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No.1391 2009-4-29
茜浜の猫
茜浜の猫

■例のごとく自転車で茜浜。午後からでかけたので気温が上がっていた。人がたくさん来ていた。 おだやかな陽気のせいか、猫達もちらほら。先日一度、猫達が姿を消したときがあったが、その理由がなんとうなくわかった。 このあたりの海辺の一帯は茜浜緑地公園として整備されていて、管理者は習志野市ということになっている。 おそらく行政の介入があって、猫達のえさ場が撤去されてしまったのではないか。猫がうろちょろしていることを快く思わない人間もいる。 野良猫が住み着いていると市に報告があったのかもしれぬ。
■いま、猫達は、防波堤の外側の消波ブロック、いわゆるテトラポットの類の上で過ごしているようだ。 公園内に置かれていたえさや水が全部、ブロックの上に移されてあった。先日、風がものすごく強くて、 波しぶきが防波堤をこえて飛んできてメガネが濡れるくらいだった。そんなときも猫達はブロックの上でじっとしていた。 フナムシがうろうろし、あちこち大きな隙間だらけで平らな場所も少ない、風が強ければ波しぶきに濡れるブロックの上で、 猫達はたくましく過ごしている。そもそも、ふつう野良猫達は海辺には住み着かないのではないか。 誰かが捨てていった猫達なのだろう。誰かが時々来て、食べ物や水を置いていってくれているみたいだ。
■茜浜の海辺には自動車が入ってこれないこともあり、犬の散歩にもちょうどいいみたいで、たくさん、犬を連れた者達が来ている。 車で連れてきてもらって、飼い主にブラッシングをしてもらって嬉しそうにごろごろしたり、ボールを投げてもらって走ってとりに行って遊んでもらったり、 犬達は幸せそうだ。あの犬達と、消波ブロックの上で暮らす猫達は、なにがちがうのだろう。
No.1390 2009-4-26
茜浜
自転車とカメラ、茜浜

■天気はいいが風が強い。昼から自転車。中野木の交差点から県立船高、京成の船橋競馬場駅経由、 ららぽーと前を通って南船橋駅前から国道357号、若松の交差点から県道15号に入り、茜浜へ。 海から風が吹いてて、自転車が押し戻されそうになるくらい。菊田川の河口で白い波が立っている。 東京湾がめずらしく荒れていて、サーフィンができるくらいの高い波がざぱざぱ押し寄せてテトラポットにぶつかってくだけた。 先週は一匹も見かけなかった猫だが、四匹ばかり確認できた。幕張のビル街がくっきり見えた。 波しぶきがときどき飛んできた。帰りは追い風で楽だった。
■先日、大阪に行ったときにオーダーしたカメラのストラップが届いたのでさっそく使ってみた。 ラクダの革でできていて、斜めがけもできるような長さにしてもらった。まだ若干硬い感じもするが、 使ってるうちにやわらかくなるだろう。案外使いやすくていい。

No.1389 2009-4-25
■雨の土曜日だった。サニーデイサービスに「雨の土曜日」という曲があった。いい曲。
■昼頃、駅前のパルコに行って、ネガフィルムをCDに焼いてもらった。40分くらいでできるというんで、近くでラーメン食べて、 無印良品など見てたらすぐ時間が経った。雨の日は人が少なくていい。
■午後はクローゼットの整理でもやろうと思ってたが、出てきた古雑誌をぱらぱら見ているうちに暗くなってた。 1992年4月号の平凡社という会社の「太陽」という雑誌のなかにいい文章があったので、全文書き写してみようと思う。

「マスコミに毒されたプロ・ボクシング」   安部譲二   作家
 日本という国は、世界超一流の産業人と世界第二流のヤクザ、そして世界第三流の芸能・スポーツ界と、第四流以下のマスコミに第五流の政治家を持った、 アンバランスで不思議な国だというのが、私の持論です。
 超一流と第二流の人達はこの際ともかくとして、あの哀しいほど魅力も芸もない芸人達を見ていると、楽しむどころか心が冷えてしまいます。
 観客の程度が低いので、あんな芸とは言えないようなことをやって見せても、豊かな日本のことですからとんでもないギャラを稼ぐのですが、 ほとんどの芸人は、カリフォルニアの高校の学芸会のオーディションには、とても通らないでしょう。
 スポーツ選手も同じレベルです。
 競輪の中野浩一が盛りを過ぎたので、今や本当に国際的な選手と言えるのは、伊藤みどりと岡本綾子のふたりだけです。
 オリンピックに数百人の大選手団を送り込んでも、取れるメダルは数えるほどで、マスコミが矢鱈とはやしたてるF1レーサーなんて、 いっぺんだって三着にも入れません。
 日本の政治家が世界第五流だということは、これはもう私が書くまでもないでしょう。
 国家と国民を、自分や家族以上に愛さなければ、政治家なんて務まりません。
 それが政治家として、最低にして必須の資質なのですが、日本の政治家には全く欠落しているのですから、 これは山田邦子か野沢直子がジュリエットやロクサーヌ姫を演じているようなもので、話にもなんにもなりはしないのです。
 限られた紙数ですから、こんな世界第五流の有象無象、魑魅魍魎について、腹立ちまぎれに罵っているわけにもいきません。
 問題は、私が世界第四流以下と決めつけた日本のマスコミです。
 昭和十二年生まれの私は、日本が太平洋戦争に負けた時、小学校の二年生でした。
 あの「鬼畜米英」だ「聖戦完遂」だと唱えて、国民を死地に狩りたてた新聞や放送局が、戦争に負けた途端に卑怯にも無責任に豹変したのを、 私はしっかり覚えています。
 日本のマスコミと、それに教育者と役人には、まだあの太平洋戦争のオトシマエがついてないのです。
 戦争に負けた時にキチンとオトシマエをつけなかったから、その連中はどんないい加減なことをしても平気だと、思ってしまったのではないでしょうか。
 マスコミは国民に真実を伝えなければいけません。それが義務であり仕事なのです。
 私のことですから、難かしいことより極く身近なことを例にとりましょう。
 毎年決って年末になると、どの放送局でも新聞でも揃って、「庶民の一億円の夢を乗せて、年末ジャンボ宝くじ本日発売・・・・・・」なんてやるのが定番になっています。
 はやしたてるだけで、実はこの宝くじなるものが、主催者の地方自治体と第一勧銀が売上金額の六割強も巻き上げて、賞金に当てるのはわずか四割弱でしかないことを、 マスコミは決して国民に伝えません。
 六割強なんて無茶苦茶なテラ銭を国民から巻き上げるとは、これが非道でなくて何が非道でしょう。
 馬鹿げて豪華な都庁だって、これでは建つわけで、国民は正に餌食です。
 事実を知らさないだけではなく、マスコミは国民の価値観まで歪めてしまうのですから、これは昔の言葉で言えば国賊です。
 私の大好きなプロ・ボクシングも、いつの間にかこの国賊どもに毒されてしまいました。
 ボクシングは大昔から三十年ほど前までは、軽い方から順に、フライ、バンタム、フェザー、ライト、ウェルター、ミドル、ライト・ヘヴィー、そしてへヴィー級と、 体重によって八つのクラスに分けられていました。
 ですから世界チャンピオンは、WBAとWBCのふたつの協会があっても、十六人しかいなかったので、とても貴重で権威のあるものでした。
 しかしそれでは客の呼べる世界選手権試合が、なかなか開催できなくて儲からないと、考えた興行師達は、各クラスの間にジュニア級を作ったのです。
 つまり、世界チャンピオンを水増ししたわけです。
 初めはそれでも、ジュニアライト級まででした。
 それがいつの間にかジュニア・フェザーやバンタムまで出来て、遂にはフライ級の下にジュニア・フライという、世界中にそんな軽いボクサーは五十人もいないような、 呆れたクラスまで作ってしまったのです。
 他の国のマスコミは、この間の事情をファンに正確に伝えましたから、ジュニア級の世界チャンピオンといえばジュニアの付かないチャンピオンより格が下というのが、 世界の常識になっています。
 ジュニア・ライト級の小林弘、ジュニア・ミドル級の輪島功一と、ジュニア級の世界チャンピオンにも、ファンを感動させ熱狂させた素晴しいボクサーがいました。
 それでもジュニア級のチャンピオンが、ジュニアの付かないクラスのチャンピオンより、一枚も二枚も格が下なのは、日本以外の国では天下周知の事実です。
 ましてやジュニア・フライより軽いストロー級なんて、ニューヨークやパリのプロ・ボクシング・ファンに尋ねても、おそらく百人のうち七十人は、 そんなクラスがあることだって知らないでしょう。
 奇怪なことに日本では、たとえストロー級でも、他のチャンピオンと同格なのです。
 ある日本人のジュニア・フライ級の世界チャンピオンが、何度目かの防衛戦に勝った時、日本のマスコミは揃って「モハメッド・アリの防衛記録を破った」と書き立てました。
 こんなことは狭い球場で遅いボールを打って、ハンク・アーロンのホームラン記録を破った王貞治を、世界新記録と騒ぎたてたのと同じで、贔屓のひき倒しというべきです。
 なんでも体制に迎合したり、興行師と一緒になって、あおりたてればいいというものではありません。
 事実を正確に伝えず、ファンの価値観を歪めて平気な日本のマスコミには、本当に毎度のことながら腹が立ちます。
 私も含めて日本のスポーツ・ファンは、余程注意して八方に目を配ってないと、誤った価値観を植えつけられ、それが知識となってしまうのですから、 これは本当に堪ったものではありません。
 それでもことがスポーツであれば、せいぜい嘲笑されるぐらいで済みますが、もっと大事なことだと取返しがつきません。
 せめて世界第二流程度のマスコミを持ちたいものだとつくづく思っている私です。

■ボクシング云々についてはあまり興味がなかったので省略しようかと思ったが、全部書き写した。売り物の雑誌の文章をそのままそっくり転載するなんて、 と思うむきもあるかもしれないが、もうずいぶん古い雑誌なので、お許しいただければと思う。 今からおよそ17年前に書かれた文章なので、今の状況と変わっている部分が少しはあるかもしれないが、彼の書きたかった主題に関しては、 当時とそれほど変わってないだろう。むしろさらに悪くなっているようにも思う。「世界超一流の産業人」というのももはや過去のものになっている気もする。 人件費を削ることで利益を上げることを野放しにしている今の経済界のトップにいる人間達を「一流の産業人」と呼ぶことはできないだろう。 ヤクザについてはよくわからない。「一流のヤクザ」というのがどんなものかもよくわからないが。
■ところで少し話はそれるが、自分は以前、「左翼」という言葉の意味を「国賊」とか「売国奴」と同じ意味だと思ってた。でもほんとうは違うみたいである。 日本の政治家ってみんな日本人が嫌いで、日本の国民にいやがらせばっかりする。日本を滅ぼしたいのかなと思う。 最後のほうに「それでもことがスポーツであれば、せいぜい嘲笑されるぐらいで済みますが、もっと大事なことだと取返しがつきません。」という一文がある。 もう取返しがつかない段階まで来ているので、悲しい。
No.1388 2009-4-24
■昼、ライジングサン・ロック・フェスティバル(以下RSR)の出演者の発表があった。第一弾ということで、46組の出演者が明らかになった。 例年通りだと、あと二、三回、追加発表があって、ぜんぶで100組前後になるのではないか。以前より若干、チケットが値上がりし、 通し券のみの販売となったが、これがどう出るか。客が少し減れば、会場は快適になると思うのだが。 で、出演者の顔ぶれを見ると、スカパラとかベンジーとか、元ミッシェル絡みとか、そのへんが相変わらずいて、正直なところ、 もうこのへんは毎年出てもらわなくてもいいような気がする。出ても見ないのでべつに気にしなければいいのだけど、その分、新しい面子を見たいんである。 あと、北海道にゆかりのある人がけっこう多くて、北海道でやるフェスなので、これはこれでいいのではないか。サカナクションなんかは、 オーディション枠みたいなので数年前のRSRに出て、それからどんどん大きくなっていったバンドなので、感慨深い。 怒髪天のボーカルが近年調子に乗りすぎてて、あまりいい気がしない。
■個人的には、吾妻光良 & The Swinging BoppersとかOKI DUB AINU BAND、SAKEROCK、BIGMAMA、mi-guあたりは、なんだかいいような気がする。知らないので勘だが。 POLYSICSやbonobos、ハナレグミ、渋さ知らズオーケストラが出るのも嬉しいし、quasimodeも呼ばれてて、いい。 今後の発表で、アジアンなんとかとかラドインプスとかそのあたりの、若者向けのバンドの名前が少ないといいなと思う。 そのへんのかたたちは、なるべく茨城のほうのイベントで固めてもらえるとありがたい。 ■いろいろ書いたが、今年も行けるか、行けるとしても行くかどうかまだまだわからないのだった。去年行って、客の質の悪さにかなりがっかりした記憶があるので、 少しためらう。でも宮沢さんも出るみたいだし、行けたら行きたい気持ちはある。
■日曜日に、フィルムを現像に出していた。今回はローソンでやってもらうことにした。そしたら5日かかりますといわれた。 べつに急ぐわけでもないのでいいかと思い、お願いしてたのを仕事の帰りに寄って受け取ってきた。36枚撮りのネガフィルムの現像と同時プリントで、750円だった。 安くてよかった。日数かかるぶん安いのかもしれぬ。初めて魚眼レンズを使ってみた。おもしろい。

Photo1:Nikon FM2(4/18撮影)
Photo1:Nikon FM2(4/18撮影)

Photo2:Nikon FM2(4/18撮影)
Photo2:Nikon FM2(4/18撮影)

Photo2:Nikon FM2(4/19撮影)
Photo3:Nikon FM2(4/19撮影) 魚眼レンズ使用
No.1387 2009-4-19
茜浜
自転車とカメラ、茜浜

■午前中、自転車で茜浜へ。さわやかな陽気で、人も大勢来ている。ちょっとした斜面でダンボール滑りをしてる子供や、 戦闘機みたいな飛行機をラジコンで飛ばしている者などなど。犬の散歩がかなり多い。で、いつもいる猫達が姿を消していた。 たいてい少なくても一匹か二匹は見かけるのに、一匹も見当たらない。どこへ行ってしまったのだろうか。 それにしてもこの土日は、暑くもなく寒くもなく、気持ちのいい気候だった。5月の連休が終わると本州は夏に入るので、 今がいちばんいい時季なのではないか。
No.1386 2009-4-18
鷺沼城址公園
鷺沼城址公園

■習志野市役所の裏手、菊田遊歩道のそばにある鷺沼城址へ自転車で行ってみた。城址といっても、城郭も石垣もなにも残ってなくて、 ちょっとした高台になっていて見晴らしがいいから、なんとうなく、ここに城があったのだろうな、という感じがするだけで、 とくに見るべきものはない。ただ、発掘調査などから、かつて豪族かなにかが城を構えていたのは確かなようである。 そして、この城址からは古墳が見つかっているのだった。石棺や埴輪の破片が出土している。 石棺の発見場所のそばには武人と馬の埴輪のレプリカが置いてあるが、木々の繁みのなかにぽつんと武人の埴輪が置いてあって、 薄暗いなかに誰か立ってるみたいな感じで不気味だった。辺りは鷺沼城址公園として整備され、誰でも自由に入れる。 大きな遊具もあり、何人か親子なども来て遊んでいた。
■ハミングロード、マラソン道路経由で東習志野のイオンにあるヴィレッジヴァンガードへ。特にめぼしいものはなし。 イオンの中に大きな自転車店ができていた。それなりにいいロードバイクやクロスバイクが売られていて、 パーツ類もわりとちゃんとしたものが揃っている。イオンにこういう売場ができるくらい自転車が売れているということなのではないか。
■ソメイヨシノはほとんど散ったが、八重桜がたくさん咲いていた。
■夜は家でFC東京対ジェフ千葉の試合を見た。 ようやく勝ったが、内容はひどい。得点は、たまたま入ったといっていいもので、攻撃の形がなかなか見えてこない。 今年もきびしい一年になる。
No.1385 2009-4-17
Photo1:Nikon FM2(4/5撮影)
Photo1:Nikon FM2(4/5撮影)

Photo2:Nikon FM2
Photo2:Nikon FM2(4/5撮影)

■駅前のパルコの地下にある写真屋でネガフィルムをCDに焼いてもらったのだった。 露出計で「適正露出」の表示のときより、ちょっと露出不足の絞りのときのほうが、ぱきっとした写真になるような感じである。
■そういえば先日、大阪とその周辺の未乗路線だった和歌山線、関西本線、おおさか東線、東西線を消化したので、 JR線全線の消化率を確認してみたら、89.474%だった。90%の大台いくかな、と思ったが、まだだった。 まだまだ道のりは長い。
No.1384 2009-4-12
放出駅
放出駅

南船場のAcru
南船場の雑貨店

■かなりゆっくりチェックアウト。歩いてJR東西線の大阪天満宮駅へ。地下鉄の南森町の駅とつながっている。 前日の暑さとくらべてさわやかな空気。天神橋筋商店街の脇に、地下鉄の駅みたいな入口がある。 JR東西線はたしか、JR線では唯一、全線が地下の路線で、大阪市内を横断しながら京橋〜尼崎間の約12kmを結ぶ。 片町線に乗り入れる電車に乗車。京橋あたりから地上に出る。片町線に入って二つ目の放出で下車。 「放出」は「はなてん」と読む。大阪のひとなら誰でも知ってると思うが、他の地域の人間なら、まず読めないのではないか。 「ハナテン中古車センター」というやつが有名なのではないか。関西には読めない地名がたくさんある。日本全国に読めない地名はあるが、 とくに関西に多い気がする。「住道」とか「交野」とか「私市」「京終」「帯解」「膳所」「百舌鳥」などなど、思いつくだけでもたくさんある。 それはそれとして、放出で下車したのは、昨年開通した「おおさか東線」に乗車するためである。 片町線の放出から関西本線の久宝寺の間の約9kmの区間を結ぶ線である。路線図や地図を見る感じだと、 いまいち必要性を感じない場所にできた線だが、どういった経緯で造られたのだろうか。9kmくらいなので、15分ほどで終点に着く。 前日乗り終えた関西本線のように、三年越しで全線乗り終える路線もあれば、15分で一路線乗り終えてしまうこともある。 おおさか東線は新しい路線なので全区間高架で、雑然とした大阪の町並みと布団を干しているマンションのバルコニーがよく見渡せる路線だった。
■久宝寺から天王寺まで行き、大阪環状線に乗車。学生の頃、何度も大阪に遊びに行き、環状線を利用しているが、そのころはまだ、 JR線全線乗車とか考えてなかったから、どこからどこまで乗ったとかあんまり覚えてなくて、この際、確実に乗ったと記憶のある区間以外、 ちゃんと乗っておこうと思った。天王寺から反時計回りで大正まで乗車。大阪駅まではとても混雑したが、その先は空いた。 大阪環状線は、駅と駅の間がかなり近い。大阪城公園のあたりでは大勢花見していた。 大阪環状線と東京の山手線のちがいは、人の家が見える範囲だと思った。山手線はかなりの区間、人の生活の気配のない場所を通る。 大阪環状線沿線は、人が生活している感じがする。
■大正で下車し、地下鉄の長堀鶴見緑地線に乗車して心斎橋へ。このあたりを歩くのも学生の頃以来で、 当時の記憶と比べると少し小奇麗な町になっていた。ブランドショップも増えた。歩いて南船場方面へ。 ごちゃごちゃしてて庶民的な町並みのなかにぽつぽつとしゃれた店がある。 「Acru」という雑貨の店でカメラ関係のちょっとした買い物。店の奥で若い職人さんが革の加工などやってて、 「工房」といった感じのする雰囲気のいい店だった。心斎橋から長堀橋まで「クリスタ長堀」という地下街を歩いた。 以前この辺を歩いた頃はまだこの地下街は工事中だった。それほど人は歩いてなかった。地下は日差しが避けられていい。 長堀橋から堺筋線で南森町へ。接続通路を歩いて、この日のスタート地点である大阪天満宮まで戻ってきた。 東西線の残りの区間を乗車し、尼崎まで。これでJR東西線も全線乗車終了。くるりの「尼崎の魚」という曲が思い浮かぶ。 駅のまわりはこれといって特徴もない、普通の都会の景色だった。福知山線で三駅、伊丹に到着。 伊丹空港へ向かうにはいくつも方法があるが、今回は伊丹駅から市営の路線バスに乗ってみることにした。 20分ほどの乗車で空港着。運賃は200円。カードラウンジには、無料で使えるコンピュータが何台も置いてあって、 時間があったのでしばらくネットをしていた。ほぼ定刻どおりの離発着で羽田到着。まだ早い時間だったせいか、 津田沼行きのリムジンバスは空いていた。明るいうちに帰宅。
No.1383 2009-4-11
旧名手本陣妹背家住宅
旧名手本陣妹背家住宅

二次会のレストラン
二次会のレストラン

■午前の便で羽田から関空へ。羽田のカードラウンジをはじめて利用した。クロワッサンが無料サービスだった。 座席が5列の小さな飛行機。離陸してまもなく、東京湾がきらきら光っていた。三浦半島や江ノ島がよく見えた。 富士山とその背後に広がる連峰がとても美しい。大きな飛行機よりも低い高度で飛んでいるので、地上の景色が近い。 名古屋の、海の上の新しい空港もよく見えたし、トンネルが山をつらぬいているのもよく見えた。離陸は遅かったが、 ほぼ定刻通り関空に到着。
■およそ10年ぶりくらいに関空に降り立った。欧米系の外人が多い。バスで和歌山駅へ。 車内のモニターでは和歌山の名産品や土産菓子、地元工務店の宣伝映像がずっと流れていた。40分ほどで和歌山駅東口に到着。 日差しが強くて暑い。和歌山駅は、2007年の7月、47都道府県踏破を達成した場所である。西口は大きな建物もあって賑わっているが、 東口はがらんとしててなにもない。JRの未乗路線である和歌山線に乗車。
■和歌山線は、和歌山から高野口、橋本、吉野口、高田などを経由しながら奈良県の西の端の王寺までを結ぶ90kmほどの路線で、 一時間に一本か二本は走っている。ホームにはすでに二両編成の列車が入っていて、案外乗客が多い。おばちゃんと、 ジャージの高校生がにぎやかである。あまりきつくない関西弁である。関西弁といってもいろいろある。車内は暑い。 のどかな田舎の景色が続くが、ときおり大きなマンションが建っている。途中、岩出という駅で大勢下車したが、 そこから同じくらい乗ってきた。車内には「840万円の家」という広告が貼ってある。40分ほどで、名手という無人駅に到着し、 下車。「なて」と読む。名手駅は、たばこを吸う高校生くらいのガキどものたまり場になっていたが、駅自体は荒れてない。 駅舎の向こうには山が見える。駅の目の前に駐輪場があって、駅舎の入口の脇には昔の丸いポストが立っていた。
■駅前からすぐ、細い路地が伸び、そちらを歩いてみた。道の両側に古い木造家屋が立ち並ぶ。昔の町並みが残っていて、 名手の町のなかを「大和街道」という古代からの道が通っている。洋品店、履物店、肉屋、種苗店、食料品店、 書店などの店が町のなかにぽつぽつとあり、昔の日本はあちこちこうだったと思わせる町の形が残っている。 畳店が、町の規模に対して多く、数軒見かけた。キックボードで一人で遊んでいた少年がこんにちはとあいさつしてくれた。 細い路地がぐねぐね変なかたちで伸びている。
■駅から数分も歩くと、塀に囲まれ、立派な門のある屋敷に着く。「旧名手宿本陣」という史跡である。 18世紀前半に建てられた屋敷は「旧名手本陣妹背家住宅」という名称で国の重要文化財になっている。見学は無料。 大和街道に面するこの屋敷は、参勤交代のときや鷹狩りの際に藩主の宿泊に使われ、「本陣」と呼ばれるようになったということである。 屋敷は贅沢に畳が敷き詰められ、襖で仕切られて部屋がたくさんある。柱と梁と障子と畳の、整然とした縦横のグリッドが美しい。 庭に向かってとられた開口部が広く、外の明かりが多く入る。庭の木々が若々しい緑色をしててきらきらしていた。 敷地の中には二棟の土蔵があり、それらは棟札から17世紀前半に建てられたことがわかっていて、屋敷よりも古い。
■駅まで戻り、再び和歌山線に乗車。ずいぶんひさしぶりに車内検札に遭遇した。最近は、地方のローカル線はほとんどワンマン運転なので、 車掌が乗務してることが少ない。無人駅の多い路線なので切符を持っていない者も多く、車掌から切符を買い求めていた。 高野口で少し乗客を降ろし、橋本に着くと、ここは沿線随一の町のようで、ほとんどの乗客が降りていった。南海電鉄高野線との乗り換え駅でもある。 沿線では、あちこちまだかなり桜の花が残っていて、きれいだった。奈良に近づくにつれて、関西弁のイントネーションが強くなる。 この列車は桜井線経由で奈良へ行ってしまうので、高田駅で、王寺行きの列車に乗り換え。冷房が効いていて涼しい。和歌山線の終点王寺に到着。 一駅となりの法隆寺駅まで行き、そこから大阪方面行きの列車で折り返した。大和路快速は混雑していたので見送り、がら空きの普通列車に乗車。 関西本線は、柏原から大勢乗ってきた。しゃれた格好の若者が多くなると、都会に来たという感じがする。 最後は地下に入ってしまうので、景色が見えなくなって味気ないが、終着駅のJR難波に到着。 地下で暗いが、確かに線路の終端が見える。2006年の6月に名古屋〜奈良、2009年2月に奈良〜法隆寺の区間に乗車し、 三度目の今回でようやく関西本線を全線乗り終えた。十字軍の遠征のようである。よく知らないが。
■JR難波から天王寺まで戻り、地下鉄の谷町線に乗り換えて南森町へ。駅を出てすぐの大きな交差点にあるホテルにチェックイン。 シャワーと着替えを済ませて、歩いてOAPタワーへ。国道1号線から東天満の交差点を北に曲がると、低くて薄汚れた町並みの向こうに、 きれいで巨大なマンションとOAPタワーがそびえていて、その対比がすごい。大学時代の友人の結婚式披露宴の二次会に呼んでもらったので出席。 二次会は、タワーの2階にあるイタリアンレストランを借り切って開かれた。テラスからは大川と川沿いに咲く桜が見渡せて、いいロケーションである。 友人達とは二年ぶりとか三年ぶりとか九年ぶりに会った。注がれるままにワインなどをくいくい飲んでたらたのしいこころもちになった。 それから数人と天神橋筋六丁目にある飲食店へ。大学のときの友人がそこの店長をやっているというんで、行ってみたら、いた。 ばりばり働いていて頼もしい。店長は22時上がりだったので、それからは自分らのテーブルに来ていろいろ楽しく話をした。 日本一長いという天神橋筋の商店街を延々歩いて、国道1号線まで出て、酔いは回っていたが、あんまりちゃんと食事してなかったので、 まだ開いていたうどん屋に入ってちくわ天のうどんを食べた。関西のうどんはダシがうまい。それからホテルへ。
No.1382 2009-4-06
ニコンのFM2
ニコンのFM2(4月5日撮影)

撮った写真の一部
撮った写真の一部

■カメラを譲り受けた。ニコンのFM2というフルマニュアルのフィルムカメラである。 学生のころは、APSフィルムのコンパクトカメラを使っていたが、普通のフィルムのカメラは初めてなので、フィルムの出し入れから練習した。 よくわからなくて、2、3本、フィルムをだめにしてしまったが、どうにかうまくできるようになった。 そして、ピント、露出、シャッタースピード全て自分で決めてやらないといけない。ネットでそのあたりのことを調べて、自分なりにこの土日、 外で撮影してみた。パルコの地下の写真屋で現像とプリントをお願いし、写真ができあがったので取りにいった。 どうにかそれなりに撮れていた。最初にしては上出来なんじゃないか。
■で、ピント、露出、シャッタースピードの関係を探っていくのがとてもおもしろい。基本的な原理はたぶんデジタルカメラもおんなじことなんじゃないかと思う。 フルマニュアルのカメラを使うことで、デジタルカメラのいろんな撮影モードとかの意味がわかった。 便利さや手軽さ、コストの点で、デジタルカメラは優れているが、フィルムカメラはなんだかすごくおもしろそうである。これからいろいろ勉強して、 いろんな写真を撮ってみる。現像代とプリント代が意外とばかにならない値段だったので、そのへん、安く済ませられる方法も知りたい。 でもフィルムカメラは金がかかるものだと思わないといけないのかもしれぬ。
No.1381 2009-4-05
茜浜の猫
茜浜の猫

■家で山形対千葉の試合を見てから自転車で外へ。千葉がへぼくて悲しい。みっともない試合。前日と似たようなルートで走った。 夕方近い時間、茜浜は風もなく、寒くもなくて、人も猫ものんびり過ごしていた。
No.1380 2009-4-04
幕張海浜公園
幕張海浜公園

■自転車で桜を見に行って、海浜幕張駅前で昼ごはんを買って幕張海浜公園で食べることにした。飲み物を買い忘れたので、自動販売機で何か買おうと思って探したのだけど、 意外となくて、きれいな町並みのために、あえて置いてないのかもしれぬ。けっきょくベイタウンの中のファミリーマートまで行って飲み物を買って、公園に戻った。 広々してて、子供たちが元気に遊んでいた。それからヴィレッジヴァンガード。めぼしいものはそんなになかった。マリンスタジアムでは野球の試合やってるみたいだった。応援の音が聞こえた。 テレビを見てないせいか、野球がいつ始まったとかわからない。茜浜経由で帰宅。

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