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No.1401 2009-5-31
習志野の浜辺
習志野の浜辺

海浜霊園裏の公園
海浜霊園裏の公園

■暑かったが、昼から自転車で茜浜へ。いつもの猫たちは他の人らにかまわれてたのであんまり見れなかった。 ひさびさに、菊田川をはさんで茜浜緑地と反対側の、習志野海浜霊園の裏手の海辺の公園へ。こちらは人が少ない。 暑さで頭が痛くなった。芝園清掃工場の裏手の海岸から津田沼浄化センター裏の砂浜まで行ってみた。 小さな貝殻がたくさん落ちていたが、それ以上にゴミがえらいことになっていた。ペットボトルが多い。 真夏みたいなもくもくした雲が出ていた。
■撮影したフィルムを写真屋に現像に出した。津田沼駅周辺でいくつか写真屋を利用してみたが、 ヨーカドーのコイデカメラがいちばん丁寧にやってくれるような気がしたので、今回もそこに頼んだ。 プリントはしないで、現像のみにしてみた。ネガフィルムをスキャナで読み込んでデータ化することにした。 現像だけだと数百円である。さすがに毎回、現像、プリント、CD化、とやってると、お金がかかる。 一枚目の画像は、ネガをスキャンしたものである。
■「関東まちBBS」の津田沼スレッドで、よく食べに行っていた「のざわ食堂」のご主人が亡くなったことを知った。 お店はたたんでしまうという話なので、お店まで行ってみた。ちょうど店の中のものを撤去する工事をやってるところで、 中の様子が少し見えたが、大工さんが作業していた。うまくて安くて早くて量が多くて好きだった。おやじさん元気そうだったのに。 いままでおいしいごはんをありがとうございましたと言いたい。
No.1400 2009-5-30
トラピスト修道院
トラピスト修道院。たぶん2000年頃の8月。函館から列車で40分くらい。渡島当別駅下車。

鳥取砂丘
1999年10月頃。鳥取砂丘。

東尋坊
1998年6月。福井の東尋坊。この日の夜に、フランスワールドカップの日本対クロアチアの試合があった。

■スキャナを買ったんである。電器屋で買った。昔撮った写真を引っ張り出してきてスキャンしてみた。 カタログの後ろのほうに載ってたやつなので、同じメーカーの中でもかなり下位の機種だと思う。性能は、まあ、値段なりなのではないか。 「写るんです」とか安いコンパクトカメラで撮ったと思う。
No.1399 2009-5-23
茜浜の子供達
茜浜の子供達

丹生神社境内1
丹生神社境内(1)

丹生神社境内2
丹生神社境内(2)

フクダ電子アリーナ
フクダ電子アリーナ

■昼から自転車。津田沼高校の向かいあたりできれいな猫と会った。茜浜へ。汗をかかないようにゆっくり走ったが、それでもやっぱりうっすら汗が出てくる。いやな季節になった。 海辺の猫たちは4匹。猫たちにとっての一番の脅威は暑さ、寒さや荒れた海からの波や行政ではなく、追いかけ回す子供たちだと思った。 丹生神社経由で帰宅。
■夜はひさびさに蘇我へ。およそ半年ぶりである。Jリーグ一部第13節、ジェフ千葉対マリノス。フクダ電子アリーナ。 試合は夜7時。ここ最近の試合ぶりを見てたら、マリノス相手だと0−5くらいで負けてもおかしくないと思っていた。 夜のスタジアムをFM2で撮影してみたかったので、ひさびさにチケットを買って行ってみたんである。意外にも結果は1−1のドロー。巻のいいゴールも見れた。 それにしても選手個々のレベルが違い過ぎる。マリノスは守備の選手までもが上手い。
■ジェフが今年も勝てない理由がよくわかった。自分が対戦相手の監督なら、フォワードに足の速い選手を起用して、 「ディフェンスラインの後ろでボール受けろ、ディフェンスラインがさがったらばんばんミドルシュートを打て、 左サイド(自チームの右サイド)でどんどん仕掛けていけ」と指示する。それでだいたい勝てると思う。 ジェフの攻撃はまったく怖くない。クリアボールがたまたま前線の選手につながったときくらいしかチャンスを作れない。 本当に弱くなってしまったものだなあとさびしい思いすらする。
■それにしても巻はすっかりチームの柱になったもんだなあと、感慨深かった。5、6年前、はじめて彼のプレーを見たときは、 うわあへたくそ、と思った。途中から交代で入ってきたのになぜか誰よりも早くばてていた。どたどた走って、ボールがくるとばたばたして、 トラップすると敵も味方も予測のつかない場所にボールは飛んでゆき、ボールの落下点もよく見誤っていた。
だけど彼には、どんな状況でも必死で戦い続けることができる強靭なメンタルがあった。 2006年のワールドカップ前には「巻待望論」が出るほどまでに成長した。弱くなってしまったチームで、 チャンスも多く作れない中でもコンスタントに年間二桁得点。他のクラブでやってたらもっと得点してたかもしれぬ。
■帰りは蘇我から久里浜行きの快速に乗車。横浜方面まで乗り換えなしで行けるからか、マリノスのファン達も大勢乗っていたので、混雑していた。 千葉で各駅停車に乗り換えてのんびり帰った。
No.1398 2009-5-17
■FM2で撮った写真をCDに焼いてもらった。そういえば正確に言うと、いま使ってるニコンのカメラは、 オリジナルモデルの「FM2」ではなくて、復刻版の「NewFM2」だった。
■5月4日、谷根千。

谷根千1

谷根千2

谷根千3

谷根千4

谷根千5


No.1397 2009-5-16
茜浜の猫
■どんより曇っていたが、昼頃自転車で茜浜。ひんやりしてたのできもちよかった。猫は4匹ほど。 最近、いつも愛想よく迎えてくれてた三毛猫を見かけない。
■津田沼あたりでも以前にくらべてずいぶん、けっこういい自転車に乗ってる人を見かけるようになった。 先日東京に二度ほど行ったとき驚いたのは、ちゃんと車道を走っている自転車が多いことである。いいことだ。 道路は車だけのものではない。
No.1396 2009-5-09
茜浜の猫たち
茜浜の猫たち

秋津サッカー場
秋津サッカー場

MusicBar 道
「MusicBar 道」の店内(1)

MusicBar 道
「MusicBar 道」の店内(2)

■数日、天気が悪かったが、晴れた。晴れたら、夏の日差しになっていた。本州では連休明けから夏ということになっている。 暑い中、昼ころ自転車で茜浜へ。人が多い。ちょうど昼時だったせいか、海辺でごはんを食べている者が多かった。 そんな者らのかたわらで猫達が食べ物を分けてもらっていた。
■すぐ近くにある秋津のサッカー場に移動し、JFL前期10節、ジェフリザーブズ対三菱水島FCの試合を観戦。時間ぎりぎりに着いたので、 けっこう人が入っていた。今年初の有料試合観戦である。生でのサッカー観戦自体ひさびさだ。トップチームとは対照的に、ここまで負けなし、 2位につけるリザーブズと、逆にここまで勝ちなしで最下位の水島との対戦。赤いレプリカユニフォームを身につけて水島を応援する者らが10人くらいいた。 はるばる岡山から来たのだろうか。試合は前半、水島が先制したが、前半のうちにリザーブズが立て続けに二得点して逆転。後半は得点が動かず、 暑い中運動量が落ち、ファールが多くなったが、そのまま試合終了。4−4−2が真正面からぶつかりあった好ゲームだった。 当たりの強さやスタミナは互角だったと思うが、リザーブズのほうが少し、ボールを運ぶのがうまかった。
■一度帰宅し、電車で御徒町へ。夕方の上り電車は空いていた。秋葉原で乗り換えたときはホームに人がたくさんいたのに、御徒町駅は人が少なかった。 ジャイアンツのユニフォーム姿の親子がいた。松坂屋のある交差点から不忍池のあたりを少し歩くと、池のほとりで骨董市というのをやってて、 カメラのジャンク品とか昔のゲームソフトとか、服とか、雑貨や飾り物とかあとなんか「家紋スタンプ」とか、いろいろわけのわからないものを売ってた。 でも、売り物を見てても、売る人が話しかけたりしてこなくて、いまいちやる気ない感じがよかった。夕暮れ時で、池ごしに見る夕日がきれいだった。 池では鴨が水面を泳ぎ、若者やおっさんが屋台でおでんを食べたり、みなのんびり過ごしていた。
■地下鉄千代田線の湯島駅の出口のすぐそばにあるビルの三階にある「MusicBar 道」というバーで、 「宮沢章夫 音談科」というイベントがあったので行ってきた。ライター・放送作家の押切伸一さんが4月の末に始めたバーということである。 そのオープン企画ということで、宮沢さんが音楽について語るトークイベントなのだった。聞き手は桜井圭介さん。定員30名ということだったが、 店の人の会話を聞いてたら最終的に35人入れたとのことだった。かなりぎゅうぎゅう詰め。大きな手術をしてからの宮沢さんを生で見るのは初めてだったが、 とても元気そうでよかった。男の客のメガネ着用率がやけに高い。
■イベントは予定通りに18時半からスタート。前半は、宮沢さんと桜井さんが自宅から持ってきたアナログ盤のジャケットを紹介しながら時々、みんなでレコードを聞いてみたりした。 一枚一枚、そのアーティストのことや買った店のこと、買った時代のこと、いろいろなエピソードがどんどん出てくる。 どうして買ったのか、どうして手元にあるのかよくわからないというのもたくさんあって、おかしかった。休憩を20分ほどとってから、後半。 音楽の話を軸に、いろんな話題につながってつながって、最初なにを話してたかわからなくなるときも結構あった。 クラフトワーク、レッド・ツェッペリン、DEVO、ビートルズの「LET IT BE」の輸入盤、過小評価されている団しん也、「SINGING DETECTIVE」、勢いのあるジャケット、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、オランダ、 ピテカントロプス、ヤン富田、桑原茂一、伊武雅刀、いとうせいこう、竹中直人、ダウンタウン、ジュディ・オング、矢沢永吉、ビデオテープに録音、 フリッパーズ・ギター、コモエスタ八重樫、井出靖、ウタダひかる、椎名林檎、パヒューム、すみや、シスコ、ウェーブ、タワーレコード、輸入盤、 青山正明、セカンド・サマー・オブ・ラブ、オウム、1995年、ラウンジ、ヒップホップ、レゲエ、ヤンキー、ipod、プライマル・スクリーム、データとしての音楽と音楽配信、 などなどなどなど、記憶を辿って思いついたままに書いてみたが、こういったような話が次から次へと出てきて、宮沢さんも桜井さんも、なんでもよく知ってらっしゃるからすごいしおもしろい。 そして気づくと22時半になっていた。
■あと、上村聡さん(イスメネ役をやってたひと)もいらしていて、一番前に座ってたので、後半よく話を振られていた。 彼は私と同じ年である。首都圏に住んでいた彼は電気グルーブを中学生のときに既に知ってたが、北海道の函館に住んでいた自分は、高校生になるまで電気グルーブを知らなかった。 あと、ノイズミュージックの話でボアダムズのことが話題にちょっと出たが、自分もボアダムズについてはちょっと思い出がある。 学生のとき、京都の寺町のビブレにあったタワーレコード(今は河原町のOPAに移っている)でボアダムズの「VISION CREATION NEW SUN」を買った。 聞いて、ぜんぜんわけわからなくて、買って損した、と思って数年放っておいて、ふとあるとき何気なく聞いてみたら、すごく良くて、目からうろこが落ちる思いだった。 あのとき、頭のなかで鮮やかにボアダムズの音がぱあーっと広がった瞬間の感じを今でもよく覚えている。あれはなんだったのだろう。
■話がそれた。で、90年代の音楽、という話題になると、うまくまとまらないというか「あんまり覚えてない」と宮沢さんも桜井さんもおっしゃっていた。 自分は90年代にたくさん音楽を聞いた世代なので、うーん、どうしてだろう、と、イベント中も、帰りの電車でも、いろいろ考えていた。 日本の音楽、ということでいくと、自分の考えとしては、80年代の最後あたりから90年代前半のメジャーシーンの音楽は「テレビ+カラオケ」、 後半は「プロデューサー+カラオケ」というキーワードで大まかにまとめられるのではないか、ということ。 テレビというのはドラマ主題歌、テレビコマーシャルなんかのいわゆる「タイアップ」、バラエティ番組の企画などからビッグセールスが生まれるという一つの流れがあったように思うし、 プロデューサーというのは例えば小室哲也、小林武史、織田哲郎、岡村康幸などなど、そのあたり、プロデューサーの名前のいわば「ブランド化」とでも言ったらいいのだろうか、 そういった現象があったように思う。そして「カラオケ」である。「これを歌えたらちょっとかっこういい」という動機がセールスにつながったんじゃないかなあと、 そんなことをぼんやり考えたのだった。そしてもう一方で、インディーズ・ミュージックの流行というのがあった。「インディーズ・ミュージック」という括り方がなんだかぞんざいな感じがするものの、 当時はそういった言葉で語られてたし、「インディーズであること=かっこういい」みたいな妙な解釈が一部にあった。 で、めちゃめちゃ売れてた。ハイ・スタンダードとか。そして70年代、80年代の音楽を知らない若者がスカパンクやらテクノポップやらに飛びついた。 そんなことがありながら、90年代の最後頃に、ロックフェスというのが出てきた。 自分なりに「90年代の日本の音楽」というのを考えてみると、そんなところである。
■そんななか、たまたま福富幸宏氏と砂原良徳氏の対談を見つけた。進行は岡本俊浩という人。 「リミックスとは?」というお題についての対談。
砂原:これはもう'00年代の作品だから、昨日作ったみたいなもんですよ(笑)!
福富:ハハハ(笑)。でも、それ何となくわかるな〜。
砂原:っていうのはね、俺は'90年代の末あたりから今を考えた時に、もう全部一緒だなっていう感じがしていて。
○確かに同感です。'90年代の末あたり。僕個人もエレクトロニカが出て来た時点で、細分化が臨界点まで達した感じを受けます。
砂原:そう。例えばの話'60年代、'70年代、'80年代と・・・大体時代の変わり目には、次の10年が見えるっていうのがあると思うんですけど、'90年代の終わりにはそれがあったかなあと。
福富:ああ、それはわかる。
砂原:時代が共有する音楽っていうのがないよね〜。'00年代も半分終わるけど、俺自身、次の年代がどうとかってわからないもん。
○音楽に関するあらゆることが、緊密かつ超個人化されているんですよね。お互いに共有出来る文脈がなくなって、互いの音楽観とかをブツけ合うことが出来なくなってしまった。 「それは君の趣味だから」っていうものが、天文学的に散在しているのが今っていう感じがします。
福富:ファッションにしても、同じことが言えるというか。
砂原:何がカッコ良くて何がカッコ悪いかっていう線引きが、曖昧になってきているもんね。
(対談はこちら)
この中で砂原氏の「'90年代の末あたりから今を考えた時に、もう全部一緒だなっていう感じがしていて」という言葉が印象に残った。
■そういえば「パヒューム、かわいくないねー」という話が出て、ああ、そう思ってたのは自分だけじゃなかったか、と思ってほっとした。
■イベントが終わってから、ちょっとだけ宮沢さんと話すことができた。自分はあんまり人と接するとき緊張しないほうだと思っているのだけど、 宮沢さんに話しかけるときはすごく緊張して早口になった。でも宮沢さんは、こちらのどうでもいいような話でも気さくに聞いてくれて、嬉しい。 御徒町駅から電車に乗って帰った。
No.1395 2009-5-06
■FM2で撮った写真をCDに焼いてもらった。

茜浜1
茜浜1(4月29日撮影)

茜浜2
茜浜2(4月29日撮影)


No.1394 2009-5-04
谷中銀座
谷中銀座

根津教会
根津教会

旧岩崎邸洋館
旧岩崎邸洋館

本授寺の猫たち
本授寺の猫たち

■京成線で都内へ。成田空港からの電車だったようで、大きな荷物を持った者が多い。マスクをしている者もけっこういた。 京成線で成田や佐倉方面に行ったことはあったが、都内へ行くのは初めてである。上野周辺に行くには乗り換えなしで行けるので便利だが、 あいにく上野方面へ行く用事はかなり少ないので、利用する機会がなかなかない。総武線ばっかり乗ってるので、外の景色は新鮮だった。
■終点の上野の一つ手前の日暮里で下車。いわゆる「谷根千」と呼ばれるエリアを歩いてみようと思ったわけである。 谷根千というのは谷中霊園のある「谷中」、地下鉄千代田線の根津駅のある「根津」、同じく千駄木駅のあるあたりの「千駄木」、 それぞれの頭文字をくっつけた呼び名で、台東区と文京区にまたがる範囲のことを言うみたいだった。上野公園や東大なんかが近くにある。
■日暮里駅の西口から霊園沿いの、せんべい屋などがある道を西へ少し歩くと、谷中銀座商店街へと降りてゆく階段、誰がつけたのか「夕焼けだんだん」という名前がついてるそうだが、 そういった階段があって、見下ろすと商店街は大勢の人でにぎわっている。それほど長さはない商店街だが、道の狭さもあいまって、 人の密度が濃く、一層熱気というか、活気があるように感じられる。若者もいるが、総じて年齢層は高めである。行き交う者らを見てると、肉屋などで作って売ってるメンチカツなどをほおばりながらぶらぶらしてる。 缶ビールをカップに注いで提供してる店もあり、祭みたいだった。どこの店も人がたくさん並んで行列を作っているのだった。 雰囲気につられて湯葉の春巻きなどというものを買って食べてみたらジューシーでうまい。商店街の旗には猫の絵が描かれ、 店の軒先にははりぼてみたいな猫や木彫りの猫があったりする。このあたりは猫がいるらしいというのをネット上で読んでたが、 さすがにこれだけ人通りが多いと姿を見せない。
■谷中銀座商店街を抜けると「よみせ通り」という道に出た。ぽつぽつと飲食店やら雑貨店やらがある。昔ながらの中華料理店や定食屋、喫茶店なんかがあって、 ガラスケースにメニューのサンプルが飾ってあるが、古くておいしそうに見えなくて、それもいい味である。祝日なので、休みの店も少なくない。 観光地ならそういうことはあまりないと思うが、もともとこのあたりの店は、地元の人向けの店なのだろう。三崎坂から下ってくる道を渡ると住宅街に入る。 道がぐねぐね曲がっていて、あとから知ったが「へびみち」なんていうのだそうだ。
■「不忍通り」という大きな道を渡り、地下鉄根津駅の近くの路地を奥に入ると、根津教会がある。大正8年に造られたこぢんまりとした教会である。 空襲にもあわず、関東大震災でも生き残ったという古い木造の教会で、よく手入れされて使われているのがわかる。建物の中も見ることができる。 座面に青い布を張った木製の長いすがたくさん置かれている。壁や床、天井などを見ても清潔感がある。わざわざこの建物を見るために行くほどのものでもないかもしれないが、 近くまで行くことがあれば見るといいと思う。教会の前では、路上で若者が本を一箱ずつ持ち寄って、古本市みたいなことをやってた。
■近くの根津神社へ行ってみた。ちょうど「つつじ祭」というのをやってて、人が大勢来ててすごかったので、鳥居の前まで行って引き返した。 魚屋の前でイカ焼きなんかを売ってて、おいしいにおいがしてた。日本医大の裏の「解剖坂」を登ったところに夏目漱石の旧居跡があった。 漱石が4年近く住んでいた家があったそうで、そこで「吾輩は猫である」を書き、また、その作品の舞台となった家なので「猫の家」と呼ばれるということである。 その家自体は愛知の犬山市にある明治村という場所に移築保存されているようである。いま旧居跡には日本医大の同窓会館が建てられているが、 その塀の上に、猫が歩いてる像がくっついている。
■不忍通りを上野方向へ。「言問通り」との交差点を過ぎてちょっといったところに「はん亭」という、くし揚の店がある。 今の法律では原則建てることができない、木造三階建ての店で、外壁には文化庁の登録有形文化財のプレートがついている。 窓から中のようすが少しうかがえたが、なかなか繁盛しているようだった。明治末期の建物で、窓もサッシにしないで木枠のままである。 ここらへんで地元のおばちゃんに話しかけられた。「このへんはおいしい店がない。はん亭も、友達がやってる店だけどたいしたことない。このへんに住んでるひとはこのへんで外食しない。 裏道を歩いたほうがおもしろい。根津神社の近くに自宅がある。」といったようなことを言っていた。手には菖蒲湯に使う菖蒲の葉が入った袋を持っていた。
■さらに上野方向へ歩くと、上野動物園があった。有名な動物園である。入ったことはなかった。なんだか無料で入れる日だったようで、試しに入ってみた。 そしたらものすごい人の多さだったので、トイレだけ借りて早々と外に出た。なんだあれは。さすがに東京である。人の多さが桁違いだ。 もう少し歩くと、有名な不忍池があった。たくさんのボートが浮かんでいた。千代田線の湯島駅の近く、池之端という地名のあたりにある「旧岩崎邸庭園」を見に行ってみた。 細かい砂利が敷き詰められた長いアプローチがあって、鬱蒼と木々が繁っている。開けた場所に出ると、思ってたより大きな洋館が現れる。 三菱財閥の岩崎家の所有だった建物で、この敷地全体が都立の公園となっている。で、普段だったら、建物に入るには入場料400円払うのだけど、 動物園と同様、無料の日だったみたいで、たいへんな行列ができていた。おそらく普段はこんなに並んでないのではないか。無料というのはやはりすごいのだなあと思った。 金払うのはぜんぜんいいけど並ぶのが嫌なので、外観だけ見ることにした。あまりにも立派で、現実感がない建物である。テーマパークみたいだと思った。 人が住んでた建物ではなくて、主にパーティなどのときに使われていたそうである。前庭には棕櫚の木が植えてある。 設計はジョサイア・コンドル。鹿鳴館やニコライ堂、上野の博物館も彼の設計によるもので、門下の辰野金吾は東京駅の設計をしている。
■不忍通りを千駄木方向にしばらく歩き、根津小学校入口という交差点から日暮里駅の方向へ曲がる。しばらく細い道を歩くと三浦坂で、 竹が伸びている。坂の途中に猫の雑貨屋があって、けっこう人が立ち止まってみていた。谷中という土地は、寺がやたらと多い。 大きくて立派な寺もあるし、こぢんまりとしてるのもある。あと、地名の通り、谷の多い土地で、上がったり下がったり、坂道が多い。 案外大きな家が多く、高級住宅街といってもいいくらいの一画もある。田舎の成り上がり者がこのへんに家を建てることはないと思うので、 昔からこのへんに住んでる人の家なのだろう。「なんとか荘」という昔ながらのアパートも多いので、庶民的な町かと思ってたら案外金持ちの町なのかもしれぬ。高級外車が停まってるのをよく見た。 岡倉天心記念公園という小さな公園が住宅街のなかにひっそりとあった。子供がぐるぐる走っていた。本授寺という小さな寺に猫が三匹いた。 本授寺からちょっと歩くとすぐ谷中銀座商店街の入口に出た。相変わらずにぎわっている。夕焼けだんだんのそばに猫が数匹いて、 写真を撮っている者が何人かいた。
■初めて「谷根千」を歩いてみて思ったのは、古い建物をセンスよく使っているなあということ、 ひっそりと若い人間がしゃれたものを作ったり売ったりしてるし、 雑貨屋なんかにしても、田舎のおばさんがやってるような、うわあ、と思っちゃうださい感じではなく、 人も多いから商売もうまくいくみたいで、なんだかんだいってもやはり東京である。 渋谷とか新宿とか品川とか池袋とか、ああいう町とはまったく違う種類のパワーがある町で、 東京の底力というか、意外性というか、そういったものをまざまざと見せつけられた思いである。やっぱりすごいな東京は。
■日暮里から山手線で池袋まで。この区間は乗ったことがなかった。これで山手線も全線乗車完了である。池袋から西武線で豊島園駅まで。 食事後、都営大江戸線で東中野まで行き、JRに乗り換え。総武線の各駅停車はなんだかやけに空いていた。 いつもの夜なら新宿でわーっとたくさん乗ってきて、四ツ谷とか市ヶ谷あたりでちょこちょこ乗ってきて、御茶ノ水でけっこう乗ってきて、 秋葉原でまたわーっと乗ってきて、錦糸町あたりではもういっぱいいっぱいになるんだけど、どこの駅からもさっぱり乗ってこない。 こんなことはめずらしかった。正月みたいだった。
No.1393 2009-5-03
■RCサクセションの「ヒッピーに捧ぐ」という曲がある。
その歌い出しを思い出した。「お別れは突然やってきて すぐに済んでしまった」
■忌野清志郎を見たのは、2000年のライジングサン・ロックフェスティバルでのラフィータフィーと、 2005年のライジングサン・ロックフェスティバル、フィッシュマンズでのライブのときだけだった。 フィッシュマンズのライブのときは「MELODY」を歌っていた。 忌野清志郎のCDは一枚も買ったことがないので、彼の音楽については何も語れないが、 10年後には、じじいのロックンローラーが日本語のかっこういいブルースを歌うのを聞けると思っていた。 小田和正や吉田拓郎は「じじいのロックンローラー」にはならないと思う。
■5月2日。いまから10年前の同じ日、青木達之が、11年前、hideが世を去った。
No.1392 2009-5-02
茜浜からの夜景
茜浜からの夜景

■また例のごとく自転車で茜浜。ただ、いつもとちがって、日没間近の時間に行った。幕張のビル街の夜景を撮影してみようと思い立ったんである。 家で千葉対鹿島の試合などを見てから出かけた。千葉対鹿島の試合は0−2で鹿島の勝利。大人と高校生の試合を見ているようだった。 昼間の暑さがまだ少し残っているが、海からの風が少し出てきた。空に明るさが残っている時間に茜浜の海辺に着き、三毛猫などをぼんやり見ているうちに 暗くなった。西を見ると浦安方向の市街地の夜景が遠くに見え、東には幕張のビルの灯りと赤い点滅灯。
■夜の暗い海は怖い。昼間とちがって他に誰もいない海際に立つと、ただ波の音が聞こえるだけである。なにかあって、大きな声を出しても、 あのあたりは人が住んでないので、誰も助けてくれないのではないか。そういう意味でも怖い。闇の中、猫が数匹、防波堤の上にいた。 帰りは追い風だった。
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