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No.1975 2015-08-27
■津田沼駅で人身事故があった。総武快速のホームで成田エクスプレスに飛び込んだっぽい。ホームに、
飛び込んだ人のものと思われるかばんがぽつんと置いてあった。二日前にも津田沼駅で人身事故があった。
自殺は仕方ないと思うが鉄道に飛びこむのはやめてほしい。安楽死を認めればいいのに。
でも年齢制限を設定しないと若い人ばっかり安楽死してしまう気がする。
No.1974 2015-08-23
■この日の上野駅到着分をもって寝台特急「北斗星」の運行が終了した。これで、いわゆるブルートレインが姿を消したことになる。
さびしいが時代の流れである。昔の「水曜どうでしょう」のサイコロの旅で、北斗星1号、3号、5号が選択肢に上がっていた。一日に三本も出ていた時代もあったんである。
もっとたくさん乗りたかった。
No.1973 2015-08-22
■船橋の高瀬にあるサッポロビール園に行った。東京湾に面した埋立地にある。周りは食品の工場や倉庫が建ち並ぶエリアである。
岸壁に面しているので海が見える。かつて南極観測船だった「SHIRASE(しらせ)号」が接岸している。
ビール園ではジンギスカンを食べ、ビールを飲んだ。おいしかった。内地にいるとあんまりジンギスカンを食べる機会がない。
そもそもラム肉があんまり売ってない。売ってたとしても値段が高い。ベル食品のタレも売ってない。
No.1972 2015-08-15
■朝早くに名古屋駅から中央本線の列車に乗る。中津川止まりなので先へ行く列車に乗り継ぐのだけど、ここで一気に車両数が減るので
座席の奪い合いが起きる。特急みたいな二人ずつ座るタイプの座席で、自分は運よく座れたが車内はなかなか混雑した。
中央本線は正確には東京〜名古屋のことを言うが、便宜的によく東京〜塩尻までを「中央東線」、塩尻〜名古屋までのことを「中央西線」と言ったりする。
「中央西線」の全区間を通して乗るのは本当に久しぶりで、学生の頃以来だ。中津川あたりまでは普通列車で一時間少々なので名古屋通勤圏なのかもしれない。
宅地が途切れずに続いた。中津川からは徐々に山の景色になっていく。木曽川の渓谷に沿って列車は走り、景勝地「寝覚の床」も車窓から見える。
途中に大きな駅はあまりなく、観光拠点となっている木曽福島駅のまわりに建物が多いくらいである。昔の中山道の宿場町である奈良井宿の町並みが線路に近いところに
あるのでよく見える。2007年の2月に奈良井の宿場町を歩いたが、往時の賑わいを偲ばせるようなとても良い町並みだったことを思い出す。
■中津川から2時間余りで篠ノ井線との接続駅である塩尻に到着。ここから東が「中央東線」で、そちらへ行く列車に乗り換える。
車両の数が増えるので座席には余裕があった。しばらく山の中を通ってきたので、塩尻くらいの町でも大きな町に見える。
どこか沿線で花火大会があるらしく、まだ午前中だというのに今から夜の花火大会の場所取りに行くという話をしている人たちがいた。
山並みを眺めているうちに甲府に到着。塩尻からは約1時間半だった。甲府駅に約5年ぶりに来たが、駅前や駅ビルが整備されてずいぶんきれいになり、
良さそうな店も多くなっていた。そのせいかわからないが駅周辺もなんとなく以前より活気があるように見えた。甲府市役所の角から甲府城跡の横を通り、
身延線の金手駅方面へ。さすがに甲府盆地の昼時は暑い。金手駅の周辺には寺院が多く、狭い道の角ごとに瑞泉寺、来迎寺、誓願寺、帰命院、東光寺、
国母地蔵尊等々がある。寺院群の中にある能成寺(のうじょうじ)へ行ってみた。
■能成寺は武田信玄が定めた甲府五山の一つで、本尊は釈迦如来、臨済宗のお寺である。信玄公の父信虎の曽祖父である武田信守の菩提寺でもある。
松尾芭蕉の句碑がある。「名月や 池をめぐりて夜もすがら」と書いてある。かつてここに大きな池があったそうで、その様子を詠んだ句なのだろう。
その池があったことを記録している「宿龍池」の碑というのも同じ境内にある。せっかくなのでと思ってお願いしてみたら快く住職さんから御朱印をいただくこともできた。
とても特徴的な朱印の墨書だった。お礼をして寺を後にする。風鈴が飾り付けられている金手駅から一駅だけ身延線に乗って甲府に戻る。
甲府から立川まで行き、そのまままっすぐ中央線で新宿、東京と行けばいいのだけど久しぶりに南武線に乗ってみようかなと思い武蔵小杉まで乗って、
総武横須賀線快速に乗り換えて津田沼まで。
■18きっぷで往路は東海道本線、復路は中央本線を利用しての二泊三日の旅行。普通列車での遠出はやっぱり楽しい。速度が程よいので景色の移り変わりがよくわかって移動している実感があるし、
わずかでもそれぞれの土地の空気を感じられるのもいい。気軽に途中下車できるのもいい。運よくほとんど座れてずっと景色を眺められたので良かった。
No.1971 2015-08-14
■朝早くにホテルをチェックアウトして南海電車のなんば駅へ向かう。まだ夜の続きみたいな早朝で、酔った者などが歩いているのが見える。
あやしげな看板のネオンの光がまだ残っている。少し薄汚い建物が多いエリアから小奇麗に整備された駅前へと景色が急に変わる。
猫がいたけど逃げていった。早朝のなんば駅は閉鎖されている出入口が多く、どこから入れるのかよくわからない。うろうろして結局二階のドアが
開いているのがわかった。駅はがらんとしていて人はあんまりいない。学生のころは京都、大阪あたりに頻繁に来ており、京阪や阪急、近鉄などの私鉄に
乗ることは多少あったが、不思議と南海電車に乗る機会はほとんど無かった。急行に乗車し、発車してすぐに通天閣が見える。
20年近く前にあそこに昇ったことを思い出す。懐かしい。それからまもなく新今宮という駅に停車したとき外を眺めていると、
路上で横になっているおっさんが数人見えた。さすがに西成エリアである。
■大阪の中心部から徐々に南へと離れてゆき、堺市に入る。仁徳稜の脇をかすめ、阪和道の下をくぐる。背の高い建物が少なくなってゆき、
起伏の多い地形になってくる。いくつかのトンネルを抜け、大阪の南端の河内長野市から和歌山県に入る。JR和歌山線との接続駅である橋本駅を過ぎ、
紀ノ川を橋で越えるといよいよ線路は山中へと入ってゆく。途中、乗客が多く乗ってくることはなく、車内はかなり空いている。カーブが多く、
線路と車輪が軋む音が大きく聞こえてくる。よくこんなところに鉄道を通したなと思うような険しい山中を電車はゆっくり右に左に曲がりながら登ってゆく。
一つ一つの駅にきちんと停車するが、橋本以降途中駅からの乗客はなかった。古い駅舎がけっこう残っている。
標高が高くなってくると雲がたちこめてきて幽邃な景色になる。
■なんば駅から1時間半かかって終着の極楽橋駅に到着。聖地へ向かうルートにある駅にぴったりの名前だと思った。
ここからケーブルカーに乗り換える。同じ南海電鉄が経営しているので、なんばから通しの切符で乗車できる。乗ってしまえばほんの5分で山頂駅である高野山駅に到着。
ここからさらに登るためにバスに乗る。観光客以外にも、高野山に通勤している者もいるようで、定期券の乗客もいる。
女人堂、一心口、浪切不動前など謂れのありそうな名前のバス停が続く。山の上にそれなりに大きな町があって驚く。
高野警察前というバス停で何人も降りていったが彼らは定期券利用だった。あたりにはNTTや役場、警察署、診療所などがあるので、
そういうところに勤めている人たちかもしれない。バスの終点、奥の院前で下車。
■お遍路さんは四国八十八箇所霊場の巡拝後、無事に行って帰ってこれたことに対して弘法大師にお礼をしに行くという。
たしかに四国お遍路用の納経帳を開くと一番最初が「高野山 奥之院」というページになっていて、
いわば高野山が八十八箇所霊場の第0番といったところである。今回ようやく来ることができた。
高野山は標高およそ1000m。紀伊山地の奥深くにあって、現在では道路も通じているし、
南海電鉄の電車やバスでも容易に行くことができるが、かつては麓から何日もかけて辿り着いたのだそうだ。
山上のわずかな平地に数多くの寺院が建ち並び、畳店も理髪店もファミリーマートもあって人々が生活している。
高野山の寺院群は「紀伊山地の霊場と参詣道」として熊野古道とともに世界遺産に登録されている。
日本各地へ旅行してみて感じたのは、世界遺産となっているスポットは欧米系の外国人観光客がとても多いということ。
京都、奈良や姫路城はもちろん、日光や原爆ドーム、厳島神社にも大勢来ていたのを見たし、石見銀山や平泉、沖縄のグスク群、白神山地など、
遺産登録前までは日本人でもなかなか行かなかったような場所にまで大勢が観光に来ているという。
逆に伊勢神宮や鎌倉、金沢など、日本人にとってはメジャーなところでも世界遺産になっていない場所にはあまり来ていなかった印象がある。
それだけ「世界遺産」というのは強力なブランドなのだろう。
■バスを降りると大変広大な墓地が広がっている。ここの墓地は宗派を問わず誰でも受け入れているのだそうだ。
高い杉木立の間の参詣道を順路の案内に従ってしばらく歩く。小さな川に架かる橋を渡ると聖域に入った雰囲気になる。
橋から先は脱帽、撮影禁止。大木の並ぶ向こうに大きな堂が見える。金剛峰寺の奥之院である。
ここでは今もなお、弘法大師が御廟の中で瞑想を続けているとされていて、一日に二度食事も運ばれているのだそうだ。
それが1200年間欠かさず続けられているというのだからすごい。堂の前で手を合わせ、四国を無事にまわってきました、ありがとうございました、
と心の中で感謝を告げ、納経所で朱印をいただく。とにかくおびただしい数の大小の墓が見渡す限り並んでいて、
そこに遺骨があるとか無いとか関係なく、有名な将軍や武将、政治家等々様々な人物の墓がある。仏像や小さなお地蔵様などもところどころ置いてある。
率直な感想としては、奥之院は思っていたよりは俗っぽいところだった。もっと「聖地」的な雰囲気の場所だと思っていた。良く言えば明るくおおらか。でもやっと来ることができて良かった。
ようやくお遍路の区切りをつけることができた。
■境内を抜け、車が多く走る通りに出る。高野山のメインストリートといった感じのこの通りに沿って大小さまざまな寺院がある。
旅館や土産物の店もある。しばらく西へ歩くと金剛峰寺に着く。これが教科書に出てきたやつだな、とまず思った。
私が大学生になるために函館の実家を離れ、関西方面へ居を移したときに驚いたのは、教科書に出てきたような地名や史跡が
普通にそのへんにたくさんあることだった。そのときの感覚を久しぶりに思い出した。北海道は歴史が浅いのであんまり歴史の授業に出てこない。
ああ、空海とか最澄とか習ったよな、真言宗と天台宗、金剛峰寺と延暦寺、とかそういうのを勉強したことを思い出す。学校の勉強も無駄じゃなかったなとも思う。
駐車場にはたくさんの車が停まっていて、いろんな県のナンバーが見られる。レンタカーも多い。
広い境内のなかには巨大な中門に金堂や根本大塔など諸堂が建並ぶ壇上伽藍があり、多宝塔、寺内社、六角経蔵、他にもさまざまな建造物が建ち並ぶ。
金堂の中は広く、大勢の参拝客が来ている。一通り歩いて見てまわり、金剛峰寺を後にした。
■帰りはバスに乗らず歩いて駅まで下ることにした。バスのルートでは通らなかった高野山の入口である大門が見えてきた。すごい大きさだ。
バイクツーリングの者達が門の前で記念撮影している。門の近くで木々が途切れて周辺の山容が一望できる場所があった。
山の中であることを実感できる風景が広がる。高野山の駅までは下るだけだから楽だろうと思ってたら、体力的にはどうということはなかったけど夏なので暑かった。
途中、ときどき後ろから車が追い越してゆく。対向側から車が上ってくる。歩道がない道なのでなるべく端に寄るが車はこわい。
トンネルを抜けると人の気配を感じる場所に出る。4kmほどの道のりを一時間かけて歩き、ケーブルカー高野山駅に到着。
昼近くになり、朝とは比べものにならないくらい人が増えていた。ケーブルカーに乗車。極楽橋から南海の電車で橋本まで下り、
ここからJRに乗り換えて18きっぷ利用。和歌山線で高田経由で王寺まで行き、関西本線で加茂まで。時間があったので駅の外に出て
コンビニエンスストアで飲み物を買う。加茂から亀山、そして名古屋まで。時間は午後6時30分を過ぎていた。名古屋駅は中も外も人で溢れている。
一日山の中にいたから余計に人が多く感じたのかもしれぬ。駅の近くのホテルに宿泊。この日を振り返っていちばん驚いたのは、
高野山の山の中のおばちゃんまでもが最新のiPhone持ってたこと。
No.1970 2015-08-13
■7月に買った18きっぷがまだ残っているので、それを使って旅行にいくことにした。休みが長めに取れたのでまずはのんびり一日かけて西へ移動。
津田沼を朝6時30分に発ち、東京から東海道線。相模湾が見えるが空はどんよりとしてる。真鶴道路や熱海海岸道は車が連なって混んでいる。
熱海、興津、浜松、豊橋と順調に進み、昼の2時前には名古屋到着。ホームできしめんを食べる。昼時を過ぎていたが意外に混んでいて少し待たされたがおいしかった。
18きっぷで名古屋から大阪方面を目指すならば本数も車両数も多い東海道本線で岐阜、滋賀を経由するルートを選ぶのが普通である。
今回はそちらのルートへ行かず、関西本線で三重、奈良を経由するルートにした。名古屋から乗った列車には中国人が多く、手には家電店や高級ブランドの紙袋などを持っている。
名古屋駅周辺で買い物をしたのだろう。彼らは長島という地味な駅で降りていった。桑名、四日市あたりで乗降客が多い。この列車は亀山駅が終着となっている。
関西本線という名前は立派だが、亀山から先は単線の山越えの区間となり、本数もかなり少ない。車両は多くて二両。景色は山あり川ありで悪くないのだけど、
ロングシートなので窓の外を見るのはなかなか難しい。しかもカーテンを閉めてしまう人が多いので何も見えないのは退屈である。席を立って後部の窓から外を眺めることにした。
■柘植駅は草津線との乗り換え駅だがそれほど乗り降りはなく、伊賀上野駅でいくらか乗客が入れ替わった程度。三重県から京都府に入り最初の駅である月ヶ瀬口駅を過ぎたあたりから
木津川の流れが線路に近づいてくる。亀山から1時間20分ほどで加茂に到着。時間は午後4時半。さらに関西本線の先へ進む列車に乗り継ぐ。
区間快速という列車に乗車。最初の停車駅は木津駅で、駅の周辺は宅地開発が進んでいるようだ。次の平城山からは奈良県。
平城山は「ならやま」という読みである。次が奈良駅。以前泊まった日航ホテルが見える。郡山、法隆寺、王寺など歴史を感じさせる駅名が続く。
柏原までが奈良県で、次の志紀駅からは大阪府。久宝寺駅で難波行きに乗り換え。午後6時に関西本線の終着、難波駅に到着。半日かかった。
関西本線で景色を見てた一部を除き全区間で座れたのでそれほどきつくはなかった。やっぱり普通列車でのんびり旅行するのがいちばん楽しい。
■駅を出て道頓堀のあたりを歩く。例のグリコの電飾看板を見た。学生時代以来だと思う。川べりは以前と比べてずいぶんきれいに整備されていた。
何より驚いたのは人の多さで、日本語以外の言葉が飛び交い、ネオンの派手な看板群も相俟って外国に来たような気分になった。なんだかすごい熱気だ。
人混みをかきわけて歩き、予約していた宿に着く。大阪のこのあたりのホテルをネットで予約しようと思っていろいろ探したが、
なかなか部屋が確保できなかった中なんとか空いていた小さくて古いホテルである。外国人の多さを目の当たりにし、宿がなかなか確保できなかった理由がわかった。
夜は法善寺横町などを見て歩いた。
No.1969 2015-08-08
■昼に山下達郎のラジオを聞いて、夜にも山下達郎のラジオを聞いた。昼のやつは東京FMで毎週日曜日にやってるやつで、
夜はNHK-FMで、デビュー40周年の特番だった。40年音楽やってるというんだから、自分が生まれる前からである。
そういえば先日、山下達郎のライブのチケットが無事に取れた。来年の1月である。ずいぶん先のように思うが、あっという間のような気もする。
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