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No.1364 2009-1-25
三江線口羽駅
夜明け前の雪深い三江線口羽駅

津山城跡1
津山城跡1

津山城跡2
津山城跡2

姫新線佐用駅
姫新線佐用駅

■早朝にホテルをチェックアウト。ひと気のない真っ暗な道を駅まで歩く。路面が凍っててすべる。 真っ暗ななかで駅だけが明るい。三次駅前には、どこかからの夜行バスがちょうど到着したところで、数人、降りる客がいたようだった。 地方の駅では、列車の本数より、駅前で発着する長距離バスの本数のほうが多い、ということがけっこうある。 三次駅の駅員さんはとても感じがよくて、にこにこしていた。へんな経路の切符なのにぜんぜん券面を見ずに改札を通してくれる。 改札口から、一つだけ仲間はずれみたいにぽつんと離れた場所にある三江線の0番ホームへ。始発列車が一両だけぽつんと、雪がちらちら降るなかで、エンジン音をさせながら乗客を待っていた。 乗客は他にだれもおらず、発車時刻となった。ことによると乗客がゼロのまま走ることも少なくないのではないか、と思っていたら、次の尾関山という駅からは若い女が一人乗ってきた。 このあたりの車窓から見えるのは、やたらと駐車場の広いセブンイレブンの灯りだけだった。
■三江線は、広島県の三次から、島根県の日本海側にある江津という町までを結ぶ路線で、ほぼ全線にわたって、江の川という大きな川に沿って走る。 「江津」は「ごうつ」、「江の川」は「ごうのかわ」。三次から江津まで、直線距離だと60kmくらいなのに、ときどき橋で渡りながら、川の蛇行に忠実に沿うので、路線としてはおよそ110kmの距離がある。 そんなわけで、山陽と山陰を結ぶ、という役割はほとんど無く、全線を直通で走る列車は、上りの三次行きが一日に二本、下りの江津行きにいたっては一本しかない。 途中の石見川本や浜原で乗り継ぐ列車もあるが、一本乗り遅れると、次の列車まで三時間か四時間待たなければならないというダイヤになっているのだった。 江津まで直通する、一日一本しかない貴重な列車に乗車したわけである。ここのところ、せっかく遠出して、路線の乗りつぶしだけやって帰るのは、なんだかもったいないなと思うようになったので、 駅前旅行から卒業しようと思って、なるべく路線の途中で降りて観光もしようと思っているので、前日は福塩線に乗って、上下の町など歩いてみたわけだが、この三江線では、 どこか途中の駅で降りて観光、というのは、本数が少なくてかなり困難だったのであきらめた。
■30分あまり走り、香淀という駅を過ぎると、一度県境を越えて島根県に入る。作木口、江平、口羽の三駅が島根県で、次の伊賀和志という駅が広島県、次の宇都井は島根県にある。 県境が入り組んでいる。口羽駅では、列車すれ違い待ちのために長時間停車。ホームに降りてみると、除雪作業がまったく行われていないので、足が雪に埋まった。 長時間停車しているうちに、徐々に空が白み始め、発車するころには夜が明けていた。あたりが明るくなると、一気にぱーっと雪深い景色が広がった。乗降客がかなり少なかったので、それぞれの駅での乗り降りの人数を数えてみた。 潮駅から高校生が二人、浜原から高校生二人とおっさんが乗車。粕淵からおばさん一人、明塚から高校生一人乗車。石見簗瀬から乗ってきたおばさんは、粕淵からのおばさんと知り合いだったようで、 会話が弾んでうるさい。話題は全国共通の「自分の健康状態」と「家族の健康状態」である。どこどこの病院に通ってて、とか、あそこが痛いとか、そういったあれである。 「〜だから」というのを「〜けえ」という。このあたりの方言だろうか。岡山の叔母は「〜じゃけえ」と言うから、それに似ている。石見川本で6人下車。川戸では高校生一人とじいさんが乗車。
■三江線沿線の景色を見ていると、江の川がつかず離れずずっと見えるせいもあって、人の気配が遠い。集落は川の向こう側、橋を渡ったところにあることが多く、 町らしい町は粕淵、浜原、石見川本、川戸くらいしかなかったように思う。この路線は、路盤が良くなかったり、線路の規格がよくない区間が多いだとかたしかそういう理由だったと思うが、 制限速度が時速30km以下とか、25km以下とか、そういった区間がとても多くて、速度が出せないせいもあって、距離のわりには所要時間の長い路線である。 一応そういうことは知っていたが、それにしてもゆっくり、そろりそろり走るなあと思っていたら、途中、定刻よりかなり遅れていることに気づいた。 運転士さんが乗客一人ひとりに、江津から山陰本線の出雲市方面行きの列車に乗り継ぐ者がいないか尋ねて歩いていた。この遅れのままだと、乗り継げなくなる。 都会だと、列車の本数が多いので、一本や二本乗り遅れてもべつにどうということはないが、列車の少ない地域だと、一本逃すと数時間待たなければならないこともあるので、多少遅れても、乗り換え駅で接続列車が待っててくれることがある。 自分は出雲市方面行きに乗り継ぐ予定だったので、そう申告し、江津で接続を取るのか聞いてみると、運転士さんは無線でなにか連絡を取り合っていた。 結果、接続はとらないということになったのだけど、乗る予定だった列車の一時間ほど後にもう一本、出雲市行きがあり、出雲市からの特急列車にぎりぎり乗り継ぐことができるので、 どうにか旅程を大きく変更せずに済んだ。
■江の川の川幅がかなり大きくなり、対岸がずいぶん離れてきた。徐々に河口に近づき、江津の町の中へ入ってゆく。河口にかかる山陰本線の橋が見え、 いつのまにか三江線の線路と山陰本線の線路が合流したと思ったら、三江線の終点江津駅に到着。時間があるので、一度改札を出た。 久しぶりに島根県まで来た。2005年の12月に初めて出雲大社に参拝してから、2006年の12月には木次線や益田、日御碕、2007年12月には津和野と、 なぜか冬になると吸い寄せられるように島根に来ていたのだった。2008年は島根訪問はなかったが、また2009年になって冬に、乗り換えのための少しの時間とはいえ、 島根の江津に足を踏み入れることになった。江津の駅は、広い構内を持っていて、朝からずっと三江線の小さな駅ばかり目にしてきたので、余計大きな駅に見えた。 1番ホームには石州瓦の大きなモニュメントが置かれている。瓦と同じ色の龍の顔もある。外に出ると、冬の山陰らしいどんよりとした曇り空。空気がとても冷たい。 駅前には大阪行き長距離バスの乗り場がある。江津は特急も停まる、島根県内の主要駅の一つだが、駅の周辺を見ると、そうは見えない。住宅などの小さな建物が集まって建っているだけで、これといったものはなにもない。 体が冷えてしまったので、なにかあったかいものでも食べたかったのだが、店の類が見当たらなかったので、駅の地図を見て、少し歩いたところにコンビニエンスストアがあるようなので、行ってみた。 国道9号線沿いにポプラというコンビニエンスストアがあったので、そこでちょっとしたものを買って食べた。駅のまわりとは対照的に、国道沿いには大きな商業施設や官公庁の建物がある。
■駅まで戻り、米子行きの快速列車「アクアライナー」に乗車。なんだかおおげさな名前がついている快速列車だが、二両だけである。 車内を見ると、ボックス席がそこそこ埋まってて、立ってる客はほとんどいないので、二両でちょうどいいくらいみたいだった。 山陰本線のこのあたりは、日本海に近い場所を走るので景色がいいから好きである。でもアクアライナーの窓がすごく汚くて、景色を見る気がしなかった。日本海は冬の高い波。 神戸川を渡ると出雲の平野が見えてきて、ぼんやりしているうちに一時間ほどの乗車で出雲市駅に到着。この快速も、若干、定刻より遅れてたようだった。 一本早い列車に乗れていれば、出雲市駅で出雲そばの駅弁を買うつもりだったのだけど、ぎりぎりの乗り継ぎだったので、そんな余裕はなかった。 向かいのホームに停まっていた岡山行きの特急やくもに飛び込むようにして乗り継ぎ。指定席はがらがらだった。ほどなくして発車。 以前、やくもに乗ったときは、古い車両で、座席のシートも古くて驚いたが、今回乗ったら、シートが新しいものに付け替えられていた。宍道湖を左手に見ながら走り、 玉造温泉、松江などに停車。徐々に乗客が増えてきた。米子を過ぎると伯備線に入る。車内販売が来たので、昼食用に弁当を購入。岡山駅で売られている栗おこわ弁当というのを買って食べた。 おかずは肉、魚、野菜といろいろ入ってておいしいのだけど、ごはんがもち米なので、箸でつかむと固まってて、食べるのに苦労した。冬はもち米系の弁当は固まるから避けたほうがいいかもしれぬ。 この特急やくもも、雪の影響で少し遅れていた。新見駅で姫新線の津山行きに5分で接続するので、遅れるとまずいかなと思ったが、姫新線もかなり本数が少ない路線なので、 ちょっとくらいの遅れなら待っててくれるだろうと思った。車掌さんは「新見駅で姫新線に乗り換えるには、3号車のドアが階段に近くて便利」と、車内アナウンスで、丁寧に教えてくれた。 乗り換え時間が少ないから少々急いでくれ、ということも言っていた。新見駅について下車する者はほとんどいなかった。小走りで姫新線のホームへ。 姫新線の列車は一両だけで、先客は老夫婦の二人だけだった。
■姫新線は、兵庫県にある山陽本線の姫路駅から、津山を経由して岡山県にある伯備線の新見駅までを結ぶおよそ170kmほど路線だが、全線を通して走る列車は一本もなく、 理由はわからないが、大きく分けて姫路〜佐用、佐用〜津山、津山〜新見の三つの区間で区切った運行となっている。気がつくといつの間にか空は晴れていて、 山陰を抜けて山陽に入ったという感じがした。雪もすっかり見えなくなっていた。このあたりも人口密度は低いが、町並みや家並みは山陰側よりも裕福な印象を受ける。 石州瓦はこのあたりまでくると使われてないようで、黒い瓦屋根で白壁のりっぱな屋敷が多い。 乗降客が少なそうなので、車窓を眺めながら、三江線に乗ったときのように、乗り降りする人数を数えてみたりしていた。 岩山駅は古い木造の駅舎が残っている。丹治部からは若い家族、刑部からは親子が乗ってきた。月田からは男一人乗車。「美作産の杉桧」という看板が見える。 姫新線は岡山県道32号線に沿うように敷かれていて、さらに時々、月田川の流れも見える。川で釣りをする者もいた。 県道32号線は、それほど大きな道ではないが、見ているとどうも、この道に沿って集落が連なっているようなので、この県道はかつての街道か何かだったのではないかという印象だったから、 後から調べてみると、「出雲街道」と呼ばれる道だったようである。どこかのサイトによると、 「出雲から大和を結ぶ道は鉄の道と言われ、街道沿いは鉄とともに繁栄していった。この鉄の道が出雲街道と呼ばれるようになったのは江戸時代のことである。出雲から美作を経由して京・大阪を結び、 出雲の鉄・伯耆の木綿など様々な商品が行き来しさらに松江藩の参勤交代の道でもあったので、街道沿いは賑わっていた。」とのこと。それほど急な斜面ではないが、段々にした田も多く見られる。 中国勝山から大勢乗ってきた。駅周辺はなかなかの町のようだ。久世でもたくさん乗ってきた。駅前には製材工場のようなのがあって、大きな丸太が積んである。 あれが美作の杉だろうか。美作追分からは中学生くらいのが一人乗ってきた。駅舎の壁には「福祉のまちづくり キリタロー村」と書いてあって、黄色いへんてこなキャラクターの絵が描いてある。 坪井で高校生が一人下車し、ばあさんが一人乗ってきた。美作千代駅の手前にある公園には小山があって、そこを腹ばいの格好で勢いよく滑り降りる少年がいた。 美作千代では高校生が一人下車。院庄を過ぎると突然大きな町が見えてきて、まもなくこの列車の終点である津山に到着。みんなここで降りる。
■津山駅は、2006年の1月、鳥取からの因美線に乗ってきて津山線に乗り換えるのに利用したことがあったが、乗り換えだけだったので、駅を出るのは今回が初めてである。 駅の階段や地下通路の壁、駅舎の外壁には、なまこ壁の模様が描かれている。次に乗る列車まで一時間以上あるので、城跡を見に行くことにした。駅の北側にバス乗り場、タクシー乗り場があって、 箕作阮甫という人物の銅像が建っている。いったい誰なんだ、と思うより先に、だいたい、名前が読めない。「みつくり げんぽ」だそうだ。 江戸時代の蘭学者で、語学も堪能だったので、翻訳や通訳としても活躍したらしい。駅のそばには屋根のある薄暗い商店街があり、駅前を東西に走る国道53号線を渡り、北へ向かうと吉井川で、 なかなか大きな川である。川の両岸は整備されていて、広々している。今津屋橋は工事中だった。川を渡ると「ごんご通り」という道があって、今津屋橋商店街がまっすぐ北へ延びていて、 それぞれの店を、城下町風の外観にそろえている。日曜日だからなのか、シャッターが閉まっている店が多かった。 地図を見ると「鍛冶町」「細工町」「大手町」「下紺屋町」など、町名に城下町の名残が見て取れる。 駅から北へ1kmほど歩き、右に曲がると、津山城跡のある鶴山公園に着く。石段を登ると大きな石垣が現れ、見上げると、葉の落ちた桜の木の向こうに、復元された白壁の櫓が見える。 津山城は、1616年に完成したそうで、往時には五層の天守閣がそびえていたらしい。明治の廃城令で城は取り壊されてしまったが、石垣だけは残った。 昭和38年に国史跡に指定され、鶴山公園として整備されて今に至るということである。入園料は大人210円。 山の城に比べると、平地の城だから運びやすかったということなのか、石垣の石一つ一つがでかい。そして石垣は大きく、鋭く力強い印象である。幅の広い石段を登ってゆくと、備中櫓があり、さらに登ると天守跡である。 見晴らしがよく、津山の町を一望できる。日も傾いてきた時間帯だったので、観光客の姿はまばらだった。城内には桜の木がたくさんあるので、春は美しいのではないか。 公園内にはちょっとした動物園があったので行ってみると、鳥ばかりだった。わけのわからない鳴き声が響き渡っている。唯一いたのがアライグマで、何もない檻の中にぽつんと座っていてこちらを見ている姿は、なんだかわびしい。 来た道を駅まで戻る。津山駅の向こうに見える低い山に日が沈もうとしていた。津山から佐用行きの列車に乗車。既に入線していて、座れないほどではないが、一両だけの列車には客がたくさん乗っていた。
■徐々に暗くなってゆくので、景色は見えなくなった。林野で数人下車。林野は湯郷温泉の最寄駅だが、いたって普通の田舎町。楢原の駅前には、女子サッカーの「なでしこリーグ」一部の湯郷ベルのロゴが入った自動販売機が置いてあった。 それほど乗客は減らないまま、この列車の終点佐用に到着。佐用は、智頭急行線との乗り換え駅だが、乗客のほぼ全員が次の姫路行きに乗り換え。 本竜野では降りる者も多いが、乗ってくる者も多い。姫路からの下り列車とすれちがったが、向こうは大勢立っている者がいるほどの混雑。大都市姫路への通勤圏内ということか。 徐々に町のネオンが増えてきて、終点の姫路駅に到着。さすがに人が多い。ここでは変わった駅そばが食べられる。山陽本線のホームにある立ち食いの店に、その名も「えきそば」というやつがあって、 「そば」というんだけどラーメンみたいな麺である。不思議な感じがするが、なかなかおいしい。姫路からは新幹線。けっこう混んでいる。新大阪、名古屋で客が入れ替わったが、ほぼ満席のまま品川に到着。 快速に乗り換えて津田沼へ。
■今回は、福山から福塩線、三江線、姫新線を経由して姫路までという経路で移動したが、福山〜姫路だけの移動ということなら、 新幹線だと、いちばん遅い「こだま」でも1時間10分の距離である。それをわざわざ山を越えて川を越え、ぐるりと二日もかけて遠回りで移動して、 ばかなの?修行なの?と言われてもしかたのないような旅行となったわけだが、好きでやってるんだから仕方ない。 これまでの旅行でも、たびたび組み込もうと計画を練ってはうまくいかずに断念していた難敵三路線を一気に片付けることができた。 嫌な顔せずへんてこな経路の切符をつくってくれた千葉駅のみどりの窓口の姉さんには感謝したい。
No.1363 2009-1-24
福塩線府中駅
福塩線府中駅

上下キリスト教会
上下キリスト教会

上下町の翁座
上下町の翁座

上下の町並み
上下の町並み

■早朝の快速に乗って新橋へ。夜明け前の津田沼駅、あと新橋駅でも、スノーボードを持った若者がけっこういた。新橋で 都営浅草線から京急に直接乗り入れる羽田空港行きの快速に乗り換え。地下鉄のホームは静まり返ってて、ベンチで寝るおっさんのいびきだけが響き渡っていた。 羽田行きの電車は朝からけっこう人がたくさん乗っている。早起きの人がたくさんいて驚く。品川や京急蒲田などでどんどん人が乗ってきて車内はいっぱいになった。 京急蒲田駅の発車メロディは「夢で遭えたら」だった。羽田の7番搭乗口から朝いちばんの広島行きの便に乗ると、そこそこ満席に近い。 滑走路上を延々走って、離陸予定時刻を20分以上過ぎてからようやく飛び立った。機内のスクリーンでは、午前6時のNHKニュース。 西日本での雪の情報など。平地でも積雪がある、と言っていた。機内のオーディオでは、ジャズのチャンネルでブルーノートの歴史をたどる特集。 リー・モーガンの「ザ・サイドワインダー」がすごくかっこういい。 広島空港へ向けて高度を下げてゆくと、灌漑用と思われるため池があちこちに見えた。着陸すると、滑走路が凍結していた。離陸時の遅れをいくらか取り戻して、 定刻より15分ほど送れて広島空港に到着。外の出るとやけに冷えている。北海道に着いたみたいだった。うっすら雪が積もっていた。 空港からバスで福山駅へ。一時間くらいかかる。広島駅まで行くのも、バスで一時間くらいかかるらしい。もうちょっと町に近いところに空港を作れなかったものかと思う。 バスは空いていて、乗客は数えられるくらい。シートの前後の間隔がせまくて、足元が窮屈だった。
■福山駅に近づくにつれて、大きな建物が目立ち始める。町並みに特徴はないが、なかなかの都会である。福山には2003年12月に初めて訪れたが、 それまで福山についてまったく知らなかったので、駅前の繁栄ぶりに驚いた。調べてみると福山市は人口50万くらいで、新幹線も停まる。 印象的なのは、駅のホームからお城が見えることで、駅のすぐ目の前に福山城がある。お城のある一帯が公園として整備されていて、以前ここを訪れたときは、 猫が5、6匹わらわらと寄ってきて驚いたが、今回も猫がいた。三匹ほどいて、のんびり日に当たっていた。寄っては来なかった。 福塩線の列車に乗車。福塩線と言われても聞いたことがないひとが多いと思うが、福山から塩町までを結ぶ路線である。 福山という町も北海道や東日本の人間にとってはいまいちなじみがないと思うが、塩町というのはさらにわからない。 瀬戸内海側にある福山から、北西へ向かって、山のほうへ向かって80kmくらい行ったところにあるのが塩町で、そこで芸備線に接続する。 全線を通して走る列車は無く、途中の府中という駅で乗り換えをする。福山〜府中間は30分に一本はあるのだけど、府中から先の区間になると一日八本しか走ってない。
■福山からは三両編成の列車。ドアはボタンで開閉するタイプの車両である。朝の下り列車なので空いていた。途中、「駅家」という駅があり、 駅家駅ということになって、なんだか妙な感じである。駅間距離が比較的短くて、小まめに停車していく。万能倉という駅で列車行き違いのため停車。 すれちがう上り列車は乗客が多い。最初晴れていた空がだんだん曇ってきた。福山から40分ほどで府中駅に到着。昼近い時間だったので食事しようと思って駅周辺を歩いたが、 食事できそうな店がぜんぜん無くて、あっても店を開けてなかったりして、どうしようかと思いながら駅まで戻ってきたら、駅のすぐ前にある喫茶店が営業しているのに気づいたので、 入ってみた。パンでいいかと思っていたらどういうわけか丼や定食がメニューにあったので、ごはんものにした。厨房の奥からは猫の鳴き声がした。 置いてる雑誌や、店主と、常連と思しき客の会話の内容など、若干だめな感じのある店だが、ごはんはまあまあふつうである。 駅の近くには「銀座通り」という商店街があり、その先には「一番街」という、アーケードのある商店街が続いていて、その向こうには山が見える。 駅の前にはタクシーが停まり、学習塾もあるしローソンもある。若者向けの服屋もあるし、ビジネスホテルもある。路地にはスナックもある。 そこそこの地方都市といった風情の町である。
■府中から先、一日八本の区間を走る三次行きの列車に乗り継ぐ。列車といっても一両だけである。発車時間より早めに乗って待っていたら急に雪が降り出した。 乗客は高校生と老人。日本中の地方路線は、高校生と老人を運ぶ交通機関となっている。車窓の風景を見ると、遠くに低い山、近くに瓦屋根の家と田という、 これもまた日本を代表する景色というか、日本中普遍の景色である。天気は晴れたり曇ったり。河佐という駅で老人が5人ほど下車した以外は、 とくに目立った数の乗り降りはなかった。40分少々乗車し、上下という駅で下車。「じょうげ」である。妙な名前の駅だ。 駅のホームには「福塩線最高地点 383.74m」と書いた標が立っている。いつの間にかずいぶん高い場所まで来たようで、383mというと、 函館山が334mだからそれよりも高い。空気がきりっと冷えていて、山の上の空気である。雪も少し積もっている。上下というのは古くからの町のようで、 石見銀山から運ばれた銀の集積中継地として栄えたそうだ。おそらくこのあたりを通るのが、日本海側から瀬戸内側に抜けるときに、 中国地方の山脈を越えるルートの中で、比較的地形が険しくないルートだったのだろう。
■駅を出て国道432号線を渡り、ちょっと歩くと商店街のような通りがあって、 その通り沿いに、うだつのある白壁の建物や黒漆喰、なまこ壁の商家等が建ち並んでいる。こういう町並みの保存運動が起こると、うっかりすると、 「古い町並み」というテーマパークになりがちだが、この町の場合、古い建物がどれもこれも現役で使われているのがいい。薬局もあるし自転車店もある。メガネ屋もある。 古い建物は、よそ者が見ると、ああいいなあなんてうっかり思ってしまうが、冬は寒いし、手入れもわずらわしいし、大変な苦労があると思う。 そんな古い建物の町並みの中でアクセントというか、シンボル的な存在になっているのが「上下キリスト教会」の建物である。明治時代に建てられた倉庫の上に尖塔みたいなのを後からくっつけたらしい。 案外違和感なくてポップな建物である。この教会の画像をネット上で見たとき、建物のすぐ前に電線と電柱があって、電線がすごく目障りな印象だったのだけど、行ってみたら、電線がなくなっていた。 日本の景観をだめにしているものはたくさんあるが、とくに電線は、全国的にどうにかしてほしいと思う。どうにかできた実例は日本中たくさんあるのだから、 やる気があればできる。それはそれとして、この通りには、上下歴史文化資料館という施設があって、旧岡田邸という建物を活かして、内部を大々的にリフォームのようなことをして、 きれいな展示施設にしていて、入場無料である。この旧岡田邸というのは、田山花袋の「蒲団」という作品のヒロインのモデルとなった岡田美知代の生家だそうだ。 残念ながらその作品は読んだことがない。とにかくなかなか立派な資料館である。
■通りから少し離れたところに翁座という、大正時代に建てられた芝居小屋が残っていて、中を見ることもできる。外の壁にかけられた「映画実演」という看板が印象的なこの建物の中に入ると、 灯りを燈した赤と白の提灯が壁際にずらりと並んでいて、特別な空間という印象を強く受ける。板張りの床は傷んでいるようで、歩くと少し不安だが、大丈夫だった。二階にも上がれるようになっていて、 桟敷席になっている。壁には映写機のための穴があけられている。天井を見上げると見事な格天井だ。有名ではないが、よく残しておいてくれた、と思えるいい建物である。 他にもこの町には、代官所跡だとか、屋根の上に見張りやぐらがある明治時代の警察署があったり、 上下という町の名前の由来になった、中国地方の分水嶺がある。分水嶺というのは、水の流れの分かれ目という意味で、瀬戸内海へと流れ込む芦田川と、日本海へ流れ込む江の川がそれぞれ北と南へ流れる起点となっている。 だいたいそういう分水嶺は、人里離れた山の中にあるので、町の中にあるのはめずらしい。それにしても、まったく観光客の姿がない。ゆったり観光できるのはありがたいが、 いい町並みが残っているので、もったいない気がする。
■駅へ戻り、上りの列車で福山方向へ一駅戻る。ホームには数人、列車を待つ乗客がいて、少ない本数の列車をうまく使っている人がけっこういるんだな、と思った。 隣の備後矢野駅で下車。ここは古い木造の駅舎が残っているのだけど、その駅舎の中でうどんが食べられると知って、訪れたんである。 駅舎の、ホームに面したところにスペースを設けて、カウンターとテーブルがある。店のおばさんと、焼酎を飲んで酔っ払っている親父が一人いて、 その親父に話しかけられた。店の常連らしい。広島弁なのか、ときどき何を言っているのかまったくわからないときがあったが、適当に相手した。 この辺りは過疎が進んで、人がどんどん減っていること、たばこを買うにも遠くまで行かなければならないこと、建築の仕事をしているが、めっきり仕事が減ったことなど、 あとなんかいろいろ言ってるのをうんうん、と聞いていた。そしてたらお土産にようかんをくれた。うどんには梅味の餅とヨモギの餅が入っていて、 西日本なので、丸餅だった。わかめ、ネギ、かまぼこも入ってて、つゆの色がやや濃い目だったが、味は関西風のうす味で、おいしかった。 列車の時間が来てホームへ。酔っ払い親父は、また来いよ、と言っていた。
■下りの列車に乗車。さっきまでいた上下の駅も過ぎ、列車は福塩線の終点塩町を過ぎて芸備線にそのまま乗り入れる。一時間と10分ほどで三次に到着。 福塩線を乗り通し、未乗路線を一つ消化できた。三次で一泊。まだ明るさがいくらか残っているうちに宿に着くのは、すごく久々な気がする。 駅前の様子を見ると、三階建てか四階建てくらいの昔の雑居ビルみたいなのがいくつか建っていて、迎えの車がけっこう出入りしていて、ひと気はまあまああるほうだと思う。 「歓迎」と書かれた看板を見ると、三次では夏に鵜飼をやってるらしい。駅前の通りは車の交通量も多く、道沿いにはマクドナルドもあるしスーパーマーケットも車屋もある。 駅から少し歩いたところにあるホテルに宿泊。夜7時過ぎくらいに外に出たら、車も人もぜんぜんいなくてびっくりした。 ホテルは線路に近い場所にあるので、たまに、列車の走る音がする。カーテンを開けて見てみると、列車は長くて三両編成なので、 すぐに通り過ぎていく。結構遅い時間、といっても夜の10時半くらいまで、広島行きの列車があるようで、見たら乗客はほとんど乗ってなかった。 調べてみたら、あの列車は日付が変わるころに広島に着くようである。夜遅くのがらがらのローカル線はさびしい。乗りたい。
No.1362 2009-1-18
茜浜の猫と自転車

■今年になってからは初めて、新習志野の茜浜へ。緑地公園では親子凧揚げ大会みたいなのをやってて、大勢の家族連れが集まっていた。 表彰式みたいなのをやってた。空は薄ぐもり。前から見かける猫たちの姿があった。
No.1361 2009-1-17
高滝駅の猫1

高滝駅の猫2

高滝駅の猫3

■朝、津田沼にも停まる特急「新宿わかしお」に乗って五井まで行った。特急に乗るほどの距離ではないのだけど、 つい乗ってしまった。自由席なら500円だ。津田沼に停まる特急、というだけで乗りたくなるのはしかたのないことだ。 今となっては、特急が停まるということにあまり重みは無いが、かつては特急が停まるといっては太鼓を叩いたり踊りをおどったり、 大変な騒ぎになったらしい。いまでもたまに、地方の路線に乗っていると、「来春のダイヤ改正にて、○○駅特急停車決定!」とか、 大きく貼ってるのを見ることがある。それはそれとして、特急「新宿わかしお」は、津田沼〜五井くらいだと、 所要時間は快速とそんなに変わらない。9両編成で、自由席は空いていた。乗ったと思ったらすぐに五井に着いた。
■五井まで来たのは、市原臨海競技場に行くわけではなくて、小湊鉄道で高滝という駅まで行こうと思ったからである。 小湊鉄道には、よく考えるとこれまで一度しか乗ったことがなかった。千葉県だし、近いから乗ろうと思えば乗れるのだけど、乗る用事も特にないんである。 たしか前に乗ったのは2005年の8月、太平洋側、外房線の大原駅からいすみ鉄道に乗って終点の上総中野まで行き、そこから小湊鉄道に乗り継いで、 終点五井まで乗り通した。房総半島を横断する唯一の鉄道ルートである。そのときは、途中の養老渓谷駅から中高年が大勢乗ってきて、 すごくうるさくて、車窓もそんなにおもしろくないし、運賃は高いしで、あんまりいいイメージはなかった。
■改めて今回、小湊鉄道に乗ってみようと思った。五井駅の、JR側から小湊側への連絡通路では、弁当や惣菜を売っているおばちゃんが以前からいて、 今日も朝からいた。なかなかおいしいし、安いのだ。何度も利用したことがある。駅前のローソンでなにか買うんだったら、このおばちゃんのところで買ったほうがいいと思う。 五井から高滝までは約40分ほどだが、運賃が890円もする。調べたら、五井から高滝までの区間、一日乗り降り自由のフリー切符があって、 それが1360円である。往復するだけで420円、得する。それを買った。途中下車もし放題だが、なにしろ列車の本数が少ないので、このフリー切符を使いこなすのはなかなかにむつかしい。 ホームには一両だけの上総中野行きが、発車を待って停まっていた。 少しすると回送の車両が一両、向かいのホームに入ってきた。乗る車両を見ると、昭和50年製造というプレートがついている。33年前の車両である。 自動車だったら、33年前のが走ってたら、ものすごくみんな驚くと思う。でも列車だと、それくらいの年数のが現役で走っている。 回送の車両も見てみたら、そっちはもっと古くて、昭和38年製造と書いてあった。ものすごく古い。これも現役である。
■朝の下り列車にしてはそれなりの乗客数。ちゃんと車掌が乗務していた。五井を発つとまもなく、田園風景となり、建物もまばらになる。 車内が若干暗いことに気づいたが、蛍光灯の照明が点いてなかった。でも外は晴れてるし、本を読めるくらい明るいから、べつにどうということはなかった。 JRなんかの車両が必要以上に明るいのかもしれない。あと、地方に行って、農村を通ると、水田に囲まれた立派な屋敷があって、その敷地の中だとか、敷地のすぐ隣に墓があることが結構よくある。 この沿線でも、そういうのがいくつか見えた。普通、墓というと霊園とか墓地とか寺とかに一かたまりになってて、墓参りというと、家族で車に乗ってそういうところまで行ったりするわけだが、 そういうのと比べると、墓がとても身近にあって、自然と、ご先祖様のことを意識する機会も多いのではないか。「墓参りに行く」という概念も、そういう家だと無いのだろうな、とか思った。 この路線は、海側からだんだん内陸に入ってゆく。内陸なので気温が低いのか、水の残る田には氷が張っていた。
■前に乗ったときは、混雑していたので、外を見ることもままならなかったが、今回は停まる駅ごとに、駅舎やホームの様子を観察することができた。 プレハブ小屋みたいな待合室しかない駅もあるが、木造の古い駅舎がけっこう残っていて、同じ時代に建てられたのか、どこも似たような駅舎だった。 上総牛久という駅で、乗ってた客の半分近くが降りていった。駅周辺は店舗や住宅が多く、それなりの町のようである。この沿線での人の流れの境目が上総牛久なのだろう。 五井〜上総牛久の区間だけ走る列車はわりと多くあるようだ。 上総鶴舞駅は「関東の駅百選」というやつに選ばれているらしいので、じっくり見てみたが、この沿線の他の駅とそんなに変わらないように見えた。 高滝駅に着き、下車。他に二、三人降りた。
■高滝駅は、他の駅とよく似た木造の古い駅舎である。当然のように無人駅で、ホームにはそれなりに立派な屋根があり、かつては窓口で切符を売っていた形跡もある。 駅のかたわらには自転車が二台置いてあって、駅前はタクシーも停まっていないがらんとしたロータリー的な広場がある。その向こうには車が多く走る通りが見え、渡ったところに商店が見える。 あとは民家がいくつかあるだけの駅前である。駅舎の中にはガラスケースに入った掛け時計があり、壁に造りつけの長いベンチがあって、高滝小学校の生徒による俳句が貼られている。
「大へんだ なかなか起きない 寒い朝」
「おでんはね 寒い時には ぴったりだ」
「こたつはね 寒さをしのぐ 勝れ物」
「霜柱 ザクザクキュッキュッ 楽しいな」
原文のままである。どうやら冬がテーマの俳句らしい。
■歩いて10分ばかり行ったところには高滝ダムというのがあるらしくて、見に行こうと思っていたのだけど、駅の写真なんかを撮ってたら、どこからともなく猫達が現れて、 人をこわがらないでついてくるので、その猫達と遊んでいた。通りかかったおばさんが、駅のまわりには全部で7匹くらいの猫がいることや、魚を買った帰りに通りかかると猫がたくさん寄ってきて困る、 というようなことを教えてくれた。猫にもそれぞれ性格があって、積極的ににゃにゃと声を出しながら寄ってくる者や、声は出さないがさりげなくついてくる者、遠巻きに座ってこちらをじっと観察している者など、 さまざまである。日当たりのいいベンチで座って、五井駅のおばちゃんのところで買った海苔巻きを食べた。シンプルでおいしかった。 五井行きの上り列車が来たので乗車。上総牛久から大勢乗ってきて、一両だけで走ってるので、立ち客が出るほどだった。
■五井から総武線の快速で津田沼まで。五井駅のホームで電車を待っているとき、かつて月に二度か三度、市原臨海競技場まで行ってたことを思い出した。 ジェフユナイテッド千葉が蘇我のフクダ電子アリーナを使用するようになる2005年10月まで、試合の後、このホームから帰りの電車に乗っていた。 イビツァ・オシム監督時代は、市原臨海ではほとんど負けなかったので、気分よく電車を待っていた。蘇我ではまだ、いい気分で帰れることはあんまり多くない。 去年はあんまり試合見に行かなかったが、今年はどうだろうか。そういえば今年に入って1月4日、イビツァ・オシム元監督は、故郷のオーストリアへとうとう帰ってしまった。 いつかまた日本にも来てほしいが、それはなかなかむつかしいのかもしれない。
No.1360 2009-1-14
■そういえば先日埼玉県まで行ったとき、東京駅の中の本屋で、宮沢章夫さんの「アップルの人」という文庫本を買った。 「マックパワー」という雑誌の連載をまとめた「レンダリングタワー」という本が先に出ていたのが文庫化されたのだけど、 「レンダリングタワー」が出版されてからも連載が続いてたので、その連載の未収録分も文庫化の際に収録されたので、 まだ読んでなかった文章がたくさん載ってて、よかった。 総武線の快速電車の中で読んでいたら、はじめは口元を手でおさえるくらいで済んでたのが、だんだん我慢できなくなってきて、 笑ったらだめだと思うと余計おかしくって、笑いをこらえるせいで体がぷるぷる震えるのだった。隣に座っていた人は、 こいつ震えていったいなんなんだ、と思われたのではないか。べつに気にしないが。 あんまりおもしろかったんで、つい宮沢さんに感想のメールを送ってしまった。
■それにしても、文章で人を笑わせることができるというのは、すごいことだとつくづく思うのだった。
No.1359 2009-1-13
■土岐麻子の「TOUCH」という新しいアルバムを聞いた。土岐麻子、最近は真心ブラザーズやくるりのコーラスをやったり、 あとよく知らないがテレビコマーシャルのナレーションをやったり、いろいろ活躍しているらしい。彼女のあの「声」が重宝されているのだろう。 で、「TOUCH」である。前作「TALKIN’」や「Summerin’」でも感じたことだが、何よりも、 川口大輔という強力なメロディメーカーにの才能に感心する。彼について私は何も知らないが、優れたミュージシャンであることはわかった。 シンバルズ時代にも沖井礼二という、この人もまたすごいのだけど、そういった人たちの作品を歌うことができて、土岐さんは本当に恵まれている歌い手だと思った。 ジェフユナイテッド千葉でいうと、イビツァ・オシムとアレックス・ミラーの指導を受けることができた巻選手のようだ。 サッカー選手に例える意味はよくわからないが。
■ビル・エヴァンスの名曲「Waltz For Debby」に歌詞をつけて歌うという、すごい挑戦もしている。正直、歌詞は、うーん、という感想だが、 勇気ある。いままでこんなこと誰もやらなかったんじゃないか。らららとかるるるとか、そういうハミングだけのほうがいいんじゃないかなと思ったが、 作るほうがこれでいいと思ったんだから仕方がない。キリンジの堀込泰行とのツインボーカルの曲も一曲入ってるし、岸田繁作曲の作品も一曲入ってる。
No.1358 2009-1-11
■晴れてはいるが風の冷たい日曜日、自転車に乗って、海浜幕張にある、とある商業施設へ行った。主に衣類の店が並んでいるが、冬の商品が安くなっていた。 この冬はダウンジャケットが多く売られたようである。軽くてあったかいので実用的だが、いまひとつ着たいと思わない。高校生のころ、ちょっと着てたことがある。 それはそれとして、この冬確かにダウンジャケットを着ている者は確かに多かった。で、この商業施設で見かけたのは、ダウンジャケット売場で品定めする、 ダウンジャケットを着た男の姿だった。
あんたもう着てるじゃないか。
そんなことも言いたくなるが、彼は何着でもダウンジャケットが欲しいのだった。よく知らないがそうに決まっている。 ただ、ダウンジャケットというやつはもこもこしているので、たくさんあるとクローゼットがいっぱいになってしまうのではないか。
■特になにも買わなかった。
No.1357 2009-1-09
■正月気分もすっかり無くなり、また普通に仕事に行く日々である。朝はずいぶん冷え込む。 朝は津田沼駅から、下りの千葉行きの電車に乗る。4番ホームから、津田沼始発の各駅停車に乗るので、車内はがらがらで、100パーセント座れる。 向かい側の5番ホームからは、上りの各駅停車が発車する。三鷹行きとか、中野行きである。上り電車も津田沼始発の電車がけっこうあるので、 入線前から人がたくさん並んでいる。ホームに電車が入ってきて、ドアがあくと、並んでた人たちがどっと一気に車内になだれこんで、 空いている座席を探して素早い動きで座る。椅子取りゲームのようで、毎朝たいへんだなと思いながらも、見てると笑える。残念ながら席につけなかった者は、 くやしそうにドアの脇に立つか、降りて次の始発電車を狙って並びなおす。つくづく、あれに自分が参加せずに済んでてよかったと思う。
■話は変わるが、埼玉県の中でも北部、かなり群馬県に近いある町で仕事があり、新幹線で熊谷まで行き、熊谷から普通列車に乗り換えた。 平日の中途半端な時間の越後湯沢行きの上越新幹線は、ものすごく空いていた。乗り物は空いているほうがいい。 で、普通列車に乗り換えてから、籠原という駅の近くに、どういうわけかわからないがJA士幌町の倉庫のような建物と、事務所があるのに気づいた。 JAといえば昔の農協だし、士幌町は、北海道の町である。倉庫にはじゃがいもでもたくさん入ってるんだろうか。
■関東でも積雪か、とか予報で言ってたが、雪なんて降りもしなかった。
No.1356 2009-1-03
実家近くの猫

函館駅の吹き抜け

函館駅の改札のあたり

■正月の三が日、函館はおだやかな天気で、この時期にしては気温も高めだったので、楽だった。実家の周辺をぶらぶら歩いた。 昔よく行っていた銭湯が廃業したという話を聞いたので見に行ってみた。確証は無いがたしかにそういう雰囲気である。黒い猫と白い猫が歩いていたのでついていったら逃げていった。 三毛猫も見たが、すごい勢いで走っていなくなった。昔遊びまわっていたあたりは、建物がなくなって更地や駐車場になっていたり、小奇麗な新しい家が建っていたりで、 昔の面影はずいぶんなくなった。幼少のころ遊んだ公園はまだあったが、遊具がほとんど無くなって、がらんとしていた。 昔よく遊んでいた友人の家の前を通ったら、そこの家の父親がちょうど車で出てゆくところだった。髪がすっかり白くなっていた。 近所のショッピングセンターに行ってみたら、新春お笑いショーみたいなのが開催されていて、知らない芸人が三組くらい出演していたみたいだった。置かれたパイプイスにはたくさん人が座っていて、 立って見ている者も大勢いて盛況だった。母に頼まれていた乾電池を買った。あと、文庫本を一冊買った。
■夕方、五稜郭駅から一駅、函館駅で一旦下車し、会社の人間への土産物などを購入。じゃがぽっくるが昔より店に並んでいるようになったみたいである。今は生キャラメルが人気なんだろうか。 どちらも、お金出して買うほどのものでもないような気がするのだが。それはそれとして、今回の帰省は、ぼやぼやしていたら帰りの航空便が満席になっていたので、 ひさびさにJRで津田沼まで戻ることにしたのだった。帰省の下り便は、出発がばらけたみたいだが、上りは3日と4日の土日に集中したみたいで、 あっというまに満席になったようである。函館から青森の八戸までは特急「スーパー白鳥」、八戸から東京までは東北新幹線の「はやて」である。
■車掌さんのアナウンスによると、スーパー白鳥もはやても、指定席は満席だったらしく、はやては全席指定なのでそうでもなかったが、自由席のあるスーパー白鳥は、自由席車両を見ると、 函館発車時には車両の通路、デッキまで人がいっぱいで、たいへんなことになっていた。18きっぷシーズンのムーンライトながらみたいな状況である。 指定席がとれててよかった。自分が乗った車両はとても静かでよかった。函館から八戸までは3時間、八戸から東京までも3時間。八戸で少し乗り換えの待ち時間があったので、そばを食べた。 東京駅からは快速で津田沼へ。北海道まで新幹線が延びると、東京から函館まで4時間になるそうだ。飛行機で羽田−函館間は1時間10分くらいだが、羽田まで行く時間と、函館空港から函館の市街地まで出る時間を考えると、 4時間というのはけっこういい勝負になるような気がする。でも新幹線が出来ると、並行在来線がなくなったり、第3セクター化されて不便になったりするかもしれないから、手放しで喜べない部分も少なからずある。
■画像は上から、実家近くの猫、函館駅の吹き抜け、賑わう改札口周辺。
No.1355 2009-1-02
温泉に入るニホンザル
温泉に入るニホンザル

りんごを食べるニホンザル
りんごを食べるニホンザル

ひとかたまりになるニホンザル
ひとかたまりになるニホンザル

熱帯魚
水槽にいた熱帯魚

木に生っているバナナ
木に生っているバナナ

色鮮やかな鳥
色鮮やかな鳥

冬の八幡坂
冬の八幡坂

旧イギリス領事館
旧イギリス領事館

除雪道具
旧イギリス領事館にあった除雪道具

■朝起きて雑煮。午前中、またWiiというゲームをやらされた。昼前に外出し、湯の川のほうにある熱帯植物園へ。市の施設で、ガラス張りの温室の中で熱帯の植物が栽培されている。 近くの温泉からお湯を引いて熱源としている。まだ自分が小学生だったころ、親に連れられて来たことがある。かれこれ20年ぶりくらいに訪れたが、 周囲の様子だとか、園内の様子は当時とそれほど変わっていないように感じた。とても懐かしい。ここの売りはなんといっても、温泉につかる猿である。 植物園の敷地の中、温室の建物の前庭に猿山があって、100匹くらいいる。説明書きによると、ここの猿の種類はニホンザルで、もともと北海道には生息していないんだそうである。 水に入るのを嫌うのだけど、ここの猿たちは、冬場は寒さをしのぐために温泉に入るんである。そういう様子を見られるのはめずらしいのだそうだ。
■この日は新春企画なのかなんかそういった感じで、来園者に特別にりんごのサービスがあった。といってももらったりんごを食べるわけではなくて、食べている子供もいたが、 猿にあげるんである。りんごは一人一個ということだったが、そんなに来園者は多くなかったので、たくさん余っていた。 投げたりんごを猿がキャッチしてくれるかな、と思ったが、どの猿もキャッチしてくれなかった。地面に落ちて割れたりんごの破片を数匹の猿がかかえて走っていく様を茫然と見ていた。 中には器用に手で皮をむいて食べるやつや、湯につかったまま食べるやつ、両手に一個ずつかかえて隠れて食べる欲張りなやつなど、様々である。 きっと猿にもいろいろ性格があるのだろうなと思った。温泉につかっている猿はなんだか、人間の爺さんのような感じに見える。たびたび喧嘩の声が聞こえてきて、猿が追いかけたり追いかけられたりしていた。 ユーモラスで、ずっと見ていても飽きない。おもしろかった。
■温室の中はあったかくて、中に入るとメガネが曇った。昔は温室の中にリスザルやフラミンゴがいたのだけど、もういなかった。子供のころは植物なんてあまり興味がなかったから、 どういう木があったとかぜんぜん記憶になくて、やっぱり覚えているのは猿山とリスザルとフラミンゴである。でもこの年になって見てみると、 バナナやパイナップルが、どんなふうに生っているのかとか、「鬼切丸」みたいなわけのわからない名前のサボテンだとか、なかなか見ることができないので、興味深かった。 枇杷やグレープフルーツも生っていた。アロエのでかいのやコーヒーの木、アセロラ、キンカン、アスパラガスとか、やはり食べられるものに目がいく。 南国の色鮮やかな鳥やイグアナもいたし、ピラニアなどの熱帯の魚の水槽もあった。
■植物園をあとにして函館駅前で数軒の服屋を見た。ちいさい店が多い。自分が高校生のころからある店がまだあった。駅前の百貨店は思ったより客がいたが、 福袋は、無印良品のやつ以外けっこう売れ残っていた。自分には福袋を買おうという気持ちがわからない。パチンコをやるのとおんなじくらいわからない。 損するとわかっているのに、買うなんてすごいな、余裕あるんだな、って思う。市電で末広町まで行き、函館山の麓をぶらぶら歩いた。坂道が凍っていて危ないところもいくつかあった。 何度も来ているが、毎回おんなじような道を歩き、おんなじ建物を見て、おんなじような写真を撮るが、地元ながらなかなかいいなと思う。夏と冬でもずいぶん印象がちがう。 冬は日が暮れるのが早いから、カラスが早い時間に山に帰ってくる。坂の向こうに港の海が見える。斜面でそり遊びをする子供がいた。団体旅行の中国人がいた。 北海道は中国や台湾、韓国の連中にわりと人気があるらしい。朝市で仕事をしていた人間に聞いたら、彼らは朝市なんかではお金をぜんぜん使わないそうだ。
■実家に戻り、両親と兄の家族と夕食。イカ、タコ、エビ、毛がに、マグロ、ホッケ、ホタテ、鮭など、観光客みたいな夕食。入浴後、近所の焼き鳥屋に、 前日と若干ちがうメンバーが数人集まり、閉店時間まで飲み食いしながら過ごした。友人が、この津田沼ノートを見てるらしく、載せている写真をちょっとほめてもらった。 学生くらいの年の頃の者達が大勢来ていて、六人くらい座れるテーブル席を三つばかり使い、すごいパワーで騒いでいた。うるさいなあと思ったが、 自分らもあのくらいの年だったときは、ああやって周りの迷惑も顧みず騒いでたのかなと思ったら、なんだかあのころ周りにいた人に対して申しわけない気持ちになった。 しばらく時間が経ったら静かになったので、騒ぎ疲れたのかなと思ってちらっと見たら、テーブルごとに語りに入っていた。
No.1354 2009-1-01
■新しい年がはじまった。また一年、おねがいします。
■で、さっそくRISING SUN ROCK FESTIVALの公式サイトを見にいって、今年の開催を確認。 毎年元日、その年の開催が発表されることになっているのだった。ただ今年は「日野自動車が石狩湾新港地域に新工場建設を検討」という報道記事があったり、 主催者であるイベンターの中心人物が退職とか、会場として使っていた場所の、石狩市との貸借契約が2008年までだったとか、いろいろな憶測や噂があって、 開催はどうなるんだ、という話があったので、少し心配していたが、今年もやるみたいだ。場所もいままでと同じ石狩湾新港のあそこである。 8月14日、15日。今年も行けたらいいのだけど、どうだろうか。
■午前中に家を出て快速で新橋へ。都営浅草線から京急に直通運転する空港行きの快速に乗り換えて羽田へ。この乗り継ぎははじめてだったが、 歩く距離も少ないしわかりやすくて、なかなかよかった。浜松町からモノレールに乗り継ぐのとか、品川での京急乗り換えよりいい。 時間が合えば、これから羽田行くときはこの乗り継ぎにしようと思った。運賃も他のルートとほとんど変わらない。京急の車内からは、初詣客で賑わう神社がいくつか見えた。
■今年の帰省ラッシュは、曜日の関係か、下り便の混雑はばらけたようで、空港は例年になく空いていたが、手荷物預かりの列だけやけに人がたくさん並んでいた。 近年、車輪ついててがらがらひっぱって歩くキャリーというのか、けっこう大きいやつ、なんという名前かわからないが、そういうのを持って歩く人間が増えた。 そういうのは機内に持ち込めないから、預けてたみたいである。国内の旅行や移動であんなに大きい荷物を持って歩く意味がよくわからないが、まあ人それぞれである。 でもあれを平気でまわりの人間にぶつけて歩くのはやめろと思う。正月の函館行きの便はめずらしく空席が残ったまま離陸。定刻どおりに函館空港に着き、 バスで函館駅前へ。町なかには「テナント募集」の貼り紙が目立つ。函館駅から一駅乗って五稜郭駅で下車。
■用事があって駅のみどりの窓口へ寄ると、何人か並んでいた。3日や4日の札幌までや東京までの指定席を買おうとするジジイ達がいたので驚いた。 その日の指定席はみな一ヶ月前の発売日に並んで買ってるんだから、今ころ買おうとしたってだめである。でもジジイ達は納得いかないようで、 なんで売り切れてるんだとか、この汽車じゃないと間に合わないとか、わけのわからないことを言って、ごねていた。ああいうふうにはなりたくないなと思った。
■駅から歩いて実家へ。雪は少なく、歩道や日陰に少し残っている程度だった。実家には兄の子供達が来ていて、いきなりWiiというゲームをやらされた。 わけがわからないながらたくさんボタンを押したら、甥っ子達に、初めてのわりには上手い、とほめられた。引き戸の手をかけるところの金具が外れかけていたので修理。 夕食後は元日から営業している七重浜のチェーン系の居酒屋に集まるよう連絡があったので、地元の友人が数人集まった。数時間なんだかんだ話しながら飲み食いした。 友人の中に、家を買ったり建てたりした者が現れて、年をとったことを実感した。帰宅し、実家の空の上を見上げたらオリオン座がきれいに見えた。
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