓地があって、 あずまやのような休憩所があったので、たまらず腰をおろして休んだ。日陰で風が通るので、ここちいい。少し休んでちょっと歩いたら、竹田駅の裏手に出た。 踏切を渡って駅の正面まで戻ってきた。竹田駅の周辺や駅前には、とくになにもなくて、静かな町である。前面に押し出すようなことはしていないが、 どことなく城下町の面影を感じさせる町並みで、古い屋敷や蔵、旅館なんかもちらほら見られる。竹田駅は、そんな町に合う、木造で立派な瓦屋根を持つ駅舎である。 自転車がけっこう停まっていたので、それなりに利用者はいるようだ。建物の中には観光案内所があって、じいさんがひまそうにしていた。 切符を売る窓口もあり、おばさんが京都までの切符を買っていた。駅のホームからは、さっき登ってきた竹田城のある山が見える。 見上げると、城の石垣がほんの少しだけ、確認できた。列車に乗り、一駅で終点の和田山に到着。
■和田山駅はホームの売店で駅弁が売られていた。「和牛弁当」と書いてあったと思う。白い三階建てくらいのコンクリートの駅舎で、 駅前には「和田山駅前センター街」という商店街があるが、ぱっと見た感じ、シャッターが下りている店が多いようだった。 駅の待合室には、かなり大きな時計が掛けられていて、寄贈した団体名が書いてある。「和田山ほろにが会」だそうだ。どんな会なんだ。 ホームからは、赤いレンガ造りの列車の車庫が見える。大きくて、糸魚川駅にあるやつに似ている。SL時代のものだろうか、機関車用の給水塔も見える。 和田山からは山陰本線から福知山線を経由して新大阪まで行く特急北近畿に乗車。18きっぷでは乗れないので、寺前駅で乗車券と自由席の特急券を買っておいた。 四両のうち二両が自由席車両で、けっこう空いていた。播但線と同じような車窓が続き、一時間ほどの乗車で谷川駅に到着。 谷川駅からは、加古川線に乗車。谷川から山陽本線の加古川までを結ぶ路線で、「日本へそ公園」という妙な名前の駅がある以外は取り立てて書くほどのこともないような路線だった。 滝、滝野、という駅が続けてあったので、車窓から滝でも見えるのかな、と思って見ていたが、なにも見えなかった。沿線には北条鉄道と神戸電鉄が接続している粟生という駅があるのと、 西脇市という町があるくらいで、たまに川の流れが見えた。加古川線は、本数少ないのに一両だけの運行で、座席少ないし、ひどい。始発駅の谷川の時点で既に立ち客が10人くらいいて、 自分もその一人だったが、30分くらいして降りた客がいたので座れた。ぽつぽつと乗車してくる者はいるが、降りるものがほとんどいないので、 進むほどに混んできて、最終的には通勤電車みたいになった。高校生たちがだらだら乗り降りするのは全国的に共通のようで、ここでもそうだった。 そんなこともあって、加古川到着が数分遅れた。加古川から新快速に乗車。この列車もたいへんな混雑。新快速は早くて便利で、特急料金もいらない、というんだから、 みな利用するに決まっている。ちょっと考えればわかることだったが、うっかりしていた。今後関西で鉄道旅行する場合は、新快速は極力使わない計画を立てようと決めた。 大阪で下車。新大阪駅はここ数年でも何度か利用していたが、大阪駅に降り立つのはずいぶんひさしぶりである。人が多い。
■大阪駅からは福知山線の普通列車に乗車。平日であればちょうど帰宅時間だが、土曜日なので、ずいぶん空いていた。ようやくほっとできた。 川西池田駅で快速列車と待ち合わせをするというんで、快速に乗り換えることにした。ホームからは、 山の斜面に家が立ち並ぶ町並みときれいな夕焼けが見えた。徐々にのどかな景色になってゆく。 車内のアナウンスで「次は西宮ラジオ」といっている。なんだろう、そういうラジオ局がある駅なのかなと思ってちょっとわくわくしていたら、 「西宮名塩(なじお)」という駅だった。快速は武田尾駅には停車しなかった。日が暮れるころ、三田、新三田のあたりを通ると、 とつぜんぱっと都市が現れるような感じで、不思議だった。篠山口で下車し、福知山まで特急北近畿に乗車。夜の特急のけだるい雰囲気は、 わりと好きである。新幹線ともちがう、さびしいような雰囲気がある。福知山から舞鶴線の列車に乗り換え。福知山駅は高架の駅で、大きな有人改札口がある。 そういう作りや階段の配置なんかが、鳥取駅に似ている。福知山駅の近くにはこぢんまりとした城があるようで、控えめなライトアップで照らされていた。 綾部までは山陰本線で、綾部から先が舞鶴線になる。舞鶴というのは、美しい地名である。舞鶴市内には西舞鶴駅と東舞鶴駅がある。ただの舞鶴駅というのはないので、あれ、と思う。 船橋だと、総武線に西船橋があって、船橋があって、東船橋がある。その次が津田沼である。京葉線には南船橋がある。浦和なんかだと、浦和駅を囲むように東浦和、南浦和、西浦和、北浦和がある。 それはそれとして、夜だったので、しっかり確認できたわけではないが、西舞鶴より東舞鶴のほうが栄えているように見えた。 東舞鶴駅から小浜線に乗り換え。東舞鶴を出て二つ目の青郷駅から福井県に入る。青郷からさらに二駅先の若狭高浜駅で下車し、近くのホテルで一泊。
■JRの未乗車路線だった播但線、加古川線、福知山線、舞鶴線の四路線を消化し、全都道府県宿泊に向け、今回は初めて福井県で宿泊した。
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