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No.1447 2009-10-27
■朝、千葉行きの電車に乗って外見てたら、富士山。
■真冬なら、天気のいい日に見えることがあるが、この時季にあんなにくっきり見えるなんてびっくりした。 幕張、新検見川、稲毛のあたりでよく見えた。 台風が過ぎた後だったからだろうか。富士山が見えるとなんだか得をした気分になる。
■そしてPOLYSICSが武道館でライブするのを今日知った。来年の3月14日ということである。 あれからもう10年か。まだリキッドルームが新宿にあった時代だった。一時は動員もセールスも落ち込んだ時期があった。 それでもこうやって今はいろんなところからお呼びがかかるし、コンスタントに作品もリリースできている。感慨深い。
No.1446 2009-10-17
旧茨城県立太田中学校講堂
旧茨城県立太田中学校講堂。

坂の路地
こんな坂の路地がたくさんある。

板谷坂
板谷坂。

十王坂
十王坂。

■鉄道の日記念きっぷが残ってるので出かけた。津田沼、西船橋、新松戸、我孫子、土浦、水戸。総武線、武蔵野線、常磐線を乗り継いだ。 船橋法典では、朝なのに競馬場へ行くと思われるおっさん達が大量に降りていった。新松戸から乗ったのは地下鉄の車両だった。 常磐線に乗り入れる千代田線である。常磐線は複々線なので、特急列車がばんばん走っててすごい。と思ったが、よく考えたら総武線もそうだった。 土曜の朝の下り列車はどれも空いてた。時間的にも、土浦あたりから水戸方面に行く人けっこういるんじゃないかと思ってたが、ぜんぜんだった。 常磐線に「荒川沖」という駅があるが、いつも、いったいなんなんだこの駅名は、と思う。思うので、この際調べてみようと思った。 いま調べたら、そんなにおもしろくなかった。土浦駅の発車メロディが「きらきら星」だった。なぜなんだ。 何度も乗ってる路線でも、乗るたびにいろいろ疑問が出てくるものである。車窓は平凡な田舎の風景であまりおもしろくない。 ビニルハウスの屋根に日の光が反射してまぶしい。石岡駅ですれ違った上野行きの特急列車は混雑していた。
■羽鳥あたりまでは、土浦方面行きの上り列車を待ってる人のほうがずっと多い。上野行きに乗って都内まで出るのだろうか。柏あたりにでも行くのか。 津田沼から水戸までJRの普通列車だけ乗り継いで約2時間半かかった。水戸からは水郡線に乗車。水戸と福島県の郡山を結ぶ140kmくらいある長い路線で、 2006年5月に水戸から郡山まで乗車したが、水戸から15分ほど北上したところにある上菅谷という駅から10kmほどの枝線がのびていて、そこはまだ乗ってないので、 はるばる乗りにきたわけである。水戸からの二両の列車は混雑。本数が少ない上に二両で、しかも座席の少ないタイプの車両なので、立ち客多数。袋田の滝にでも行くのだろうか。 上菅谷で常陸太田行きに乗り換え。ここからが初めて乗車する区間。駅と駅の間が短い。額田駅あたりからなんだか森の中みたいなところを走る。 河合駅の手前で久慈川を渡る。二本の川が合流しているのが見える。「河合」という地名の由来はあれか、と思う。森がひらけると水田地帯。すっかり稲の刈り取りは終わっていた。 遠くには阿武隈山地が見える。あちこちで柿の実が生っている。
■上菅谷から15分ほどで終点の常陸太田駅に到着。台地の上に町並みが見える。駅は台地の裾野の端みたいなところにある。線路が途切れ、終着駅らしいたたずまい。 かつて日立電鉄の駅がすぐそばにあって、鉄道で太平洋側に抜けることができたらしいが、2005年に廃線になった。 最初、この枝線に乗るだけしか考えてなかったのだけど、せっかく行くんだしちょっとなにか見るところとかおいしいものとかないかなと思って前日に調べてたら、 なんだか案外見るところが多い町みたいで、思いがけずたっぷり観光した。駅でレンタサイクルを借りて国道293号線の一本西の道を北へ。 スーパーマーケットや国土交通省の施設の前を通って宮本町交差点から急坂を登って茨城県立太田第一高校。学校の敷地に入るのはちょっと緊張する。 「旧茨城県立太田中学校講堂」という建物があり、年に一度、秋の数日間だけ一般公開するというのをたまたま個人のかたのブログで見かけて、 これはちょっと見てみたいと思ったわけである。
■学校の敷地に入ると、なんとうなく懐かしい。テニスコートの横を通って、講堂へ。明治37年に完成したというから、今から100年以上前である。 切妻屋根で、高さがけっこうある。壁は下見板張りで、縦長の窓が規則的に並ぶ。車寄せも細かい装飾がなされ、堂々とした雰囲気を持つ外観である。明治期の洋館といった風情。 中に入ると天井が高い。その天井には格縁が施され、照明を取り付ける部分も、漆喰による円形の細工で装飾されている。 正面には演壇があり、パリの凱旋門みたいな文様の壁面装飾がある。演壇の両側には徳川光圀公と徳川斉昭公の肖像画が掛けられていた。 そのほかにも書画が展示されていて、昔の政治家である山縣有朋や後藤新平の書や横山大観の画などがあった。太田高校の資料館ということになっているようで、 高校の歴史がわかる資料がたくさん展示されている。昔のマラソン大会や修学旅行の様子だとか、過去のクラブ活動の成果だとか高校周辺のジオラマだとか、 歴代校長の写真など、いろいろ。正直言って、この高校自体に興味があるわけではないので、資料にはそれほどひかれるものはなかったが、 とにかく建物はよかった。国の重要文化財だそうだ。
■とっくに昼を過ぎてたので、腹が減っていた。近くにうどん屋があったので、そこで昼食。この町にはうどん屋が多い。名物なのかもしれぬ。 「手打ちうどん」と書いてあったが、たしかに若干不ぞろいで、かなり太くてコシがあって、食べごたえがあった。安くておいしかった。 台地となっているこのあたりを「鯨ヶ丘」というのだそうだ。鯨の形をしているのだろうか。で、台地なので、平野に向かって坂道が何本もある。 その景色がとてもよかった。なかでも「板谷坂」や「十王坂」はよかった。傾斜がかなりきつい坂で上り下りは大変だが、遠くまで見通せて、よかった。 「鯨ヶ丘商店街」があって、古い建物が相当残っていて、今も使われている。観光客を意識した店や飲食店もあるのだけど、はっきり言って観光で来てる者はほとんど見かけなかった。 自分も、常陸太田の町についてはまったく何も知らなかったし、話を見聞きしたこともなかった。だから逆に、期待してなかった分、 驚いたし、いい印象を持った。でももっと観光をアピールしてもいいと思う。自分が知らなかっただけだろうか。東京からなら日帰りで来ることもできるだろうから、うまくやればにぎわうのではないか。 それだけの観光資源はあるように思う。よそ者が心配してもしょうがない気もするが。
■駅まで戻って自転車を返し、列車で来たルートを戻る。久慈川の鉄橋を渡るところで、傾きかけた太陽の光をバックに列車の写真を撮ってる者らがいた。 ウォーキング会みたいな集団が列車に向かって手を振っているのが見えた。水戸から上野行きに乗車。空いてる。途中の石岡駅はかつて、鹿島鉄道への乗り換え駅だったが、廃線になって、そのホームや線路のあった場所は駐車場になってた。 2006年の9月に一度だけ乗車したことがあったが、そのときこの駅を利用した。なんだか鉄道がどんどんなくなっていく。 帰りは柏から東武線を利用。船橋まで30分。最初混んでたが、一駅か二駅でみんな降りてって、あとはずっと空いてた。船橋から各駅で5分、津田沼まで。 往路より所要時間がちょっと短かった。水郡線の枝線を乗り終えたので、JR全路線のうち乗車済みは94.314%になった。たった0.048%しか増えなかった。
No.1445 2009-10-16
■今回は津田沼情報満載である。
■夜、久しぶりに北口にある「きんちゃん家」へ。いつも混んでいるが、金曜日ということもあっていっそうにぎわっていた。 すじ煮、もつ煮、焼き鳥。うまい。締めに鶏雑炊。はらいっぱい食べても一人二千円もいかなかった。
■パルコの向かいにある小さなコーヒー豆の店に初めて入ってみた。脱サラ組みたいな男性の店である。できたとき、すぐ潰れるだろうなと思ってたが、 意外とまだがんばってる。210円でコーヒーを淹れてくれるし、テイクアウトもできる。頼んでみたらおいしかった。
■まちBBSで、津田沼パルコにヴィレッジヴァンガードができることを知った。うれしい。なんでいままでなかったんだろうという思いもちょっとある。 これで、丸善もあるしタワーレコードも、無印良品もあるし快速も停まる津田沼に死角はない。ツタやは意外と利用しない。ブックオフができたけど一回も行ってない。 ヤマダ電機もぜんぜん行かない。ユニクロはたまーに行く。
No.1444 2009-10-11
金沢駅
金沢駅。

猪谷駅
猪谷駅。

美濃太田駅
美濃太田駅。

■ホテルで朝ごはん。くるみの入ったパンがおいしかった。チェックアウトしてから七尾の町を散策。 外はひんやりした空気。七尾市は人口59000人余りで、能登半島の中心都市だ。天然の良港として栄え、 戦国時代には畠山氏が七尾城を拠点として繁栄し、その後上杉に滅ぼされて、前田利家の支配下になったということである。 駅の北にある「一本杉通り」へ行ってみた。南北に流れる御祓(みそぎ)川と桜川という二本の川に挟まれたあたりにある。 御祓川沿いには柳の並木がある。曳山という山車のやたらでかい車輪が一つ川辺に置かれてて、その曳山のことを七尾では「でか山」と呼ぶ、 といったような説明が書かれていた。一本杉通りは、昔ながらの商店が点在する通りで、いくらか観光むけに整備されている。 木造の建物と石造の建物が混在していて、圧倒されるほどの町並みではないが、大きく立派な寺などもあり、往時の繁栄がしのばれる通りである。 そして七尾は川の町であった。いくつもの水の流れが町の中にあった。
■この日の観光は朝のこの散策くらいで、あとは一日ほとんど列車に乗っていた。 まず、七尾線で金沢まで。前夜通ったルートを南へ戻る。味のあるアナウンスをする車掌さんだった。 途中駅はほとんど無人駅なので、車掌さんが車内をさかんに行ったりきたりして切符を売ったりしてる。 前日は既に日が暮れてからの乗車だったので沿線の景色が見えなかった。 能登半島の景色をじっくり見てみようと思って見てたが、半島だからといってとくに特徴的な景色ではなかった。 山と田と時々町、というのがずっと続く。羽咋はそこそこ大きな町のようである。高校生と老人がたくさん降りていった。 金沢まで一時間圏内に入ると乗客が増える。宇野気という駅からたくさん乗ってきた。津幡で北陸本線に合流。 さすがに「本線」というだけあって広い構内を持つ大きな駅だ。電流が切り替わるためなのか、途中、ちょっとの間、車内の照明が消えた。 普段あまり乗らないためか、若者が「電気消えたよ。節電?」と言っていた。このあたりの人たちの話すのを聞いてても、あまり方言の感じがない。 あんまり関係ないが、七尾線には高松駅があり、北陸本線には福岡駅がある。
■七尾から一時間半かかって金沢駅に到着。少し時間があったので、外に出て駅前のようすを見てみようと思って改札を出たら、広い駅だった。 駅の建物の中のちょっと広いスペースでなにかイベントみたいのをやってた。通りかかってみたら民族衣装みたいのを着た三人が音楽を演奏してた。 きれいな弦楽器の音がするなと思ったら、モンゴルの馬頭琴という楽器だった。とても気持ちのいい、スケールの大きな音色である。 馬頭琴とパーカッションとキーボードの三人組で、馬頭琴の奏者はセーン・ジャーという人だった。ポスターを見ると「エキコン金沢」というイベントで、 土日にかけてケルト音楽とか台湾のオペラ音楽とかシタール演奏とか沖縄民謡などいろいろやってたみたいだった。 それにしても馬頭琴の音がとても気に入った。なにか調べていくつか聞いてみたくなった。
■そんな感じで、ずっと演奏を聞いてたので、金沢駅前の様子はぜんぜん見れなかった。東口の巨大なガラス張りのスペースとでかい門みたいなのを見てびっくりして、 再び駅のホームへ。約一時間、北陸本線を東へ。富山駅に着いて、昼時だったのでなにか軽く食べられるものでも、と思ってたのにうっかり駅弁を買ってしまった。 富山といえば「ますのすし」ということになっているが、そんなに好物でもないので他になにかおいしそうなのないかなと思ったら「富山湾弁当」というのがあった。 少し時間かかりますけど、と言われた。どのくらいかと思ったら「一分くらい」ということだったので、なんだと思って、それを買った。 富山からは高山本線に乗車。高山本線は日本海側の富山から途中高山を経由して東海道本線の岐阜まで行く226kmほどの路線で、 学生の頃、高山まで行ったときに岐阜〜高山の区間を乗車した。高山〜富山の区間は今回初めて乗車。富山からの列車は一両だけで、 駅弁なんか買ったりしてたら既に結構乗客が乗ってて、座れないほどではないがなかなか混んでた。 富山を発つとほどなく建物もまばらになる。速星駅の前には大きな赤白の煙突のある工場が見える。千里駅のあたりから遠くに見える丘の斜面にきれいな牧場が見えた。 井田川を鉄橋で二回くらい渡り、越中八尾で乗客のほとんどが降りた。「やお」だと思ったら「やつお」だった。「おわら風の盆」という有名な祭りの町だと思う。 乗客がほとんどいなくなったので、買った弁当を食べた。これがめちゃくちゃうまかった。びっくりした。 富山の食材、特に海産物がふんだんに使われていて、おしながきを見ると、ぶりの照焼き、白えびかき揚げ、ほたるいか甘露煮、紅ずわいがにのほぐし身などなど。 ますのすしとぶりのすしも一口ずつ入ってた。ごはんもたくさん入ってて満足した。窓からの日差しが暑かった。
■ひと気がなくなり、山深くなってゆく。時々川にダム施設が見える。富山からちょうど50分で猪谷駅に到着。この駅がJR西日本とJR東海の境界になってるみたいで、 普通列車は猪谷駅止まりという運行形態になってるようである。駅の周辺にはちょっとした集落と、神岡鉱業という会社の社宅のような5階建ての建物が見える。 いまは使われてないみたいだった。猪谷駅は山あいにある小さな駅で、静かできれいな空気で、富山から乗ってきた一両だけの列車がぽつんと停車して次の発車を静かに待っている。 無人駅だがとてもいい雰囲気で、なんだかほっとする駅だった。駅前には細入郵便局があり、商店が一軒。坂道を下ったところに国道41号線が通っていて、 その道の途中に猪谷関所館という資料館みたいのがあった。こういうのはあんまり興味をひかれない。資料館みたいのを建てるよりも、 関所の形を復元したものでも建ててあったほうがよっぽどいいような気がする。駅舎についてる建物財産標を見ると「昭和5年」と書いてあった。 駅舎の中には小さな本棚が置いてあって、待ってる時間読めるようになってる。誰かが善意で置いてくれてるのではないか。 なぜか幸福の科学関連の本がたくさん置いてあった。駅舎の一角には除雪道具が置いてある。冬には積雪があるのだろう。バイク乗りが一人、駅を見に来ていた。 駅のホームの柱に「飛越のかなめ はばたく細入 開村100周年」というシールが貼ってあった。このあたりはかつて細入村といったようで、現在は富山市の一部になっている。
■猪谷からは特急に乗車。昼間の時間帯、普通列車が何時間も無いのだ。列車入線を知らせるホームのメロディが「線路はつづくーよーどーこまーでーもー」というやつだった。 名古屋行きの特急ワイドビューひだで高山まで自由席利用。三両編成だが、とても空いてて快適。窓が大きくて景色がよく見える。 猪谷からは一時間弱で高山に到着。これで高山本線は全線乗車できた。約10年越しである。さすがに有名観光地の駅なので立派だし、 乗降客も他の駅と比べると桁違いに多い。高山からは普通列車。高山本線の沿線風景は、富山側で神通川、岐阜側では飛騨川に沿って線路が敷かれ、 山と川のすきまみたいな土地に人が住んでる。古そうな駅舎がけっこうあった。峡谷の景色が美しい。とくに飛騨川の「飛水峡」というあたりの、 川の両側の切り立った崖は迫力がある。高山からしばらくの間、途中駅での乗降はほとんど無かったが、下呂から少し乗ってきた。 列車の影が地面にうつる。山間なので日が隠れるのが早い。高山駅から三つ目に渚という駅があるが、すごい山の中なのに渚っていうのはどういうことなのだろうか。 おばあさんが田んぼの道で犬の散歩してるのとか、若い夫婦が田舎道をベビーカー押して歩いてる光景とか見てると、おだやかで、ぐっとくる。 庭先で洗車してる人をよく見かけた。下油井駅近くの、刈り取りの終わった田んぼの中で親子がキャッチボールしてた。茶畑が結構ある。 上麻生駅近くで、道の駅みたいなのが見えた。車がたくさん停まってて、人もたくさんいて盛況だ。それに比べると、鉄道利用者は少ない。 中川辺駅あたりからようやく人里に下りてきた感じになる。
■高山から二時間半近くかかって、美濃太田駅に到着。ここから太多線に乗車。美濃太田は駅前にビジネスホテルなんかもあるような、それなりの町みたいである。 駅利用者も多い。太多線は、高山本線の美濃太田と中央本線の多治見を結ぶ18kmほどの路線で、初めて乗車する。18kmなので30分くらいしかかからない。 入線を待ってると、当たり前みたいな顔して横入りしようとする女が二人いておどろく。ホームからきれいな夕焼け空が見えた。 いきなり車内でヘアスプレーを使う常識のない馬鹿女がいてびっくりした。遠くの空が紫色の夕暮れ空になり、可児駅を過ぎたあたりで日が沈んだ。 都市郊外の路線といった感じで、通り沿いに大型の商業施設などが見える。途中に「姫」という妙な名前の駅があるくらいで、それほど特徴はない。 多治見駅に到着し、名古屋行きの中央線快速に乗車。結構な数の駅をとばして、速い。二人がけ快適座席で、スピードが出てるので、特急列車みたいだった。 自転車をかついでる者もいた。夜の上りだから空いてるなと思ってたら高蔵寺駅からたくさん乗ってきた。途中からもそこそこ乗ってくる。大曽根駅で結構降りていった。 30分ちょっとで終点の名古屋に到着。きしめんを食べて、こだまでのんびり帰った。品川から総武線の快速に乗り換えて津田沼まで。
■越美北線と七尾線、高山本線と太多線の四路線を新たに乗車し、これでJR全線のうち乗車路線は94.266%となった。
No.1443 2009-10-10
イトヨ
イトヨのオス。

越前大野の寺町
越前大野の寺町。

九頭竜湖駅
九頭竜湖駅。

小松駅
小松駅。

■前夜、上野発の急行能登に乗車。寝台列車ではない、座席の夜行である。車内が寒くてあんまり眠れなかった。連休前の金曜日発だからか、なかなかの乗車率。 北陸への旅行はいつも昼間、眠気とのたたかいになってる気がするのは、夜行利用のせいで寝不足気味だからだと思った。
■早朝の金沢駅に到着。そろそろこの急行能登も、次のダイヤ改正あたりで廃止とかそういう話が出てきそうな気がする。 金沢駅の構内は、正月の琴みたいな音楽が流れていた。見慣れない形の特急や普通列車がたくさん停車している。 冷たい空気とどんよりした空。北陸へ来たと感じる。  金沢からは「鉄道の日記念きっぷ」でひたすら普通列車を利用。この切符は「秋の18きっぷ」といった感じのもので、 一日(一回)あたりの値段が18きっぷとくらべるとやや割高なのだけど、3回分なので使い切りやすいのではないか。初めて買った。
■福井行きの列車は朝から高校生が元気だ。金沢を発ってから二、三駅行くとのどかな田園風景になる。 北陸本線は普通列車より特急のほうが多いような印象を受けるほど、特急の通過待ちによる数分の停車が多い。 途中、小松という駅があって、機械のコマツはこの小松の会社だったか、と工場などの建物を見て気がついた。晴れたり曇ったり雨が降ってきたり、 めまぐるしく天候が変化する。加賀温泉駅からは大きな観音様がみえる。高校生が英単語を出題しあってた。なかなか発音がいい。でもうるさい。 大聖寺駅でその高校生らも含めてたくさん降りていった。なかなか大きな駅みたいだ。牛ノ谷駅は、周囲の景色も、駅名からしても田舎っぽい。 カーブの途中に駅があるせいで、列車は少し傾いて停車。芦原温泉駅の駅前は、ちょっと懐かしい感じの町並み。 ちぎれたような形のネズミ色の雲と白くてもこもこした光る雲が見える。冬の雲と夏の雲が混ざってる感じ。 丸岡駅の周辺は広々とした畑が広がる。徐々に福井方面へ向かう人の流れが見えてくる。福井への通勤・通学圏に入ったようで、乗客が少し増えた。 おそらく積雪を測るための目盛りのついた柱みたいなのがホームに立ってるのを森田駅など他のいくつかの駅で見かけた。雪の多い地域なのだろう。 金沢からおよそ一時間半で福井駅に到着。
■10年くらい前と比べるとずいぶん近代的な駅に変わっていた。将来の新幹線開通に備えているのかもしれぬ。駅前もこぎれいになり、都会的になっていた。 福井からは越美北線の列車に乗り換え。初めて乗る路線である。福井(越前)と岐阜の美濃地方を結ぶ越美線が計画されて、南北両側から路線が作られていったのだけど、 結局つながらなかった。岐阜側にあった越美南線は現在、長良川鉄道という第三セクターの路線になっている。 越美北線は、福井の一つ先の越前花堂駅から分岐して内陸へ向かう50kmあまりの路線。天気は晴れて、日差しはまぶしいがあったかくてほっとする。 越前花堂駅のまわりはなにかくず鉄とかスクラップ置き場みたいになっててぐちゃぐちゃしてる。近くに紳士服の青山とはるやまが二つ並んでるのが見えた。 足羽駅の近く、農道にぽつんと置いてある自転車とかきらきら水が光る水路などなかなかいい風景だ。線路際にはススキの穂がゆれる。
■福井からちょうど一時間くらい、途中の越前大野駅で下車。福井県大野市の中心駅である。大野市は人口35000人ほどの町。大野市の面積だけで福井県の5分の1もあるそうだ。 きれいな湧き水が出るのと、七間通りで行われる朝市が有名だそうだ。この路線の沿線で一箇所くらい観光したいと思って、 調べてみたら、古戦場跡や朝倉氏の遺跡がある一乗谷かこの越前大野あたりくらいしか情報がなかった。古い城下町のようである。越美北線を利用して観光に訪れた者は、駅で申し出ると観光券みたいのをもらえる。 観光施設の割引とかそういうのである。あと、駅でレンタサイクルが借りられる。2時間で300円、4時間で600円とかそういう値段だった。借りてみた。 ブリジストンのカゴ付きシティサイクルである。
■駅から六間大通りを西へ。日吉神社という立派な神社にお参りして、せまい道を南へ。本願清水という、名水の湧き出る泉があって、水を飲めるようになってるんで、 飲んでみた。よく冷えてておいしかった。そこには「本願清水イトヨの里」という学習施設というか、ミュージアムというか、そういった立派で新しい感じの建物が建ってる。 無料だろうと思って入ってみたら大人200円だった。駅でもらった観光券みたいなのが使えて、無料になった。 イトヨという淡水魚に関する施設である。イトヨはきれいな水に生息する小さな魚で、2007年版の環境省レッドリストで「絶滅のおそれのある地域個体群」というのに指定されてるそうだ。 自分はまったくイトヨについて知らなかったが、この施設で見たイトヨの産卵にまつわる映像を見て、かなり詳しくなった。いまならイトヨについて少しは語れる。 卵を守るために、巨大なザリガニに立ち向かう姿など、感動的で胸があつくなった。ガラス越しに見たイトヨはきれいでユーモラスな姿をしていた。 イトヨの里があるあたりの地名は「大野市糸魚町(いとよちょう)」だった。
■北の方向へ行くと「寺町」で、通りに沿っていくつもの寺が建ち並んでいる。織田信長の時代、金森長近という武将が城下町を作るときに、 寺をひとつの筋に集めた通りだそうだ。このあたりで少し雨が降ったりやんだりしたので、寺の門で雨宿りをした。雨にぬれた石畳と寺の連なる通りの景色もいいものだ。 神社は鳥居くらいしかなくて、外に向かってひらけているから入りやすいが、寺は門と塀に囲まれていて、なんとうなく入りにくい気がする。 雨が降ったりやんだりだったので、落ち着いて見れなかったが、もっとひとつひとつの寺を見て歩けばよかったかもしれぬ。
■城があるということなので見に行ってみようと思った。寺町から西へのびる石灯籠通りを抜け、昭和初期の洋館を利用した「平成大野屋」という土産店みたいな建物の前を通って、 城のある山のふもとまで行った。途中、建物の間、通りの向こうの山の上に城が見えた。また雨が降ってきたので、木造の立派な古い建物の車寄せの屋根の下で雨宿り。 けっこう強く降ってきたので、城は無理かなと思って、ポケットに入ってた観光券をぱらぱら見てたら、大野市郷土資料館というのがあって、 古い裁判所の建物を利用して資料を展示してると書いてあった。資料はともかく、古い裁判所の建物は見てみたいなと思ってふと振り返ると、雨宿りしてるその場所が郷土資料館だった。 外観は寺に似ている。明治22年から昭和43年まで裁判所として使用されていた建物を今の場所に移築してきて資料館として使用している。 外観は和風だけど、中に入ると、廊下を挟んで両側に部屋が並ぶ洋館のような配置になっている。いくつかの部屋があって、どの部屋にも所狭しといろいろなものが展示されている。 衣・食・住に関するものなど、日常生活につかう道具類が多かった。現物を保存するのはいいことだと思う。乳母車もあったし、昔のアイロンである「火のし」もあった。 「猫いずめ」という、硬い紐で編んだ猫の小屋みたいなのもあった。昔の編み機もあるし臼と杵もあったし弁当箱もあった。とにかく昔の生活用品のあらゆるものがあった。 大正時代の消防車である「蒸気ポンプ」と呼ばれる、イギリス製のポンプ車もあった。消防車のルーツかもしれぬ。四つの車輪と、大きなストーブみたいなポンプ、それに放水のホースがついてる。 「大野町消防組」と書かれていた。
■山の上に見える城は「大野城」で、1968年に建てられた鉄筋コンクリートの復興天守なので、今回は見なくてもいいかなと思い、雨が上がったので七間通りのほうへ行ってみた。 黄色い幟がたくさん立ってて「七間朝市通り」「三大朝市まつり」と書かれてる。午後なので朝市はやってなかった。うだつのついた古い木造家屋や商店、石造りの蔵などが建ち並んでいる。 ただ、わりとふつうの家なんかもかなり混ざってるので、古い町並みがずらっと続いてる感じではないが、なかなか雰囲気はある。すっかり雨はあがって空が明るくなった。
■越前大野の町を歩いてみての感想は、落ち着いててなかなかいいが、まとまりがもう少しあればいい観光地になると思った。 それでも、なんとか観光客を呼ぼうという努力はすごく感じた。北陸、福井の内陸部という場所が場所だけになかなかむつかしいとは思うが。 あと、「イトヨの里」みたいに、観光とか振興というとなにかと施設を作りたがるが、そういうのは正直いってあんまり魅力ない。 地元の自己満足でしかない。昔の裁判所を利用した資料館みたいに、極力、いまあるものを活かすのがいいと思う。 湧き水が出るからか、町のあちこちで小さな川や水路から水の流れる音がしてくるのが印象的だった。
■駅に戻って自転車を返す。「PARADISE ONO 2009」というポスターが貼ってあった。高木ブーがウクレレを持って微笑んでいた。なにか音楽のイベントだと思う。 越前大野駅からは一両だけのディーゼルカー。人里を離れ、徐々に山に入ってゆく。案外乗客は乗ってる。トンネルが多くなって、 時々切り立った崖の下に流れる川が見える。水は緑色に光っててきれいだった。勝原駅から越前下山駅の間は、長い長いトンネルだった。 山登りの格好をした男たちが大きなリュックを持ってた。越前下山で降りていった。越前大野から30分ほどで、終点の九頭竜湖駅に到着。 美濃まで続くはずだった線路はここで途切れ、その向こうには高い山がそびえている。駅名になっている九頭竜湖は、駅から4kmほどいったところにあるので、 行ってみたかったが、調べたらそこまで行く公共交通機関は無いということだったんで、あきらめた。駅では、九頭竜湖駅まで列車で来たという証明書がもらえる。 駅舎はログハウスみたいな感じ。ちょっとした集落があって、そば屋とか建設会社とかJAの建物なんかが見える。20分ほどで折り返す列車に乗車。
■2時間半近くかかって福井まで戻り、北陸本線に乗り換え。東へ一時間、小松駅で下車。小松始発の、北陸本線を経由して七尾線に乗り入れる列車に乗り換え。 夕暮れ空の中を、飛行機が高度を下げていくのが見える。たしか小松空港というのがあるんだったと思う。 雲の下、空のいちばん低いところに水平に帯みたいなオレンジの光が見える。まぶしくてきれいだった。 津幡から七尾線に入る。ボタンを押してドアを開閉するタイプの車両だった。七尾線は津幡から能登半島を北上し、和倉温泉駅まで行く約60kmほどの路線。 日が暮れてしまったので外の景色はほどんど見えなかった。沿線に明かりは少ない。色ちがいのおそろいのジャージを着た若いカップルがいた。 ドクロみたいなおどろおどろしい柄のジャージだった。あんなジャージが存在することに驚いたし、それを着て外出できてしまう者にも驚く。 羽咋駅あたりまででだいぶ降りてったので、最後のほうはさびしい車内だった。小松からは約2時間で七尾に到着。 一駅となりの和倉温泉駅までが七尾線だが、七尾から先は、のと鉄道という第三セクター事業者の車両が走ることになっているのだった。 路線はJRだけど走ってるのは別会社の車両という具合で、どうしてそういうことになっているのかはよくわからないが、 いろいろ事情があるのだろう。関東で言うと、JR線を鹿島臨海鉄道の車両が走る鹿島神宮〜鹿島サッカースタジアムの区間みたいな感じ。 七尾から和倉温泉駅までは6分。和倉温泉の駅前の食堂に入ってみたら、だめそうな親父二人がだらだら酒を飲んでた。 食事して駅へ戻り、七尾行きに乗車。他に客が一人もいなかった。さびしい。七尾駅前のホテルに宿泊。
■七尾線や越美北線みたいな行き止まり線は、行って、戻って来なければならないので、全線乗車すると時間がかかる。 それはそれとして、新しく二路線を乗り終え、初めて石川県内で宿泊することができた。
No.1442 2009-10-04
猫の三角形
茜浜の猫たち。

■ひさびさに自転車で茜浜。朝から出かけた。涼しくなってきて気持ちがいい。浜辺には釣り人が何人かいて、 数十メートルごとの等間隔でテトラポットの上にいる。赤いトンボがたくさん飛んでいた。いつもの猫たちが防波堤の上や下にいた。 数ヶ月ぶりに三毛猫も見た。最後に見たのがたぶん、保存してある画像を調べたら4月のあたまだったから、半年ぶりに見た。 すごく人懐こかったのに、最後に会ったとき、ひどく人を恐れて逃げ回ってた。なにかいたずらでもされて、人が怖くなったのかもしれぬ。 ひさびさに見たのだけど、その三毛猫は焦って逃げていった。
■そういえば、写真ブログとして「津田沼カメラ」というのをはじめたのだった。ここのサイトの右側のリンクには入れておいたのだけど、 それ以外とくになにも告知してなかった。するのを忘れてた。もしあれでしたら、あれしてみてください。 ブログはこちらです。昔、いちど、津田沼ノートをブログでやろうとして、 挫折してやめたのだけど、そのときのがまだ残ってたので、せっかくだから使おうと思って、9月からちょっとずつ画像を載せていたのだった。 「津田沼カメラ」だけど、津田沼の写真はまだほとんど載せてない。「津田沼ノート」と「津田沼カメラ」こんごもよろしくお願いします。
No.1441 2009-10-03
月
宵の月。

■月がまんまるできれいに光ってたので、ベランダに小さな三脚持ってって撮影してみた。 後から知ったが、この日が中秋の名月というやつだったらしい。
■ジェフがまた負けたので、いよいよ降格が見えてきた。去年の時点で覚悟はできてたからだいじょうぶだ。 思いがけず一年長く一部で戦うことができた。ずるずると一部に残るよりいっそのこと落ちてしまったほうが この先10年、20年のことを考えたら、案外いいのかもしれぬ。 二部に落ちたら、じっくり腰をすえて、毎年のようにころころと強化責任者や監督を変えるのではなく、継続してチームを編成して強化し、 下部組織で選手を育てるのがいいと思う。ここ数年、よそのクラブのベンチメンバーの寄せ集めで戦ってきたから、余計そう思う。
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「津田沼ノート」は武田がやっています。

TsudanumaNote

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