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No.1703 2012-8-25
桜木町
横浜 桜木町。

■電車で横浜まで。根岸線で一駅、桜木町駅で下車。山崎まさよしの曲に出てくる桜木町ってのはこういう町か、と思う。 駅のすぐ前にある「TOCみなとみらい」という複合施設ビルの6階にある、横浜ブルク13という映画館で、 山下達郎のシアターライブ「PERFORMANCE 1984-2012」を見た。関東ではここと新宿でしか上映してないので、 この8月25日が公開初日で、しかも土曜日だということで新宿はすげえ混むだろうと思い、ちょっと遠いが横浜を選んだ。 「横浜ブルク13」というのはどうやら、館内のシアターが13部屋あるという意味みたいで、全部の部屋の座席数を合計すると2500席以上あるという。 夏休みということもあり、子供向けの作品なども上映されてるようだ。ロビーのようなスペースには思ったより人がたくさんいて、なかなかのにぎわいである。 空港の自動チェックイン機みたいなやつで発券して、シアター1という、400席ある部屋へ。
■シアターライブなるものを見るのは初めてである。それにしてもここの映画館の椅子は快適で、ついだらっとした楽な座り方をしてしまう。 上映時間が約一時間半と、普通の映画作品とくらべたら若干短めだと思うが、座ってて疲れなかった。 予想はしていたが、やはり客の年齢層は50代くらいに見える者が大半で、若い者は少ない。 照明が落ち、長い宣伝が終わってようやく本編が始まった。山下達郎のアカペラ作品「La Vie en rose」をバックに注意事項等がスクリーンに流れる。 昔、山下達郎がNHK-FMでやっていた「サウンドストリート」という番組のオープニングで使われていたアカペラのジングルをバックに、 ステージセットの作業の様子の映像が早回しで流される。楽屋入りする山下氏の様子や、ステージに上がる直前のメンバーの様子の映像などもある。 そして一曲目「SPARKLE」で本編が始まる。公式サイトに本編の曲目リストがあったので転載する。

01)SPARKLE
1986.7.31@中野サンプラザホール(PERFORMANCE '86)
02)LOVELAND, ISLAND
1986.10.9@郡山市民文化センター(PERFORMANCE '86)
03)メリー・ゴー・ラウンド
1985.2.24@神奈川県民ホール(PERFORMANCE '84-'85)
04)SO MUCH IN LOVE
1986.10.9@郡山市民文化センター(PERFORMANCE '86)
05)プラスティック・ラブ
1986.7.31@中野サンプラザホール(PERFORMANCE '86)
06)こぬか雨
1994.5.2@中野サンプラザホール(Sings SUGAR BABE)
07)煙が目にしみる(SMOKE GETS IN YOUR EYES)
1999.2.4@東京・NHKホール(PERFORMANCE '98-'99)
08)ずっと一緒さ
2008.12.28@大阪フェスティバルホール(PERFORMANCE 2008-2009)
09)DOWN TOWN
2008.12.28@大阪フェスティバルホール(PERFORMANCE 2008-2009)
10)希望という名の光
2012.4.1@神奈川県民ホール(PERFORMANCE 2011-2012)
11)今日はなんだか
2010.10.27@神奈川県民ホール(PERFORMANCE 2010)
12)アトムの子
2012.4.30@大宮ソニックシティ(PERFORMANCE 2011-2012)
13)RIDE ON TIME
2012.4.30@大宮ソニックシティ(PERFORMANCE 2011-2012)
14)恋のブギ・ウギ・トレイン
2012.4.30@大宮ソニックシティ(PERFORMANCE 2011-2012)
15)さよなら夏の日
2010.8.14@石狩湾新港樽川埠頭横 野外特設ステージ(RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO)

■本編が終了して、「YOUR EYES」をバックにエンドロールが流れ、最後にライブ会場で終演後、客がホールから出ていく様子が 「That's My Desire」をバックに早回しで流れる。 神奈川県民ホールや大宮のライブでは、お客さんがとても楽しそうに体をゆすっているのに対し、 東京の客ののりの悪さが印象的であった。同じ関東でも、客層がちがうのかな、と思う。自分は、 山下ワンマンライブを、東京のNHKホールでしか見たことがないから、お客さんの反応を見てて、 余計なお世話と言われるだろうが、なんだかもどかしいという気持ちになっていた。今度は神奈川か埼玉の会場で 見てみたいなと思った。あと、大阪での二曲とラストの石狩での映像を除いてほとんど関東で撮影したものになっているのは、 単に撮影クルーの移動費用の都合なのだろうか。地方でのライブの映像もいろいろあればおもしろいのになとも思う。
■80年代のライブ映像を見ていると、達郎氏の体から、あふれ出るのを抑えきれないようなエネルギーをひしひしと感じる。 そして、攻撃的な印象さえ受ける。力で客をねじ伏せるような、そんな圧倒的なパワーのライブであった。 後ろでドラムを叩いている青山純の音も、重たくてドス!ドス!とすごい。この音も、圧倒的なパワーという 印象に深く関係してる気がする。90年代〜2000年代前半のライブ映像が少ないのは、ライブ自体があまり多くなかったためだろう。 2008年からは毎年ライブツアーをやっているので、最近のライブ映像は多いようだ。80年代のライブ映像と比べると、 2008年以降のものは、映像作品を意識したようなカメラワークに見える。「DOWN TOWN」では、コーラス隊に竹内まりやが混ざっていた。
■「SMOKE GETS IN YOUR EYES」での圧巻のボーカルや「恋のブギ・ウギ・トレイン」で見せるものすごいギターカッティングが特に 強く印象に残っているが、他の曲でも、あんだけの歌唱を、ものすごいギターカッティングと同時にこなしているのは本当にすごい。 しかもカッティングの音がとてもクリアで、美しいとさえ感じる。 昨年のツアーでの「希望という名の光」の名演も、曲途中でのMC部分も含めて改めて見ることができたのもよかった。 そしてRISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZOでのラストにやった「さよなら夏の日」の映像も嬉しい。あの日、どきどきしながら ステージの前でライブが始まるのを待って気持ちとか、達郎氏が目の前に現れたときに、うわ本物だ!と思って興奮してたことを思い出した。 セットやメンバーの衣装の変遷も、時代を反映していておもしろかったし、使っている楽器が80年代と最近のであんまり変わってないのも興味深かった。 特に2000年代の映像は音がとてもきれいでよかった。
■私のように、近年ようやく達郎氏のライブに行くようになった者にとっては、昔のライブ映像はとても物珍しくて貴重だし、 映像が残っていて嬉しい。画質や音が悪くてもいいから、シュガーベイブ時代の映像や、80年代初頭に六本木ピットインでやっていたライブの映像も 見てみたい。今回の上映が好評ならば、おそらく第二弾、第三弾とやってくれるのではないかと思う。ただ、彼のライブでいちばんすごいなと思うのは、 曲と曲のつなぎの巧みさというか、一曲終わって、次の曲に入るときにカウントをとらず、前後での曲でリズムが変わる時さえも、バンドメンバー全員がスムーズに、 次の曲に入るところだと思うので、もし可能ならば、どこかでのライブ一本まるごと映像化してほしいなとも思う。 CDが売れない時代になって、ライブハウスやホールも取り合いになっている昨今、収益を得る新しい形を模索しての今回のシアター上映という部分も、 おそらくあるのだろう。本人はもちろん、彼にぶらさがっている者達も食べさせなければならない立場にいるので、いろいろ苦労があって大変だろうとは思う。 テレビにも出ない、DVDも出さない達郎氏なので、こうやって映像で見れる機会をつくってもらえるなら、お金を払って見ることは吝かではない。
No.1702 2012-8-16
■朝から実家で茫然と過ごす。洗濯物をたたんだり、庭にくるスズメにごはんをあげたり、甥たちにもごはんをあげたり、荷物を送ったりしているうちに夕方になった。 帰りは特急と新幹線。五稜郭駅から一駅、函館駅まで行って夕方の、新青森行きの特急スーパー白鳥に乗車。なかなかの混雑。 指定席は完売だというアナウンスがあった。江差線内をしばらく走ると左手に海が見え、函館の湾内にフェリーが見える。船の大きさからいくと函館−大間の航路のフェリーではないか。 今回、函館駅で売っている駅弁を初めて購入。前から一度食べてみたかった 「鰊(にしん)みがき弁当」を選んだ。1966年(昭和41年)から販売し続けているというロングセラーで、中身は 身欠きニシンの甘露煮と味付け数の子をごはんの上にのせただけという、昨今の駅弁と比べるとずいぶん地味な弁当で、 あとはせいぜい、箸やすめの大根の味噌漬と茎わかめが少し入ってるくらい。食べてみるとこれがおいしい。北海道の駅弁はいまいち、 みたいなことをつい二日ほど前に思っていたが、やっぱりおいしいのもけっこうある。この弁当に入ってるやつを食べて、 はじめて、数の子をおいしいと感じた。
■車両前方の出入り口の上についている電光掲示に「青函トンネルに入りました!!」と表示される。もう何度も通っているので特に 感慨はないが、二つもついたビックリマークに勢いを感じる。本州側に出て最初の停車駅、蟹田でけっこう下車する者がいた。 接続の都合で、青森駅から新青森まで一駅だけ普通列車に乗車。新青森で東京行きの東北新幹線のはやてに乗り換える。スーパー白鳥とはうって変わって、 空いている。盛岡とか仙台あたりでたくさん乗ってくるのかな、と思っていたが、予想に反してそれほど多くなく、降りる者もわりといたので、車内は引き続き空いたまま。 車内販売も暇そうに往復していた。車窓から見る夜の仙台の町が心なしか暗く感じられたのは盆休みだからなのだろうか。夜の列車移動は景色があまり見えないからあんまりおもしろくないが、 時折見える町の灯りを目で追ったりしているうちに眠たくなって少し寝た。定刻通り東京駅に到着。ちょうどいい時間の東京駅始発の快速があったので乗車。 津田沼はどろどろとした熱気。地獄のようである。
No.1701 2012-8-15
■朝は早めに起こされる。兄の家族と朝食。母は朝のうちに家を出て、叔母の葬儀のため特急で札幌へ向かった。今までに数度しか会ってない叔母だが、 血のつながった者が一人、また一人と世を去っていくのは、年の順番とはいえ、やはり寂しく感じる。実家でぼんやり過ごす。 もうすぐ兄のところの赤ん坊が生まれるというのに、兄、甥達にはほとんど緊張感がなく、皆でDSという小さなゲーム機で ゲームをしている。やはり函館の朝は涼しく、内地の灼熱地獄が嘘のような快適さ。母が不在のため、食事の用意や後片付けは すべて私がやることになり、めんどうだが仕方ない。午後になり、生まれたとの連絡。男の子であった。 去りゆく命があれば、生まれくる命もある。
■近くのショッピングセンターへ行き、ダンボールをもらって来ただけで、あとは特に外出もしなかった。 兄の家族はみんな病院に行って、夕方には帰ってきた。夜はホットプレートでジンギスカンをやった。 甥達が野菜を食べず肉ばかり食べる。
No.1700 2012-8-14
宗谷岬
宗谷岬。

■ホテルに荷物を預かってもらい、近くのバス停までゆく。朝早いのに、先に来て待っている者が二人ばかりいた。南駅前バス停から乗車。 稚内の人は、南稚内駅のことを「南駅」と呼ぶらしい。函館の人が五稜郭駅を「五駅」と呼ぶのに似てる。そういう例はきっと全国どこでもあるのだろう。 幸い、この日は晴天。朝起きてカーテンを開けたとき晴れてて、前日が雨だったからなおさらうれしかった。さすがに北の果ての町、朝の空気は夏でもきりっと冷たい。 市街地を抜けるとバスは茫漠とした海辺の道、国道238号線をゆく。この海の向こうは違う国だ。時々、道路沿いに小さな集落があり、バイクに乗る者達が利用する 「ライダーハウス」と呼ばれる宿泊施設も見かける。海産物を扱う土産物屋もたまにあるが、基本的にはあまり人の気配のない場所が多い。稚内空港の横を通る。 ずっと、進行方向左手に海が見えている。小さな漁港がある。小高い丘が見え、丘の上には風力発電の風車が立っているのも見える。 南駅前から乗車して約45分、運賃は1350円。途中、ほとんど乗り降りのないままバスは宗谷岬に到着。北緯45度31分22秒、一般の人間が到達できる日本の最北端の地である。
■以前稚内を訪れたときは時間がなく、稚内駅から歩いて防波堤ドームを見たくらいで、ここまで来れなかった。ようやくたどり着いた日本の北の果ては、 天気のせいもあるだろうが、開放的で明るい雰囲気であった。まだ朝早いので観光客もそれほど多くはおらず、みなどこかのんびりしている。 名所だけに土産物の店や飲食店もいくつかあるが、どの店も「最北の」「最北端の」と名乗っている。広い駐車場やトイレが整備され、「最北端の地」碑と、 西蝦夷地や樺太の測量を行った間宮林蔵の像が立っている。目を凝らしてみたが、サハリンの島影は見えなかった。ここから43km先だという。条件が良ければ見えるのだそうだ。 店の建ち並ぶ裏手の階段を上がると丘の上に出る。広場になっていて、日本や世界の色々な都市までの距離を記した道標が立っていて、利尻島、礼文島までは73km、 東京まで1106km、石垣市まで2849km。比べてみると、サハリンまで43kmというのは近く感じられる。広場の中には妙な鐘やら記念碑みたいのがぽつぽつとある。 場所柄、平和を祈念したものが多い。小さな灯台もある。宗谷海峡を見張る軍事施設だった「大岬旧海軍望楼」という見張り台も残っている。

宗谷丘陵
宗谷丘陵。

■このあたりが、宗谷丘陵と呼ばれる一帯のいちばん端にあたる場所で、2万年前の氷河期に形成された「周氷河地形」と呼ばれる地形を残す丘陵地帯が宗谷岬の南に広がる。 標高20mから400mまでのなだらかな丘が連なる雄大な景色で、ときどき放牧されている牛も見かける。「宗谷黒牛」という肉牛だそうだ。 かつては低木で覆われていたらしいが、明治時代の山火事で燃えて、それ以来、冷涼な気候のため樹木が再生されないままなのだという。 そのおかげで、と言っていいのかわからないが、地形を観察するには都合がいい。宗谷岬から、宗谷丘陵を南北に貫く道と道道889号線を経由して、 バスで通った海沿いの国道238号線まで至る約8.5kmの道のりを歩く。風車のある土産屋のような建物が最初に見える。そこを過ぎると、牧畜業の施設がしばらく左手に見える。 ときおりバイクや自転車とすれ違ったり、追い越していったりする。歩いているこちらを見て怪訝そうな顔をする者もいれば、 ライダー同士の手を上げる挨拶を歩きの私にもしてくれる人が時々いて、ちょっと嬉しい。あわてて手を挙げて応える。周囲の草原では牛がのんびり草を食んでいる。

宗谷丘陵

宗谷丘陵
宗谷丘陵。

■それにしてもいい景色だ。訪れる前にいろいろネット上で情報を集めているとき、ここに来た者達が一様に、いい、よかった、すごい、と書いていた。写真や画像を見て、 そこまでのものなのかねと思っていたが、実際行ってみて納得した。写真では伝えきれない魅力がある。歩きながらふと思ったのだが、今回歩いたのと逆に、丘を延々歩いてきて、 最後、眼下に宗谷岬と広がる海が見えた、というシチュエーションのほうが感動が大きいのではないか。それはともかく、天気がいいのに涼しいのと、荷物が軽いのと、景色がいいので、 アップダウンも8.5kmの距離も、まったくきつくなかった。RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZOの会場で歩きまくって体が歩くのに慣れていたのも、ことによると影響しているのかもしれぬ。 南北に走る道路と道道889号線のT字路交差点まで来た。ここまでで約3.6km。立て看板があり、少し離れた場所だが熊の目撃情報があったとの内容が書かれている。 このあたりから遠くに風力発電の風車が並んでいるのが見える。「宗谷岬ウィンドファーム」といって、風力発電機が57基あるのだそうだ。風はそれほど強くない日だったが、 三枚羽根の風車がゆっくりまわっているのが確認できる。徐々に日が高くなってきて、バイク乗りとすれ違う回数も増えてくる。 途中、ちょっとした駐車スペースがある展望パーキングのような場所で、自転車の二人組に写真撮影を頼まれた。他にも荷物をたくさんつけた自転車乗りも見かけた。 このあたりの高低差は、歩きの者より自転車のほうがきつく感じるかもしれぬ。

白い道
白い道。

■途中、横道があったのでふらふらと入ってみる。アスファルトではなくダートの道で、一応地図にも載っている道だが細くてうねうねしているようだ。 しばらく歩くと、ホタテかなにかの貝殻を砕いて、道に敷き詰めてある。なんでこんなことをしているのかよくわからないが、白い道というのもなかなかきれいでいいものだ。 奥までけっこう歩いて進んでみたが、どこにつながっているのか、それともどこにもつながってないのか、いまいち判然としなかったので、途中で引き返して元の道まで戻った。 同じ「丘陵」という言葉で表される地形でも、美瑛の丘はなだらかで丸みがあるのと比べて、宗谷丘陵は角があってごつごつした感じ。 美瑛の丘は人間の絶え間ない努力と叡智によって切り拓かれたものであるのに対し、宗谷の丘は「天然物の魅力」という言葉が思い浮かぶ。 美瑛の丘は農作物と花で彩られているのに対し、宗谷は笹の群生と牧草で緑一色。美瑛は背後に山、宗谷は背後に海。非常に対照的な双方の丘だが、 どちらもすばらしい風景で、時刻や季節をずらして何度も訪れたい魅力がある。道道889号線を西に約4km歩き、海沿いの国道までたどり着いた。 T字路の交差点から北へ1kmくらい歩くとバス停がある。「恩頃間内」という名前で、オンコロマナイと読む。すぐそばにはオンコロマナイ橋もある。 付近には漁港があり、数軒の家があるのでさびしい感じではない。時刻表を見ると、バスは一日に7便。バス停の小屋の戸を開けてみようと思ったら入口に蜘蛛の巣が張られ、でかい蜘蛛がいた。 普段、おそらく誰も利用していないのだろう。

恩頃間内のバス停
恩頃間内のバス停。

利尻富士
利尻富士。

■バスが来るまで時間があったので、海を眺めながらぼーっと立っていたら、増毛駅、抜海の海辺で会ったバイク親子にまた会った。三度も会うとは、とお互い笑った。 こんなこともあるんだなと思うが、道北を旅するとだいたい似たような行程になるから、こういうこともあるのかもしれぬ。程なくしてバスが到着。バイク親子が手を振って見送ってくれた。 彼らはこれから宗谷岬に向かうようだった。稚内駅行きのバスは、他にも数人、乗客が乗っている。観光客というよりは、稚内の町まで病院や買い物に行く人達ではないかと思われる。 バスは快調に海辺を走り、ほぼ定刻通りに南駅前バス停に到着。あまり時間がないのでやや急ぎ足でホテルへ行き、預かってもらっていたリュックを受け取る。 道路を渡って駅へ。南稚内駅から普通列車の名寄行きに乗車。例によって一両なので、座席はそこそこ埋まっている。発車してまもなく、徐行運転になった。 なんだろう、とおもって外を見たら、海に浮かぶ利尻富士が、ぼんやりとだがその全貌を見せている。窓越しにカメラを向ける者も何人かいる。これは運転士のサービスのようだ。 粋な計らいである。ボックス席は埋まっていて、ロングシート座席に座っていたので、景色はほとんど見ることができなかったが、まあいいかと思えるのは、 全国のJR線は全て、一度は乗っている路線なので、意地でも寝ないで起きて景色を見ないと、とか考えなくていいし、できるだけ景色を見やすい良い席、とか考えて乗り換えを急がなくてもいいから、 気楽なものである。前日に訪れた抜海や徳満、豊富、音威子府に停車しながら、三時間少々の乗車で名寄駅に到着。

名寄駅
名寄駅。

■30分ほど時間があったので、駅の外に出てみる。この駅に降り立つのは初めてである。駅員もいるし広い待合室もみどりの窓口もあって、特急列車も停車する。 以前は駅弁も売っていたという。かつてはこの駅から函館本線の深川まで深名線という路線が、また、遠軽駅で石北本線に接続する名寄本線という路線があったようだ。 今は深名線も名寄本線も廃止されているが、過去にそのような接続路線があったため、宗谷本線の途中駅にしては広い構内を持つ駅で、ホームの数が多い。 駅舎は1927年(昭和2年)に建てられたもので、マンサード屋根に小さなギャンブレル屋根がついているのが印象的な平屋の駅舎である。ホームにかかるトラス組みの屋根には、かつてジャンクション駅だった風格を感じる。 駅前は、高い建物こそ無いが、わりと人が多く住む町のようで、商店街もあるようだ。名寄からさらに南へ向かう、旭川行きの普通列車に乗り継ぐ。一時間ほどかかって終着の旭川駅に到着。 着いたホームの向かいには特急「旭山動物園号」が停車していた。車体にはいろいろな動物の絵が描かれていて、車内もいろいろ動物のイラストや飾りつけがあるようだ。 家族連れで混雑している。その次の特急に乗車。となりのホームには富良野行きの列車が停車していた。今あれに乗って美瑛にいけば、夕刻の丘のいい風景が見れるんだろうな、 と考えた。前の席の背にあるテーブルには、松島ななこがビールを持ってこっちを見ている広告が貼ってある。盆の帰省の関係で混雑しているのでは、と予想していたが、 拍子抜けするほど空いていた。1時間20分で札幌に到着。駅弁を一つ買って、函館行きの特急北斗に乗り継ぐ。まだ空に明るさが残っている。 自由席利用の者がホームに列を作っていたので、その後ろに並ぶ。
■乗客はけっこう多いが、途中から乗ってくる者はそれほどおらず、苫小牧、東室蘭あたりでけっこう降りていくので徐々に車内は空いてきた。 外が暗くなって景色も見えなくなり、することもないので弁当を食べる。北海道の食べ物はおおむねおいしいと思うが、駅弁に関しては東北や九州に負けてるような気がする。 ぜんぶ食べたわけではないからあまりえらそうなことは言えないし、森駅のいかめしや帯広の豚丼の駅弁はおいしいと思うが。札幌から3時間半、函館駅の一つ手前、五稜郭駅で下車。 近年は札幌方面からの特急がずいぶん五稜郭駅に停車するようになったので便利だ。稚内から函館まで、半日かけて北海道を縦断してきた。約11時間。 歩いて実家まで。兄のところでまた子供がまもなく生まれそう、とか、叔母が亡くなった、とかで実家はいろいろばたばたしていた。シャワーだけして早々と寝る。
No.1699 2012-8-13
■朝早くに起きて、前夜下車した留萌十字街というバス停へ。あいにくの雨。 公共交通機関で旅行をする自分にとって、北海道の日本海側というのはなかなか縁のない、行くのがむつかしいエリアである。 北海道の日本海に面する町で、鉄道で行けるのは前日訪れた増毛やこの日の出発地である留萌、道南の江差くらいではないか。 それらの町もいずれ、そう遠くない将来、鉄道で行けなくなる町になってしまいそうである。 沿岸バスという会社の留萌豊富線のバスに乗車。この路線は留萌を発って、途中の小平、苫前、羽幌、初山別、遠別、天塩、 幌延を経由、「日本最北の温泉郷」と言われる豊富温泉にも立ち寄り、終点の豊富駅までの約160kmを4時間弱かけて走る長距離路線バスだ。 全線乗車すると、片道2700円だが、一日乗車券が2300円なので、乗車前にあらかじめ用意しておくと得である。前日、増毛町の観光案内所で買っておいた。 留萌十字街が始発で、他の乗客はゼロ。留萌駅前から一人乗ってくる。これで天気さえ良ければ、気持ちのいい海沿いのいい景色なんだろうな、 と思うような道を北上する。この道は国道232号線で、通称「オロロンライン」と言うそうで、天売島に住むオロロン(ウミガラス)にちなんでつけられたとのことである。
■それにしても、こんなことを言っては失礼かもしれないが、バスに乗って外を眺めていると、こんなところにも町が、と思う。 生活を想像してみる。買い物はどうしているのだろう、冬は海から吹つける風が厳しいだろうな、車がなければどうにもならないっていうのは こういう場所に住んでいる人だけが言っていいセリフだな、とか、若い人はいるのか、学校は近くにあるのか、友達と何をして遊んでいるんだろう、 インターネット環境はどうなっているんだろうか、そういった疑問が次々と頭に浮かんでくる。物流が発達している今なら、案外それほど不便はないのだろうか。 けっこうな雨だが、海岸の砂浜には、おそらく前日から来ているのであろう者達のテントがたくさん立てられていて、北の短い夏を楽しむ人達がキャンプをしているようだ。 走り出してから40分ほど経ったあたりで、海沿いに少しひらけた場所があり、突然、木造の大きな建物が見えた。妙に気になり、あとから調べてみたら、 「旧花田家番屋」という建物だった(番屋:漁民が、漁場の近くの海岸線に作る作業場兼宿泊施設)。日本最北端の国指定重要文化財。 花田家というのは、このあたりで大規模なニシン漁を行っていた漁家で、1905年(明治38年)頃に建てたらしい。海辺の木造建築で、 しかも相当大きなものが現存していることに驚く。しかし、これを見に行こうと思ったら、車がないとむつかしいな、と思うが、よく考えたら、 いま乗っているバスでも来れるんだな、と気づく。「花田番屋前」というバス停があった。あと道の駅のようなものも近くに見えた。場所で言うと、留萌郡小平町字鬼鹿というところ。
■ふと気がつくと、走り出してから一時間くらい、信号で止まることがなかった。というか、そもそも信号機がない。苫前町に入ると「力昼(りきびる)」という妙な響きの名前のバス停があった。 苫前町の中心部にあるバス停では、他に乗っていた四人ばかりの乗客が下りた。長い路線バスだが、短距離利用の客がほとんどのようである。 花を持って乗ってくる老人がいる。盆の墓参りだろう。羽幌町に入る。道立羽幌病院という、立派な病院が見える。 羽幌はひさしぶりに見る町らしい町で、団地や高校もある。途中、羽幌バスターミナルで運転手の交代があった。路線バスなのにそんなのあるのか、 と少々驚くが、長距離バスの安全対策への不安が高まる昨今、しっかりした運用だと思う。羽幌町は、天売島、焼尻島への船が出る港があり、 留萌地方の中心的な町で、かつては炭坑の町だった。1970年には28000人余りだった人口も、2010年には7960人となっている。かつては羽幌の町を通る 留萌からの鉄路、羽幌線があったが1987年に廃止された。きっと海辺を走るいい景色の路線だったのだろうなと想像する。 この路線バスの本社が羽幌町にあり、本社ターミナルという名前のバス停もある。そこから小学生くらいの子供が二人乗ってきた。老人も一人乗車。 町のはずれには「マス内」という、よくわからない名前のバス停もある。
■ちょっとした峠を越えると初山別村に入る。小高い地形に囲まれ、海に面した小さな平地にこぢんまりと固まって集落がある。 ここのバス停で、先ほど乗ってきた子供達は降りていった。ちょうど迎えのじいさんがバス停に来ていて、子供達は安堵の表情をしていた。 子供だけでバスで隣町まで来るというのは、小さな子供にはちょっとした冒険であっただろう。バスの中でも静かにしていて、親からいい躾を受けているのだろうなと思う。 「北原野」というバス停や、まわりにまったく人家のない場所にぽつんとあるバス停、「元三泊小学校前」や「元光洋小学校」という名のバス停など、 元々、人がいなかったような場所や、かつては人がいたのであろう場所にぽつんとバス停だけがあり、その名前にひっそりと、かつて人がいた時の記憶を残しているように思えた。 時折、バイクや自転車で走っている人を見かける。雨の中を大変だなと思うし、晴れていたら気持ちいい道を、この大雨のなか走らざるを得ないスケジュールになってしまい、 気の毒だなとも思う。しかも、このあたりは道路のアップダウンのリズムが長い。ずっと登りが続いて、そのあとずっと下りが続く。車だとどうということはないが、自転車だと相当きついだろうと思う。
■オロロンラインを走るバスはいったん海から離れて遠別町に入る。「遠別(えんべつ)」はアイヌ語由来と思われるが、この町の中のバス停の名前を見ていると 「旭」や「金浦」、「富士見」「中央」「緑町」「北浜」「啓明」「丸松」「北里」など、アイヌ語由来ではなさそうな地名のバス停が多い。 「富士見」というのは、おそらくこのあたりからでも利尻富士が見えることからつけられた地名なのだろう。地図で見ると、このあたりから利尻富士までは直線距離で67kmくらいあるようだが、 間は海で遮るものもないから、天候が良ければよく見えるのだろう。遠別町は人口は3000人ほどで、越前(今の福井県あたり)からの入植者が多かったようだ。このあたりが日本の稲作の北限地である。 海から少し離れて丘陵地帯を走るが、美瑛あたりのなだらかな丘とは違い、ちょっとごつごつした地形に見える。 このあたりまでで、バスに乗ってから既に3時間近くが経っているが、景色を見ているとまったく飽きない。次にいつ来れるかわからないので、 欲張ってあちこちきょろきょろと見ていた。乗ってくる者はほとんどいない。
■天塩町に入ると再び海に近づくが、海辺というほどの場所ではなかった。北海道で一番長い川は石狩川で、二番目に長いのが、 この町で日本海へと流れ込む天塩川である。日本でも四番目に長い。日本で三番目が石狩川で、二番が利根川、一番長いのは信濃川。 天塩町は人口3800人ほどで、縄文時代の遺跡が見つかっているというから、古代から人が住んでいたのだろう。だいたい、 人は大きな川の近くに住む。江戸時代初期には既に、海岸沿いの要地にアイヌ人と和人の交易場所が開かれ、さらにサハリンとも交易を行っていたようである。 江戸末期には秋田藩や庄内藩の支配下に置かれ、明治には越中、岩手、山形、宮城からの団体入植があったが、泥炭地が多く、寒冷な気候のため、 開拓は大変困難だったそうだ。遠別町内と同じようにバス停の名前はアイヌ語らしくないものが多いが、「更岸(サラキシ)」「振老(フラオイ)」などはアイヌ語地名由来であろう。 天塩高校付近のT字路に突き当たるとバスは海と反対側へ進んでゆく。左(西側)に曲がるとオロロンラインで、こちらは道道106号線になるようだ。 バスは右(東側)へ向い、引き続き国道232号線をゆく。
■天塩大橋で天塩川を渡ると国道40号線と合流し、幌延町に入る。北東方向へ伸びる道道121号線に入り、幌延町の中心部へ向かう。 このバスに乗って初めて、線路の踏切を渡る。宗谷本線の幌延駅前にも停車する。若者が三人、短い距離ながらも利用した。 そのうち二人は駅で下車。幌延町はちょっとした町のようで、駅には特急列車も停車する。人口は2600人ほど。このあたりは、 1899年(明治32年)に福井県からの入植者団体が開拓を始め、さらに法華宗や本願寺の団体も入植したらしい。 もう一人乗っていた若者は「トナカイ観光牧場前」で下車。「深地層研究センター」というバス停もある。北緯45度線を超え、 いよいよ最北の地へと入ってゆく。農業をやるには困難な土地で、広大な土地も、牧草地くらいにしか利用できないようだ。 町の主要産業は酪農で、町内で約11000頭の乳牛を飼育しているそうだ。町のはずれには雪印乳業の工場もある。 背の高い木は減り、笹やぶの多い景色になる。
■道道121号をさらに北上し、豊富町に入る。「南沢入口」というバス停付近から西へ曲がると道道84号線で、西へ向かうと豊富温泉がある。 いくつかの温泉宿や入浴施設があるようで、駐車場には車が多く停まっている。1926年(大正15年)、石油の試掘をしていたら温泉が出たのだそうだ。 乾癬やアトピー性皮膚炎などに効能があるそうで、わりと訪れる人が多いらしい。源泉は僅かに黄濁し、 弱い石油臭があることから「油風呂」とも呼ばれることもある特徴的な湯、という説明が資料に書いてある。「大規模草地入口」というバス停を過ぎ、 道道84号線をしばらく北西方向へ走ると幌富バイパスの下をくぐり、豊富町の中心部へ入ってゆく。 豊富町は1869年(明治2年)、開拓使が置かれたことから町の歴史が始まったそうだ。人口は4300人ほど。 中学校や高校、保育園、神社や寺院、スポーツセンターや病院などもあり、それらがコンパクトに市街地の中心部に近いエリアに揃っている。 豊富駅は無人駅だが、特急も停車する。4時間弱のバスの旅は、ほぼ定刻通りに終点の豊富駅前に到着して終了。やれやれとバスを降り、豊富駅の中で雨宿りをする。 たまにはバスの旅もいい。渋滞がなければ、という条件がつくが。駅前の通りの入口には「ようこそTOYOTOMI」と書かれた大きなアーチが架かっている。
やはりバスに乗って通過するだけでも、いままで全然知らなかったような町の雰囲気に実際にわずかでも触れることで興味もわいて、ネットでいろいろ町の人口や産業、 歴史などについて調べる気にもなるし、よさそうなところを見かけると、いつか来てみよう、と思う。

豊富駅
宗谷本線 豊富駅。

■予定では豊富駅の横の観光案内所でレンタサイクルを借りてサロベツ原野を一日走りまわろうと考えていたのだけど、 雨なので残念ながら断念。駅でぼんやりしてたら、通りかかったおばちゃんに声をかけられた。雨なんて久しぶりなんだけどねえ、残念ねえ、 というような話。おばちゃんは茨城からこちらに移り住んだらしく、こっちが千葉から来たと言うと、千葉と茨城ならお隣だね、と言っていた。 駅の中には煙突のついたストーブが設置されていて、さすがに今の時季は火は入ってないが、ストーブを囲むように椅子があって、 一つ一つの座面に手作りぽい薄い座布団が置かれている。駅のホームには、ひまわりが植えられていて、雨にうたれている。 時間ができてしまったので、なにをしようかと思案した。フリーパスタイプのJRの切符を持っていたので、JRで行ったり来たりすることができる。 とりあえずとなりの徳満駅を見に行ってから、音威子府まで蕎麦を食べに行くことにした。といっても、宗谷本線はひんぱんに列車が走る路線では ないから、時刻表とにらめっこして、それくらいしか思いつかなかったんである。 とりあえず最初に来た下り列車に乗車。一両なのでわりと混んでいる。

徳満駅
宗谷本線 徳満駅。

■5分ばかりの乗車で徳満駅に到着。降りてみると、工事現場の仮設事務所みたいなちいさな小屋が一つ置いてあり、それが駅舎になっている。 かつては木造の駅舎があったようだが、その痕跡はすでに無く、小屋の外壁には木造駅舎時代に掲げられていたのであろう駅名表札が取り付けられている。 工事現場のレンタルトイレみたいのがとなりに置かれ、目の前には国道40号線が通っていて、交通量はそこそこある。道路沿いに数軒の家があるが、集落らしきものは近くには見当たらない。 ホームは一面だけで、コンクリートではなく砂利である。近くには宮の台展望台というのがあると紙が貼ってあったが、雨が強いので、おとなしく小屋の中にいることにした。 中に入ると、壁にはかつてここにあった立派な木造駅舎の写真が飾られている。ベンチには手作りの座布団が置かれていたり、折り鶴が吊るされていたり、 ユーモラスな牛の置物があったりで、人のぬくもりがある。きれいに掃除もされていて不快な感じはぜんぜんない。近辺には人の気配は全くなくて、ただただ降る雨の音をぼんやり聞いていた。 この駅には普通列車のみ、一日に下り5本、上り4本停車する。25分ほど経って上りの列車が来たので乗車し、南へ折り返す。

音威子府駅の蕎麦
音威子府駅の蕎麦。

■宗谷本線を南へ。乗客は思った以上に多い。先ほどまでいた豊富駅を過ぎ、延々一時間半、ようやく音威子府駅に到着。 時刻は午後1時ちょうどくらいで、昼食時間のピークは過ぎていたためか、駅のそば屋のおやじさんは小さな店の中で座ってテレビで高校野球を見ていた。 かけそば一杯350円。ここの蕎麦を食べたのは丸6年以上前で、黒くて香りのいい、コシのある蕎麦はいつかまた食べたいと常々思っていた。 旅先で食べたものというのは、記憶の中で美化されて、実際より高く評価しがちだが、ここの蕎麦は、記憶していたよりおいしかった。 わざわざ時間をかけて食べに来てよかった。自分が食べた後、二人か三人の客が注文して、そこで蕎麦のつゆが切れてしまったようで、 後からきたバイク乗りの人らは食べることができず、残念そうにしていた。つゆができるまで客が並んで待っているみたいで、行列ができていた。 近頃は車で食べにくる者のほうが圧倒的に多いのだろう。そもそもこの駅も、特急停車駅とは言え、一日に下り9本、上り8本しか停まらない駅だから、 鉄道での訪問自体、容易ではないかもしれぬ。

抜海 オロロンライン
抜海 オロロンライン。

■また下り列車で北に向かって折り返す。特急でもあれば乗りたかったのだが、あいにく数時間後までないので仕方なくまた普通列車。一両なのに、 知的障害者のキャンプツアーみたいな人達が座席を埋めていて車内は大変なことになっていた。見た感じ、年は高校生くらいから20歳前後の障害者たち20人くらいと、 その付き添いの大学生ボランティアみたいのが10人くらい。奇声を発したり暴れたり、非常に緊張感のある車内で、正直つらかった。 それでもなんとか、彼らとの3時間弱をどうにかやりすごして、抜海駅に到着。バッカイである。響きがいい。この地名に「海を抜く」という字をあてたセンスも、 自分は好きだ。一日に上り、下り、それぞれ5本ずつ停車するだけの無人駅で、「最北の無人駅」ということになっている。この先の南稚内駅、 稚内駅に駅員がおり、ここにはいない。また、最北の木造駅舎でもある。駅前には家が数軒あるだけで、あとはなにもない。集落は離れたところにあるので、さびしい雰囲気だ。 駅の開業は1924年(大正13年)。ぱっと見た感じ、あまり変わったところがないように見える駅舎だが、外壁についている財産標を見ると、 今の駅舎は1940年(昭和15年)に建てられたものだとわかる。70年以上前の建物だ。よく見ると、どうもあちこち傷みやゆがみがあって、 老朽化は否めない状況である。駅舎の待合室とホームの間に風除室があり、道路側からの入口も二重戸になっている。 寒さが厳しく、雪が多い土地らしい造りになっている。脇の古めかしい戸を開けるとトイレがある。今の利用状況からすると、ずいぶん広く感じる駅舎だが、 建てられた当時はこの広さに見合うほどのたくさんの利用者がいたのかもしれぬ。建物内の引き戸は赤いペンキで塗られ、かわいらしい。ホームのプランターには花がきれいに咲いている。

抜海駅
宗谷本線 抜海駅。

■駅ノートが置かれていて、非常にまめな管理がされている。古いノートはコピーを取って製本されていて、ここ二、三年くらいのバックナンバーも読むことができる。 せっかくなので自分も一筆、書き残してきた。この駅が長く残りますように、というようなことを書いた。でも現実には、老朽化した建物の管理や補修、保全には費用もかかるし、 安全性という面からも、残すのはむつかしいだろう。いずれは徳満駅のようにプレファブ小屋ひとつぽんと置いてある駅になってしまうのかもしれぬ。 時間がたっぷりあるので、過去の駅ノートをじっくり読む。いろいろな人がメッセージを残していて、おもしろい。若い人、年のいった人、 たまたま通ったバイク旅行者、この駅舎で一夜を明かした者、鉄道マニア、地元の人、このあたりで生まれ育って今は遠くに住んでいる人、北海道の人、内地の人。 外に出てみると、駅舎の正面の大部分は、新建材で補修されているのを確認できる。駅前の道を800mほど西へゆくと道道106号線のオロロンラインに出る。 途中、歩道は、よほど歩く人が少ないのか、舗装の割れ目から雑草が伸び放題になっている。 残念ながら雲が多く利尻富士は見えなかったが、草原越しに夕焼け空と日本海を眺めることができた。うろうろしていたらバイク2台がすーっと近づいてきて、 うわ何だろ、と思ってたら、前日に増毛駅で出会ったバイクの親子だった。不思議な偶然のタイミングというのはあるものだなあと思い、 互いに旅の無事を願って別れた。

抜海駅前の通り
抜海駅前の通り。

■駅へ戻り振り返ると、空が金色に光り、天気雨が降っていた。駅の前の家には猫が数匹いて、 こちらをじっと見ていた。駅に来てから約2時間、稚内行の列車が到着。まだ18時半くらいだったが、この列車が抜海駅の下り最終列車だ。けっこう乗客は多い。 次の南稚内駅まで12km近くある。進行方向左には、夕日が沈みゆく日本海が見えるので、乗客はみなそちらのほうを、目を細めて眺めている。 ふと左手後方、丘の切れ間から海に浮かぶ山がうっすら、ぼんやりと見えた。初めてこの目で利尻富士を見ることができた。いい形をした山だ。 海から突然山が突き出しているような不思議な景色だった。あの山の頂上に城でもあれば、ドラクエの最後のボスが住んでいそうな風景である。 一駅間を14分ほどかかって南稚内駅到着。稚内は二度目の訪問。近くのホテルに宿泊。稚内は久しぶりに見る都市らしいたたずまいの町だ。夜でもあまり涼しくない日だった。
No.1698 2012-8-12
■早朝の札幌駅前には若者や旅行者が少しいる。コインロッカーから荷物を出し、札幌駅前のネットカフェへ。 シャワーを借り、荷物を整理して仮眠。札幌在住の友人らと合流して、駅の地下にある沖縄料理屋で早めの昼食。 11時開店と書いてあるが、数分過ぎてもなかなか開かなくて、これが沖縄時間か、などと話して笑っていた。 ひさびさにまともな食事をとったような気がした。友人の奥さんはずいぶんおなかが大きくなっていた。駅の改札で見送ってもらい、 函館本線の旭川行きの特急に乗車。さすがに朝まで起きていたから眠くてうとうとする。盆の帰省の時期だからか、乗客は多い。途中の岩見沢、砂川、 滝川などで乗客がぽつぽつ降りていく。一時間ほどの乗車で深川に到着。
■深川から留萌本線に乗り換え。ホームにゆっくり単行気動車が入線してくる。この路線に以前乗ってからもう6年も経つ。 あのときも夏の盆の時季だったが、客がぜんぜんいなくてさびしい車内であった。今回は18きっぷ旅行者らしき者や家族での帰省、 自分のような鉄道オタクみたいなのも含めてけっこう乗車している。けっこうと言っても、座席が半分ちょっと埋まるくらいだが。 留萌本線は、函館本線の深川から留萌を経由して増毛まで達する約67kmの行き止まり線で、 途中の留萌までは山の中を走り、留萌より先は日本海沿いを走る。先ごろ江差線の廃線の話が報道されていたが、 もうじき、この路線もそろそろ危ないのかな、なくなってしまうのかな、と思ったから、まだ残っているいまのうちに乗りたかったんである。 留萌で多くの客が降り、乗ってくる者はほとんどいなかったので、車内はがらんとした。留萌を発つと間もなく右手に海が見えてくる。 海辺でキャンプをしている者が多いようで、テントがたくさん立てられている。沿線に見える小さな墓地に、 提灯がたくさん吊るしてあるのが見える。盆に帰るご先祖を迎えるのであろう。家の庭先にテントやタープというのだろうか、 そういうのを設置して外で過ごしている家族をよく見る。子供達が列車に向かって手を振っていたので、 振り返してみると子供達は不思議そうに顔を見合わせていた。深川からは約一時間半ほどで終点の増毛駅に到着。
■旅の楽しさは、見知らぬ場所に行くというのももちろんあるが、一度訪れた場所に再度たずねるというのもある。 ひさしぶりに訪れた増毛の駅や町は、前回来たときとそれほど変わった印象はない。 以前訪れたときは、駅前を少し見ただけでとんぼ帰りしてしまったので、今回は時間をとってゆっくり町中を歩いてみることにした。 観光客も来ているが、鉄道を利用して訪れる者はほとんどいないようで、みな駅前の駐車場に車を停めている。

増毛駅
増毛駅。

■増毛の町は人口5000人ほど。18世紀初頭から和人が定住し出したようで、松前藩や箱館(函館)奉行所との関係も深かったようだ。 かつての日本の交易のメインルートであった日本海側の航路の北の端に位置し、海産物に恵まれ、 特にニシンが多く獲れていたようだ。幕末の時代になると蝦夷地防衛の拠点として、秋田藩や津軽藩の陣屋が置かれ、 明治に入ると鉄道や港湾が整備され、貨物輸送の拠点としてにぎわったそうだ。増毛駅の開業は1921年。 駅前の通りに残るいくつかの建物にその頃の名残りを見ることができる。駅のすぐ前にある富田屋旅館や、 増毛館という旅館、いまは観光案内所になっている「風待食堂」と看板のついた旧多田商店などは、 1981年の映画「駅 STATION(ステーション)」という映画のロケ地にもなったところだ。

増毛小学校校舎
増毛小学校校舎。

増毛小学校体育館
増毛小学校体育館。

■海まで続く坂道がけっこう多い町で、坂を登ったところには、海の町らしく、厳島神社がある。 さらに坂の道を歩き、町外れの高台の上にあるのが昭和11年建築の増毛小学校である。 2階建、全て木造のこの小学校の校舎は中庭をぐるりと囲むかたちで配置され、外壁はすべて下見板張りになっている。 潮風の影響か、多少の傷みはあるようだが、丁寧に鉄板で補修されている。 正面から見ると、中央と両端には切妻屋根の妻入りになっている玄関部分があり、横長のシンメトリーで堂々たる 端正な木造校舎は、かつて栄えた港町のプライドのように見えた。道路に面した壁には「開校133周年」と書かれた横断幕が貼られていた。 中でも独特なのは体育館で、大きな空間を支えるための控え壁がずらりと等間隔に外壁に設置されているのが特徴的で、 工場などでこのような設計になっているところは見たことがあるが、学校の体育館でこのような工法を採用しているのは他には見たことがない。 校舎の窓にはアルミサッシが入っている。木枠の窓は見た目はいいが、気密性が悪いので、寒い北海道だと、 実用される建物ならばサッシを入れるのは仕方無い。木造の校舎に惹かれるのは、自分が通っていた小学校、中学校もそうだったからなのかもしれぬ。

旧商家丸一本間家
旧商家丸一本間家。

風待食堂(旧多田商店)
風待食堂(旧多田商店)。

國稀酒造
國稀酒造。

■坂を下りると、立派な商家や石造りの倉庫、酒蔵などが建ち並ぶ一角がある。 とくに観光客で賑わっているのは、日本最北の酒蔵「國稀酒造」で、自分は酒にほとんど興味がないので外から眺めただけだったが、 わりとお客さんが入って酒などを購入している様子だった。おそらく本州の日本海側の酒どころからこの北海道の地まで酒造りの技術が伝わったのだろう。 そばにある木造の商家は「旧商家丸一本間家」という名称で、1875年(明治8年)に雑貨店として商売を始め、後に呉服商、ニシン漁の網元、海運業、 酒造業などを営んでいたそうだ。いま残っている建物は1893年(明治26年)に建てられたもので、国指定の重要文化財。 外観からは、時代の変遷とともに建物を増築していった様子がうかがえる。また、一枚一枚に屋号が彫り込まれた屋根瓦や、 凝った装飾が施された壁面、門柱等を見ると、相当な情熱と費用をかけたのだろうなと思う。 藍染めに白い文字で○の中に「一」と染め抜かれた屋号の暖簾が印象的である。
■意外と暑く、重い荷物もあったせいで、思いのほかあまり歩きまわれなかったが、見ようと思っていた場所はおおむね訪ねることができた。 駅に戻り、水道で顔をばしゃばしゃと洗う。駅の中にはそば屋があったがちょうど店じまいをしてる時間だったようで、 和気あいあいと後始末作業などをしているようだった。増毛駅のベンチに座って休んでいると、どこからともなく駅を見に来る人などがぽつぽつとやって来て、 なんとうなくベンチの周りに集まる。大学で言語学を専攻している学生や、東京からバイクで来てる親子、大きな犬と一緒に車で旅行している者、 東京と札幌からマラソンしに来ている者たちなど、互いにどこから来たのか、といったようなことからしばらく話をし、それぞれ散っていった。 いいおっさんになり、知らない人とでもどうにかそつなく会話などができるようになったように思う。バイクや車で来る人らは、この増毛駅が廃線の駅だと思っていたらしく、 実際にまだ列車が走っている線だと教えたらびっくりしていた。

礼受駅
海が見える駅 留萌本線 礼受駅。

■増毛駅から深川行きの列車に乗る。来るときよりもさらに乗客は少ない。太陽が沈みゆく時間帯。 以前この路線に乗ったときに、海が見えていい駅だなと思い、いつか必ず訪れようと思っていた礼受(れうけ)駅で下車。 この路線には、読み方のむつかしい名前の駅が多く、この礼受や朱文別(しゅもんべつ)、舎熊(しゃぐま)、信砂(のぶしゃ)、 阿分(あふん)、真布(まっぷ)、秩父別(ちっぷべつ)、北一已(きたいちやん)、といった具合で、アイヌ語由来の当て字駅名なのだろうが、大変難解である。 それはそれとして、ようやくこの礼受駅に降り立つことができた。ちゃんとした駅舎はなく、貨車の車掌車を置いて待合室にしている。北海道内ではよくこのタイプの駅舎を見る。 駅は大正10年に開業。現在、一日に上り列車7本、下り列車が6本停車する。駅前には砂利のちょっとした広場的なスペースがあり、 わきにはすぐ民家が建っている。自転車も停まってないところを見ると、ほとんど利用者もいないのだろう。 ちょうど太陽が水平線に沈んでゆく時間帯で、海面が金色に光っていてまぶしくて、とてもきれいだった。

礼受のバス停
礼受のバス停。

■しばらく海をぼうぜんとながめてから駅を離れる。次の列車まで二時間もあるが、幸い、留萌市内行きの路線バスがあるので、 バス停まで歩く。このあたりは海岸段丘の地形で、海と丘陵に挟まれた細い土地に国道231号線と留萌本線の線路が並んで通っている。 残ったわずかな平地に並んで家が建っている。海を背後に、小屋のあるバス停がぽつんとある。バスを待っていると近所の人が通りかかり、 挨拶をすると「バス乗るの?」と言う。こんなところから夜近い時間にバスに乗る人はあまりいないらしい。 それでも、バスのほうが列車よりはいくらか多いようで、留萌市内行きは一日10本ばかりあるようだ。ほぼ時間通りにバスはやってきて、 乗ると先客はひとりだけだった。10分足らずの乗車で留萌十字街というバス停に到着し、下車。運賃は270円だった。 少し歩いてホテルに到着。夜、コンビニエンスストアまで歩いていくと、飲み屋街の道端にちっちゃい子猫がいて、ぴょこぴょこ跳ねるように走っていた。
No.1697 2012-8-11
RSR2012 in EZO

RSR2012 in EZO

RSR2012 in EZO

RSR2012 in EZO

RSR2012 in EZO

■レイトチェックアウトで予約しておいたので、のんびり起きて支度。前夜、ローソンでシャトルバスのチケットを買ったときにおばちゃんが、 明日は雨降らないといいね、と言ってくれたが、どうやら札幌市内では昨日、けっこうな雨が降っていたようだ。石狩ではほんのちょっと夜にぱらっと降ったくらいだった。 同じ石狩地方でも、札幌と石狩ではけっこう天気がちがう。二日目は朝からなかなかいい天気で、雨の心配は無さそう。大きなリュックは札幌駅のコインロッカーに。 それにしても、駅の南側、パセオのあるほうのロッカーは、あんなにたくさんあるのに全部埋まってた。観光客かRSR客か。北側のひっそりした場所にあるロッカーに ようやく空きを見つけた。地下鉄には自分と同じように、既に腕にリストバンドをつけている前日参加組みがちらほらと見受けられる。麻生からバスで会場入り。
■RISING SUN ROCK FESTIVAL 2012 in EZO、二日目はまず、 入場してまっすぐRED STAR FIELDへ。吾妻光良 & The Swinging Boppersのライブは既に始まっていた。 同じ時間、SUN STAGEではプリンセスプリンセスのライブだったので、ちょっとそっちを見たい気持ちもあったが、おばさんバンド見てもしかたないなと思った。 だいたい「東日本大震災復興・復旧支援の為に2012年のみの活動を行う」という名目で再結成らしいが、こういう理由をつけるのってどうなんですかね。 それはそれとして、吾妻バッパーズのライブは本当に楽しい。3年前にも同じステージで彼らのライブを見ているが、今回もさすがと思わせる愉快で、ごきげんで、 しかもすごいうまいライブ。「150〜300」「俺達相性いいぜ」「やっぱり肉を食おう」など。 途中、ゲストに元TOMATOSの松竹谷清氏が登場して「知らぬまに心さわぐ」と「モンキー・ジョー」の2曲。 バンドメンバーが、いろいろな事情でそろわず、急遽代役の人を数人かき集めてのライブとなったと吾妻さんは言っていたが、そんなことは微塵も感じさせない すばらしい演奏だった。
■いちばん奥のBOHEMIAN GARDENへ。青葉市子のライブ。ギター一本で弾き語り。まったく予備知識はないが、既にフジロックやサマーソニックの出演歴が あるということを後から知った。クラシックギターの素養がある人のようで、この人もやはり若いのに抜群にうまい。非常に独特な歌世界を持っている。そしてなにより、 この小さな一番奥まった場所にあるのんびりした雰囲気のステージにぴったり合うおだやかな歌声で、ときに大貫妙子のような声に聞こえる。 これが持って生まれた才能か、とつくづく思う。歌うと空気を一瞬で変えてしまう。みな聞いてて気持ちよくなったのか、横になってしまっている者もいるし、 木陰やPAテントの日陰でゆったり座って聞いている。前日入りして、一日目のEARTH TENTでの雅のライブを見たらしく、 彼のギターの技術をほめていた。「雅すごいよね。(真似してギターを弾いてみて)できないよね。あれどうやってるんだろう?」と言って笑っていた。
■RED STAR FIELDでのbonobosも見たかったが、そのままBOHEMIAN GARDENに残ってLonesome Strings and Mari Nakamuraのライブ。 「Strings」という名前の通り、ステージ上に弦楽器がたくさんある。Little Tempoのメンバーでもある田村玄一のスティールギターもあるし、 バンジョーもある。コントラバスは、メンバーの松永孝義氏が一月ほど前に亡くなったということで、代わりに千ヶ崎学という人が弾いた。 ステージ上に日差しが当たって暑いせいで、弦楽器のチューニングが狂うため、みな苦労していたようだった。「一曲ごとにチューニングするから時間がかかって、 あんまりフェス向きじゃないバンドです」と苦笑いしながら言っていたが、中村まりと男性メンバーのツインボーカルの曲などは、晴れやかな空にとてもよく似合う すがすがしい曲だった。途中、亡くなった松永氏に向けて「松永さん、晴れたよー!」と天に向かって大声で言っていた。 オリジナルの曲は一曲だけで、あとは古いアメリカの曲のカバーが多く、このフェスにはいままであまりなかったタイプのバンドのように思うが、BOHEMIAN GARDENによく合ういいライブだった。
■ちょっとだけぶらぶら歩いてたら、キャンドルジュンのエリアの通路みたいなところで、民族衣装みたいのを着た三人組がライブをやっていた。 通りがかりにちらっと見たが、ラビラビとかいう人たちらしい。ボーカル一人とパーカッション二人という、最小限な編成でプリミティブな音楽。 特筆するほどの感想はないが、ロケーションには合ってたし、客もじわじわ増えて、幸福ないい雰囲気の空間になっていた。
■さらに続けてBOHEMIAN GARDEN。堂島孝平×A.C.E.のライブを見ることにした。この時間、他に特に見たいものもなかったのでなんとうなくここに 戻ったわけだが、正解でした。正直、堂島孝平って、ちゃらちゃらなよなよした、女の子向けのあまあま歌手、というイメージだったのだけど、 まあ、そういう部分も無いわけではないが、実際初めて見てみたら、サービス精神の旺盛な、ユーモアのある、すばらしいミュージシャンであった。 ことによると今回見た中でいちばんの発見かもしれぬ。ファンの人からしたら何をいまさら、と思われるかもしれないが、いたく感心したんである。 「ARABAKI親善大使というのをやってるから呼ばれないのかなあと思ってました(※ARABAKI=仙台の近くでやってるARABAKI ROCK FESTIVAL)。 そんなの関係なく呼んでくれて、ライジングは太っ腹ですね!」と言っていた。キャリアが長いだけあって、安定感のあるライブ。 バックのバンドにはNONA REEVESのドラムとギターがいた。途中、おもしろいMCを挟みながら終始明るくポップな曲でライブが進む。 マイクにトンボがとまり、「トンボがメンバーに加わりました!」とか言ってた。あと「堂島孝平を今回初めて見た人は?」と問いかけ、客の多くが手を挙げると 「すぐ降ろしてください!傷つきやすいんで」などと言って笑わせていた。「CLAP&SHOUT」や「ないてんのわらってんの」でコール&レスポンス。 最後はTOMATOSの「Rock Your Baby」のカバー。とても見ごたえがあり楽しいライブ。
■RED STAR FIELDでSCOOBIE DOのライブを見る。着いたときには既に始まっていた。人がわんさか集まっている。 ここのところ、彼らはこのフェスティバルには毎年出ているが、気合が入っていていいライブをする。Crystal Palace、BOHEMIAN GARDEN、 EARTH TENTと、毎年ステージは変わって今年はRED STAR FIELD。去年も書いたかもしれないが、そろそろ彼らもSUN STAGEでいいんじゃないかと思う。 十分客も集まるだろう。新しい曲やあまりライブではやらないらしい曲、怒髪天のカバーを交えつつ、あとは去年見たときとだいたい似たような選曲だった。 ラストにちょうど日が沈んでゆくタイミングで「夕焼けのメロディ」。いい時間帯をもらって、それに応えるいいライブであった。 「ここに来るまでに使ったお前らのtimeとmoneyとsoulに感謝するぜ」というコヤマの言葉。前日見たスガシカオもそうだが、苦労を知る人たちから出る言葉の説得力。
■ぶらぶら夕日を見ながら歩いてたらdef garageまで来た。後藤まりこのライブを見る。元ミドリのあいつである。 リハーサルのときから手にサンプラーを持って、自身の声をサンプリングしておもちゃのように遊んでいた。 5曲か6曲くらいやったが、何を言ってるかよくわからないし、客の中にダイブするし、やはり今でもライブは刹那的ではちゃめちゃだったが、 気持ちいいほどの、強い衝動を感じるライブだった。ホーン隊までいるバックのバンドの音数は少し減らしたほうがいいような気もするが、 ライブハウスなどの音環境がよい場所で聞けばまたちがった印象になるのかもしれぬ。このステージは後藤以外の出演者も、それぞれの持ち時間が短く、 後藤も最後に「30分は短い…30分は短い!」と大声で言っていた。バンドメンバーが全員ステージから去ってもまだ歌い足りなそうにマイクを握ったまま 憮然と立っていた姿が印象的だった。去り際にへんてこな曲を一曲、短くアカペラで歌って走り去っていった。
■再びのRED STAR FIELDで、SPECIAL OTHERSを見る。ほぼ完全に日も落ちて空が黒くなり、RED STAR FIELDの赤い幕が 夜の闇に浮かびあがるようできれいだ。びっくりするほどの集客。このステージでこれだけ客が集結しているのを見るのは数年前のEGO-WRAPPIN'以来ではないか。 まだまだみな、体力が残っている時間帯なので、これだけ集まった客が大いにゆさゆさと踊る。後ろのほうからその様を見ていると、なかなか異様な光景ではあるが、 一様にみな楽しそうだ。「wait for the sun」や「AIMS」のイントロが始まると、歓声が沸く。新曲、定番曲を織り交ぜながらの完成度の高いライブで大いに満足したが、 なぜか最後にアジアンなんとかというバンドのボーカルが出てきて一曲歌った。私は正直、アジアン〜というバンドから、なにも感じないのだ。 もうずいぶん前のことになるが(調べたら2003年9月だった)、渋谷のクラブクアトロで彼らのライブを見たとき、この人たちは音楽をやりたいんじゃなくて、 バンドをやりたいだけなんじゃないか、という印象を持った。音や声からなんの情念も衝動も感じられなかった。いい曲はつくってるのかもしれないが、 その背後に何も見えなかった。いわばファッションバンド。今回、ひさしぶりに彼の声を思いがけない形で聞くことになったが、当時の印象は覆らなかった。
■ここで一度、全てのステージでのアクトが終わり、ブレイクに入る。友人と食事をとり、休憩。しばらくすると、夜の部開演を知らせるかのような花火が上がる。 祭り太郎の盆踊り大会を遠目で見ていたらSUN STAGEでライブ開始のジングルが聞こえてくる。会場のあちらこちらから若者達が、すごい勢いでうわーっと駆けて集まってくる。 昔の合戦のようだ。マキシマム ザ ホルモンのライブである。大変な人気に驚き、おののく。自分はこういったハードコア系の音楽についてはからっきしなので、 他に見るものもない時間だったし、ちょうど通りがかったら始まったから、遠くからぼんやり眺めていたが、なかなかキャッチーな楽曲が多く、一見さんでも楽しめるライブのようだ。 うわさには聞いていたが、客の若者達が全員でヘッドバンキングする様はすごい。大海原が波立っているようだった。見ているだけで頭がくらくらしそうだ。笑った。
■def garageで八十八ヶ所巡礼というバンドのライブを見る。なんとうなく名前にひかれただけで、彼らのことはまったく知らなかった。 ぐちゃぐちゃっとしたプログレっぽいサイケデリックな音を出す3ピースバンドで、演奏技術は文句なしにうまいし、妙な中毒性のある曲をやる。いい意味で日本人ぽくないバンドで、 こういう人たちは、セールス的にはむつかしいのかもしれないなと思いながらも、彼らが売れるような時代も、ひょっとしたらすぐそこにあるのかもしれないなという期待も ある。ギターの風貌なんかは時代遅れなハードロックの兄ちゃんみたいだし、「親孝行バンド、八十八ヶ所巡礼です」とか、何を言ってるのかよくわからくて、 つかみどころのない感じも不思議でいいしカリスマ性もある。音を聞く限り、浮ついたところのない、CDでだますバンドではない、若干イロモノ感はあるが真面目な人達なんだろうなと思う。
■RED STAR FIELDでROVO。もうなんというか、説明不要、唯一無二、宇宙空間、みたいな四字熟語だけで感想は終わってしまいそうだ。 最初に「涼しくなってきたから、思い切り踊って下さい」と発したきり、一切MCなし。 最近の作品は聞いていないが、がっちゃがっちゃした曲が多かったのが新鮮だった。近くに、エア・バイオリンをする若者がいておもしろかった。 集まった客は横揺れと縦揺れが混在し、最後のほうになるともうぐっちゃぐちゃで髪振り乱してわけのわからない状況になっていた。 勝井氏のメガネは飛んでいくし、原田氏はベースを投げるし、山本精一氏はギターソロのとき転ぶし、こんなにテンションの高いROVOのライブを見たのは、 初めてかもしれぬ。バンドの魅力やパワーが、人数の足し算にしかなってないバンドと、人数の掛け算になってるバンドがある。ROVOは累乗だな。 アクト終了時の山本氏の、どうだ!という表情が強く印象に残った。
■明るい時間以来のBOHEMIAN GARDENで曽我部恵一BANDを見る。ちょうど日付が変わり、いよいよフェスも大詰めに差し掛かる。 リハーサルのサウンドチェックでいきなりしっかり一曲まるまる「ソング・フォー・シェルター」。 「みんな楽しんでる?そりゃ楽しんでるよね。ライジングだもん。ライジング最高だな!」と言ってにっこり笑う。 「街の冬」というタイトルだったと思うが、生活保護がどうのこうのという曲は、正直何を言いたいのかわからなかったが、昨年、SUN STAGE弾き語りでもやった 「満員電車は走る」や「LOVE-SICK」、「キラキラ」、「魔法のバスに乗って」などおなじみの曲も披露。最後に「STARS」。空を見上げると雲の切れ間から わずかに星が見えていた。終わってからその場でばたんと地べたで横になって短い仮眠。寒かった。そこらではそろそろ、ばたばたと死体のように横たわる人たちの姿。 テントからは寝息も聞こえてくる時間帯。
■ざわざわ聞こえてきて、はっと起きると、BOHEMIAN GARDENのステージ上には向井秀徳と吉野寿が。 「向井秀徳アコースティック&エレクトリック」& outside yoshino (from eastern youth)、という長ったらしい名前での出演だが、要するに去年の向井&七尾旅人のように、 先攻後攻引き語りである。いつの間にかサウンドチェックも終わったようで、向井は一度引っ込んでしまったが、吉野氏はそのままステージ上に残ったままで、 前のほうにいた客と普通になにか話をしていた。いろいろぼやいてて、おもしろかった。時間がきて、再び向井が一升瓶を持って登場。氷入れや水も持ってきて、 飲みに来たおっさんみたいになってて笑った。何年も前、この二人がRED STAR FIELDの近くのベンチにおもむろに現れて弾き語りやってたことがあったな、と思い出す。 基本的に、向井は吉野に対して敬語で接し、会話の内容からも、吉野を尊敬しているんだな、って感じる。お互い交互に、NumberGirlの曲やイースタンユースの曲を 歌ったり、リクエストし合ったりして穏やかに、しかし歌は熱く、深い夜の時間が進んでゆく。1999年の第一回にはNumberGirlで、2000年の第二回にはeastern youthで、 それぞれこのフェスに初めて出演してから早くも十数年が経った。20代前半だった自分ももう30代半ばに差しかかり、あの頃のバンドの多くは解散したりメンバーが変わったり亡くなったりしている。 時の過ぎる早さを思う。自分は途中で抜けてしまったが、結局二人はこのまま二時間以上やってたらしい。
■夜になってから、移動でRED STAR FIELDの前を通るたびに、いつも中村達也がドラムを叩いてる。 the day、LOSALIOS、中村達也 and Heavy Friends、見てないが前夜にはTHE GOLDEN WET FINGERSでも叩いている。 どのステージも、通りがかりにちらっと見ただけで、しっかり見ることはなかったが、ルックスも含めて本当に華のあるドラマーだなと思う。 the dayのときは、仲井戸麗市が本当に楽しそうだったのが印象的だ。そして、フジが清志郎ならエゾは中村達也じゃ、と強く思った。
■今回、二日間通じて初めてEARTH TENTへ。最後にPOLYSICSのライブを見て帰ろうと思い、会場の端から端まで歩いてきた。 深夜というか早朝というのか、午前3時に人がぎっしりである。このRISING SUN ROCK FESTIVAL in EZOには5回目の出演となる彼らだが、 自分は2000年の出演のときしか見ていないので、ここで見るのはかれこれ12年振りとなる。その間、他のワンマンライブには行っていたが、 近年はまったく行っていない。だから三人体制になってから見るのも初めてだし、今回のライブでやった大半の曲は、知らない曲だった。 13曲やったうち知ってるのは「シーラカンス イズ アンドロイド」と「URGE ON!!」あとかろうじて「Young OH! OH!」くらいか。 自分が知らない曲を、他の大勢の若者達はしっかり知っていて、こんな時間なのに全力で暴れまわってすごい。初っ端からダイブ続出で、 大変なことになっている。客のやけくそなテンションがバンドにも伝わるのか、それともいつもこうだったか、ハヤシもフミも、ドラムのヤノも、 どんどん突っ走ってゆく。演奏はまったくぶれず、いつのまにか横綱相撲のできるバンドになっていた。特にドラムのヤノ。 いいドラマーを見つけたな、と思った。スガイ時代と比べると、バンドのレベルが何ランクも上がった。スガイはスガイで、いい味があったけどね。 12年前、このフェスに足を運ぶきっかけをくれたPOLYSICSの今の雄姿をしっかり目に焼き付けた。向井もハヤシも、年を重ねているはずなんだけど、 あんまり変わらないな。勢いのある若手だった彼らもいまや熟練エンターテイナーだ。EARTH TENTのトリということで、アンコールも二曲。 「ドモアリガトミスターロボット」と「BUGGIE TECHINICA」。懐かしくてかっこよかった。 全部で15曲やって終了。肌寒い早朝に、みな頭から湯気を出しながら満足そうな表情で、EARTH TENTから白み始めた空の下へぞろぞろと出ていった。
■最後の最後、大トリはSUN STAGEでのエレファントカシマシだが、歩きながら眺めるくらいで、帰りのバス乗り場へ。 既にバスがずらりと並んで待機している。向こうの空はピンク色の朝焼け。これで今回も、無事朝まで楽しむことができた。 今回の印象は、ずいぶん若い人が増えたな、ということで、出演者の影響もあるのだろうけど、若い世代にもこのフェスが定着したのかな、と思う。 そろそろ、初期から参加していた世代は、結婚したり子供ができたり仕事も休めない立場になったり、早い人は親の介護なんかも出てきて、 いろいろと環境に変化が出る頃だろう。ここらへんで次の世代に任せよう。

<RISING SUN ROCK FESTIVAL 2012 in EZO> 二日目 8月11日(土)
12:30 吾妻光良 & The Swinging Boppers at RED STAR FIELD
14:10 青葉市子 at BOHEMIAN GARDEN
15:30 Lonesome Strings and Mari Nakamura at BOHEMIAN GARDEN
16:50 堂島孝平×A.C.E. at BOHEMIAN GARDEN
17:30 SCOOBIE DO at RED STAR FIELD
18:30 後藤まりこ at def garage
19:10 SPECIAL OTHERS at RED STAR FIELD
21:00 マキシマム ザ ホルモン at SUN STAGE
22:00 八十八ヶ所巡礼 at def garage
23:10 ROVO at RED STAR FIELD
24:00 曽我部恵一BAND at BOHEMIAN GARDEN
25:40 「向井秀徳アコースティック&エレクトリック」&outside yoshino (from eastern youth) at BOHEMIAN GARDEN
27:00 POLYSICS at EARTH TENT

RSR2012 in EZO


No.1696 2012-8-10
札幌 赤れんが庁舎
ホテルの窓から。

■朝は成田発の、そんなに早くない時間の便だったので、家をのんびり出て京成津田沼から特急。 といっても特急料金はかからない、運賃だけで乗れる特急である。京成線は身近ではあるが、ふだんそれほど利用しないので、 たまに駅なんか行くと、やけに古そうに見えるうぐいす色の車両が停まってたりしてて、物珍しい。特急は成田行きなので大きな荷物を持っている人が多い。 ロングシートの向かいの座席には外国人の親子が座っていて、子供二人は寝ていた。ほどなくして成田空港に到着。 ここの空港だけは、入るときに身分証のチェックがある。でかい空港の片隅、追いやられたような場所にある1階の国内線搭乗口へ。 待合ロビーのテレビではロンドンオリンピックの女子サッカーの決勝の映像。思えば今回もまともになにひとつオリンピックの競技を見てない。 時間がけっこうあったので、4階の国際線搭乗口のあるフロアへ行ってみた。広くて様々な航空会社のカウンターがある。さすが成田という感じがする。 当然ながら外人が多い。1階に戻り、搭乗口からバスで機内へ。真ん中通路で両側それぞれ三列の座席で、おおむね満席のようだ。滑走路で40分待たされる。 飛行機はこれが嫌だ。遠くにある台風の影響か、離陸後しばらく揺れる。
■新千歳に着くと、アウトドアぽい格好をした者達が多くいる。おそらく自分と同じ行き先なのだろう。快速エアポートで札幌まで。 窓の外はどんより曇っているが、雨が降ってないだけましか。札幌駅から歩いてホテルへ。ほとんどの荷物を部屋に置いていく。 雨が降るかもしれないので、雨具は持ってゆくがカメラは置いていくことにした。部屋の窓からは北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)が見える。 思いのほか広くていい部屋を用意してくれた。ここのところ毎年、毎回ちがう札幌のホテルに泊まっているが、どのホテルも値段のわりにはきれいで部屋がいい。 競争が激しいからサービスもよいのだろう。地下鉄で麻生まで。飛行機の到着が遅れたのと、ホテルの部屋でのんびりしてたせいで予定より出発が遅れてしまった。 そういえばいつのまにか、札幌の地下鉄の駅にホームドアが設置されていた。麻生からシャトルバスに乗車。待ち時間無しで乗れた。 会場レイアウトの変更で、今年はいままでとバス乗降場所がちがうせいで、バスのルートも若干変わった。 バス車内はなごやかな雰囲気で、若い世代の者が多いように感じる。おっさんらは車で行ってるか、平日だから仕事か。
■RISING SUN ROCK FESTIVAL 2012 in EZOである。またやって来た。かれこれ11度目になる。 今年は色々と、これまでとは変わったところがある。
・SUN STAGE(メインステージ)の位置変更
・GreenOasisとmoon circus、Crystal Palaceがなくなり、新たにdef garageとRAINBOW SHANGRI-LAが登場
・オートキャンプエリアの拡大、駐車場の縮小
・入場ゲートが一箇所から二箇所に
・チケットとリストバンドを先に交換する受付を数箇所設置
このあたりが大きな変化で、駐車場はかなり少なくなったのか、めずらしく駐車場チケットが売り切れた。 ステージの数は実質一つ減り、駐車場、オートキャンプエリアを会場の隣接した場所に持ってきたので、全体の面積はぐっと縮小された。 土地を借りる費用を削減したのだろうか。なにか事情があったのかは、表に出てこないからわからないが、縮小自体は悪いことではないように思う。
■どんな感じかいなと思いながらバスを降り、リストバンドの交換所に行き、ゲートから会場内へ。入ってすぐあるのがdef garage、 その向こうにはSUN STAGEがどんとそびえる。今年も既にテントがびっしり、こっちからはるかあっちまでたくさん立っている。 本当はRED STAR FIELDでのハンバートハンバート×COOL WISE MANを見たかったのだけど、もう終わってた。 新ステージRAINBOW SHANGRI-LAへ行ってみた。なんかテント型のステージだった。野外なんだからもっとひらけたステージにすればいいのにと思う。 音の被りの問題とかいろいろあるのだろうけど。ここでちょうどTOKYO No.1 SOUL SETのライブが始まったので見ることにした。 以前は彼らの音楽に特になにも思わなかったが、ちゃんと聞いてみると声もいいし音も重くて迫力があるし、何より楽しそうに演奏してるのがいい。 客の年齢層が高い。先行予約のTシャツを受け取りにグッズ売り場まで行くと、遠くSUN STAGEではPerfumeのライブ。アイドルが出ることには異論もあるだろうが、 客寄せも必要悪だろうとは思う。地方の一イベンターにとって、ブッキングにはいろいろ政治的なものもあるのだろうから仕方がない。 近くを歩いていたカップルのうち男のほうがPerfumeのライブを見たいらしく、ステージのそばまで行こう、と言ってるんだけど、女のほうが「だってあれ口パクでしょ。 Youtubeといっしょじゃん」と言っていた。ああ、そうかもしれぬ、と思った。まあ、若い女の子三人揃えて踊らせればいいんだから、あの子らじゃなくてもいいんだろうなとは思う。 でもあれで喜ぶ人がいるんだから、それはそれでいいのではないか。
■RED STAR FIELDでスガシカオのライブを見た。彼はいま、プロダクションから独立して、自分でライブのブッキングまでもやってると言っていた。 「スガシカオと申しますが…」「え?」みたいな電話をライブハウスとの間でしてるらしい。実績のある人があえて安定を捨てて、表現者として高みを目指す姿勢は 立派だと思う。メジャーレーベルにいると、タイアップをもらってシングル出して、アルバム出して、プロモーションとしてのライブツアー、 こういうスケジュールでいつまでに何枚、という契約で制作が進められていくのだと思う。ことによるとそれらの一連の流れが、売るためには必要なことだとしても、 ルーティンワークにもなりかねないし、そういうスタイルの商売がいまの時代通用しなくなってきている。安定した守られた環境で制作するのと、 自由と責任を一人で背負い込んで制作するのと、どっちがいいのかはわからないが、 いまのスガシカオはいい意味で必死で良かった。彼のことばからは、ライブができること、お客さんがチケットを一枚、CDを一枚買ってくれることの重みを しっかり受け止めているように、感じられた。熱くファンクないいライブであった。
■もう一つの新しいステージdef garageへ行ってみた。こちらもテント型のステージ。せっかくの野外の会場なのになぜ屋根と壁のあるステージを作るんだ。 こちらのステージはわりと若手の人らが出る。持ち時間は他のステージより短めだ。ちょうど、ねごと、という名前のバンドが出てきたのでライブを見る。 バンドメンバー全員、千葉出身だそうだ。若いのに技術がしっかりしている。特にドラムがいい。上手くてキレがある。ヴォーカルの歌ってる表情も堂々としていていい。 曲はキャッチーだし、肝が据わっている。MCはとてもまじめだ。このままコンスタントに作品をつくっていけば、売れるだろう。ことによると、 自分が知らないだけでもう売れているのかもしれぬ。いまの若い人たちのセンスはすごくいいな。それにしても持ち時間30分だと、あっという間に終わってしまう。
■またRED STAR FIELDへ。矢野顕子×上原ひろみである。しかも夕暮れから夜へと移りかわる時間帯、どう考えてもいいライブになるとしか思えない、 と期待していたが、それをまったく裏切らないすごいライブだった。ステージ上にあるのは、ど真ん中に二台のグランドピアノ、 あとはモニターのスピーカーくらい。でもピアノってのはすごいね。 百戦錬磨で盤石の矢野さんと、客に煽られてどんどん調子の出る上原ひろみの二人が縦横無尽に、変幻自在に鍵盤を操る。 上原の暴走っぷりが最高だった。若くして世界を飛びまわってる人の迫力。そして矢野さんはクールで、遠くのステージからもれ聞こえてくるパンクぽいバンドの叫び声を聞いて、 マイクがあるんだから叫ばなくてもいいのにね、なんて言って客を笑わせていた。ラストが「ラーメン食べたい」だったのだけど、歌詞のどうでも良さと裏腹に、 踊るような激しいピアノの音が鼓膜をびりびり揺さぶる。とても良かった。
■少し腹がへったので、適当にそのあたりで焼き鳥など食べていたら、RED STAR CAFE(RED STAR FIELDのわきにある、バーカウンタ併設のミニステージ)から 聞いたことのある声。奥田民生に似た声の男が歌っているな、と思ったら、本人だった。みるみるうちに人が集まってくる。さっき終わったばかりの矢野×上原のライブの ラストにやっていた「ラーメン食べたい」をギター一本で。そしたら裏からとつぜん矢野顕子本人が出てきていっしょに歌っていった。なんだかびっくりの連続である。 タイムテーブルにもないし、事前アナウンスもなかった、ほんとうのシークレット出演で、ただ、ちゃんとバックヤードには奥田用の楽屋も用意してあったとのこと。 でも他の出演者はみな奥田の出演を知らないから、なんでいるんすか、なにしに来たんすか、と言われたらしい。斉藤和義カバー、RCサクセションカバー、ユニコーン時代の曲、 そして自身の曲などを次々と歌う。途中、ぱらっと雨が降ったがたいしたことはなかった。ちょうど、他に見るものもなかった時間帯だったので、 得した気持ちで最後まで聞いていた。「さすらい」という曲をやったとき、2コーラス目を客に歌わせようとマイクをこちらに向けたが、みな歌詞があいまいだったんで、 奥田は「覚えてないんかい!」と言って笑っていた。
■RED STAR FIELDでindigo jam unit。とうとう彼らのライブが見れる。いままで出した音源もみなダビングなし一発録りですばらしいアルバムをたくさん出しているので、 ぜったいにライブはいいと思っていたからどうにかライブを体験したかったが、なかなかチャンスがなく、ようやくここで初めて見ることができた。 バンド編成はドラム、ドラム&パーカッション、ウッドベース、ピアノの4人。ウッドベースがセンターに立つ。バンドのレベルはリズム隊のレベルに正比例する、 と常々感じているが、まさにこのバンドはそれがぴったりあてはまる。ライブが始まると、ウッドベースがぶっとい音で主旋律をとる曲が多いのが独特で、まじめな音を出すピアノと、 やんちゃで華のあるドラムがそれに絡み、パーカッションの手数の多い音が曲を派手にする。ほんとうに、自分の耳に狂いはなかった、と強く思えるライブで、気分が高揚した。 客も思いのほか集まり、大いに踊っている。古いアルバムから新しい曲まで満遍なく演奏。もう少し小さなステージのほうがいいんじゃないかなと思っていたが、 始まってしまえばもう、彼らの力でぐいぐいと客を集め、踊らせた。要らぬ心配であった。すばらしいライブ。
■def garageでKING BROTHERS。2000年のこのフェスティバルでの前夜祭で見て以来、彼らのライブは実に12年振りである。 あのとき彼らは「前夜祭も後夜祭もあるか!俺らのライブが一番じゃ!」とかなんか言って、ギターやベースを持って派手に飛び跳ねていた。 そしていまも、彼らは派手に飛び跳ねている。高いところへよじ登る。バンド全員が客席にダイブする。ステージ上からバンドメンバーが誰もいなくなるときがあって、 わけのわからない状況になったが、衝動を楽器や歌に叩きつけるような、ぐしゃぐしゃした音で見る者を圧倒する。プロフィールを見ると1998年から活動しているというから、 キャリアはけっこう長い。ボーカルはダイブ後、ステージに戻らず、客にかつぎあげられたまま歌っていた。短い持ち時間を、最初から最後まで、 針を振り切るようなテンションで突っ走り続けるライブだった。
■SUN STAGEで岡村靖幸のライブを見る。捕まったり太ったりやせたり踊ったり、忙しい人生を送っている彼も、もう40代後半である。 ことによると、今の若い人達は知らないのではないかと思うが、どうだろうか。スタンディングゾーンにいる人たちは総じて年齢層が高い。 前回彼が出たのは確か2004年で、当時はすごく太ってて、太いのにあんなに踊れるんだ、という感想だけが強く残ったものだが、 今回はずいぶんスマートになり、キレのある踊りとつやのある声を披露した。度重なる覚せい剤での逮捕でも、ファンは辛抱強く待ち続けていたということで、 ファンのためにももう薬なんかやめりゃいいのに、と思うが、やはりなかなかやめられないものなのだろうか。序盤で「どおなっちゃってんだよ」「カルアミルク」など代表曲。 終盤にも「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」や「だいすき」などの有名どころをやり、さらにアンコールまであったようだが、 途中で帰りのバス乗場へ。
■深夜の時間帯にも魅力的なライブがいくつかあったが、翌日のために体力をとっておきたかったので、やや早めに引き上げることにした。 ホテルへ戻るべくシャトルバス、地下鉄を乗り継いで札幌駅近くまで。

<RISING SUN ROCK FESTIVAL 2012 in EZO> 一日目 8月10日(金)
15:50 TOKYO No.1 SOUL SET at RAINBOW SHANGRI-LA
16:40 スガシカオ at RED STAR FIELD
18:00 ねごと at def garage
18:20 矢野顕子×上原ひろみ at RED STAR FIELD
19:10 奥田民生 at RED STAR CAFE
20:00 indigo jam unit at RED STAR FIELD
21:00 KING BROTHERS at def garage
21:40 岡村靖幸 at SUN STAGE


No.1695 2012-8-09
■明日から休みになるので、成田発の便で新千歳へ飛び、札幌、麻生を経由して石狩湾新港の会場へ入る予定。 RISING SUN ROCK FESTIVAL 2012 in EZOである。既にオートキャンキャンプエリアは開放されており、 入場待ちの列もできているということで、現地からのリポートがネット上では見ることができる。写真をアップロードしてくれる人もいる。 今年は虫が例年より多い、といった現地からの情報もある。
■荷物の準備もほぼ済んだ。あとは明日、まちがえて羽田に行かないようにすれば大丈夫だ。 時間的に余裕があれば現地のWi-Fiスポットを利用してツイッターでなにか言ってみようかなとも思っている。
■話は変わって、やはりJRの江差線、木古内〜江差の区間が廃止になりそうという報道があった。 またひとつ、鉄路が失われてしまう。しかたないのかもしれないが、やはりさびしいものだ。そう遠くない将来、 地方で残る路線は新幹線と都市部の地下鉄だけになってしまうのかもしれぬ。
■夜行列車とおんなじように、まだあるうちにできるだけ乗っておきたいと思う。だからというわけではないが、 今回の休みでは、鉄道を使って北海道の北のほうへ観光へ行ってみる予定なので、また写真を撮ってきたらここで紹介できればと考えております。
No.1694 2012-8-06
■8月になっていた。
■しばらく更新が滞ってしまっていた。というのも、毎日くそ暑いし、なにもやる気が起きない。 毎日、日本のどこかで37度とか38度とか言ってて、もうみんなあんまりそのことに驚かなくなってるのがすごい。 あと、腰が痛かった。やむを得ず病院に行ったのだが、待合室にびっしり老人がいた。 あの光景を見ると、いろんな意味で気力を失うよね。
■話は変わって、先日、大学時代の友人が二人目のお子さんが生まれたとの知らせをくれた。おめでたいことである。 このご時世に、なんて立派なんだ。偉人と言っても差し支えないのではないか。子供っていまや、公務員様か、 親が金持ちか、よほど稼ぎのいい人にのみ許されたぜいたく品になってしまった。地元の友人も大学時代の友人も、 みなほとんど既に結婚しているが、子供のいない夫婦が、うちも含めてとても多いし、いてもせいぜい一人という感じ。 今の世の中を鑑みるに、そりゃそうなるわなと誰もが思うだろう。
■連日、マスコミを賑わしていたと思われるいじめ問題も、既にオリンピックのせいで忘れ去られそうな昨今である。 各方面、いろいろな者がいじめの問題について言葉を発していたが、どれもいまいちぴんと来なかったのは、 大人になってしまうと、子供のころの気持ちや感覚を忘れてしまうからなのだろうと思った。大人からすれば、 そんな狭い世界のこと、とか、時間が経てば、とか、なんでやり返さないんだ、とか、そういう発想になるのだろうけど、 子供にとってはその狭い世界が全てで、時間が経てばって言われても今そのときをどうやってやり過ごしたらいいのかわからないんだから、 どうにもならないのだ。自殺まで追い詰められた彼の心情を察しようと思うと、本当にほんとうにつらく苦しかったのだろうと思っていたたまれない。 ネットのどこかで見た、いじめに関する水道橋博士の文章だけは、読むに値する言葉が書いてあったように思う。
■今年の夏もどうにかRISING SUN ROCK FESTIVAL in EZOに行けることになった。8月10日に成田から新千歳へ飛び、 札幌を経由して石狩の会場に入る予定である。天気がよければいいなと思う。
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