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No.1346 2008-11-30
マンション群のかなたに富士山

自転車と猫

■午前中、自転車でまろにえ通り経由、茜浜まで。空気が冷たいから汗をかかなくて快適である。風もそんなになかった。 県道15号線は、ちらほら自転車乗りの姿がある。以前より増えた。菊田川の河口から緑地公園へ入ってゆき、東京湾まで出ると、 浦安方向のマンション群の向こうにとつぜん富士山が見えた。案外大きく見えて、意外だった。三脚を立てて富士山を撮影している者もいた。 ジョギングと犬の散歩が多い。犬の姿を見て猫たちが逃げていった。
■画像は上から、茜浜から見た富士山、自転車と猫と東京湾。向こうにマリンスタジアムや幕張のビルが見える。
No.1345 2008-11-28
■今月は4度、仕事で埼玉県庁へ行った。東京都庁や千葉県庁、茨城県庁などの新しくてやたらと立派なビルと比べると、埼玉県庁は、 古い五階建ての建物を使っていて好感が持てる。浦和駅の西口から歩いて10分くらい。
■関係ないが、ノキアが日本の携帯電話市場から撤退するというニュースを知って、残念な気持ちになった。 自分がノキアを使うようになってから3年くらいになるが、他のメーカーの携帯電話を使いたくなくなるくらい、機能もデザインも気に入ってるのだった。 だいたいワンセグとかおさいふケータイとか勘弁してくれという感じである。ノキアは使いにくい、とかいう話も聞いたことがある。 世界の携帯電話のシェアの三分の一を占めるメーカーのものが使いにくいというのだから、やはり日本の携帯電話市場というやつは特殊なのだろう。 ちょっと古いが、下のグラフは2005年のデータである。現在もこの数字は大きくは変わってない。 あと、認めるのは悔しいが、韓国のメーカーのほうが、携帯電話のデザインは優れていると感じる。 「キャリア主導」という極めて不健康で異常な日本の携帯電話市場から素早く身を引いたノキアは賢明だったと思う。

携帯電話端末の世界シェア
No.1344 2008-11-25
豊頃町から届いたテレホンカード

■家に帰ると北海道の豊頃町役場から郵便物が届いていて、いったい何事かと思ったら、テレホンカードが当選したのだった。 今年の8月、豊頃の駅前で、無料で貸し出ししている自転車を借りて、はるにれの木を見に行ったとき、貸し出し簿みたいなやつに住所氏名を書いたから、 それで当選したみたいである。きれいな写真のカードだった。冬の写真で、雪景色の中、葉の落ちたはるにれと、日の出が夕暮れか、遠くの低い太陽。 テレホンカードを最後に使ったのがいつだったか思い出せないくらい、長いこと使っていない。「テレホンカード」ということばが、なんだかすでに、 懐かしい感じすらするが、一枚持っていればなにかあったときに役に立つかもしれぬ。
■もう北海道は寒いんだろうなと思った。
■関係ないが、ちょうど一年前の今頃、しまなみ海道を自転車で走った。どうにかまた行きたい。一日で走りきってしまってもったいなかったから、 今度行くときは、途中どこかで一泊して、少なくとも二日はかけたい。自分がいままで、どうにか行きたいと思った場所は必ず行っているから、 きっと行けると思う。豊頃も美瑛も軍艦島も沖縄もまた行きたい。
No.1343 2008-11-23
フクダ電子アリーナ

■Jリーグ一部第32節、千葉対マリノス。フクダ電子アリーナ。午後4時キックオフ。
■本当にひさしぶりのフクダ電子アリーナである。近隣の商業施設が完成し、既に営業していた。残留争いにもがく千葉の試合、 ホームスタジアムの雰囲気はどんな感じになっているのか、と気になり、ひさびさにチケットを買ってみたはいいが、既にほとんどの席が売り切れていて、 なんの因果か、アウェイ側コーナー自由席で観戦することになった。周りはマリノスサポーターが多い。ぼんやり観戦。 一時、フクダ電子アリーナの雰囲気がすごく良くなったと聞いてたので、少し期待してたのだけど、べつにどうということはなかった。 マリノスのサポーターのほうが気合が入っていた。試合もそんな感じ。双方、気負いすぎていたのかミスが連発で、見るに堪えない内容だった。 特に千葉の選手。どうしてトラップがそんなに浮くのか、首をひねりたくなるシーンが多い。で、短い間にマリノスが3点とって終わり。
■いままで直視しようとしなかったが、千葉は選手の質が高くないという事実をまざまざと見せつけられてしまった。 チームとしての完成度も非常に低いといわざるを得ない。2006年の春に監督を失ってから選手も次々と抜け、戦力的にも戦術的にも何の上積みもないまま月日だけが流れたのだから、 それも仕方のないことだ。もうとっくに腹は括っているつもりなので、なにがあってもまた試合を見に行くつもりである。 初めてアウェイ側の席から試合を、スタジアムを見て、新鮮な感じがした。スタジアム全体が、以前と比べてずいぶん黄色くなった。 黄色着用率がかなり高くなった。夕暮れ時からだんだん暗くなっていく空が美しかった。
No.1342 2008-11-15
茜浜の猫の親子1

茜浜の猫の親子2

■午前中、自転車でまろにえ通り経由、茜浜まで。空気が冷えてきて気持ちがいい。茜浜の猫が増えていた。子猫が生まれていたり、 いままで見かけなかった猫もいた。小さい猫はふわふわしていてかわいらしい。すごい猫好きの人で、野良猫に避妊手術を受けさせてる人がいるという。 かわいそうな命がこれ以上増えないように、という思いらしい。そういう考えもわかる。でも、どうなんだろう、という気持ちもある。 これからの寒い時期、外で暮らす猫達にとっては大変だろうと思う。
No.1341 2008-11-10
西岩国駅
岩徳線西岩国駅。

錦帯橋
錦帯橋。山の上に岩国城が見える。

大畠駅
海が見える駅、山陽本線大畠駅。

■朝はわりとゆっくりめにホテルをチェックアウト。中津という町は、福澤諭吉ゆかりの地らしいということだけわかった。 駅前の建物や駅のホームに「ようこそ諭吉の里へ」と書いてあった。駅前のバスロータリーの緑地にはでかい南国の木が見える。 ソテツとかそういった類だと思う。植物の種類なんかもいろいろ知っているといいだろうなと思うが、あんまり知らない。 前の晩には気づかなかったが、駅前にはずいぶんホテルが多い。中津というのは、そんなに人が訪れる町なのだろうか。 平日なので、通勤や通学の時間と重なるかと思ったが、どうということはなかった。中津駅から博多行きの特急ソニック8号に乗り、小倉まで。 ソニックもそんなに混んでない。座席に座ると、列車の壁の低いところにコンセントがある。外の景色を見ると、前日よりはいくらか天気がいいようだ。 30分少々で小倉に到着。人がたくさん降りる。他の列車からも人がたくさん降りたみたいで、一瞬、新宿駅みたいになった。
■山陽新幹線に乗り換え。売店で弁当を購入。朝からぜいたくに駅弁である。シンプルな箱で、包み紙に「明治二十四年創業 九州駅弁元祖 かしわめし」と書いてある。 弁当箱が薄いので、中身はそれほど多くないが、炊き込みごはんの上に煮込んだ鶏のほぐし身と錦糸たまごと海苔が敷き詰められてておいしい。 駅弁なんてそこらのコンビニ弁当と大して変わらない、とか言う者が時々いる。箱とか雰囲気でだまされておいしく感じるだけだ、とか言うが、 いろいろ食べてみてわかったのは、コンビニ弁当とはぜんぜんちがうということで、だいたい、手間のかけかたがまったくちがうのだった。 それはそれとして、乗るのは新大阪行きのひかり450号で、いわゆる「ひかりレールスター」の編成である。この編成には、 コンパートメント席やサイレンスカー、オフィスシートなど、多彩なサービスがある。 「ひかりレールスター」というやつに以前から一度乗ってみたいと思っていたのだった。いきなり「ひかりレールスター」とか言ってもご存知ないかたも多々あると思うが、 山陽新幹線を走るひかりで、普通車でも2列+2列の座席配置で、グリーン車用のシートが使われている。前後左右がゆったりしていていい。ただしそれは指定席のみで、 自由席は普通の東海道新幹線などとおんなじ3列+2列の配置のようだ。どんな具合か確かめたかったので、たった30分ほどの乗車なのに指定席に乗ってしまった。 たしかにゆったりしていて、よかった。あと、窓がきれいでよかった。でもトンネルばかりで、景色はいまいち。新幹線は窓が汚いことが多い。なんとかしてほしい。サラリーマン風の連中が多い。
■山陽新幹線の小倉〜新山口の区間は、今回初めて乗車した区間である。関門海峡を新幹線でくぐるのは初めてだった。在来線のトンネルより長く感じた。 徳山に到着。数えられるほどの人数しか降りなかった。新幹線の改札付近は人もまばらでがらんとしている。 テレビモニターが壁一面にたてよこたくさん並んでいて、地元ケーブルテレビのものと思われる放送を放映していたが、ひとが誰もいない。 在来線の乗り場へ向かうと、少し人がいる。ホームの屋根がりっぱで、貫禄がある。 徳山から在来線で東へ向かって岩国まで、岩徳線の列車で行く。徳山から岩国へ行くには山陽本線と岩徳線があって、距離は岩徳線のほうが短いのだけど、 山陽本線のほうは海側を走るので起伏が少なく、所要時間も短い。列車の本数も多く、貨物列車も多く走る。 岩徳線の列車とほぼ同時に山陽本線の普通列車も発車した。時刻表を見ると、山陽本線を利用したほうが先に岩国に着く。 じゃあ岩徳線なんてなくてもいいんじゃないか、と思ってしまうところだが、 実際に乗ってみると、思いのほか利用者が多い。短距離利用の者もけっこういて、地域の足として利用されているようだ。 平日の午前、通勤通学時間も過ぎているのでがらがらかなと予想していたが、買い物や病院にでも行くと思われる老人が多く、学生ぽい若者も乗っていて、 ローカル線に乗るのはほとんど土日だからわからなかったが、平日には平日の客がいるのだとな思った。徳山を出てしばらく、右手に山陽新幹線の高架のでかい脚が連なっている。 岩徳線は、これといって特筆する車窓もなかった。平凡な日本の田舎の風景である。ちょっと山の中のような場所も走る。 途中、周防高森、玖珂でたくさん乗ってきた。沿線で、列車に向かって手を振る小さな子供を連れた親子や年寄りが多かったように感じた。 車内で、ばばあ二人が6Pチーズを食らいながら、缶ビールで酒盛りしていた。ああいうの見ると、年金ってなんなんだとおもう。 それはそれとして、約一時間二十分ほどで岩国に到着。山口県内のJR線はこれで全線乗車できた。
■乗ってきた列車で8分後すぐに折り返して一つとなりの西岩国へ。目的地である錦帯橋へゆくバスは岩国から出ているのだけど、西岩国駅には一度立ち寄ってみようと思っていたんである。 駅のホームと跨線橋ではなにか工事をしていた。西岩国は無人駅だが、なかなか他には見ないタイプの駅舎で、駅前に立っている説明書きによると、駅の開業は昭和四年四月で、 大正末期から昭和初期の代表的な洋風建築とのことである。「錦帯橋にちなんだところが随所に見られ」とあるように、ファサードの開口部などを中心に、 錦帯橋の三連アーチの形をモチーフにした部分が多く見られる。外観だけでなく、建物内の照明やベンチ、窓枠なども昔のままの形で、いい雰囲気の建物である。 駅舎は登録有形文化財となっているようで、その旨のことが書かれた文化庁のプレートが設置されている。 駅正面入口の上部には「西岩国駅」と書かれた駅名標がついているが、それといっしょに「宇野千代のふるさと」と書かれた看板もついている。不勉強なので宇野千代が何をした人なのかはわからないが、 文章を書いた人のような気がする。なにか岩国のあたりにゆかりのある人物なのだろう。駅前から岩国市営の路線バスに乗車。地方のそれほど大きくない町のわりには、本数が結構ある。 小型のバスで、身の丈にあったサイズなのではないか。駅から西の方角へ。かなり細い道も通る。商店街を横切り、10分足らずで錦帯橋前のバス停に到着。
■錦帯橋は、錦川の洪水やら台風やらでたびたび橋が消失してしまってたのをなんとかしようとして、1673年、岩国藩主の吉川広嘉が造らせたときに、今の形になったんだそうだ。 石垣のようなごっつい橋脚の上に木組みで造られたアーチをのせる構造にして、橋桁をなくして橋本体を水面から高くすることで洪水に強くしたのだと思う。 資源が少なく、平らな土地も少ないが、せまいわりには木と石に恵まれているので、こういう工夫をさせると日本人はうまい。 今架かっている橋は、平成13年度から15年度にかけて行われた工事によって架け替えられたものだそうだ。橋を渡る料金は大人300円。往復できる。 観光バスがけっこうきていて、まわりには土産店もある。どちらかというと中高年の観光客が多い。川べりまで降りられるようになっているので、橋を下から見上げることもできる。 橋の向こう、西側に山があり、川岸の一部が公園として整備されていて、落ち着いたいい景観である。橋にばかり気をとられていてしばらく気づかなかったが、山の上に城が建っているのだった。 何も知らないで行ったからちょっと驚いたが、あとから調べたら岩国城のようだ。川と橋と山と城があって、絵葉書みたいな景色だった。川の流れは穏やかで、 離れて見ると水面に橋や山が映りこんで鏡みたいになっていた。数百メートルいったところに、コンクリートと鉄でできた普通の平らな橋があって、 それと比べると木と石と知恵で造ったアーチは、スマートではないかもしれないが、美しいものに感じた。 バス停に戻ると、なんだか古めかしいデザインの赤いバスが停まっていた。「いちすけ号」という、観光客向けのバスのようで、岩国駅と錦帯橋を結んでいるが、 一般の路線バスと同じルートで走るので、地元の人も普通に利用していた。いちすけというのは、地元の発明家の藤岡市助という人物の名前らしい。「日本のエジソン」と呼ばれている、 という紹介文がパンフレットに書いてあったが、初めて聞いた。1857年に生まれ、1890年に日本で初めて電車を走らせ、1909年には岩国で中国地方で初めての電車鉄道を開通させたそうである。 バスの前方にはテレビモニタがついていて、観光案内の映像などを放映していた。20分ほどの乗車で岩国駅に到着。駅前の店でラーメンを食べた。 岩国の駅のまわりを見ると、駅前には細い雑居ビルがいくつかあるくらいで、のどかで静かな雰囲気である。アーケードのある通りもある。線路をはさんで反対側にはそこそこ高いマンションなんかも建っていて、 広島への通勤圏内なのかなと思った。広島までは普通列車で50分ほど。快速だと40分くらいである。徳山は有人の改札だったが、岩国は自動改札だ。 改札を入ってすぐのところに錦帯橋の模型が透明なケースに入って展示してある。跨線橋から海の方向を見ると、瀬戸内の工業地帯の煙突がぽつぽつと見える。
■山陽本線で西へ30分弱、新山口行きの普通列車に乗って大畠という駅まで行ってみた。途中、藤生(ふじゅう)、通津(つづ)、由宇(ゆう)といった響きがちょっと独特な名前の駅が並んでいる。 前日の夜明け前、はやぶさで横になりながら通ったあたりである。明るいので瀬戸内海がよく見える。砂浜が白い。大小さまざまな島と、その向こうに四国の山並みが見える。 大畠駅のホームに降り立つと、海からの風のせいか、空気がややひんやりしていた。「釣りの町 大畠」という看板が立っていて、その看板の向こうに見える堤防の上には確かに数人、釣り人がいる。 駅舎は鉄筋コンクリートの平屋建ての平凡なタイプだが、駅員がいて、待合室があり、キオスクまである。それなりに利用者がいるのだろう。 駅の東側には、瀬戸内海の上に架けられた緑色の大島大橋が見える。対岸の周防大島と結んでいて、大畠駅からバスが出ている。ホームから穏やかな瀬戸内海が見渡せるいい駅である。 初めて瀬戸内海を見たのは大学生になった年の夏、岡山から、瀬戸大橋の途中にある与島まで行ったときで、青く美しい海が強く印象に残った。 それから何度か四国に渡ったが、瀬戸内海はいつも穏やかで、夕日がきれいで、いい海だと思う。 四国は小さいが、山に隔てられているため、北と南ではぜんぜん文化がちがっていて、瀬戸内海に面する香川や愛媛は、海を挟んで対岸の岡山や広島の影響が強いという。 山を越えるより、穏やかな海を船で行き来するほうが楽だったのだろうと想像する。
■山陽本線の岡山行きの快速電車に乗り、来た方向へ戻る。岩国、広島を経由し、白市という駅まで。 廿日市(はつかいち)、五日市(いつかいち)という駅がとなりあって続いてて、まぎらわしい。前空駅から宮島口の間、遠い海の上に赤い鳥居が見えた。厳島神社だと思う。いずれゆっくり時間をとって訪れたいと思った。 このあたりは、何度か列車に乗って通っているのだけど、明るい時間に普通列車で通るのは初めてである。さすがに広島駅近辺は大都会で、大きな建物が多く、電車を乗り降りする者も多い。 広島駅の近くで、なにかスタジアムのような大きなものを建設しているのが見えた。野球場のようだった。山陽本線と国道2号線、広島電鉄の線路がしばらくの間、平行に並んでいる。 広島を少し離れるとのどかな田園地帯で、田畑のなかに立派な屋敷が目立つ。広島から東の地域でも、石州瓦と思われる赤い色の屋根が多い。だんだん人家が少なくなってゆき、 山の中みたいな場所をしばらく走る。瀬野という駅のあたりはとつぜん山の中に町が現れるような感じ。この瀬野と次の八本松の前後のあたりは峠になっていて、 かつて機関車の時代だったころ「セノハチ」と言われた鉄道の難所だったらしい。西条という町はそこそこ大きな町のようだった。乗降客も多い。大畠から1時間50分ほどで白市駅に到着し、下車。 一応、広島空港の最寄駅ということになっていて、駅前から空港行きのバスが出ているが、おそらく空港利用者は広島駅あたりから高速バスに乗るのだろう。 白市からのバスには数えられるくらいの人数しかいなかった。バスで東へ約10kmくらいだろうか、山に囲まれたすごいへんぴな場所にある広島空港に到着。 この空港を利用するのは初めてである。それにしても、全国どこの空港もおんなじような建物に見える。ガラス張りの近代的な外観である。 人はそれほど多くない。満席ではなかったが、そこそこの搭乗率。で、スーツ姿の客が多い。日がかなり傾いていて、航空機の窓から見る夕焼け空がとても美しかった。 東京の夜景を見下ろしながら着陸し、ほぼ定刻どおりに羽田に到着。津田沼行きのバスはけっこう混んでいた。
No.1340 2008-11-09
豊前松江駅
海が見える駅、日豊本線豊前松江駅。

宇佐神宮
宇佐神宮。

九州石油ドーム
九州石油ドーム。

■列車の停車中に目が覚めた。まだ外は暗い。カーテンを開けると、はやぶさは広島駅に着いていた。始発電車がもうすぐ動き出す時間帯だったようで、ホームのベンチには人が数人いた。 白人もいた。朝までほとんど目が覚めることもなく、よく眠ったようだ。起きて顔を洗って、まだ明けきらない景色を眺めていた。部屋に洗面台がついているので、 わざわざ洗面所に行かなくていいのがいい。朝6時をまわり、岩国を過ぎたあたりで、車掌さんの「おはようございます」の放送があった。まだ眠っている者も多い時間だと思うので、 放送はちょっと早い気がする。ようやく空が明るくなってきて、空が雲にどんより覆われているのがわかる。どうやら天気はいまひとつのようだ。 瀬戸内海の海際の線路を走るので、大小いろいろな島影が見える。柳井、下松、徳山、防府、と小まめに停車してゆき、大きな荷物を持った者が数人ずつおりてゆく。 駅前に迎えの車が来ているのが見える。海から離れ、新山口。車内販売のおばさんが通路を歩いている。コーヒーやサンドイッチなどを求める者がいたようだ。 宇部を発つとしばらく停車駅はなく、下関が本州最後の停車駅。早めに8号車へ移動し、ドアの前で停車するのを待った。下関駅では、 関門海峡の下の関門トンネルを走行するための機関車に付け替えるとかたしかそういった理由で数分停車することになっていて、ホームにわらわらと富士とはやぶさの乗客が降りてくる。 人の流れは二つあって、ひとつは列車の先頭へ向かい機関車の付け替えを撮影するその手の人たち、もうひとつは売店に向かい食べ物などを求める人たち。 自分は売店へと向かい、ふく天うどん。去年の年末、下関を訪れたときにここで食べて、おいしかったのでもう一度食べたいと思っていたんである。 部屋に戻ってうどんで朝食。食堂車がほとんどなくなってしまった昨今、列車内であったかいものが食べられるのはうれしい。それにしても西日本のうどんのつゆは薄味でうまい。 ふく天もうまい。食べているうちに関門トンネルに入り、あっという間に九州に上陸。定刻どおりに門司に到着。四度目の九州訪問である。おそらくこれでもう乗ることはない富士、はやぶさ。 東京から一夜かけて九州まで走った。最後に乗ることができてよかった。名残惜しいが、中津行きの普通列車に乗り継ぎ。
■門司から乗ったときはけっこう混雑していたが、次の小倉でほとんど降りていって、車内はがらがらになった。小倉から日豊本線に入る。ロングシートの車両で、足元のヒーターがやけに熱い。 日豊本線は、小倉から、九州の東岸を南下し、大分、宮崎を経由して鹿児島まで到るおよそ460kmほどの長い路線で、そのうち鹿児島から宮崎までの区間は、 今年の3月までに乗車済みである。今回初めて乗車するのは小倉から大分までの区間およそ130km。しばらくは、北九州市という大きな都市の中を走るので、 途切れることなく建物がある。知らないチェーン店の看板や、見慣れない種類の街路樹なんかを見ると、遠くまで来たなと思う。 苅田という駅で特急の通過待ちがあり、数分停車。小倉方面行きの反対側のホームには、列車を待つ者が多くいた。 南へ走ると徐々にのどかな景色になってゆき、左手には周防灘のどんよりした色の海がやや遠くに見える。晴れていればきっと美しい海なのだろう。 海が近づいてくると、豊前松江という駅に到着。「ぶぜんしょうえ」と読む。まつえだと思った。ホームや跨線橋では工事が行われていた。 木造の古い駅舎があり、木製の電柱には、国鉄時代からのものと思われる縦書きのさびた駅名標がついている。そんな雰囲気の駅を、白や青い現代的なデザインの特急ソニックがかなりの速度で通過してゆく。 駅舎の中に入ると、壁に「鉄道唱歌」というのが毛筆で書かれた大きな額があった。達筆なので、なんと書かれているのかよくわからないところも少なくないが、 よく読んでみると「門司」「中津」「宇佐」など、九州の地名がいくつかあった。昔ながらの木製の窓の切符の窓口があって、そのまわりには菓子類や新聞などが置かれて、売られている。 駅前にはタクシーが停まり、周囲には人もかなり住んでいるようで、それなりの町のようだ。
■宇佐行きの普通列車に乗車。下り列車は相変わらず空いていた。40分ほどで宇佐に到着。駅の入口には注連縄と提灯がつけられていて、ホームの屋根の柱や壁など、 朱色が塗られている。ホームには「心のふるさと 宇佐詣で」という看板があった。駅からバスに乗ろうと思ったが、次のバスまで一時間ほどあったので、タクシーを利用。 国道10号線を西へ4kmほど行くと大きな駐車場が見えてきて、大型バスも数台見えた。宇佐神宮の参道の入口で下ろしてもらった。長い参道の向こうに赤い鳥居が見える。 小振りな蒸気機関車が展示されていたのでなんだろうと思ったら、宇佐駅からこの神宮までの区間、40年ほど前まで大分交通の鉄道線(参宮線)があったそうで、その路線で使われていたものだそうだ。 神社の参拝のための鉄道路線なんてすごいなと思うが、考えてみたら三重の参宮線も伊勢神宮参拝のため作られたのだろうし、新潟の弥彦神社へ向かう弥彦線、20年くらい前に廃止されたが、出雲大社へ向かう大社線なんていうのもあった。 いまみたいに自動車依存社会ではなかったころは、そういった鉄道路線にもそれなりの需要があったのだろう。 参道の片側には土産物や飲食の店が立ち並び、いろいろなものが売られているようだったが、まだそれほど客は多くなかった。大分名物の「だんご汁」や「とり天」が食べられるみたいだった。 そういえば大分県内をゆっくり時間かけて歩くのは今回が初めてで、前に大分県に足を踏み入れたのは、ほんの短い時間、久大本線の夜明という駅で乗り換えをしたときだった。 宇佐神宮は「宇佐八幡」とも言われて、由緒書きによると「全国に四万余ある八幡宮の総本宮」だそうだ。 神橋で川を渡り、大鳥居をくぐると、なにやら広い境内では祭が行われているようで、神輿をかついだ白い格好の男達が練り歩いていた。 「行幸会 歴史体感フェスタ」という催しが行われていて、ちょっとしたステージと、たくさんのパイプイスが並べられていて、通りかかったときは「子ども神楽」とかそういう演目だった。 しばらく、広く開けた参道を歩き、途中から鬱蒼と高い木が茂る場所を通る。小さな山になっている場所に広い石段が作られていて、木々の間を登ってゆくような感じが続き、登り切ったところに門があって、 そこをくぐるとぱっと視界が開けて広い場所に出る。なかなかドラマチックな空間演出である。国宝の神宮本殿があるのだけど、回廊みたいなのでぐるりと囲われているので、ほとんど見ることができない。 本殿は第一殿、第二殿、第三殿の三棟から成り、切妻屋根が連続する、あまり他には見ない古来の神社建築の様式で「八幡造り」というのだそうだ。 でも見えないのだからしかたない。大学の授業で確か出てきた。「大社造り」とか「春日造り」だとかいくつかあった中に、この様式も紹介されていた気がする。 隙間からほんの少しだけ第三殿と思われる棟が見えた。祭神は第一殿が応神天皇(八幡大神)、第二殿が比売大神、第三殿が神功皇后だそうだ。 門や回廊、祈祷殿など、装飾が多く施されていて、立派である。これだけのものを造ることができるのだから、おそらく信仰が厚いのだろう。 来た道とは別の道があったので、そちらに行ってみると、大きな池があり、蓮の葉が不気味ほどに成長して水面から姿を見せている。池には鳥がいた。りっぱな能舞台もあった。 宝物館は大人300円。展示されているものはそれほど多くないが、国宝になっている平安時代の楽器「孔雀文磬(くじゃくもんけい)」を始めとして、 刀剣類や鐘、絵図など、平安・鎌倉・室町時代あたりの重要文化財がごろごろある。神輿の現物もあるし、お面や像もあるから飽きない。 帰りもタクシーを利用。宇佐駅では老婆が窓口で要領を得ないことを言って窓口の駅員さんを困らせていた。
■往復にタクシーを利用したことで高くついたが、おかげで予定より一本早い列車に乗ることができた。特急ソニック19号に乗車。 メタリックな青の車両で、内装は白が基調のサイバーなデザイン。JR九州の列車は特急も普通列車も、オリジナリティのあるデザインで、 好き嫌い分かれるかもしれないが、快適さも追求しているように思えるし、私は好きである。乗るのが楽しい列車が多くていいなと思う。 左手には別府湾が見える。前に座っていた若い白人のカップルは別府駅で降りていった。温泉にでも行くのだろうか。40分弱で大分駅に到着。 控えめな場所に「優勝おめでとう!大分トリニータ ナビスコ杯初制覇!!」と書かれた看板が置いてあった。 駅の中にある店で大分名物のとり天定食を食べた。大分にはこれが根付いているせいでケンタッキーフライドチキンが進出できないという、 ほんとうかどうかわからない逸話まである一品である。見た感じ鶏の唐揚げに似ているのだけど、確かに天ぷらである。 ぽん酢と和からしで食べる。なるほどなかなかおいしい。そんなに脂っこくないのもいい。ごはんがたくさん食べられる感じ。 店を出てちょっと歩き、地下道を通ってパルコの前へ。駅前の様子を見ると大分市はなかなか都会的な町のようである。 パルコの前からシャトルバスに乗車。人がたくさん並んでいたが、それほど待たずに乗ることができた。 地図で見ると直線距離で6kmくらいなのだけど、途中山あり谷ありで、どういうわけか新興住宅地の中の細い道を通ったりして、35分くらいかかって、 九州石油ドームに到着。以前は「大分ビッグアイ」と言ってたと思う。ネーミングライツでスタジアムの名称が変わった。 少し標高の高い場所のようで、町よりもいくぶん空気が冷たく感じた。2002年のワールドカップ会場にもなったスタジアムで、 収容は4万人くらいだと思うが、外観はそれほど大きさを感じさせない。入ってみてわかったが、掘り下げ式になっている。 地面より低い場所にピッチがあるので、その分屋根の高さを抑えられる。仙台のユアテックスタジアムや松本のアルウィンなんかもそのタイプだけど、 4万人クラスの大きさでこのタイプはあまり他に無いんじゃないか。スタジアムの一帯は広大な公園になっているようで、 案内板を見ると、サッカーができるコートが5面ほどあって、他にもテニスコートだとか多目的広場、大芝生広場なんていうのもあって、 広さを生かしたスポーツ公園といった風情である。これだけの規模の公園ということになると、モノを造りたがる自治体が多いと思うが、 スポーツのためのスペースをたくさん作った大分はえらい。あと、駐車場がものすごくたくさんある。車で行くべき場所なのだと思う。 遠くに観覧車が見えた。当日券売場にはけっこうな行列ができていた。スタジアムの中に入ると、雨が少し降ったためか、可動式の屋根が閉じられていた。両ゴール裏の上部は壁がなく、外がよく見える。 おそらく芝生のための通気を考えたものと思われる。陸上トラックは青色だ。メインスタンドとバックスタンドは高さがあるので、 ある程度見やすいのではないか。自分はゴール裏だったが、陸上トラックがあるわりには見やすいほうだと思う。
■Jリーグ一部第31節、大分対千葉。九州石油ドーム。試合は16時開始。千葉のトップチームの試合を生観戦するのは、5月の函館でのナビスコカップ予選以来、 リーグ戦ということになると、同じく5月の蘇我での大分戦以来である。ずいぶん長いこと試合会場に足を運ばなかった。 以前、大分までサッカー見に行くなんてばかだ、たいしたばかものである、みたいなことを書いたような気がするが、自分もたいしたばかでした。 前の週にナビスコカップの決勝大分対清水の試合を国立競技場で見たが、今年は生観戦が少ないわりには、大分の試合は3試合見たことになる。 試合は0−0の引き分け。どちらも惜しいシーンはあったが、決め切れなかった。大分のほうがボールを持つ時間が多く、押していた。 大分は金崎選手があまり目立たなかった。出場していたことに気づかなかったくらい存在感がなかった。 千葉としては、厳しい状況のなか勝ち点3とりたい試合だったが、上位相手にアウェイで勝ち点1とれたのは、最悪ではないだろう。 そういえば巻選手の両親が来ていた。千葉のサポーターは、思ったよりたくさん来ていた。千葉のオフィシャルサイトでは、大分まで500人駆けつけた、 みたいに書いてあったけど、そんなにはいなかったと思う。せいぜい300人くらいかな。よくフクダ電子アリーナあたりで見かける人たちがたくさんいた。 たいしたばかが300人いた。バスがたくさん待機していたので、帰りのバスにもそれほど待たずに乗れた。ただ、来るときとちがって、帰りはスタジアムから一斉に人が出るので、 道がすごい渋滞だった。ぜんぜん進まない。自分は座れたからいいが、立ってた人はかなりつらかったはずである。やはり車で行くべき場所なのだろう。大分駅まで一時間くらいかかった。 片道350円。高い場所を走っていたとき、遠くに見える大分市街地の夜景がきれいだった。
■大分駅の土産物売場には、黄色い格好をした千葉のサポーターたちが何人かいた。仙台や新潟、名古屋あたりでのアウェイ戦に行ったときは、 試合後の駅に黄色い千葉のサポーターたちがたくさんいて、手に手に牛タンとかきしめんとか持ってうろうろしているのを見たが、 大分あたりになると列車利用の者は少ないのだろう。特急ソニック54号博多行きに乗車。白い車両だった。約45分の乗車で大分県の北の端、中津に到着。 駅前のホテルに泊まった。できてひと月も経ってないホテルだそうで、建物や部屋がきれいだった。
No.1339 2008-11-08
東京駅10番ホーム

はやぶさの車掌

■快速で東京駅。東京18時発の列車に乗るのに、17時20分くらいには東京駅の10番ホームに着いた。40分も前に着いて乗るのを待つなんて、飛行機乗るのに空港行くときより早い。 まもなく、大分行きの寝台特急「富士」と熊本行きの「はやぶさ」が入線してきた。二つの列車が途中、福岡の門司まで併結運行する。今回乗車するのは、はやぶさの2号車。 ちょっと調べてみたら、過去に、富士には二度乗っているのに、はやぶさに乗るのは初めてだった。寝台列車はいままでいくつか乗ったが、 A個室というやつを利用するのは初めてである。「A寝台」とか「A個室」というと、昔の一等車にあたるんだと思う。なので、 けっこう料金が高い。でも、これが最後の機会だと思って奮発した。最後というのは、どうやら富士とはやぶさ、来年3月のダイヤ改正で廃止になることが濃厚だというんである。 まだJRから正式に発表されていないが、新聞などでいくつか報道されている。12月には、来年3月のダイヤ改正の内容がJRから発表されると思うので、 そこで富士とはやぶさの廃止が発表されるのではないだろうか。それ以後だとおそらく、切符をとるのがむつかしくなるんで、 今のうちの乗りたいと思っていたのだった。夜行列車で東京から九州へ行く、というのをもう体験できなくなるのは惜しい。
■ホームには、富士、はやぶさを利用すると思われる、大きな荷物を持った者があちこちにいた。カメラを持ってうろうろする者はそれ以上にたくさんいた。 東京駅を発着する最後のブルートレインなので、撮影する者も多いのだろう。小学生くらいの子供も一生懸命撮影していた。あの子らが大きくなるころには、 夜行列車というもの自体が日本中全部なくなっているのだろうなと思った。乗車し、個室の中をいろいろいじってみた。空調のつまみを回してみたり、 テーブルの天板を上に開けると下から出てくる洗面台から水を出してみたり、照明のスイッチを押してつけたり消したり、窓のカーテンを開けたり閉めたりしていたら、 車掌さんが検札に来た。なにか不明なことはありませんか、とか聞きながら一部屋ごとに丁寧に回っているな、という印象を受けた。 お世辞にも広いとは言えないし、設備もたぶん30年くらい前から使われ続けているものなので、きれいという感じもないのだけど、ただ個室というだけで気持ちはぜんぜん違う。 B個室とちがって天井も高いし、気兼ねなくくつろいで、眠たくなったら寝て、好きなときに起きて、足を思い切り伸ばして車窓を眺めていられる。なんだったらずっと寝転がっててもいいんである。 こんな贅沢はないと思うが、普通の人には理解してもらえないかもしれぬ。
■18時03分、東京駅を発車。ホームにはカメラを構えた者がまだたくさん立っていた。駅のコンコースにある店で買った「たっぷり秋野菜弁当」で夕食。 東京駅は駅弁の種類がすごく豊富で、選ぶのにも悩むが、8月に食べた「たっぷり夏野菜弁当」というのがおいしかったので、今回もそのシリーズを買ってみたら、これもおいしかった。 デッキには昔ながらの冷水器というんだろうか、ボタンを押すと飲料水が出る装置があって、備え付けの紙製の小さな封筒みたいなやつで水を飲んでみた。懐かしい感じ。 列車内を少し歩いてみると、土曜日ということもあってか、乗車率はなかなか良いように見えた。個室はだいたい全部埋まっていたし、開放寝台も上段まで客があるようだった。 部屋の照明を消して、ベッドに座って、流れてゆく夜の景色をずっとぼんやり眺めていた。横浜を過ぎると、きらきら明るい町はもうほとんどなくて、真っ暗な景色が続く時間が多くなって、 だんだん眠たくなってきたので、早々と眠ってしまった。目が覚めるころにはどのへんを走っているんだろう、とか思いながら布団に入った。
■上の画像は、上から、東京駅10番ホームに停車中の寝台特急はやぶさ、2号車を検札中の車掌さん。
No.1338 2008-11-03
茜浜緑地

■連休の最後の日、自転車で外へ。空は曇り。空気は少しひんやりしてきた。京成津田沼駅前経由、まろにえ通りから秋津公園経由で新習志野駅。欲しいJRの切符があったので、空いてそうで、自転車を停めやすい駅で買おうと思ったんである。 うまいこと窓口に客はいなくて、待たずに買えた。それから茜浜緑地へ。海沿いを走る。東京湾は今日もどんより。小さな漁船がいくつも出ている。堤防の向こうの消波ブロックの上で釣りをしている者がけっこういた。猫も何匹かいた。
■県道15号線から若松の交差点を通って南船橋駅へ行き、買い忘れた切符を窓口で購入。感じのいい人が対応してくれた。ららぽーとのチケットぴあに立ち寄り、国道14号線、県立船橋高、中野木の交差点経由で帰宅。走行距離は約16km。
■画像は茜浜緑地。
No.1337 2008-11-01
試合前

試合後

■津田沼始発の各駅停車でのんびり千駄ヶ谷へ。駅で立ち食いそばを食べてから外に出ると、駅の前はたいへんな人出である。 神宮球場では大学野球、秩父宮ではラグビーの試合もあったらしい。ひさしぶりの国立競技場は、ナビスコカップの決勝。天気もよく、風は少しあるけど日差しがあたたかく、 観戦日和だった。青山門から入り、バックスタンドのてっぺんあたりの座席に座った。
■大分対清水。首都圏どころか、関東以外のクラブ同士の対戦となったが、ほぼ満員といっていい客入りで、清水はともかく、大分のサポーターはよくあれだけ集まったものだと思う。 ゴール裏をしっかりと青くした。事前の報道では、大分県民大挙上京とか陸海空で一万人、とか言われていた。本当にそんなに集まるだろうか、と思ってたら、本当に集まった。 試合前には両クラブのサポーターによる美しいコレオグラフィ。試合は激しいがラフなプレイは少なく、なかなかの好ゲームだった。大分が、らしさを発揮して2−0で勝利。 初の決勝で勝負をものにした。なにもないところからクラブを立ち上げ、地域リーグからJリーグ一部まで登りつめ、とうとうタイトル獲得を果たした。 地方クラブの快挙。これこそJリーグが目指す一つの理想だったのではないか。
■大分は、左サイドの鈴木慎吾が累積警告で出場停止だったので、どうするのかなと思っていたら、大胆にも、左サイドは捨てた。この大一番で大胆な采配である。 結果、右サイドからの攻撃で先制し、追加点も右サイドから崩したものだった。
■それにしても、自分が応援するクラブ以外の試合だと、こんなにも純粋に、力を抜いて試合を楽しめるんだなあと思った。 「クラブのサポーター」より「サッカーファン」のほうが楽だしたのしいんじゃないか。そして、平日夜の埼玉の僻地での試合と比べるのはフェアじゃない気もするが、 代表戦より、大分対清水の対戦のほうが客が入る今の日本サッカーの現状は、以前では考えられなかった状況だが、とてもいいことだと思った。
■帰りは初めて、地下鉄大江戸線の国立競技場駅を利用。何回も折り返しながら階段を下り、地下の深いところにある改札にようやくたどり着く。一駅だけ乗って青山一丁目で半蔵門線に乗り換え。 新日本橋から総武線の快速に乗り換えて津田沼。三越前から新日本橋まで、乗り換えですごく歩いた。地下道は人もまばらで、よかった。
■画像は上から、試合前の国立競技場、試合後の大分サポーター。
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