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No.1750 2013-4-30
■朝の早い便で函館へ。羽田空港からAIR DOの便を利用。若干遅れたが、ほぼ定刻通りに函館空港に到着。バスで湯の川温泉まで行き、 少し歩いて市電に乗って実家へ。思っていたより寒い。雨も降っていた。この4月は、月の初めに四国、そのあと九州、そして月末には北海道にいたことになる。 雨で外へ行く気にもならず、この日は実家でのんびりと過ごす。出かけないとなると実家というやつは意外と暇で、でも「暇だなあ」って思うのはひさしぶりのことのように感じる。 函館市内の地図を見たり、持ってきた本を読んだり、茶を飲みながら親ととりとめのない話をしながら一日が過ぎていった。たまにはいいものである。
No.1749 2013-4-14
茜浜
茜浜。

処理場裏の猫
処理場裏の猫。

■ひさしぶりに自転車で茜浜。寒くもなく暑くもなく、ちょうどいい季節になった。そんな季節はあっというまに終わる。 もう茜浜から富士山が見えることはしばらくないと思う。次にここから富士山が見えるのは今度の冬か、台風が来て通り過ぎた日だろう。 浦安の町並みや幕張の様子はよく見える。スカイツリーは霞んでいた。猫たちの姿はなかった。人もまばら。菊田川の反対側、霊園裏から処理場のあるほうへ行くと猫が何匹かいた。 突堤のほうまで行くと、ずっと前にここで見た覚えのある一匹の猫がいた。まだ元気でいたかと思う。顔や体つきがずいぶん精悍になっていた。 風が強かったせいか、釣り人もいなかった。新習志野駅前のミスターマックスに立ち寄ってから帰宅。
No.1748 2013-4-07
湯前駅
くま川鉄道 湯前駅。

くま川鉄道 KUMA 車内
くま川鉄道「KUMA」の車内。

相良藩願成寺駅
くま川鉄道 相良藩願成寺駅。

■朝、熊本交通センターから鹿児島行きのバスに乗車。結局また今回の九州も移動ばかりになってしまったが、移動はきらいじゃないのでべつにいいです。 山が多く、いくつものトンネルを抜けてゆく。途中、山江サービスエリアで休憩。晴れてるのに、たまに雨が落ちてくるへんな天気だった。1時間40分ほどの乗車で人吉インターのバス停に到着し、 下車。親類の人に車で迎えにきてもらった。そこからさらに東へ20km以上行ったところにある球磨郡水上村へ。 家内の父の実家がある人口2400人足らずの村で、2006年にも一度訪問した。数人で昼食をいただき、少しの間いろいろ話す。 そのうちの一人の男性に電話があり、友人の親が亡くなったという連絡だった。すぐにいろいろな人にそのことを連絡していた。 自分も同じように田舎で育ったのでわかるが、良くも悪くも人間の結びつきが強い。当たり前のように友人の親の葬儀に参列したりする。
■くま川鉄道の湯前駅まで車で送ってもらった。旧国鉄湯前線だった第三セクター会社の路線で、JR肥薩線の人吉駅から終点湯前駅までの24.8km。 ホームに列車が入線してきた。駅に着くとわずかばかりの高校生が降りてきた。折り返しの列車に乗る。運が良かったのか、 利用した列車が特別仕様の車両で、「KUMA」という名前がついている。黒っぽい深緑の外装の車体で、ペイントのヘッドマークらしきものがついている。 車内は明るい色の木製の部材がたくさん使われていて、ソファのような座席やテーブルがついたボックス席もある。小さな本棚があって、九州の植物等の書物が置いてある。 何組かの家族やグループが乗車。車窓はとりたてて目を引くものもなく、遠くに山並みが見え、のどかな田園地帯が続く。 湯前から約40分、終点の一つ手前、相良藩願成寺駅で下車。歩いて1kmほどで、人吉インターのバス停に到着。ここから再び鹿児島行きのバスに乗り、 一時間弱で鹿児島空港に到着。羽田へ。
No.1747 2013-4-06
熊本城
熊本城。

熊本城 本丸御殿
熊本城 本丸御殿での催し。

熊本城の猫
熊本城の猫。

■本当はこの日は高千穂峡を見たりバスで天岩戸神社まで行こうと思っていたのだけど、朝から雨が強く降っていて、しかも時間を追うごとにどんどん 豪雨になるという予報だったので、どうしたものかなと思案していた。雨にぬれてもがんばれば観光はできるが、なによりも豪雨で通行止め、というのがいちばん困る。 山から降りられなくなると今後の行程に影響が出るので、非常に残念ではあるが、夕方に高千穂を出るバスに乗る予定だったのを思い切って変更し、 朝のバスで熊本まで向かうことにした。ホテルで朝ごはんを食べてからバス乗り場まで歩いただけでけっこう濡れた。バスはほぼ定刻通りに到着。 乗客はそれなりにいた。途中、高森町の観光案内所の前のバス停で休憩があった。おそらく天候が良ければこのあたりから阿蘇山が見えるのだと思う。熊本空港経由で 熊本交通センターまでの所要時間は約2時間45分だった。熊本市内もまだ雨が降っていた。
■交通センターから少し歩いて下通り商店街という場所に着いた。熊本には過去二度ほど来たことがあるが、JR熊本駅近辺しか見ていなかった。 JRの駅は町のはずれにあって、大きな都市の駅という感じがあまりしなかった。JR熊本駅から路面電車で北東へ2kmばかり行ったあたりが熊本城下の中心市街地で、 今回初めて熊本の繁華街を歩いてみたが、かなり都会的で人通りが多く、賑わっていた。九州一番の都市は福岡の博多で間違いないのだろうけど、 ナンバー2はこの熊本なのではないかと感じた。昼ごはんを食べてから熊本城へ行ってみた。観光客が、雨にもかかわらず多数来ている。 熊本城を見るのは今回初めてで、築城の名手、加藤清正によるものであること、日本三名城の一つであること、というのはなんとうなく知っていた。 日本三名城ってあと二つはなにがあるのかと調べてみたら諸説あって、大坂城、名古屋城が入ってたりする。あんな鉄筋コンクリートでエレベータのついた城がなんで、 と思うが、現存であるとか再建とかそういうのを関係なく評価してるみたいだ。いままで見た城の中で別格なのは姫路城と松本城、ちょっと毛色がちがうけど竹田城。 この三つはとてもよかった。他によかった城といえば岡城、津山城、今治城などを思い出す。城の建物は昭和に再建されたもので、かなり大きい城だ。 昔の人にとってはこれが今の時代でいう高層ビルだったのだろう。中は歴史資料館みたいな感じで、かなりたくさんの展示物がある。有名な「武者がえし」がついてる。 大きな石垣はなだらかなカーブを描いていて美しい。宇土櫓や門など、いくつかの遺構が残されていて、それらは重要文化財に指定されている。日本100名城。
■熊本城の内外ではちょうどなにかイベントが催されていて、本丸御殿では歌や踊りが披露され、外では飲食の出店がたくさん軒を連ねていた。 歌や踊りのほうはたくさん人が集まって盛況だったが、外は雨で客がおらず気の毒だった。門の屋根の下に猫が一匹いて、濡れた体をいっしょうけんめい舐めていたが、とつぜん丸くなって寝た。一度、 下通り商店街のそばのホテルへ行って荷物を置き、夕飯を食べに外へ出た。商店街の中にある一軒の中華料理屋に入り、熊本界隈でよく食べられているという 「太平燕(たいぴーえん)」というメニューを注文した。初めて食べるこの料理は、長崎のちゃんぽんの麺が春雨になったみたいな感じのもので、 野菜がたくさん入ってた。あとは揚げた玉子とかきくらげ、えび、いか等も具としてのっていた。味は淡白でしつこくない。春雨好きの自分にはとてもおいしかった。 その中華料理店は商店街に面した二階にあって、窓際の席だったので外がよく見える。昼間よりもさらに人が増えて、活気がある。特に若者が多い。
No.1746 2013-4-05
高千穂駅
高千穂駅。

高千穂神社
高千穂神社。

高千穂峡
高千穂峡。

若者が舞う
若者が舞う。

観光神楽
高千穂神社の観光神楽。

■四国から帰って中一日で今度は九州へ。朝の便で羽田から鹿児島まで。鹿児島空港を利用するのは2008年の3月以来だった。西行きの飛行機は富士山が見えるからちょっとうれしい。 定刻通りに到着。機内から空港の建物内へと入ってゆくと西郷さんのキャラクターのパネルが出迎えてくれる。時間が少しあったので空港の中を歩いてみた。 函館空港と同じくらいの規模で、以前も買って食べたさつま揚げの店でまた買って食べた。おいしかった。バスで一気に宮崎まで。 だったら宮崎空港を利用すればいいじゃないかと思うむきもあるかと思うが、おともdeマイル割りとかいう格安運賃を利用したので、 往復の発着空港が同じでなければいけないというんで、行程的に最後は鹿児島空港を利用する必要があって、こういうことになった。 バスはとても空いていて、数えられる程度の乗客数だった。途中、霧島サービスエリアで休憩。霧島山はほとんど雲に隠れていたが、 裾のほうが少しだけ見えた。バスの窓から見える風景を見て思うのは、九州は山の国だな、ということである。
■昼過ぎに宮崎駅前に到着。大分といえば鳥天だが、宮崎はチキン南蛮ということになっている。九州は鶏料理がうまい。 宮崎駅の建物の中にある和食の店でチキン南蛮のランチを食べる。うまい。関東あたりで売ってるやつとはかなりちがう。 日豊本線の普通列車で九州の東岸を北上。都農駅の前後では、役目を終えたリニア実験線の高架上にずらりとソーラーパネルが並んでいるのが見える。 時々右手の松林の間に海が見える。九州の西と東の、特に交通網の格差というのはかなりのもので、西側は博多から熊本、鹿児島を結ぶ新幹線と複線の在来線、 高速道路が整備されてつながっているが、東側の大分、宮崎側は高速道路も途切れ途切れ、鉄道はすれ違えない単線が延々と続いているだけで、頼りない。 東日本の太平洋側と日本海側、あるいは西日本の山陰と山陽のような地域間の関係が九州にも歴然とある。 宮崎から約1時間40分ほどで宮崎県北部の主要都市である延岡に到着。延岡市の人口は128000人ほど。この数字だけ見るとそこそこの都市に感じるが、 駅前の様子だけ見ると、よく言えばレトロ、というかなんというか活気のない景色で、町並みが古い感じ。旭化成の企業城下町として栄えた時代は賑わってたのだろうなと思う。
■駅前のバス乗り場から、九州を横断する熊本行きのバス「あそ号」に乗車。山を越えて九州の東西を結ぶこのバスは、朝と夕の一日二本のみの運行で、 九州内の高速バスの大部分が事前予約優先というシステムになってるのにこのバスはそうなってなかったので、客が多くて乗れなかったらどうなるんだろ、 とちょっと危惧していた。乗ってみたら客がぜんぜんいなかった。時季や曜日にもよるのだろうけど、これなら予約なんて必要ないなと思った。 バスはあっという間に市街地を離れ、山へ山へと入ってゆく。五ヶ瀬川沿いに走る国道218号線をうねうねと西へ進み、ときどき谷を高い橋で越えてゆく。 途中、日之影という町を通る。なんともいえない、いい名前だと思う。山間の土地という感じがする。徐々に建物が増えてきたなと思うと高千穂の町に入る。 延岡からちょうど一時間で高千穂バスセンターに到着。本当は延岡から、高千穂鉄道でここまで来たかった。高千穂鉄道は2005年9月の台風で鉄道設備に甚大な被害を受け、 復旧・運行再開を断念し、同年12月、全線廃止となった。きっと、いい車窓だったんだろうなと思う。
■それにしても、よくこんなところまで鉄道が敷かれていたなあと思うような山間の地で、わずかにある平地に人々が寄り集まって暮らしている。 平地といっても起伏は多く、坂道があちこちにある。それはそれとして、高千穂である。美しい地名だなと思う。神話の里というキャッチフレーズで観光需要を喚起している町で、 「天孫降臨」や「天の岩戸」といった有名な日本の神話の舞台ということになっている。実際に大小さまざまな神社がこのような不便な場所にあるというのがなんとも不思議な感じがする。 一度ホテルに荷物を置き、まだ外の明るさが残っていたので町を歩いてみた。廃線をたどる趣味はないが、まだ高千穂鉄道の駅が残っているというので見に行ってみた。 町の外れの低くなった場所に駅舎とホーム、レールが残されているのが見える。東側を見ると、レールはトンネルの中にのびて消えてゆく。廃線跡のノスタルジーや、 歴史ある保存駅舎という重厚さもまだなく、ただただ廃止されて数年経っただけというリアルな現実があるのみだった。
■スーパーマーケットや役場の建物がある小さな町の小さな中心部は、歩きでもすぐに通り過ぎてしまう。南西に向かう道をまっすぐゆく。すれ違う中学生がこちらに挨拶してくる。 地方に行くとそういうことはよくある。学校でそういった指導をしているのだろう。町のあちこちに神話をモチーフにした大小のオブジェが設置されている。古い旅館が数軒。個人商店、飲食店もいくつかある。古いホテルのそばにいた猫がかわいい顔だった。 高千穂神社まで歩き、夕暮れ時の境内に入ってみた。大きくはないが落ち着いた雰囲気で、とても背の高い木々に囲まれている。社殿は新しくはないようだが、 手入れが行き届いていてきれいだ。御守りとかお札を売っているところは無人で、「料金は賽銭箱へ」みたいなことが書いてある。たとえば700円のものが欲しいのにぴったりの金額を持ってない場合、 お釣りがもらえないんじゃないかと心配したが、1000円札を入れて300円は賽銭ということになるのだろうか。それはそれとして、また来る予定なのでこの神社を後にし、 さらに南西の町の外れまで歩いた。ヘアピンカーブが続く道を下ってゆくと眼下に岩に挟まれた峡谷が見える。高千穂峡と呼ばれる場所で観光スポットになっているが、 もう日がほとんど沈んでいたので、ちょっと上からのぞいただけで道を戻った。
■すっかり日も暮れて夕食をとろうと思ったのだけど、店が少ないので選択肢はあまりなかった。町の中心部に近い場所に灯りがついている一軒の店があったので入ってみた。 棚田食堂という名前で、小さなカフェのような店だったが、田舎町にしてはずいぶんしゃれている。店の名前は、棚田でとれた米をメニューに使っていることに由来しているらしい。 昼に続いてここでもチキン南蛮を食べた。以前、沖縄に行ったときに四度、沖縄そばを食べたが、同じようなメニューを食べ比べるのもなかなかおもしろいものである。 ここの店のもおいしかった。食後にちいさなチョコレートをもらった。それから再び、夕方行った高千穂神社へ向かう。夜に神社へ行くことは普通、あまりないと思う。 大晦日の夜に初詣に行くときくらいだ。この高千穂のいくつかの神社では冬の夜、「夜神楽」と呼ばれる神楽の奉納があって、それとは別に、観光客向けに季節を問わず毎日、 高千穂神社の神楽殿で「観光神楽」が行われ、代表的な四つの演目が公開されている。今回の旅行は、これを見るのも一つの目的にしていた。客がちょっとしかいなかったら さびしくて気の毒だな、などと思っていたが、予想に反して会場には大勢の観客が入っていた。拝観料は一人700円と安くはないが、伝統芸能の伝承に役立ててもらえるなら、と思う。
■公演時間はだいたい一時間。予約などはとくに必要無しなので時間までに神社に行けばよい。本来は夜を徹して舞う夜神楽の全三十三番の中から「手力雄(たぢからお)の舞」「鈿女(うずめ)の舞」「戸取(ととり)の舞」「御神体(ごしんたい)の舞」の四番が 毎日公開されていて、各集落の神楽の舞手が交代でj奉納している。見世物ではあるが、あくまでも神事なので、神様への奉納の舞である。撮影OKというんで、 みな手にカメラや携帯電話を持ってさかんにシャッターを押していた。ときに単調な舞の反復が続く部分もあるが、今の言葉で言うトランス状態というやつはたいていこの単調な反復によってもたらされる気がする。 演目の合間にはちょっとした解説もあり、客へのサービスもあって、子供には退屈かもしれないが大人ならそれなりに楽しめるのではないかと思う。 地元の若い人がやってるというのが何より頼もしく、よかった。観光地で夜にイベントがあると、それを見るためには泊まらないといけないから、その町の宿泊施設にとってありがたいだろうなと思った。
No.1745 2013-4-03
讃岐国分寺
四国八十八ヶ所霊場第80番札所 国分寺。

天皇寺
四国八十八ヶ所霊場第79番札所 天皇寺。

白峰宮の鳥居と桜
白峰宮の鳥居と桜。

郷照寺への道
78番郷照寺への道。

■この日は昼に岡山から新幹線に乗るので、四国に滞在できるのは午前中の少しの時間しかない。 早朝の列車で徳島から高松まで移動し、瀬戸大橋のほうへ向かいながら途中駅で下車して歩いて行ける場所にある札所だけめぐることにした。 本当は通して歩きたいのだが、一つでも多くの札所を回っておきたいので仕方なくそのようにしたんである。まずは高松から普通列車で15分、 国分駅で下車。公衆トイレみたいな外観の駅だった。駅からほど近い場所にある80番札所の国分寺へ。駅の名前もこの寺の名前からきているのだろう。 まだ朝の早い時間なので、空気がひんやりしていて心地がよく、人もほとんどいない境内は気分がいい。剛健で力強い印象の門をくぐると本堂までまっすぐ 石畳の道が伸びている。四国最古の梵鐘というのがあり、この鐘にまつわる伝説がいくつかあるそうだ。鐘楼には白い文字で「かねがものいうた 國分のかねが もとの國分へいぬというた」と書かれている。この鐘をお城に持っていったら、寺に帰りたいとしゃべった、という話。「お金がものを言う」といったような嫌な話ではなかった。
■国分駅から西へ三駅、10分で八十場駅に到着。「やそば」と読む。なにか謂れのありそうな名前である。駅から歩いていると、地元の人と思われる道端の男性が お寺はこの先を左に曲がってもうすぐですよ、と教えてくれた。うすうす感じていたが、徳島の人と愛媛、香川あたりの人でお遍路さんに対する感覚が違うように思う。 徳島は八十八ヶ所の最初のほうなので、かなり大勢の人がお遍路に挑戦しているのを見てるからなのか、まあがんばりなさい、といった感じ。愛媛あたりまで行くと 大変な高知を乗り越えてよくここまで来たな、がんばってるな、と思っているように感じられた。今回に限らず、前回12月のときも思った。たまたまかもしれないが。香川は最後のほうなので、ここまでたどり着く人自体が 少ないのだと思う。道ゆく人がこちらを見てにこにこして手を振ってくれたり声をかけてくれたりする。駅から400mも歩くと79番札所の天皇寺に着く。 たいそうな名前だが、崇徳上皇を祀る白峰宮という神社にくっついている小さな境内の札所だった。神社の鳥居越しに、道端の桜が咲きみだれているのが見える。 この鳥居がめずらしい形で「三輪鳥居」と呼ばれるものらしく、全国で三箇所しかないのだそうだ。普通の鳥居の左右にやや小さい脇鳥居を組み合わせた形をしている。
■八十場駅から列車で10分ほど西へゆくと宇多津駅に到着。宇多津は愛媛方面から列車で本州へ向かうときに通る四国側の最後の駅で、 新幹線が停まる高架駅みたいに見える。駅周辺はホテルや商業施設、マンションなど、それなりに建物が多く、賑わいが感じられる。駅から町中を抜けて東へ向かって歩くこと1.5kmほどで、 今回最後の巡拝となる78番札所の郷照寺に到着。町を見下ろす高台にある寺で、境内からは瀬戸大橋も見える。風が吹き抜ける境内でお参りを済ませ、 納経所で朱印をいただく。冬の雨上がりのような空気で、空は晴れているが風は冷たい。歩いて駅まで戻る。 今回は阿波(徳島県)の札所11寺、讃岐(香川県)の札所10寺をまわり、巡拝済みは1〜11番、24〜80番。残すところあと20寺となった。 残りの数こそずいぶん少なくなったが、徳島の難所である焼山寺や太龍寺がまだ残っていることもあり、八十八箇所全て回り終えるのはもう少しかかりそうだ。
■宇多津から一駅東へ戻り、坂出から快速マリンライナーで瀬戸大橋を渡る。瀬戸内海はいつ見てもきれいだ。次に四国へ来ることができるのはいつになるだろうか。 岡山から新幹線で三時間、品川に到着し、総武線の快速に乗り換える。
No.1744 2013-4-02
遍路道の猫
遍路道の猫。

十楽寺
四国八十八ヶ所霊場第7番札所 十楽寺。

是より三三三段
是より三三三段。

切幡寺の門前町
切幡寺の門前町。

吉野川の潜水橋
吉野川の潜水橋。

■3日目はあいにくの雨予報だったが、出発時はまだ降っていなかった。前日も利用した板野駅からスタート。 4番札所の大日寺を目指す。駅のまん前の道から讃岐街道に入り、踏切と川を越えてしばらくの間、西へ向かって歩く。 街道は昔からの形を残しているようで、ぐにゃぐにゃとカーブが連続する。道の両側には古い家屋と新しい家屋が混在している。人の気配は少ない。 ほんの短い区間、未舗装の昔ながらの遍路道が残っていて、そこを歩く。歩き始めて2.5kmほどで「四国三番奥の院 愛染院」という寺院まで来る。 そこの前の道の上、桜の木の下に白黒の猫が一匹、ぽつんと座ってこちらを向いていた。近づくと警戒するが、遠くまでは逃げずにこちらと一定の距離をとる。 にゃにゃと声を出していたのでこちらも声をかけてみると、返事が返ってくる。少しの間、話をしてからさようなら元気でなと言って再び歩きだした。
■徳島工業短期大学を過ぎると人家もほとんどなくなり、山の空気が濃くなってくる。左手に見えていた徳島自動車道も徐々に遠ざかり、 ゆるやかな登り坂の奥へと進んでいく。しっかり舗装され、幅もある道だった。板野駅から歩くこと5kmほどで4番の大日寺に到着。 四国八十八ヶ所霊場には「大日寺」というのがこの4番札所の他に13番、28番にもある。大日如来から来ている名前なのだと思う。 他にも国分寺というのが15番、29番、59番、80番にあって、これは聖武天皇の時代に、阿波、土佐、伊予、讃岐それぞれの国に建立されたものだろう。 で、大日寺である。山間に建つこの寺は杉の林に囲まれた静かなロケーションにあって、門から本堂まで一直線の配置で、細長い境内になっている。 本堂の前にはやや小ぶりな桜の木が一本。納経を済ませた頃、入れちがいに団体バスの客がぞろぞろ入ってきた。猫が一匹、ベンチに座っていたので その横に腰掛けてみたら、逃げるどころかこちらの膝に乗ってきてかわいかった。
■時折、ぽつりぽつりと雨粒が落ちてくるが、傘をさすほどでもなかった。来た道を少し戻る。左へゆくとさっき歩いてきた道なので右へ。 ほぼ真南の方向に向かう。徳島自動車道をくぐり、古い家屋が並ぶ狭い道を歩いてゆくと、5番札所の地蔵寺に到着。 4番大日寺からは2km程度なので、わりと近い。奥の院には五百羅漢がずらりと並ぶ。このあたりの地名は「羅漢」である。 砂利敷きの境内ではおばちゃんが二人ほど掃除をしていた。立派なイチョウの木が一本あって、 樹齢は800年以上なのだそうだ。お参りして納経所へ。さっき掃除していたおばちゃん二人が朱印を押してくれた。 「今日はどこまで行くの?」と聞かれたので、10番の切幡寺まで行こうと思っていることを伝えると「ご苦労さまだね。じゃあ10番に着くのはだいたい2時半くらいかな」 と言われた。自分の予定もだいたいそれくらいを考えていたので、ぴったりだった。雨がぽつぽつと落ちてきた。なんとか小雨で持ちこたえてくれと思いながら 次の札所へ向けて歩き出す。
■雨はほどなくして上がったが、この後も時折少し降ったりやんだりを繰り返した。交通量の多い撫養街道の一本北にある旧道を西へ西へと進む。 春の四国はどこへ行っても桜と菜の花と堆肥のにおいである。地蔵寺から約5kmで6番札所の安楽寺に到着。 あちこちに撮影に関する注意書きが貼られていた。「HP掲載用の写真撮影お断り」とか「商用写真撮影禁止」とかそういう内容。 なんだか口うるさい感じの寺なのかなと思ったが、お参りをしてから納経所に行った感じでは、とりたてて嫌な印象もなかった。 門やお堂、塔は金ぴかに塗られた箇所がけっこうあって、やや派手目な札所に感じた。少々足の痛みを感じていたので、ベンチに座り靴も脱いで休憩。 足の爪がちょっとへんな風になっていたが、四国を歩くとだいたいそういうことになるのでもう慣れた。
■安楽寺からほんの1kmほどで7番札所の十楽寺。安楽寺とよく似た門だった。小田急江ノ島駅みたいな、竜宮所みたいな形である。 コンパクトな境内に本堂、大師堂が建っている。「治眼疾目救済地蔵尊」というのがあって、眼病の治療に霊験があるという。 物心ついてからずっと眼鏡の生活なので、あやかりたいものである。一度でいいから裸眼で視力1.0くらいの視界を体験してみたいが、 レーシックというやつはやりたくない。それはそれとして、納経所の人は感じがよかった。いまの時季は桜がきれいでしょう、 とかそういうちょっとした話をした。納経所が入ってる建物が宿坊になっていて、大きく立派だった。100人まで宿泊できるらしい。人もまばらで落ち着いて参拝できた。 徳島自動車道を右手に見ながら再び西へと歩く。このあたりではよく「たらいうどん」と書かれた看板を見かけた。名前から察するとおそらく、 たらいに入ったうどんなのではないかと思うが、それはものすごい量なのではないか。普通のサイズのがいいと思う。
■8番札所の熊谷寺までは約4kmの道のりだった。朝早くから歩き出したが、すでに昼近くなっていた。 大きく立派な木造の門の前でアマチュアカメラマンみたいな人に写真を撮られた。お遍路さんが桜の木の下を歩いて門に入るところを撮りたいとのことで声をかけられたので、 はつかしかったがまあいいかと思って応じた。モデルデビューである。少し話をしたが、歩きのお遍路さんがぜんぜん通らないから、ようやく撮れたよ、というようなことを言っていた。 やはりみんな車で来て直接駐車場から境内に入ってしまうみたいだ。それにしても見事な桜と門である。写真を撮りたくなる気持ちがわかる。 スピーカーからお経みたいな詠歌が大きな音量で流れる境内を奥へ。多宝塔がある。参拝を済ませて納経所へ。小さいが新しい建物のようだ。 そこそこ高齢の歩き遍路の人に話しかけられた。お金がないから野宿をしながら歩いている、と言っていた。若い人とちがって時間はたっぷりあるからのんびり行く、とも。
■まさに「のどかな田園地帯」という形容がぴったりくる風景が広がる農道を歩く。南へ歩くこと約2.5km、遠くの山並みの手前、畑の中に木々に囲まれた一角が見えてくると 9番札所の法輪寺に到着。熊谷寺ほどではないが、いい具合に古めかしくて端正な門が建っている。中に入ると奥の正面に本堂と大師堂が並ぶ。 このあたりでこの日いちばん雨が強くなった。さすがにそろそろまずいと思い、レインウェアを着て、バックパックにカバーをつけた。 法輪寺から1kmばかり西へ行ったあたりに小豆洗大師という小さなお堂があった。弘法大師が小豆がゆを炊こうとしたが水がなかったので、 杖でここにあった楠の根元を掘ったら清水がわいてきたらしい。ここに限らず、弘法大師にはこの手の「水が出た」系の伝承がとても多い。 おそらく当時の治水や井戸の技術者でもあったんじゃないかと思う。比較的雨の少ない四国では水がとても重要だっただろうから、 そういうありがたい技術も信仰を集めた理由の一つなのかなと考えたりした。
■朝から歩き通しで、午後になってくるとさすがに心身ともに疲労を感じる。法輪寺から4.5kmほど歩くと10番の切幡寺に到着。 寺の手前には小ぶりな民宿などが建ち並ぶ門前町らしい風情の通りがあり、奥へ進むと門が見える。背の高い木々が茂る中を進むと長い石段が現れ、 あろうことか「是より三三三段」などと書いてある。ようやく歩いて着いてからの長い石段はさすがに一瞬くらっとするが、仕方がないので上る。 長い石段を登るとき、いつも金比羅さんを思い出す。金刀比羅宮の階段はたいへんだった、あれにくらべたらどうということはないと、半ば自分に言い聞かせるようにしている。 標高155mにある境内に着くと、屋根の張り出しが大きくがっしりした本堂と、その脇に小さな大師堂が並んでいる。ちょっと他の寺とは名前の感じがちがうように思い、 切幡とはなんだろうかと後から調べてみると、かつて弘法大師が、着物がほころびた僧衣を繕うためこのあたりの集落の機織の娘に継ぎ布を求めたところ、 娘は織りかけの布を切りさいて差し出した、というエピソードが由来になっているらしい。
■この日は徳島県内の札所10番まで回って終わりにしようと思っていた。ただ、このあたりまで来てしまうと、引き上げるにも鉄道が通っていないエリアなので、 とりあえずいちばん近い阿波川島駅まで少なくとも7kmほど歩かなくてはならない。10番からまっすぐ次の札所まで歩くと10kmある。 駅へ向かうか次の札所まで行くかの分かれ道が途中にあるので、そこまで歩いてみて体力の残り具合でどっちに行くか判断しようと思い、歩きはじめた。 雨も徐々に弱まり、空がいくらか明るくなってきた。しばらくのどかな畑の真ん中にある道を歩き、時おり集落の中を通る。吉野川が二手に分かれた間に挟まれた広大な中州に渡るための橋が見下ろせる高台に上がる。 橋はいわゆる潜水橋で、地域によっては沈下橋とも呼ぶ。「増水時の橋が水面下に没した際に流木や土砂が橋桁に引っかかり橋が破壊されたり、 川の水がせき止められ洪水になることを防ぐため」とウイキペディアには書いてある。「壊れても再建が簡単で費用が安いという利点もある」のだそうだ。 要するに大雨の後には橋が水面下に沈んで渡れなくなるけど、水圧や流れてくるものがぶつかるエネルギーに対して抵抗しないという、ガンジーみたいな橋である。 そんな橋を二度渡る。ガードレールもないし車一台通れるくらいの幅の橋だが、自動車がわりと普通に通行する。そのたびに歩行者は橋のぎりぎりのところで車を避けるから、落ちそうで多少不安になる。
■二つ目の橋を渡りきったところに遍路向けの休憩小屋があり、初老の男性二人が休んでいた。ここでレインウェアを脱ぐ。けっこう汗をかいていた。 二人の男性のうち一人は横浜から来て歩いていると言っていた。まだその二人はしばらく休むということなので先に出発。ちょうどこのあたりが駅か次の札所かへの分かれ道で、 切幡寺からはおよそ5.5kmのあたり。まだ時間は余裕があるし、せっかくここまで歩いたのだから、がんばって次の札所を目指すことにした。 徳島県道240号線沿いに南東に向けて進む。静かな田舎町の風景が続く。そういえば昼ごはんも食べてないな、と思いながらただただ足を動かしていた。 案外人間食べなくてもどうにかなるな、とも思った。一日の終盤の10kmはなかなか厳しいものがあったが、どうにか山の麓の11番札所、藤井寺(ふじいでら)に到着。 最後の数百メートルがきつかった。四国八十八箇所霊場のなかで「○○寺」と書いて「てら」と発音するのはたぶんここだけじゃないかと思う。お参りして納経を済ませ、 ちょっと休憩。歩いてここまで着いたはいいが、どっちにしてもまた最寄の駅までは歩かなければならない。 いちばん近い鴨島駅までは約3km。うねうねとした農道を通って町中へ。鴨島という町はわりと大きな町のようで、交通量の多い道路沿いには商業施設や飲食店が建ち並び、 駅前には商店街もあった。駅には売店があり、ベンチには老人と若者が座って列車の到着を待っていた。徳島まで30分ほどの乗車。徳島駅を出るとけっこう雨が降っていた。 駅前のホテルに戻る。この日の歩行距離は約37km。残る札所はあと23寺。
No.1743 2013-4-01
弥谷寺から曼荼羅寺への遍路道
遍路道。

出釈迦寺付近の風景
ため池とみかん直売所と桜と山。

遍路道の道標
道標。

金倉寺
四国八十八ヶ所霊場第76番札所 金倉寺。

阿波川端駅
高徳線 阿波川端駅。

■二日目は予讃線、みの駅から歩きはじめた。この無人駅の前にも見事な桜が咲いている。「みの」ってなんだと思っていたが、なんてことはない、 三野町の三野だった。駅から北東へ伸びる香川県道220号線をしばらく道なりに進む。田畑が広がるのどかな景色の中を歩く。 「讃岐缶詰」という工場を過ぎると落合という集落で、小さな川が二本合流して落ち合っている。たまに小さなうどん屋があるが、まだ朝なので開いていない。 三角形の山がぽつんぽつんと遠くに見える。徐々に人家もまばらになり、道が登り勾配になってくる。Y字路の細い道を登り切ると「道の駅 ふれあいパークみの」という施設の駐車場の脇に出る。 さらに山の方向へ歩くと、木々の茂る中に俳句茶屋というのがあった。開店前のようで人の気配はないが、貼ってあるメニューを見ると、ところてん、あめ湯、甘酒などがあるらしい。 石段を登りながら俳句を考える。季語が入らないといけない、とか字余りはどれくらいまで許容されるのか、とかそんなことをぼんやり思いながら一段ずつ登る。 みの駅から歩くこと約3.5km、71番札所の弥谷寺に到着。門をくぐるといきなり長い石段が目に入る。よいしょよいしょと登っていくと少しひらけた場所に出て、 見上げると斜面の上に多宝塔が建っているのが見える。桜の花に囲まれた弘法大師の像の前を通ってさらに石段の上へゆくと本堂がある。いつのまにか ずいぶん眺めのいいところまで来ていた。お参りを済ませて寺をあとにする。
■俳句茶屋のところまで戻り、山裾の遍路道を南東方向へ進む。小さなため池の脇を通って高松自動車道の下を抜け、しばらく進むと伊予街道に出る。 鳥坂という交差点のそばには、ため池に向かってボールを打つめずらしいゴルフ練習場があった。ため池の多い土地柄である。休憩所のある交差点から東へ。 三井之江東交差点から南東方向へ。古い家が多い集落を抜けると72番札所の曼荼羅寺に到着。71番の弥谷寺からは約4kmの道のりだった。 おそらく寺の門前町として古くから人が住んでいたのであろう集落というのは、見た瞬間に家並みや道の感じなどからなんとうなくわかる。この曼荼羅寺のあたりも そういった雰囲気が感じられる。寺の門のすぐ脇には遍路をする人が利用するのであろう旅館が建っている。境内はそれほど広いという感じではないが、 本堂の前には見事な桜が咲いている。道端には無人の柑橘類の販売所が設置されていて、みかんのような果実がいくつか入った袋がたくさん置いてあって、 100円とか150円と書かれている。お金を入れる箱が置かれている。
■勾配がややきつい坂道を山の方向に登ってゆくとまもなく73番の出釈迦寺に着く。72番と73番の札所の間はたったの500mほどしかなかった。 門の前でふり返ると眺めがよく、ため池越しにこれから向かう善通寺市の市街地がかすんで見える。陸上競技場かなにかも見える。 遠くには金刀比羅宮のある象頭山も見える。門から山裾の小さな境内に入ると、本堂、大師堂、庫裏等が並ぶ。バスツアーの騒がしい参拝客もおらず、 静かなので落ち着く。納経を済ませて寺を後にし、坂道を下る。道端の、名前のわからない大きめの柑橘類が入った袋を一つ買ってみた。100円を箱に入れる。 あとで食べてみたら甘くて香りもよく、みずみずしくておいしかった。細い路地を抜けて平地まで下り切ると香川県道48号線に出る。道なりにしばらく東へと歩く。 歩道が整備されていない区間が長く、大型の車両もスピードを出してばんばん走るような道なので緊張する。県道から一本外れた道に入ると歩きやすくなる。 小麦の畑が多い。雨の少ない土地ならではの作物である。
■出釈迦寺からおよそ2.5km歩き、川沿いにある74番札所の甲山寺に到着。寺の前の川はなぜか水が流れておらず、川底には黄色い菜の花が一面に咲き誇っていた。 寺の門や塀はわりと新しく造り直したもののようで、きれいだった。この寺が他とは少し雰囲気が違うのは、背後に工場が見えていることで、建設会社の砂利採取工場のようだ。 お堂や鐘楼、納経所などが境内の端に寄っているので、広さはそれほどでもないわりにがらんとした印象を受ける。弘法大師は幼少の頃、この寺のあるあたりで遊んでいたのだそうだ。 寺を出て善通寺市の中心部に向かう。南へしばらく歩き、看護学校の前を通る。洋品店や酒屋、化粧品店など、昔ながらの店が建ち並ぶ細い道を抜けると75番札所の善通寺の門の前に出た。 74番甲山寺からは1.5kmほどだった。この寺には2010年の12月に一度訪れている。急に雨が降り出したことや、本堂の前に一匹の猫がいたことを思い出す。見事な五重塔があり、一つ一つの建物が大きい。 広々とした境内で、参拝客も多い。さすがに弘法大師生誕の地である。あのときの猫はいないかなときょろきょろしながら歩く。参拝だけして納経はせずに赤門から寺を後にする。 正面には門前の商店街が見えているが、シャッターが閉じられている店舗もけっこうある。
■北西方向へ大きな通りを歩き、左手にそれてゆく小道に入って土讃線の線路の下をくぐる。他に食べられそうな店がなかったのでやむなく伊予街道沿いの全国チェーンの店で適当に昼食。 北に向かうと高松自動車道の善通寺インターチェンジの高架の下を通る。細いわりには見通しのよいまっすぐ伸びる道を突き当たりまでゆくと、76番札所の金倉寺に着く。 75番善通寺からは4kmほど。このあたりの町の名前は「金蔵寺町」で、駅の名前も「金蔵寺駅」だが、寺の名前だけ「金倉寺」で、倉の字が違っている。いずれにせよ、倉に金目のものが入ってそうな名前だが、 昔の地名が「金倉郷」だったらしいから、倉のほうが古い。境内に入ると大きな楠が目に入る。門の前には見事な花を咲かせた桜の木があり、花がひらひらと舞い落ちる様はとても美しい。 大屋根の堂々たる本堂が中央に建ち、住宅街の中にあって大きな通りからも離れているので、静かで明るい印象。休憩所と大きく書かれた建物があるので、納経の後、 中に入って休みながらこの後の計画を考えた。寺を後にして門の前の通りを西へ。大きな交差点を過ぎると金蔵寺駅に到着。ちょうど列車が来たので乗車。
■このまま香川県内の札所を回って行こうかと最初は思っていたが、やはり先に札所の番号の若い徳島県の寺を回ってこようと考えを変えた。土讃線で坂出まで行き、 快速マリンライナーに乗り換えて高松まで。高徳線の特急うずしおに乗車。たったの二両なのに、座席はわりと空いている。50分ほどの乗車で板野駅に到着し、下車。 特急が停まる駅だけあって、駅前にはタクシーが数台止まっていた。古い静かな住宅街を北へ700mほど歩くと3番札所の金泉寺に到着。 ここから3番、2番、1番と逆打ちで回ることにした。あざやかな朱に塗られた大きな門をくぐる。弘法大師が水不足解消のため井戸を掘り、黄金井の霊水が湧き出したことから金泉寺という名前になったのだそうだ。 源平合戦の時、源義経が屋島に向う前にこの寺に立ち寄って戦勝の祈願をしたと「源平盛衰記」に記されている。立派な門、本堂、大師堂、観音堂がある。 金泉寺から東へ向かう。徳島県道12号となっている撫養街道まで出て高松自動車道の板野インターチェンジの下を地下道でくぐる。 交通量が多い道をしばらく歩くと、阿波川端という無人駅があった。この駅の脇の桜がまた見事で、しばらく眺めた。阿波川端駅を過ぎると間もなく板野町から鳴門市に入る。
■引き続き撫養街道を東へ歩き、道がカーブして、いままで道と平行だった高徳線の線路と離れてゆく。カーブの途中にある「二番札所前」というバス停のある交差点を左に曲がると2番札所の極楽寺。 3番金泉寺からは約3km。この寺の門もきれいに色がぬられている。入るとすぐ、灰色の猫が境内を横切っていった。バスの団体客が来ていて騒がしい。どうしておばさんというのは 集まると静かにしていられないのかと思う。広い境内をぐるっと歩いて本堂、大師堂。納経を済ませて1番の札所まではほんの1km強。一つ川を越え、少し歩いて霊山寺に到着。 1番札所だからといって特別な感じは特にないが、寺の周辺には遍路用品を扱う店がけっこうあり、遍路の出発地点であることを感じさせる。普通はみなここで色々買い揃えるのだろうが、 自分の場合、納経帳は24番の最御崎寺、白衣と納札は29番国分寺、杖は52番太山寺で、という具合にばらばらに買った。それはそれとして、霊山寺の門は鮮やかな色ではなく、 古めかしいたたずまいで、こぢんまりとした境内に入るとまん中には池がある。この日最後の巡拝を終えて寺を後にし、南へ800mほど歩くと板東駅に到着。 寺から駅までの間には古くからあると思われる民宿が数軒あった。界隈には病院や消防署、小学校、幼稚園、郵便局などがあり、ちょっとした町になっている。 板東から高徳線の普通列車に乗り、25分ほどで徳島駅に到着。下車して徳島駅前のホテルへ。この日は22kmほどしか歩いてないが、9つの札所を回り、 善通寺以外の8つの札所で納経をすることができた。残す札所は31寺。
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