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No.1634 2011-09-24
■朝、ホテルで食事してから豊科駅へ。朝の冷えた空気が清々しい。信濃大町行きに乗車。部活にでも行くのか、高校生くらいの乗客が多い。 テストが近いせいか車内ではみな参考書やらなんやらを読んでるようで静かでよかった。窓の外は晴れているがうっすらと白い雲がたちこめていた。 時間が経つと徐々に雲が晴れて、壁のようにそびえる高い山々が姿を現した。その様がとてもよかった。40分ほどで信濃大町駅に到着。 このあたりでは大きな町のようで、駅もそこそこ大きく、駅前は建物が多い。バスロータリーの脇の植え込みには市役所が設置したプレートがあり、 「標高713.8m」と書かれている。

扇沢
扇沢。

■駅前から扇沢行きのバスに乗車。終点の扇沢まで片道1330円、往復だと2400円。なかなかの値段だ。バス券売り場では元気なおばちゃんが券の販売をしていた。 まだ朝だからか、乗客は少ない。バスは大町の市街地を抜け、途中、大町温泉郷、日向山高原に立ち寄って少しずつ乗客を乗せて山の道を上ってゆく。 山の道といってもかなりの幅が確保されていて、しっかり舗装されており、きれいな道で、観光バスも余裕ですれ違うことができる。もうあと10分弱くらいで終点に着くというあたりくらいから、 道端に自家用車みたいなのが駐車されてるのがたくさん見える。なんだろうこれは、きのこ採りにでも来てるのだろうか、と思ってたが違った。 まだ朝の9時くらいなのに既に扇沢周辺には多くの観光客が来ていて、用意されている広い駐車場は満杯になっていた。そこに停めれなかった車が路上駐車していたのだった。 信濃大町駅から約40分ほどで到着し、下車。扇沢のトロリーバス乗り場へ。建物の中を通って乗り場へ行く構造になっている。 連休の観光地を甘く見ていたようで、想像をはるかに超える混雑ぶりだったのでびっくりした。添乗員付きのバスツアーみたいな団体や社員旅行みたいな集団もいる。 彼らの会話を聞いていると、言葉の感じで関西方面から来ている者が多いように感じた。しばらく並んでようやくトロリーバスに乗車。このバスも運賃が高くて、 15分ほどの距離なのに片道1500円、往復2500円。でもこれしか交通手段がないので、やむを得ず利用する。
■トロリーバスは電気で走るバスで、電車みたいに電線からパンタグラフで電気を引き込んで、それを動力にして走る。 関西電力が運営しているらしい。ねずみ色の車体で、乗り心地は普通のバスと特に変わらない。環境に配慮して排気ガスの出ないバスを走らせているということである。 標高2678mの赤沢岳を貫く長い長いトンネルの中を走り、高度を上げていく。途中、長野と富山の県境を越える。バスの中は人がぎゅうぎゅうでとても窮屈だった。 ようやく終点についてバスを降り、トンネルの長い階段を上ってやっと外に出る。

黒部ダム
黒部ダムの放水。

通路
展望通路。

展望施設
展望施設等。

■いきなり空が青くてまぶしい。展望台のようになっていて、眼下に巨大な黒部ダムが姿を見せる。一度見てみたいとずっと思っていた場所にようやく来ることができた。 行きたいと思い続けていればだいたいどこにだって、行くことができる。それにしても、なんという巨大なコンクリートの壁だろうか。そして、いきなりダムからものすごい勢いで放水が行われていた。 虹ができている。観光放水というのだそうだ。高い山々に囲まれたこの場所で、これだけ巨大なものを造り上げる工事というのはおそらく、想像を絶する苦労があったことだろう。 工事用トンネルが開通したときの工事従事者達の喜びがどんなものだっただろうかと想像する。自分が子供の頃、青函トンネルが開通した。地元函館では大変な騒ぎになったし、 記念の博覧会まで開かれた。子供ながらに、海底で本州とつながったことはすごいことなんだと理解できた。色々なニュース映像での工事関係者の喜ぶ様子をいまでもよく覚えている。トンネルが開通するというのは、 どんな規模のものでも、なぜだかわくわくする。ダムは延べ人員1000万人での難工事の末、着工から7年かかって完成。1963年(昭和38年)6月のことである。 ダムの完成によって、関西に安定した電力の供給が可能になったそうだ。正式には「関西電力黒部川第四発電所」というようである。 無駄な公共工事、自然破壊などと言われて近年では嫌われ者の水力発電ダムだが、 もう少し見直されてもいい昨今の時勢である。

周辺の山
周辺の山。

ダム湖
ダム湖。

■周辺の山を見渡すと、上のほうは植物が生えていなくて山肌の岩盤が露わになっている。まだ山全体としては青々しているが、もうじき紅葉が始まり、じきに白くなるのだろう。 ダム湖は水面が緑色に光り、波も立たず穏やかで、分厚いコンクリート壁を挟んで反対側から派手に放水しているさまと比べて対照的だ。ダムの上を渡るとまたトンネルがあり、 その中にケーブルカー乗り場がある。標高1470mの黒部ダムと1828mの黒部平をトンネル内のケーブルカーで結ぶルートで、標高差358mを5分で結ぶ。 最初に通ったトンネルも、このケーブルカー用のトンネルも、工事のときに利用するために造ったもので、今はそれを観光用に使っている。 乗車を待つ大勢の者が並んでいる。待ち時間の間、ケーブルカーの職員らしき年配の男が、台にあがって黒部ダムの写真集の宣伝をしていたが、 その話す内容がなかなかおもしろくて、結構うけていた。一冊1000円と言っていたが、買っているものが何人かいた。 ケーブルカーはオレンジ色で、斜めに掘られたトンネルに合わせて平行四辺形になっている。乗ると中は段々になっていて、一段ごとに座席がついている。 乗るとどんどん上がっていき、ほどなく黒部平に到着。眼下にダム湖が見える。見上げると標高3016mの立山がそびえ、その中腹にロープウェーの施設が見える。 この黒部平と立山の大観峰を結ぶロープウェーが運行している。このロープウェー、立山のトロリーバス、室堂からの高原バスを乗り継いで富山側に抜けることができるが、 今回はそちらへは行かず、ここで引き返す。

黒部平
黒部平。

■午後からはさらに観光客が増えて、身動きが取れなくなるというと大げさだが、バスなどは相当待つかもしれないと思い、早々と大町まで戻ることにした。 黒部ダムを存分に見ることができたのでよかった。帰りのトロリーバスは、来るときよりは空いていたが、扇沢から大町まで戻るバスは乗客が多く、満席で、 さらに補助席まで出る盛況ぶりだった。大町の駅の近くのそば屋で昼食をとり、大糸線で松本まで。連休のせいなのかか、普段からこうなのかはわからないが、 列車もかなりの混雑。地方のローカル線は空いててのんびり、という雰囲気を想像しがちだが、本数が少なく、さらに一両とか二両編成の場合が多いので、 曜日や時間によっては相当混雑することがある。以前鳥取県内で山陰本線に乗ったら通勤ラッシュみたいなぎゅうぎゅうの状態で気持ち悪くなったことがあったのを思い出した。 松本から中央本線の特急で帰ることにしているが、時間が少しあったので松本のパルコまで歩いた。松本にはずいぶん来ているので、道も少し覚えた。 ミスタードーナツで休憩。メニューに「氷コーヒー」というのがあった。アイスコーヒーとはちがうのだろうかとたずねてみたら、コーヒーでできた氷に牛乳を注いだものだった。 おいしかった。
■松本からは千葉行きの特急あずさで一気に船橋まで。新宿で乗り換えなくていいからとても楽だ。連休の真ん中の日の夕方の列車はそこそこ混んでいたが、 思ったほどではなかった。パルコのヴィレッジヴァンガードで買った本を読んでたらおもしろくて一気に読み終わってしまった。アスキー新書の田中長徳氏の本で、 2008年に出版されたもののようだ。たぶん日本でいちばんライカのカメラに詳しい人ではないかと思う。一冊全部カメラに関する話の本で、 文中の「写真は最初の一枚に真実がこもっている」という言葉は、本当にそのとおりだと強く納得した。本当にそうなのだ。たとえば旅行先なんかで撮影した景色。 何枚か同じ場所で、角度を変えて撮ってみたり、横位置を縦位置にして撮ってみたりいろいろやる。でも、あとから、撮影したのを見返すと、 だいたい、いちばんはじめに撮ったやつがいちばん出来がいい。きっとこれは、無意識に、直感で、ファインダーを覗いたときに、角度や構図、 光の加減なんかを瞬時に判断してシャッターを押しているのだろうなと思う。変に考えて撮るとだいたいたいしたことない写真になる。
■本を読んでいたら一気に時間が過ぎていた。八王子、新宿を過ぎ、船橋で下車。向いのホームで快速に乗り換えて一駅。
No.1633 2011-09-23
軽井沢
軽井沢。

■朝の新幹線で軽井沢。生まれて初めて来た軽井沢は、駅のホームに降りたときから気温が低くて気持ちがいい。駅の周辺をぐるっと散策してみたら、 レンタサイクルの店が多い。そのうちの一軒の店先に、店主に朝ごはんをねだる猫がいた。緑豊かな町で、バブルの頃の残照のようなものが見え隠れしている町並みだが、 大通りから一本入れば静かな別荘地になっていて、なるほどこれがあの軽井沢か、といった印象。大きな池のある公園があり、 そのほとりには小ぎれいなホールときれいなトイレのある駐車場があった。ぽつぽつと古い木造の家も残っている。
■軽井沢からかつての信越本線、いまはいわゆる第三セクター方式で運営されているしなの鉄道の列車に乗車。25分ほどでJR小海線との連絡駅でもある小諸に到着。 少し腹が減っていたのでなにか軽く食べようと思って駅前をぶらぶらしてみたら、意外なほどに飲み屋系の店が多く、 こんなに夜の町がにぎわう土地なのだろうかと不思議に思った。駅前にはバスターミナルと古いビジネスホテルがあり、商店が軒を連ねる通りが北東の方向へ続いている。 その通り沿いにある店でそばを食べた。おいしかった。駅からすぐ近いところにある小諸城址へ。 小諸城は15世紀末に築かれ、16世紀中頃に竣工して武田氏が入城。その後も滝川氏、北条氏が所領し、後に徳川氏に引き渡されたらしい。日本100名城。

懐古神社
小諸城址内 懐古神社。

■まず驚くのは、城内に入るためにスロープを下るということで、それというのもこの城は市街地よりも低くなっている場所に築城されているのだった。 普通、城は高く、上に上にと造っていくものなのに、それのまったく反対のことをやってる。大胆な発想である。 今までも各地、城のある土地に行った場合はなるべく城郭を見に足を運ぶようにしてきたが、こういうタイプの城は初めて見た。 重要文化財となっている三の門から内部へ入る。苔むした石垣も、古くから残っているもの。 歩いていると、ひょろひょろと妙な音色が聞こえてくるので何かと思って音のするほうへ行ってみると、スピーカーのついた木の箱のようなものがあり、 説明を読むと、昭和33年から22年間、宮城県から来た横山祖道という僧がこの場所で説教代わりに草笛の優しい音色で旅人を慰めたのだそうだ。 で、草笛老師と呼ばれたらしい。ボタンを押すと老師の草笛の演奏で「千曲川旅情」という曲が流れる。 これで慰められるのだろうか。ちょっと不安になるような音色に聞こえるのだった。
■橋がかけられているところは谷になっていて、見下ろすとそんなに深くはない谷で、水は流れていないようだった。旧本丸跡には懐古神社というのがあり、 そのそばには山本勘助が愛用したといわれる鏡石というのが置かれていて、表面がつるつるなので確かに鏡みたいに顔が映る。 西の方角は低地になっていて、展望台に上がると千曲川が見える。先日の台風の影響なのか、川の水は泥の色。小さな水力発電のダムがあり、 滝の落差で水が落ちて白くなっていた。展望台の手すりに一匹のとんぼがとまった。
■現在、城址のある一帯は「懐古園」という公園として整備されていて、園内には動物園や博物館等の施設がある。 こんな、といったら失礼だが小さな地方都市の小さな動物園なのにライオンもいるしツキノワグマもいた。 ライオンはだらっと横になったままだったが、クマは丸太棒を手に持って壁や床をがつがつとリズミカルに叩き続けていた。鹿やオウムやペンギン、 他にも鳥やらなんやらいろいろいた。三の門のところまで戻り、徴古館という小さな資料館に入ってみた。小諸にゆかりのある武将達の刀剣類や鎧甲冑、 書物や絵、模型等が展示されている。日本刀は美しいなと思う。昔の甲冑を見ると、いまから400、500年前の日本人は総じてずいぶん小柄だったのだなと思う。
■駅に戻る。なにかカメラを構えた男性が数人いたのでなんだろうと思ったら、オレンジと緑の色の、前に東海道線あたりでよく見たような色の車両が発車時間を待っていた。 あれがめずらしいのか何なのかはよくわからないが、わざわざ撮影するほどのものなのだろう。しなの鉄道の列車に乗り、以前訪れた上田を過ぎ、小諸から45分ほどで屋代駅に到着。 ここから長野電鉄に乗り換え。時間がけっこうあったので一度改札を出て時間をつぶす。かつての国鉄駅なので、駅舎はそれなりに大きく、待合室にはベンチがいくつも置いてある。 しなの鉄道と比べると、これから乗る長野電鉄は本数が少なく、時刻表を見ると一時間平均一本以下になっている。屋代のあたりは杏が名産らしく、 杏を使った土産物がたくさん販売されていた。時間になったので再び改札からホームに入り、階段を上って下りると長野電鉄のホーム。 とても古い木造の待合室があり、この駅のこのホームだけが時代から取り残されたような空間になっている。

長野電鉄 屋代駅
長野電鉄 屋代駅。

松代城址
松代城址。

■銀色の車体の車両が入線してきて、乗車。長野の東急百貨店の広告の札がついた吊革のあるロングシートの車両で、乗客はまばらだった。 建物のすぐそばを走る箇所もけっこうあった。屋代からは15分足らずで松代に到着。この駅もものすごく古い。調べてみると1922年の開業以来使われている駅舎だそうで、 すでに90年選手である。駅員もいる。その駅員さんに頼むと自転車を無料で貸してくれるのだった。せっかくなので使わせてもらった。 駅から数分のところにある松代城址へ。別名「海津城」ともいうらしい。遠くに山がぐるっと見えるが、山に囲まれた平野にぽつんとある平城で、日本100名城にも選ばれている。 「山本勘助が築城し、甲州流築城の模範になったという名城」と紹介されている。 四度目の川中島合戦のとき、信玄はこの城を拠点として出撃したそうだ。1560年頃に築かれた城で、北西に流れる千曲川から堀に水を引き込んでいたようだ。 曲輪や石垣、土塁、堀、櫓台等が現存し、城門、木橋、井戸が復元され、往時の姿を見せている。入場料は必要なく、開放されていて、観光客らしき姿はちらほらと見られた。 城のすぐ前には団子など焼いている店があり、白い猫が一匹、紐につながれて座っていたので近づいてみるとこちらへ寄ってきて人懐こい。

真田邸
真田邸 玄関。

■城からほど近い場所に真田宝物館という白壁の施設があったので立ち寄ってみた。案外展示物が多く、中も広くて見応えがある。 刀剣類や甲冑、兜等の武具や調度品、屏風や絵などなどが数多く並んでいて、なかでも参勤交代の様子を描いた絵や書物、 信玄や家康、石田光成、秀吉などの直筆の書物などが強く印象に残った。茶器などもあったが、展示品は総じて煌びやかな感じのものは少なく、簡素で実用的なものが多かった。 真田家の家風なのかもしれないし、土地柄にも関係あるのかもしれぬ。宝物館の隣には1864年に建てられた真田邸という江戸末期の邸宅があり、 見学できるので、中に入ってみた。川越城をちっちゃくしたような感じの御殿。廊下にも贅沢に畳が敷かれていて、襖に区切られた部屋がいくつもある。 池山回遊式の庭園の向こうには山並みが見えて美しい。
■駅まで戻り自転車を返却。駅前には町の規模に対してずいぶん大きく感じるスーパーマーケットがあったので寄ってみた。 品揃えがよくて安くていいスーパーだった。夜も遅くまでやっているようで、お客さんは入るんだろうかと、関係ないのに心配になった。確かマツヤというスーパーだった。 ちょっとした買い物をし、レジを済ませると「またおこしくださいませ」と言う。そう言いなさいと指導されているから言うのだろうが、ここに来ることはきっともうないんだと思う。 べつに松代で嫌な思いをしたとかそういうことではなくて、むしろとてもいい町だと思うが、 時間的なこと、金銭的なことを考えると、生きている間になるべく行ったことのない場所に行ってみたいと思うから、日本中、ほとんどの場所が、一度しか行けない場所で、 その一度がとても貴重だ。

さんま
友人の店にて。

■屋代駅まで戻り、しなの鉄道に乗り換えて篠ノ井方面へ。そのままJR篠ノ井線に乗り入れて終着の長野駅まで乗車。長野始発の甲府行きで松本まで。 途中姨捨を通るが、長野側からだと徐々に高度を上げて行くので、窓の外の景色を見ていると、飛行機の離陸みたいだ。 学生くらいの男三人組が近くに座っていたので彼らの会話がよく聞こえていたが、関西出身のようで、話がおもしろかった。すっかり日が暮れて松本に到着。 大糸線に乗り換え。25分ほどで豊科駅に到着。友人の店で海産物をたくさん食べた。店は繁盛していて、友人も元気そうだった。 店はこの夏で三周年を迎えたそうだ。立派なことである。おいしいものを食べると嬉しい。以前も泊まった駅近くのホテルに宿泊。 夜は信州安曇野らしい、きりっと冷えた空気だった。
No.1632 2011-09-21
■3連休と3連休のちょうど真ん中の水曜日、関東地方に台風が来た。そしたら案の定、午後には交通機関がストップした。 こういった場合、どういう行動が勤め人として適切か考えてみたら、だいたい次のような順番になるのではないか。
1. 有給休暇をとって、最初から職場には行かない
2. 交通機関が止まる前に退社
3. 台風の影響がおさまるまでそのへんで飲み食いなどして時間をつぶす
4. 電車以外の交通手段(バスやタクシー)を利用して帰宅
5. 残業する
6. 徒歩で帰宅
■徒歩で帰宅というのは、風で看板が飛んできたりいろいろ危険があると思うので推奨できないかもしれないが、だいたいこんなところだろう。 思考が停止して、とにかく駅に突撃する人がなぜかやたらと多くて、新宿駅や渋谷駅や品川駅や池袋駅の惨状をネット上の画像で見たが、大変なことになっていた。 3月11日のときと違うのは、前もって大体何時頃に台風が接近するかということがわかっているということで、わかっているのにやっぱり大量の帰れない人間が発生した。 その状況を見ていて、ネット上でよく使われている「社畜」という言葉を思い出した。 家畜みたいに、会社にしばられてて、自分で考えて行動できないような者を揶揄していう言葉だと認識している。 ひどい会社だと、夕方4時頃になって「電車止まったから帰れよ」なんて言って回る上司がいたという。
■簡単に仕事を休めないという風潮が蔓延している。一日休んだからってどうってことないのに。 「俺が休んだら仕事が回らなくなるんだ」などとおっしゃる熱血漢もたまにいるみたいだが、だいたいそんなのは思い上がりで、 他の人間でどうとでもなることがほとんどなのだった。日本人全員、仕事のために生活があるのではなく、 生活のために仕事があるんだということをたまに思い出したほうがいい。
■などとえらそうなことを書いてるのは、たまたま自分がすんなり帰宅できたからで、あと10分20分、会社を出るのが遅かったらきっと他の大多数の人達と同じように、 駅で足止めを食らってたと思う。JRと京成を乗り継いでどうにか津田沼まで戻ることができたのだった。京成津田沼駅は3月14日の朝みたいに人があふれて殺伐としていた。 夜9時頃には外で虫が鳴いていた。
No.1631 2011-09-11
■あれから10年とあれから半年。
■不思議なめぐり合わせのこの日も、普段の日曜日とおんなじようにラジオでサンデーソングブックを聞いていた。
■10年前は札幌に住んでいた。あれから10年経って、音楽はPCやiPodで聞く割合がずいぶん増えた。ライブに行く回数はずいぶん減った。 それでも音楽は毎日聞いている。ラジオもよく聞いている。
No.1630 2011-09-11
■所用があり、東京の神楽坂という土地に初めて立ち寄った。名前はよく聞いていたが、行ったことがなかったし、どこにあるのかさえよくわかっていなかったので、 何のイメージも持ってなかったが、名前からしてたぶん坂があるんだろう、くらいの想像をしていた。行ってみた感想としては、 特に印象に残るものもないどうということのない土地で、若干おしゃれとかそういう町として近年扱われているような風潮があるように感じていたが、 遠くからわざわざ行くような町ではなかった。東京はあんまりおもしろくないな。せっかくいい場所があったとしても人が多いというだけで魅力が相当落ちる。
No.1629 2011-09-05
■仕事の帰り、駅前の丸善へ。宮沢章夫さんの新しい小説が出たから買った。まだ読んでいない。 あと「音楽と人」という雑誌も買った。毎年、おそらく唯一RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZOの特集を組んでくれるのがこの雑誌で、 今年はけっこう多くのページ数を使って写真もたくさん載せてくれた。表紙が近畿キッズの堂本氏だったので、若干はつかしい。 そういえば去年はグレイだった気がする。それと、あわせて「ミュージックマガジン」という雑誌も買った。雑誌をいっぺんに二冊も買うなんて何年ぶりかと思う。 山下達郎ロングインタビューが掲載されていて、読み応えがある。
No.1628 2011-09-01
■9月になっていた。
■首相が変わったり、なんやかんやいろいろある世の中だ。今度の首相は、自分にとってはなんだかずいぶんなじみがあるというか、 以前近所で何度も見かけていたのだ。津田沼駅の北口側に住んでいたころ、朝の通勤時間によく駅前でビラを配っていた。 背もそれほど高くなくて冴えないおっさんという感じだった。津田沼駅の北口は船橋市で、南口は習志野市になっている。 彼は船橋市の出身で、千葉県からの総理大臣は初めてなんだそうだ。
■なじみがあるからといって別に支持もしないし、むしろ嫌悪感すらあるが、日本の不幸は自民党への批判票の受け皿が民主党しかないということで、 自民党時代は内出血でどうにか外から見た感じ問題がわからなかったのが、民主党になって一気にどばっと出血大量で日本が死にそうだ。
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