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No.1597 2011-04-30
朝の道後温泉
朝の道後温泉。

■もっと晴れるかと思っていたが、うす曇り。早起きして、前夜入れなかった道後温泉へ再度電車で行ってみた。 Jリーグ2部ギラヴァンツ北九州のレプリカユニフォームを着た男性が歩いているのを見かけた。この日の夕方、愛媛FCとの試合があったので、 その応援に来たのだろう。大街道から電車に乗って道後温泉駅。前夜とちがって商店街のシャッターはまだ朝早いので開いておらず、人もそれほど多くない。 しかし温泉には大勢入浴客が来ていた。料金を払ってついに中へ。入ってしまうと「立派な銭湯」という風に感じたが、古くてきたない、と聞いていたのに反して思いのほかきれいである。 広い脱衣所があって、浴室が東と西の二つある。朝から既にたくさんの者が湯に入ってて、案外若者が多く来ていた。 湯船に古くて大きな石製の湯釜があって歴史を感じる。さらっとした湯で、汗のひきもよく、湯につかるのがあまり好きでない自分が三度も湯に入ってしまうくらい気持ちがよかった。

松山城のリフトとロープウェイ
松山城のリフトとロープウェイ。

■道後温泉駅に戻る途中、商店街のなかで前の晩とちがう猫に会った。一度、電車でホテルに戻る。ホテルのプランで一日乗車券をもらったので、気軽に乗れるのだった。 ホテルから歩いてすぐのところにあるロープウェイ乗り場へ。大街道から電車通りをはさんで続く道は「ロープウェイ街」という名前になっているようで、 小さな店がたくさん並んでいる。土産物や名産品の店もあるのだけど、クリーニング店や古本屋など、地元の人のための店のほうが多いように感じた。 途中、じゃこてんを串にさしてくれる店があったので、ひとつ買って食べてみたらうまい。熱くて、何の味付けもないのに魚の味がじわっと出てきてうまい。 ロープウェイ乗り場はきれいな建物で、エスカレータで上に行くとロープウェイの乗り場とリフトの乗り場がとなりあっている。リフトというのは、スキー場のリフトみたいなやつで、 ケーブルから下がった棒にくイスがくっついたようなあれである。リフトのほうが断然おもしろそうだったので、そちらに乗った。料金はロープウェイもリフトもおんなじで片道260円。
■標高130mほどの山の上まで、足をぷらぷらさせながら運ばれていく。途中、振り返ると松山市中心部の景色が見え、右手には大学のキャンパス、 左前方の山の上にはテレビ局の高いアンテナが見える。ほんの数分で山頂に到着。城がある山は、勝山というらしい。 松山城について少し。この城は平山城という分類になるということである。よくわからないが、平地の山の上にあるとかそういうことではないか。 で、ここの城の天守は、日本の12箇所に現存する天守の一つだ。城の配置、構成は姫路城と似ているということである。 城を構成する建造物のうち21棟が国の重要文化財となっている。城のある一帯は国の史跡に指定されている。 1602年、築城に着手したのは加藤嘉明という人物で、1784年の落雷で焼失した後、1854年に再建されたものが今現存している天守である。

松山城01
松山城1。

松山城02
松山城2。

■リフトを降りたところがちょっとした広場になっていて、売店やトイレがある。そこから少し登っていくと石垣がそびえているのが見える。 入場券を買うところに武将の格好をした「よしあきくん」という奇妙なマスコットキャラクタのようなものが置いてあって、子供たちが記念撮影をしていた。 戸無門とか隠門とか、いろいろ仕掛けがある。城の中では新しいほうなので、いろいろ工夫を凝らしているのがわかる。 天守に近い場所にある櫓のひとつに入ってみるとなぜか太鼓がぽつんとおいてある。太鼓を叩くバチもおいてある。叩いていいみたいだったので、叩いた。 どんどんどん、たかたった、という風に叩いた。次の人はどこどこどこどこと乱れうちをしていた。姫路城と似てるというのはいまいちぴんとこないが、 門がいくつもあって天守が幾重にも守られているというのはわかった。ようやく天守に着き、中に入るとまず靴を脱ぐ。 靴箱が道後温泉にあったやつとよく似ていた。北九州の応援に来ているファン3人組がいた。黄色いレプリカユニフォームを着ているので目立つ。
■城内には鎧や刀剣類、甲冑、書物等の資料が展示されていて、中でも目をひいたのは、 城の改修工事のときに発見されたという、侍の似顔絵の落書きが描かれた板である。今の漫画に出てきてもあまり違和感ないような絵だった。 中に入って気づいたのは、普通、城だと天井は張らないで梁がむき出しなのに、最上階などいくつかの場所で天井板が入っていたことと、 床を見ると敷居があって、襖を入れられるようになっていたこと。城は軍事施設なので、たいてい、居住性は無視されるが、ここはどうも違うようだ。 最上階からは眺めがよく、遠くはかすんでいたが、晴れていれば瀬戸内海もよく見えることだろう。景色を見て、松山市が都会だと改めて思った。 狭い階段を下りて外へ。桜の木が多く、花見の時季にはたくさん咲いてきれいなのだろう。 姫路城や松本城のような美しさはあまり感じなかったが、どっしりしていて落ち着いたいい城である。日本100名城。

松山城二之丸史跡庭園
松山城二之丸史跡庭園。

■徒歩で下山。山に沿って下から山頂あたりまで「登り石垣」というのが築いてある。万里の長城みたいな石垣である。下りきると、 二の丸庭園というのがあった。正式には「松山城二之丸史跡庭園」。100円払って中に入ると、広い。和風の庭園を想像していたが、 ちょっとちがった。かつてここに建っていた御殿の間取りがわかるようにコンクリートで四角く区切ってあって、それがたくさん連なっている。 水が張ってあるところもあるし、砂利が敷き詰められてるところもある。とても現代的な庭園だ。人はまばらで静かだった。鯉が泳ぎ、藤が咲いていた。 モミジの葉が青々としていて、小さな滝の水の音がしていた。水琴窟もあった。いくつかの庵があって、背後には勝山と松山城も見える。 インドのChand Baori(チャンド・バオリ)の小型版みたいな井戸の遺構もあった。色とりどりの花が咲いていてきれいだった。

愛媛県庁
愛媛県庁。

■庭園を出てから路面電車の通りまで出るとすぐに愛媛県庁がある。1929年に完成。ドーム屋根があり、シンメトリーで、威厳ある建物だ。 鉄筋コンクリート造4階建ての洋風建築で、正面車寄せの屋根には旧字体で愛媛県庁と文字入っている。設計は木子七郎という人物。 玄関まわりは御影石張りで重厚感がある。この時代の流行だったのか、他の建物にもあるようなアーチをモチーフにしたデザインがいろんなところに見える。 アプローチ脇には大きな熱帯の植物が植えられ、建具や照明は時代を感じさせる贅沢なつくりのものだった。この時代の建物がもっとたくさん残っていたら、 日本の景観はもっとましなものになっていただろうなと思う。そんな県庁の写真などを撮っていたら汽笛のような音が聞こえたので振り返ると小さな機関車みたいのがゆっくり走っていた。 「坊っちゃん列車」というものだった。濃い緑に赤いラインが入った小さな機関車が、ちいさな客車をひっぱってごとごと走っていた。人気があるようで、 人がたくさん乗ってたし、通りかかる人が写真を撮ったり手を振ったりしていた。一度ホテルへ戻り休憩。

萬翠荘01
萬翠荘1。

萬翠荘02
萬翠荘2。

■再び外へ。歩いてすぐのところに「坂の上の雲ミュージアム」というのがあった。いわずと知れた司馬遼太郎原作の20世紀初頭が舞台の長編歴史小説である。 読んだことがないのだ。おもしろいらしい。自分が住む習志野もなにか関係あるらしい。ミュージアムは2006年竣工。 設計は安藤忠雄である。なので建物だけでも見ていこうと思った。地図で見ると三角形だ。で、実際見たらほんとに三角形で、角がとがっている。 なんでこんな形にしたのかねと思っていたが、この敷地からなにかの遺跡が出てきたらしく、それを避けて建てたせいらしい。中に入ってないので外から見た印象しかないが、 コンクリート、ガラス、スリット、スロープ、水面、幾何学形態と、安藤建築オールスターみたいな建物だった。次に、そこのすぐ近くにある萬翠荘というところへ行ってみた。 萬翠荘は1922年、旧松山藩主の子孫が住む邸宅として建てられた3階建てのフランス風洋館で、設計は愛媛県庁と同じく木子七郎という人物である。 松山で最も古い鉄筋コンクリート造りの建物だそうだ。玄関ホールが吹き抜けになっていて正面に赤いカーペットが敷いてある階段があり、 踊り場の壁には大きなステンドグラス。階段まわりには細かい彫刻が入ったチーク材が使われていて豪華だ。1階、2階にそれぞれいくつか部屋があって、 大理石の暖炉が部屋ごとにある。裕仁親王(後の昭和天皇)が滞在したこともあるということで、あらゆる家具、調度品が豪華だ。 2階中央の部屋からは玄関の上にあるバルコニーに出られる。出てもそんなに眺めは良くないが。バルコニーから改めてこの建物を眺めてみると、 屋根は銅板とスレート葺で、たくさんのレリーフ装飾があったりして、なんとも華麗な建物である。愛媛県指定有形文化財。
■路面電車で松山市駅まで行ってみた。JR松山駅と松山市駅は1.5kmくらい離れていて、地元の人は松山市駅のことを「市駅(しえき)」と呼んでるみたいだった。 よそから来た観光客は間違えたりしないだろうかと思ったら、大きな荷物を持ってる旅行らしき女二人組が電車から降りた途端「ここどこ?」とか言って不機嫌になってた。 おそらくJR松山駅へ行きたかったのではないか。松山市駅は、いよてつ高島屋の建物と一体になっている。高島屋の屋上には観覧車がある。 それはそれとして、伊予鉄道は「市内電車」と呼ばれる路面電車と、松山市駅を起点として北西、南東、南西へ向かう3つの「郊外電車」と呼ばれる路線を持っていて、 一日乗車券を使えるのは路面電車だけである。ついでに言うと、松山城のロープウェイとリフトも伊予鉄道の経営だそうだ。 で、暗くなるまでまだ時間があったので、郊外電車に乗ってみることにした。切符を買って改札へ。自動改札ではなくて、駅員がぱちんと穴をあける。 ホームは複数あって、地方の私鉄にしてはずいぶん広い駅だ。北西に向かうのが高浜線で、松山市駅から終点の高浜駅まで9.4km。 ホームで待っていたら古い感じの3両編成の電車が来た。電車は15分おきに出ている。乗客は少ない。松山の中心部を離れていくと徐々に建物がまばらになってゆき、 のどかな景色になる。途中、JR予讃線の線路の下をくぐる。いつのまにか海の近くを走っていた。松山市駅から20分弱乗車し、終点のひとつ手前の梅津寺駅で下車。

梅津寺駅
海が見える駅。伊予鉄道高浜線梅津寺駅。

■松山港に面していて、ホームから海が見渡せる駅である。ここまで乗ってきてる乗客もかなり少なく、ここで降りたのはほんの数人だった。 いまにも雨が降ってきそうなどんよりした空模様。ごみが打ち寄せていたり、海の水もそれほどきれいではないが、都会の海なので仕方ない。 遠くに突堤と灯台が見える。開放的な雰囲気で、晴れていたら気持ちのいい景色だろうなと思った。駅舎は正面に三角屋根のある小さな建物だが、駅員さんがいた。 帰りは松山市駅まで行かずに途中の古町駅で降りた。郊外電車から市内電車に乗り換え。ホテルに戻った。 ホテルの1階にあるビアホールみたいなお店の唐揚げがおいしいと評判らしいので買ってみたら大きいしおいしかった。地元の人でにぎわう店らしい。 たしかにお客さんが多い。大街道へ行ってみたら相変わらず若者でにぎわっている。 この日のJリーグの結果を見ると、北九州が愛媛に3-0で勝利。城などにいたレプリカユニフォームを着て応援に来ていた者達も報われたことだろう。
No.1596 2011-04-29
道後温泉駅
道後温泉駅。

道後温泉本館01
道後温泉本館1。

道後温泉本館02
道後温泉本館2。

■気候のいいこの時季、せっかくの連休なのでどこかへ旅行に行こうと思ったのだった。幸い、マイルが結構たまってるので、それを使うことにした。 いままでに行ったことのある場所の中で、ゆっくり時間を取れずにあまり見れなかった場所がいくつか、行き先の候補にあがった。 具体的に言うと、美瑛、高岡、金沢、松江、松山、熊本、那覇などである。計画を立てるのが遅かったので、 既に航空便の座席はかなり埋まってて、出遅れた感はある。行き先の選択肢がかなり少なくなっていたので、 マイルを使って旅行するのは他の時季にしようかと思ったが、震災以来、いつ死ぬかわからんということを最近は以前より強く思うようになったので、 行けるときに行っておかないと、と考えた。四国便が比較的空いていた。四国にはこの前の年末に行ったばかりだったが、愛媛には寄らなかったんで、 今回は松山へ行くことにした。
■比較的空いてるといっても、午前、昼間の便は埋まっていたので夕方の便で出発。羽田へ向かう快速電車は、はんぱな時間のせいか空いている。 新橋で乗り換え。羽田へ向かうのは、いつもなら早朝なので、駅のなかの店はすべてシャッターが閉まっているのしか見たことなかったが、 午後なのでいろんな店が営業しててにぎわっていた。都営浅草線から直通の京急線羽田行きに乗車。品川を出ると羽田まで停車しない。 蒲田にも停まらなかった。この電車も普段より空いている。車内の照明が消えていた。電車は空いていたが、空港の手荷物検査場は大勢の行列。 松山行きの便は3列3列中央に通路があるタイプの小さな飛行機だった。満席。夏のような雲が出ていて、少し揺れたがほぼ定刻通り到着。 着陸が近くなり、高度を下げていったとき、まだ日が沈みきっていない時間で、夕暮れ空と瀬戸内海に浮かぶ多くの島がとても美しかった。
■過去に四国には数度訪れているが、飛行機で四国入りするのは今回が初めてだった。松山空港を利用するのも初めてだったが、 地方の空港はだいたいどこもおんなじような感じに見える。こぢんまりとした空港だが、国際線の定期便も就航しているようだ。 空港のバス乗り場に早速一人お遍路さんがいた。リムジンバスに乗車。東へ向かい、徐々に松山市街地の中心部へ。 途中、JR松山駅前を通った。4年前、ここの近くのホテルに泊まったが、松山市内を観光することなく、その翌朝早くに松山を発ったので、 今回はゆっくり松山を見て回ろうと思ったんである。バスは泊まるホテルのすぐ前で停車したので楽だった。 チェックイン後、荷物を置いて再度外へ。町の中心部には「大街道」という大きな商店街があり、三越や全日空ホテル等の大型商業施設もある。 そのそばにある「大街道」という停留所から路面電車に乗車。
■松山の印象はまず、路面電車がひっきりなしに走っているということで、伊予電鉄という会社が市内にいくつもの路線を持っていて、数分おきにやってくる。 古い車両のもあるし、低床タイプの新型車両も走ってる。乗ったのは古いタイプのやつで、床や窓まわりが木製で、降車ボタンを押すと「チリン」とベルが鳴る。 座席は埋まり、立ち客が数人いるくらいの乗客数。けっこう乗っている。10分ほどで終点の道後温泉駅に到着。ちいさな二階建ての駅舎で、 一見、明治期頃の洋風建築のような古くからある建物のように見えるが、1986年に建てられたもので、大正期の旧駅舎を再現したものだそうだ。 脇には古いタイプの丸い郵便ポストがある。駅のすぐ前にはちょっとした広場があって、足湯とからくり時計がある。そしてすぐ商店街があった。
■とても驚いた。こんなに活気のある温泉地というのは、他にはなかなかないのではないか。多くの人が浴衣姿で歩いている。 浴衣じゃない者もたくさんいる。自分はいまのところあまり温泉に興味がないので、進んで温泉地に足を運ぶことはないが、 それでも日本あちこちでさびれた温泉地を見てきたので、道後のこのにぎわいにとても驚いたのだ。夜も遅い時間になってきていたのに、多くの店がまだ営業している。 行列ができている食べ物屋もある。年寄りだけでなく、若い者もたくさんいる。けっこうな長さの商店街を抜けると、道後温泉本館の前に出た。 これがよく写真で見たあれか、と思いながら建物のまわりを歩いてみた。1894年に建てられた、いわゆる近代和風建築で、 三層楼の公衆浴場。国の重要文化財に指定されている。共同浴場の施設としては重要文化財指定はめずらしいのではないか。 正面から見ると、立派な屋根が連なり、どっしりとした落ち着きがある。入口には軒唐破風があり「道後温泉」という銘板がついている。 屋根の一番高いところには、赤いギヤマンを使った塔があってあやしく光り、その上には白鷺の像がくっついている。雰囲気のある見事な建築だ。 夜の暗い中で見たのもまたよかったのではないかと思う。背後には大きな温泉宿のホテルが建ち並んでいる。風呂に入ろうかと思ったのだが、 あんまりにも人が並んでたので、入浴はあきらめた。連休はやっぱりすごいなと思った。 後から知ったが、あの行列は、特別休憩室を使う人達の順番待ちだったらしく、入浴だけなら並ばなくてもよかったみたいだった。 本館の脇では、おそらく地元の者と思われる若い者達が太鼓を叩き、獅子舞などをやって観光客に見せていた。駅へ戻る途中、商店街のラーメン屋の前で白黒の猫に会った。
■電車で大街道まで戻る。少し遅くなったが夕食をとろうと思い、界隈を歩いてみた。妙に活気がある。10代から20代前半と思われる若者がたくさんいて、 ぶらぶらしたり、そこらでたむろしたりしている。これだけ若者ばかりが大勢いる繁華街というのもめずらしい。不思議な光景であった。 メインの通りから横道に入ると、アルコールを出す店がたくさん立ち並び、ネオンが光っていた。 そんな中の一軒の寿司屋に入り、ちょっとしたコースみたいなのを頼んだ。店構えを見ると結構値の張りそうな感じがしたので一瞬ひるんだが、 案外安く食べられた。おそらく瀬戸内の近海物であろうサワラ、ハマチ、甲イカ等が、脂ののりがよく、鮮度がよくておいしかった。

No.1595 2011-04-25
■昼に、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2011 in EZOの第一弾出演者発表。
androp / ent / 氣志團 / KIMONOS / Caravan / くるり / ザ・クロマニヨンズ / 子供ばんど / サカナクション / 女王蜂 / ストレイテナー / SPECIAL OTHERS / So many tears / dustbox / 鶴 / the telephones / 10-FEET / 怒髪天 / back number / ハナレグミ / the band apart / B.B.クィーンズ / BIGMAMA / the pillows / Predawn / モーモールルギャバン / THE MODS / Laika Came Back / LITTLE CREATURES / ONE OK ROCK / TONE PARK
■まずは以上の31組が発表された。意外なところはB.B.クィーンズ、子供ばんどあたりか。Predawnやモーモールルギャバンあたりは若手の注目株といったところかと思う。 くるりやクロマニヨンズ、サカナクションなどなど、それなりに豪華な面子も揃っているし、THE MODSもいればKEN ISHII(TONE PARKで参加)までいるという幅の広さは評価できるのではないか。 ただ正直なところ、このなかで個人的に魅力を感じるのはSPECIAL OTHERSくらいしかない。あとはなんというか、よく言えば安定志向、わるく言えば代わり映えのしない面子という印象で、 ファンには悪いがストレイテナーとか10-FEETとかthe band apartらへんはよそのイベントのほうに回って欲しいなあという気持ちは少なからずある。 あと怒髪天とかthe pillowsとかがでかい顔してるここ数年の感じに対しては、あんまりいい感情を持ってない。わかりやすく言うと、調子のんなよ、ということである。
■KIMONOSはどんな感じなのだろう。ぜんぜん聞いたことないが、向井秀徳は常に新しいことに挑んでいるようで立派だ。 彼みたいなスタイルが今の時代のロックンロールのひとつの正しいありかたのような気もする。音楽に正しいもクソもないが。
■冷静に考えてみると、去年みたいに山下達郎、KAN、DE DE MOUSEにROVOに相対性理論といったような、自分内ベスト10の人たちが一気に揃うようなことはもうないのかもしれぬ。
■話は飛ぶが、SUGAR BABEの「SONGS」がリリースされてからちょうど36年だそうだ。1975年4月25日発売だった。 いまでもたまに家で聞く。日本のポピュラーミュージックも着実に歴史を積み重ねているんだなと思う。 はっぴいえんどがあって、ジャックスがいて、めんたんぴん、久保田真琴と夕焼け楽団、ムーン・ライダース、上田正樹&サウストゥサウス、そしてSUGAR BABE。 70年代から今に至るまでのミュージックシーンの歴史を、この年になってようやく少しだけ俯瞰できるようになってきた。
No.1594 2011-04-24
茜浜
茜浜。

菊田川
菊田川。

■朝から自転車で茜浜。途中、投票所になっている小学校に立ち寄って、習志野市長選挙、市議会議員選挙の投票を済ませた。 国道14号、まろにえ通り経由で秋津の交差点。秋津公園は地震後、損傷があったため入れなくなっていたが、工事が終わったようで既に中に入れるようになっていた。 ところどころアスファルトにつぎはぎしたような補修跡が見える。茜浜は三週間前に来たときとあまり変わっていなかった。相変わらず砂がたまり、U字溝は地面から飛び出て、 路面が隆起したまま。いつもいる猫たちは一匹も見かけなかった。天気がよくて湿度が低いから気持ちがいい。風がないので海面が鏡みたいになって、 幕張のビルが映っていた。
■この前に来たときは気づかなかったが、菊田川の河口あたり、川の両岸が地震のせいでズタズタになって崩れていたので驚いた。 新習志野駅前のミスターマックスに立ち寄った。朝鮮語のラベルのミネラルウォーターを買い込む女がたくさんいた。 店内の照明がやや暗く、以前ずっとかかっていた、店の明るいテーマソングみたいなのがかかっていなかった。 午後、ラジオで山下達郎のSUNDAY SONGBOOKを聞く。めずらしくEarth Wind & Fireの曲がかかった。 「THAT'S THE WAY OF THE WORLD」高校生の頃、大好きだった曲。なけなしの金をにぎりしめて、函館の五稜郭にある玉光堂という、 仏壇屋みたいな名前のレコード屋に自転車で行って、緊張しながらCDの棚の前に立ったときのことをいまでも思い出せる。 高校の頃の自分が、いまみたいにネットで、どんな曲でも簡単に聞ける時代に生きていたら、どれだけ喜んだだろうかと想像した。 10年ぶりくらいに聞いたBonnie Raittの「I Can't Make You Love Me」は、 いま聞くと、とても心に染み入る。
No.1593 2011-04-23
■ひさしぶりのJリーグ。サッカーのある週末というのはいいもんだな、と強く感じた一日だった。仙台の逆転勝利に心動かされた。 J2では水戸が徳島に勝利。JFLもようやく開幕。
No.1592 2011-04-20
■けっきょく、満開の桜をゆっくりたのしむタイミングがないまま、すっかり葉桜になってしまった。 今年も船橋の海老川沿いの桜を見に行けなかった。来年こそ行ってみる。
■この春には、なにか桜関係の新しい曲があったのだろうか。流行歌にはすっかり疎くなってしまったが、 桜関係の曲というと、近年ではケツメイシのもいきものがかりのやつもいいと思うし、森山直太郎もいい。 桜というと、全国的には、卒業式や入学式のイメージなのだろうが、函館での私の小学校の入学式の日は猛吹雪だった。 あと、花見といったら五稜郭公園で、ようやくゴールデンウィークに満開になった桜を見ながらジンギスカンを食べることだと思ってた。
■それにしてもひどい有様なのは、原発利権です。知れば知るほど呆れるばかりの、政・官・学・業が一体となった強固な利権構造だ。 しかも巨大である。だから要するに、今回の原発事故も含めて、安全性について論じるにしても、技術的なことを語るのはあまり意味がない。 電力、送電という市場の独占を許している「体制」の問題なのだ。
■経団連、官僚、そしてマスメディア。
国民が選挙で介入できない部分がもっとも腐ってるという現状。これでは何度政権交代したとしてもこの国は良くならない。
それでもあきらめてはいけないと思う。絶望や失望は老人に任せて、自分は楽しく生きてやろうと思いました。
■30代も半ばに近づいてきて、この先も続けたい、続けられる趣味はなにかと考えていた。ちょっと整理してみた。 だいたいここ数年の趣味はカメラ、自転車、音楽、旅行といったところか。
鉄道旅行は、JR全線完乗が終わったら、とりあえずそこまでにしようと思う。 カメラは最近新しい単焦点レンズを買った。明るいレンズなので、写りがいいからよかった。そしてカメラと自転車は相性がいい。 旅とカメラ、旅と自転車も相性がいい。 音楽は子供のころからずっと聞いてきて、いまも聞いてる。最近はアナログ盤の音に興味がある。 ライブにはほとんど行かなくなってしまった。RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZOは、次の参加で自分にとって、たしか10度目になるので、 そこを節目にしようかという考えも少しある。せっかくの夏の盆の休暇に、他のこともできるんじゃないかと考えるようになってきた。 ほかの夏フェス類に行くことはほとんど考えていない。
■4月25日の昼に、今年のEZOの出演者第一弾発表があるらしい。
No.1591 2011-04-09
■明日は千葉県議会議員選挙の投票日である。日本各地で知事選や市議会議員選挙等もあるようだ。 うちのエリアは習志野選挙区で、定数2に対して4人が立候補している。60過ぎはすっこんでろ、と思うが、被選挙権があるから仕方ない。 そして、この期に及んで高齢者福祉を政策の筆頭に掲げているような候補者にはぜったいに投票しない。 そういう連中はただ単にいちばんの票田である高齢者層に媚びているだけで、未来のことなど考えていない。 若い世代の生き血をすすってのうのうと暮らしている老人をこれ以上手厚く世話してやる必要がどこにあるのだろうか。 若者が未来に希望を見出せないような社会は絶対に間違っている。
No.1590 2011-04-08
エルコラソン
谷津のエルコラソン。

■仕事が終わってから一度帰宅し、京成の谷津駅の近く、国道14号沿いにある「エルコラソン」というイタリアンのレストランへ。 サイゲンジのライブがあるというんで、ずいぶん前から予約していたのだった。こんなに家から近い場所で好きなミュージシャンのライブをみれる機会なんてなかなかない。 歩いて10分もかからないのだ。でもよく考えてみたらサマーソニックの会場は自転車で20分くらいか。それはそれとして、 店内に入ると従業員たちが「ボナッセーラー」と言う。これはなかなかはつかしい。沖縄料理屋の「めんそーれー」はべつにはつかしくないのに、 日本人が言う「ボナッセーラー」ははつかしい。字で書いてみたら、どこかの祭りの「ラッセラー」に似てる。
■ライブが始まるまで食事。正直そんなに安くはない。たびたび気軽に食べに来れるような値段ではなかったが、さすがに味はおいしかった。 店内は外観から想像してたよりは広くて、2階建てで大きな吹き抜けになっている。カウンター席もある。既に客がいっぱいだ。 吹き抜けから天井にかけて大きな桜の木がそびえている。本物なのだろうか。よくわからなかった。
■サイゲンジのライブは、もう何年も前のRISING SUN ROCK FESTIVALでちらっと見かけて、直後は忘れていたのだけど、 それからしばらくしてふと、そういえばあの人の音楽よかったなと思い出してCDを数枚買った。一時期ずっと聞いてた。というかサイゲンジしか聞いてない時期があった。 で、ライブは最新のアルバムからの曲がメインだったのだけど、その作品は持ってなかったので、初めて聞く曲がほとんどだった。 去年の山下達郎さんのライブで「最近は若い人もライブに来てくれる。若い人は曲を予習をしてから来るらしいが、そんなのは必要ない。 何の予備知識もなくても楽しめないのはライブじゃない」といった趣旨のことを言っていた。よほど自信がなければ言えないことだと思うが、 今回のサイゲンジのライブでそのことを思い出した。知らない曲ばっかりだって、いい曲でいい歌でいい演奏なら最高に楽しめる。 音楽はいいな、楽しいなと感じた数時間だった。なによりもサイゲンジ氏自身がとても気持ちよさそうに歌い、ギターをかき鳴らしていたのがよかった。
■途中、ケーナ奏者を交えて一曲、ボンゴとタンバリンをバックに一曲。タンバリンを叩いたのは店のオーナーのカルロスさんという人で、 大丈夫かよ、と思ってたら、リズムも狂わないし、慣れた手さばきで控えめに音を出してて上手だった。で、カルロスさん、と呼ばれてたし顔も外人ぽいのでどこかの国の人なんだと思ってたら、 日本人だった。帰り際に、去年出たという最新のアルバムを買ったら、ステッカーとかポストカードとかいろいろくれた。サイゲンジ氏がサインしてくれて、 少しだけ話すこともできた。幸運である。オーナーのカルロスさんとも一言二言挨拶。気さくな人だった。
■ライブ後、歩いてすぐ家に着いた。ライブというと、都内で、スタンディングでくたくたに疲れて、混んだ電車で帰ってくるっていうのが普通だから、 変な感じがした。
No.1589 2011-04-02
茜浜01
茜浜1。

茜浜02
茜浜2。

茜浜の猫
茜浜の猫どうしが挨拶。

東京インテリア横の桜
東京インテリア横の桜。

■ひさしぶりに自転車。朝からあたたかい日。まろにえ通りを海の方向へ下る。 京葉道路以南まで来ると、歩道に、液状化現象で吹き出たと思われる砂がたまっているのがあちこちで見られ、 石畳が浮き上がり、舗装が損傷していた。自宅から自転車で数分行ったところがこんなことになってるとは、と驚き、 改めて地震の大きさを、目に見える形で認識した。
■東関東道をくぐり茜浜。と思ったら、いつも出入りする菊田川の脇の入口が閉鎖されていたので、パークゴルフ場のほうからぐるっと回って海岸へ出た。
茜浜の様子が一変していた。
ほんとうに浜のようになっていたんである。とまで言うと大げさだが、砂がかなりたまっていた。粒の細かい砂が風に舞って、少し空気がかすんでいる。 防波堤や消波ブロックに損傷は見られなかったが、陥没や隆起がすごい。丸三週間経ったが特に復旧工事はされていない様子だ。 ここよりも先に工事しなければいけない道路や下水道等がたくさんあるのだから、こういった公園が後回しになるのは当然だろう。 舗装は波打ち、亀裂、ひび割れ、段差ができ、U字溝が地上に飛び出したり地中に沈んだりしていた。フェンスが傾いていた。それでも海辺の猫達は元気に、そしてのんびり生きていた。 人出は少ないがジョギングや犬の散歩、釣り人がちらほら。
■さくら広場の様子を見に行ってみた。今年はさすがにこういうご時世だから夜の桜のライトアップはやらないだろうなと思っていたが、 公園内にもけっこうな損傷があったようで、立ち入り禁止になっていた。中を覗いてみたら、ひび割れがいくつか見えた。花壇の花はきれいに咲いていた。 帰りは国道14号線から京成津田沼駅前のわいがや通りを経由。地震のせいで傾いた電柱がまだそのままになっていた。 東漸寺の門にひびが入ったということで立ち入り禁止になっていた。アンポンタンに立ち寄ってパンを買った。かなり混雑していた。
■津田沼周辺の桜情報。秋津公園内は立ち入り禁止なので確認できず。さくら広場はまだ。東京インテリア脇の公園は咲き始めていた。 津田沼高校はまだ。東漸寺もまだ。早くあちこちで桜が咲いてくれないかなと思った。桜が咲いたら世の中が少し明るくなる気がする。
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