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No.1514 2010-5-30
茜浜の猫
茜浜の猫。

茜浜
茜浜。

■5月最後の週末は、少し肌寒く感じる気候だった。どんよりした空だったが雨は降ってなかったので自転車で茜浜へ。 まだ朝だったので人は少なかった。海辺にはひさしぶりに猫たちの姿。長く海辺に住んでいる猫二匹と、 去年の12月に見かけた子猫たちがずいぶん大きくなってるのも見れた。大きくはなってたが、まだどこか子猫ぽい感じが残っている。 しばらく見なかったのでみんな死んでしまったのではないかと思ってたから、 なんだかほっとした。でも以前よりみなやせてるように感じた。どこかのおやじさんが自転車で現れて、猫達にごはんをあげてた。 大学生くらいの男女らが車と原付で乗りつけて、おお海だ、とか言って、はしゃいでた。 若者たちが猫のごはんのおじさんに頼んで、海をバックに写真撮ってもらっていた。
■話は変わる。先日の共同通信のニュースである。 「東北新幹線・八戸―新青森、12月4日開業」
八戸―新青森間の開業は、当初11年春を予定していたが、工事が順調に進み、地元の早期開業への要望が強かったことから今年12月に前倒しした。 最高速度300キロで営業運転し、東京―新青森間を最短約3時間10分で結ぶ。 13年春からは、国内最高速度となる320キロで運転、最短約3時間5分となる予定。

■とうとう本州のいちばん北の端まで新幹線が伸びることになった。博多〜熊本間の新幹線ももう少しで開通するらしいので、 青森から鹿児島まで新幹線でつながることになる。新しい開通区間である八戸〜新青森間は、早ければ今度の年末年始に利用するかもしれぬ。 新幹線が津軽海峡を渡るのはいつになるだろうか。
No.1513 2010-5-26
■2006年6月、金の亡者と成り果てた川淵三郎のあの茶番の日から、日本代表を素直に応援できなくなってしまった。 あのときのジェフのファン達の気持ちは、言葉にできないほどの憤りと悲しみ、悔しさ、やるせなさで満ちていた。 あの一件で、クラブには相当な数の問い合わせというのか、抗議というのか、とにかくかなりあったようで、 蘇我駅の近くのホールで、イビチャ・オシム監督強奪に関する説明会のようなものが開かれることになった。 駅から会場までの道を、当時ゼネラルマネジャーだった祖母井氏が歩いていた。 彼に気づいた者らが路上で、どうなってるんですか、なんでですか、と問い詰めるような状況になってしまった。 祖母井さんは困りながら、ごめんね、すみません、と言うことしかできなかった。 そして説明会での、当時の社長である淀川の猿芝居と、祖母井さんの終始憮然とした表情は忘れられない。
■もうあれから4年も経つ。
■ここのところ世間での、日本代表への関心や人気が、かなり薄れているのを感じる。 目先の欲にまみれた日本サッカー協会の責任は重い。そもそも、ジーコの4年間で、それまで日本代表を応援してた者たちのうち、 Jリーグのクラブのファンはかなり離れていったと感じている。この代表じゃだめだと、Jリーグを熱心に見てる者たちはすぐに感じ取った。 そして案の定、ドイツ大会での惨敗だ。
■オシムの日本代表になったとき、離れていったJリーグのクラブのファン達が戻ってきた。そして岡田体制になって二年半、 それがいまの惨状だ。
■負けてほしいなんて思ってない。日本の代表なんだからもちろん勝ってほしい気持ちはある。でも、 今の代表を心から応援できないのは、弱いからでも、うまくいってないからというのでもなく、 失敗を恐れてリスクを冒さないにも関わらず、内容もひどければ結果も出せないからだ。どうして逃げるんだ。 代表に選ばれなかった選手がたくさんいる。ワールドカップ出場を熱望しながら果たせなかった選手たちがたくさんいる。 それなのに、一体今の代表は何をやってるんだ。ふざけるのもいいかげんにしたらどうだ。
■今大会の対戦相手はカメルーン、オランダ、デンマークということになっている。 どこも強い。とんでもなく強い。デンマークが過小評価されてる気がするが、この中でひょっとしたらいちばん強いんじゃないかとすら思う。 だからまずとにかく、初戦のカメルーン戦だ。ここで勝ち点が1以上取れれば、なにかが起きるかもしれぬ。 死に物狂いでカメルーンから勝ち点を取らないとだめだ。ここが日本にとっての決勝である。そしてオランダ戦は、はっきり言うと負けてもいい。 ただし、被害は最小限にとどめなけれだめだ。要するに0-1。三試合目のデンマーク戦、 デンマークが二試合終えて「勝たなければトーナメント出場できない」という状況になっていれば最高だ。そうなっていれば日本に勝機がある。 デンマークのディフェンスラインの裏を岡崎、森本で突ける。
■自分が想定できる日本にとっての最良のシナリオが上記のものである。南アフリカという、未知の環境での大会なので、 2002年の日韓大会のときのように、番狂わせが多くあるかもしれぬ。高地にあるスタジアムで行われる試合もかなりある。 かなり予想のしづらい大会だとは思う。そして最近の岡田監督の言動を見ていると、なにか隠してるかな、という気がする。 なにか思い切ったことを本大会でやるんじゃないか、という予感が少しある。 メンバー選考から見えてくるものは、ガチガチに守ってセットプレーでの得点狙い、という手も考えているのでは、ということ。 それでもいいと思う。むしろ日本が決勝トーナメントを目指すのであれば「弱者のサッカー」に徹するのが一番可能性が高いはずだ。 ハエにはハエなりのやり方がある。
■「来週、代表戦だ」「代表の試合、明日だよ」と言ってた頃の、あの特別な感情をまた持てるようになる日が来るだろうか。
■そういえば、イビチャの息子アマル・オシムが監督をやってるジェリェズニチャルが、ボスニアのリーグチャンピオンになったそうだ。 アマルおめでとう。

No.1512 2010-5-22
江ノ電 鎌倉高校前駅
江ノ電 鎌倉高校前駅。

外交官の家
外交官の家。

元町からの横浜の風景
元町からの横浜の風景。

レストラン山手十番館
レストラン山手十番館。

■わけあって金曜日の夜から新横浜駅前にあるホテルに泊まっていた。新横浜駅は以前、サッカーを見に訪れたことがあったが、 その頃よりずっと都会になってて驚いた。ロフトやビックカメラは少し見た。CDでDJをやるやつをいじってみたらおもしろくて、ちょっといいなと思った。 土曜日は横浜近辺を観光するつもりだったが、なんとうなくJRのホリデーパスを購入。新横浜から横浜線に乗車。なかなかの混雑。菊名でたくさん降りていった。 横浜まで行き、南武線の未乗区間である川崎〜尻手の区間(1.7km)に乗車するために、 東海道線に乗り換えて川崎まで。川崎から尻手は一駅なのですぐに乗り終える。そのまま南武線で武蔵小杉まで。この駅は今年の3月に、新しくホームを作って横須賀線の電車も停まるようになった。 まだ駅の工事は続いてて、南武線から横須賀線に乗り換えるための連絡通路は仮設のもののようだった。 それにしてもその連絡通路が長い。一本道なので迷うことはないが、何分も歩くことになる。そしてまだ真新しいホームから横須賀線の電車に乗車。
■横浜で降りて根岸線に乗り換えて、洋館の点在するエリアをぶらぶらしようと思ってたが、せっかくホリデーパスがあるんで、 急遽思いつきで、そのまま乗り続けて鎌倉まで行くことにした。都会は電車の本数が多いので、あんまり計画立てなくてもどうにでもなるのがいい。 もう午後になってて人が多く繰り出しているだろうと考え、鎌倉観光はせずに、ただ江ノ電に乗ってきた。 鎌倉駅から江ノ電に乗車。四両編成だったがたいへんな乗客数で、通勤電車みたいだった。十数分乗って鎌倉高校前駅で下車。 数年前に一度来たことがある。この駅からは七里ヶ浜の海が見渡せて気分がよい。江ノ島も見える。最初うっすら曇っていたが、 だんだん空が明るくなって海がきらきらしてた。サーフィンの者たちが見える。駅の前の国道134号線はずっと渋滞してた。サイクリングの者もいる。 車の量が多くて道が狭いので、自転車の者らが心配になる。
■再び電車に乗って、江ノ島駅で下車。「全線開通100周年」と書かれた旗があちこちに取り付けられている。江ノ電はそんなに昔からあるのかと驚く。 内陸の都市部から江ノ島へ鉄道で行く場合、江ノ電の他に藤沢から小田急江ノ島線に乗る方法と、大船から湘南モノレールを利用する方法もある。 今回は湘南モノレールに乗ってみることにした。江ノ電の江ノ島駅からは、踏み切りを渡ってすぐのところにモノレールの駅がある。 建物の5階が乗り場になってて、その建物は昭和の雰囲気が色濃く残ってる。確か三両くらいつないでたと思うが、乗客は少なくのんびりしてる。 上から吊るタイプのモノレールで、電車とはちがう揺れを感じる。高い場所を走るので、眺めはいい。家並みの屋根が眼下に見える。 道路の信号機がすぐ下に見えたりしてへんな感じがする。江ノ島駅から15分足らずで終点の大船駅に到着。
■大船から根岸線で石川町駅へ。駅の北口から歩いて、中華街をぶらぶらした。何年か前に横浜FADでポリシックスのライブがあったときに来た以来だと思うが、 夕方でも大勢の人で賑わっている。よくわからないが、通りのあちこちで中国人が甘栗を差し出してくる。試食しろということだと思う。 甘栗はそんなに儲かるのだろうか。適当に入ってみた店で昼食とも夕食ともいえない変な時間に食事。チャーハンのセットを頼んだら思いのほか量が多かった。 パンダグッズやブルースリーの黄色いウェア、三国志フィギュアなどいろんなものが売ってる。お茶とか食品もたくさん売ってる。 何十年後か、案外もっと早くかわからないが、日本中が中華街になってるかもしれない。
■石川町駅の南口から大丸谷坂というなかなか急な坂道を上ったところにあるイタリア山庭園内の「外交官の家」というのを見た。 旧内田邸ということになっているらしい。開館時間は過ぎてて、門が閉じられていたので、敷地の外から眺めたが、 庭がきれいで、クリーム色の建物はかわいらしい。このあたりはいわゆる「山の手」と呼ばれるようなエリアで、 でかくて立派な家がたくさんある。金持ちエリアらしい。どこの家にもセコムとかのステッカーが貼ってある。走ってる車も停まってる車も高級車ばかりだ。 山手本通りという道を東へ歩いてみると、眺めがいいところに高級住宅街が続いてて、フェリス女学院というのがあって、 このへん歩いてる子供さらえば身代金がっぽりだなと思った。カトリック山手教会とか、名前はわからないが古い洋式建築の住宅があったりして、 少し日本離れした町並みになっている。
■元町公園界隈には「ベーリック・ホール」や「エリスマン邸」「山手234番館」等の名のある歴史的建造物があって、 控えめにライトアップされている。そして公園には、猫がたくさんいた。あっちにもこっちにもいて、近づくと逃げていった。 一匹だけ逃げないやつがいて、体が大きいので、このあたりのボスかもしれぬ。外人墓地の横の坂道を下っていくと横浜地方気象台の建物があって、 さらに下るとアメリカ山公園に出て、唐突に明るい建物があったので何かなと思ったら、みなとみらい線の駅だった。 駅の中のエスカレータでずっと下ると、首都高沿いにある元町通りに出た。通り沿いにルイヴィトンからABCマートまで、 ゴディバから吉野家まで、高級店から庶民的な店までいろいろある。服飾関係や雑貨や食品等、多様な店が並んでいる。 犬の散歩も多い。小型犬どうしがはちあわせになると、吠えあってうるさい。
■根岸線で石川町駅から横浜まで行き、横須賀線の快速で津田沼まで。横浜〜津田沼間はだいたいちょうど一時間。
No.1511 2010-5-16
OLYMPUS 35EC2
OLYMPUS 35EC2。

■今年のジロ・デ・イタリアに、新城幸也選手が出場してるのだった。ブイグテレコムというチームの一員として、 去年のツール・ド・フランスに続いて二年連続のグランツール出場である。立派だ。 13日に行われた第5ステージで3位に入った。たいしたものである。 「3位に入った」というよりは、もうあとちょっとのところで力尽きて二人に抜かれての3位である。 その「もうあとちょっとのところ」というのが世界の選手との差なのかなと思うが、ほんとうに惜しかった。 最後、追走してきた集団に飲み込まれそうになったところでスパートをかけて逃げた新城選手の走りはすごかった。
■話は変わって、午前中、ひさびさに自転車で茜浜。猫は一匹もいなかった。ここのところ、茜浜の猫達の姿を見かけない。 徐々に夏の日差しになってきてる気がするが、朝の空気はまだすこし冷たさを感じるから気持ちいい。
■ところで上の画像は先日1500円で手に入れたレンジファインダー式のフィルムカメラである。オリンパスの35EC2というモデルで、 発売が1971年というから、もう40年近く前のモデルだ。いま書いてて驚いたが40年てすごいな。 まだ自分は姿も形もなかったころだ。で、電池式のシャッターなので電池を入れないと撮影できないわけだが、 このカメラに使う電池が既に製造されていないんである。ヨドバシカメラに行って、 今売ってる電池を使えるようにするための専用アダプタを買った。さすがに店名に「カメラ」とあるだけあって、 マイナーなカメラ関連商品でも売っててえらい。で、フィルムを入れて早速このカメラを使ってみた。 現像に出して、仕上がってくるのが楽しみだが、ちゃんと撮れてるのかよくわからないので少し不安でもある。 レンズに記された「made in Japan」の文字がなんとも頼もしい。
No.1510 2010-5-13
■去る5月10日、俺たちの宮沢さんが「伊藤整文学賞」を受賞された。 昨年の11月に河出書房新社から刊行された「時間のかかる読書――横光利一『機械』を巡る素晴らしきぐずぐず」が、 賞の評論部門の対象作品となったということである。おめでとうございます。
■はつかしながら、伊藤整という人物を知らなかったのだが、調べてみると北海道出身の人物だった。 道南の松前で生まれて小樽で育ったようである。「チャタレー事件」というのはなんとか知ってた。翻訳したのがこの人だったのか。 で、賞の主催は伊藤整文学賞の会、小樽市、北海道新聞社ということになっている。余談だが、うちの実家も北海道新聞をとってる。 歴代の受賞者の名前を見ると、錚錚たる顔ぶれだったのでびっくりした。川上弘美さんも2000年に受賞してた。
■宮沢さんが岸田國士戯曲賞を受賞されたのは1992年で、そのときはまだ宮沢さんのことを知らなかった。 今回の受賞はリアルタイムだったので、なんだか嬉しい。
No.1509 2010-5-09
秋津サッカー場
秋津サッカー場。

■JFLのジェフリザーブズ対ツエーゲン金沢の試合を見に、自転車で秋津サッカー場へ。12時キックオフの試合。 もう夏みたいな暑さになってて、見てるだけできついのだから、選手らは相当しんどかったのではないかと思う。 試合は1-3で金沢が勝利。リザーブズは今季、10試合終わってまだ一勝も上げてない。最下位。 若い選手ばかりなので、うまくいかないときに立て直すのはとても難しいのだろう。今日の試合を見ていても、 メンタルの脆さが目に付いた。早い段階で試合をあきらめてた選手が何人かいた。
■2005年の地域リーグ全国決勝大会を勝ち抜いてリザーブズ(当時ジェフクラブ)がついにJFLまでたどり着いたとき、 これはすごいな、三部のリーグにセカンドチームを持てるなんて、選手の育成という面で、 ジェフユナイテッドというクラブにとって大変なアドバンテージになるぞ、と思っていたのに、 ぜんぜん活かせなくて、リザーブズの方針も二転三転して、多くの選手が犠牲になってしまったし、 いまだに、トップチームへの選手供給などといった具体的な成果もない。もったいないなと思う。
■試合の前半が終わると、トップチームの試合が蘇我で2時からあるので、おそらくそちらへ向かうと思われる人たちが客席から去っていった。 金沢の応援にかけつけた者達はざっと見た感じ、全部で20人くらいだろうか。大きな旗を振って一生懸命応援していた。 客席には宮澤ミッシェル氏も来てた。ツエーゲン金沢は将来のJリーグ入りを目指しているそうだ。 現在、JFLで18チーム中、9位につけている。見たことのある選手が何人かいて、ジェフでもプレーした根本や愛媛にいた田中俊也、 元レイソルの山根、浦和から山形にいった赤星など。なかでも、なにか一人スケールのちがうプレーをしてるなと思った選手がいて、 それは元広島の久保だった。日本代表でも何点かとってる彼は金沢にいたのだった。 久保なあ、怪我さえなければ、最強のフォワードだっただろうなあ、と思う。
■久保と小倉隆史が怪我をしなかったら、いまの日本サッカーはもう少しいいほうに変わっていただろう。
No.1508 2010-5-04
■Youtubeでへんな対談というのか、討論というのか、そういうのを見た。勝間というおばさんと西村博之がインターネットの匿名性とか、 若者の起業とか、人間の幸福度とかそういう話をしてた。テレビ番組の企画だと思う。 勝間というひとの名前はなんとうなくウェブ上で目にしてたが、姿を見るのは初めてだ。 なんだろう、いまこの人が世間ではもてはやされてるような感じになってるのだろうか。 西村に完全に負けてて、言ってることが支離滅裂になってて、ヒステリー起こしてた。みっともなくて見てられなかった。 なんであんなのが人気あるの。
No.1507 2010-5-01
原爆ドーム1
原爆ドーム1。

原爆ドーム2
原爆ドーム2。

原爆ドーム3
原爆ドーム3。

海が見える駅 呉線 須波駅
海が見える駅 呉線 須波駅。

尾道 艮神社
尾道 艮神社。

尾道 天寧寺三重塔
尾道 天寧寺三重塔。

尾道の猫
尾道の猫。

尾道の風景
尾道の風景。

■連休の旅行も三日目、最後の日となった。前の二日間のことについては津田沼ノート4月分に書いてあるので、もしあれだったらあれしてください。
■朝、ホテルをチェックアウトして、路面電車の「銀山町」という停留所へ。広島の路面電車は市の経営ではなく、 事業者は広島電鉄という民間の会社である。「かなやまちょう」と読む。この路面電車は、市内いくつもの方向別の路線を持っていて、 かなり本数も多いようで、運賃も安い。市民の足としてしっかり機能してるみたいですごい。利用者も多い。二両連結タイプのものもたくさん走っていた。 古めかしい車両も走ってるし、新しいタイプのスタイリッシュな車両や未来的なデザインのもある。少しの間、待ってるだけでもいろんな方面行きの電車がひっきりなしにやってくる。 長崎や熊本も路面電車がとてもよく活用されてる町という印象を受けたが、そういうのを見て、函館も過去にもっとたくさんあった路面電車を残しておけばよかったのにとつくづく思う。 宮島口方面行きの電車に10分ほど乗って西へ。市内線は均一運賃で150円。こまめに停留所が設置してある。よくわからないが、停留所ごとの停車時間が長い。 途中、通り沿いには大きなオフィスビルや百貨店、東急ハンズ、家電店などが建ち並ぶ。とくに「八丁堀」「紙屋町東」「紙屋町西」という停留所あたりの発展ぶりが顕著だ。
■「原爆ドーム前」で下車。元の広島市民球場が近くに見える。停留所のすぐ目の前に原爆ドームが建っている。近づいて見ると、解説が書いてある石碑と、世界遺産であることを示す石碑が並んで設置してある。 まだ早い時間だったせいか、観光客はそれほどいなかった。初めて見て受けた印象は、建物の形状やデザインが優れており、きっと美しい建物だったのだろうなということで、 もし破壊されずに残っていても、それなりの観光スポットになってたのではないだろうか。ネオ・バロック風の意匠で、とても装飾的な建築物だとわかった。 もともと広島県産業奨励館という建物だったそうで、ウィキペディアを見ると「日本で初めてバウムクーヘンの製造販売が行われた」というエピソードが書いてある。 建物内の一角に見えている鉄製の螺旋階段が熱でぐにゃぐにゃになってるのはすごかった。建物の周囲ではツツジが咲いててきれいだった。
■原爆ドームを実際に見て、もっとぐっとくるものがあるかと思ってたが、案外そうでもなかった。 ただ、これを残そうと決断して、残しておいてくれた先人達は偉大だと思った。 崩壊した建物を保存するのは、単に古い建物を残すのとはまったく違った手間がかかるのだから、相当大変だろうと思う。 すぐ横に大きな川があり、橋で渡るところの近くに、小さなクルージング船の乗り場があった。 橋を渡ったところには「広島市レストハウス」というモダンな外観の建物があった。 1929年に呉服店の店舗として建てられたコンクリート3階建ての建物で、現在は広島市の所有となっている。 「原爆被災の中心となった中島地区でただ一つ残った戦前からの建造物」だそうだ。 観光案内所兼休憩所ということになっているのだけど、まだ朝早い時間だったので開いてなかった。 川の反対側からしばらく原爆ドームを眺めた後、原爆ドーム前の停留所の一つ先の「本川町」というところから広島駅行き路面電車に乗車。 とても混雑している。車掌さんが乗務していて、終点近くなると「両替えありませんか」と車内を歩いていた。
■20分ほどの乗車で終点の広島駅に到着。この三日間、広島駅近辺を歩いたり広島駅周辺の路線に乗ってて感じたのは、 プロ野球の広島カープの町への根付き方がはんぱじゃないということである。もうなんか当たり前みたいな感じで気負いなく、そこにあるという感じがした。 歴史があるからすごい。まだサッカーはそこまでいってないように思う。広島から山陽本線の上り糸崎行きに乗車。 けっこう混んでる。休日に町から離れる方向の電車に乗ってみんなどこへ行くんだ。若者が多い。結婚式に向かうと思われる着飾った二人組もいた。 八本松駅の手前あたりからしばらく山中のような景色が続く。山陽本線で唯一、車窓から長い時間、人家が途絶える区間ではないかと思う。 駅間距離が長いなと思ってたら、西条駅の手前に「寺家地区に新駅設置を」と書かれた大きな看板があった。 そこそこ人が住んでるようなので駅が一つあってもいいのかもしれぬ。西条駅ではけっこう降りる者が多く、広島からずっと立ってた若者も座れた。 広島から長い距離乗り続けてる者が少なくない。このあたりの沿線には、立派な赤い瓦屋根の屋敷が多い。本郷駅からたくさん乗ってきた。
■三原駅で一度下車し、二日前に乗った呉線で一駅となりの須波へ。駅のホームから海が見渡せるいい駅だなと思ったので、 実際降り立ってみることにした。他に降りたのは若い親子一組だけだった。天気がよく、空も海もきれいだ。駅舎はなく、 小さな待合室がひとつあるだけの簡素な駅。周囲は住宅が多い。折り返しの列車を待っていたら数人、乗客がホームに上がってきた。 ほどなくして三原まで引き返す列車が入ってきたので乗車。三原駅で昼食にうどん。ここの駅は新幹線も止まる大きな駅だ。 改札の前では「赤ヘルきっぷ」というのを売ってた。広島までの往復の乗車券とプロ野球の試合のチケットがセットになってるようだった。 岡山行きの普通列車に乗車。
■このあたりを普通列車で通るのに素通りするわけにはいかないと勝手に思って、尾道で下車。三原からは15分もかからない。 尾道には2005年、2007年に訪れているのだけど、何度でも行きたいと思える町である。 駅から出ると以前はなかった尾道ラーメンの店ができていた。たばこ屋の前に白い猫がいたので近づいてみたら逃げずににゃにゃと言っていた。 なでてやるとごろんと横になって腹を見せた。千光寺方面へ商店街を歩いていくと、地元の人間よりも観光客のほうが多いようだった。 商店街にはひと気があるから暗さはないが、それでもやはりシャッターが下りている店が多かった。土曜日だからだろうか。 せまい路地から行列が伸びてるなと思ったら、列の先はおいしいラーメン屋のようだった。
■千光寺ロープウェイの乗り場あたりまで歩いたが、ロープウェイには乗らず、その近辺にある正授院や慈観寺、妙宣寺などを見て回った。 艮神社の大きな楠を見上げ、招き猫美術館のあるわき道から上へ登ると、突き当たりの角にある喫茶店らしき建物の前に白い猫1匹とキジトラ猫が2匹いた。 このあたりには古民家再生をやってる若い人の家とか「梟の館」という喫茶店などがある。もう少し細い坂道を登ると天寧寺の三重塔が建ってて、 その向こうに尾道の市街地と尾道水道、しまなみ海道の尾道大橋が見渡せる場所に出る。景色がいい。写真を撮ってたら、 さっき見た白い猫が歩いてたので、手招きしたらなにか言いながらこっちへ来たのでなでてやったらにゃにゃと言ってくっついてきた。 ずいぶん人馴れしてるから、飼い猫なのだろう。歩いてもしばらく横についてきたから、すれちがったおばちゃんに「あらお供ね」とか言われた。 尾道幼稚園の横の階段になってる道の脇に坂道写真館というのがあったのでちょっとおじゃましてみた。 普通の民家の部屋を展示室にしてる。たくさんの古いカメラや尾道の写真が展示してあった。犬や猫の写真も多い。 斜面に建っているので、二階からは海まで見えて眺めがいい。そこのご主人と少し話をすることができた。 いま尾道の町にはかなり空き家が多くなってしまっていること、400軒くらいじゃないかということ、 若い人が移住してきてくれて、古い民家を使っていろいろ試みをしてくれているが、ことばは悪いが焼け石に水であるということ、 残念だ、というようなことを言っていた。高齢者が多いので、坂の登り降りが大変だし、細い坂道や階段の道なので車が入って来れなくて不便であるというんで、 どんどん東尾道方面など、広々してて大きな商業施設のある、生活の楽な町へ引っ越してしまうらしい。
■たしかに空き家になって荒れてる家屋が多かった。尾道は知恵の町だと思う。傾斜地に暮らす知恵をいたるところで目にすることができる。 そういう部分にひかれる。でも知恵を使わないといけないから疲れる生活だと思う。 外国人の観光客も時折見かけたが、彼らの目にこの町はどのように映っているのだろうか。 あと、印象に残ったのは、尾道の町の中にある喫茶店や個人でやってるギャラリー等、いろんな建物の入口に 「しつけのなってない方の入場お断り」といった趣旨のことが書かれていた。いいことだ。もっともなことだと思う。 公共の場所や交通機関、飲食店など、みなこういう姿勢になってほしい。子供のしつけが悪くて常識のない親子が近年目に余る。
■尾道から普通電車で福山まで。20分ほどで着く。福山から新幹線。東京まで行くのぞみが一時間に1本、福山で停まるので、 乗り換えなしで帰ることができる。二泊の旅行をして少し寝不足気味だったので、新幹線で寝ようと思ってたが、 N700系の新幹線で、また無線LANが使えたんで、うっかりネットでサッカー中継を見てしまい、気づいたら丸々二時間経ってた。 ぎりぎりでも指定の切符が取れたのでそんなに混んでないのかなと思ってたが、結構客いっぱいだった。新しい車両は普通車の座席でも前後左右ともゆったりしてるので、 窮屈な思いをすることはなく快適である。福山で「あなごめし」という駅弁を購入。車内で食べたが、あなごがふっくらやわらかくてたくさん入ってて、 タレはついてないのにとてもおいしかった。品川で快速に乗り換え。いつもなら混雑してる時間なのにすごく空いててありがたかった。
■今回の旅行で、広島県内のJR路線を全部乗車することができた。乗車キロ数は19053.5kmとなり、 これでJR全路線のうち、乗車済み区間が96.013%となった。そろそろ先が見えてきた。
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