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No.2047 2016-06-27
千葉公園の猫

■千葉公園に猫がいた。人に慣れているようで逃げなかった。千葉公園は春には桜が咲く大きな公園だ。 近くには大きな図書館がある。
No.2046 2016-06-24
■イギリスのEU離脱の是非を問う国民投票が行われて、離脱派が僅差で残留派を上回ったのだそうだ。 20世紀の終盤くらいから、グローバリゼーションとか国境の枠組みを越えて、とかさかんに言われて今に至るけど まずは自分の国の内側を大事にしたほうがいいっていう当たり前のことにまずヨーロッパが気づいてきてるように思う。 右派政党が躍進するのは当然で、長い間経済面で国際競争が続いているのに加えて移民難民問題でどの国も大変なのに よその国を助けてる場合じゃない。いったんみんなまず自国を大事にして、それでも余力があったら助け合えばいいんじゃないの。
No.2045 2016-06-22
■1976年6月22日発売の週刊少年ジャンプ29号に「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が掲載されてからちょうど40年経ったのだそうだ。 自分が生まれる前から今もなお続いているなんてすごい。両津の少年時代の話が好きだ。「おばけ煙突が消えた日」とか「浅草物語」、 弟の受験票を川にダイブして拾う話とかがいい。
No.2044 2016-06-19
習志野市秋津サッカー場

■習志野市秋津サッカー場まで自転車で行った。JFLのブリオベッカ浦安対東京武蔵野シティFCの試合を観戦。 せっかく浦安から近い場所での開催なのに、JR京葉線が何かのトラブルで運転見合わせになってて会場に来ることができなかった人もいたと思う。 習志野市内での開催ということで、試合前のセレモニーで習志野出身の国会議員の挨拶なんかもあった。 東京武蔵野シティFCというのは去年まで横河武蔵野FCというチーム名だった。 1939年創設の横河電機製作所の社内同好会として発足した横河電機サッカー部が起源なので、歴史はけっこう古い。 ずっとJFLでアマチュアチームとして活動していたが、今年の2月にJリーグ理事会に「百年構想クラブ」として認定され、 Jリーグ3部(J3)入りを目指すこととなった。
■試合は0-2で武蔵野が勝利。武蔵野の横綱相撲といった試合展開だった。自転車で家まですぐに帰れた。 やっぱり自宅の近くでやる試合は気軽に行って帰って来ることができるからいい。浦安の人達が本来そうあるべきなのに試合会場が遠くばかりで大変だ。
No.2043 2016-06-18
習志野駐屯地 空挺館

空挺館 内部

■陸上自衛隊習志野駐屯地の中にある空挺館という建物の一般公開をやっているというんで行ってみた。 新京成の習志野駅からぶらぶら歩いて行く。成田街道に出るとすぐに駐屯地の塀が見える。 空挺館というのは「旧騎兵連隊の御馬見所として天皇や皇族が馬術などを見ることを目的に建てられた用途の建物」だったらしい。 元々東京の目黒にあったのを1916年にこの地へ移築してきたそうだ。ちょうど100年前である。ついでに言うと「習志野」というのは明治天皇が名づけた地名である。 駐屯地には以前、夏のお祭りのときに入ったことがあったが、あのときは人がぞろぞろたくさんいて、自由に出入りできるようになっていたが、 今回はそういう感じではなくひっそりとしていて、門の前で隊員の人が周囲に睨みをきかせていたので、やや緊張しながら近づいていくと、 にこやかに「あちらで受付してください」と言ってくれた。
■受付の隊員さんもとても明るく親切で、首から提げる見学者証を渡してくれた。案内図ももらった。この辺は自由に見ていい、撮影は自由、 といった簡単な説明を受け、内部へと進んだ。歩くとすぐにその建物が見えてくる。裏や横へ回って写真を撮りながらじっくり見た。 建物はコロニアル様式の二階建てで、正面はシンメトリーのデザインになっている。馬術などを見ることを目的に、という建物なので窓が大きく取られている。 内部に入ってみる。土足はだめなようで、靴を脱ぐのではなく靴の上に靴袋のようなものを履く。外観は簡素だが、内部は重厚な装飾が施されていて、 さすがに天皇や皇族のための建物だと感じた。壁には歴代の空挺団長の写真が掲げられ、落下傘部隊や騎兵に関する資料が数多く展示されている。 他に数人の見学者がいたが、まったく混雑はなくゆったりと見ることができた。「日本騎兵の父」と呼ばれた、秋山好古陸軍大将の関連資料がたくさんあった。 秋山好古という人物は司馬遼太郎の「坂の上の雲」という作品に出てくるらしいが読んだことがないのでよく知らない。京成大久保駅前の通りにもたしか 秋山好古に関係ある石碑があった。
■建物内のテラス部分には「津田沼駅に置かれていた、皇族用の椅子」といったものも展示されている。 習志野練兵場の表玄関だった津田沼駅は多くの皇族が利用していたのだという。私が毎日利用している津田沼駅は1911年(明治44年)開業で、 意外と長い歴史のある駅だ。それはともかく、空挺館は歴史ファン、洋館ファン、皇室ファン、軍事ファン、馬術ファンなど幅広い層が楽しめると思う。 帰りに受付で見学者証を返すとき、受付の人が「どんな展示が印象に残ったか」と聞いてきたり「また公開する日があるので来てください」といったようなことを言ってくれた。
No.2042 2016-06-16
■函館市で震度6弱の地震、というネットのニュースの文字を見たときはさすがにちょっと青ざめた。すぐに函館の実家に電話をかけたら 親が普通に出た。一瞬ドンと揺れた、というだけで別になんともなかったそうだ。地元の友人や知り合いからも特に地震に対する発信はなかったので、 別になんでもなかった。震度6弱とはなんだったのか。
No.2041 2016-06-12
習志野ソーセージ

■1915年9月から1920年1月までの間、第一次世界大戦中に日本の捕虜となったドイツ兵約1,000人が習志野市に収容されていて、 その中にソーセージ職人がいたそうだ。その人から農商務省の技師がソーセージの製造技術を教わり、 同省が開催した講習会を通じてその技術が日本全国の食肉加工業者たちに伝わっていくこととなったのだというんで、 習志野市は「日本のソーセージ製法伝承の地」と近年、習志野市の商工会が躍起になって売り出しているのが「習志野ソーセージ」である。 東京通勤圏のベッドタウンとして特にこれといった名産もない中、一応歴史的にルーツのあるものを探してきたのであろう。 イオンで売ってたので、買って食べてみた。普段の食事としては安くないが、まあまあおいしいかなといったところ。 わざわざ遠方から買いに来るほどではないと思う。
No.2040 2016-06-11
八王子神社

■自転車で成田街道、新京成の北習志野駅、古和釜を経由して船橋市大穴あたりまで走った。往復で約20km。 距離はたいしたことないが暑かったのでそこそこ疲れた。船橋は一部を除いて道路が狭いわりにどこへ行っても車の交通量が多くて、 自転車で走るのは少し怖い。去年見た「下総三山の七年祭り」にも「末息子」として参加する八王子神社まで行ってみた。 主祭神は日本武尊で、社伝によれば平安初期の807年に創建されたと言い伝えられている。 実際にそこまで古いのかはわからないが、確かに境内には大きな木々が多くて歴史を感じさせる。本殿は古い神社の形式である神明造である。
No.2039 2016-06-05
フクダ電子アリーナ

■蘇我のフクダ電子アリーナでJFLのブリオベッカ浦安対ソニー仙台の試合を観戦。浦安からのアクセスもよい場所なのでなかなかの観客動員数だったように思う。 試合は前半、お互いに攻め合うなかなか見ごたえのある内容だったが後半、地力の差が出て仙台が勝利。 普段サッカー見ないようなちゃらちゃらした感じのグループが近くにいて、ビールを飲みながら楽しそうにしていた。 スポーツは興行でもあるので、熱い応援もいいけど、ビールでも飲みながら楽しく見るのほうが個人的にはいいと思う。
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