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No.1733 2013-1-27
茜浜からの富士山
茜浜からの富士山。

■自転車で茜浜へ。天気は良かったが、海辺に猫達の姿はなかった。富士山はよく見えた。寒い季節に体を動かすのは気分がいい。 帰りに、京成線の踏切で停まって、こぎだすときに力を入れたら腰がちょっと痛くなった。もう若くないなと思う。
■ところで、この年明けから、学校のようなところに通っている。半年間だけだが、十数年振りにあらためて建築の勉強をしているのだった。 この年になって学ぶ場と機会を得られたことは幸運なことだし、今になってようやく、学ぶことの意味や価値を感じることができるようになったと思う。
No.1732 2013-1-15
亀田八幡宮
亀田八幡宮。

旧函館師範学校
旧函館師範学校。

■朝から快晴で、外を見ると地面の雪が光ってまぶしい。前夜の羽田行きの便が欠航になってしまい、思いがけずもう一日函館に滞在することになった。 ニュースでは前日の東京の、雪による混乱の様子。何人転んだとか怪我したとか大騒ぎだ。北国の者たちはこういうニュースを冷ややかに見ている。 この雪のせいで我々は前夜、羽田に飛べなかったわけである。夜まで時間があるので、天気もいいし外へぶらぶらと出た。宮前町あたりを歩いて八幡町まで。 亀田八幡宮があるから八幡町で、八幡宮の前にあるから宮前町である。亀田八幡宮は毎年、初詣には函館市内で二番目に多くの参拝客が集まるのだそうだ。 一番多いのはやはり函館八幡宮だろうか。ここは北海道の神社にしては歴史がけっこうあって、明徳元年越前国敦賀郡気比神宮から八幡大神の御分霊を奉遷したのが興りとされているから、 これが本当だとすれば1390年あたりに創建されたことになる。日本海航路で北海道南部と福井県を含む日本海沿岸地域の交流はかなり古くからあったことがわかっているから、 あながち嘘でもないのだろう。祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)で、本殿は1603年、神輿殿は1863年、鳥居は1847年に建てられている。本殿は流権現造で、 同じ造りの神社は、有名なところでは鎌倉の鶴岡八幡宮の本宮などがある。
■亀田八幡宮といえば子供の頃毎年、ここで行われていた祭に来ていた。祭といっても覚えているのは、屋台のやきとりが最初50円だったのに年々値上げして 60円、70円となっていって残念に思ったことくらいで、いま改めて神社の境内を歩いてみると、しっかりした境内を持ち、いくつかの末社も揃ったなかなか立派な神社である。 近くにある北海道教育大学函館校のキャンパスの中を歩き、一番奥の隅っこにある旧函館師範学校校舎を見にゆく。以前一度訪れたことがあったが、 今回は雪が積もっていて、建物はまた違った表情を見せてくれる。1914年に建てられたこの建物は国指定の登録有形文化財となっている。歩いて実家まで戻る途中、 ロールケーキの専門店というのがあったのでちょっと立ち寄ってみた。小さな店で、商品の値段を見るとそれほど安くはないが、客が数人来ていた。一度実家に戻り、 夕方近くに五稜郭方面まで歩いてみた。晴れているが空気がとても冷たく、歩いても体があまりあたたかくならない。行啓通りや本町の飲み屋街などをぐるっと歩いた。 夜、空港へ。羽田行きの便はちゃんと飛んだ。いつもなら羽田からは津田沼行きのリムジンバスで帰るのだけど、いまだに雪の影響で高速道路が閉鎖されているんで、 バスは運休だった。京急から都営浅草線を経由して京成線に乗り入れる電車でまっすぐ京成津田沼まで帰ることができた。
No.1731 2013-1-14
豊川町会館
豊川町会館。

北海道第一歩の地碑
北海道第一歩の地碑。

入舟町の猫
入舟町の猫。

■昼から市電に乗って出かけた。時おり雪がちらつく曇天。魚市場通の電停で降り、豊川町から歩き出す。豊川稲荷神社があるのは商売の盛んだった土地だからなのだろう。 そのすぐそばに豊川町会館が建っている。古い赤レンガ造の明治館などがある観光エリアと道路を挟んで隣接した場所に建つその建物は現在、 町会館と豊川稲荷神社の社務所として使用されている。この建物についての詳しいデータはよくわかっていないが、あたり一帯は昭和9年の大火で一面焼失したエリアなので、 この建物も大火以降に建てられたと見て間違いないだろう。特に印象的なのは豊川広路に面する角についた塔の部分である。火の見櫓的な役割としてなのか、 あるいは海の様子を見渡せるようにという意味でつくられたのか、そのへんは定かではないが、他の函館の建築にはあまり見られないタイプの建物である。 近寄ってみると、壁面にはゼセッション・スタイルというかアールデコ風というか、そういったタイプの装飾がある。丸窓や緑色の屋根などによって、かわいらしい感じさえある こぢんまりとした庶民的な建築で、わざわざ見にいくほどのものではないかもしれないが、このあたりを通ったときにはちょっと気にかけてもらえたらいいなと思うような、そんな建物だ。
■歩いてベイエリアと呼ばれる方面へ。金森倉庫の前を通って旧桟橋のところまで行くと白くて大きなオブジェがある。「北海道第一歩の地碑」というやつで、 昭和43年に設置されたもの。明治維新後、本州から渡ってきた人達が北海道へ上陸する際にまずここにその第一歩を記した場所、という意味のもののようだ。 熊と錨がモチーフになっている。この碑を見る観光客というのはほとんど目にしたことがない。今や旅行で北海道を訪れる人のおそらく90%以上が航空機を利用するだろうから、 現代の北海道の一歩目は空港ということになるのだろうが、「北海道第一歩」という言葉に、開拓者として海をこえて来た先人達の希望や不安や覚悟みたいなものを想像せずにはいられない。 この碑を設計したのは函館出身の明石信道という建築家で、函館駅前に建つ棒二森屋百貨店の設計者である。電車通りを北西にしばらく歩き、市電の終点である「どっく前」の停留所のさらに奥、 入舟漁港まで。入舟町会館そばの五叉路の近くに猫が数匹いた。とても人なつこい猫で、小さな声でにゃにゃとなきながら駆け寄ってきた。雪の上を歩く彼らは足が冷たくならないのかと心配になる。 北国の猫はたくましい。
■実家に戻り、早めの夕食をとって空港へ向かおうと思っていたが、夕方のニュースで関東地方がかなりの大雪に見舞われていると知る。ほどなくして、 羽田空港の滑走路が積雪で使用できないというんで、函館発の羽田便の欠航が決まった。帰れなくなってしまったので、やむなく実家にもう一泊するのはいいとして、 何度も航空便を利用してきて欠航というのは今まで経験がなかったので、既に購入済みの航空券がどのような扱いになるのかわからず、 問い合わせようと電話してみたが一向につながらなかった。こういう状況だから問い合わせが殺到しているのだろうことは容易に想像がつく。 らちがあかないと思い、いっそのこと空港まで直接行ってみることにした。循環路線のバスに乗り空港へ。空港カウンターは今頃混乱しているのではないか、 と危惧していたが行ってみたらがらんとしていて、静かなものだった。翌日便への振り替えという話になったが、朝と午後の便は既に埋まり、夜の便のみ席が用意できるとのことだったので、 JR利用のほうが早く帰れるのではないかと一瞬考えたが、どうせ一日休むことになるならちょっとくらい早く帰れたからといってどうにもならないので、素直に翌日の夜の便に乗ることにした。
■バスで湯の川温泉まで行き、少し歩いて湯の川の停留所から市電に乗って帰った。この日は成人式があったようで、成人を迎えた若者達が町中に少しばかりいた。夜の市電は空いていた。 実家に戻ると、ダイオウイカを世界で初めて撮影したという番組がテレビでやってたのでぼんやり見ていた。深海というのはおそろしい。 ダイオウイカをおびき寄せるためのエサがでかいイカだったのがちょっとおもしろかった。
No.1730 2013-1-13
護国神社
護国神社。

函館市公民館
函館市公民館。

三つの教会
三つの教会。

市電通り
市電通り。

■せっかくの連休なので、函館の実家に滞在。夕方近くなってから市内をぶらぶら歩く。小さな頃に親に連れられて来たことのある中島廉売という 商店街の一角を通った。廃業して錆びたシャッターが下りている店舗が多い。堀川町の電停から市電に乗って宝来町まで行き、雪に埋もれた函館公園の中を歩く。 ベンチとそのまわりだけ除雪されていた。博物館や旧図書館の建物を見てから山裾の道を元町方面へ。護国神社のそばにある函館市公民館の建物を見る。 いつも立ち寄ろうと思ってて忘れていたこの公民館は坂の途中にあり、この界隈にある旧公会堂やいくつかある教会ほどの派手さはないが、 落ち着いたいい建物である。昭和8年竣工のこの建物は地上二階、地下一階で、300人以上収容できる講堂のほか、いくつかの集会室があって、 今も小さなコンサートや講座などに使われている。白亜のシンメトリーの外観で、建設当初は函館市青年館という建物だったそうだ。シンプルなフォームだが、 近づいてみると細部の装飾や建具周り、ステンドグラスなどにあたたかみのあるデザインが施されている。 二年ほど前に、市による耐震診断がなされたそうだが、多少の部材の補修等は必要があるものの、まだまだ安全基準は満たしているという結果が出たそうで、 しばらく建替や取り壊しといったことはないと思われる。こういった貴重な建築物は一つでも多く後世に残してほしいと願う。
■すぐ近くには函館山の山頂まで運んでくれるロープウェイの乗り場があり、多くの観光客でにぎわっていた。ちょうど日が暮れた時間で、 夜景を見るにはいい時間だ。震災、原発事故以降減った東アジアからの観光客もいまはずいぶん戻ってきたようで、元町あたりでは日本語以外の言語が飛び交っている。 元町配水場の横から聖ヨハネ教会、カトリック函館教会、ハリストス正教会あたりを歩き、八幡坂を下りた。坂道は木々の電飾などでライトアップされていたが、 坂の先に海が見えるこの八幡坂に関して言えば、昼の景色のほうがいいと思う。末広町の電停から市電に乗る。待っている間、道を大きな除雪車が走っていった。
No.1729 2013-1-12
■早朝の電車で羽田空港へ。三連休初日の函館行きの便は3列+3列のやや小さめの飛行機だった。 離陸まで少し時間がかかったが、ほぼ定刻通りに函館空港に到着。曇り空で、雪が積もっている。市街地中心部方面へ行く循環バスに乗車し、 湯川、戸倉、市民会館、競馬場のあたりを経由して五稜郭で降車。実家に着いて、送っておいた礼服に着替え、タクシーで昭和にある葬儀場へ。 ふと車外を見ると雪が強く降ってきた。父の一周忌法要のため、親族が集まった。滞りなく終わり、叔父の車で実家まで送ってもらった。 もうあれから一年経ったのだなと思う。夜は地元の友人と少し飲酒をしながら話をしていた。友人の父は病を患い、年末年始も大変だったらしい。 私くらいの年代になると、親のそういう話も増えてくる。
No.1728 2013-1-01
■今年の正月は実家に帰省せず、自宅でゆっくり過ごした。年末年始に帰省しないのはいつ以来だったか思い出せない。 この「津田沼ノート」の過去の記録を見る限り、少なくとも2007年からずっと、正月は実家で過ごしていることがわかった。 大晦日の紅白歌合戦はラジオで聞いていた。千葉は元日から天気が良い。天皇杯は柏レイソルが優勝。 以前に比べると正月らしさというものはずいぶん薄らいできた感があるが、それでも新年の、年があらたまったすがすがしさや町の穏やかさはいいものだ。 今年は年賀欠礼のはがきを出しておいたので、年賀状は友人から1通来たのみだった。
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