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No.1864 2014-05-31
2012年11月雨の国立競技場
2010年11月ナビスコカップ決勝
■国立競技場のさよならイベントみたいのが行われてたみたいだった。2019年のラグビーワールドカップと2020年の東京オリンピックに向けての建替え工事に入るそうだ。
初めて国立競技場に行ったのは2003年7月、J1の清水対マリノスの試合で、確か久保のゴールでマリノスが0-1で勝った。それから幾度かこの競技場でサッカーの試合を見た。
いい思い出もあまり思い出したくない試合もある。最後に行ったのは2012年11月の雨の国立だった。2005年の11月ナビスコカップ決勝、ジェフ千葉対ガンバ大阪。
0-0で延長後半、ジェフ側の応援の手拍子がたんたんと、ゆっくりとしたリズムでぴったりと合わさりすごい音量で響き続けたあの時間は鳥肌が立った。
次に国立で試合を見るとき自分は何歳で、どんなことをしているのだろう。
No.1863 2014-05-23
■8月11日が「山の日」として2016年から祝日になるのだそうだ。たいへんけっこうなことだと思うが、祝日増やすよりも有給休暇をあたりまえに取得できる世の中にしろよと思う。
No.1862 2014-05-17
■そういえば自分は屏風ヶ浦を見たことがなかったと思って電車にのって銚子に行った。
千葉駅で総武本線の銚子行きに乗る。房総を走る内房線も外房線も総武本線も、一部ボックスシートであとは全部ロングシート、という編成になった。
明るい雰囲気の家族連れがボックスシートに座ってなにか食べたいらしく、スパイみたいにボックス車両の空き具合をちょくちょくチェックしに行ってて、
携帯のメールで連絡を取り合っていた。その様子を眺めていたらおもしろかった。千葉からおよそ二時間弱で銚子に到着。いい天気だ。
銚子駅のまわりをぶらぶら歩き、大通りから少し裏に入ってゆくと昔からあると思われる喫茶店や洋品店、銀行、クリーニング店などが並ぶ。
ランチメニューの刺身の定食がそこそこ手ごろな値段だったので、駅の近くの店で食べた。跨線橋を渡って駅の正面とは反対側へ行ってみるといきなり住宅街で、人通りは少ない。
高い樹木が茂る一画が見えてくると浄国寺という寺で、境内がけっこう広い。松尾芭蕉や小林一茶の句碑があるが、説明書きを読んでみると、
べつにここに来たというわけではないらしくて、なんだよとちょっと思う。
■駅前からバスに乗って町の外れの海のほうへ向かった。銚子電鉄の踏み切りを越え、南へ少し行くとすぐに家並みは途切れ、
なだらかな斜面にはキャベツ畑などが広がる。終着のマリーナ前というバス停で下車。すぐ目の前に千葉科学大学という私立の大学があった。
海に面した立地といい、建物といい、リゾートホテルみたいな大学だった。周囲になにもないので、車のない学生は大変だろうなと思う。
マリーナにはボートがたくさん係留されていて、広い駐車場を横切って岸壁まで出ると、屏風ヶ浦の風景が広がる。
切り立った崖の上には風力発電の大きな風車が並んで立っているのが見えた。風がないのであんまり回ってない。
防波堤の上では魚釣りの者が数人いた。護岸の施されていない一角の砂浜では海遊びをしている者たちが見える。
犬の散歩も少し見かけた。人はそれほどいなくて、のんびりした雰囲気だった。
■バスには乗らず、海沿いの漁港のエリアをぐるっと歩き外川の町に入る。釣り宿を数軒見かけた。
平地が少ないため、建物が建て込んでいる住宅街の間のせまく勾配のきつい坂道を上がる。古い商店の軒先で毛足の長い猫を見かけた。
近寄ろうとしたら威嚇された。上がってきた坂を見下ろすと、家々の屋根の向こうに海が見える。坂道の先に海が見える景色はいいなと思う。
調子電鉄の外川駅についた。数年ぶりに訪れたが、木造の古めかしい駅舎は健在だった。運賃表や時刻表は
昔ながらの手書きのものが設置されていて、窓口には木枠の小さい窓があって、いい雰囲気である。駅舎の外には展示用の古い車両が静態保存されている。
一両だけの車両の銚子行きに乗る。犬吠などで人がたくさん乗ってきて、車内は立ち客も大勢いた。外国人観光客もいた。外人も濡れせんべいを食べるのだろうか。
銚子からJRに乗り換えて千葉まで。千葉から各駅に乗って津田沼。日が長くなり、まだ空にはうっすらと明るさが残っていた。
No.1861 2014-05-12
江差駅(2013年7月撮影)
■江差線の木古内〜江差間が廃線となった。とうとうこの日が来たか、という気持ちは正直なかった。廃止の報は既に知っていたけど、
正式に廃止になる日がいつなのかという情報を目にすることはなかった。北海道の、しかもかなり僻地というか、利用しずらい場所を走る、正直存在感のあまりない路線の情報は
地元以外の場所にはあまり伝わってこないものだなと思う。今回廃線になった区間には過去三度は乗っていると記憶しているが、いつも乗客は極端に少なかった。
沿線の人口も少なく、わずかにある移動需要もほぼ全て自家用車でまかなっているエリアなので、いままでよく残っていたな、というくらいの有様だった。
そんな路線区間なので、廃止となる最後の日もとくに騒がれることもなくひっそりと迎えたのかなと思っていたが、地元住民等によるセレモニーなどが行われたようだ。
線路沿いに集まった人が最後の列車に向かって大漁旗を振ったり手を振ったりして見送る様子の写真を見たら、
ちゃんと見送ってもらえたんだなと思って、すこしこみ上げてくるものがあった。
No.1860 2014-05-11
■自転車で茜浜。うっすらぼんやりと富士山が見えた。これから湿度が高くなってゆく季節を迎えるので、次に富士山が見えるのは冬かなと思う。
川を渡って霊園裏方面へ。誰かが入れたのか、雨水の残りなのか、カップ麺の空容器で水を飲んでいる猫がいた。日差しが強くなり、
日陰で休んでいる猫もいた。
No.1859 2014-05-05
■早朝5時過ぎにそこそこ大き目の地震があった。伊豆大島近海を震源とするマグニチュード6.0の地震。
No.1858 2014-05-04
■京成の千葉中央駅のところにある映画館に行った。「そこのみにて光輝く」という邦画で、
全編にわたって函館とその近郊で撮影されている。函館ロケの映画はなるべく見に行くようにしている。
佐藤泰志の同名の小説が原作で、以前見にいった「海炭市叙景」も佐藤泰志が原作だった。
自分が生まれ育った町なので、この交番はあそこだなとか、中学のバスケ部の練習試合行くのに自転車でここ通ったなあとか思いながら見ることができる。
函館の海の色や空の色はこんな感じだなと思い出す。観光案内に載るようなスポットはほとんど登場せず、寂れゆく一地方都市の姿をそのまま映していた。
主演は綾野剛という若者で、初めて見たが良い雰囲気のある俳優だと思った。菅田将暉という俳優が演じるやんちゃな男が良かった。
田舎町の狭い社会の人間模様ってたしかにこんな感じだなと思った。函館弁がわりとみんな上手だった。
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