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No.1830 2013-12-31
白峯寺への道からの風景
81番、白峯寺への道からの風景。

根香寺への道
82番、根香寺への道。

一宮寺への道からの風景
83番、一宮寺への道からの風景。

琴電琴平行き
琴電琴平行き。

屋島寺
84番、屋島寺。

■一年の終わりの日だった。三泊した徳島駅前のホテルをチェックアウトして、予讃線の列車で国分駅へ。 4月に四国に来たときはこの駅からほど近いところにある80番の国分寺まで巡拝していたので、その続きである。 せっかくなので国分寺に少し立ち寄る。境内の様子は記憶に新しい。残りは八寺。ようやくここまで来たか、という思いと、 もうすぐ終わってしまうんだ、という思いが半々。歩き出すと、これから向かう北の方角には小高い山が そびえているのが見える。あそこに登るんだろうなあと思いながら歩き続け、住宅街が途切れるといよいよ山道が始まる。 朝靄の中を一歩一歩登ってゆく。まだ朝なので体力的には余裕がある。振り返って見下ろすと、 こんもりとした小さな山に囲まれた町と田と畑とため池が見える。
■山道を登りきると舗装された道路に出る。この道は香川県道180号線で、この道を自衛隊の演習場に沿って西へとしばらく歩く。 途中で一度変な道に迷い込んで演習場の敷地に入ってしまって、途中でおかしいなと思ってあわてて引き返す。 演習場のフェンスと竹林の間の細い道を進み、ぬかるんだ山道を抜けると81番札所の白峯寺に到着。「白峯」という名前が美しい。元日を翌日に控え、 初詣の準備が進んでいて、門前には門松や日の丸が、境内には出店のテントが並ぶ。まだ朝の早い時間だったが参拝客がちらほら来ており、サイクリングのグループに挨拶された。 保元の乱で破れ讃岐へ流された崇徳上皇にゆかりの深い寺なのだそうで、山内には崇徳天皇陵がある。本堂へと上がる階段の両脇には、干支にちなんだ仏様のお堂がある。 納経を済ませ、朱印を頂戴する。納経帳のページも残り少ない。
■次の札所へは山の稜線に沿って北東の方向へ。木々の間の細道を歩き、時折景色がひらける場所で休みつつ先へ先へと進む。 この日も朝から天気がよく、冬のきれいな青空がすがすがしい。5〜6kmほどの道のりで82番の根香寺に到着。 距離自体はそれほどでもなかったが、アップダウンの多いルートで、朝から足にずっしりときた。大きな門から境内に入ると、いったん階段を下って もう一度石段を登る。寺についてからのこういう登り下りも、あとから地味に効いてくる。それはそれとして、こちらは参拝客がまだほとんどおらず、 明るく静かな境内はとても落ち着く。不思議な寺の名前だが、観音像を作るのに使った霊木の切り株から芳香を放ち続けたことから「根香寺(ねごろじ)」という 名前が付けられたそうだ。その観音像というのがこの寺の本尊の千手観音である。お参りを済ませ、門を出る。近くにはオレンジパークという観光農園があるらしく、 看板が立っている。いつの間にかずいぶん標高の高い場所まで上がって来ていたようで、遠く瀬戸内海に浮かぶ島も見える。数年前に船で訪れた男木島も見える。
■南東方向へと山を降りてゆく。下り坂が続くと足の先に荷重がかかり続けるせいか、つま先が痛くなってくる。自分の体の重さと背負ってる荷物の重さが 全部かかってくるのだから、そうなっても仕方ない。厚手の靴下は履いてはいるが、やはり痛い。時々道端のガードレールなどに腰を下ろして、足を休ませる。 徐々に民家の数も増え、住宅街の中へと入ってくる。根香寺から5kmほど歩いてきて大きな通りに出た。車がけっこう走っている。JR予讃線の鬼無駅の近くまでたどりついたあたりで 家内からメールが来ていたことに気づき、大瀧詠一さんが亡くなったことを知る。ここから高松、高松築港まで出て、瓦町経由で一宮まで。 高松市内ではあるが、高い建物は無くのどかな景色が広がる。朝の早いうちに二つの札所を参拝したが、もう既に午後になっていた。 根香寺から12kmほどの場所にある83番札所の一宮寺に到着。広い境内では地べたで鳩がのんびりと右へ行ったり左へ行ったりしている。 讃岐国一宮である田村神社と一体だったので「一宮寺」という名前となったとのことである。
■高松市の中心部から北東の方向にある、瀬戸内海に突き出たテーブル状の火山台地である屋島へ。源平合戦の舞台にもなっている屋島である。 琴電の潟元駅の近くの、坂道沿いの住宅街を抜け、さらに急勾配の道を上がってゆく。整備された遊歩道となり、ジグザグに台地の端を登っていく。 日が既にかなり傾いてきた時間帯で、近所に住んでいると思われる人たちが散歩がてらという感じで遊歩道を歩いているが、 けっこうきつい坂をひょいひょいと登ってゆく。自分のように大きな荷物こそ持っていないが、かなりの勾配が長く続く道なのに平気な顔で私を追い越して歩いてゆく。みな健脚だなと驚いていると、 登り切ったところに掲示板があって、そこに近所の人たちのランキングの紙が貼ってあって、この坂道の遊歩道を登り降りした回数の番付みたいな表が書かれていた。 通算回数が、多い人だと5桁とかあった。やっとのことで84番札所の屋島寺の門まで辿り着いた。門から本堂まで一直線の参道が通っており、 境内は建物が整然とした配置になっている。本堂は重要文化財に指定されている堂々とした佇まいだった。本堂のわきにはユーモラスな狸の大きな像がふたつあった。 納経を済ませ、ベンチで座って休んでいると、ばあさん達に「歩いて回ってるんか」と声をかけられた。
■年内最後のこの日は4つの札所を巡拝し、残すところあと4寺となった。高松市内の中心部、瓦町駅の近くに宿泊。年の瀬の商店街は店じまいが早く、 夕食をとる店を探すのに少し苦労した。大晦日だとか気にするほど体力的に余裕がなく、早い時間に眠った。
No.1829 2013-12-30
恩山寺
18番、恩山寺。

立江寺
19番、立江寺。

「これにさわらん」
「これにさわらん」

鶴林寺への道

鶴林寺への道
鶴林寺への道。

鶴林寺
20番、鶴林寺。

太龍寺への道

太龍寺への道
太龍寺への道。

太龍寺
21番、太龍寺。

■徳島駅から夜明け前の列車に乗車。この日は南小松島駅からスタート。途中、道を若干間違えたが、どうにか元の道に復帰できた。 ローソンであたたかいコーヒーを一杯買って飲んだ。寒いので体があたたまる。徐々に空が明るくなってくる。交通量の多い国道55号線の 徳島南バイパスという道を南東方向へ歩く。通り沿いには全国展開しているチェーン系の飲食店などが多く見られる。 小さな川を渡ってからわき道に入り、さらに南へ。静かな住宅街の中をしばらく歩き、さらに分かれ道を南西方向へ曲がると徐々に上り坂になる。 南小松島駅からおよそ3kmの道のりで、この日最初の札所、十八番の恩山寺に到着。落ち葉の掃除などをしている人がいたが、参拝客はまだ誰もおらず、 おそらくこの日の一番乗りだったのではないかと思う。小高い山の麓にあるこの寺の境内はそれほど広くはなく建物も小ぶりだが、 朝のきりっとした空気と、人の気配のない落ち着いた境内の雰囲気はとても居心地がよかった。
■次の札所へ向かって歩き出すとすぐ、牛舎の間の細い小路を通る。錆びたトタン壁の間から黒い牛が顔を見せていた。 その小路の入口には「注意 この道路通行に付き近所の皆様のご協力をして頂いています。伝染病予防の為、絶対牛舎の方に近寄らないで下さい 小松島市」 という看板が立てられていた。小松島市内は、歩き遍路に対するインフォメーションが行き届いていて、あちこちに道順の目印が設置されていて親切だと感じた。 畑のわきの畦道のようなところも通り、「日本吹き矢連盟徳島支部」という謎の看板が付いた小屋の横を過ぎる。5kmほどの道のりを歩いて、 住宅街の中にある19番札所、立江寺に到着。立地のわりには広い境内で、本堂等の建物も立派だ。近所から来ていると思われるお参りの人も何人かいた。 まだ朝の早い時間で二つの札所を回ったが、次の札所までけっこうな距離があるので、少し休憩して足を休め、簡単な携行食を腹に入れておいた。 門の前で地図を見て道を確かめていると、おじさんが寄ってきて道を教えてくれた。
■川に架かる赤い橋を渡って徳島県道28号線を南西へひたすら歩く。立江の町のはずれにある立江中学校を過ぎると民家はまばらになり、 景色がひらける。のどかな田園が広がり、遠くに低い山並みが見える。多少のアップダウンがあり、県道28号線と22号線が交わる丁字路を西に曲がる。 道路はかなりきれいにしっかり整備されており、車の通行量は多いが、歩道が広く作られており歩きやすい。時折小さな集落やコンクリート資材の置き場などがある。 谷のような地形が続く中をしばらく歩き、抜けると再び広々した田園地帯となる。勝浦川に沿う県道16号線と22号線が交わる丁字路の交差点にローソンがあったので、 休憩。初めて、いわゆる「エナジードリンク」と呼ばれている飲み物を買って飲んでみた。少し量が多かったが缶なので飲み残すわけにもいかず、 がんばって飲みきったら腹がいっぱいになった。田舎町のコンビニエンスストアは駐車場が広い。サイクリングの者たちも立ち寄っていたし、車も多く停まっている。
■県道16号線を西へと歩く。生比奈というちょっとした町中に入る。人は歩いていないが、車はたくさん走っている。「お接待です。みかんを上がってください」と 張り紙があり、プラスチックのかごにみかんがいくつも入っていたので、一つ頂戴してバックパックに入れた。このあたりまでで19番立江寺から既に10km以上歩いており、 いよいよ山道に入ってゆく。単に長い距離を歩くだけ、とか、ただ山道を歩くだけなら、まあなんとかなるが、長い距離を散々歩いた挙げ句の登りとなるとかなりきつい。 しかもずっと急勾配の道が続く。12番の焼山寺もきついが、1番から順に歩く人にとってはここが序盤の最大の難関ではないかと思う。他の高い山の上の札所を 先に回っていたが、それらと比べてもなかなかの険しい道のりだった。途中、京都から来ているという初老の男性と会い、少し話をした。元々小松島の出身で、 定年を迎えて、親が調子悪くて地元に戻ってきた、時間ができたので少しずつ歩き遍路をしている、というようなことを言ってたと思うが、しんどくてあんまり覚えていない。 基本的に山道は、片側が山の斜面だし、高い樹木に遮られて景色はあまり見えないが、途中でひらけた場所があり、眼下に山間を曲がりくねって流れる勝浦川と 小さな集落が見下ろせる場所があり、休みながらしばらく眺めた。
■およそ14km歩いて20番札所の鶴林寺に到着。既に午後になっていた。山門の前には首の長い大きな鶴の像があり、鶴をあしらった金色の寺紋が付いているが、 それがJALのマークに良く似ている。山の上の寺なのに山門も本堂も塔も立派で大きい。手水舎の溜め水には氷が張っていた。 お参りを済ませて納経所へ行くと住職さんが話しかけてきた。歩きですか?しんどかったでしょう、焼山寺への道は「遍路ころがし」と呼ばれているけど、 この鶴林寺への道は「遍路殺し」なんて呼ばれていた、などと言っていた。朱印をもらい、少し休んでから歩き出す。山道を下り、いったんアスファルト舗装された広い道に出る。 すぐにまたわき道に入るが、そこの階段の道を降りているとき足首をひねった痛みが強く、山の中で思わず大きな声が出てしまった。 やばい、と思って少しの間、足を柵の上にのせていた。そーっと地面に足を下ろして、歩けるか確認した。痛みは少しあるが、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせて歩きはじめた。 杖がありがたかった。すぐに考えたのは、次の札所まで何kmくらいだっただろうか、ということで、不思議とリタイヤすることは全然考えなかった。 東屋があったので腰を下ろして休み、みかんを出して食べる。旅の途中は果物を食べることがあまりなくて、 こうやって善意でいただいたみかんなどを食べると、ありがたいなあと思う。甘くておいしい。甘いものは気持ちを落ち着ける効果があるような気がする。
■一度、山を下り切って水井橋という橋で川を渡る。川の水は遠めで見ると濃くてきれいな青で、真上から見るととても透き通っている。 再び次の山を登り始める。しばらくは勾配の緩い道が続く。これなら予定より早く次の札所まで行けるかな、と思っていたが甘かった。急激にきつい道に変わり、 休み休み登ってゆく。鶴林寺から距離にして約10km歩き続け、午後になり既に太陽は低くなりつつある時間になっていた。木々の間から日の光が差し込む。 突然目の前に立派な門が現れ、21番札所の太龍寺に到着。「西の高野」と呼ばれ、標高618mの山中の寺にも関わらず立派な建物が建ち並ぶ。 山門の金剛力士像がでかい。龍の絵が天井に描かれている建物があって、窓から覗き込むとなかなかの迫力だった。 ちょうど向かいの山には、先ほど行っていた20番の鶴林寺が小さく、わずかに見える。標高の高い場所にあり、難所の一つではあるが、麓からロープウェイで一気に山頂まで 来ることができるようになっている。売店があったのでちょっと入ってみたら、このあたりの特産なのか、しいたけ茶というのを振舞ってくれた。意外にもとてもおいしい。 山を下り、山麓にある「和食東」というバス停からバスに乗る。この日の巡拝はここまで。バスは一時間強かかって、徳島駅に到着。 この3日間で、以前の巡拝ですっ飛ばしていた徳島県内の12番から23番までの札所を回り終え、これで1番から80番までの巡拝が済んだ。残る札所は香川の8寺となった。
No.1828 2013-12-29
神山町、寄居中
神山町、寄井中。

弘法大師像
杖杉庵の弘法大師像。

焼山寺山門
焼山寺山門。

大日寺
大日寺。

常楽寺
常楽寺。

国分寺
国分寺。

観音寺への道
観音寺への道。

観音寺
観音寺。

井戸寺
井戸寺。

■朝早く、徳島駅前からバスに乗って一時間強、山中にある神山町へ。バスの終点、寄井中(よりいなか)で降車。 集落の中心部らしき場所に降り立つと、平地の徳島市内よりも寒く、道の水溜りには氷が張っている。 あたりには郵便局や高校もある。四国八十八箇所霊場巡拝で四国の色々な場所に行ったが、 こんな機会でもなければ訪れないだろうなという場所ばかりで、神山町というのもまったく知らなかった。 バス車内から看板を見かけたが、神山温泉というのがあるようだ。 町の外れにコープがあり、もう営業していたので一応パンを一つ買っておいた。そこの交差点を曲がって川を渡ると山道へ入ってゆく。ほとんど車も通らないような道をどんどん先へ歩いてゆき、 山深くなってくる。路面や道路脇にうっすら雪が積もっている。杉林の坂道を延々上ってゆく。 途中、舗装された道に出ると「杖杉庵」という、弘法大師ゆかりの小さなお寺があり、お地蔵様や大師の石像の頭の上にも雪が積もっている。
■神山町からおよそ9kmの道のりを歩き、辿り着いたのが四国八十八箇所霊場第十二番札所、焼山寺。 一番札所から順に歩きはじめて、この十二番までの道の険しさで、全部回るのは無理だと諦めて帰るお遍路さんがけっこういると聞いていたが、 たしかにきつい。他の高い山の上にある札所、たとえば二十七番の神峯寺、六十番の横峰寺、六十七番の雲辺寺あたりを先に巡拝していたので ある程度覚悟していたが、それでもしんどかった。最後の石段を上り、屋根に雪をのせた堂々とした山門が眼前に現れたときは、ようやくついたか、と安心した。 体が熱くなっていたので上に着ていたものを脱ぐととても寒い。さすがに山の上だ。参拝者は少なく、境内はがらんとしているが雪に日の光が反射して明るく、 空気が冷えていてすがすがしい。樹齢の相当長そうな太く高い松の木がたくさんある。お参りを済ませて納経所へゆくと、住職と思われる若い男性が墨書と朱印をくれた。 歩きにくかった場所はありませんでしたか?とか、もしお弁当など持ってきてたらここの休憩所で食べていくといい、といったようなことを言ってくれたので、 コープで買ったパンを食べて腹の足しにする。
■山をひたすら下りる。途中、登ってくるときはそれほどでもなかったが、下りだと勾配のきついところに積もった雪がつるつる滑って歩きづらい。 左右内という集落まで降りて来ると「おへんろ駅」と看板が掲げられたトタンの建物があって、駐車場や休憩所がある一画になっているが人の気配はなかった。 きれいな公衆トイレがあったので利用させてもらった。山を下りきって「行者野」という、謂れのありそうな地名の土地を通り、徳島刑務所のそばを経由して 鮎喰川という大きな川沿いの県道21号線を東へ向かってしばらく歩く。田舎町にもサンクスがあって、駐車場には車がいっぱいだ。 割と交通量の多い通りに面して、十三番札所の大日寺がある。道を挟んで反対側には神社があった。焼山寺からはおよそ20km強。 時間は既に午後2時を過ぎていた。それほど大きな境内ではない、こぢんまりとした札所だったが、本堂は立派だった。 「しあわせ観音」というオブジェみたいのがあった。納経所のおばちゃんがカイロをくれた。このあたりの地名は一宮町といって、大日寺の向かいにあるのが 一宮神社だった。近くには古い旅館が二、三軒あり、商店もある。街道に沿ってちょっとした集落になっている様が見て取れる。古くからある町なのだろう。
■大日寺から北へ向かって一の宮橋で再び鮎喰川を渡り、3kmほどで十四番の常楽寺に到着。境内の地面が自然の岩盤そのままむき出しになっていて、 独特の雰囲気だった。ごつごつしていて少し歩きづらい。そういう地形のせいか、山門はなかった。この札所は、八十八箇所で唯一、弥勒菩薩を本尊としているそうだ。 納経を済ませたところを、腰掛けていたおばあさんに声をかけられた。お菓子がいくつか入った袋をくれた。年末になるといつもこの寺でお遍路さんにこういったものを 振舞っているのだそうだ。いただいた袋にはみかんや飴、せんべいが入っていた。今日はどこまで行くんや、と聞かれた。十六番までは行きたい、と言ったら、 大丈夫や、十分間に合うやろ、と言っていた。大きなイチイの木があって、二股に別れた幹の間に小さなお地蔵さんがひっそりと置いてあった。微笑んだ顔だった。 次の札所までは1kmもないので、すぐ隣というくらいの感覚だ。北へ向かって歩いてすぐ着いた。十五番の国分寺の山門には大きく「薬王山」と書かれた額がついていて、 そのすぐ下には柑橘の実がついた注連縄が付けられていた。石碑には「聖武天皇勅願」と刻まれている。「続日本紀」に記載されており、 756年頃には既にあった寺ということがわかっているそうだ。鐘楼も本堂も立派な瓦屋根で、特に本堂は入母屋造りの背の高い建物で、見栄えがいい。 かつては壮大な伽藍を持つ寺院だったという名残が感じられる。
■さらに北へ歩く。途中、大きな国道192号線を渡る。あたりの地名は「国府町」で、国分寺があることからも、かつてはこの地域の中心的なエリアだったのだろうと思う。 国分寺から2kmほど、住宅街の中にあるのが十六番の観音寺である。愛媛県の六十九番にも同じ名前の札所がある。同様に国分寺や大日寺も、 同じ名前の札所が複数ある。町中の寺なのでそれほど広い境内ではないが、山門はとても立派で重厚感がある。 本堂は再建されてからそれほど年数が経っていないように見受けられ、外壁の木材がまだ新しい。寺の名前の通り、本尊は千手観音である。 境内には「夜泣き地蔵」という小さなお地蔵さまがあって、子供の夜泣きを止めてくれるのだそうだ。 この日の巡拝は当初、この十六番までにしようと思っていたのだけど、どうにか次の札所まで時間的には間に合いそうだったので、重い足をどうにか動かして行くことにした。 朝から山中の難所へ行き、一日歩き続けてきたので、夕方にはかなりくたくたになっていたが、もう一つ札所を回っておけば、後々の行程がかなり楽になるというのが わかっていたので、どうにか行ってやろうと決めた。
■北へ向かって歩く。途中にある国府町商工会という小さな建物が目にとまった。古い洋風建築物で、現役で使われているようだった。 伊予街道を渡り、さらに北へゆく。ひさしぶりに線路を見た。JR徳島線の踏み切りを渡る。スーパーあべというのがあって、車が駐車場に入るのを待って道に列を作っていた。 年末年始の食材の買出しだろうか。道路工事中で、仮設の歩道の板の上を歩く。前のほうに白衣を着た歩き遍路の男性が見えたが、彼は旅行用の、 なんというのだろうか、キャスターのついたあれを引き摺っていた。お遍路さんであれをがらがらさせている人を初めて見た。観音寺からおよそ3kmほどで 十七番札所の井戸寺に到着。朱で塗られた横に広い山門があり、広い境内には大屋根の本堂が正面に建つ。六角形の護摩堂もある。 名前からもわかるように、弘法大師が一夜にして井戸を掘ったという話が伝わっている寺院で、このあたりの地名は「国府町井戸」だ。 こういったエピソードが四国には多数あって、やはり弘法大師は井戸や灌漑の技術者でもあったのだろうなと思う。 この日最後の納経を済ませ、寺を後にする。周辺は落ち着いた門前町の雰囲気を残している。細い道を通ると犬に吠えられた。
■再びスーパーあべの前を通ったが、まだ車の列は途切れていなかった。井戸寺から1.5kmほど歩き、徳島線の府中駅から列車に乗って徳島駅まで。 無人駅だが駅舎はちゃんとあって、中はそれなりに広い。座って待つ。車内は思いのほか混雑していた。遍路の姿をしている者は他におらず、 駅でも列車内でも少々気恥ずかしいが、以前よりは慣れた。徳島に着いたときには既に夜だった。 駅前のホテルに戻ってから夕食を食べに出た。なかなかきつい一日だったが、予定よりも一つ多く札所を回ることができた。
No.1827 2013-12-28
平等寺
22番札所 平等寺。

日和佐駅
日和佐駅。

薬王寺境内からの風景
23番札所 薬王寺境内からの風景。

■品川から早朝の新幹線で西へ。岡山で高松行きの快速に乗り換え、瀬戸大橋を渡る。瀬戸内海の風景はいつ見ても美しい。 高松駅からさらに特急に乗り継いで徳島まで。そして牟岐線の普通列車に乗り換えて新野(あらたの)という小さな駅で下車。 津田沼を朝の5時台に出発し、新野駅に着いたのは午後2時近くになっていた。交通量の少ない田舎道を歩き、川沿いの道に入って しばらく山の方向へ進む。30分ほどで四国霊場第22番札所、平等寺に到着。今回の四国八十八箇所巡拝の最初の札所となるので、 再び四国へ来ることができたことを喜び、本堂、大師堂で手を合わせ、納経帳に朱印をもらう。墨のにおいで、四国巡拝の旅の再開を感じた。 小高い山に囲まれた静かな小さな集落の中にある、落ち着いた雰囲気の札所だった。
■駅まで戻る。思いのほか早めに駅について、時間を余す。寒いので駅舎の戸を閉め切って、中のベンチに座っていた。 壁に貼られていた青春18きっぷのポスターを眺める。このポスターはいつもいい写真で、いいなと思う。今回の写真は富山県内を走る城端線の終点、 雪が深い城端駅の写真で、ホームにかかる屋根からつららが下がっている。 同じく牟岐線の日和佐駅から歩いて10分ほどの場所にあるのが23番の薬王寺。大きな通り沿いにある真新しい山門から 石段を登って振り返ると海が見える。多宝塔もある。境内では新年を迎える準備が進んでいて、男性が寺の屋根の上の掃き掃除をしていた。 夕刻になり、日も沈みかける時間帯で、境内には人は少ない。風も冷たく寒くなる中でお参りを済ませた。 この日は二寺の巡拝で終了。これで八十八箇所霊場のうち、70の札所を巡り、残る札所は18となった。
■駅まで戻る。なぜかやけに腹が減ったので、コンビニエンスストアでおにぎりをひとつ買って食べた。 日和佐駅とつながるような形で道の駅らしき立派な施設があり、土産物なども売っているようだった。車がたくさん停まっているわりに人の姿は 少なかった。日和佐はウミガメが産卵する浜辺があることで有名な町らしく、そういった旨のことが書いてある看板などが駅前に立っていた。 駅のある場所は「美波町」という地名で、いかにもきれいな海のある町という感じがする。駅前からまっすぐ伸びる道の先に小高い山があり、 その上には城が建っているのが見えた。日和佐から普通列車で徳島まで一時間半ほどかけて戻る。駅前のホテルに宿泊。 大学生の頃に一泊したことがあるホテルで、懐かしかった。
No.1826 2013-12-27
■仕事納め。夜、歯医者。
No.1825 2013-12-22
茜浜からの風景

茜浜の猫

■自転車で茜浜。風がけっこうあって、海も波立っていたが、富士山がくっきり見えた。風が少しあるほうが遠くまでよく見える。 幕張方面まで行ってみたら、でかいイオンがオープンしてた。車は思ったより渋滞してなかった。
No.1824 2013-12-20
■仕事で我孫子に行った。手賀沼のほとりに住宅街が広がり、東京までの距離が近いわりにはのどかな雰囲気で なかなかいい町だなと思った。我孫子駅のホームで唐揚げそばを食べた。食べるのは二度目か三度目だが、 相変わらずでかい鶏の唐揚げがのってる。唐揚げ自体も、そばもつゆも、別々に見ると、失礼だが大した味ではないような 気がするけど、この三つが組み合わさるとなんだかおいしい。
No.1823 2013-12-16
■仕事で埼玉の浦和へ。数年ぶりに訪れた。駅がきれいになっていた以外は駅前に大きな変化はなかったように感じた。 駅の近くにあるローソンは、外壁に、かつてローソンが日本に上陸したときの「パーティ・フードの店」というコンセプトの名残が 残ってて、レンガ調の壁に「Party Foods」とか書いてあった。
No.1822 2013-12-14
茜浜からの風景

茜浜の猫

茜浜の猫

■午前中、自転車で茜浜と霊園裏の海辺へ。日の光で海がきらきらと光っていた。風があまりなく、若干霞んでたので 富士山はうっすらとしか見えなかった。猫が数匹、日にあたってのんびりしていた。
■夜は千葉駅の近くで仲間内の忘年会をやった。会社の飲み会は時間とお金と体力の無駄にしか思えないが、 気の合う人と集まるのは楽しい。別に酒を飲まなくてもいいけど、いい大人が集まって長い時間居られる場所となると 酒を出す店くらいしかない。若い人たちがあんまりお酒を飲まなくなってきてるという話をいろんな場所で見聞きするが、 いいことだと思う。酒なんか飲まなくても何の問題もないどころか健康にもいいしお金も使わなくて、たいへんけっこうなことである。 自分は家では一切酒を飲まないし、買うことはまずない。飲みたいと思うことがない。たまに夜の電車内で缶ビールなど 飲んでるおっさんがいるが、家に着くまで我慢できないんかいな、と思う。
No.1821 2013-12-04
■叩く音を聞いて、そのドラマーが誰かわかる人が、自分には二人いる。
一人は、フィッシュマンズ、いまは東京スカパラダイスオーケストラでドラムを叩いている茂木欣一。
抜けのいい、乾いた音を出せる、とてもいいドラマーである。
もう一人は、茂木欣一とは反対に、すごい重量感があるのに聞いてて疲れない、主張は強くないが堅実で、 なおかつ華のある音を出す青山純である。
■その青山純氏が亡くなった。まだ50代だった。いわゆるスタジオミュージシャンという言われ方をする人なので その名前が前面に出てくることはあまりなかったが、彼のドラムの音を耳にしたことがない日本人はいないだろうと思えるほど、 数多くの作品に関わっていて、調べれば調べるほど、こんな人の後ろでも叩いてたんだ、この曲も青山純か、と驚くばかりだ。 そんな中でも一番好きなのはやはり80年代の山下達郎作品である。ベース伊藤広規とドラムス青山純のリズム隊は 日本ポピュラーミュージックの歴史の中でも、これ以上の人たちは出てこないのではないか、と思える水準で、 特に1989年リリースの山下達郎のライブ盤のDisc2の5曲目「メリー・ゴー・ラウンド」での彼らの演奏は圧巻である。 ドラムのうまさは決して手数の多さではない、ということをつくづく思い知らされる。
No.1821 2013-12-02
■夜、歯医者。
No.1820 2013-12-01
■駅前の無印やユニクロで買い物。日曜の午前中は人が少なくていい。
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