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No.1473 2010-1-31
茜浜の猫。たぶん親子。
■すこしひさびさに自転車で茜浜。日差しがやわらかく、風がないので快適だ。そんな陽気なので、堤防やテトラポットの上に猫が座っていた。
よく見かける猫たちがいた。先日見かけた子猫たちはすこし大きくなっていた。
■帰りまたスーパービバホームに立ち寄り、前日の買い物で少し足りなかったものを買い足した。国道357号線の上を走っている東関東自動車道でいま、
若松交差点あたりで谷津船橋インターチェンジの工事をやっている。平成23年に開通する予定だそうだ。自転車で走って気持ちのいい日だった。
No.1472 2010-1-30
■午前中、新習志野のスーパービバホームへ行った。窓まわりの防寒対策をしようと思ったんである。
津田沼駅の南口側のモリシアの裏から無料バスが一時間に一本くらい出てるので、それに乗って行った。
思ったよりバスの利用者が多い。スーパービバホームは、この界隈ではいちばん大きなホームセンターではないかと思う。
広くていろんなものが売ってて、電球から建築資材までなんでもある。工作室があって、材料のカットもやってくれる。
1カット30円からということなんで、自分もやってもらった。感じのいい従業員さんだった。
いくつか買い物をして帰りもまた無料バス。大きなものを買うときは自転車だときびしいので、バスを利用すると楽だ。
■夜は寿司を食べにいった。おいしかった。腹いっぱい寿司を食べた。贅沢なきぶんである。
えんがわを炙ったやつを塩で食べるのがめっぽうおいしかった。外に出ると真上にでかい満月がぴかぴか光っていた。
No.1471 2010-1-26
■近頃、津田沼近辺では歩きたばこの者がとても多い。増えた気がする。なぜなんだ。
■ところで今年もまた3月にはJリーグが開幕する。ジェフ千葉は降格したので今年は二部で一年間戦うわけだが、
ようやく選手の補強も一段落つき、トレーニングが始まっているようである。出戻りの選手が数人いる。
補強した選手らも含め、スターティングメンバーがどんなふうになるかまだまだわからないが、
仮にこんな感じだとしたら。
−−−林−−−−巻−−−
−村井−−−−−−工藤−
−−−中後−−勇人−−−
外人−茶野−−外人−坂本
−−−−−岡本−−−−−
■2004年頃の自分に、2010年のスタメンはこんなだよ、と教えることができたとしたら、どう思うだろう。
なんだあんまり変わってないなあ。中後ってジェフユースから駒大行った選手だ!おお、大学No.1ボランチがジェフに入ってくれたか、
村井や茶野、坂本、勇人なんかジェフでしっかりキャリア積んでいいベテラン選手になってるんだろうな、
巻と林はすっかりスタメンに成長したんだ、工藤や岡本ら元ユース組も主力になってるんだな、あれ、阿部は海外行ったか?なんて思うんだろうな。
■「"■"RINGS」の「Matatabi Online」でおなじみのtomohirohさんが、
長野の安曇野にある私の友人の店へ行って下さったようで、料理をとてもほめていただいいた。気に入ってくださったようで、よかった。
No.1470 2010-1-23
■めずらしく映画館に行って映画を見てきた。千葉にあるシネマックスというところである。千葉駅から歩いて数分のところにある。
最近のトーホーシネマズとかユナイテッドシネマズとかそういう感じではなくて、一昔前の垢抜けない感じの映画館だった。
映画館にはいままで、数えるくらいしか入ったことがない。エレベータで4階へ上がると、思ったより大きなフロアで、
イスがゆったりしてて快適だった。夜の7時半からの上映。気の毒になるくらい少ない客数だった。
■見たのは「つむじ風食堂の夜」という邦画で、オール函館ロケということなので、見に行ったのだった。
函館がロケ地になってる映画はこれからなるべく見に行こうと思ったんである。原作は小説ということだが、それは読んでない。
主演は八嶋智人という人で、ほかに下條アトムや田中要次、生瀬勝久など、いい俳優さんたちが出てる。
で、喫茶店のマスター役で、ミュージシャンのスネオヘアー氏が出てるのだけど、彼の演技を見たら、
先に挙げた谷嶋氏やアトム氏、田中氏や生瀬氏らの演技は力が抜けてて自然ですごいと思った。
スネオ氏はちょっと何を言ってるのかわからない部分があって、なんだかうーんという感じ。
■率直に感想を言うと、べつにそんなにおもしろくはない。原作にどれだけ忠実にしてるのかわからないが、
ことによると、原作の文章は、映像化に向いていないのかなと思った。活字で読むからおもしろいんじゃないかというエピソードがいくつかあった。
でも自分はアクションとか恋愛話とかそういう要素が少なくて地味で落ち着いた邦画が好きなので、
その点はよかった。大人むけのファンタジー映画という説明でいいのではないかと思う。
函館の町並みが、作品のファンタジックさというか浮遊感と合ってると感じたし、食堂やアパートなどの古い建物それぞれも魅力的だった。
そしてほとんどの場面が夜だった。ひと気の少ない函館の夜の雰囲気っていうのは独特でいいなと、映像を見てて思った。
■よく知ってる町がロケ地になってる映画というのは、どの場面もほとんど、そこがどこか知ってる場所で、
ああこれはあそこだ、とか、ああ、ほんとはこことあそこはそんなに近くないのに、とか、いちいちわかるのがおもしろいというか、
そういう楽しみ方ができるのがいいなと思った。そして改めて、函館っていうのは絵になるところだなあと強く感じた。
だから、この映画はひとにはとくに勧めないが、函館が好きなひとだったらきっと楽しめるだろう。
■映画を見終わって駅に戻ったのは夜の9時半近くになっていた。既に一軒目飲み終わった人たちが機嫌よく町を歩いていた。
土曜日の夜だから、みんななんだか楽しそうだ。山下達郎の「土曜日の恋人」という曲みたいな、きらきらした町の景色だった。
No.1469 2010-1-17
谷津の商店街にいた犬。
■谷津の駅前の商店街まで歩いていった。安い中華料理屋があって、外にメニューがあったので見たら
安くて、定食もあっておいしそうだったので今度行ってみる。商店街に行ったのは、傘の骨が折れたので修理してもらおうと思ったからなのだった。
傘なんか壊れたら買えばいいのにと思うむきもあるかもしれないが、そんなに高い傘ではないけどせっかくなのでなるべく長く使いたい。
合鍵作ったり靴の修理もするような修理屋で直してもらった。2004年から使ってるのでかれこれ7年目になる。商店街にはアジア雑貨の店とか果物屋もある。
アジア雑貨の店の前にあるベンチに白い犬がつながれてて、近づくと嬉しそうに寄ってきた。吠えないし、性格のよさそうな犬だった。
No.1468 2010-1-16
■無印良品に注文してたソファが午前に届いた。
ソファを買うのは初めてである。いままで、あんなのいらんだろでかいだけだしと思っていたが、
使ってみて、部屋にソファを置きたがる人の気持ちがようやくわかった。快適である。
■話は変わる。最近Youtubeを見てて印象に残ったコメントがあった。
ひとつはくるりの「ばらの花」のレイハラカミがリミックスしたやつにあったコメントで「レイハラカミはひとつのジャンルだな」
というもの。もうひとつはキリンジの「雨は毛布のように」のところにあった「堀込兄弟は日本のスティーリー・ダンだ」というもの。
とても的確だと思って感心した。
■ネット関連でもうひとつ。すごいタイトルのメールが届いた。差出人はTanaka Satomiだ。
「人妻とエッチ死体そんな男性必見↓」
なんだそれは。おそろしいメールが届くものである。
No.1467 2010-1-11
さよならビリー。
■今年になってから初めて自転車で茜浜。曇り空で寒いが、海上にはボートにひっぱられて水上スキーみたいなことをやって遊んでる者がいた。
猫は一匹も見かけなかった。テトラポットの上に誰かが作った猫の家をのぞいてみたが、ドライフードが置いてあるだけで、そこにもいなかった。
寒さを避けてどこか海から離れたところにでも移動してたのかもしれぬ。釣り人以外は人もまばらで、冬枯れの芝で、さびしい雰囲気だった。
帰りは、寒いのでわざと上り坂の道を選んで走った。ひさしぶりにふれあい橋から鷺沼一丁目の交差点を経由。
ひさしぶりにヤギのビリーを見ようと思ったら、柵の中はなんかガーデニングみたいなことになってて、貼り紙がしてあったので見ると、
2009年3月17日に永眠しました、と書いてあった。ずいぶん前に死んでしまってたみたいである。人間の年齢でいうと80〜90歳くらいだったそうだ。
ずいぶん長生きである。貼り紙の最後には「ここにファンの皆様にお知らせいたしますと共に、深くお礼申し上げます。」と書いてあった。
■話は唐突に変わるが、今年はひさしぶりに京都にも行きたい。しばらく行ってないような気がする。
春は桜を見る人が、夏は祭りを見る人が、そして秋は紅葉を見る人が多いから行くなら冬がいちばんいい気がする。
京都といえば寺社というイメージが強いが、空襲を受けなかったので明治・大正期の洋風建築も多く残っているので、
そういうのも見て歩きたい。大山崎山荘も行きたいし伏見稲荷も行きたい。旧明倫小学校も見てみたい。
旧北國銀行京都支店はリノベーションされてカフェになってるからそこも行きたい。
No.1466 2010-1-09
甲府城跡からの眺めと謝恩碑。
武田神社。
竜王駅。
■18きっぷがまだ残ってるので、日帰りで甲府まで行くことにした。
甲府訪問は三度目になる。最初は、2005年8月、身延線乗車を乗り終えて、その日の夜、国立競技場でのサッカー観戦があったため、
足早にちょっとだけ観光。二度目は2007年10月、甲府でのサッカー観戦のために折りたたみ自転車を持ってきて、
帰りの駅のホームでジェフの選手たちに遭遇した。青木孝太のロスタイムのゴールで客席の柵が壊れた試合だった。
■快速で東京まで行って、中央線の大月行きに乗り換え。大月から甲府行きに乗り継いで、合計約3時間半。
甲府駅に着いて、改札を出ずに身延線で一駅となりの金手まで。駅から歩いてすぐのところにある旭といううどん屋へ。
まず昼食をとることにしたんである。うどん食べるためだけに一駅乗るなんてぜいたくだが、これも18きっぷの醍醐味である。
甲府といえば「ほうとう」ということになっているが、頼むと時間かかるし、
カボチャがぐちゃぐちゃになって入ってるのがあんまり好きじゃないので、今回は吉田うどんというやつを食べてみることにした。
吉田うどんというのは、山梨県の南部、静岡県と接する位置にある富士吉田市の名物だそうだ。ほうとうほど有名ではないが、
そういうことになってるらしい。
■富士吉田市は富士山の北麓に位置し、冷涼な気候と溶岩に由来する土壌ゆえに稲作が困難だったが、
そのあたりでは「水掛麦」という栽培方法で麦作が行われ、伝統的に小麦を中心とした粉食料理が日常食とされていたらしい。
人口およそ52000人の富士吉田市には60軒以上のうどん店があり、1000人に1軒以上うどん店があるそうで、これは相当高い比率らしい。
ウィキペディアなどにそんなふうに書いてあった。肉うどんと鳥めしを頼んでみた。ノーマルなうどんだと一杯400円で、肉うどんは500円。
安くていい。細めに切った茹でキャベツがのってるのが特徴的である。煮干ダシの味噌しょうゆ合わせ味のつゆだった。
とにかく麺のコシが強くてすごい。しっかり噛まないと飲み込めないくらい。満腹感がすごい。おいしかった。鳥めしもおいしかった。
なによりも、店のホール担当がおばさん一人で、忙しい昼時でもてきぱきと仕事をこなしててすごかった。
いい仕事ぶりなのでしばらく観察してたら、注文の伝票なんかなくてもテーブルごとの注文をちゃんと覚えてて会計も早いし水も運ぶし料理も運んで働き者だ。
■店を出て、甲斐奈神社のある甲斐奈通りという道を西へ歩き、途中白人二人組みにコンニチハと声をかけられながら甲府駅前方面へ。
「小坂銃砲火薬店」という店や駄菓子屋、おばあさんがやってるような昔ながらのパン屋などがある。
城下町らしく、たてよこ道路が十字に交差する碁盤目の街路が東西南北に広がっている。「桜通り北」という交差点を北に曲がると、
通りの突き当たりに石垣が見える。舞鶴城公園である。遊亀橋で堀を渡ると広場があり、立派な石垣が長く伸びている。
この公園が甲府城跡である。甲府城についてちょっとだけ調べてみると「武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城されました。
関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたといわれ、徳川体制になってからは西側への備えとしての重要性を保ち続けたといわれています。
かつては20haほどの広大な城郭でした。現在は、城跡の一部が『舞鶴城公園』『甲府市歴史公園』として開放されています」ということである。
日本100名城にも選ばれている。1600年頃に完成したと考えられている。
■まず目に入るのが高い石柱である。謝恩碑だそうだ。明治天皇が、水害に苦しむ山梨県に対し、
災害の復興にと皇室の山林を県に下賜されたことに対する感謝の記念に建てられたということである。
高さ30m、大正9年に建てられたものである。そして、平城のわりには高い石垣が築かれている。石垣に落書きが多いのが残念だ。天守台まで登ると甲府の市街がぐるっと見渡せる。
とにかく、山並みが美しい。手前に見えるのが東横インだとしても、遠くに見える山々の荘厳な姿を見ていると、参りましたと言いたくなるくらいきれいだ。
しかもその山々の向こう側には、富士山の上のほうも見えている。
■甲府駅と線路を挟んで反対の北口側にあるのが甲府市歴史公園で、中央本線の線路に分断されてしまっているが、こちらも甲府城の一部だったエリアである。
資料を元に門や櫓が復元されており、山手渡櫓門の中の展示室には、城跡の発掘調査によって出土したものが展示されている。
中でも、丁重に葬られていた馬の骨が完全な形で出土したらしくて、そのレプリカがあった。身分の高い人間の愛馬だったと考えられているそうだ。
馬の骨は、顔が長くて恐竜の骨みたいだった。線路の向こうには天守台の石垣がそびえ、その向こうには富士山が見えていた。いい眺めである。
甲府城の歴史に関するビデオも見ることができる。展示室の係りの人も、舞鶴城公園内にある恩謝林記念館の係りの人も、とにかくいろいろなことを教えてくれようとする。
とても熱心だ。人によってはそういうのを嫌がるかもしれないが、彼らからとても強い郷土愛を感じた。
■甲府駅の北口からバスに乗って武田神社へ。2005年の夏に一度訪れているが、そのときは時間がぜんぜんなくて、ちょっとだけ見てすぐに引き返した。
今回はゆっくり見て回ることができた。駅からまっすぐ北へ2kmほどのところにある。
神社は躑躅ヶ崎館の跡地に建てられており、「武田氏館跡」として国の史跡に指定されている。
こちらも日本100名城にも選ばれている。ウィキペディアを見ると
「戦国時代に築かれた甲斐源氏武田氏の本拠地で、居館と家臣団屋敷地や城下町が一体となっている。
信虎、晴信(信玄)、勝頼3代の60年余りにわたって府中として機能」と書いてあった。
現在の甲府市は、駅南側が中心地となっているが、かつては北側の、この躑躅ヶ崎館を中心とした地域が栄えていたらしい。
参道から南側を振り返ると、鳥居越しに甲府の町並みが見える。
新年も一週間以上過ぎたが、まだ初詣の参拝客が多いようで、本殿に向かって長い行列ができていた。
境内には水琴窟もあれば能舞台もあり、なぜか鶏が歩いているし、ハローキティの石像が目立たないところにぽつんと置いてあったりした。
キティは地元の石材店から奉納された品のようである。宝物殿にも入ってみた。軍扇や具足、「武田二十四将図」などが展示されていた。
中でも目を引いたのは、ものすごい長さの槍や、いまだ鋭く光る太刀等の武器類である。迫力がある。重要文化財である太刀「吉岡一文字」も見た。
■バスで甲府駅まで戻り、一駅となりの竜王駅へ。この駅舎は、安藤忠雄の設計ということなので見に来てみた。駅南北の広場はまだ工事中だった。
駅舎はガラス張りで、夕暮れ空に山並みのシルエットがよく見える。ここからも富士山がよく見える。
公共性が高く、機能的な部分での制約も多いはずの駅という施設をどう設計したのか気になって見に来たのだけど、
コンクリートの打ちっぱなしでがっしり、という安藤さん設計の他の建物と比べると、ガラス面が多いせいか、軽やかな印象を受けた。
この駅舎もそうだが、鋭角的ボリュームの構造の組み合わせをやらせたら安藤さんよりうまい人はそうはいないと思う。
■甲府へ戻って高尾行きの上り列車に乗って大月まで。勝沼あたりから甲府盆地の夜景が見える。大月で軽く食事。以前大月に来たとき、駅を出ても真っ暗でなんにもなくて、
ヤマザキストアしかなかったという印象だったが、今回はまだ早い時間だったからか、駅前の店もまだ開いてて、人もそれなりに歩いていた。
若者もけっこう歩いていたので、いくらか活気のある町のように見えた。横道に入ると昔ながらの食堂や飲み屋があった。
大月から東京行きの快速。夜の上りは空いてて、さびしい感じがして、それがいい。東京から総武線の快速で津田沼まで。
No.1465 2010-1-03
丹生神社。
■天気がよかったので歩いて、家からいちばん近い丹生神社へお参りに行った。初詣らしく破魔矢とかお守りとかお札なんかもめずらしく売ってたが、
参拝にくるひとはあんまりいなくて暇そうだった。もう3日にもなるとあんまり来ないのかもしれぬ。また一年無事に過ごせるようにと手を合わせてきた。
■そのまま谷津駅前の商店街までのんびり散歩。まだ休みの店が多く、パン屋や飲食店、書店、花屋などはシャッターが下りていた。和菓子の店や喫茶店は営業してた。
商店街が京葉道路に突き当たるあたりに、高い煙突のある銭湯があるのを初めて知った。「谷津の湯」というみたいだ。商店街のなかにあるローソンの店員は二人とも中国人だった。
■駅の北口側へ行くと、駅の目の前に小さなステージみたいのが設えてあって、その上に大きな門松があって、
まわりは金ぴかだったり庭みたいになったりしててなんだかよくわからないがびっくりした。北口の商店会の人たちが飾ったらしい。
No.1464 2010-1-02
小林写真館。
茶房菊泉。
菊泉店内。
日本基督教団函館教会。
■函館滞在中はずっと天気がわるかった。新年二日目も朝から雪。ついてないなと思ったが、よく考えてみたら、1月の函館といったらこれが普通だった。
ここ数年、正月に帰省してたが、たまたま穏やかだっただけである。吹雪のなか、午後からまた1系統のバスに乗って出かけた。
大晦日の日の夜よりは乗客が多く、駅前の棒二森屋デパートの前のバス停で乗り降りが多かった。
初売りの客だと思う。福袋を持った者もいた。
■弥生町のバス停で下車。弥生小学校のようすが気になっていたのだ。
函館の弥生小学校解体に関する話は2009年3月に書いた(津田沼ノート2009年3月の3月8日の記事です)。
工事が進んでいるようで、校舎のまわりはぐるっと囲いができていた。
体育館などの解体が進んでいて、ちょっと呆然とした。正月休みの間、開口部から雪が入らないようにということだろうか、板が張られていた。
痛々しい。自分はここの小学校の卒業生でもないし、親や兄弟の母校でもないから、とくに縁もゆかりもないが、いくつかの資料を読み、
やっぱりここの、重要文化財クラスの貴重な校舎は残すべきだったと思っている。
■いまの函館には観光しかない。ただ多くの地方都市は、これといった産業もないから、観光があるだけでもまだ函館は恵まれてるのかもしれない。
函館の町には文化の厚みがある。うすっぺらい観光地ではない。だからなんとかまだ観光客が来てくれている。
いま、函館では「官」が文化を破壊し、「民」が文化を守っている。「民」といっても、この町の文化が貴重なものだと気づいた一部の人だけだが。
函館市民は政治や文化に対する興味関心が非常に薄い。役人連中が何をやっても、自分には関係ないと思っている。
自分の懐にしか興味のない役人に、町はどんどん壊されてゆく。こんなことをやってたらそのうち観光客も来なくなる。
現に、国内からの観光客は年々減っている。やっぱり生まれ育った町だから、これ以上寂れてほしくないという気持ちはある。
■戦前の建築物の耐震性は、阪神大震災のとき証明された。いまの建物と比べても、やたらと壁は厚いし柱も多いから、地震にはめっぽう強い。
そういう頑丈な戦前建築を戦後の粗悪建築と同列に扱ってはならないのに教育委員会は戦後に作られた耐震基準を以って
「地震が起きたら壊れる。危険だ」と判断を下し、しかも虚偽の耐震診断をやった。もし偶然、検索かなにかでここを見て下さった函館市民のかたがいたら、
市の役人達は自分の利益のために函館の貴重な遺産を、嘘をついてまで破壊したということを覚えておいてもらえたらいいなと思う。
そして、工事囲いに貼り付けられた工事告知の看板に、町の遺産を壊して金を得たものたちの名前が書いてあるのでよく見ておいてほしい。
弥生小学校。
■中華会館や小林写真館の建物を見てから元町公園を通り、公会堂の横の西高校へ続く道を少し歩き、「菊泉」という、
古民家を利用した茶店でぜんざいとほうじ茶をいただいて休憩。寒くて外に居続けられなかった。囲炉裏ばたの席に座って暖を取る。
店のひとはとても感じがよかった。北側に大きな窓があるので、晴れていれば函館港を見下ろせると思うが、外はまだ吹雪いていたので見通しがきかなかった。
大正10年、当時栄えていた酒問屋菊泉の別宅として建てられたものらしい。体があったまったので店を後にし、比較的除雪が行き届いている八幡坂を上がったり下がったりしてたら、
「peacepiece」と書いてあるしゃれた看板を見つけた。「select coffee shop」ということである。道からちょっと奥まったところに小さな店があった。
気になったので、今度函館に行ったら入ってみようと思った。
■市電の通りから一本山側に上がった通りにあるバス停の時間を見ようと元町のバス停へ行くと、向かいにあるのが日本基督教団函館教会である。
最初に建てられたのは明治10年(1877年)だが、大火で焼失してしまった。いまの建物は昭和6年(1931年)に建てられたもので、鉄筋コンクリート造。
市の景観形成指定建築物に指定されている。近くにある他の教会とくらべて、敷地ぎりぎりに建てられているのでやや窮屈な印象もあるが、
美しい建物である。観光ルートからはちょっと外れているので知名度は高くないかもしれないが、見てもらいたい建築の一つである。
寒さと吹雪でこれ以上外にいるのはきびしいと思い、たまたまちょうど来たバスに乗車し、実家へ戻った。
■早めの夕食を用意してもらい、JRとリムジンバスを乗り継いで函館空港へ。小さい空港は手荷物検査もすぐ終わるし長い距離歩かなくていいから楽である。
定刻より15分ほど遅れて離陸。満席だったようである。羽田からはリムジンバスで津田沼まで。
No.1463 2010-1-01
友人からもらったRISING SUN ROCK FESTIVAL 2009 in EZOでの写真。
■年が明けて雑煮。外は荒れた天気。この一年の展望とかそういったことはとくに考えなかったが、
今年は伊勢神宮に行ってみたいと思った。理由は特にないが、日本人だから一度くらい行ってみたい。
そしてRISING SUN ROCK FESTIVAL in EZOは今年も、例年通り8月に開催されることが公式サイトで発表された。
どうにか今年も行けたらいいなと思う。天皇杯決勝は、ガンバ大阪が名古屋を下した。
早めの夕食はなぜか元日からきりたんぽ鍋。ハタハタも食べた。どちらもうまい。たくさん食べ過ぎて腹がきつかった。
夜は地元の友人らとチェーン系の居酒屋に集い、閉店時間まで居座っていた。何も食べれなかったので飲み物ばっかり飲んでた。
2009年のRISING SUN ROCK FESTIVAL in EZOのときの写真が入ったCDを友人が持ってきてくれた。上の画像はそのうちの一枚。
外へ出るとさらに雪が積もっていた。
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