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No.1539 2010-8-29
JR日光駅
JR日光駅。

イタリア大使館別荘1
イタリア大使館別荘1。

イタリア大使館別荘2
イタリア大使館別荘2。

中禅寺湖と男体山
中禅寺湖と男体山。

■チェックアウトしてまたJRで宇都宮から日光まで。めんどうくさい気がしないでもない。日光に泊まればいいのだろうけど、 日光の宿は高いのだ。列車内は外人が多い。東武の駅前の土産物店などをのぞいてみてたら、店先に猫がいて、ごろんと横になってた。 人なつこい猫だった。日光は涼しい。で、駅前からバスで中禅寺湖方面へ。途中、田母沢御用邸記念公園というバス停があって、 少し気になった。大正天皇の御静養地として使われていたそうだ。国道120号線を西へ進み、いろは坂に入るとぐにゃぐにゃカーブを繰り返し、 いつのまにかすごく高い場所まで来ていた。明智平という場所のバス停で降りていく者がけっこういた。ロープウェイで展望台へ行けるそうだ。 トンネルで渋滞。トンネルを抜けると左手に中禅寺湖が見える。所定時刻よりも15分くらい遅れて中禅寺温泉というバス停で下車。
■ずいぶん山を上がって来たのに、唐突ににぎやかな町が現れて、狐につままれたような気分になる。飲食店がずらっと建ち並んでて、 観光客もたくさん歩いてる。食事の価格を一通り見て歩いたが、観光地のわりには良心的な値段だったと思う。 同じ日光でも、寺や神社ほど商売熱心ではないのかもしれぬ。その中の一軒に入ってみたら、なんだか時間が20年くらい止まったような、 そんな店内の様子だった。団体にも対応できるよう、広い座敷のある店で、ゆばの食べられる定食を頼んでみたら、なかなかおいしかった。 中禅寺湖めぐりバスというやつに乗車。自分達以外誰も乗ってなかった。道をまたいで大きな鳥居が立っているのが間近に見える。 立木観音前というバス停で下車。立木観音ていうのはなんだろう、と思いながら歩いていると、 土産店と民宿か何かの建物の間から中禅寺湖の湖面が見えたので、建物の隙間に入っていってみるとぱっと視界がひらけて、 美しい湖と、幾重にも重なる遠くの山並み、近くに、雲のかかった男体山を仰ぎ見ることができ、その山裾が湖に向かってなだらかに弧を描いていた。
■湖畔の道を歩いていくと、赤い立派な寺院が見え、それがおそらく湖の名前の由来になったのであろう、中禅寺という寺だった。 どうやらそこに立木観音があるらしい。さらにしばらく歩くと森の中の遊歩道みたいな道があって、そこを歩いていくとイタリア大使館別荘記念公園というのがある。 名前の通り、イタリア大使館の別荘がある公園で、その別荘は栃木県が1998年(平成10年)にイタリアから買い取ったそうだ。 この建物がおもしろくて、外観がまず特異で、外壁に杉の皮を貼って市松模様や横縞の模様にしてる。 設計はアントニン・レーモンドというチェコ出身の建築家で、この別荘は1928年(昭和3年)に建てられたということである。 レーモンドはフランク・ロイド・ライトのもとで働いていたらしい。直方体の巧みな組み合わせ方など、この建物の意匠・構成からどことなくライトの影響が感じられる。 何よりもいいのはロケーションで、中禅寺湖の眺望が素晴らしい。この場所を選んだセンスがいい。湖のある北の方向に広縁を設え、大きく開口をとってる。冬などは寒いと思うが、 ほんとうにいい眺めで、人工物は木製の小さな桟橋以外なにもない。眼前に広がる湖岸はプライベートビーチみたいだ。2階建てで、2階には寝室が3つばかりあるが、どの部屋からも湖が見える。 観光客が結構来てて、中高年女達がうるさかった。1階はダイニングとリビングと書斎が一続きになってる広々とした間取り。石窯みたいな暖炉があって、 内部の壁面にも杉の皮が貼ってあって、それでうまく模様をつくっている。とても強く印象に残る建物だった。
■来た道をバス停まで歩いて戻ってバスに乗り、来るときに見えた大きな鳥居のところで降りた。中禅寺湖が広々と見渡せるちょっとした公園みたいになってて、 湖面には白鳥のボートとかいろんなボートがぷかぷか浮いているのが見えた。日曜日なので観光客が多く来てるらしく、道路はかなり渋滞していた。 早めに駅まで戻ったほうがいいと考え、予定より早いバスに乗車。いろは坂をぐねぐね下ってゆく。すごいもんだな、よくこんな、バスも通れるくらいの幅の道路つくったな、 と思った。これから通る道が、ほぼ真下みたいな場所に見えてるのがすごい。見る見るうちに高度を下げ、坂を下り切ると、雨が降り出した。 バスの中でよかったな、歩いてるとき降られなくてよかった、と思ってると、すごい勢いで降ってきて、雷も近くで鳴り出して、バスの窓を滝みたいに雨が流れていった。 東武の駅前に着くと、土産物店の軒先で雨宿りしてる者達がたくさんいた。足早に駅の中へ。空気がひんやりしていた。帰りは東武の特急で浅草まで。 日光から普通列車で数分の下今市まで行き、そこで特急に乗り換え。ホームの売店で、ビールを大量に買い込むおっさん集団がいた。
■東武の特急に乗るのは初めてだったので、どんな感じかなと思ってたら、快適だった。安いし早いから、JRはなかなか厳しいだろうと思ったが、 近年は新宿や池袋あたりからJR線、東武線を直接相互乗り入れしてまっすぐ日光まで行く列車もあるようだ。日光から浅草まではちょうど2時間くらい。 浅草で都営線に乗り換えるために一度地上に出ると、空がピンク色をしてた。初めて新しい東京タワーを見た。東京はとても暑い。 都営浅草線で京成線に直通運転してる列車に乗り、京成津田沼まで。
No.1538 2010-8-28
輪王寺
輪王寺。

東照宮
東照宮。

二荒山神社
二荒山神社。

■18きっぷの残りを使って涼しいところへ行こうと思い、日光まで行くことにした。 秋葉原、上野で乗り換えて宇都宮まで。電車は空いてて快適。宇都宮駅から日光線に乗り換え。 日光線は宇都宮駅〜日光駅の約40kmの路線で、間に5つの駅があるだけの短い路線だが、まだ乗ったことが無かったので、今回初めての乗車となった。 宇都宮駅の標高が約150m、日光駅は533m。
■ちょうど今年が、日光線全線開業から120年ということらしく、車両は白と茶のツートンカラーにきれいに塗り直され、120周年を記念するマークが車体に描かれていた。 途中駅も、駅名標やゴミ箱、ホームの屋根やベンチなどがレトロ調のものになっていて、力が入っている。 車内は大きな荷物の日本人と外国人、小さな荷物の日本人が混在してて、小さな荷物の人は途中の鹿沼や今市で降りていった。大きい荷物を持ってる者達はみんな終点の日光まで。 白人が多い。世界遺産に登録されている観光地に行くと、白人が多い。 いまでは日光というと東武線で行く場所ということになっているのだと思ってたのでJRの日光線のほうはすごく空いてるんじゃないかと予想してたが、 案外乗客は多い。何人かはわからないが、2リットルの水のペットボトルを持って歩いてて豪快だ。 車窓からの景色は、宇都宮からしばらくの間住宅街の中を走って、鹿沼あたりまでは建物が途切れることなく見えていた。鹿沼を過ぎると急に町が途切れて、 遠くに山並みが見えてくる。下野大沢駅や文挟(ふばさみ)駅のあたりは小さいながらも町がある。もうすぐ稲刈りを迎える一面の田が、きれいな金色。 今市はそれなりに大きな町のようで、日光市役所の最寄駅となっているようだ。宇都宮から40分少々かかって終点の日光駅に到着。 ホームに下りると、肩にトンボがとまった。思ってたよりも暑く、日差しが強い。 宇都宮駅の日光線ホームの広さや日光駅の、今は閉鎖されている団体専用の大きな出入口に、往時の日光線の賑わいがしのばれる。
■日光駅の駅舎は1912年に建てられた木造2階建の美しい建物で、正面から見るとシンメトリーなデザインになっている。 駅正面には車寄せの屋根が大きく張り出し、板張りの腰壁や縦長の上げ下げ窓など、細部まで凝った意匠となっており、瀟洒な洋館といったたたずまい。 内部の天井は高く、2階上がる階段があって、上がると大きな広間がある。そこはかつての一等車利用者専用の待合室だったそうだ。 みどりの窓口では外国人がなにか切符を買っていた。駅前には小ぎれいなカフェ併設のホテルが一軒と、古めかしい土産物店が一軒あるくらいで、 歩いてすぐのところにある東武日光駅のあたりのほうが断然賑わっている。駅前の国道119号線を西へ歩いて、消防署の前を通り、御幸町の交差点、 ガストのあたりを過ぎたところにあるそば店で昼食。観光客らしく、名物のゆばが入ってるそばを食べた。京都では「湯葉」だが日光では「湯波」と表記するらしい。 ゆばは安くないが、だいたいどこで食べてもおいしい。
■東武の駅前まで戻ってバスに乗り、いわゆる「二社一寺」と呼ばれるエリアへ。バスの屋根が一部透明な素材になってて、空が見えた。バスはなかなかの混雑。 「勝道上人像前」というバス停で下車してまずは輪王寺で、寺の本堂である三仏堂というのを見た。入母屋で銅瓦葺の立派な屋根を載せた大きな建物だ。 お堂の外の両側には大掛かりな足場が組まれていて、大修理工事をこれからやるらしい。 内部には中央に阿弥陀如来、向かって右に千手観音、左手に馬頭観音があって、どれもでかい。この三体の仏様は、日光三山(男体山・女峰山・太郎山)の本地仏なんだそうだ。 なんかよくわからないが、いつのまにかガイドの坊さんの説明を聞きながらぞろぞろついて歩くグループに取り込まれてしまい、好きなペースで見れなかった。 で、三仏堂をぐるっとめぐって最後、ガイドの坊さんが「ここでしか買えないお守りです」とか言ってて、ずいぶん商売熱心な坊主だな、と思ってたわけだが、 この後も、商売熱心さというのを、日光のいろんなところで感じることになる。
■三仏堂を出るところで、次の建物へと案内する女の案内役みたいなのが待ち構えてて、次はこちらです、なんて言いながらまた何か売りつけるところに誘導しようとするので、 なんかやだなと思って離脱した。境内の西側の出口から外に出ると、大きな杉並木の砂利敷の広い参道に出た。参道の北の突き当たりには大きな鳥居が見え、 葵の紋が入った大きな石の碑にはでっかく「東照宮」と書いてある。ここらで突然、雨が降り出した。あんなに晴れてて暑かったのに、山の天気だから変わりやすいのかもしれぬ。 日光は天気の悪い土地なのだそうだ。結構強く降ってきたので、屋根のあるいろんな所でみんな雨宿りしていた。陽明門で雨宿りしてる者も多く、 国宝で雨宿りとは贅沢なことだと思った。空気が入れ替わったのか、とても涼しくなった。そして東照宮の建物や門などには、 いろいろな動物などの彫刻がいたるところに彫ってあってすごい。贅を尽くしたつくりで華美に装飾的で派手なので、日本的ではないようにも思えるが、徳川の江戸時代がそれだけ豊かな時代だったということなのかもしれぬ。 東回廊の眠り猫をちらっと見てから奥宮へ。石畳が敷かれた細い道の両側に大きな木が茂っていていい雰囲気だ。 雨の中、石段をよいしょよいしょと登る。登りきったところに宝塔があって、鶴と亀の像がその前に建っている。 宝塔は徳川家康の墳墓の上に建てられた銅製のもので、釣鐘の上に屋根をかけたような形をしてた。石段を下りて眠り猫のところまで戻る。 眠り猫は人気があるみたいで、人が大勢カメラや携帯電話を構えて撮影している。 本社拝殿は工事中だったが入れたので、中を見に行ってみた。畳敷の拝殿に入り腰を下ろして見上げると、欄間には三十六歌仙の絵の額が飾ってあった。 いつの間にか説明係みたいな女が現れて、拝殿の説明などをしていたが、またここでも、最後に、ここでしか買えないなんちゃらかんちゃらと言い出した。 拝殿を出ると雨は小降りになっていて、雨上がりで濡れた石灯篭についている苔がきれいな緑色をしていた。「見ざる言わざる聞かざる」も見た。 ユーモラスな表情をしてて楽しい。そのとなりの親子と思われる猿の彫刻もよかった。
■雨に降られてすこし疲れたので、東照宮の参道にある金谷ホテル宮庵というしゃれたカフェみたいなレストランみたいな店であったかいコーヒーを飲んで休憩。 体が冷えてたみたいで、おいしかった。くそ暑い日々だったので、寒さを感じたのは久しぶりだった。そこのすぐ近くに剣道場があって、 大勢の人が剣道をやってた。ばちばちどんどん、いろんな音や声が響いていた。それから東照宮の西隣にある二荒山神社へ。 雨はほぼ上がった。観光用の馬車でもあるのか、白い馬が一頭つながれていて、うつろな目をしていた。 あと、途中、黒い猫がぽつんと座ってて、近づくとハスキーな声で鳴いてた。二荒山神社は「二社一寺」の中では若干地味な印象を受けたが、 いろんなものが手の届きそうな場所にあって、身近で庶民的な神社という感じ。お菓子の神様がいたり、縄でできた輪を投げる輪投げがあったり、 高野槙の老木、刀傷のある化燈籠などなど、いろいろある。境内の、高い高い木々がとても印象的だった。
■バスで日光駅まで。車内から神橋が見えた。橋だけ見るとなんてことない赤い橋なんだけど、そのときは、雨上がりで川から立ちのぼるもやと、 背後の山を照らす夕暮れ空をバックに、とても美しい光景だった。日光駅から電車で宇都宮まで戻った。日光は涼しかったが、宇都宮まで来ると、 山から下りてきたので暑い。駅の目の前にあるホテルにチェックインしてから歩いて宇都宮の市街へ。 数年前に訪れたときに入った店の餃子がとてもおいしかったのでまた行ってみようと、そのときの記憶を頼りに町中をしばらく歩くと、目当ての店を見つけることができた。 夕食時ということもあってか、店の前には行列ができていた。普段なら並んでまで食べるようなことはしないが、急いでもないし、せっかくなんで並んで待った。 駅からかなり離れていて、旅行者らしき者の姿は見なかったから、地元の人が多く来てるのだと思う。わりと客の回転が早く、思いのほか待たずに店内へ。 餃子を腹いっぱい食べた。ニンニクがそれほどきつくないのに味がしっかりしてて、焼き方もとてもよくて、やっぱりおいしかった。 食べてからコンビニエンスストアに寄って、栃木ではおなじみらしい「レモン牛乳」のアイスを買ってホテルの部屋で食べた。おいしかった。
■日光線全区間乗車できたので、JR全線のうち乗車済み距離が97.125%になった。乗車済み距離19274.2km。残り570.5km。
No.1537 2010-8-22
■午後、ラジオで山下達郎のサンデーソングブックを聞いていた。毎年恒例の夫婦放談で、ゲストに竹内まりやが出てた。 達郎氏がRISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO出演後に収録されたということで、そのときの話題が出るかなと期待してたら、番組の前半でその話題を少し。 まず、大勢の客が集まったことに驚いていたようで、達郎氏は「すごい人(の多さ)でございました」と言ってた。 29年ぶりの野外フェス、というのを受けてまりやが、実際にステージに立ってみての感想も含めてこんなふうに言っていた。
「すごかったですね。達郎が出演した野外フェスは70年代後半からずっと見ていますけど、それほどたくさん出たわけではないけど、 今回は特別な感慨がありましたね。空気だとか環境だとか、そういったものももちろん素晴らしかったけど、オーディエンスが素晴らしかった」
こんなようなことを言ってくれた。そして達郎氏は 「素晴らしかったです。私、野外フェスには昔ずいぶん出ましたけど、こんなにウケたの、生まれて初めて」と、笑いながら言っていた。 そしてさらに「ありがたいことですね。本当に。でも、暑かったよね。すさまじい暑さでしたけども。 でも、ほんとにいいお客さんで、気持ちよくやらせていただきました。」
■本人からこんなふうに言ってもらえて、自分は主催者でもなんでもないのに、とても嬉しかった。 ただの客だけど、好きで長いこと行っている、信用しているものに対して、尊敬する人がよい印象を持ってくれたのは喜ばしいことだし、 北海道の人間としても嬉しい。
■達郎氏は昔、シュガーベイブ時代に野外イベントに出て、散々石を投げつけられたらしい。 いまではまったく考えられないことだが、当時はブルース色の強いバンドだとか、強いメッセージを持ったフォークソングが受け入れられていた時代で、 そんななかで、都会的なポップスをやるバンドやミュージシャンに対して客は「軟弱だ」と容赦なく罵声を浴びせていたというのだ。 「ノれねーぞ!もっとノるのやれー」と。そういうこともあって、ライブ映えする16ビートの曲を多くつくった時代もあるそうだ。 だから、野外フェスで自分が大ウケしたってのは、感慨深いものがあるのではないか。
■といったような、昔からの達郎氏を知る人の文章をあとから読んで、けっこうびっくりした。 それでも自分のセンスだとかスタイルを信じて35年、プロとして音楽をやってきて、いまのような不動のポジションを確立したのだから、 本当にすごいなとしか言えない。
■来年以降は、フジロックやサマーソニック、ひたちなか渋谷陽一イベントあたりにも出演するのではないかと思う。 今回のRISING SUN ROCK FESTIVALへの出演がそのきっかけになってくれたら嬉しい。 というか、どんどん出て欲しいなと思うのだ。ワンマンライブのチケットが入手困難というのもあるが、 実力ある人が大勢の集まる場所で生でやることで、日本の音楽全体にものすごく大きな良い影響を与えることができるんじゃないかって、 そんな大げさなことまで考えていた。
No.1536 2010-8-16
旧太刀川家住宅
旧太刀川家住宅。

函館山と八幡坂
函館山と八幡坂。

■函館のくせに暑い。函館滞在最終日は、旧弥生小学校の近くの路地の中にある「アンディ」という雑貨屋でネコの形のとカメラの形のキーホルダーを買ったり、 基坂で猫を見たり、旧函館区公会堂の近くでソフトクリームを食べたり、弁天町の旧太刀川家住宅の建物を使って営業してる喫茶店でアイスコーヒーを飲んだりしていた。 旧太刀川家住宅は1901年(明治34年)に建てられた国指定重要文化財。重要文化財の中でコーヒーを飲める場所はそんなにないのではないか。古い建物は、使ったほうがいいと思う。
■月曜日になってたから帰省ラッシュもピークを過ぎたようで、函館駅も空港もけっこう空いてた。夜の便で羽田。機内から一歩出ると強烈に不快な暑さ。バスで津田沼。長い休みも終わった。
No.1536 2010-8-15
■行くときは長く感じた3時間だったが、帰りはあっというまに函館に着いた。というかほとんど寝てた。 札幌からの特急はほぼ定刻通りに函館駅に到着。駅の中は帰省や旅行の者達でおおいに賑わっていた。 駅前で少し用事を済ませて実家へ。すぐにシャワーをして石狩での体の汚れを落とし、着替えてさっぱりした。 午後、ラジオでサンデーソングブックを聞いてたが、かなり眠たかったので、うとうとしてたから内容をぜんぜん覚えてない。夜までだらだらと過ごす。
■夜は親、兄の家族らで食事。本通のほうにある店でにぎやかな夕食となった。そういえば兄と会うのはかなり久々な気がする。 そんな、数年ぶりの武田家勢揃いの夜。店への行き帰り、車で、昔通ってた高校の近くを通った。いろいろ変わってたし、 変わってないところも多かった。
No.1535 2010-8-14
クリスタルパレス
CRYSTAL PALACE。オレスカバンドのライブでの入場規制の列。

NEXT ARTIST
NEXT ARTIST。

LOOPA NIGHT
LOOPA NIGHT。

朝焼け
夜明けの朝焼け空。

RSR2010の終わり
さよなら夏の日。

■今回は長いです。
■かなり寝た。起きれなかったんである。昼前くらいになってようやくチェックアウト。まっすぐ会場には行かず、大通のPIVOTへ。 パルコみたいなファッションビルである。6階で「PIVOT-6 日の出」という、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO(以下エゾ)に関する期間限定の情報発信スペースが営業してるので、 そこへ行ってみた。数年前からこういうことをやるようになったと記憶しているが、いままで行ったことなかったので、初めて足を運んでみた。 さすがに開催当日なので、誰もいない。アウトドアグッズや公式グッズ、過去のパンフレット、過去の映像コーナーなどいろいろある。 エゾの会場では毎年多くの人が列をなして興じている、出演者のロゴ等が描かれている缶バッジのガチャガチャも置いてある。 誰もいないんで、せっかくだからやってみた。オーサカ=モノレール、EGO-WRAPPIN'、マキシマムザホルモン、チャットモンチー、yanokami、 BEAT CRUSADERS、The ピーズ、DOES、The Telephone、andymoriが出た。なかなかいいのばっかり出た気がする。ここで麻生からのバス券を買ったら、 エゾのロゴマークのステッカーをくれた。
■地下鉄で麻生、それからシャトルバス。一日目終わって一度帰って、もう一度会場に向かう者達がたくさんいる。 腕についてるリストバンドでそれとわかる。会場に着いてみると、地面の泥具合は劇的によくなってるということもなく、相変わらずぐちゃぐちゃしてたので長靴を履いて歩いた。 野鳥の会の長靴がこんなに活躍するとは予想してなかった。 既に二日目のトップバッターのライブが始まってたようで、入場ゲートから一番近いステージであるアーステントには、 ものすごい数の客が集結してて、なんだろうと思ったらグループ魂というバンドだった。私には彼らの魅力がいまひとつわからないが、すごい人気だ。 「ペニスジャパン!」と連呼してるのが聞こえた。クリスタルパレスではオレスカバンドのライブ。女の子だけのスカロックバンドだそうだ。 こちらもなかなか人気あるみたいで、入場制限のせいで外に行列ができてた。
■クリスタルパレスはキャパが小さいので、たびたび入場制限がかかる。せっかくこんなでかい野外の会場で、なんであんな小さな小屋でライブやるんかねといつも思う。 しかも、どうしても見たいライブを見るためにわざわざ、かなり早くから並んだりしてる人たちがけっこういて、気の毒になる。 クリスタルパレス自体はとてもいい空間で雰囲気もいいんだけど、あそこでのライブをタイムテーブルに組み込むのはやめたほうがいいんじゃないかと思うんである。 2001年くらいまであった、とつぜん酔ったミュージシャンどうしがセッション始めたりしてた「NO YOUNG NO CRYテント」みたいな使い方すればいいのに。 会場内に毎年いる大道芸の人とかに使わせてもいいし、昔、向井秀徳が会場内の片隅でやってたみたいに、気まぐれに出演者がギター弾き語りするとか、そういうのを酒飲みながら見るようなステージにしたらいいと思う。
■サンステージでは矢沢永吉のライブが既に終わったようで、白スーツで着飾ったり、リーゼントとか、でかいヤザワタオルを肩にかけたりしてる矢沢ファン達の姿を見た。 そんな矢沢ファンと記念撮影をしてる者達がけっこういておもしろかった。中には、白スーツで足元は白い長靴というやつもいて、ちゃんとフェス対応してるなあと感心した。 友人達のテントへ。テントメンバーの一人が自転車乗りということがわかり、しばし自転車話。しまなみ海道の話ができてよかった。 しばらくだらだら過ごしたあと、ムーンサーカスへ。二日目の最初はDE DE MOUSEのライブ。ちょっと前にYoutubeで聞いたら衝撃を受けたので、 実際見てみたくなった。DE DE MOUSEというのは「遠藤大介によるソロプロジェクト」らしい。電子音メインで行儀のいい感じなのかなと想像してたらぜんぜんちがった。 ツインドラムの音圧がすごいし、客を煽る煽る。激しく跳ねながらキーボードを叩き、マックのラップトップを操作する。とてもテンションの高い演奏で、狂気さえ感じる。 客もぴょんぴょん跳ねて楽しそうだ。なんか聞いたことのないコード進行とか、どういう音楽を聞いてきたらこんなメロディつくれるのかと思うような新しい音楽で、 衝撃を受けた。しかも若い。しゃべりは若干不審でちょっときもかった。肩にヤザワタオルをかけた兄ちゃんも最後まで見てた。
(1.dancing horse on my notes / 2.my favorite swing / 3.journey to freedom / 4.like your magic / 5.sweet gravity / 6.baby's star jam / 7.east end girl)
■サンステージのスタンディングゾーンに足を踏み入れるのはいったい何年ぶりだろう。 ちょっと気になったので、過去のエゾのサイトを見て調べてみた。たぶん2004年の渋さ知らズオーケストラ以来じゃないかと思う。
山下達郎。
少し長くなるが、思い出話をちょっと。
昔むかし、実家の母はいつもFMラジオを聞いてる人だったものだから、自分も毎日音楽を聞いて暮らしていた。当時のFM放送はいまとちがって、 洋楽がたくさんかかっていたんである。まだ小学生だった頃、たまたま「BIGWAVE」という曲がかかった。 英語詞の、伸び伸びした楽曲だ。かっこういいな、外人の歌はすごいもんだな、と子供ながら思ったことを記憶している。 で、その曲が終わっての曲紹介だったと思う。「ヤマシタタツロウでBIGWAVEでした」みたいなことをラジオのパーソナリティが言ったのだ。 とてもたまげた。日本人なのにすごい、と思って強烈に印象に残った。
それからもうちょっと先のことになるが「オレたちひょうきん族」というテレビ番組を家族で見ていた。 お若いかたで知らない人もいるかもしれないが、若き日のビートたけしや明石家さんま、島田紳助などが出ていたお笑い番組で、土曜日の夜にやってた。 その頃の土曜日の夜っていうのは、今の土曜日の夜とちょっとちがってて、一週間にたった一日だけの休みを前にした、とてもきらきらとした、 開放感にあふれた気分に満ちていた。そんな気分にものすごく合ってたのが、ひょうきん族のエンディングテーマに使われていた「土曜日の恋人」という曲だった。 すごく好きな曲で、ずっと記憶に残ってて、あの頃から20年近く経ったある日、津田沼で急に思い出してその曲が入ってるアルバムを買った。 懐かしいのにまったく古さを感じない曲で、ほんとうにすごい。
■そんなふうに、ずっと憧れていたミュージシャンで、ライブも見てみたかったが、すぐにチケットが売り切れてしまうのを知ってたから諦めてたのだけど、 今回エゾに出るというんで、出演が発表されてからずっと、そのことばっかり考えてた。
■ステージの両側にある大型ビジョンに、次に出演するアーティスト名が映し出されるのだけど、そこに「山下達郎」と出て、 うわあいよいよだと思い、緊張しながら待った。
達郎氏による美しい一人アカペラのSEが流れるなか、バンドメンバーが続々登場。そのタイミングで長髪の人が出てきたので、あ!と思ったら達郎さんではなく、 キーボードの人だった。サックスは土岐英史という人で、土岐麻子の親父さんだ。ドラムの小笠原さんは北海道出身で、以前山下洋輔のバンドでエゾに出演したことがあったと思う。 そしてついに赤いシャツにジーンズの達郎さんが颯爽と登場し、すばやくギターを肩にかけ、SEにかぶせるようにギターが始まり「LOVELAND,ISLAND」のサビの最後のところだけやって、 そのまますぐに「SPARKLE」。さらに続けて「DAYDREAM」。イントロのベースがべんべんと響いて「DONUT SONG」。自然と手拍子が一斉に始まる。 間奏で初めて挨拶、MC。緊張しています、と言ってたので意外だった。約30年ぶりの野外とはいえ、あんなすごい人でも緊張するんだなあと思った。 手拍子でのコールアンドレスポンス。ライブが始まってからしばらくは、うわあ本物だ、すげえ、すげえ、という感じで夢中で、どれくらい客が集まってるのかわからなかったが、 どうやら大変なことになってるみたいだなとわかるくらいこのあたりで盛り上がった。
達郎さんを初めて生で見た印象は、とてもこわい顔をしていたということ。笑顔を見せるのだけど、演奏中は鬼気迫る表情をしていたのだ。 自身も言ってたように、緊張していたのかもしれぬ。「職人」とか「マエストロ」という言葉が頭に浮かぶ。 たしか達郎氏の過去のアルバムタイトルの「アルチザン」というのはフランス語で「職人」という意味だったと思う。職人みたいな、気難しそうな表情をしていたんである。 でもライブが進むにつれて、ずいぶんリラックスした表情になっていったのが印象的だった。
「DONUT SONG」が終わってすぐに「僕らの夏の夢」。力強く美しい曲だ。最近の作品である。コーラスワークも感動的だった。 「シュガーベイブでデビューして35年、なのでシュガーベイブ時代の曲を」ということで「WINDY LADY」、続けてエレピが奏でる旋律が印象的な「砂の女」。 「暑い!」と一言だけ言って「BOMBER」。うねるようなギターがすげえかっこういい。一般的にはそれほど有名な曲ではないと思うが、 この曲はかなり客の反応がよく、盛り上がっていた。ドラムソロもすごい気合の入った音がびしびしくる。けっこう長い時間、そんなドラムソロが続き、 それを達郎さん以下、バンドメンバーがにこにこ見てた。ベースがびりびり響くイントロから「アトムの子」。途中、鉄腕アトムの歌もワンコーラスあった。 4小節くらいの短いギターカッティングのあと「青い〜」で始まってうおおおっていう歓声があがり「RIDE ON TIME」。そしてライブの最初に聞いたカッティングがここで再び始まり、 今度はフルで「LOVELAND,ISLAND」。曲の最後のほうでテンポよくメンバー紹介をし、紹介の最後でさらっと「特別ゲスト、竹内まりや!」と言ったところで「うおおえええ!?」みたいなどよめきが起きたのがおかしかった。 まりやは麦わら帽子をかぶって、他の三人のコーラスよりも元気に踊っていた。一度、途中、コーラス隊がステージからはけて、再度、「アトムの子」のときだっただろうか、そこでコーラス隊が出てきたとき、 最初三人だったのが四人になってたのだ。とくに気に留めなかったが、まさか竹内まりやが出てきてたとは気づかなかったので、ほんとうにびっくりした。 そして曲のラスト、I LOVE YOUのYOUのところにいく前に拡声器を持ち、「どんなに会場でかくても届くやつ!」だったかな、そんな感じのことを言ったあと、 長い長い「ユ〜〜〜〜〜〜〜〜!」そしてにこやかな表情で「呼んでもらえればまた出たいと思います」。嬉しかった。ここでギターを肩から下ろしたので、これで終わりかあ、と思ってたら 「お盆が過ぎれば夏ももう終わりですね。みなさんよい夏を。最後にこの曲を」といったようなことを言って最後に「さよなら夏の日」。 あの夕方の野外というシチュエーションとか、北海道の夏の終わりとか、「明日になればもうここには僕らはいない」 「雨に濡れながら僕らは大人になってゆくよ」という歌詞とか、もちろんあの素晴らしい歌声とか、そういういろいろで、客みんなでぽろぽろ泣いてた。 ビジョンにも、はらはらと涙を流す客の顔がたくさん映っていた。これが曲の持つ本当の力か、と思い知った。そして、人からお金をとって聞かせる音楽っていうのはこういうもんだ、 というのを、ステージ袖で見ていた若いミュージシャン達に見せつけるような、そんなライブでもあったように思う。
それにしても、なんとも、夢のような時間だった。
(1.LOVELAND,ISLAND[サビの最後の部分のみ] / 2.SPARKLE / 3.DAYDREAM / 4.DONUT SONG / 5.僕らの夏の夢 / 6.WINDY LADY / 7.砂の女 / 8.BOMBER / 9.アトムの子 / 10.RIDE ON TIME / 11.LOVELAND,ISLAND / 12.さよなら夏の日)
■テント組の友人の他に、同じく小学生の頃からの友人が今回初めてエゾに来ていたので合流した。奥さんと来てたのだけど、 その奥さんは暑さにやられたのか具合悪くなったらしく、永ちゃんとエレファントカシマシを見て帰ったらしい。その友人は一度奥さんを車で送ってからもう一度会場まで戻ってきた。 合流したとき、彼は手にホームセンターのビニール袋ひとつ持ってただけという、とても身軽な格好だった。 テント前でホッケなどを焼いて食べた。うまい。そんな感じでだらだら休んでたら、PLASTICSのリハーサルの音が聞こえてきたので、 ムーンサーカスへ行ってみた。ほどなくしてライブがスタート。立花ハジメがいた。中西さん、佐久間さんもいるし、屋敷豪太までいた。 なんだこの面子は。みんな年とってもかっこういいのうとか思って見てた。他に、キーボードとフルートに女性メンバーがいた。 後から知ったが、ボーカルの女性は、かつてのPLASTICSのボーカルだった佐藤チカの実の娘だそうだ。ステージ度胸があると言ったらいいだろうか、歌いっぷりも堂々としたものだった。 「COPY」とか「GOOD」とか「I AM PLASTIC」とか知ってる曲ばっかりだったので、それもフェス向きでよかった。それにしても、こんな音楽を30年前にやってた人達がいて、しかもそれが日本人だったっていうんだから驚くほかない。 後の時代にたくさんのフォロワーが現れたのもよくわかる。今回のエゾは、聖飢魔Uや山下達郎にどうしても注目が集まるが、実はPLASTICSの出演というのも結構すごいことなんじゃないか。 とても楽しいライブだった。終わってテントに戻る途中、サンステージから斉藤和義の「歌うたいのバラッド」が聞こえてきてた。そして花火があがった。
(1.COPY / 2.I AM PLASTIC / 3.I WANNA BE PLASTIC / 4.DIGITAL WATCH / 5.GOOD / 6.PEACE / 7.DELICIOUS / 8.ROBOT / 9.DIAMOND HEAD / 10.CARDS / 11.TOP SECRET MAN)
■テントで少し休んでからボヘミアンガーデンへ。バンバンバザールのライブを座って見てた。 最初結構、ステージ前あたりに立ってる人いたんだけど、ボーカルの人が「圧迫感があるからみんなステージから離れろ」とか言って笑わせていた。 そして「まあ座れ。そんなに踊れる曲もないよ」なんて言ってておかしかった。バンバンバザールについてはほぼまったく知識がなかったが、 ニューオリンズスタイルのスウィングジャズがベースにある音楽で、去年見た吾妻光良&The Swinging Boppersにも通じるような楽しい音楽であった。 新千歳空港から札幌に向かうときに乗る快速エアポートという列車をイメージしてつくったという、その名も「快速エアポート」という曲もやった。 途中、こういう場だからみんな知ってる曲もやったほうがいいかなといってやったのが田原俊彦の「ハッとして!Good」だった。若い世代の人は知らないんじゃないか。
(1.ニューオリンズにて / 2.Bell Desk Blues / 3.ブルーシャドウ / 4.快速エアポート / 5.ハッとして!Good / 6.フジヤマ / 7.奥様 どうぞご勝手に / 8.家庭教師2003 / 9.俺とタシロと校庭で / 10.夏だったのかなぁ / 11.FRIDAY NIGHT エビフライ / 12.情熱のありか)
■バンバンバザールのライブを途中抜けしてムーンサーカスへ。今年は例年になくムーンサーカスへ足を運ぶ回数が多い。 yanokamiである。途中から見た。夜の、空気が少し冷えてきた時間帯にぴったり合う。そして相変わらず矢野さんとレイハラカミの会話がいまいちかみ合わないのもいい。 yanokami名義でオリジナルグッズもつくったという話をしばらくしていた。タオルとかストラップを用意したので買ってね、という話。 グッズ売場のあたりがぬかるみがひどいことも知ってたみたいで、矢野さんは「あのぬかるみを頑張って乗り越えて買いにいってください」なんてことも言ってた。 ハラカミさんが、タオルの話の途中で、テレビショッピングみたいに「でもお高いんでしょう?」とか言ってたのもおかしかった。 初めてyanokamiの音を聞いた友人が「トラックがすごい」と言っていた。矢野さんはもちろんだが、レイハラカミの才能は本当にすごい。 あのすごさは、一度耳にすれば誰でもすごいと思うのではないか。いい意味で、わかりやすいすごさだと思う。
(1.Sayonara / 2.曇り空<荒井由実> / 3.Too good to be true / 4.瞳を閉じて<荒井由実> / 5.終りの季節<細野晴臣> / 6.Full Bloom / 7.Bamboo music<坂本龍一+David Sylvian> / 8.Night Train Home / 9.ばらの花<くるり>)
■しばらくテント前でくつろぐ。夜も深まり、だんだん長袖や上着を着る者が多くなってきた。年々、ライブを見てる時間よりも、 だらだらゆっくりしてる時間のほうが長くなってきてる気がする。以前はステージ間を駆けずり回ってあれもこれも見たい、と必死になってたが、 どうもだめだ。見たいけど、まあいいか、と思ってパスしてしまうことも少なからずある。他のフェスやイベントを知らないので比べられないが、 まあ、ゆったり楽しもうや、みたいなそういう雰囲気がこのフェスにはあるように感じるのだ。とくに近年は、夜遅くなってくると、もうだめである。 腰が重くなるのだ。しかし今回、そんな重い腰を上げさせるライブが深夜零時近くにブッキングされているので、アーステントまでの長い道を歩いた。 途中、レッドスターフィールドでTHA BLUE HERBがライブをやってた。彼らにはあんまり興味がなくてよく知らないのだけど、 ちらっと見るたびになんかいつも演説というか説教してる印象がある。
■泥沼をこえてようやくアーステントに着くと、既に大勢の客がつめかけていた。しばらくすると、でかいアーステントが人でぎっしり。 このステージでのライブを見るのも、かなりひさしぶりだ。屋根があるのでライブハウスのような雰囲気。 相対性理論は北海道初上陸ということで、今回初めてライブを見るという人がかなりいたのだろう。なんだかよくわからない奇妙なバンドへの期待感がものすごい。 スタート予定時間になると、待ちきれない客が手拍子を始めたら、みんな一斉に手を叩き始めた。こんなこといままでなかったような気がする。 しばらく、早く、早く出てこい、と促す手拍子が続いたあと、バンドの三人がステージ上へ。後ろから人が押し寄せる。 もみくちゃと軽ノリのちょうど境目あたりで見ることにした。遅れてボーカルのやくしまるえつこが登場。 一曲目は「ミス・パラレルワールド」。あふれんばかりの期待が一気に放出されたかのように、ステージ前あたりは大変なことになっていた。 ほぼMCなしで前半は「人工衛星」「地獄先生」「テレ東」と続けざまに淡々と演奏。ステージ上と客の温度差がすごくて笑える。 でも、なんだ、ちゃんとフェスを意識した感じの選曲じゃないかと思い、ほっとしたし嬉しい。 そして何より驚いたのは、やくしまるえつこの意外なほどの声量だ。正直言って、見るまで不安だったのだ。 すごいしょぼいライブなんじゃないか、と勝手に不安がっていたが、彼らの実力は本物だ。 音源で聞いていた数々のアクロバティックなギターのフレーズやベースラインが見事にライブで再現されていた。力強く、音に厚みを感じる。 後半は「LOVEずっきゅん」「気になるあの娘」、SMAPに提供したという「GAIAにおねがい」。ここまででやくしまるが歌詞以外で発したことばは、 最初の「相対性理論です。」、あと「北北西に進路をとるカニ?」「オーダー」だけだったように思う。 で、ここで口を開いたやくしまるが「慶一さん。鈴木慶一さん。」と呼んでムーンライダーズの鈴木慶一さんが登場。すごいゲストが出たもんだ。最後の曲「ムーンライト銀河」に鈴木氏がギターで参加。 曲のラスト、鈴木氏がプログレみたいなギターを弾きまくり、メンバーが一人ずつステージ上から去ってゆく。最後は鈴木氏とドラムの西浦氏だけが残り、徐々にフェイドアウト。 最後はなんだか誰のライブなんだかよくわからない状況になっていた。最後ひょっこりやくしまるが現れて一言、「グッドナイト」だか「グッバイ」か「バイバイ」かよく聞き取れなかったが、 そんなことを言って去っていった。客をはぐらかすようなライブの終わりかたも、彼ららしい。 近年めずらしいパーフェクトなイメージ戦略には大きな知性を感じるし、やくしまるえつこやバンドメンバーのキャラクターやふるまいは、 かなりのセンスと度胸に裏付けられたものということがわかる。そしてこれが、今の時代が求めている音楽のひとつの形なんだろう。
ライブ中、以前からの相対性理論のファンと思われる者がすぐそばにいて、過去にもライブを数度見たことがあるらしいことを友人か誰かと話をしていた。 普段のライブでは、跳ねたりモッシュが起きたりなんてことはまず無く、それ以前に腕さえ上がらないそうだ。 それが今回ものすごいことになってて、ダイブ野郎まで現れて「このノリはない」とか「ダイブとかちょっとありえない」とか言って戸惑ってた。 ありえないとか言わないで好きなように楽しめばいいのに、と思う。まあ、どんな曲でもオイ!オイ!と叫ぶやつらはどうかと思うが。 野郎どもがのりのりでいい顔して野太い声をはりあげて「ラブ!ラブ!ラブずっきゅん!」て楽しそうに叫んでたのが全てじゃないかと思う。
(1.ミス・パラレルワールド / 2.人工衛星 / 3.地獄先生 / 4.テレ東 / 5.LOVEずっきゅん / 6.気になるあの娘 / 7.GAIAにおねがい / 8.ムーンライト銀河)
■アーステントを出ると、霧が出ていた。会場内のいろんな灯りがぼんやりして幻想的な雰囲気。サンステージではBOOM BOOM SATELLITES。 めちゃめちゃかっこういい。遠くにライブの音を聞きながら、会場内に一箇所ある、無線LANが使えるホットスポットの椅子で休憩。 少しネットをしてからテントまで戻った。今回はここまででもうやりきったという心境になっていたので、あとは朝までだらだら過ごしていた。 ボヘミアンガーデンからは楽しそうなSCOOBIE DOのライブの音が聞こえてくる。ムーンサーカスのLOOPA NIGHTをちらっとのぞいてみたり、 フォレストテントサイトのそばのキャンドルがたくさんあるところの藁の上で横になってみたりしながら時間が過ぎていった。 案外、余力が残ってるような感じだった。少し休みすぎたのかもしれぬ。あと、泥の上をたくさん歩いててふと思ったのは、 土の上を歩くというのは、アスファルトを歩いたときとは疲れかたがちがうのかもしれないなということで、ここちよい疲労感のように思えた。 朝が近づいてくる時間帯になると、会場中のいたるところで人がごろごろ死んだように眠っている。そんな光景を見ていると、 人間って、どこでも眠れるんだなとつくづく思う。
■夜が明けた。今年はあいにく曇り空で、朝日は見えなかったが、鮮やかなピンクの朝焼け空を見ることができた。 近年は、夜中から朝にかけての時間帯でも、あんまり寒くならない。ベンジーがダウンジャケットを着て会場内を歩いてたころが懐かしい。 まだ大トリのバンドがライブをやっている時間だったが、早々と会場を後にし、友人の車で札幌駅まで送ってもらった。
No.1534 2010-8-13
RED STAR FIELD
RED STAR FIELD。

GREEN OASISのあたり
GREEN OASISのあたり。

moon circus
moon circus。

フォレストテントサイトの近く
フォレストテントサイトの近く。

■直前まで台風、大荒れ、大雨とか言ってたし、線路がだめになったり道路が通行止めになったりしてたのに、 当日になったらうまい具合に台風も逸れて快晴。それだけでなんだか嬉しくなる。 朝の特急で五稜郭駅から札幌まで。川の水が泥水になってた。海も陸に近いところは泥の色。 途中一部、線路を復旧したばかりの箇所を通るときに徐行したが、ほぼ定刻通り札幌駅到着。 駅からすぐ近いところにあるホテルに使わない荷物を預けて地下鉄に乗り麻生まで。バスターミナルからシャトルバスに乗車。車内が暑い。 バスはそれなりに混んでて、立ってる者も多いが、どのステージで誰を見る、とかみな元気にいろいろ話をしている。 新琴似を抜け、花川から石狩市に入る。途中、毎年見るたびにまだあるんだ、と思う「北京麺人」というラーメン屋は今年も健在。 麻生から35分くらいで石狩湾新港の会場に到着。
■バスを降りると日差しが強くて暑い。そして入場ゲート周辺の足元が予想してたよりひどい。過去にも、前日や当日に雨が降ったことがあったが、 ここまでどろどろにぬかるんだことはなかった。前日まで大雨が降り続けたせいだろう。チケットを係の人に渡して腕にリストバンドをつけてもらい、入場。 入ってすぐに長靴に履き替えた。なぜか入場ゲートを入ったところに人がたくさんいる。なんだろうと思ったら、 水没してるテントサイトを他の場所に振り分けるためにいろいろ手続きなどしてるみたいだった。
■RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO(以下エゾ)1日目は15時スタート。14時頃に着いたら、既にあちこちテントがたくさん建っていた。 考えてみると、1日目のトップバッターのライブが始まるよりも前に会場に来てたのはいつ以来だろう。もう何年ぶりのことである。 今回もタイムテーブル次第ではのんびり会場入りしようと思ってたが、そうはいかなくなった。レッドスターフィールドでの開演一発目がKANだからである。 とりあえず会場内を見ながら奥のほうへ。アーステント、クリスタルパレスあたりが沼状態。サンステージ前の大きな通路もかなりの泥。 田植えが始まりそうな感じ。サンステージの横まで行くと足元は乾いてて問題なし。いろんなオブジェや店やブースや祭太郎など、 今年もステージ以外いろいろあって歩いてて飽きない。なぜか裸足で歩いてるグループがいて、水路の上に簡易橋梁がかけられているのだけど、 そこの鉄板の上を歩いてあついあついと言っていた。ドコモやタワーレコードのブースにはたくさん人が並んでる。 なにかをどうにかすればタオルなどをもらえるらしいが、一回ももらったことない。レッドスターフィールドのそばの藁ロールの上で寝転ぶ者がいた。 グリーンオアシスのあたりにはハンモックが例年よりたくさん置かれてて、寝てる人がたくさんいた。そんなのを見ながら通り過ぎ、 いちばん奥のボヘミアンガーデンまで行ってみた。エマーソン北村氏が、ウェルカムステージということで、午前中から一人でキーボードを弾いてたみたいだ。 キャンパー達が彼の生演奏を聞きながらあちこちでテントの設営をしていた。贅沢なことである。 ムーンサーカスの近くの友人達のテントに着いて荷物を置かせてもらい、休みながら少し話をした。小学校時代からの友人である。 時間がきたのでレッドスターフィールドへ。
■KAN。中学生の頃から彼の音楽が好きだったのだけど、生で聞くのは2008年12月の東京駅前にある丸ビルでのフリーライブ一回きりだったので、 めちゃくちゃ楽しみにしていた。同じ時間のCoccoやチャットモンチーに行かず、KANを選ぶ愉快な人が思いのほかたくさんいたので少し嬉しい。 3曲目までピアノ弾き語り。4曲目は「1989(A Ballade of Bobby & Olivia)」。へえ、こんな長い曲やるんだあ、 とか思ってたら、途中までピアノ弾き語りで、間奏のときにバンドの人達が出てきた。いまどきあんまり流行らないストーリーソングだが、 聞いてたらなんだか涙が出そうになった。ビリージョエルの「Scenes From An Italian Restaurant」を目指してつくった曲だと昔ラジオで言ってた気がする。 「愛は勝つ」もちゃんとやった。あのピアノのイントロが始まると、遠くのほうからも人がわーっと走ってきたので笑ってしまった。 で「愛は勝つ」が終わるとその人たちは、さーっとどこかに行ってしまった。最近の曲「よければ一緒に」では、後半のララララのところをみんなで合唱。 そういえばKANはナポレオンみたいな衣装だった。そして期待以上のすばらしいライブだった。
(1.何の変哲もないLOVE SONG / 2.まゆみ / 3.プロポーズ / 4.1989(A Ballade of Bobby & Olivia) / 5.Rock'n Soul in Yellow / 6.愛は勝つ / 7.Oxanne -愛しのオクサーヌ- / 8.よければ一緒に / 9.世界でいちばん好きな人)
■一発目からもう大満足してしまったので、今日はもうあとは夜まで適当に過ごせばいいやと思いながらも、 そういえばトクマルシューゴのライブいまやってるんだったと思い出してムーンサーカスへ行ってみた。 少しぬかるんでたが、それほど気にならない。着いたときにはちょうど往年の名曲「Video Killed The Radio Star」のカバーをやっていた。ユニークなバンドアレンジになっていて楽しい。 よく知らないのだが、なかなか人気あるみたいで、人がいっぱいだった。KANとは違ってMCは上手ではないが、言葉からは人柄の良さがうかがえる。 なんといっても、とてもきらきらした音楽で、独りよがりじゃないところもいい。ギターがトリッキーでおもしろかったし、独特でめちゃくちゃうまい。
(1.Sanganichi / 2.Button / 3.Tracking Elevator / 4.Future Umbrella / 5.Lahaha / 6.Mist / 7.Typewiter / 8.Green Rain / 9.Linne / 10.Vista / 11.The Mop / 12.ピタゴラスイッチ / 13.Video Killed The Radio Star / 14.Parachute / 15.Rum Hee / 16.Malerina / 17.Paparazzi)
■やれやれとポカリスエットを買いに行ったりしてから一度テントに戻って休んでると、ムーンサーカスで誰かがリハーサルしてる音が聞こえてきた。 いいリフだなとか思って、ステージのほうへふらふら行ってみた。ORGE YOU ASSHOLEというバンドで、まったくノーマークだったが、結局最初から最後まで見てた。 音に目新しい感じはそんなにないのだけど、楽曲の作りこみが丁寧で、ややもすると神経質という印象になりかねないところを絶妙なバランスでうまくかっこよくしてる。 すごいなあたいしたもんだなあと思いながら見てた。
(1.ステージ / 2.ヘッドライト / 3.ピンホール / 4.新曲 / 5.コインランドリー / 6.フラッグ / 7.ネクタイ / 8.しらない合図しらせる子 / 9.アドバンテージ / 10.ワイパー)
■トクマルシューゴやORGE YOU ASSHOLEのライブは、ああなんだ、日本の音楽の未来はすごく明るいじゃないか、という思いにさせてくれた。 そして夕暮れ時になり、テントで肉などをふるまってもらった。今年もうまかったです。ゆっくり休んでたら、ムーンサーカスからエレクトリックヴァイオリンのサウンドチェックが聞こえてきた。 お、ROVOだ、と思って、ふらふらとステージ前へ。最初、二曲くらい聞いたら聖飢魔U見に行こうと思ってたのに、ぜんぜん移動する気なくなって最後まで見てしまった。 毎度思うのだけど、ROVOのライブを見てしまうと必ず、ああやっぱりこの人たちが一番すごいわ、って結論になってしまう。 それくらい圧倒的なライブ。いろいろ考えられなくなってぶっとぶ。気づいたらふらふら踊っている。 そしていつも、ステージ後方のスクリーンに映し出される映像やライティングも相俟って、宇宙のひろがりみたいな音楽だなと思う。 山本精一さんも元気そうだ。ドラムの音だけになったとき、山本さんはぼーっとドラムの方を見てた。
(1.新曲 / 2.新曲 / 3.LOQUIX / 4.NA-X / 5.REOM)
■で、ROVOが終わってから、そういえば、と思い出していそいそとサンステージ方面へ。聖飢魔Uである。 既に終盤に差し掛かっていたようで、スタンディングゾーンは人いっぱいだし、遠くから見てる人もいっぱいいた。遠くから見てたが、 やっぱり突き抜けてる人達のパフォーマンスってのはすごいもんだなとつくづく感心た。演奏も完璧で歌もすごかった。なんだあれは。 色物に見せかけておいてものすごくまっとうなメタルの音を出すから、それがいい。 しゃべりもすごくおもしろかった。悪魔メイクした客がスクリーンに映し出されておかしかった。 デーモン閣下が「昨日人を殺した、ぶははははは!」とか言ってるのを場内警備の警察官が腕組みして見てた。 最後に火吹きまで見せてくれた。
(1.創世紀 / 2.FIRE AFTER FIRE / 3.蝋人形の館 / 4.アダムの林檎 / 5.BRAND NEW SONG / 6.WINNER! / 7.EL DORADO / 8.JACK THE RIPPER)
■テントに戻る途中、レッドスターフィールドで安藤裕子が歌っていた。立ち止まって少し聞いてみたが、正直なところ、よくわからなかった。 でもお客さんはいっぱいだった。グリーンオアシスではパフィー。こっちもすごい数のお客さん。 「サーキットでは〜」とか歌ってるとき、林の向こうのボヘミアンガーデンのほうから向井秀徳が相変わらず「繰り返される諸行無常!蘇る性的衝動!」 とか歌ってるのが聞こえてきて、いい具合にカオスだった。フォレストテントサイトの一角にあるキャンドルのたくさんあるところを見に行ったら、今年もきれいだった。 テントで荷物を回収し、スチャダラパーを遠くに聞きながら会場を後にした。 早めに帰って寝ようと思ったんである。シャトルバスで麻生。途中、北34条に寄った。以前住んでいたあたりである。 そのころのバイト先に顔を出し、当時一緒に働いてた者がいたので少し話をした。二年ぶりくらいに会った。一緒にエゾに行ったこともある者である。 地下鉄に乗って札幌駅。ホテルはなんだか予想外にきれいで、泥のついたパンツの自分はなんだか場違いな感じがしたが、 他にも自分とおんなじような者がフロントのあたりにいた。そしてホテルの部屋がすごく広くてきれいで感動した。 しゃれたマッサージチェアまであって、それに座ってずっとマッサージされながらネットしてたら、せっかく早く帰ってきたのに寝る時間が遅くなってしまった。
No.1533 2010-8-12
聖ヨハネ教会
聖ヨハネ教会。

元町公園の猫
元町公園の猫。

八幡坂
八幡坂。

■台風情報などを気にしながら翌日のための準備を進めていた。JRの函館本線が大雨の影響でストップしていたようで、 八雲のあたりの線路の路盤が流されたりしてけっこうおおごとになっていたようだったので心配していた。明日までに復旧しなかったら、 高速バスで札幌まで行くか、路線バスで長万部まで行ってから倶知安まわりで札幌に入るか、とかいろいろ考えていたんである。 何年か前に買った野鳥の会の長靴の出番がついにきたな、と思いながらその長靴や新調したレインウェアなどを詰めていた。
■夜になってから前日に続いて函館山方面へ。雨は上がっていた。旧イギリス領事館から元町公園へ。猫の親子がいたのでどうにか撮影しようと思ったが、 暗いところで猫みたいに動くものを撮るのはむつかしい。何度もシャッタースピードを落として撮ってみたが、いまいちだった。 旧函館区公会堂や旧道庁函館市庁庁舎、八幡坂、三つの教会などを見てきたが、正月の吹雪の夜に比べたらさすがに観光客は多い。 三つある教会のうち、ハリストス正教会とカトリック元町教会は外壁の補修か何かの工事をやってるようで、大きな足場が組んであった。 わざわざ観光シーズンにやらんでも、と思うが、まあ仕方ない。日本基督教団函館教会の向かいにあるバス停からバスで五稜郭駅前まで。 駅に立ち寄り、駅員さんに、明日の札幌行きの特急は大丈夫かをたずねたら、線路は復旧したので、このままいけば大丈夫でしょう、と言ってくれたので安心して帰宅。
No.1532 2010-8-11
peacepiece
peacepiece。

末広町の電車通り
末広町の電車通り。函館市文学館等。

昔のエレベータ
旧丸井今井百貨店内の昔のエレベータ。

末広町旧リューリ商会等
末広町旧リューリ商会等。左奥は大三坂。

■窓を開けたまま眠ったら朝は寒いくらいだった。雨が降っていたが午後からバスで元町方面へ。 昼過ぎから蒸し暑くなった。台風が近づいている影響か。傘をさしながら函館山の麓のエリアをうろうろ歩く。 弥生小学校の解体工事がほとんど終わり、一部保存する部分だけが痛々しく残っていた。中華会館は期間限定で開放していて、 中に入れるようになっていた。内部の撮影は料金1000円取るそうだ。ちょっと高い。 小林写真館やプレーリーハウス、天使寮などを見ながら坂を登ったり下りたりして歩いた。坂道には船魂神社の提灯がたくさんつけられていた。 電車通りから八幡坂を少し上がったところに、古い銀行の建物の一部を店として使っている「peacepiece」という喫茶店がある。 正月に通りかかったときに見かけて、良さそうな感じの店だな、と思ってたんで、入ってみたら、とてもいい店だった。 店の内外に店主のセンスの良さがうかがえる。店の中の撮影をしていいか聞いたら、こころよく許可してもらったばかりか、 逆に自分が持ってたカメラについて質問された。感じのいい店主である。コーヒーは冷たいやつを飲んだので、あまり味がわからなかったが、 今度は寒いときにあったかいやつを飲みに来ようと思った。
■店を出て末広町界隈を徘徊。角をアール処理したコンクリート造の建物が多い。コーナー部分に出入口があって、洒落ている。 建設当時、流行だったデザインなのだろう。昔、この界隈は官公庁の建物や銀行が多かったエリアなので、 大正期くらいの立派な建物が電車通り沿いを中心に多く残っている。旧丸井今井百貨店内にある昔のエレベータを見たり、 和雑貨いろはのあたりの函館式擬洋風建築の建ち並ぶ通りを見たり、 昔の銀行の建物をそのまま使ってたホテルニューハコダテが今年の1月で閉館されてることを知ってショックを受けたりしながら雨の中歩いたら疲れたので市電に乗って函館駅まで戻り、 駅前で少し買い物をしてから実家に帰った。
■夜は地元の友人と会い、いくらかアルコール類を飲みながらだらだら話をしていた。よく行ってた近所の焼き鳥屋が無くなってしまってたので、 別の店に行った。実家から歩いて1分くらいのところにある。この夏は函館も異常な暑さらしく、函館では普通の家にはエアコンがほとんどついてないので、 なかなか大変らしい。なにかいい暑さ対策はないか、というような話などをしていた。爽快バブシャワーのエクストラクールを勧めておいた。
No.1531 2010-8-10
矢越駅
大船渡線 矢越駅。

吉浜駅付近
三陸鉄道南リアス線吉浜駅付近。

野田玉川駅付近
三陸鉄道北リアス線野田玉川駅付近。

■ゆっくり目に起床。一ノ関から大船渡線の列車に乗車。 大船渡線は、岩手県一関市の一ノ関駅から宮城県気仙沼市、岩手県陸前高田市を経由して岩手県大船渡市の盛駅を結ぶ約106kmの路線で、 開通は1935年。岩手県の内陸部から東へ向かい太平洋を目指す。途中、わざわざ迂回するような線形になって遠回りしてる。 山でも避けたのかなと思ったらそうではなくて、線路を敷いてる途中で有力政治家が、俺のところの町にも鉄道通せや、 って言って線路を曲げさせた結果らしい。そんな線形もあって、この路線の愛称が「ドラゴンレール大船渡線」ということになってる。
沿線には、猊鼻渓という景勝地がある。新幹線の停まる一ノ関から30分ほどで猊鼻渓駅に着き、けっこうな人数が降りていった。 一ノ関から二つ目の陸中門崎駅は、ホームに色とりどりの花が咲いていた。 前日乗った気仙沼線や前年乗った山田線、釜石線などもそうだが、東北の内陸部と太平洋沿岸部を結ぶ路線は、山越えするせいもあるのだろうが、 沿線の人口密度が非常に低く、車窓から見る景色は、人家もまばらだ。
■一ノ関から約一時間半ほどで前日下車した気仙沼駅を過ぎ、その先では、陸前高田という駅でけっこう降りる者がいたが、 それ以外は目立った乗降もなかった。小友駅を過ぎたあたりから時々太平洋の青々した海が見えてきて、それからほどなく、大船渡駅に到着。 ここでもそこそこ降りていった。次の盛駅が終点なので下車。盛駅からは第三セクター線である三陸鉄道の南リアス線に乗車。 盛駅から釜石駅までのおよそ37km。列車は二両編成。観光を意識した路線、列車のようで、一つ一つの駅にキャッチフレーズみたいのがついてて、 車内アナウンスはたとえば「次は、鮭のふるさと、唐丹(とうに)駅です」とか言う。車内には三陸海岸の海産物、 昆布やわかめ、ホヤの加工品などの土産物を販売する係の者もいたし、車掌もいた。 「南リアス線」なんていうから、海辺を走って景色いいのかな、と思うが、実際はほとんどトンネルを走ってた。 険しい海岸線に線路を敷いたのだから仕方ないが、それにしてもトンネルが多い。でもときどき見える海はとてもきれいだった。
■一時間ほどで終着の釜石駅に到着。釜石からは山田線の列車に乗り換えて宮古まで行く。簡単な昼食でもと思って駅の売店へ行ったが、 食事になるようなものは何もなかった。棚がすっからかんだったので、売り切れたのだろう。仕方ないので駅の外へ行ってみたら、 駅のまん前には製鉄に関係すると思われる大きな工場が建っていた。釜石は鉄の町だ。ほど近いところにコンビニエンスストアがあったので、 適当に買い物をして駅に戻ると、次に乗る列車は人がいっぱいだった。釜石から宮古までの区間はちょうど一年前の同じくらいの時期に乗っていたが、 こんなに混んでなかったから驚いた。改めて窓から景色を見ていると、海がよく見えてとてもいい景色だ。途中駅で徐々に人が降りてゆく。 一時間余りで、宮古に到着。宮古からは再び三陸鉄道の列車に乗車。今度は北リアス線で、宮古駅から久慈駅まで71kmある。全線岩手県内を走る路線。 三陸鉄道はJR線ではないので18きっぷでは乗車できないが、18きっぷまたは北海道&東日本パスを提示すると 「三鉄1日とく割フリーパス」というのを購入できる。三陸鉄道が乗り放題で、通しの普通運賃の半額という破格の値段だ。 でも本数が少ないので、乗り放題といっても利用するのはかなりむつかしいと思う。盛駅で乗り換えするときに買っておいた。
■宮古から乗ったのは「さんりくトレインうみねこ」という列車で、北リアス線で久慈まで通して走り、さらにそこからJRの八戸線に直接乗り入れて八戸まで、 約3時間半かけて走るという、なかなかありがたい列車だ。暑かったので宮古駅のホームの自動販売機で飲み物を買うと、なぜか二本おんなじのが出てきた。 古い車両で、車内は冷房設備がないみたいなのでとても暑かったが、窓が開けられたので開けておいた。走り出すととても涼しい風が入ってきて心地よい。 乗客は少ない。座席は二人がけのタイプのやつで、近くに座ってたばあさんとその孫が「特急みたいだね」と言ってた。 南リアス線と同様に北リアス線もトンネルがとても多く、窓を開けているとトンネル内を走るときの轟音が車内に響く。 そして冷えた空気が入ってくる。トンネルとトンネルの間に駅があるような感じで、時々海も見える。かなり険しい地形で、 道路は海の上に橋を架けたりして通しているし、線路は高い場所にトンネルを掘って橋でつないでいる。漁港も時折見える。
■途中、陸中野田という駅で唯一、いくらかの乗降があったくらいで、ほとんど乗客は増えないまま、三陸鉄道の終点である久慈駅に到着。 宮古から約一時間半。ここからJRの八戸線に乗り入れる。八戸線に乗るのは2006年の8月以来二度目になる。 ここでも乗客はほとんど増えなかった。路線図などを見ると八戸線も海沿いを走るのかなと思うが、実際は久慈からしばらく山の中を走る。 徐々に海辺の区間を走ることが多くなってくる。三陸鉄道のあたりと比べると地形の険しさもなくなり、砂浜が多くなる。 少しうとうとして目を覚ますと、あたり一面霧が立ち込めていた。青森県に入るとさらに霧が濃くなり、視界が悪くなった。 列車の運行に影響はないだろうかと心配したが、とくに問題は無いようだった。北海道の根室なんかもそうだったが、 最果ての地には霧がよく似合う。八戸市内に入ると、会社帰り風の者らが乗ってきて、終点八戸までのわずかの間、車内が賑わった。 八戸の市街地は、ひさしぶりに見る町らしい町で、煙突のついている家が多い。北国まで来たという実感が湧く。 朝、一ノ関を出てから約9時間、八戸に到着。
■かつて何度か鈍行乗り継ぎで北海道まで行ったことがあったが、盛岡あたりまで来たとき、そろそろ北海道も近いかな、とか思うと、 そこから先がまだまだ長くてへとへとになる。今回は太平洋沿いをずっと北上してきたが、やはり北海道っていうのは遠いんだな、とつくづく感じた。 八戸から特急で函館まで。乗車したスーパー白鳥は、まだ帰省ラッシュではないようで、そんなに混んでなかったし、車内はとても静かだった。 青森でかなり降りていって、乗ってくる者はそれほど多くなかったので、さらに空いた。八戸駅で売ってたウニ釜飯という駅弁で夕食。 ウニのわりに安かった。でかいホタテも入ってておいしかった。いつの間にかトンネルで海の下へ。 青函トンネルを抜けて北海道側に出たときの気持ちとか、船や航空機に乗っていて津軽海峡の向こうに北海道の陸地が見えたときの気持ちっていうのは、 北海道出身者にとっては特別なものではないかと思う。真っ暗な北海道に上陸。木古内で停車し、次の五稜郭駅で下車。八戸駅から3時間弱。 特急が五稜郭駅にもかなり停車するようになったので助かる。歩いて実家へ。函館は涼しい。
■東北の未乗路線を二つ片付け、これで東北のJR線も全て乗車し終えた。JR全線のうち乗車済み距離は19233.7km、乗車率は96.921%となった。 未乗路線の長さは残り611.0km。
No.1530 2010-8-09
小金沢駅1
海が見える駅。気仙沼線小金沢駅。

小金沢駅2
小金沢駅。

■思いがけず長めの休みをもらったので、盆の帰省の飛行機は片道分キャンセルして、18きっぷでのんびり行くことにした。 東北本線をただ北上するのは前にも何度かやってるし、途中そこそこ大きな町もいくつか通るせいもあってわりと混むから、 今回は途中、東北の未乗路線を消化しながら太平洋沿いを行くことにした。
■朝早く津田沼を出て上野から常磐線。平日なので上り列車は混んでるが下りは空いてた。水戸で乗り換え。 水戸からはロングシートの列車。混んでるとおもしろくないが、空いてれば大きな窓から景色が楽しめる。 空いてたからずっと外を眺めることができてよかった。どこの水田も稲がだいぶ育って黄緑色で美しい。 途中、太平洋を見渡せる区間が続く。終着の原ノ町に到着。駅のホームには、いまではめずらしい駅弁の立ち売りの人がいた。
■原ノ町から仙台行きに乗り換え。途中、日立木駅のすぐ近くには「馬具承ります」という看板が出ていた。 朝、上野を発ってから久々の大都市である仙台に到着。異常に暑い。ホームで簡単な昼食をとり東北本線の列車に乗り継ぐ。 仙台を出てまもなく、国府多賀城という駅のすぐ前に東北歴史博物館というのが見えた。博物館の敷地に、昔の茅葺屋根の民家が一軒保存されて建ってるのも見えた。 塩釜駅の周囲は見渡す限りの住宅街。電車で仙台まで20分くらいなので、ベッドタウンになっているのだろう。 徐々に住宅街も途切れてきて、田畑が広がるようになる。千葉や埼玉あたりで見るのよりも水田や畑が広々している。
■朝、津田沼を出てからちょうど9時間で小牛田までやってきた。鉄道の路線図を見ると、この駅で線路が十字に交わっている。 ここから石巻線経由で直接気仙沼線に乗り入れる列車に乗車。石巻線は数年前に既に乗っていたが、途中の前谷地駅から分岐する気仙沼線には、 まだ乗ったことがなかった。気仙沼線は宮城県の石巻市にある前谷地駅から気仙沼市の気仙沼駅を結ぶ約73kmの路線で、 1977年に全線開通したというから、国鉄時代の路線の中では比較的新しい。途中、これといった大きな町もないが 「のの岳」という妙な名前の駅がある。しばらく山の中みたいな場所を走り、陸前横山駅を過ぎたあたりから遠くにちらちら太平洋が見え始める。 このあたりでは駅は高台にあり、町並みの向こうに港があるのが見渡せる。途中、小金沢という駅で下車してみた。
■駅前には民宿が一軒あるだけの小さな無人駅だが、ホームに立つと木々の間から海が見える。とても静かで、波の打ち寄せる音しか聞こえない。 しばらくぼんやりした後、上り列車で来た方向に何駅か戻り、陸前港駅で下車。山の向こうに日が沈みかけて、山の稜線がくっきりしていた。 山間の小さな集落にある駅。「港」という名前がついているが、海からは遠いようで、港も海も見えなかった。下り列車で再び先へ進む。 ピンク色の夕焼け空になり、大谷海岸駅のあたりで日が暮れた。終着の気仙沼駅に着いて下車。駅前にはホテルが一軒あるくらいで、 店などはなく、あってもシャッターが閉まっていたので夕食にもありつけなかった。駅の待合室にはなぜかでかい一枚板の氷が立ててあって、 さわると、当たり前だがひんやりしてる。七夕飾りのようなものが駅の入口や階段などいろんなところにつけられていて、壁には漁船の大漁旗が貼られていた。 駅前には灯台の形のモニュメントが建っていて「ようこそ気仙沼へ」と書いてある。町の中心部は駅から離れたところにあるようで、 駅の周辺はちょっとさびしい雰囲気だった。
■とりあえず気仙沼線は乗り終えることができたんで、ほんとは気仙沼で一泊できればよかったのだけど、調べたらホテルが高かったからやめた。 翌日また乗ることになる大船渡線で岩手県の内陸にある一ノ関まで一時間半くらいかけて行って、そこの駅前のホテルに泊まった。 安いのにきれいで快適だったからよかった。夜の大船渡線沿線は、灯りがとても少なかったが、どういうわけかカーテンを閉めてない家が多くて、 部屋の中が丸見えだった。開放的な人が多いのだろうか。
No.1529 2010-8-07
習志野駐屯地の夏まつり1
習志野駐屯地の夏まつり(1)

習志野駐屯地の夏まつり2
習志野駐屯地の夏まつり(2)

■8月になっていた。
■気づいたらワールドカップもツール・ド・フランスも終わってしまっていて呆然とした。 ワールドカップはスペイン代表が優勝して幕を閉じ、ツール・ド・フランスではアスタナ所属のスペイン人コンタドールが優勝。 スペインが熱い。ワールドカップと重なった年のツールはなんとうなく地味というか影が薄くなってしまう気がする。 ブイグテレコムの新城選手が今年も完走を果たした。立派だ。
■話は変わって、習志野駐屯地の夏まつりに行ってきたのだ。駐屯地は成田街道沿いにある。去年も行ってみようと思ってたのだけど、 雨が降ってたからやめた。今年初めて行ってみて驚いた。たいへんな盛況ぶりなのだ。自衛隊の施設の敷地に入る機会というのはそんなにはないので、 どんな感じなのかなと思ってたら、大学のキャンパスみたいな雰囲気だった。落下傘の降下訓練のためと思われる鉄塔のようなものがそびえていた。 近所の子供たちも大勢自転車で駆けつけた。
■模擬店みたいのがたくさん出てて、神社の祭りみたいにテキヤが店を出してるわけではないので、食べ物の値段が良心的だ。 なのでどの店にもものすごい行列ができてた。とにかく人が多くてきもちわるくなってしまい、早々と引き上げてきた。 なんかみんな敷物をしいたり、縁石に腰掛けたりして何かを待ってるみたいだった。駐屯地の門のすぐ向かいにある店で讃岐うどんを食べたらおいしかった。 夜8時過ぎに駐屯地から花火が上がったので、みんなそれを待ってたみたいだ。 新京成線の薬円台駅の階段の窓から花火を見てる人たちがけっこうたくさんいた。
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