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No.1955 2015-05-30
■東日本大震災の影響で一部不通が続いていた仙台市と石巻市を結ぶ仙石線が4年2ヶ月ぶりに全線復旧したのだそうだ。 台風などの土砂崩れでそのまま廃線になってしまう路線がいままで少なくなかった中で、こうやって復活にこぎつけることができたのは普段利用しないような自分も少し嬉しい。 仙石線には2006年の10月に乗車した。天気はいいけど風が強い日で、JR全線乗車を目指す旅の途中で海際にある陸前大塚という小さな駅で降りたときのことを思い出す。 駅の前にはなぜか道沿いに人が大勢立っていて、しばらくするとランナーが何人も走ってきた。ちょうどマラソンかなにかの大会のようで、旗を振って応援している沿道の人たちが楽しそうに していたのをいまでも覚えている。終点の石巻にも行った。漫画家の石ノ森章太郎ゆかりの土地のようで、駅や周辺には漫画のキャラクターの像があったこと、 駅の窓のステンドグラスがきれいだったことなどを覚えている。震災ではあのあたりも大きな被害を受けたと聞く。再訪したいと思っている。
No.1954 2015-05-29
■鹿児島の口永良部島新岳が噴火した。火砕流が海岸まで達したにも関わらず、全島民が避難できたのは良かった。 気象庁がすぐに噴火警戒レベルを3(入山規制)から5(避難)に引き上げた判断も良かったし、島の属する屋久島町が島全域に島外への避難指示をすぐに出したのも良かったと思う。 鹿児島県知事が消防庁に緊急消防援助隊の派遣要請をして、宮崎県防災航空隊・高知県消防防災航空隊・福岡市消防局の消防防災航空隊及び指揮支援隊が派遣され、 県が自衛隊に災害派遣を要請し自衛隊が出動。ここまで、噴火からわずか40分である。すばらしい対応だったように思う。 それと、島民避難時の屋久島町営のフェリーの定員を通常の100人から150人とする増員申請を町が出して、国土交通省の九州運輸局が特例ですぐに許可を出したのだそうだ。 役所というとなんでも手続きに時間がかかるし融通がきかなくて、組織が縦割りだから協力関係も薄い、というのがだいたいのパターンだけど、 いろいろな災害を経験してきたのもあって、こういう緊急時には速やかに柔軟に対応できるようになってきたのだなと感じた。避難する人数が比較的少なかったということもあるのだろうけど、 これまでの幾多の災害の経験を多少は活かせているのかもしれない。避難民の年寄りも小学生くらいの子供も、早く島に帰りたいと言っていた。
No.1953 2015-05-17
■大阪都構想を問う住民投票が行われ、反対のほうが勝った。結果はともかくとしてこの投票率が66.83%だったという。 他の選挙などと比べたらとても高い。自分の生活に直結してくる問題だとみなちゃんと投票所に足を運ぶ。 大阪市の区ごとの所得の水準を示したマップと今回の投票の賛否の票数にかなり強い相関が見られて興味深かった。 水準の低い区ほど反対票が多かった。東日本や北海道の人間にはなかなかとらえにくい問題が関西や西日本には根深く残っていることと関係がありそうである。
No.1952 2015-05-06
■箱根山の噴火警戒レベルが2に引き上げられたというニュース。箱根はあまり近寄ったことがない。箱根登山鉄道に乗って強羅まで 行って帰ってきたことがあった程度で、その鉄道がすげえジグザグで登っていくな、ということと車内に不倫カップルみたいなのがいたこと、 強羅駅にミルクを飲んでる小さな猫がいたことくらいしか記憶にない。箱根にしろ鎌倉にしろ、筑波山や高尾山、その他首都圏内で 東京から日帰りできる範囲にある観光地は人が多すぎてあまり行きたくない。で、それはそれとして、警戒レベルが上がったことを受けて 観光客が減少することを憂いている商店主のインタビューなどのなかに「風評被害は困る」というのがあった。
■「風評被害」という言葉の意味というか使われ方が原発事故以来、妙な方向に変わってしまったように思う。 実際に被害があってからでは遅いからわざわざ警戒情報を出しているわけだし、そういう情報を発しないまま何か実害が出たとしたらめっちゃ怒るくせに、 客が減るという目先の金惜しさに「風評被害」といって被害者面しているのはなにかおかしいと感じた。
No.1951 2015-05-02
柴又

柴又帝釈天

矢切の渡し

江戸川の猫

■京成線に乗って柴又まで行った。高砂で金町線に乗り換えて一駅。柴又は寅さんで有名な観光地だと思うが、 男はつらいよという映画を一度も見たことがないというのもあって、近いのに行ってみようと思うことがあんまりなかった。ふと思い立って行ってみることにした。 駅から参道をまっすぐ歩いてゆく。両側に店が軒を連ね、なにかおいしそうなにおいがしてくる。せんべいやうなぎ、 だんごやまんじゅうその他さまざまな店があってまだ午前中だったがなかなかの賑わい。200mほど歩くと帝釈天に行き当たる。 柴又帝釈天として名の知れた寺だと思う。正式には「経栄山 題経寺」というのだそうだ。せっかくなので御朱印をいただいた。 若い住職さんが端正な文字を書いてくれた。宗派は日蓮宗で、下総中山にある法華経寺が旧本山らしい。同じ京成線沿いである。 境内には参拝客がけっこう来ていて、寅さんのコスプレ親父みたいな人もいた。お堂の壁や柱、破風等あらゆるところに施された彫刻がすごい。 鶴や亀、鳥や花などがモチーフになっていて、非常に精巧だ。
■境内を出て金町浄水場のあたりを歩いてみた。良寛寺や金町公園があり、短い編成の金町線の車両がたまに走ってゆく、 東京の外れの下町の風景だった。実際このあたりは江戸と下総の境目だった場所で、江戸川を挟んで向かい側がすぐ千葉県である。 河川敷きのグラウンドでは少年野球をやっている様子などが見られる。演歌にもなった「矢切の渡し」という渡し舟があるので乗ってみた。 今では近くに国道6号線の橋がかかっていて車もたくさん往来しているが、橋がなかった時代に川を渡るには泳ぐかこの小さな渡し舟に乗るくらいしかなかったのだろう。 粗末な船着場があって、既に次の舟に乗るために数人が並んでいた。中にはフランス人の女性も一人いた。こんなところにまで観光に来ててすごい。 夏季は毎日運行だが冬季は土日と庚申の日のみ運航らしい。片道200円。漕ぎ手風の男性が一人乗船しているが実際はモーターで動かしている。 ほんの10分足らずの乗船だが、川の風が心地よい。この渡し舟は公的なものではなく、また北九州で乗った若戸渡船やお遍路さんもよく乗る高知の 長浜種崎間の渡船のように日常の足として使うようなものではなく、あくまで観光のものという感じ。
■千葉県側の船着場に着いた。周囲は畑が広がり、とくに何があるわけでもない。川の土手に猫の親子がいて、親猫はこちらを威嚇してきた。 川沿いを北に向かってしばらく歩く。ちいさなゴルフコースが見える。国道6号線まで出て新葛飾橋を渡り再び東京都に入る。 国道を西へしばらく歩くと京成金町駅と常磐線の金町駅がある。駅前はマンションやスーパー、 飲食店などが建ち並ぶ。金町餃子という看板が出ている店に入り昼食。中途半端な時間だったわりには客が多く、店のおばさんが忙しそうにしていた。 なかなかおいしかった。京成金町駅はいかにも終点の駅というたたずまいをしていてなかなかよかった。京成の電車に乗って帰った。 船橋でおりて数年ぶりに船橋ロフトに立ち寄った。
No.1950 2015-05-01
■SIMロック解除義務化というニュース。そもそもキャリアが端末を売るっていう形に長年疑問を持ってきたので、 ここまでくるのにずいぶん時間がかかったなという印象がある。SIMフリー端末も徐々に増え、MVNOも多様になってきたので、 少し調べて自分に合った契約にすれば毎月8000円とか払わなくてもいい人はたくさんいると思う。 私は2013年からMVNOのデータ通信回線を一つ契約していままで使ってきたが、何の不満もないしむしろどんどん改善というか パワーアップしていてありがたい。なにより月の料金がキャリアの通話1200円とMVNOの1000円で合わせて2200円程度で済んでいるので助かる。 二台持ちなんて、という人がわりといるが、そういう人は一台で済ませられることにメリットを感じているわけだから、 それはそれでよいと思うけどそれなら高いと不満を言わないほうがよいと思う。
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