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No.1742 2013-3-31
井関池の桜
井関池の桜。

香川・徳島県境
香川・徳島県境。

遍路道の丁石
遍路道の丁石。

大興寺の杉
大興寺の杉。

■早朝の新幹線で岡山まで行き、特急しおかぜに乗り換えて四国入り。昨年の秋、冬に続いてのお遍路・春編は、 前回悪天候で断念した66番雲辺寺から。観音寺で特急を降り、普通列車で一駅となりの豊浜へ。のどかな駅前から歩き始めた。 意外なことに、東京や千葉では既に見ごろを過ぎていた感がある桜が、四国では今まさに満開である。国道377号線から一本脇にそれた道を東へ。 高松自動車道の下をくぐり、香川県道241号線をしばらく東へ。豆塚公民館のある交差点を過ぎ、小さな川を渡るとこぢんまりとしたうどん屋があったので入ってみた。 地元の家族連れやおっさん達が食べに来ている。昼時には少し早かったが、こしが強くておいしかった。大野原町内を南東方向へ進み、井関池の縁にある小道を抜けると 瀧宮神社があった。徐々に上り勾配の道になり、民家の数もめっきり少なくなる。内野々という集落を通り、三部神社があるあたりから、うねった道を登る。 老人ホームの前に出て、さらに山の方向へ歩いてゆくと広い駐車場やお土産屋が現れる。雲辺寺ロープウェイの山麓駅である。豊浜駅から歩くこと約8km。
■本当は山頂まで歩いて登りたかったが、限られた日数の中では時間が足りず、やむなくロープウェイを利用。 なんといってもこの雲辺寺は、四国八十八箇霊場の中で最も標高が高く、927mである。札所の所在地は徳島県(阿波)であるが、 讃岐の一番札所として扱われている。ロープウェイは20分間隔で運行しており、片道1200円、往復2000円である。自分は片道の券を購入。 乗ってしまえばあっという間に山頂に着く。10分もかからず900mを登り切った。山頂は風が強く、思いのほか気温が低い。 徳島県と香川県の県境がある。山頂駅からは観音寺市街、遠くには瀬戸内海がかすんで見えている。山頂駅から歩いてほど近い場所に66番札所の雲辺寺がある。 境内は木立ちに囲まれており、標高のわりには景色が良いというロケーションではなかった。年末以来のお参り。納経後に朱印をいただき、 黒々とした墨のにおいで遍路の再開を実感した。参拝客がちらほら。福島から来ているという男性に出会った。元日から歩き始めて丸三ヶ月かかって66番まで来たという。 足が悪いので、ゆっくりと野宿しながら、一番札所から順番にずっと歩いてきたという。たまにそういう人がいる。本当にすごい。ただただ頭が下がる。
■雲辺寺の境内を出てまもなく山中の遍路道に入り山道を下る。下りは体力的にはきつくないが、足への負担が大きく、足裏や足の親指の付け根あたりが 痛む。膝もがくがくする。なるべくペースを落とさず歩き続ける。時々林がひらけて遠くの景色を見下ろすことができる。ため池がたくさん見えるのが香川らしい。 まだ初日で、しかもロープウェイを使ったから体力はわりと使っていないように思った。がしがしとひたすら下る。時々、古くから残る丁石と呼ばれるお地蔵さんのような石仏が道端に安置されている。 山を下り切り、ひさびさにアスファルト舗装されている道路が見えた。若いお遍路男性が歩いていた。彼は東京から来たらしく、時々ヒッチハイクをしながらここまで来たらしい。 野宿道具一式の大荷物を背負っており、足が痛い、と言っていた。集落の中を通ると、三匹の猫が固まって寝ていた。近くを通るとこちらを警戒して、 じっと見ていた。雲辺寺から10kmほど歩き、67番札所の大興寺に到着。田園地帯の真ん中に建つこの寺の境内では桜がきれいに咲いていた。 注連縄が巻かれた巨大な杉の木もある。バスツアーの老人達が駐車場から境内へとぞろぞろ歩いているのが見える。さすがに少々くたびれたのでベンチで休憩。 お参りを済ませ、大興寺を後にする。
■この日は二つの札所だけで終了。あとはひたすら北西方向へ歩き、観音寺駅を目指す。三豊市から観音寺市内に入る。 新田町にある豊田小学校のグランドの横を通ると、野球少年達全員がこちらに向かって元気にこんにちは!と挨拶をしてきた。 12月に行った68番、69番札所への道をひたすら歩く。お遍路さんのために用意されたちょっとした休憩小屋が道のわきにあったりする。 池之尻町、出作町、植田町、坂本町を歩き、徐々に車の通行量も増えてきて、たまに歩道のない箇所もあるので緊張感がある。 観音寺市内に入り、全国チェーンの商業施設も多くなる。観音寺税務署の前を通って踏み切りを過ぎるとまもなく観音寺駅が見える。 まだ明るいうちに駅前のホテルに宿泊。この日はおよそ25kmの行程を歩いた。残す札所は39寺。
No.1741 2013-3-20
フクダ電子アリーナ
蘇我、フクダ電子アリーナ。

■電車で蘇我。今年初めてのサッカー観戦である。去年12月の天皇杯以来だ。Jリーグ二部、千葉対鳥取。 まだ肌寒さが残る。リーグ戦の観戦は久しぶりで、スタジアムに着いてまず思ったのは、客減ったな、ということだった。 千葉が二部落ちしてから早くも4シーズン。どっぷりと、いろんな意味で二部慣れしてしまっている。 鳥取は昨年、二部でも一番下のほうでもがいていたが今年は監督が元日本代表、マリノスにいた小村に代わり、 しぶといサッカーを続けているという印象。
■試合は1-1の引き分け。千葉が先制するも、かつて千葉に入団したもののすぐに下部組織のジェフリザーブズ送りに された鳥取の奥山選手が殊勲の同点弾。鳥取にとってアウェーでの勝ち点1をもたらす貴重なゴールを決めた。得点直後、 ベンチに向かってすごい勢いで駆けていって喜んだ彼の姿を見て、ぐっとくるものがあった。献身的で切れのあるプレーをする、 とてもいい選手になっていた。鳥取は、飛車も角も金もないけど銀や桂馬や香車、そして歩をうまく適材適所に活用していた。 歩だって敵陣奥深くまで攻め入ると金に成る。千葉の角や飛車はただ同じような場所を行ったり来たりしていた。
No.1740 2013-3-18
千葉市内の桜
開花。

■今年初めて、咲いている桜を見た。例年に比べて早い。二年前の震災の後、早く桜が咲いてちょっとでも世の中が明るい雰囲気になればいいなと思ってたことを なんとなく思い出した。あのときは花見自粛、とかそういった雰囲気だったように記憶している。九州新幹線の全線開通が震災の翌日で、そのニュースも かき消されてしまった。そういえば新大阪から鹿児島中央まで走る九州新幹線の名前は「さくら」だ。
No.1739 2013-3-11
■あの震災からこの日でちょうど丸二年となった。あの直後に、放射性物質におびえてマスクをしていた人たちは今、 花粉症対策でマスクをしている。時の流れの速さを感じる。いろいろ思うところはあるが、そっと東北の方角に向けて手を合わせる。
No.1738 2013-3-10
■午後、部屋でラジオを聞いていたら空が急に暗くなって、窓の外を見てみたら空が雲とはちがう色になっていた。 黄砂なのかと思ってたが、あれは煙霧というのだそうだ。まあ、本当のところはよくわからないが。 窓をちょっと開けてみたら、空気が砂っぽい感じがした。昼くらいまではかなり気温が高かった。
No.1737 2013-3-09
ゆりかもめ新橋駅ホームからの風景
ゆりかもめ新橋駅ホームからの風景。

都電荒川線早稲田駅
都電荒川線早稲田駅。

■午前中の早い時間に髪を切りに行き、一度帰宅してもよかったのだけどめんどうなのでそのまま電車に乗って出かけた。 あんまり早く到着しても時間を持て余すだろうと考えた私は迷わず西船橋で降り、武蔵野線からそのまま京葉線に入る東京行きの快速に乗り換え、 新木場で下車。何度か降りたことのあるこの駅だが、改札そばに角材をたくさんくっつけたモニュメントがあるのに初めて気がついた。「木場」という土地に ちなんだものなのだろう。新木場から有楽町線で二駅、豊洲で降りて外に出ると海辺の高層マンション群が見える。人通りは少なく、 マンションの広告がついたポケットティッシュを配る人が暇そうにしていた。
■豊洲から、ゆりかもめに乗る。正式な名称は「東京臨海新交通臨海線」というのだそうだ。豊洲から新橋まで14.7kmの路線だが、 地図で両駅間の直線距離を測るとたったの3.6kmしかない。豊洲からUの字を描くように南の東京湾に面する埋め立て地をぐるっと走って新橋まで行く経路になっている。 将来は豊洲から勝どきまで延伸する計画になっているとのことである。開通は1995年と、比較的新しい路線だ。津田沼に住んでいるので、 乗ろうと思えばいつでも乗れたはずなのだけど、いままで乗ったことがなかった。列車は遠隔操作による無人運転システムなので、車両には運転席は当然ない。運転手も車掌もいない。 すごいものである。車内は、土曜日午前の中途半端な時間だったせいか、客はとても少なかった。4人がけのボックス席もある。
■走り出すとこれがなかなかのアミューズメントである。東京タワーが見える。フジテレビとか日本科学未来館、テレコムセンター、東京ビッグサイト、東京港フェリーターミナルといったへんてこ建物もたくさん見える。 それ以外にも沿線には船の科学館、大江戸温泉物語、パレットタウン、汐留シオサイトみたいな集客施設も数多くある。そういえば東京ゲートブリッジというやつを初めて見た気がする。 東京湾に面して林立するビル群はまるで壁のようだ。こんだけ海風を遮ってたらそりゃ夏は暑いだろうなと思う。途中、レインボーブリッジを渡る区間もあるし、高低差をクリアするための ループ線まであって、楽しい。もし東京観光を考えている人がいたら、ゆりかもめに乗るのをおすすめしたい。混んでて景色どころじゃねえよということになったらすんません。 夜に乗ったら夜景がきれいだろうなと思う。芝浦あたりまで来ると、わりと古い建物が目立つ。青海や東雲あたりと違って昔からの埋立地だからだろう。豊洲から新橋までちょうど30分。
■まだ時間に余裕があるのでどうしようかと思案した結果、そうだ都電に乗ってこようと思いついたので山手線で池袋方面へ。大塚駅で降りて都電荒川線に乗る。 ずいぶん前に乗ったことがあったが、今回も乗客は多い。運よく車両前方の席に座れたので、前方の景色をずっと見ていた。なんとうなく路面電車のようなイメージがあるが、 一般の道路上を走る区間よりも専用軌道を走る区間のほうが圧倒的に長い。三ノ輪橋から早稲田まで、全長12.2km、運賃はどこからどこまで乗っても一律160円である。発車するときに鐘がチンチーンと鳴る。 「雑司が谷」「鬼子母神」「面影橋」といった個性的な地名のついた駅に一つ一つ停車しながら最高速度40kmというのんびりしたスピードで進んでゆく。 大塚から15分ほどで終点の早稲田に到着。それにしてもJR、東京メトロの有楽町線、ゆりかもめ、都電と無駄に乗り継いできたわけだが、これら全てSuica一枚で乗り降りできるんだからすごい。 時代である。

早稲田大学戸山キャンパス
早稲田大学戸山キャンパス。

宮沢さんのサインと関心領域マッピング
宮沢さんのサインと関心領域マッピング。

■歩いて数分、馬場下町にある早稲田大学戸山キャンパスへ。早稲田大学を訪れるのはこれで三度目になるだろうか。一度は、私のネット関係の師匠であり、 フィッシュマンズの魅力を教えてくれたO氏が早稲田の学生だったころに研究室みたいなところに入れてくれた。二度目は演劇博物館に『遊園地再生事業団と宮沢章夫展』を見に行ったときである。 調べてみたらあれは2004年だったというからもう9年も前のことになるのか。演劇博物館はいい建物だった。それにしても有名私大というのはこんな都心に大きな土地を持っているからすごい。 それはそれとして、今回早稲田大学に来たのは、やはり宮沢さん関連である。学生さんが主催の『宮沢章夫 早稲田大学最終講義』というのが、 学生以外の一般の人間でも聴講できるというんで、しかも土曜日だからこれは行くしかないな、と思ったんである。正直なところ、 家でだらだらサッカーを見るというのも捨てがたい、という気持ちもあったが、行ってよかった。宮沢さんはサブカルチャー論という授業を数年間、早稲田でやっていて、 今回の「最終講義」が、その最後の講義という位置づけになるのだと思う。
■講義の前に、相馬さんと初めてお会いすることができた。「"■"RINGS」でおなじみの相馬さんである。 ネット上では何度かやりとりをしたことがあったし、宮沢さんの舞台の会場で同じ時に居合わせたりはしていたみたいなのだけど、顔を合わせるのは初めてだった。 ただ、宮沢さんに関すること以外、とくに共有するものもないので、つもる話もそれほどあるわけではないのだった。でもいくつか話すことができてよかった。 そんな相馬さんのとなりの席で講義が始まるのを待っていると、宮沢さんに近しい相馬さんなので、その界隈の人などが相馬さんに挨拶に来たり、 声をかけていくのがおもしろかった。開始前には「関心領域マッピング」という資料が配布された。2008年から2012年のぶんまで5枚、サブカルチャーに限らない雑多な 事柄がA3の紙にたくさん書いてある。午後2時45分から始まった最終講義は午後5時半過ぎまで、3時間近くにわたった。写真や映像の資料をふんだんに使い、 途中でエレキコミックのやつい氏も登場した。区切りごとにかっこういい音楽が流れ、タイトルがスクリーンに大きく映し出される。よくできたテレビプログラムのようにも思える。 配布した資料をなぞりながら演劇、音楽、へんてこ写真、映画、文学、舞踏、漫画、建築などなど、多岐にわたる内容を語ったが、 講義と言ってもそんなに堅苦しい雰囲気ではなく、だいたいずっと笑っていた。とにかく楽しい時間であった。
■まず、宮沢さんはいつの間にかずいぶん髪が伸びていた。そして300人は座れるという大きな講義室の座席が完全に埋まり、通路に立ったまま聞いている人、 教壇の前のスペースに座っている人、入りきれずに廊下で聞いている人までいるくらい満員御礼状態ですごかった。記憶に残ったことはいろいろあるが、 中でも「奇跡のシャツ」や「やたらと時刻がでかいニュース映像」「日本体育大学655人合格」やピナ・バウシュのステージ映像、なぜか全員上半身裸の黒人バンドのダンス、 あらかじめ決められた恋人たちへというバンドの「Back」という曲のPV、寺山修二のインタビュー、コーヒーフィルターの買占めやバカボンの父の「ドッ」「コイ」「ショッと」、 蛭子さんの漫画がおもしろくなる話、坂口恭平、声優対ゴダール、太田省吾、テニス練習メニュー200の話など、今思い出せるだけでもこのあたりの話がとくに面白く、 強く印象に残った。これだけ書いてもなんのことやらわからないと思うし、これらの事柄についてこういう話でした、という説明を書くことはできるが、 文章を連ねて書いたところで面白さはちょっとしか伝わらないだろうからやめておく。その場にいて体験することの意義だとか大切さをこれほど感じることはないなと思える空間だった。 会場はこんな雰囲気だった。
勝手にリンクさせていただくが、いい雰囲気が少しは伝わるだろうと思う。それはそれとして、 「その場にいて体験すること」という点において、東京ほど恵まれた場所はない。これこそが東京の者が持つ特権だろうなと思った。 奇しくも講義の最初、大槻ケンヂ氏の「サブカルで食う」という本の話の中で出た「サブカルで食うための条件 東京に実家があること」という話が出ていたが、このへんのことも含むのだろうなあと思う。 最後に宮沢さんからの挨拶。学生さんらしき者から花束の贈呈などがあり、最終講義は終了した。
■終わってから宮沢さんに挨拶。といっても、宮沢さんに声をかけたい人が長蛇の列を成していたので、少しの間並んで順番を待った。 講義中も感じたが、宮沢さんは若い学生さん達からもずいぶん慕われている。 で、宮沢さんと直接言葉を交わすのはこれで3度目か4度目だと思う。本にサインをしてもらったが、名前まで書いてくれた。そのとき「たけだ君のタケは武士のほうだったよね」と 正しく覚えてもらえてたのでちょっとうれしかった。せっかくの機会なのでいろいろ話をしたい気持ちはあったが、まだまだたくさんの人が並んでいたので、 お礼を告げて会場を後にした。ここのところしばらく、休みの日も家にこもりがちだったし、進んでどこかへ行くということも減っていたが、何事も自分から動かないと楽しいことってのは 向こうからはたいていやってこないということを久しぶりに思い出す一日だった。帰りは東西線の早稲田駅から西船橋経由で津田沼まで帰った。
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