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No.1562 2010-12-31
■津田沼から電車で羽田空港へ行くにはいくつか方法があって、いろいろ試してみて最近では新橋で一度だけ乗り換えをするルートで行っていたが、 今回は初めて、京成津田沼からまっすぐ、乗換なしで行ける電車を利用してみた。乗車時間自体は多少長いが、乗換含めたトータルではほとんど変わらないし、 値段もおんなじだった。やはり品川から相当な数の乗車があり、京急蒲田あたりでいっぱいになった。 羽田空港はまだ早朝なので開いてる店も少ない。マクドナルドで朝ごはんを買い、いそいそと搭乗ゲートへ。 天候が荒れているせいで、青森行きは欠航になっていた。函館行きも引き返すか千歳着もありという条件付きフライトになっていた。 なんの根拠もないが、まあ大丈夫だろうと思っていたら大丈夫だった。無事函館空港に着陸。 こんな時期なのに飛行機は満席になっていなかった。
■空港から函館駅行きのバスに乗車。バスの中で観光マップみたいなのを広げて見ている者もいた。 函館駅は帰省客らでなかなかの混雑。一駅乗って五稜郭駅で下車。歩いて実家。雪はそんなに積もってないが、 路面がカチカチに凍っていて歩きにくい。実家に着いて間もなく、父の入院先の病院へ見舞いに。父は食欲もあり元気そうだが、 病院で年を越すはめになり気の毒だ。夜は兄の家族も来て賑やかな夕食。兄は上海にいて帰ってきてなかったが。うまいものをたくさん食べた。 甥達と将棋。容赦なく飛車角金銀取りまくって勝ってやった。年末のテレビ番組等も特に見ることなく、早々と寝た。
No.1561 2010-12-29
■前日荒れていた天候もいくらかましになったようで、風はまだちょっと強いが雨は降っていなかった。早朝に宿を出て丸亀駅からちょっとの距離を特急移動。 ちょうどいい時間の普通列車がないためやむを得ず。前日通った土讃線をちょっと戻る。外はまだ夜明け前で暗く、とても寒い。 20分ほどの乗車で前日素通りした琴平駅に到着。改札口とかいろいろな場所に「金」の異体字みたいなロゴマークが入っている。 「金刀比羅宮」の「金」なのだろう。早朝なので人は少ない。売店もまだやってなかった。コインロッカーに荷物を預ける。 琴平駅の駅舎は1922年に建てられた堂々とした木造の洋風建築で、中は天井が高く、外観はハーフティンバーのしゃれた意匠だ。 車寄せの三角屋根には明かり取りの半円形の窓がついている。ずいぶん凝ったデザインなのは、大勢の人が参拝する金刀比羅宮への表玄関という役割があったからだろう。 今は観光バスですぐ近くの駐車場まで乗り付けるのが普通なのだろうが。まだ暗いので、三角屋根についている駅名のネオンが光っていた。 駅を出て歩き出すとすぐ、道の両脇に唐獅子と石灯籠が並ぶ。南西に向かう道の先にはホテルや旅館の大きな建物が見え、その向こうには小高い山がある。 琴電琴平駅の前を通り、金倉川を渡って突き当たりのT字路を南東方向に行き、つるや旅館のある交差点を南西に曲がる。 少し先へゆくと、町並みがいかにも参道という雰囲気に変わり、石段が見えてくる。

金刀比羅宮参道
金刀比羅宮参道。

金刀比羅宮旭社
金刀比羅宮旭社。

■よく、こんぴら参りをした人の話に「ひたすら石段を登った」とか「石段を上ったことしか覚えてない」といったような記述が出てくる。 今回初めて実際に行ってみて、そう書いてた人の気持ちがよくわかった。とにかく階段ばかりなのだ。 参道の両脇に何軒もたくさん連なってる土産店はほとんどまだシャッターが閉まっている。ただただ無心で石段を上った。 一之坂鳥居まででちょうど100段だそうだ。両脇には備前焼で作られた狛犬がある。 やたらと「灸まん」という看板が目立つ。こんぴら名物らしいが、聞いたことなかった。ふと振り返ると、いつのまにかずいぶん高いところまで来ていた。 空が明るくなってきて、眺めがいい。365段上ったところでようやく大門までたどり着く。大きな門松が置かれている。 門を入ったところにある鳥居には、謹賀新年の横断幕も取り付けられている。ようやく平坦な参道になり、それがしばらく続いた。 両側には提灯がずらりと並ぶ。掃除のおばちゃんに「早いなあ」と声をかけられた。また石段が現れ、上ったところに青銅の鳥居が立っていた。 まだまだ上る。628段で旭社。1837年に建立。本堂と見紛うような大きく壮麗な建物で、数多くの神様を祭っている。 そこを過ぎると唐銅の鳥居で、642段で長曽我部元親が献納したという賢木門。652段で手水舎。寒かったのに、ここまで上ってきて体が熱くなっていたので、 清めの水が手に気持ちよく感じる。この石段をジョギングしてる者が数人いた。地元の者だと思うが、すごいもんである。 よく走れるなと感心した。

金刀比羅宮本宮
金刀比羅宮本宮。

讃岐平野を一望
本宮前から讃岐平野を一望。

■785段目でようやく本宮。かなりきつい。標高251mというから、ちょっとした登山みたいだった。それにしてもこの本宮のある高台からの眺めがとてもいい。 讃岐平野が一望でき、平野にぽつんとある「讃岐富士」と呼ばれる飯野山も遠く四国山地の山々までもよく見える。
金刀比羅宮の祭神は大物主命と崇徳天皇。主に航海の安全に深く関わる神社ということで、船舶に携わる人達からの信仰が特に篤いそうだ。 江戸時代中期あたりには全国からの「こんぴら参り」が盛んになり、伊勢神宮への「お陰参り」に次ぐ庶民の憧れだったということである。 伊勢神宮と違って、海に隔てられた四国に渡るのは、当時に人達にとってはかなりハードルの高いものだったと思うのだが、 それでも大勢やってきたというからたいしたものである。この神社の歴史について調べてみると、元々は松尾寺というお寺だったそうだ。 後の神仏習合によって象頭山金毘羅大権現と呼ばれるようになり、明治に入ってからの神仏分離令によって松尾寺は廃され、金刀比羅宮と改称し今に至るということらしい。 いろいろ複雑である。でも神社の公式な由緒を読むと「最初から大物主神を祭る琴平神社と称する神社」で 「江戸期の書物には『この山に鎮座してすでに三千年に近くなる』と書いてあります」というふうになってる。まあいろいろである。 廃仏毀釈の時にいろんな寺で仏像が破壊されたりしたから、それを避けるためにいろんな苦労があったのではないか。
■そもそも「こんぴら」ってのはなんなんだ、と思うむきもあるだろう。自分もそうだったのでこれも調べてみると、 インドの神様からきてるそうだ。「クンピーラ」というワニのような姿をした水の神様がインドにいたらしい。 ワニだから水に関わりが深く、また、この神社がある象頭山が瀬戸内海を航行する船の目印になったことから、いつしか船の守り神とされるようになった、ということがわかった。 中国あたりで、水の神様というと龍だったりするイメージがあるが、ワニは龍に似てなくもないから、このあたりと関係があるのかもしれぬ。
で、本宮のあたりも、既に初詣の準備がかなり進んでいて、ロープを張って順路を作ったり、案内板を出したりしていた。 いまの本殿は1878年に再建されたものだが、最初に創建されたのがいつ頃なのかはっきりわからないらしい。 西暦1001年に改築されたという記録は残っているみたいだ。調べてるといろんな場所に「金刀比羅宮は桧皮葺・大社関棟造りで云々」と、 当たり前みたいに書いてあるのだけど、「大社関棟造り」が一体どういう造りを指すのかがわからないのだ。拝殿の陰になっててよく見えないし。 で、拝殿だが、香取神宮の拝殿の形によく似ていると思った。屋根の形がやや複雑で立派な唐破風がついている。 朝早い時間なので、まだ参拝客はほとんどおらず、ゆったりお参りできて気分がいい。拝殿の横には、大きな楠の木があった。 歴史のある寺院や神社にはよく大きな楠がある気がする。
■本宮の近くには三穂津姫社という別宮があり、1876年に建てられた社殿がいまも残っている。祭神は三穂津姫神という神様。 大物主命の后にあたるそうだ。三穂津姫社の並びには絵馬殿という建物があって、各地から奉納された大小さまざまな絵馬が飾られている。 特に船の描かれたものや船の写真の額が多い。船の浮き輪や潜水艦の模型も奉納されていた。本宮を後にし、石段を下る。 上ってくるときは気づかなかったが、途中、御厩があり、中に神馬が二頭いた。一頭は白の若い道産子、もう一頭は茶で、年老いているが、 馬の種類はなんとサラブレットだった。そのサラブレットは、時折、首をぐるぐる回していた。なんとうなく得意げな顔をしているように見えた。 どこからともなくおばちゃんがやってきて、いきなり柵の中にずかずかと入って、二頭の馬たちににんじんを与え出したのだ。 格好を見るとどうも関係者には見えないし、勝手にやってるのだろうか。よくわからないが馬たちはおいしそうにばりばり食べていた。 近くには大きな金色の船のスクリューが置いてあった。これも奉納されたもののようだ。さらに、アフリカゾウの像もあった。 スクリューは船に関係あるからわかるが、アフリカゾウはわからない。
■金刀比羅宮はとにかく本当に石段が大変だしその印象が強く残る。あと、ミッフィーの絵柄のお守りが売ってたり、 なぜか境内にレストランがあったり、いろんなところに「金」のマークがついてることもあって、どうも商売気の強い神社に思えたが、 いたるところで歴史や篤い信仰を感じるし、何よりも参道から始まり森の中へと続く石段の道の雰囲気がとてもいい。 ようやくぽつりぽつりと参拝客とすれ違うようになり、すっかり明るくなった参道の石段をよいしょよいしょと降りる。 土産物の店がようやく何軒か開き始めた。風が少しあり、空は曇ったり晴れたりしていた。来た道を戻る。来るときは暗くてよく見えなかったが、 途中にある琴電の琴平駅は案外こぢんまりとしてるけど立派な瓦屋根と縦長の窓がたくさんある凝った駅舎だ。JRの駅まで戻る。 コインロッカーに荷物を預けていって正解だった。琴平駅からは、わずかな距離を特急利用。土讃線を再度北へ戻り、多度津駅で快速列車に乗り換え。 多度津から40分ほどで高松に到着。初日のスタート地点まで戻ってきた。
■駅から高松港までは歩いてすぐ。こんどはフェリーで島へ渡る。風が強いがとくに船便に影響はないようだ。この港からいろいろな行き先のフェリーが出ている。 女木島経由男木島行きのフェリーに乗船。切符売場がわかりにくい場所にあった。長距離フェリーだと、出航のかなり前に港に着いて乗船名簿に名前書いたりいろいろ面倒だが、 このフェリーはぎりぎりの時間についても乗れるみたいだった。船内に入り階段で2階の客室へ。中はロビーのようになってて、 飛行機や列車とちがってゆったりしている。座席がたくさんあり、前方と後方の一角には靴を脱いで上がる座敷のようなスペースもあるし、 ソファでくつろげる場所もあって、家族連れなどはそのあたりに乗っていた。瀬戸内海にしては波が幾分高いが、揺れは大したことない。 乗客を見ると老人が多いが、若い親子や学生くらいのグループ、旅行者ぽい者もいる。全部で40人もいただろうか。 船内をうろうろしてるのは自分含めて数人だけで、みな乗りなれているのか思い思いにくつろいでいるようだった。大小いくつもの島が浮かぶ海をゆく。瀬戸内は船の交通量が多い。 客室の大型のテレビではNHK。この一年を振り返るような番組が放送されていた。宇宙から帰ってきたはやぶさを詳しく取り上げていた。 20分ほどで女木島に寄港。乗客の半分以上がここで降りていった。

男木島のアートと島の人
男木島の「アート」と島の人。

男木島灯台
男木島灯台。

■数分の停泊後、船は男木島へ向かう。女木島から20分くらいで男木島に到着。高松から片道500円。船は一日6往復あるようだ。島の南西にある小さな港に入港。とてもよく整備されたきれいな港だ。 釣り人向けの宿のようなものは一軒か二軒はあるようだが、その他に飲食できるような店はぜんぜんなかった。こんな島でも郵便局はひとつあった。 建物の壁に「正月用の魚の注文を受付ております」という紙が貼ってあって、エビが3000円とか、モンゴイカが3500円、カニは6800円、カキは時価で、 12月21日までに組合に申し込んでということが書いてあった。集落の外れを通り、島の北側へ歩いていってみた。集落から離れていくと人の気配がまったくない。 車一台分の幅だけの道が延々続く。崖の下と斜面に段々になった畑があり、木々の間から海が見える。古い木製の電柱が何本かあった。 1.5kmほど歩いてようやく男木島灯台までたどり着いた。ごろごろ丸い石の海岸にかわいらしい灯台が建っている。 高さおよそ14m、総御影石造りのこの灯台は、1895年に建設されたということだが、100年以上海の際に建っているわりには傷みも少ないように見える。 すぐ横に資料館のような建物があったが、休館日だった。灯台の脇にはちいさなキャンプ場がある。こんなひと気のない場所でもコカコーラの赤い自動販売機があって、 あたたかいものが飲める。この島では水仙をたくさん植える運動をやってるみたいで、山や森の小道の両脇に水仙がずらっと植えてある。 四国に来てから毎日山登りみたいなことをしているが、この島でもまたかなり登った。とても見晴らしがいい。 大型の貨物船が何隻も行き交っているのが見える。このあたりの海は明石海峡に次いで全国第2位の船舶交通量なのだそうだ。 山の道の途中に「タンク岩」というのがあるという案内が出てたのでどんなものかと見に行ってみたら、 島のいちばん高い場所あたりに縦長のごつい岩があった。火山噴火で出来た巨大な柱状節理で、高松市指定天然記念物になっている。 戦車に似てるからタンク岩、という説明もいまひとつ合点がいかず、ああ、岩だな、という以上の感想は出てこなかったが、 とりあえず悪路をよじ登ってタンク岩にさわってきた。

男木島の猫
男木島の猫が道を案内してくれた。

豊玉姫神社から
豊玉姫神社から男木島の港を見下ろす。

■延々歩いて、ようやく島の南西の集落まで戻ってきた。一軒の空家が休憩所として開放されているのだけど、そこの戸に「猫が入るので閉めて下さい」 という紙が貼ってあった。集落内をゆっくり歩いてみた。路地の先に見える瀬戸内海。ヘアピンカーブの坂道。手すりの無い階段。狭い畑。 折重なるように建てこんでいる古い家屋。斜面にひと固まりになっている集落。迷路のように入り組んだせまい道。たくさんのカーブミラー。 たくさんの空家と廃屋。道を案内してくれた猫。古い原付と自転車。玉石垣。みかんの木。やかんに植えたサボテン。山積みになった古い瓦。 いちばん高いところにあるちいさな神社。おだやかな表情の狛犬。
どこかで見たことのあるような景色だけど、たぶんこんなところはいままで一度も見たことがなかった。とても美しい島だ。
■この男木島やとなりの女木島、あと瀬戸内に浮かぶいくつかの島でこの夏、瀬戸内国際芸術祭というのが開催されていたそうだ。 芸術祭は終了したが、そのときの作品がいまもいくつか島に残っている。いわゆる現代アートというやつである。 それらを見に来る人もまだいるそうだ。そういったアートが楽しいと感じる人もたくさんいることだろう。 実際、開催期間中は大変な人数が来島したという。フェリーも大盛況だったそうだ。 船で島について最初いきなり目に入ったのは、芸術祭での作品の一つ、フェリーの待合所等として使われているガラスの建物で、 ジャウメ・プレンサというスペイン人の作品だ。屋根は、いろいろな国の言葉の文字がびっしりつながってできている。 いまは「男木島交流館」という名前になってるようだ。
すごい異物感だった。
以前、東京の木場にある現代美術館でおばちゃんが作品を見て「よくわからないねえ」と言っていた。 現代美術はわかる、わからない、というよりも好きかきらいかが大事なんじゃないかと思う。 交流館の他にも空き地でパイプつないだやつとか、古い家の壁に色を塗りたくったやつとか、いろいろある。 どれもこれも、突拍子もない。概して現代アートというのはそういうものなのかもしれないが。 あと、映像でしか見たことないが、直島のアートに似た印象。正直、自分は直島とかはいまいちぴんと来ない。 島の年寄りのマストアイテムになっている手押し車を作る企画や古い椅子をリノベーションして置いておく企画なんかはいいと思ったが。
■瀬戸内国際芸術祭の成功で、今後、離島や過疎地で同様のイベントが行われるかもしれない。 安易にアートにとびつく自治体が出てくるような気がする。
地域の活性化。
それはいまの日本では「正しい」ということになっている。
それが本当にいいことなのかどうかはよくわからない。
そっとしておいてやるべきなのか。
島はすごいスピードで衰退している。
アートは島を救うのか。
衰退を止めるのは正しいのか。
わからない。
島の人たちはどのように考えているのか。
よその人達がたくさん島に来てくれたらやはり嬉しいのだろうか。
表現という名目でなにを押しつけてもいいのか。
わからない。
そこにはアートという名の、
ただ異様な姿があった。
帰りの船ではそんなことをずっと考えていた。
■高松駅で、岡山からの新幹線の切符を買っておこうと思ったら、みどりの窓口には長蛇の列。自動券売機が一つだけあったのでそこで買った。 高松からは快速マリンライナーで岡山まで。窓の外の瀬戸内海を見ながら、次に四国に来れるのはいつになるだろうと考えていた。 でもその気になれば、ちょっとの時間とお金でいつだって来れるのだ。岡山駅は、在来線のホームも新幹線ホームも混雑していた。 帰省ラッシュが始まっているみたいだった。上りの新幹線は空いていた。品川で快速に乗り換えて津田沼。もう休みに入っている者が多いのか、 電車は空いていた。四国より千葉のほうがあったかかった。
No.1560 2010-12-28
安和駅
海が見える駅。土讃線 安和駅。

■高知駅から土讃線の始発下り列車で西へ。夜明け前のこんな時間なのに乗ってる人がけっこういる。外はまだ真っ暗で空気が冷たい。 斗賀野という駅あたりまで来てようやく空が明るくなってきた。前日、沈んだ太陽がまた太平洋から昇ってきた。空がオレンジ色になり、 トンネルを抜けると、太平洋に面した安和駅に到着。日本各地いろんな駅、特に海が見える駅を訪ねてきたが、 こんなに天気とロケーションとタイミングに恵まれたのは初めてだと思う。海と朝日が美しくて、カメラのファインダを覗きながら涙が出そうになった。 沖のほうには岩山がいくつか見える。線路のそばには南国の木。古い枕木を立てて線路の柵にしている。 駅は待合小屋が一つあるだけで、片面一線の小さな駅。駅の周辺の様子を見ると、山の間のちょっとした集落になっていて、 近くを走る国道56号線は交通量が多い。そばにある高台から見下ろすと、浜辺が弓の形しているのがよくわかる。

久礼 大正町市場
久礼 大正町市場。

■安和駅から一駅先の土佐久礼まで。小さな駅だが、ホームの屋根の柱など凝った装飾が施されていたり、 外壁が下見板張りだったりして、歴史を感じさせる。 駅舎内では切符の販売をする窓口が開いており、駅員さんがいるようだった。 駅から歩いて数分のところに「大正町市場」がある。大正4年、市場周辺が大火災にあったとき、大正天皇から復興費が届けられて、 これに感激した町民が元々「地蔵町市場」と言ってたのを「大正町市場」と改めたそうだ。駅の案内板にそう書いてあった。 アーケードのあるそれほど長くはない通りの両側に店が並んでいて、 大漁旗がつるしてあったりする。普通、市場というと朝が賑わっているというイメージがあるが、ここの市場は昼がメインなんだそうだ。 その日獲ってきたばかりの「朝どれ・昼どれ」の魚が並ぶらしい。自分が行ったときは朝だったので、数軒の店が開いてるだけだった。 それでも客は少しだけだが来ていて、魚かなにか買っていってたようだった。アーケードの出入口にある市場の看板はずいぶん派手で今風のものだったが、 中に入るとなんだかずいぶん時代がさかのぼったような、そんな雰囲気のある市場であった。「漁師のラー油」なんてものも瓶で売られていた。 市場のすぐ近くに神社があり、境内では若い人やおっさん達がなにか修繕工事のようなことをしていた。 鳥居の先には漁港の海が見えたんで、そっちまで歩いてみた。蛇口にホースがつながってる水道があって、 そこからちょろちょろ水が出ており、その水をなぜか一羽のニワトリが飲んでいた。なんだろうこのニワトリは、と思って近づいてみると、 どこからともなく猫が一匹すたすたと歩いてきたので、ニワトリと一戦あるか、と思ってじっと見ていたが、何事もなく猫は通り過ぎて繁みの中へと消えていったし、 ニワトリは水を飲み続けていた。そばには黒い猫もいて、こちらをじっと見ていたので近寄ってみたが逃げなかった。なでてやったらごろごろいっていた。
■駅まで戻り、高知まで特急で戻る。同じ列車に小学生くらいの少年も乗り込んだ。仲間が既に先に乗っていたようで、合流したら騒がしかった。 途中の須崎駅は広い構内を持つ駅で、近くの工場か何かへの引込み線も見えた。 列車は空いている。窓から射す日の光があたたかくて気持ちがいい。土佐久礼からおよそ50分で高知に到着。 前夜は気づかなかったが、高知駅前では坂本竜馬関連のなにかイベントがこれからあるのかもう終わった後なのか、 イベント会場みたいなのができてて、人はいなかったが、竜馬君みたいなキャラクターが置かれていて、顔の部分以外が花などの植物でできていた。 うまく説明できないが、とにかくそういうのがあった。駅のキオスクで買ったJR四国オリジナルのペットボトルのほうじ茶が濃くておいしい。 高知からは土讃線の上り普通列車に乗車。特急にも乗れる切符を持っていたが、 数年前にこの路線にのったときは特急でさっさと通過してしまったから見れなかった途中の新改駅を見てみたかったのだ。 列車は一両のロングシート車だが、都会のそれとは違ってドアが一番前と後ろにしかないから、長い長いロングシートである。
■高知を出ると隣が薊野駅で、読めない。「あぞうの」だった。「薊」はアザミのことらしい。高知から後免までの間が前の晩に通った区間で、 その3つ先の土佐山田駅で列車すれ違い待ちの長時間停車。この列車にはトイレが付いてないので、駅のトイレを借りに数人が車外へ。 駅前にアンパンマンの絵が描かれたバスが停まっている。車内でじいさんがコンビニエンスストアで売ってるようなおにぎりを食べようとして外装をうまくはがせなくて苦労していた。 対向列車が到着し、こちらの列車も発車。しばらく走るといつの間にかずいぶん高い場所を走っていた。 景色が山深くなる。高知からちょうど一時間ほどで新改駅に到着。本線から逸れるスイッチバック駅だ。 ここで下車してしまうと次の列車が3時間後なので残念ながら降りられなかったが、駅とその周辺を観察することができた。 標高は274mだそうだ。周囲には本当に何もない。白っぽい色の小さな駅舎と、 駅から少し離れたところにあるシャッターの閉じた車庫みたいなものの他は人工物らしきものは見当たらなかった。 かつてはこの駅の前に商店があったというが、信じられない。もちろん乗降客はゼロだった。
■少しバックで引き返して本線に戻り、長いトンネルを抜けると次の繁藤駅がJR四国でもっとも高い場所にある駅で、標高347m。 角茂谷駅、土佐北川駅を過ぎて、大杉駅あたりまでくるとようやく久々に人里の雰囲気を感じる。 しばらくは国道32号線とつかず離れず走り、まだ上流で幅の狭い吉野川も時々見える。土佐岩原駅を過ぎると高知県から徳島県に入り、 最初の駅が有名観光地の最寄り駅である大歩危駅だ。特急も停まる駅なので、賑わいがある。西洋系外国人の家族が乗ってきた。 見下ろすとごつごつした岩肌の間を濃い青の川が流れている。見上げると山の斜面のずいぶん高い場所にも耕された畑や家がある。 一つとなりが小歩危駅。祖谷口駅を過ぎたあたりで急に川幅が広くなった。高知から2時間半ほどで、この列車の終点である阿波池田駅に到着。 ちなみに特急だとこの区間は1時間強だ。列車すれ違い待ちや特急通過待ちが多いので、普通列車と特急だとかなりの差になる。

坪尻駅
土讃線 坪尻駅。

■数年前にJRで四国をぐるっと回ったときは、この阿波池田から東へ向かう徳島線に乗って徳島まで抜けたので、 土讃線の阿波池田〜多度津間の約34kmは未乗だった。今回、この区間に初めて乗車。どのホームで乗り換えるのかなときょろきょろしてたら、 なんのことはない、高知から乗ってきた同じ車両がそのまま多度津行きになるだけだった。外国人に英語で「この列車は多度津行きか?」と聞かれた。 阿波池田を発車し、次の佃駅から線路が分岐して徳島線は東へ、土讃線は北へ。佃を出ると線路は吉野川を渡って大きくぐるっとカーブし、 次の箸蔵駅に停車。地図で見ると、この駅間の線路の距離は3.5kmほどあるのに、直線距離だと1.2kmしかない。 次の坪尻駅も新改駅と同様にスイッチバック駅で、鉄道以外の交通手段ではたどり着けないという、いわゆる「秘境駅」ということになっている。 標高は272mで、山中に木造の古い駅舎がぽつんとあり、スイッチバックの複雑な線路が敷かれている様子は、 鉄道オタクじゃなくても、おっ、と思うのではないかと感じたが、そもそも鉄道オタクではない人はここに停車する列車にはなかなか乗らないか。 特急列車はもちろん、普通列車でさえも時間帯によっては通過する駅だ。時刻表を見ると、上り下りそれぞれ一日7本停車するようだ。案外多かった。 一日の乗降人員は平均2人だそうだ。
■坪尻を出ると、県境を越えて徳島県から香川県に入る。空は晴れて虹が出ていた。香川県の最初の駅は讃岐財田駅で、こちらの一日の乗降客数は、2005年の統計で103人。 坪尻の「2人」がいかにすごい数字かわかる。調べてみたら、日本でいちばん乗車客が多いのは2009年のデータで新宿駅の75万人(JRのみ。降車客除く。私鉄線、地下鉄線除く)で、 津田沼は10万ちょっとだった。話が逸れた。讃岐財田駅は標高152mなので、一駅で一気に120mも下ったことになる。 景色もようやく平地に下りてきた感じになり、有名な「こんぴらさん」の最寄り駅である琴平を過ぎて、その一つ先の善通寺駅で下車。 阿波池田からちょうど1時間ほど。にわかに空がどんよりしてきた。駅舎は1889年の開業当初からのものを使用している。木造でいい雰囲気の建物だ。 出入口の引き戸の重さも時代を感じさせる。駅の中にはみどりの窓口もあるしキオスクもある。同じ列車で降りた中年女性が折り畳み自転車を袋から出していた。 駅前はよく整備され、タクシー乗り場には数台のタクシーが待機していた。駅からまっすぐ南西に伸びる道の先には、四国らしいこんもりとした山の姿が見える。 その道をまっすぐ歩くと善通寺市役所があり、郵便局や社会保険事務所などがある。同じ通りに「おしゃべり広場」という、 ずいぶん立派でお金のかかってそうなコンクリートの建物があった。市の施設みたいだった。市役所の建物は、人口34000人の町には似つかわしくないほど立派で、 通りを歩いてて、この町では派手に税金使ってるんだなという印象だけが残った。市役所の近くには四国学院大学という私立の大学があり、 その向いには「ホルモン学院大学」というわけのわからない名前の焼肉屋があった。

善通寺
善通寺。

善通寺の猫
善通寺の猫。

■駅からまっすぐ1.3kmくらい歩くと、五重塔が見える。四国八十八箇所の第七十五番札所の善通寺である。 807年に建立が始まり、813年に落成した真言宗の寺院で、東院と西院に分かれていて広い。寺の所蔵品には国宝や重要文化財が5点もあるし、 山門も五重塔も金堂も鐘楼もその他の建物もなにもかも立派ででかい。 というのも、真言宗の開祖である弘法大師空海の生誕地なので、八十八箇所のなかでも特別な存在なのではないか。 山門には注連飾りや「迎春」と書かれた提灯が取り付けられていて、新年を迎える準備が進んでいた。 東院の金堂の前には数人のお遍路さん達がいて、線香に火を灯したりしていた。金堂でお参りしようと段を上ると、目の端で何かが動いた気がしたので見てみると、 壁の板の色と似た猫がたたずんでいた。お参りをすませて猫をなでていたら急に風が強く吹いて雨が降ってきたので屋根のあるところでしばらく雨宿り。 すぐに上がったので西院にある納経所へ行って御朱印をいただいた。西院の仁王門のところには巨大な草鞋が置いてあった。 仁王門から回廊が続き、その先には御影堂が建っていて、弘法大師が誕生した場所ということになっていた。 境内を一回りしてから東院に戻ると、まださっきの猫が同じ場所にいた。寺の外周には、日本各地から奉納された五百羅漢がずらりと並んで壮観だ。大きな楠もあった。 善通寺をあとにして、来た道を引き返して駅まで。途中、横道に商店街があったので立ち寄ってみたが、なかなか寂しい雰囲気であった。 道の両脇にある街頭には「京町」と書かれたプレートがついていた。商店街の中の交差点の上には寺の屋根みたいな妙なものがつけられていて迫力がある。
■駅まで戻ると、強い風のため少し列車が遅れているというアナウンスがあった。高校生くらいの者達がたくさんいて、列車の到着を待っていた。 ほどなくして遅れていた快速列車がやってきたので乗車。善通寺駅で下車する者も多いようだった。善通寺から二駅先の多度津駅に到着した時点で、 土讃線全線乗り終えることができた。これでJR四国全線855.2km乗車完了で、JR北海道、JR東海に続いてJR三社目の完乗となった。 先日、東北新幹線の八戸〜新青森の区間が開通し、それに伴って東北本線在来線の八戸〜青森の区間が第3セクター線の「青い森鉄道」へ経営移管されたため、 今回新たに乗車距離が増えたのに、以前乗ったJR線の区間が無くなってしまったりして、いろいろあって残り未乗距離がそんなに減らなかったが、 なかなか来る機会の少ない四国の路線が全部片付いたのでよかった。 JR6社全営業キロ19830.5kmの内、乗車済みは19301.4km、未乗距離は529.1kmとなり、乗車率は97.332%となった。

丸亀城
雨の丸亀城。

■そのまま快速列車に乗り、予讃線の丸亀駅で下車。瀬戸大橋を走る列車にかなり強風の影響があったようで、ダイヤが乱れていた。 この日の行程は丸亀で終了。丸亀駅の天井には大きな凧がいくつか飾ってあった。既に暗くなっていたが、その足で丸亀城を見にいってみた。突然の暴風雨があったりして苦労したが、 かろうじて堀と門と城を見ることができた。アーケードのある商店街を通り、駅の方面へ戻った。商店街はかなり長く、縦横かなりの規模のものに見えたが、 営業している店は極端に少なかった。駅のすぐ近くのホテルにチェックイン。
No.1559 2010-12-27
■前夜、東京駅からサンライズ瀬戸に乗車。ひさびさの夜行列車で嬉しい。すぐに眠ってしまった。 早朝、目が覚めると窓の外が明るいので、もう日が昇ってるのかと思いカーテンを開けてみたら大阪駅だった。 まだ朝5時にもなってなかった。もう始発が走っているのだろうか。大阪駅はこんな時間でも煌々と灯りがついている。 もう一度寝なおして次に目が覚めたのが岡山駅だった。併結しているサンライズ出雲をここで切り離して、瀬戸は四国へ、 出雲は山陰へそれぞれ向かう。岡山駅から宇野線を経由して瀬戸大橋を渡る。眼下には瀬戸内海と小さな島々といくつもの船が見える。 瀬戸内海はたくさん島があって、いつも穏やかで、とても好きな海だ。四国側には石油の貯蔵タンク、大きな煙突、工場、造船ドック。
■サンライズ瀬戸は定刻よりも若干遅れて終点の高松に到着。価格の安いノビノビ座席は高い乗車率だったが、個室のほうはどうだっただろうか。 少し見た感じではそれほど乗ってなかったように見えた。曜日にもよるのかもしれぬ。
高松駅は、JR四国で最も乗降客数が多い駅だそうだ。通勤客も多いし、確かに都会的な賑わいというのか、活気のようなものを感じる。 でも、津田沼駅あたりよりもずっと人は少なくて、列車到着時の人波もすぐに途切れる。列車の発着本数は少なくないが、連結車両数が少ないので、 乗車人数もあまり多くないのだろう。駅の外に出ると、海が近いせいかとても寒い。 時間があったので、駅構内にある店で讃岐うどんを食べた。体があたたまるしとてもおいしい。
■高松からは特急「うずしお」という列車に乗って徳島まで。5両編成で、4両が自由席、1両の4分の1くらいが指定席で残りは自由席だった。 席が選び放題なくらい、利用者は少ない。志度駅の手前で一瞬、琴電のちょっとレトロな電車が見えた。 三本松駅のあたりでは、小高い山の上に雪がうっすら残っていた。大きな吉野川を渡る。時折左手に海が見える。 高松から一時間強で徳島駅に到着。徳島駅は確か数年前に立派な駅ビルができたのだけど、ホームは少しさびしい雰囲気。 都会的な高松駅の感じとはずいぶんちがう。冷たい雨が降っていたことも関係してるかもしれぬ。 ようやくここからが、今回初めて乗車する路線だ。牟岐線の特急「むろと」に乗車。特急なのに2両だった。先頭車両の前方一部のみが指定席。
牟岐線は四国の南東岸、徳島駅から海部駅に至る79.3kmの路線で、全線徳島県内を走る。 沿線には小松島市や阿南市などがあり、明治期には、高知県の室戸を経由し安芸、さらに後免まで延伸する構想があったが、 途中で断念された。
■徳島市内では、家並みの間に単線の線路が敷かれていて、どこかローカル私鉄のような雰囲気。 南小松島駅近くの役所のような建物には「みんなでなくそう部落差別」と書かれた垂れ幕があった。 羽ノ浦駅を過ぎると晴れてきた。宅地化が進んではいるが、まだまだ田畑が多く、のどかな景色。 那賀川や桑野川などの大きな川を渡る。阿南駅に停車。阿南は、この沿線ではそこそこ大きな町のようで、 乗降客もいくらかいたし、駅も新しく立派なものだった。駅前には阿南商工会議所の建物が見える。 阿波橘駅からは大きな煙突が見え、狼煙のような煙が上がっていた。遠く近くに山が見える。段々畑も見える。 前半はトンネルがまったくなかったが、徐々に短いトンネルが現われてきた。少しずつ地形が険しくなってきた。 桑野という駅に停車。なぜこんなところに特急が停車するのか、と思うような小さな町に見えた。徳島から一時間足らずで由岐駅に到着し、下車。

田井ノ浜駅
海が見える駅。牟岐線 田井ノ浜駅。

■由岐も、特急を停めるほどの町には見えないが、こぢんまりとした静かな田舎町で、駅前には役場がある。 駅舎は木造の凝った造りで、天井が高く、地元の名産品を売る店が併設されていたり、伊勢エビの大きな模型のようなものがあったり、 円筒形の大きな水槽があったり、ちょっと変わった駅である。駅を出て踏み切りを渡り、大きくカーブする坂道を登って下りて海辺まで出ると、 夏の海水浴シーズンのみ営業する臨時駅の田井ノ浜駅がある。広葉樹に囲まれたホームから一歩出るといきなり田井ノ浜というきれいな砂浜に出るというすごい場所にある駅で、 海水浴客を看視するための塔のようなものが建っている。海は南側にひらけており、東西を岩山に挟まれている。ちょっとした湾のような地形だ。 砂は白くて、とてもきれいな浜。太平洋がどこまでも続いていて、時折雲の切れ間から射す日の光が海面にまぶしく反射する。 歩いて由岐駅まで戻る。見慣れない道路標識があって、なんだろうと思って近づいてみると「カニに注意」ということだった。 アカテガニというカニが、陸で生活していて、産卵のために6月から9月の間、道路を横断するのだそうだ。 駅の近くまで行くと、今回四国に入ってから初めてのお遍路さんに出会ったので挨拶を交わす。 中年の男性だった。両手に金剛杖を持ち、力強く歩いていた。由岐駅の前の通りを歩くと、遠くに港が見えた。 小さな駅前商店街があり、弁当屋や阿波銀行やバス停があった。

純粋トンネル
海部駅から見える「純粋トンネル」。

■由岐駅からは普通列車で牟岐線をさらに先へ。途中、海ガメで有名な日和佐の町がある。 降り損ねたじいさんがうろたえて運転手に話しかけていた。牟岐駅を過ぎたあたりからは海もちらほら見える。 いつの間にか高架線の上を走っていた。由岐から一時間弱で牟岐線の終点海部駅に到着。これで難敵だった牟岐線も全線乗車。 牟岐線はここまでだが、別会社である阿佐海岸鉄道の路線がそのまま続いている。室戸方面を目指して開業したが、 いまのところこの会社の路線は海部からほんの8.5km、3駅だけの第3セクター線だ。
そういえば海部駅のホームから「純粋トンネル」が見えた。線路上になぜかぽつんと、ただトンネルの構造体だけがあるのだ。 普通、地上のトンネルは山や岩盤などを貫くために設けるはずなのに、山も岩もなくて、ただトンネルのコンクリートだけがある。 赤瀬川原平さんの「超芸術トマソン」にも書かれていたものだが、実物を見るとなんとも間抜けなものである。 なんであんなものがあるのかというのを調べてしまうと案外つまらないもので、理由なんて知らないほうがおもしろいことが多い。 元々はちゃんと山があったのだそうだ。そこに鉄道を通すためにトンネルを造ったのだけど、周辺の宅地化に伴い山を削ったらトンネルだけが残ったということのようだ。

阿佐海岸鉄道の車内
阿佐海岸鉄道「イルミネーション列車」の車内。

■海部駅からの阿佐海岸鉄道の列車は一両だけで運行。乗ってみるとなぜか天井には青い光の電飾がびっしりと取り付けられていて、 ぴかぴか光ってる。なんだろうこれは。ここの近くの阿南市が青色発光LED発祥の地だからだろうか、とか、そのときはそんなふうに思わなかったが、 なんかよくわからんががんばってるんだな、くらいに思ってた。間もなく走り出してわかったのは、この短い区間にトンネルが多いから、 暗いところを走るとよく光ってなかなかきれいなのだ。イルミネーション列車ということらしい。唯一の途中駅である宍喰駅で一人降りていくと、 もう間もなく終点の甲浦駅に到着。所要時間約10分。高架の線路はここで唐突に終わり、いつでもこの先に線路を伸ばせるぞといわんばかりの姿だが、 おそらく今後この線路が伸びることはないのだろう。途切れた線路の先には小高い山があり、ホームからの階段を下ると甲浦駅のわりと新しそうな木造駅舎がぽつんと建っている。 駅の周りには駐車場と変電所と神社が二つと水路があるくらいで、他にはなにもない。静かな駅だ。一つ前の宍喰駅までは徳島県で、 この駅は高知県の安芸郡東洋町にある。駅の前のベンチにはばあさんが二人座ってて、 町営バスみたいなのが来たら二人のうち一人がそれに乗ってどこかへ行った。もう一人は歩いてどこかへ行った。 その後、高知東部交通のバスが来たのでそれに乗車。

最御崎寺1
四国八十八箇所第二十四番札所 最御崎寺1。

最御崎寺2
最御崎寺2。

室戸岬灯台展望台からの景色
室戸岬灯台展望台から見た太平洋。

室戸岬の猫
室戸岬の猫。

■バスは海岸沿いのぐねぐねした国道55号線をけっこうスピード出して走る。カーブを抜けると大きな海が視界にひらける。それが何度も繰り返された。 こんなところ人が歩かないだろうっていうような道にも、わりとしっかり歩道が整備されているし、道端に東屋のようなちょっとした休憩所があったりする。 これらはお遍路文化によるものなのではないか。そういえばバスの中に「四国のへんろ道を世界文化遺産に」という広告が貼ってあった。 甲浦駅から約一時間で室戸岬に到着。ここで降りた。二組ほどの歩き遍路の人たちがいた。 観光案内所の駐車場には猫がいて、にゃにゃと小声でなきながら近寄ってきた。 室戸岬は四国の南東の端にあって、地図で見ると南の太平洋に向かって鋭く突き出している。台風情報でたまに耳にする場所である。 戦没者慰霊碑のあるあたりから山道のような小道に入ってゆくと薄暗い森で、途中途中の木の幹や枝などに「遍路道」と赤で書かれた小さな札がいくつもついてる。 思ってたよりもきつい道だったが、何度か休みながら登り切ると突然、寺の大きな門が現れた。四国八十八箇所の第二十四番札所、最御崎寺(ほつみさきじ)である。 真言宗のお寺で、807年に開創されたと伝えられている。門を入ると右手に多宝塔や鐘楼があり、左手には大師堂や納経所がある。正面奥に本堂。 それほど広くない境内にいくつもの建物が寄り集まっている。納経所のそばには、小石で叩くと鐘の音がする岩が置かれていて、 「鐘石」というのだそうだ。やってみたらほんとにカン、カン、と鐘の音がする。本堂でお参りをし、初めて御朱印をいただいた。 門を出るとすぐそばに駐車場があって、車だと楽に登ってこれるみたいだった。寺のすぐそばには室戸岬灯台がある。 説明が書かれた看板によると、灯台は1899年に完成。日本一の一等レンズ、光の強さは160.0万カンデラだそうだ。このへんはよくわからないが、 光が届く距離は49kmだというから、津田沼駅から東京湾を挟んで横浜よりもうちょっと先くらいまで光が届くということになる。 標高150mくらいにある展望台から見下ろすと、瀬戸内海とは対照的に島はまったくなく、ただただ大きな海原がどこまでも広がっていた。 登ってきた道をよいしょよいしょと歩いて下りる。室戸岬の海岸は遊歩道が整備されており、海岸線はぎざぎざに尖ったごつごつとした岩ばかりだった。 ちょっとした公園のようになっているところに猫が数匹いて、身を寄せ合って寒さをしのいでいるようだった。
■再びバスに乗り、室戸の市街地を抜け、土佐湾を左手に見ながら国道55号線をひたすら北西方向へ。 途中「山田邸前」という、北海道にあるみたいな名前のバス停や「住宅前」という漠然とした名前のバス停があった。「元」というバス停もあった。 あと「黒耳東」とか「耳崎」とか、耳のつく名前のバス停がいくつかあり、このあたり特有の地名なのかもしれぬ。 山と海の間にあるせまい土地に人が住んでいる町並みが続く。 太平洋のど真ん中に沈んでいく真っ赤な太陽をバスの中から見た今日のことは一生忘れないだろうなと思うくらい美しい光景だった。 室戸岬からちょうど一時間ほどで土佐くろしお鉄道の奈半利駅に到着。日が暮れる寸前でまだいくらか空に明るさは残っていた。 わずかに乗っていたバスの乗客もほとんどここで下車。駅前にはちょっとしたバスロータリーやタクシー乗り場があり、 マルナカというスーパーマーケットがあった。少し離れたところには大きなクレーンやセメント工場みたいなのが見えた。 高知出身のやなせたかしがデザインしたキャラクタの像が立っていた。「なはりこちゃん」というらしい。なはりこちゃんは、駅員の制服を着ていた。 今回乗車したのは土佐くろしお鉄道の「ごめん・なはり線」で、名前のとおり、安芸郡奈半利町にある奈半利駅と南国市にある後免駅を結ぶ。 第3セクター方式で運営されている43kmほどの路線で、2002年に開通した。全線高知県内を走る。沿線には、阪神タイガースのキャンプ地となっている安芸という町がある。 一両だけで走り出した列車にはぽつりぽつりと乗客がいた。すぐに日が暮れて真っ暗になってしまったので、景色がぜんぜん見えなかった。座席の背がやたらとでかい。 初めて乗る路線だが、JRではないので気が抜けたのか、乗ってる間ほとんど眠っていた。奈半利駅から約一時間でJR土讃線との接続駅である後免駅まで来ていた。 気づくと勤め帰り風の者達が大勢乗っていて、立ち客もけっこういた。ここから直接、JR線に乗り入れ、さらに15分ほどで高知駅に到着。

はりまや橋
はりまや橋。

高知城
高知城。

■途中寄り道したが、朝、高松を出て高知に着くとすっかり夜になっていた。山を避けて海沿いをひたすら陸路で高知へ行くことの困難さがよくわかった。 「南国土佐」などと言うがずいぶん寒い。駅前のホテルにチェックインしてから夜の高知市街へ歩いて行ってみた。路面電車がひっきりなしに走っている。 とても都会的な町並みで、町の規模としては宇都宮の駅前の感じに近いような印象を受けた。高知市は人口34万人で、四国では大都市といっていいだろう (調べてみたら宇都宮市は50万人だった)。大通りと直角に商店街もいくつかある。高知駅の南側の通りをまっすぐ800mほど下ると、よくない意味で噂に名高い「はりまや橋」で、 ほんとうに小さかった。ビルの合間にあった。観光で来てると思われる家族連れが橋の上を嬉々として歩いて渡っていた。ライトアップされ、 あたりはイルミネーションもあり、なかなか力が入っている。近くの大きな交差点では、路面電車の軌道が十字に交わっているめずらしい光景が見られた。 せっかくなのでなにか食事しようと思って店を探しながら繁華な大通りを西に向かって歩いたが、あるのは居酒屋ばかりで、 これという店が見つからなかった。そうしているうちに闇夜に浮かぶ高知城が見えたので近くまで行ってみた。ライトアップされていた。 なぜか門が開いてて、地元の人達が普通に城の中を自転車で走っていた。駅まで戻るために「大橋通り」というバス停から路線バスに乗った。高知駅前で降りてホテルへ。 高知県内で宿泊するのは今回が初めてだった。
No.1558 2010-12-25
渋谷 円山町
渋谷 円山町。

■午前中、渋谷に行ったのだった。渋谷なんて、できる限り近寄りたくないと常々思っているが、なんとか行って無事帰ってきた。 駅から文化村の方向へ歩く。数年ぶりに来た。いろいろ変わってるのだろうが、以前のことをあんまり覚えてないのでよくわからない。 109とヤマダ電機とパチンコ屋の前には開店を待つ行列ができていた。午前中だからか、まだそれほど人は多くない。 円山町へ向かうと、ラブホテル街からカップルがぞろぞろ歩いてくる。 全員がホテルからの帰りではないのかもしれないが、場所柄とクリスマスイブ明けというタイミングのせいで、そう見える。 女の髪型がいまいちきまってないような気がした。で、そんなエリアにある映画館へ。
■ユーロスペースという小さな映画館で、函館ロケ作品「海炭市叙景」というのが上映されるというんで、見に来たんである。 函館出身の作家である佐藤泰志(故人)の短編小説「海炭市叙景」の中から5編を、同じ北海道の帯広出身の熊切和嘉監督により映画化したものだ。 函館をモデルとした「海炭市」が舞台のこの作品は、まあとにかく暗い。そして救いがない。 画面が暗いし、話も暗い。いろんな意味でだめな人間達のだめな生活ぶりがそのまんま映像になってる。 冬の函館の景色がたくさん出てくるが、ほとんどの場面が、観光地函館ではなく、函館の人間のリアルな生活に近いものを見ることができる。 薄汚れていて、寂れていて、いまの地方都市の実態はどこもこんなものだと思った。
■映画のことはぜんぜんわからないが、この作品はフィルムで撮影されてるということはわかった。たぶん、いまどきめずらしいのではないかと思う。 フィルムで撮られた映像と暗さがものすごくしっくりくる。そして、見終わってあとから「ああ、そういうことか」と気づくことが多かった。 小林薫や南果歩といった大物俳優も出てた。あと、加瀬亮という若い俳優が出てた。この映画で初めて知った人だが、いい俳優だと思った。 函館在住の素人をたくさん使って、わりと重要な役も現地の人を採用してるが、そんなに違和感なく、力の抜けた自然な感じだったのはよかった。 うちの実家に近い場所も出てきてびっくりした。猫もよかった。
No.1557 2010-12-19
朝の東京湾
茜浜から朝の東京湾。

霊園裏の猫
霊園裏の猫。

■朝、自転車で茜浜。思ったより寒くて、晴れると思ってたのに雲っていた。それでも、自転車に乗ってしまえば、寒いのは最初の5分くらいで、 すぐにあったまるし、寒いほうが調子いい。海辺は気温のせいもあってか、魚釣りとわずかなジョギングの者以外、人が全然いない。 そして猫もいない。寒さを避けて林の中にでも行ってたのかもしれぬ。雲間から時折日が差して東京湾を光らせていた。 菊田川を挟んで反対側の、霊園の裏の公園にも立ち寄ってみたら、そっちには猫が二匹いた。 帰りはまた国道14号沿いのアンポンタンで安いパンを買って帰ったが多くて食べきれなかった。
■大阪の友人からちりめん山椒と塩昆布のセットを送ってもらった。ありがたいことである。
No.1556 2010-12-18
■午後からひさしぶりにIKEAに行ってた。谷津駅まで歩く途中、谷津5丁目の駅の北側の高台にあった塀に囲まれた大きな敷地の屋敷が忽然と姿を消して、 分譲宅地になっていたので驚いた。駅も近いし見晴らしもよく、南斜面なのですぐに売れるだろうなと思ったら既に角地では住宅の基礎工事が始まっていた。 一駅乗って船橋競馬場前駅で下車。ららぽーとのあたりは相変わらず人が多くて賑わっていたが、 そのとなりのビビッドスクウェアも、以前よりは人がたくさん来ているようだった。ミスターマックスやノジマという電器店が入ったからなのかもしれぬ。 少し重たいものを買って帰ってきたので、腕が筋肉痛になった。
No.1555 2010-12-12
茜浜の猫
茜浜の猫。

■朝、自転車で茜浜。天気が良かったので富士山が見えるのではないかと期待して行ったら、ほんのうっすらと見えた。 いままでの経験からいくと、冬の晴れた朝、もう少し風が吹いてるくらいのときのほうがくっきりと見える気がする。 日曜の朝なので人が少なくていい。海に朝の太陽の光が反射しているのを眺めながら簡単な朝ごはん。しばらくしたら防波堤の上に猫が出てきた。 日に当たってのんびりしている。寒くなってきたが、たくましく生きている。立派なものである。この春くらいに見た子猫たちが大きくなっていた。 少し体の大きな、以前からよく見かける猫がそばに寄ってきてちょこんと座っていた。めずらしいなと思ったが、どうやら自分を風除けに使ってたのではないかという気がする。
■ひさしぶりに国道14号沿いのアンポンタンに行ってみた。開店間もない時間だったので、サービスパンが買えた。 おそらく前日の売れ残りと思われるパンが5つくらい袋に入ってて、安く買えるので人気があるから、だいたい早い時間に売り切れるという。 初めて買えた。家に帰って食べたらおいしかった。わいがや通りには新しいラーメン屋ができてた。「親父の塩」という店のようで、 ちょっと名前があれだが、塩ラーメンは好きなので今度食べに行ってみようと思う。
No.1554 2010-12-05
さんまの丸干し
さんまの丸干し。

丹生神社
丹生神社。

■少し前の話だが、伊勢で買ってきたさんまの干物(丸干し)がとてもおいしかった、ということを書くのを忘れてた。 北の海から下ってきて熊野灘で獲れたものを干しているそうだ。さんまの旨みがぎゅっと詰まったような、そんな感じがした。
■熊野というと、熊野古道である。「紀伊山地の霊場と参詣道」ということで世界遺産に登録されている。 そんなこととは関係なく一度はちゃんと行ってみたいと思っているが、そんな世界遺産の一部である和歌山の丹生都比売神社の末社である近所の丹生神社まで散歩。 久々に行ってみたが特に変わったこともなし。1811年に建てられた神社なので、それなりに歴史がある。神社のすぐそばに「津田沼陶芸教室」というのができてた。
■全国地域サッカーリーグ決勝大会が市原臨海競技場で行われていた。現地に行けばよかったなと思うような熱い試合がネット中継で見れた。 カマタマーレ讃岐、三洋電機洲本、AC長野パルセイロ、そして去年も出場した横浜スポーツ&カルチャークラブ(YSCC)が金土日の三日間で総当りのリーグ戦。 結果優勝は讃岐、2位に長野。2チームのJFL昇格が決定。3位の洲本がJFL17位のアルテ高崎との入替戦に回ることになった。 昨年の松本山雅に続き長野もJFL昇格を果たし、とうとうJFLでの対戦が実現することになる。長野と松本というのは、県外の者にはいまひとつつかみかねるが、 廃藩置県のころから脈々と続くかなり根の深い対立関係があるらしい。おそらく日本で唯一本物の「ダービーマッチ」に成り得るのがこの長野対松本だと思う。
No.1553 2010-12-04
蘇我のJFE(旧川鉄)
蘇我のJFE(旧川鉄)。

フクダ電子アリーナ
フクダ電子アリーナ。

■ひさしぶりに蘇我へ。今年の最終戦ということでJリーグ2部、千葉対徳島の試合を観戦。 7月末以来のフクダ電子アリーナである。あのときはうんざりする蒸し暑さだったが、秋の終わりから冬になろうかというこの時季、 晴天の昼とはいえ空気が冷たい。既に千葉は一年での一部復帰を果たせないことが決まり、勝っても負けても順位は変わらないという、 かなりどうでもいい試合。相手の徳島は、勝てば順位が7位まで上がる可能性があったが、賞金が出るわけでもなく、 ましてアウェイということで、こちらもどうやってモチベーションを上げたらいいのかむつかしい試合だったように思う。
■試合は徳島が先制し、後半ロスタイムに千葉が米倉の得点で追いついて引き分け。とくに見所もなく、試合内容もぴりっとしない、 これぞ消化試合、といった様相だった。わざわざ見に来なくてもよかったなと思っていたが、 後半途中から、来季の千葉加入が内定している久保という特別強化指定の大学生が出場したのが唯一の救いだった。 大柄で、可能性を感じさせる選手だと思う。試合後の、最終戦を終えてのセレモニーも、しらけた雰囲気で、クラブ社長や監督、 選手の挨拶もなんだか虚しいものだった。途中でもういいかと席を立って駅へ。
■一番印象に残ったのが、スタジアム横の工場の解体現場だったという、そんな一日だった。 帰宅後、Jリーグ一部の最終戦の得点経過を追っていたらFC東京の降格が決まった。神戸が逆転残留。
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