トップ | メール | BBS
No.1379 2009-3-29
霊園にて
霊園にて。

■馬込にある船橋市の霊園へ墓参り。晴れると少しあたたかい。帰り、津田沼駅北口の十字路の近くにある台湾料理の店で昼食。おいしかった。
■夕方、県知事選挙の投票に行った。5人候補者がいて、いろいろ調べて、しかたないから消去法で選ぼうと思ったら、全部消去しなきゃいけなくなるので困る。
No.1378 2009-3-28
桜
まだつぼみだった。

洋食屋コモ
洋食屋コモの店内。

■午前中、自転車で幕張方面。少し寒さが戻ってきてる感じ。安藤忠雄設計の公園の桜を見に行ってみた。 そろそろ咲いてるかと思ったらまだだった。ちょっとだけ咲き始めてる木もあったが、見頃は今度の週末あたりだろうか。 秋津公園のサッカー場の前の桜はもう咲いていた。きれいだった。
■まろにえ通りを通って帰宅する途中、いつも混んでいて入ったことのなかった洋食屋コモの前を通りかかったとき、ちょうど開店時間だったので入ってみた。 最初の客だったみたいで、他にはまだ誰もいなかった。食べているうちにどんどん客が入ってきていっぱいになった。 とてもおいしかった。
■午後から電車で千葉へ。駅前〜パルコあたりでいくつか店を見て歩いた。どこの店の中も、暖房が強くて暑い。 いくつか買い物。いい店にいくといいものが置いてある。身につけるものなど、魅力的なものがけっこうあって少し興奮した。
No.1377 2009-3-21
茜浜の猫
茜浜の猫。

幕張メッセのイベントホール前にて
幕張メッセのイベントホール前にて。

■連休の真ん中の日、靖国神社の桜が咲いたというのをニュースで聞いた。自転車でコストコ、幕張メッセ経由、 検見川の浜、マリンスタジアム前を通って茜浜。習志野海浜霊園の前を通ると、線香のにおい。春の彼岸ということで、墓参りの者が多く来ていた。
No.1376 2009-3-15
茜浜

■自転車で茜浜。ずいぶん春めいてきた。巨大な船がゆっくり、入港してきた。
No.1375 2009-3-14
■Jリーグ一部の第2節、日立台での柏対千葉の試合は1−1の引き分け。後半、坂本の得点で追いついた。 今年はまだ生での観戦をしてないが、そのうち行く。いつのまにかJリーグは、4バックのクラブが多くなった。3バックやってるのはJ1では広島、大分くらいだろうか。
■そういえば、3月31日から、上野の東京国立博物館で「阿修羅展」があるそうだ。奈良の興福寺の国宝の八部衆像と十大弟子像などなどが勢ぞろいするそうだ。 興福寺の創建1300年を記念した展覧会ということで、6月7日まで。たぶん、これだけの国宝の仏像がはるばる東京まで来ることは、この先まず無いのではないか。 自分は先日奈良に行ったとき、これらをじっくり見ることができたからこの展覧会には行かないが、たぶん、大勢の客で賑わうことだろう。 東京は人が多すぎて、なにかをゆっくりじっくり見ることができないからつらい。
No.1374 2009-3-13
寝台特急富士
寝台特急富士。岡山駅にて。(2006年7月撮影)

寝台特急はやぶさの車窓
寝台特急はやぶさの車窓。夜明けの瀬戸内海。(2008年11月撮影)

■東京駅からブルートレインが姿を消した。
■大分行きの「富士」と熊本行きの「はやぶさ」が、この日の夜出発の列車を最後に廃止となった。
東京駅などは、最後の列車を見送ろうとする人間でごった返していたようだった。
これで、東京駅の10番ホームの案内表示からは「大分・熊本方面」の文字が無くなったのだろう。
去年の11月、最後に乗ることができてよかった。
次の世代の人間に残してあげたかったと、ちょっとだけ思う。
どんなにがんばっても、これからは、夜汽車に揺られて起きたら九州、という体験はできなくなってしまった。
No.1373 2009-3-08
入舟漁港のイカ釣り船
入舟漁港のイカ釣り船

函館どっくのゴライアスクレーン1
函館どっくのゴライアスクレーン1

函館どっくのゴライアスクレーン2
函館どっくのゴライアスクレーン2

弥生小学校1
弥生小学校1

弥生小学校2
弥生小学校2

弥生小学校3
弥生小学校3

幸坂
幸坂

■ゆっくり起きて午前中は、親に頼まれて熱帯魚の水槽を移動したり、縁側を片付けたり、トイレのドアノブを修理したりなど、家のことをいくつか。 午後からJRと市電を乗り継いで函館山方面へ。市電の終点の「函館どっく前」まで行ってみた。市電には結構観光客も乗っている。1日乗車券みたいなのを使っているようだった。 今回は、函館山の麓のエリアの中でも、観光地となっている教会群や洋風建築の集まっている地区から少し離れた場所を歩いてみることにした。 市電を降りて、歩いてまっすぐ海のほうへ。前日よりは風もなく、日も差していていくらかあたたかい。入舟漁港には、イカ釣りの船がたくさん停泊していた。 港越しに函館山の西の端が見える。漁港の防波堤の向こうは函館湾で、遠くに上磯方面の山並みが見える。防波堤に上がると風が強い。湾内は波が立っている。漁港の中は穏やかで、 水面がきらきら光っていた。漁船の名前をひとつずつ読んでみた。豊進丸、一丸、喜望丸、満福丸、歌丸、北越丸、白姫丸、光洋丸、昭福丸、などなど。 なんだかめでたい感じの名前である。ひとつだけ、笑点の人がまざっている気がするが、ほんとうにそういう名前が船に書いてあったからしかたない。
■それにしても「函館どっく前」である。函館どっくの前にあるからそういう名前の停留所になっている。じゃあ「函館どっく」というのはいったい何なんだ、 と思うむきもあるかと思うが、簡単に言えば造船会社である。函館湾の中に赤と白のでかい門みたいのが二つ建っている。「ゴライアスクレーン」というのだそうだ。 函館駅のあたりからも見えるので、観光で来たことのある人のなかには見た覚えのある者もいるかもしれぬ。かつて主要産業として函館を支えた造船業の象徴である。 子供のころの遊び場所だった七重浜や北埠頭、有川埠頭からいつもよく見えていた。自分のなかで、函館の風景というと、夜景や洋館よりもこの、函館港に浮かぶゴライアスクレーンが真っ先に頭に浮かぶ。
■撤去という話があるらしい。
■腐食が進み、金属片などの落下が相次いでいて、耐久性がなく、大規模地震などの発生があれば極めて危険、ということらしい。 具体的な撤去の話は2007年頃からストップしているのだけど、多額の補修費用と将来にわたる経費負担がネックで、保存や修復して活用するということにはならない流れだという。 なので、一度、近くまで行って見てみたいと思った。行ってみてわかったが、造船会社の敷地は高い塀でしっかり囲われていて、一般の者は中に入れないのだった。 なるべく近くで見ることができる場所を探して港の周辺を歩いた。弁天町の西埠頭あたりの岸壁に出ると、500mほど先に、赤と白のゴライアスクレーンが見える。でかい。 こんなに大きかったのかと驚く。いままででいちばん、近づくことができた。思いのほか色あせていた。もっと赤が鮮やかだと思っていた。
■海から山のほうへ目を移すと、函館山から海の方向にある市電の通りに向かって、西から東まで18本の坂道がある。 八幡坂や基坂、大三坂などの、いわゆる「坂の町」と呼ばれるイメージの元町界隈の坂道はわりと観光客も歩いているので華やかな雰囲気があるが、今回はそれらの坂ではなく、西側の。どちらかというと地味な坂道を歩いてみた。 魚見坂、船見坂、千歳坂、幸坂、姿見坂、常盤坂、弥生坂あたりである。それぞれ、坂の名前と由来が書いてある柱状の案内表示が立っている。 常盤坂のずーっと登ったところで、自分は生まれて育った。赤ん坊のうちに市内の他の町に引っ越したので、そのあたりに住んでいたころの記憶はないが、 大人になってから行って見ると、なかなかいい土地である。あと、坂は、見下ろす景色がいいと思っていたが、見上げてみる景色もなかなかいいと気づいた。 市電の函館どっく前から大町の停留所のあたりを歩くと、石造や煉瓦造、木造下見板張りの住宅や事務所、倉庫、工場があちこちにあって、普通に今でも人が住んだり使ったりしている。 とくに「函館式擬洋風民家」と言われる、明治から昭和のはじめに多く建てられた、2階が洋風下見板張りで1階が和風の家がけっこう残っていて、独特の町並みを作っている。 姿見坂を下りきって電車通りを越えて少し海側に行った場所には重要文化財の「太刀川家住宅店舗」がある。煉瓦造りの壁体を漆喰で塗り込め、大きなうだつがあり、防火に対する意識が高い建物である。 内部は公開していないが、明治期の、大げさな意匠の外観だけでも見る価値があると思う。明治34年の建物。 同じ通りの並びには大正初期の木造三階建ての「旧堤商会」の建物もある。どちらかというとかわいらしい感じの建物。
■弥生坂を途中まで登ったところに弥生小学校がある。今から70年前の昭和13年の鉄筋コンクリートの建物である。函館市の景観形成指定建造物にも選定されている。 函館には、昭和初期のコンクリートの建物が多く残っている。当時の最新技術だった鉄筋コンクリート造の工法を積極的に取り入れたのは、 函館で幾度も起こった大火の教訓からである。子供を守り、地域の住民が避難できるよう、当時の函館市建築課が、百年先を見て強固な建物を造った。 函館西部地区の中で、華やかさはないが、建築当時の技術水準の歴史的資料として、また、当時の函館の人々の願いが込められている、大切で貴重な建物である。
■そんな建物が、解体されようとしていることを知った。近くの西小学校と合併し、現在の校舎を解体した跡にレプリカみたいなのを建てる計画だという。 耐震診断の結果、建物の老朽化で、耐震性が不足しているのだそうだ。それで、安全のためにも、解体します、と函館市教育委員会が結論を出した。
■それが、嘘だった。
■詳しくは書かないが、耐震診断の結果が虚偽のものであると発覚したのである。なんじゃそれは。 別に、絶対に解体反対、というわけではないんである。そのやりかたが気に入らないのだ。 本当に解体の必要があるのなら、それは仕方ないこと。それが、「歴史ある町」を売り物にし、観光都市を宣言している函館で、 それを次の世代に伝えていかなければならない立場にある市の教育委員会が、耐震データを偽造してまで歴史ある校舎を解体したいのはなぜなのか。 で、いろいろ調べてわかったのは、簡単に言うと、市としてはある特定の業者に解体・レプリカ建物建造という仕事を与えたい、ということのようである。 よくある話である。しかも、解体することをひた隠しにしてきて、最近ようやく明らかにした。
■よその町が、欲しくても手に入れられないような歴史があり、文化の蓄積がある(京都や奈良の人に笑われるかもしれないが)。 それを残して活かしていくのが行政、つまり函館市の役目のはずなのに、いったいなにをやっているのかと、情けなくなる。 目先のことしか考えられない。先人は百年先を見据えて弥生小学校を造った。今の役人達は一年先さえも見えていない。センスもない。プライドもない。 こんなことをやってるから、観光客が年々減っていくんである(台湾や韓国、中国からの観光客は増えているが、国内からの観光客は減少している)。 一度失ったものは二度と元に戻すことはできない。建物が持っている記憶は、レプリカには宿らない。
■そんなことを考えながら、小学校の周りをぐるっと一周してみた。武骨だが優しいデザイン。 傾斜地であることを逆に活かして坂道からそれぞれの階にアプローチできるようにした設計は、いまでいうバリアフリーの思想に近いものに見える。 坂を見下ろすと、函館港と市街地、その向こうに横津岳方面の山並みが見える。
■大町の停留所から市電に乗り、一度実家へ。風呂に入って早めの夕食をとり、再び函館駅へ。駅前からバスで函館空港。 函館の町は、暗く感じた。街灯が少ないのかもしれぬ。人も歩いてないし、空きテナントがやたら目立つ。 ラウンジでは小さいノートPCを使う人が何人かいた。羽田空港には定刻より少し遅れて到着。リムジンバスで津田沼へ。 津田沼は函館とくらべてすごく明るかった。
No.1372 2009-3-07
■羽田から朝の便で函館へ。北日本は荒れ模様の天気。横風規制で函館空港に着陸できない場合は羽田に引き返すか新千歳に向かうという条件付きでのフライトとなった。 新千歳まで行くのもおもしろいかなとかのんきなことを考えていたが、けっきょく、青森の大間の上空をぐるぐる20分くらい旋回して待機した後、着陸許可が出た。 定刻より30分か40分遅れて函館空港に着陸。冬は北日本で荒れた天気になると、飛行機が飛べなくなったりするので、北海道新幹線も意味があるのかもしれぬ。 空港からはバスで函館駅、JRで一駅、五稜郭駅へ到着。朝、早く起きたせいか、腹が減っていたので、初めて五稜郭駅でそばを食べた。 古い記憶をたどると、自分が小学生になる前から、駅のなかの今と同じ場所にそば屋があった。いつもおいしそうなにおいがしていたが、 函館に来るといつも実家で盛大に食事するので、函館で外食する機会が少なく、ここのそばも食べたことがなかった。350円でイカ天そば。 あったかくておいしかった。店のおばちゃんも感じがいい。
■函館で、ラッキーピエロのハンバーガーも食べたいしハセガワストアの焼きとり弁当も食べたいのだけど、なかなか食べる機会がない。 函館の塩ラーメンも食べたい。観光客にはおすすめしない。ただの素朴な透明スープのラーメンで、黄色い太めの麺で、のってるのはメンマと麩とカマボコくらいで、 凝った具も入ってないし、どうってことない。それがいい。函館に帰るとあのシンプルなラーメンがときどき食べたくなる。
■それはそれとして、五稜郭駅からは歩いて実家。海から吹いてくる風が強くて寒い。正月に来たときよりはずいぶん雪も溶けていた。
■そういえば機内のプログラムで聞いた木村カエラの曲がよかった。ぜんぜん知らなかったが、声がよく、歌がうまいんでおどろいた。モデルが歌をうたうことをばかにしていたが、 なかにはうまい人もいるのだと思った。「だれ」だったか「どこ」だか「いつ」だか、なんかそういった曲名だったと思う。
■午後から武田の一族が実家に集まり、祖母の七回忌法要。人が大勢いると疲れる。夕方、集まった人間達でカラオケ。カラオケなんてかなりひさしぶりに行った。 時間が経つのが遅く感じられた。夜は友人と近くの焼き鳥屋へ。夜も風が強くて寒かった。
このページのトップへ

「津田沼ノート」は武田がやっています。

TsudanumaNote

津田沼ノート

BACKNUMBER

2002 ////////////

2003 ////////////

2004 ////////////

2005 ////////////

2006 ////////////

2007 ////////////

2008 ////////////

2009 //

"■"RINGS

PAPERS

ここではありません

多聞日記

Barricade

下北沢スタジアム

Matatabi Online

ここであいましょう

あわわアワー

ボクデス on the WEB

web-conte.com

LINKS

鹿サポさま別館

dots!

ko-trip

inserted by FC2 system