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No.1714 2012-10-28
羽田空港

函館牛乳

函館

函館

■ちょっと用事があって実家のある函館に行っていたのだった。今年は何度も函館へ行った。行く日は羽田空港で日の出を見た。 きれいなオレンジ色の太陽が滑走路の向こうの東京湾の方向から上ってくる様は美しかった。羽田へ行くときはここのところ、 快速で新橋まで行って都営浅草線の京急直通列車に乗り換えるルートだったが、今回は初めて浅草橋で乗り換えてみた。 乗り換えも楽だし所要時間も大して変わらず、運賃も何十円か安いからこっちのほうがいいかもしれぬ。 かなりの早朝だったせいか、普段なら大量に客が乗ってくる品川駅も、そんなに人がいなかった。 飛行機に乗って景色を見ていた。関東平野の広さ、富士山の美しさ。津軽海峡を挟んで函館と青森県の大間の距離の近さ。 大間に原子力発電所が建ちそうである。AIR DO便の機内サービスで飲んだじゃがバタスープがおいしかった。 この時季ならそろそろ函館も紅葉がきれいなのではないかと思っていたが、それほどでもなかった。まだちょっと早かったようだ。 朝は寒く、夜も寒かった。
No.1713 2012-10-14
お遍路五日目1

お遍路五日目2

お遍路五日目3

お遍路五日目4

お遍路五日目5
お遍路五日目。

■朝、松山駅前からバスに乗車。JR四国の路線バスで、行き先は「落出」というところになっている。なんだか崖から落っこちそうな行き先である。 バスは松山市街を抜けて南へ走る。Jリーグ二部の愛媛FCのホームスタジアムのそばを通り過ぎ、家並みもまばらになってくるあたりから 国道33号線ををどんどん登ってゆく。国道沿いには「岩谷口」「三坂」「久谷」「窪野」といったような、山の地形を表すような地名が続く。 ずいぶん標高が高くなったと思っていたら、忽然と町が出現した。久万高原町というらしい。コンビニエンスストアもあるしドラッグストアやホームセンターもある。 人口は9200人ほどで、大きな面積を持つ町だ。南側で高知県とも接する。この町の中にある久万中学校前というバス停で下車。 松山からの所要時間は一時間強だった。バス停から東へ1.3kmほど歩くと、第44番札所の大宝寺である。1番から順に回ったとしたら、ここで半分になる。 背の高い木々に囲まれた境内には、まだ朝だったが数人の参拝者が訪れていた。
■一度バス停まで戻ってバスで次の札所の近くまで行く計画だったのだけど、時間的にも余裕があるし、歩くのに少し自信もついてきたので、 距離から判断して、歩くことにした。大宝寺を後にし、歩き出すとすぐに山道に入る。昔から残る遍路道なのだそうだ。思いのほかきつい登り勾配で、 何度も立ち止まって休む。一度、開けた場所に出ると、そこは峠御堂隧道というトンネルの出口だった。きつい道を歩くことで、 車がたくさん通って危険なトンネルを歩かなくても済むようになっている。少しの間、アスファルトの大きな道を歩き、またすぐに細い山道へ。 歩いてるうちに、ぽつんと山中にある集落に出た。ひっそりとしていて人の気配もあまりない。軒先には、切ってからそんなに日数の経ってなさそうな薪が積んであるので、 生活している人はいるのだろう。一人の老婆が畑仕事をしていたので挨拶をすると、道を教えてくれた。 一軒の家の壁に「蜂印香竄葡萄酒」という縦書きの古めかしいホーローびきの看板がついていた。なんとうなく気になったので後で調べてみると、 1886年(明治19年)に商標登録した葡萄酒の名前だそうだ。浅草の神谷バーで有名な神谷伝兵衛が造ったのがこの葡萄酒で、 千葉の稲毛に旧神谷伝兵衛稲毛別荘という国の登録有形文化財が残っている。二年くらい前に自転車で見に行ったことがある。 東京の葡萄酒が四国の山奥まで届いていたのだなあと思うし、こんなところで千葉との縁も感じる。
■で、次の札所はまだまだ先である。途中、ふるさと村という、キャンプ場とかそういった施設のある場所のそばを通り、少しの間、舗装の道をゆくが、 また細い山道へ。いよいよ八丁坂へと進んでゆく。登りが3kmも続く道である。しかもけっこう急な坂だ。森の中で空気は冷たいのに、 体は熱くなって汗をかく。マムシ注意とか看板が立っている。勾配が緩くなると、歩きながら呼吸を整える。途中、少しひらけた場所に出た。 「八丁坂の茶店跡」という案内が書いてある。こんなところに茶店なんかあったのだろうかと思う。残りは約2km。時々、木々の間から遠くの山並みが見える。 一歩踏み外せば斜面を転がり落ちそうな場所が続き、お遍路さんは苦しいときに「南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛」と唱えながら歩くらしいが、 にわか遍路の自分は「落ちたらしぬ、落ちたらしぬ」とかわけのわからないことをつぶやきながら一歩ずつ歩く。登り下りで足もずいぶん痛くなってきた。 たまに、すごく古い地蔵様が置いてある。長い年月の風雨で顔もよくわからなくなっている。昔の人もここを歩いたのかなと思う。
■石段の道になり、不動明王の御堂が建っている。人の手がたくさん加わった場所まで来たなと思っていたら、寺の鐘の音が聞こえてきた。 もう少しだと思い、石段を降りてゆく。虫が飛んでいるので払いのけながら下ってゆくとようやく山門が見えた。第45番札所の岩屋寺に到着。 ひとつ前の大宝寺から、距離で言うと9kmほどなので、そんなでもない感じがするが、登り下りが多くてなかなか苦労した。 ベンチで一休みしていると、バスで乗りつけた団体がわらわらとやってくる。切り立った岩山の懐に立つこの寺は観光客も訪れるようだ。 無事納経を済ませ、長い石段を降りてゆく。日曜日だからか、お遍路さんも多く訪れているようで、たくさんすれ違う。寺の駐車場は満車のようで、 何台かの車が入れずに待ったり引き返したりしていた。川にかかる橋を渡ったところに、小屋付きのバス停がある。時刻表がすごい。 一日たったの2本。これなら、他の場所でも見たことがあるが、さらに土日は朝の便が運休だ。だからこの日は一日一本。こう書くと野菜ジュースのCMみたいだが、 そんなたった一本のバスに乗る。時間がけっこうあったので、あたりをふらふらと歩いてみる。トンネルが遠くに見え、車はそこそこ走っている。 湧き水が出ている家や何かの豆を干している家、よくわからない干物を売っている店が一軒、あと民宿らしき建物も一軒、あとは古い民家がいくつか、といった集落で、 こうやってお遍路でもやらなければ一生来ることのないような場所だ。そんな場所を今回はずいぶん歩いた。
■バスが数分遅れて到着。他に乗客は二人いた。歩いて3時間近くかかった距離も、車だとほんの20分ほどだ。終点の久万営業所で降り、 来たときに降りた久万中学校前のバス停へ。道路を挟んですぐのところにある。 これから松山にでも行くのだろうか、中学生か高校生くらいの、髪を金色とか茶色に染めた少年3人がバス停にやって来た。なぜかこういう人達は、 道端につばを吐くことになっている。服はまがまがしい絵柄のジャージだ。バスが来ると彼らは当然のように最後部の座席へ。こういう人達はたいてい、 いちばん後ろの席が好きだ。やってきたバスに乗車。このあたりにも歩き遍路がちらほらいる。松山までは戻らず、途中の「塩ヶ森」というバス停で下車。 あたりは山の中腹で、家はおろか人工物さえ道路以外何もないような場所だが、ここから横道で次の札所まで近道できるということを、 事前に計画を練っているときに地図で発見したのだった。うねった道をひたすら下る。舗装された道なので楽だった。道路沿いにはゴミの不法投棄とか エコロジーがテーマの、地元小学生の描いたポスターがたくさん掲示されていた。
■ため池の横を通り抜けるとようやく人の住む里までたどり着く。遠くに松山市街を見下ろせる。まだ標高がそれなりに高い場所のようだ。 ここから少し歩くと第46番札所の浄瑠璃寺に到着。きれいな名前の寺である。境内はそれほど広くないが、木々に囲まれ静かな雰囲気だった。 次の札所までは1km足らず。これくらいの距離だと、すぐ隣と思える。立派な柿の木が生えているT字路を左に曲がりしばらく行くと第47番札所の八坂寺である。 町の中にあるこぢんまりとした境内の寺で、建物の一つからは、法要でも行われているのか坊さんのお経が聞こえてくる。納経所の男性がとても感じのいい人だった。 水路脇の小路を抜け、ため池を見ながら北へ歩く。途中「四国別格二十霊場 第九番 文殊院」という寺院があった。 八十八箇所とこの別格二十霊場の合計で一〇八になるというんで、両方いっぺんに回っている人もいるのだそうだ。 このあたりは既に松山市内で、松山市恵原町という地名になるようだが、近くに荏原小学校とかJAえひめ中央荏原というのがあったので、元は荏原という地名だったのだろう。 小さな川を橋で渡り、県道40号線に入る交差点で立ち止まって地図を見ていたら、近所のご婦人が二階のバルコニーから道を教えてくれた。 久谷大橋を渡り南高井交差点を過ぎるとまもなく第48番札所の西林寺に着いた。47番から48番の距離が約5kmで、この間も、最初は路線バスを乗り継ぐ計画だったのだけど、 面倒なので歩いた。
■今回の巡礼での最後の札所がこの寺で、町中のわりにゆったりと広い境内である。納経所ではおばあさんが朱印を押してくれた。 寺の塀の上には猫が三匹くっついて丸まって寝ていた。近寄ろうとしたらびくっと起きてこっちを見ていたので、悪いことをしたなと思った。 弱い雨が少し降ってきた。松山リハビリテーション病院を経由する100円バスに乗り、伊予鉄の久米駅まで。2011年の5月の連休にもここに来た。 そのときはここからすぐのところにある第49番札所の浄土寺へ行った。久米駅から大手町駅まで乗車し、歩いてJRの松山駅へ。岡山行きの特急しおかぜに乗車。 よく歩いて、足も痛くなってくたくたになった。二時間半で岡山に到着。東京行き最終の新幹線に乗り継ぐ。日曜の夜遅くに東京に着くような列車はどういう客層で、 どれくらいの混み具合なのだろう、と思っていたら、予想してたよりも混んでおり、ビジネス客というよりは遊び帰りみたいな感じの人が多かったように思う。 名古屋で多少客の入れ替えがあった。品川で快速に乗り換え。津田沼に着いた頃には日付が変わっていた。
■5日間の遍路体験は、得難い体験となった。以前訪れた5つの札所と、今回巡った21の札所を合わせて、26箇所回ったことになる。 お遍路をやってみて感じたのは、意外と歩けるんだな、ということで、普段ぜんぜん運動していないような自分でも数km歩くことにためらわなくなった。 遍路グッズというやつがたくさんある。最低限用意したほうがいいと思うのは白衣(びゃくえ)。自分は白装束の上だけ買った。2500円くらいだった。 背に「南無大師編照金剛 同行二人」と書いてある。ださいとか言ってはいけない。これを着てることによって、四国の人ならば、ああお遍路さんか、 とすぐにわかってくれるから、道端等で休んでても怪しまれないし、山の中でばったり人に会ってもすぐにお遍路さんとお互いにわかる。 白の服は車からの視認性も非常に高い。バスに乗っててもお遍路さんはすぐに目に入る。狭いのに車も通るような道やトンネルも時には歩かなくてはならないので、 車から見えやすいというのはとても重要だと感じた。菅笠は正直あってもなくてもいいかなと思う。かぶりなれた帽子でいいのではないか。自分はそうした。 杖は、ないよりもあったほうがいいかもしれぬ。特に山道では威力を発揮するだろう。マムシが出たときに追い払うのに使えそうだし、クモの巣を掃うのにもいい。 数百円から二千円くらいで売っていた。私は山に入るときに、落ちている適度な長さの枝を拾って杖がわりにした。
■何よりも重要なのは靴だ。コンバースのオールスターとかクロックスだとすぐに足の痛みで歩けなくなるだろう。しっかりしたトレッキングシューズやアウトドア系の底の厚いのがいい。 夏の暑い時期でも、山道では虫が寄ってくるから長いズボンのほうがいいと思う。地図もあったほうがいいが、電波の届く場所ならば スマートフォンなどでも代用できるだろう。朱印をもらうなら納経帳も要る。自分はせっかくなので、行った先々の寺で納経して朱印をもらうことにしたが、朱印なんていらねえよ、 寺の写真だけ撮ればいいや、というのでもべつにいいと思う。納経帳に朱印帳をもらうなら、300円払う。掛け軸だと500円なのだそうだ。 金額は全ての札所で一律である。寺ごとに違う印が押され、筆でさらさらと寺の名前などを書いてくれる。墨のにおいというのは、心おちつくものである。 あとは納札があれば一応格好がつくだろう。道端でなにかお接待をいただいたときに、お返しに一枚渡すと喜ばれるし、 札所で般若心経をあげたあとに納札入れに一枚入れれば、写経を納める代わりとなる。100枚とか200枚とか束になってて200円〜500円くらい。 たいてい、札所になってる寺の前などに小さな店があって、お遍路グッズが売ってるから、そこで買える。
■私は最初、八十八箇所巡礼というのは要するに昔の人がやってたスタンプラリーみたいなもんだろう、と思っていた。実際やってみて 途中で考えていたのは、遍路の巡礼というのは、寺を訪れることも大事なんだろうけれど、寺と寺の間を歩くということが本当の意味なんじゃないだろうか、ということである。 歩きながらいろいろ考えるし、山の形や川の流れを見ながら苦しい思いをして、時には見知らぬ人の親切に助けられて感謝する。 そもそも弘法大師様の修行の巡礼だったわけだから、車で寺を回ってもあんまり意味がないのではないかと思うのだ。自分で運転して四国を巡るならまだしも、 観光バスで寺から寺を巡って、朱印帳まで添乗員に預けてまとめて朱印をもらったところで、これこそ単なるスタンプラリーだろう。 だいたい観光バスで回っている者達は高齢者で、男の高齢者は先に死ぬから女が多かった。もうそれだけ生きたら十分だろうにと思うのだが、 仏様の御利益でまだまだ長生きしようという魂胆なのだろうか。鉄道やバスを利用してた自分もえらそうなことは言えないが。
No.1712 2012-10-13
お遍路四日目1

お遍路四日目2

お遍路四日目3

お遍路四日目4

お遍路四日目5
お遍路四日目。

■ホテルを出て宿毛駅前まで。だんだん秋らしくなり、空気が冷たくて気持ちがいい。朝いちばんのバスに乗って県境を越え、高知県から愛媛県に入る。 県境を越えて走る路線バスというのはめずらしいのではないだろうか。山間の道を走り、いくつかのトンネルを抜ける。一本松という集落を通過し、 国道56号線を西へ。愛南町に入り、城辺営業所に立ち寄って運転手が交代。宿毛駅前から40分ほどで平城札所前というバス停に到着し、下車。 ほど近い場所にあるのが愛媛県に入って最初の札所、第40番の観自在寺である。参道の両側には古い家並みが残り、小さな民宿もある。 寺の境内はそんなに大きくはないが、宿坊がある。お遍路をする人が宿泊できる施設で、他にもこういう施設を持つ札所がある。 門前には古めかしい店舗が建ち並ぶ通りがあり、靴屋、お茶屋、和菓子屋などがあって、昔ながらの看板が残っている。そんな通りに一軒、 それほど大きくはないが石造の立派な建物がある。函館にでもありそうな二階建ての洋風建築で「上予銀行」という大理石のプレートがついていた。今は使われてないようだ。
■再びバスに乗車。観光バスのような車両が来たので、これに乗っていいものか一瞬戸惑ったが、問題なかった。四国の西の端の入り組んだ海岸を時折見下ろしながらバスは 走る。国道56号線を北へ向かい、それほど多くない客を乗せ、徐々に宇和島市街地へ近づいてゆく。1時間20分で終点の宇和島駅前に到着し、下車。 確か2006年頃、この駅で降りたことがあった。歩いて商店街を通り、宇和島城を山の下から見上げたことがあった。そのときは暑い夏で、 売店で飴を買ったことだとか、列車の発車時刻が近づくまで改札を通れなかったこととか、ひさしぶりに来て駅前の様子を見て、そのときの細かいことを色々思い出した。 人間の脳というのは意外といろいろ記憶しているものである。闘牛で有名な町なので、牛の像がある。この駅から予土線に乗車。ホームへ行ってみたら、 妙な車両が停まっている。フィギュアで有名な海洋堂とJR四国のコラボレーション企画で「海洋堂ホビートレイン」というらしい。一両だけのロングシートの普通列車だが、 乗ってみると、ショーケースに動物や鳥や恐竜、アニメキャラクタみたいなやつなどの大小たくさんのフィギュアが展示されていた。床や天井、座席のシートが恐竜の柄になっている。 予土線の沿線、高知県高岡郡四万十町に「海洋堂ホビー館四万十」というミュージアムがあるらしい。
■宇和島駅から20分ほどで伊予宮野下駅に到着。小さな無人駅だった。駅のすぐそばには小学校と中学校があり、のどかな畑の中の道を北の方向へ歩く。 駅から1.2kmほどで、第41番札所の龍光寺に着いた。参道の入口には、寺なのに鳥居が立っていて、石段を登ってゆくと正面のいちばん高いところに稲荷神社がある。 あれ?寺に来たのに神社だ、と思っていたら稲荷神社から一段低くなったところの向かって左側に龍光寺の本堂、右側に大師堂があった。 納経所へ行ってみると、初老の夫婦が朱印をもらっていた。「今回は逆打ちしてるんですよ」とか寺の人と話をしていた。一番から順番に回って最後に八十八番まで行くのが通常の回り方で これを「順打ち」、逆に最後の八十八番から回りはじめて一番で終わるのが「逆打ち」というのだそうだ。その二人は納経を済ませた後、駐車場から車に乗って去っていった。 駐車場の奥にある墓地の中の道を進む。こっちが歩き遍路の道だと印があったので行ってみたら、最初はけっこうな登り坂で、それから鬱蒼とした林の中の道になった。 しばらく歩くと林を抜け、小さな畑の脇道になり、そこから愛媛県道31号線に出る。
■北へ向かって歩いてゆく。天気が良く気持ちいい。遠くには山が見え、道のそばにある空き地にはコスモスがたくさん咲いている。高知でもあちこちで道端にコスモスが咲いていた。 歩道のわきの草むらからバッタがよく跳び出てくる。たまにドジなバッタがいて、あわてて跳んでガードレールにこつんとぶつかるやつもいる。龍光寺から3km以上歩いて、次の札所、 第42番の仏木寺に到着。新しくつくり直したように見える真新しい山門をくぐり石段を上がるとまだ青々としたモミジの木が目に入る。釣り鐘の上にかかる小さな屋根は茅葺だった。 ここの寺では若い坊さんが朱印を押してくれた。まだ昼前だったが、買っておいたおにぎりで早めの昼食とした。予定ではこのあと、寺の前にあるバス停からバスに乗って宇和島駅まで戻り、 特急列車に乗って次の札所の最寄駅まで行く予定を考えていたのだけど、41番、42番と思いのほか早く回ることができたのでバスの時間までけっこうあるし、この三日間で、 歩くことに対する意欲というか、興味というか、そういったものが自分の中でとても大きくなっていたので、思い切って歩いて次の札所まで行ってみようと決めた。 次の札所まで11km以上。途中に山越えの歯長峠という難所もある。北に向かって歩くと、左手には松山道という有料道路が見える。
■ため池のある曲がり角からいよいよ峠道の登り坂に入ってゆく。思ったよりも急な勾配で、なかなかしんどい。歩くにしても、あまり足に自信がなければ、 遠回りになったとしてもちゃんと舗装されている道を歩いたっていいと思う。それはそれとして、延々と勾配のきつい山道が続く。仏木寺から歩き続けて一時間ほどだろうか、 休みながらもどうにか峠の頂上に着いた。コンクリートブロックで作った小屋があって、中には不動明王様が奉納されている。四国電力の送電線の鉄塔もある。 今度は下りである。登りよりも体力的には楽だが、足にかかる負担は大きい。ゆっくり下りてゆく。下り切ったところにちょうど屋根のある休憩所があり、 そこでようやく腰を下ろして休んだ。しばらくすると白人の夫婦が同じ休憩所にやってきた。でかいリュックを背負い、体もでかい。お遍路をやっているそうで、 山を越えるのはベリーハードだったと言っていた。私が持っていたカメラを見て、ナイスカメラだ、と言って笑っていた。その後まもなく、学生くらいの男が一人で歩いてきた。 彼は徳島の一番の札所からずっと歩いてここまで来たそうで、すごい。徳島は楽だったが高知はきつかった、と言っていた。リュックにはクリップでコピーした地図を挟んで、 銀色のマットなど、野宿するための道具も持っていた。先にこちらが休憩を切り上げて歩き出した。
■宇和川に沿う県道29号線を西へ。時折脇道に入り、民家の建ち並ぶ場所を歩いたが、外に出ている人をまったくといっていいくらい見なかった。 途中、下宇和駅の近くを通ったとき、予讃線を走る一両だけの普通列車が見えた。松山道の下をトンネルでくぐると、畑の向こうに小高い山が見える。 通りかかった軽トラックのじいさんが道を教えてくれた。歩き続けてきてからの登り坂もなかなかこたえる。観光バスが停まる駐車場を通り過ぎ、 ようやく第43番札所の明石寺に到着。歩き続けて3時間で着いた。当初、バスと列車を使ってここまで来る計画だったが、その計画で考えていたこの札所への到着時間と ほとんど変わらない時間に着くことができた。人間の歩く速度はなかなかバカにできないなと思った。本堂は工事中で外壁には防塵のネットが張られていた。 納経を済ませ、荷物を背負ったところで先ほど休憩所で一緒になった外国人夫婦が寺に着いた。その少し後には同じく全部歩いている若者が到着した。 彼らとそこで別れて、駅へと向かう。
■このあたりは卯之町というところで、寺のある山を下りると古い町並みが残るエリアがあり、案内表示やサインもたくさん設置してある。観光に力を入れているようだ。 歴史民俗資料館もあるし、レンタサイクルもある。高野長英の隠れ家なんてのもある。明石寺から2.5kmほど歩いて予讃線の卯之町駅に到着。 すぐ前に西予市役所のある有人駅で、売店もある。特急停車駅である。ここから松山行きの特急に乗車。車両いっぱいにアンパンマンの絵が描いてある特急だった。 朝一番の出張の人がこれに乗ったらどういう気分になるのだろうとか考えた。四国の特急列車はだいたい、そんなに混んでないように思う。 途中の八幡浜駅でいくらか乗り降りがあったが、それ以外はさほど乗客に変化はなく、1時間ほどの乗車で松山に到着。 松山には去年も来たばかりである。せっかくの松山なので伊予鉄で道後温泉にでも行きたかったが、さすがに気力がなかった。駅のそばのホテルに宿泊。
No.1711 2012-10-12
お遍路三日目1

お遍路三日目2

お遍路三日目3

お遍路三日目4

お遍路三日目5
お遍路三日目。

■朝早い特急列車で高知駅から土讃線を西へ。以前、冬に降り立った、美しい海岸線に面した安和駅を通り過ぎ、市場を見に行ったことのある土佐久礼駅にも停車しながら 1時間強で窪川駅に到着。何年も前、JR乗りつぶしの旅で予土線に乗ったとき、この駅で下車したことがあった。あれは確か真夏で暑い日だった。朝の冷たい空気の中、 駅から歩いて南の方向へ。数分歩き、四万十町役場の近くにある第37番札所の岩本寺へ。朝の参拝は人も少なく、空気がきりっとしていて気分がいい。門前の 住宅街を歩き、大きな交差点の近くのコンビニエンスストア風の店で朝ごはんを買う。古びた店や飲み屋が並んでいる。窪川駅まで戻り、今度は土佐くろしお鉄道に乗車。 一両だけぽつんとホームに停まっている。他にはほとんど乗客がいなかった。ループ線を経由し、山中の路線を南へ向かい、荷稲駅を過ぎると国道56号線沿いに出る。 第37番札所から38番まで、ルートにもよるが、およそ100kmある。もし歩いたとしたら、ふつうの人なら3日から4日かかると言われている。列車の中から、国道を歩くお遍路さんの姿が見える。 彼らはきっとこの100kmの道のりを歩いているのだ。佐賀公園駅からは海がよく見えた。
■約一時間で中村駅に到着し、下車。この沿線では大きな町のようで、JRから直通の特急列車も停車する。駅舎には土佐くろしお鉄道の本社事務所も入っており、 駅前にはバス乗り場が整備されている。四万十川観光のアクセス駅であり、四国最南端の足摺岬行きのバスもこの駅前から出ている。とても印象に残ったのはこの中村駅の駅舎で、 建物自体は国鉄中村線時代の古いもののようだが、内部はとても良いデザインでリノベーションされている。派手過ぎず、使い勝手や機能性を犠牲にしたようなものではないので、 ぱっと見ただけで、おおいいな、と思った。こんなと言ったら失礼だが、ローカルな地域のそれほど大きくもない駅にも関わらず、新しい価値を与えられたこの駅舎は幸せな建物である。 駅は町の入口であり、出口である。第一印象と帰りの印象に大きく影響するのが駅だと思うし、この駅は、訪れる人に対して地元の人が誇ることができるだろう。 地元産のヒノキ材や和紙など天然素材が多く使用されているらしい。白木やガラスが多く使われていて明るい。足摺岬行きのバスに乗るまで時間があったので、少しでも安くバスに乗るために回数券を買った。 路線バスだが、片道1900円で往復3800円かかる。3000円で3300円分の回数券が買えるから、ちょっと得である。
■四国へ行ってみると、香川の人の言葉は岡山弁に似ているし愛媛の人は広島弁、徳島の人は大阪南部泉州弁に似た言葉づかいだとわかる。 いずれも、四国内で山に隔てられた他の地域よりも、海を挟んだ対岸の地域との交流が盛んだったためだろう。で、高知。海を挟んだ対岸がない。ひたすら太平洋である。 他県とは山で隔てられているから独特な文化が育ったというが、言葉はどこかで聞いた感じがする。ふと気づいたが、これは京都弁だ。京都の言葉によく似ていると感じた。 足摺岬行きのバス車内ではちょっとした観光案内が流れるが、その中で、高知の中村あたりには、応仁の乱のときに京都から戦火を逃れてやってきて住みついた人たちが いたらしく、直接、都の文化が伝わったため、中村は「土佐の小京都」と言われている、といったような内容があった。バスは観光客を含めそこそこの乗客を乗せて出発。 少し走ると四万十川にかかる橋の上を走る。小高い山あいを悠々と流れる清流がよく見える。何度か、お遍路が歩いている姿を見かけた。長い道のりを歩いているのであろう彼らの姿は感動的ですらある。
■時折美しい海岸線を走り、小さな集落に立ち寄る。時々トンネルで山を抜ける。乗車してから約一時間が経ち、土佐清水の市街地に入る。 こんな言い方をしたら失礼かもしれないが、こんなところにも町があるんだなと思った。この土佐清水市は鉄道も高速道路も通っておらず、日本の市の中で東京からの移動時間を最も要する場所なのだそうだ。 古くはジョン万次郎を、近年ではさかいゆうというミュージシャンを輩出している土地だ。ちょっとした商業施設の前でこのバスを待っていた人たちが結構な人数いたのだが、 それが全員老人で、一様にこのバスのほうを見る彼らはゾンビのように見えた。過疎化と高齢化は地方に共通している現象なのだろうが、 このような不便な土地ではそれが一層顕著なのだろう。それぞれ手には買い物した袋を持っており、しょうゆやみりん、仏花、食料品が入っているのが見える。 バスは港のそばを通り、狭くうねった道を走る。車がすれ違いできないような幅しかないから、対向車が来たらどうするんだろうかと思っていたが、対向車はまったく来ない。 集落ごとに老人達が一人、また一人と降りてゆく。土佐清水の町まで買い物や病院へ行った帰りなのだろう。老人達はバス停以外の場所で降りようとして運転手に注文する。 その階段のところで降ろして、とかもうちょっといったところで止めて、とか、タクシー感覚である。
■二時間弱の乗車で、バスはようやく足摺岬に到着。もっとにぎやかな観光地なのかなと思っていたが、数軒の民宿や飲食店があるくらいの、わりと静かなところだった。 バス停のすぐそばにあるのが第38番札所の金剛福寺である。観光地のそばにある寺院だからだと思うが、第31番札所の竹林寺と同様にかなり観光を意識している印象を持った。 立派な門のまわりにはソテツなどの南国の樹木が伸び、きれいに整備された境内には大きな池もある。本堂をぐるりと囲むように菩薩像や観音像などの仏像がたくさん置かれている。 あまり参拝者はいなかった。納経を済ませてから足摺岬の展望台へ行ってみた。青々とした太平洋がぐるっと見渡せて気分がいい。かなり切り立った崖になっていて、 見下ろすと風はそれほどないのだけど地形のせいか、崖の下では白い波がごうごうと立っている。水平線が丸く見える。バスで長い道のりを中村駅まで戻る。 やれやれとバスを降り、駅の売店で安い弁当を買って遅い昼食。くろしお鉄道に乗って西へ20分ほど。平田駅に到着し、下車。
■ホームは高架上にあるが、小さな駅舎は地上にある。階段で下に降り、交通量の多い国道56号線に出て西へ歩く。しばらくは左手にくろしお鉄道の高架が見えているが、 そのうち山のトンネルで見えなくなる。ふと前方に、おじいさんと小さな女の子がにこにこして立っている。小さな巾着袋をくれた。これがお接待というやつか、と思った。 なかなかにうれしいものである。なにか頂いたら、お返しに納札を渡すことになっている。ぎこちなく一枚渡す。このあたりの地域の取り組みとして、小学校が歩きお遍路に メッセージカードとポケットティッシュ、飴玉の入った手作りの袋を渡す活動をしているらしい。寺山口というバス停のある交差点を右に曲がって北の方向へ。 畑の中を小高い山があるほうへ歩いてゆくと観光バスからわらわらとお遍路バスツアーの連中が降りてきているのが見えたので、急いで連中を追い越す。 バス5台くらいで来ており、すごい人数だ。団体が道をふさいで地元の人の車が通れず、迷惑だなと思った。駅から3kmほど歩いて第39番札所の延光寺に到着。 納経を済ませた頃に団体がどやどやと境内になだれこんでくる。静かな祈りの場が一瞬にして騒がしい老人会の会場に。
■歩いて駅まで戻る。列車が来るまで時間があったので、駅のそばにあるスーパーマーケットに入ってみた。自分の持っている常識から外れたもので出くわすと、 理解するのにやや時間がかかる。このスーパーがまさにそれで、スーパーなのに安くないのだ。品揃えもそれほどよいとは思えない。すぐ近くにはコンビニエンスストアもあって、 へたするとそっちのほうが安いんじゃないかとさえ思ったが、おそらく地域の貴重な店なのだろう。老人が何人も買い物に来ていた。 西の空は夕焼けで、山には霞がかかっているな、と思ったらそこらの人がゴミを燃やしている煙だった。 駅へ戻ると、ここから8kmほど南の山の中にある三原村行きの村営バスが駅前で待機しており、そのバスの運転手が暇だったのか、話しかけてきた。 けっこう年をとっているようだ。どちらからおいでになったのか、とか、歩いて八十八箇所回っているのか、今晩は泊まるところあるのか、村営バスは赤字だ、 習志野っていったら東京のすぐとなりだな、といったような話をしているうちに列車が来た。手を振って見送ってくれた。車内は中学生、高校生がたくさん乗っている。 10分ほどで終点の宿毛駅に到着。中高生はみなすぐに自転車や親の迎えの車で散っていって、あたりはしんと静かになった。駅から離れるとすぐに暗くなる。 少し歩いたところにあるホテルに到着。
■この日は一日かかって三つの札所を回った。第37番札所から38番まで、歩けば3〜4日、第38番札所から39番までも3日はかかると言われている。 その行程を交通機関を利用して一日で回れるのだから便利ではある。でも乗り物に乗ってると音もにおいもわからないし、道端でお接待をいただくこともない。
No.1710 2012-10-11
お遍路二日目1

お遍路二日目2

お遍路二日目3

お遍路二日目4

お遍路二日目5
お遍路二日目。

■朝早く、南はりまや橋というバス停からバスに乗る。東京や大阪などの大きな都市とくらべて、町の朝はのんびりした空気である。 路面電車もバスもまだ空いているし、町ゆく人の数もまばらだ。バスはどんどん町の中心部から遠ざかる。狭い道を抜け、川沿いの道、 畑のわきの道を抜け、終点の春野役場前で下車。まだ朝のさわやかな空気の中、1km弱歩くと、第34番札所の種間寺に到着。 7時過ぎたくらいの時間だったので、まだ他には参拝者がいなかった。静かな境内はいいものである。帰りは、来たときとちがう場所にあるバス停から乗車。 西分というバス停の場所がわからず右往左往したが、何もない普通の交差点から小学生が路線バスに乗車しているのを見つけたので、同じように乗った。 小学生が3人ばかり10数分先の小学校前まで乗車。徐々に町中に入り、南はりまや橋で下車。高知駅まで歩く。
■駅前から、市内の観光地を結ぶ路線を往復する「MY遊バス」に乗車。南東方向へしばらく走ると五台山という小高い山に入ってゆく。 ぐねぐねとした道の途中、眼下に高知の市街地が見える。植物園や展望台がある山で、そこには第31番札所の竹林寺がある。この寺は、 他の札所とくらべると、やや強く観光を意識している部分が見受けられ、その名の通り、美しい竹林もあるし、 五重の塔も後からつくられたようである。だからといって騒がしい雰囲気ではなく、みな静かに参拝している。 本堂の前の石畳には、まだ小さな猫が二匹、横になってのんびり寝ていた。近づいても逃げず、人懐こい。 観光バスで乗りつけて団体で八十八箇所巡りをしている高齢者の集団が来ており、納経所ではバスの添乗員が全員の納経帳をまとめて持ってきて朱印をもらっている。
■高台にある駐車場の片隅にあるベンチで休憩。さぼりの営業車みたいなのやタクシーが数台あるだけでしーんとしている。トイレはとてもきれいだった。 またMY遊バスに乗る。山を下り、高知市街地を離れ南へ。「池通技術学校前」というバス停で下車。上空を航空機が飛んでゆく。近くに高知空港がある。 一人の老遍路が道路の向かい側を西へと歩いていった。ここから東へ2kmほどいったところに第32番札所の禅師峰寺がある。 住宅街を抜け、寺のある方向へ。地図で見て、寺へと続く道がぐねぐねしてたので予想していたが、けっこうな登りの道だった。 古くから残る遍路道をよいしょよいしょと登る。ようやく登りきり、門を抜けて石段をあがるとパッと景色がひらけ、眼下に町並みと遠くに土佐湾が一望できる。 城と寺の立地は似ているなと思った。帰りも険しい道を下り、住宅街の中を歩く。バス停まで戻り、再びMY遊バスに乗車。
■ビニルハウスの多い畑地を南西方向へ。高知港の入口である浦戸湾を高い橋で越える。この浦戸大橋は、高知港に出入りする船の航行のため、 海面からはかなりの高さになっている。有名な桂浜がバスの終点になっていて、ここで下車。有名観光地だけあって、人が多く来ている。 かなり厳重にゲートで自動車の出入りを管理していて、建物や塀で海岸線をしっかり隠しているので、ぶらっと立ち寄っても桂浜は見えない。 足早に桂浜を離れ、狭い道を歩く。漁協の建物や地区の集会所などが見える。見上げるとさっき通ってきた浦戸大橋が頭上に見える。 橋の真下には普通の住宅もあり、橋ができたとき、このあたりの住民はどう思ったのだろうかと考える。大きな道に出てからはしばらく北西に向かって歩く。 何匹か、家の庭先に猫を見かけた。ちょうど暑い時間帯になり、汗をかく。桂浜から4kmほど延々と歩く。途中、長曽我部元親の墓というのがあった。 このあたり、長浜という集落一帯は長曽我部元親の城下町としてひらけたところらしい。川沿いの道のすぐそばにあるのが第33番札所の雪蹊寺である。 寺の境内では地元でとれた果物や野菜を売る店が出ていた。
■参拝を済ませ、近くの長浜出張所前というバス停からバスに乗って南はりまや橋まで戻る。高知駅まで歩いて、JR土讃線から直接、土佐くろしお鉄道に乗り入れる列車に乗車。 30分ほど乗車し、のいちという駅で下車。駅前の商店街を抜け、駅前のマルナカというスーパーマーケットに立ち寄ってから北の方向へ2.5km歩く。 途中、遍路二人組みを追い越す。彼らはゆっくり、休憩しながら歩いていた。このあたりは元々、野市町という地名だったようだが、いまは香南市というらしい。 道沿いには市役所や四国自動車博物館などがあった。一日も終盤になり、足もけっこう疲れていたがどうにか第28番札所の大日寺に到着。 20人くらいの団体がみんなで般若心経を唱えていて迫力があった。大きな道から昔からの遍路道に入ると、人の家の軒先とか畑の中の道を歩くことになる。 栗が落ちている。駅まで戻り、次の列車までかなり時間があったので駅の椅子に座ってぼんやりと待つ。駅の中を風が通って気持ちがいい。 通学の中学生や高校生くらいの子供達が行き交う。
■列車に乗り、高知まで戻る。夕方になってまた雨が降り出した。駅の近くのドラッグストアで飲み物などを購入。レジの男がオカマみたいだった。 高知駅は、県庁所在地の駅にもかかわらず、駅前にホームセンターとドラッグストアがある。ホテルへ戻る。この日は朝から一日かけて5つの札所を回ることができた。 交通機関を使って5つ回れたが、歩きだけでも一日かければ4つくらいは回れたのではないかと思う。四国だと、中心市街地以外では公共交通機関の待ち時間がけっこうあって、 無駄が多いように思う。
No.1709 2012-10-10
朝の瀬戸内海
朝の瀬戸内海。

お遍路一日目1

お遍路一日目2

お遍路一日目3

お遍路一日目4
お遍路一日目。

■前夜、東京駅発の夜行列車サンライズ瀬戸に乗る。寝台料金のかからないノビノビ座席は客が多かったが、個室は空いていたように見えた。 東京駅の総武線快速地下ホームから東海道線等のホームのあるフロアへ向かう階段のところではここ数年ずっと工事をしていたが、ようやく終わったようだ。 列車は定刻通りに発車。早々と横になって寝た。幸い周囲の者達も静かでよかった。早朝、岡山に着く前だったと思うが、誰かが非常ボタンを押したようで、 急停車した。3分後くらいに発車。岡山から瀬戸大橋を経由して四国入り。天気が良く、瀬戸内海が朝陽に照らされて金色に光っている。瀬戸内海はいつも穏やかで美しい。 坂出駅で下車。平日なので、通勤、通学の者達が多い。この駅で降りるのは初めてで、時間が少しあったので改札の外に出てみた。 坂出駅は高架の駅で、都会的な雰囲気だ。人通りが多く、なかなか活気がある。JR四国が展開している焼きたてパンの店でパンを買って朝食にした。坂出から高知行きの特急しまんと3号に乗車。 短い三両編成だが、空いている。
■四国訪問はこれで何度目だろうか。JR乗りつぶしや観光で数度訪れているが、そのたびに見かけていたのが、白衣(びゃくえ)に菅笠、金剛杖のお遍路さんである。 ずっと気になっていたのだった。自分なりにいろいろ、四国八十八箇所巡礼について調べてみたし、過去に、観光等のついでに八十八箇所霊場のうちのいくつかの寺院を訪れたこともあった。 それで知ったのは、「四国八十八箇所霊場と遍路道」の世界遺産登録を目指している動きがあるということである。そんなのが世界遺産になるのか、と思うむきもあるかもしれないが、 既に、フランスからスペインへと続くサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼路や、日本でも熊野古道といった登録例がある。個人的には、この遍路道の世界遺産登録というのは、 かなり現実味のある話ではないかと感じている。
日本国内、それなりにいろいろな場所に行ってみて感じたことだが、有名観光地でも観光客の数には結構な差があり、それはもちろん立地や以前からの知名度、季節によっても大きく変動するのだろうが、 顕著な差として現れるのは、その観光地が世界遺産になっているか否か、という部分ではないかということである。特に外国人観光客の数がまったく違う。
■世界遺産に登録されることは、長い目で見れば悪いことではないのかもしれないが、いろいろ問題も出る。既に、ゴミの投棄やマナーを守らない野宿、 遍路を騙った詐欺行為さえ発生しているという。もし今後、世界遺産に登録されて、人が増えればそれだけトラブルも多くなるだろう。それはそれとして単純に、 人が増える前に体験してみたいという思いがあり、今回、ほんの数日だがお遍路に挑戦してみることにした。とりあえず効率重視で、奥から攻めていこう、 一つでも多くの札所(八十八箇所の寺のこと)を回ろう、というコンセプトで計画を立てた。のちに、それはちょっとちがうんじゃないか、と思うようになるが、 とりあえずせっかく四国まで行くんだから、という貧乏根性丸出しの考え方があったので、四国の一番奥である高知県内を中心に、鉄道や路線バスを駆使するプランにした。
■坂出から乗った特急は吉野川上流に沿って四国山地を越える土讃線を走り、高知まで向かう。坂出から二時間程の乗車で、途中の後免という駅で下車。 土佐くろしお鉄道との接続駅である。思いのほか日差しが強く暑い。駅前のスーパーの前にあるバス停から数分バスに乗り、八十八箇所霊場第29番札所の国分寺へ。 寺の境内では、法人会という人たちがお接待で冷たいお茶や食べ物などを提供していた。「お接待」というのは遍路をしている人に地元の人たちが食べ物や賽銭を差し出すことで、 昔から四国にはそういった文化があったのだそうだ。この行為は「施し」でもあり、「自分の代わりにお参りしてほしい」という賽銭の寄託という意味もあるのだという。 いまもなお、弘法大師がお遍路の姿をして四国中を歩いている、という信仰があり、お接待とはそれに基づいた無償の奉仕である。中にはお接待として、宿泊施設を提供する者さえもいる。 で、法人会のおばちゃん達からはお茶や酒に漬けた梅、饅頭、菓子などをいただいた。明るくパワーのあるおばちゃん達であった。
■バスで後免駅へ戻る。車内から、歩いているお遍路さん達の姿が見える。若い人もいるし、高齢の者もいる。黙々と歩く姿には、ある種の覚悟というか、気高ささえ感じる。 西へ三駅行ったところにある土佐一宮駅で下車。まっすぐ北へ1.5kmほど歩いて第30番札所の善楽寺へ。駅名にもなっている土佐国一宮である土佐神社のすぐ隣にある。 単に1.5kmくらい歩くだけなら散歩みたいなものだが、重い荷物を背負っているとなかなか大変である。参拝に来ている者はあまりいなかった。近くのバス停からバスに乗る。 途中、高知市の中心部を通り、南西方向にある土佐市へ入る。中島というバス停で降り、1kmほど離れた場所にある東芝というバス停から高岡営業所までまたバスで移動。 大きな道路沿いには商業施設がいくつかあり、車の交通量も多い。高岡営業所からは3kmほど北の方向へ歩く。のどかな田園風景の中に見える大きな建物は高知リハビリ学院という施設だった。 徐々に登り坂になり、町を見下ろすような高さの場所までどんどん登ってゆく。あと700m、あと500m、といった表示が書いてあるが、なかなかその数字が減らない。 ようやくたどり着いたのが第35番札所の清滝寺で、なんでこんな大変な場所に建てたんだ、と思うが、境内からは土佐市が一望でき、少し霞んではいるがいい景色だ。 人懐こい猫が一匹近寄ってきたので背中やおでこをなでてやったら、しばらくそばについてきた。
■山門から石段を降り、高岡営業所の方向へ歩く。ちょうど小学生の下校時間だったようで、何人かの子供達を見かけたが、少年5人ほどがついてきて、どこから来たのか、 とか、次にどこに行くのか、とか夜はどこに泊まるのか、とか聞いてきた。マルナカというスーパーマーケットで飲み物を買い、高岡高校通というバス停からバスに乗車。 雨が降ってきた。南へしばらく行くと海辺の道に出る。あいにくの天気だが、晴れていればいい景色だろうと思われる海岸だ。宇佐大橋を渡り「竜」というバス停で下車。 既に時刻は夕方4時30分。雨の中、急いで第36番札所の青龍寺へ向かう。というのは、お遍路の基本的なスタイルとされているのは、 本堂、大師堂で般若心経をあげ、納札を奉納した後に納経所で朱印をいただく、という一連の参詣の仕方だが、その納経所が夕方5時で閉まってしまうからである。 別に朱印をもらわなくてもいいやという人ももちろんいるし、そのあたりは自由だが、自分としてはせっかくなので朱印をもらいたい。地図で見るとバス停からは1kmほどの距離。 雨は待っても止みそうにないので、リュックに雨対策を施し、歩き始める。お堂らしき建物が見えてきたので一安心していたら、そこからさらに高い石段を上ったところに本堂があった。 勢い良く上り、そしてまた下ってきてなんとか5時になる前に納経所に着いた。
■高知市内行きのバスに乗るため、今度は3kmばかり歩く。宇佐大橋を渡る。見下ろすと海面までかなりの高さだ。すっかり暗くなり、海辺の道でバスを待つ。雨は小降りになり、 ただ波の音だけが聞こえる。夜の海はなんだかおそろしい。高知市内へと向かうバスから外を見る。建物はけっこうあるが、その多くは、明かりがついていない。 はりまや橋の近くで下車。ホテルに到着。初日からなかなかハードだったが、4つの札所を回ることができた。効率が良かったかと言われると、無駄も多かったような気がする。
No.1708 2012-10-07
葛飾八幡宮
葛飾八幡宮。

江戸川から

江戸川から
江戸川からの風景。

■昼近くから電車で本八幡まで。少し雨が降っていた。駅から歩いて京成線の駅のそばにある大黒家という店で昼食にカツ丼を食べた。 昔ながらの和食の店で、老人が数人、食事をしていた。この店は永井荷風がいつもカツ丼を食べに来ていたそうだ。しつこくなくておいしかった。
■すぐ近くには葛飾八幡宮がある。参道にはイチョウの木が並ぶ。町中にある窮屈な感じのする境内だが、お宮参りの家族連れが多く来ている。 一角には巨大なイチョウの木があり、これは推定樹齢1200年にもなるという千本公孫樹(千本イチョウ)として国の天然記念物に指定されている。 本当に太い。「ご神木」という言葉がぴったりくるたたずまいだ。近くには絵馬がたくさんかけられている。いろいろな願い事をしているが、 そんなことお願いしても神様困るんじゃないか、というわけのわからない願いや自分勝手な祈願、ストーカーみたいな文章が書いてあるのもある。
■雨は小降りになった。線路沿いから国道14号に出て、しばらく歩く。かつての千葉街道なので、道沿いにはたまに古い家が残っている。 北西方向に3kmほどゆくと江戸川にかかる市川橋に着いた。橋のわきから河川敷きに下りた。以前ここのサイクリングロードを走ったことがある。 釣り竿をたくさんセットしてる釣り人が何人かいて、そのうちの一人はけっこう大きな魚を釣り上げていた。なんという魚かはわからなかったが、 銀色で大きかった。市川の駅方面へ。数年ぶりに市川駅前を歩いたら、すっかり様変わりしていた。きれいに整備され、大きなマンションが建っている。 駅前では何かの祭りなのか、子供神輿みたいのが練り歩いていた。
No.1707 2012-10-02
茜浜

茜浜
茜浜。

■久しぶりに午前中、自転車で茜浜へ。ちょっと調べてみたら、6月下旬以来である。時の経つのは早い。ようやく外出しても暑さがあまり気にならない季節になってきたのでありがたい。 猫達は一匹も見かけなかった。帰りは新習志野駅前の商業施設で少し買い物をした。
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