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No.2002 2015-12-31
諏訪大社 下社春宮

万治の石仏

薪と正月飾り

片倉館内部

終夜運転

■朝食の前に温泉に浸かる。夜の暗い中入るのもいいが、明るいときに入る露天風呂は気分がいい。 朝食を食べた後、ホテルをチェックアウト。二日続けて好天に恵まれたが、空気は冷え込んでいる。 諏訪湖畔を歩いて上諏訪駅へ。途中、一軒の商店のガラス戸の中に猫が一匹いて、日の光を浴びていた。 JRで上諏訪駅から一つ隣の下諏訪駅へ。ほんの4、5分で着く。駅の跨線橋のガラス窓から富士山が見える。 下諏訪の駅前は上諏訪駅に比べてやや田舎感があり、活気があるとは言い難いが、地図でこのエリアを見ると、 他の地方と同様に駅から遠いところにある大きな道路沿いに大型商業施設が多数あるようだ。 このあたりでも地域の人々の生活や娯楽の中心は、駐車場が広くて車で行きやすい郊外なのだろう。 都市部に住んでると日本というのは鉄道中心文化だと勘違いしがちだが、日本のほとんどの地域は車文化である。
■下諏訪駅から歩いて諏訪大社下社春宮へ向かう。 諏訪大社は全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社で、諏訪湖周辺に四つの境内を持つ。 四つのうち以前行った上社本宮と、まだ行ってない上社前宮は茅野駅の西側、 諏訪湖から見て南東側にあり、今回訪問する下社春宮と前回行った下社秋宮は下諏訪駅の近く、諏訪湖から見て北側にある。 行政の区分で言うと上社本宮の所在地は諏訪市、上社前宮は茅野市、下社春宮と秋宮は下諏訪町となっている。
駅から住宅街の道を歩くことおよそ1.5km、諏訪大社下社春宮に到着。町はずれのちょっとした森の中にある。 神社のある一帯は下諏訪の中心地で、近世には中山道・甲州街道の宿場町として下諏訪宿も設けられた場所である。
■いくつかある建物のうち拝殿と神楽殿、正面参道の公道上にある下馬橋の三つが国の重要文化財に指定されている。 「諏訪大社下社春宮」って、そもそも上社・下社、春宮とか秋宮っていうのは何なのか。 まず「上社・下社」とあるが社格に序列はない。毎年2月〜7月の間、祭神が祀られているのが春宮で、8月〜1月の間に祀られているのが秋宮。 なので12月、春宮は神様が留守である。四つに共通しているのは、他の神社で見られるような本殿と呼ばれる建物がないことで、 奈良の大神神社と同じように古代の神社の形式が残っている。春宮はスギ、秋宮はイチイの古木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝している。 拝殿は屋根の形がシャープで端正で格好がいい。壁面などに細かい彫刻が施されている。「筒粥殿」という聞きなれない小さな建物があり、 そこでは筒粥神事というものが行われる。「葦筒を釜で一晩かけて炊き上げ、筒の中の状態でその年の農作物の収穫などを占う神事」だそうだが、 いまいちよくわからない。真冬に一晩かけてやるというんで、寒そうである。
■春宮の近くに万治の石仏というのがある。江戸時代の万治3年(1660年)と刻まれているのでそう呼ばれる。 一見、シンプルで素朴な、一見すると稚拙とも思えるような造形の、石でできたユニークな仏様である。顔の大きさに比べて体がずいぶん大きく、 アンバランスな印象を受ける。伝説によると、春宮に石の大鳥居を造る為にこの石仏を材料にしようとノミを入れたところ、 傷口から血が出てきたため職人達は祟りを恐れた。その晩に職人達が上原山に良い石材があるという夢を見て、 その山に行き探したところ夢に出てきた石を見つけることができ、職人達はこの石仏を阿弥陀如来として祀ったのだという。 それに因んでこの辺りの地名は石仏となっている。そのときのノミ跡が今も残っている。岡本太郎が「こんな面白いもの見たことがない」と評したらしい。
下諏訪観光協会・下諏訪商工会議所が提唱する万治の石仏の参拝方法が、
一、正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる。
二、石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する。
三、正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼する。
という奇妙なものとなっている。たぶん由来などないのではないかと思うがわからない。近所の者らしき初老の婦人が 一所懸命これをやってた。節分の恵方巻きみたいに、こうやって「作られた伝統」が後々それらしい由来がつけられて伝承されていくのかなと思う。
■駅の方向へと歩く。春宮正面の参道を南へ行くとまず道路の真ん中に下馬橋がある。木造の屋根付きの橋で、入口と出口が塞がれている。 祭りのときの神輿しか通れないらしい。またしばらく歩くと大きな鳥居が道を跨いで立っている。 スーパーマーケットの西友があり、年末の買出しのせいなのかとても混雑しているようだった。 下諏訪駅まで500メートルほどの場所に道路より一段高くした四角い土地があり、その真ん中に石碑が建っている。幕末、 偽官軍の汚名を着せられ非業の死を遂げた相楽総三隊長ら赤報隊士が祀られている。幕末ファンが世間にはけっこういるので、 そういう人が来るのかもしれぬ。私は幕末の歴史についてあまりよくわかっていない。色々な土地を巡ってきて、歴史を知っていたらもっと楽しめるだろうなと思うことは今までも少なからずあった。 駅のある通りをいったん通り過ぎて進んでいくとセブンイレブンの斜め向かいに「食祭館」という施設があり、駐車場には観光バスが停まっている。 「アルクマ」という長野のキャラクターで、りんごを被ったかわいらしいクマのグッズが色々売られていた。suicaのペンギンやチーバくんなどはなかなかよいデザインと思うが、 アルクマくんもなかなかいい。長野の土産物がたくさん置いてあって、なかなか賑わっている。わかさぎの佃煮や野沢菜こんぶ、手長海老煎餅などがおいしそうだった。 セブンイレブンにも立ち寄ったが、このあたりは店も少ないようで大変混雑していた。
■列車で再び上諏訪駅へ戻った。時間があったので前日も行った片倉館へ。入浴しなくても中には入れると知り、靴を脱いで建物内へ。 クラシカルな内装がそのまま残っており、建具や照明、階段の装飾など細かいところまで手間がかかっている美しい建物である。二階は休憩室で、 瀟洒な装飾の施された柱が印象的だ。二階からは諏訪湖側に設けられたテラスに出ることができる。いい眺めで気分が良い。 諏訪湖も片倉館の建物もテラスから見ると、地面に立って見たときとはまた趣きが違う。上諏訪駅前から帰りのバスに乗車。 途中、双葉サービスエリアで休憩。ほぼ定刻通りに新宿到着。大晦日でも関係なく新宿は人の往来が激しい。電車はそれほど混んでなかった。 日付が変わるころに近くの神社へ行った。
■大晦日から元日にかけての終夜運転の電車の雰囲気はどういうものなのだろうと前から気になっていたので乗りに行ってみた。 津田沼から千葉まで行って帰ってきた。この界隈では総武線の各駅停車と、明け方の総武本線銚子行き、外房線の勝浦経由千倉行き、成田線の成田行きの列車が運行しているようだ。 初日の出を見る人や成田山詣の需要のためであろう。総武線の快速は運行していなかった。総武線各駅停車は思ったより人が乗っていて、遅くまで飲んできた人がたまたままだ電車走ってたから利用した、 みたいな感じの人が多かったように見えた。普段見ることのない深夜の駅は人が少ないけど煌々と灯りがついていて、シーンとしていて不思議な雰囲気だった。寒かった。
No.2001 2015-12-30
片倉館

諏訪湖

諏訪高島城

富士山

諏訪湖の夕景

■新宿から高速バスに乗った。とてもいい天気だ。年末休みなので渋滞を懸念していたが、ぜんぜん大丈夫だった。 鉄道に比べると高速道路は両側が壁で隔てられているところがほとんどなのであまり景色が楽しめない。 他の車のナンバーを見ていた。遠く九州の宮崎や熊本ナンバーも見かけた。途中、山梨の甲斐市にある双葉サービスエリアで休憩。 ちょうど富士山の頂上付近が雲の上に出ている。諏訪インターチェンジから一般道に下りる。高速道路はまったく混まなかったが、 一般道に下りてからのほうが道が混んでた。バスは岡谷まで行くが、上諏訪駅前で下車。ほぼ定刻通り、新宿からちょうど3時間かかった。 上諏訪駅にタリーズコーヒーができていた。とりあえず昼時だったので食事でもと思って辺りを探したのだけど、年末だからなのか普段からそうなのかわからないが、 店がぜんぜんやってない。一軒だけ営業中の蕎麦店があったので入ってみたら意外とと混んでいる。地元の人らしき客が多い。 それほど安くはないが冷たい蕎麦を注文し食べたらとてもおいしかった。そういえばここは長野だった。おいしいはずである。
■諏訪に来るのはこれで二度目。2007年の2月に諏訪大社の上社本宮と下社秋宮へ行った。 そのときの諏訪の人たちがみな親切だったので、よい印象を持っている。今回はまず駅から近い場所にある片倉館という建物まで歩いていってみる。 片倉館は浴場棟と会館棟の二つの建物から成る。国の重要文化財となっている。浴場棟は鉄筋コンクリート造で会館棟は一部鉄筋コンクリート造の木造。 1928年に竣工した洋風建築で、ゴシック風の装飾があり、正面の塔が特徴的な美しい建物である。 絹製品で財を成した片倉財閥が地域住民に厚生と社交の場を供するために建てたのだという。今の金持ちにも聞かせてやりたい話である。 浴場棟には「千人風呂」があり、一度に大勢の人が入浴できるという。地元の人がぶらっと来ているような感じ。観光客も来ている。 公衆浴場の建築が重要文化財になっている例はめずらしい。他には道後温泉本館くらいだろうか。正面の庭は円形の噴水があり、 通り道として買い物帰りのおばさんが通っていく。テルマエロマエという映画がここの千人風呂で撮影されたらしい。いつかまた来たときに入浴してみたい。
■片倉館の裏手がすぐ諏訪湖のほとりで、湖岸は公園として整備されている。彫刻やオブジェが点々とあり、沖合いに小さな島と神社が見える。 諏訪湖の標高は759mで、東京タワーよりもスカイツリーよりも高い。そんな高い場所に湖があるのが不思議である。 遊覧船も運航しているようだ。近くに見える山並みの向こうに白く輝くさらに高い北アルプスの山並みが青空に映える。山は美しいなと思う。 湖岸をしばらく散策し、諏訪湖から少し離れて内陸の南側へ。道端に唐突に「東洋バルヴ創業の地」という石碑がある。 四角い御影石に水道管のバルブがモチーフのレリーフが施してあった。小さな川にかかる橋の脇に温泉がちょろちょろ出ているスポットがあり、 源泉からポンプでくみ上げているようで、硫黄っぽい匂いがするし、湯にさわるとしっかりと熱い。そういえば諏訪の町の家々には何かタンクのようなものが 設置されているのをよく見かける。あれはおそらく自宅で温泉を利用するための設備ではないかと思う。家で温泉の湯に浸かることができるなんてうらやましい。
■諏訪高島城という小さな城が見えてくる。かつては諏訪湖に突き出した水城で「諏訪の浮城(すわのうきしろ)」と呼ばれていたが、江戸時代初めに諏訪湖の干拓が行われ、 水城ではなくなってしまったが、葛飾北斎の富嶽三十六景「信州諏訪湖」にも確かに湖に突き出ている城郭が描かれている。 城は16世紀末に完成し、1875年に廃城となった。1900年には一角に諏訪護國神社が建立された。 1970年には本丸に天守・櫓・門・塀が復元され、高島公園として整備され、城の内部は資料館になっているようだが年末のため休館だった。 鳥が地面をくちばしで一生懸命つついている。護国神社には御柱が二本建てられている。お祭りのときに使うのだろうか。公園内には 諏訪市とアメリカのセントルイスが姉妹都市の提携をしてから40周年という石碑があった。城の近くにある文学の道へ行ってみた。 川の付け替えで埋め立てられた細い土地を公園として整備し、諏訪にゆかりのある人物の作品に関する石碑がいくつかある。 わざわざ見に行くほどのものでもなかったが、城から近いので観光で時間が余った場合などに行くといいのではないか。近所の子供が遊んでいた。
■今回の宿泊は諏訪湖のそばにあるやや大きな温泉ホテルで、部屋の窓から諏訪湖が見え、逆の方角には富士山も見える。 新幹線に乗ったときなども、富士山が見えるとなぜか得した気持ちになるが、やはり形のきれいな山である。 一度荷物を置いてまた諏訪湖の湖畔に出てみた。空気がとても冷たかったが夕暮れ時の空が美しかった。夕食前に温泉に入り、 寝る前にも温泉に入った。冬の露天風呂は顔が冷たくて気持ちいい。一年の終わりに温泉に浸かるというのはいいものである。
No.2000 2015-12-27
コアラの像

山万ユーカリが丘線

■首都圏の路線図で、佐倉のあたりでくるっと輪を描いてる妙な路線が気になったことがある者が自分以外にもいるのではないだろうか。 その路線は京成線のユーカリが丘駅から北側に少しいってからぐるっと輪になっていて、ちょうどテニスやバドミントンのラケットのような形で描かれている。 これはなんだろうかとかねてから思っていたので、実際に乗りにいってみることにした。京成津田沼からユーカリが丘までは普通列車で15分程度。案外近かった。 ユーカリが丘は佐倉市内にあって、山万という不動産会社一社による事業で町が開発されている。 駅の周辺には大型マンションや商業施設、スポーツジムなどが建ち、少し離れると戸建住宅が整然と建ち並んでいる。 同時期に住み始めた住民が一斉に高齢化になるという各地のニュータウンに見られる問題を見据え、これまで少しずつ、 段階的に町を作ってきたという計画的な開発である。住民の利便のために作られたのが山万ユーカリが丘線という新交通システムで、 4.1kmの路線に6つの駅があり、環状運転をしている。日中は20分に一本程度のダイヤとなっている。朝の始発は5時半、終電は0時20分まで走っているから、 なかなかがんばっている。
■乗る前に町を歩いてみた。駅の南口はこのユーカリが丘線が通ってないので、駅前にはバスロータリーがあって路線バスが乗り入れている。 駅直結の大型マンションがあり、南へ伸びる道路沿いにはファミリーレストランなどもあるが基本的にはすぐ住宅街である。なだらかに下っていく道がまっすぐ 伸びている。北口は歩行者と自動車が完全に分けて移動できるようにペデストリアンデッキが整備されていて、そこかしこにコアラの像が設置されている。 コアラの主食であるユーカリと関係あるのだと思う。ユーカリが丘線に乗ってみた。小さな車両が三両連なった編成で、コアラの絵が描かれている。 ゆっくりごとごとと軽く揺れながら走る。少し高い場所に軌道が敷かれているので、眺めはなかなか良い。休みの日の昼間だったせいもあるのだろうが、 乗客はまばらで車内はのんびりした雰囲気だった。途中駅でも数人ずつ乗り降りがあり、地元の人の足としてちゃんと使われているようだ。 ぐるっと一周しておよそ15分、乗車したユーカリが丘駅に戻ってきた。どの区間乗っても200円。遊園地の乗り物を立派にしたようなかわいらしい鉄道路線だった。
No.1999 2015-12-19
表参道タワーレコードカフェ

タワーレコードカフェの特別メニュー

朝倉彫塑館

■表参道とかいう、自分にとっては場違いな町に行った。代々木で乗り換えて原宿。原宿で電車を降りる用事というとNHKホールに行くときくらいで、 まず来ることがない。不思議なもので、原宿駅のそばは若い人が多くて、表参道駅のある南東方向に歩くにつれて町行く人の年齢層が上がるのがはっきりわかる。 青山とか表参道とか神楽坂とか六本木とか自由が丘とか、なんとなくいけ好かないイメージがある。そういう町を極力避けているのは、自分が田舎出身なのでどこか苦手意識が あるというのが大きいのだと思う。そういう町に気持ち悪さを感じるし、そういう町をいいなと思う気持ちの人とは話が合わないだろうなと思う。 それはそれとして、なぜそんなところに行ったのかというと、タワーレコードカフェというところに用事があったのである。 山下達郎の「クリスマス・イブ」2015 クリスマス・スペシャル・パッケージの発売と、デビュー40周年記念ということで、 写真展示やオリジナル・メニュー提供、限定オリジナルグッズやオフィシャルツアーグッズの特別販売があるというんで、のこのこと来てみたんである。
■オープンが11時ということで、その時間に合わせていってみた。建物の二階にあり、そこまで行く階段に既に数人並んでいて、 中に入るまで少し待たされた。中に入ると思ったより広く、大きな窓があって明るい。さすがに表参道なので内装も洒落ている。 飲み物でも頼もうかなと思っていたのだけど、メニューを見たらランチが700円という、このあたりのエリアにしてはずいぶん良心的な値段だったので注文した。 おいしかった。席についたときにリクエストカードをくれて、好きな曲を書いて店の人に渡したらかけてくれた。従業員さんは忙しそうだけど対応が良い。 外に出てラフォーレ原宿のある交差点あたりから南東方向に歩くと通り沿いにブルガリにシャネル、ラルフローレン、表参道ヒルズ、ディオール、ルイヴィトン、バーバリー、アップルストア、TOD'S、 コーチ、ヒューゴボス、エンポリオアルマーニ、グッチ、セリーヌなどなど、まあ錚錚たる面子が揃っていて、どの店舗も競うように凝った意匠の建物をこしらえて華やかですごい。 でも、どれ一つとしてなくなっても自分にはまったく影響のない店ばかりだ。若いときならこういう刺激的な建物を見て何か感じるところがあったかもしれないが、 いまはただ見てて疲れる。表参道交差点の地味な山陽堂の建物みたいなやつがある風景のほうがいい。
■表参道交差点を過ぎて道が細くなってもまだ通りに沿ってプラダやらmiumiuやらマークジェイコブス、ステラマッカートニーとかモンクレール、カルティエなどなどが続く。 ガラス張りばっかりででかい地震あったら大変だろうなと思う。現代建築を勉強してると必ず出てくるヨックモックビルとかフロムファーストビルとかもある。 できた当時は斬新だったのだろうけど、いまは周囲にも似たような建物がたくさんあるので、とくにこれといって目立つでもなく埋没してて、90年代終盤の小室哲也の音楽みたいな感じ。 80年代のTM NETWORKの頃はすごく新しかった。それはそれとして、原宿駅からまっすぐ南東へ続いてきた道が根津美術館のある交差点でぐにゃっとカーブしてる。左に曲がって北東方向へ。このあたりまで来ると浮ついた雰囲気がなくなり、 住宅街になる。このあたりに住んでいる人はどれくらい固定資産税払っているんだろうとか考える。この寒いなか薄着の女が変なポーズで立ってるなと思ったら何かの撮影だった。 青山墓地を過ぎ乃木坂駅まで来た。千代田線で千駄木まで乗る。乃木坂も千駄木も初めて利用する駅だ。古い路線なので地下深くまでいかなくてもすぐにホームがある。
■地上に出ると不忍通りの団子坂交差点である。もう地名が醸し出す雰囲気からして、山手線の西側と東側でぜんぜん違う。 「南青山」と「団子坂」だったら、団子坂のほうがいいなと思う。東へと歩くと寺がたくさんあってびっくりする。初音幼稚園のそばの変な形の交差点を北へと曲がり、 細い道を車を避けながらしばらく歩くと朝倉彫塑館に着く。このあたりは谷中と呼ばれるエリアで、過去にも一度か二度来たことがあるが、 この建物には気がつかなかった。黒い外観で正面にアールの壁面がある。1935年に完成した鉄筋コンクリート作りの建物である。メンテナンスさえしっかりしていれば コンクリートは80年持つのだなと感心する。朝倉文夫のアトリエと住居だった建物。朝倉文夫というのは誰なのかというと、明治から昭和にかけての彫刻家で「東洋のロダン」と呼ばれたらしい。 まったく知らなかった。彫刻にもそんなに興味はないが、この建物に関する企画展をやってるというので来てみた。
■建物は国の登録有形文化財になっている。説明文によると「旧アトリエ部分と、丸太と竹をモチーフにした数寄屋造りの旧住居部分からなり、その和洋折衷の特異な建築は朝倉文夫本人が自ら設計」したのだそうだ。 入ってすぐ、1階は天井の高い展示室があり、大きな人物像が何体も置かれている。午後の光が射し込んで明るい。代表作であるという「墓守」は確かになにかいいなと思った。 ヒゲをたくわえた老人が顔に笑みを浮かべている。すぐ隣に書斎があり、所狭しと蔵書が収められた棚がある。この建物の図面も見ることができた。当たり前だが手書きの建築図面で、 CADで書かれたものにはない芸術性を感じる。階段で上階へ行くと眺めのいい畳敷の部屋があり、丸窓が印象的だ。中庭は大きな岩と池のある日本庭園で、1階、2階の各部屋から眺めることができる。 屋上に出ることができる。大きなオリーブの樹がある屋上庭園となっていて、菜園もあって驚く。スカイツリーや上野の町並みも見える。 屋上から直接入ることができる明るい展示室には猫の像が多数展示されている。朝倉さんは猫が好きだったらしく、多いときには自宅に15〜6匹の猫を飼っていたという。 老いてやせた猫の像は、実際に老猫と暮らしたことがあるので、真に迫ってるなと感じたし、どの猫の像も、いかにも猫らしい所作の一瞬をうまいこと造形してるなと思った。
■彫刻のことはやっぱりよくわからないけど猫たちの像はよかった。墓守もよかった。建物も良かった。和洋折衷の建物は函館人の自分には馴染みがあるが、 九州出身の朝倉氏の設計は、函館の偽洋風建築とはぜんぜん違うコンセプトだと思った。谷中の商店街は相変わらず人が大勢来ていてすごい。 大きな階段のところで猫を二匹ほど見た。人が間近でカメラを構えても動じない猫だった。慣れているのだろう。帰りは日暮里駅から電車に乗った。
No.1998 2015-12-12
ふばばし朝市

■ひさびさに船橋大神宮まで朝の散歩。年に四回開催されている「ふばばし朝市」の日。境内は前回同様なかなかの賑わいである。 アンケートに記入すると、名物のホンビノス貝が入った味噌汁がもらえるのでさっそく紙を貰って記入した。寒いのでいっそうおいしい。 前のときは人がたくさん並んでて買えなかったが今回タイミングよく空いてたのでスズキの唐揚げを買って食べてみた。確かに人が並ぶだけあってとてもおいしい。 焼きたてのピザも売ってたので買って食べてみた。こちらにもホンビノス貝が使われていて、名産の小松菜も入ってておいしい。 国道14号を歩いて宮本町にある2nd Streetという中古品店に立ち寄ってみた。家電、家具、衣類、雑貨などさまざまなものが売られていて、 中にはけっこう安くて良さそうなものもあった。場所柄かIKEAの食器や雑貨類がちょこちょこと置いてあった。古いiPodなんかもあった。 隣にあったリンガーハットはいつのまにか潰れて、この2nd Streetの別棟となっていた。
No.1997 2015-12-06
■今年のJリーグの全日程が終了し、レギュレーションおよびプレーオフの結果により来季のJ1クラブ、J2クラブ、J3クラブが決まった。 J2からJ1へ昇格するのは大宮、磐田、福岡。逆にJ1からJ2へ降格するのは清水、山形、松本という結果になった。 J3からJ2へ昇格するのは山口、町田。栃木と大分がJ2からJ3へ降格することとなった。清水が初の降格。ここ数年危うかったがとうとうといった感がある。 松本は昇格即一年で降格。言っては悪いがあの戦力では順当な結果だと思う。地元のファンが熱心なのでまたそのうち昇格できるだろう。 山口は序盤思いのほか好調で順調に勝ち点を積み上げたが終盤に大きく失速して苦労していたがなんとか得失点で町田をかわした。 プロスポーツ不毛の地である山口での快挙に地元は沸いたと聞く。大分は三大タイトル獲得クラブで初めてJ3降格の憂き目にあった。 栃木もJ1昇格争いをしたことがあったクラブだが、資金難に苦しみ思うような編成が作れなかったのも大きく響いたのだろう。
■やっぱり見てて思ったんだけど、今年から前期後期制にしたJ1の優勝決定プレーオフはおかしい。 上位が負けた場合に失うものが大きすぎる。年間勝ち点1位の広島が勝ったから結果的には良かったが、違う結果になっていた可能性だってある。 世界中の国のリーグがなぜホーム&アウェーの総当たり戦で順位を決めているのか。 なぜトーナメントの優勝者は「Winner」と呼ばれリーグ戦の優勝者が「Champion」と呼ばれるのか。 何事も理由があるのだ。試行錯誤の末にそれが一番良いから世界中で採用されている。日本もJリーグ発足当初は2ステージ制で、 やっぱりおかしいと見直してせっかく1シーズン制にしたのに目先の金、人気取りのためにそれを壊して歪な形にしてしまった。 たしかに優勝決定戦は地上波での放送が実現したけど、そもそもJリーグの最重要理念である「地域密着」と全国放送での視聴率は両立できない。 大阪の人が仙台の試合を見るかというと、見ないと思う。代表戦の人気が高いのはサッカーのおもしろさではなく世界相手に戦って健闘するのを見るのが好きなだけだからで、 そういうのはワイドショーののりで見てる人がほとんどである。「感動をありがとう」とかいう謎の言葉を発しながら渋谷の交差点で騒ぐ層がそれである。
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