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No.1571 2011-02-26
茜浜01
茜浜1。

茜浜02
茜浜2。

■年のはじめに体調を崩したばかりなのに、またなんだか咳が出たりしていまいち調子がよくなかったりしたんで、 週末もほとんど家にいたものだから、あまりここを更新するほどのこともなく2月も終わりそうになっていた。 ひさしぶりに自転車で茜浜。富士山はほとんど見えず。猫は2匹。人はほとんどいなかった。
■千葉のパルコでやってたレコード掘り出し市に行ったりしていた。 山下達郎の「ON THE STREET CORNER」と「僕の中の少年」を見つけたので買った。 アカペラアルバムシリーズの最初の作品である「ON THE STREET CORNER」は、オリジナル盤が1980年に出てて、 今回手に入れたのは再発の1986年盤。「僕の中の少年」は1988年に出たオリジナル盤。 このアルバムは山下作品のなかでは地味な存在という印象があるが、なんといってもあの「蒼氓」が収録されている。
■自分はそれほど音質だとか気にしないで、MP3などの圧縮音源の音楽でも喜んで聞くほうだが、 もともとアナログレコーディングの作品は、アナログプレーヤで再生したほうが耳にしっくりくるし、 空気感がずいぶん違うように思う。あの溝に、その時代の空気が一緒に刻まれている気がするのだ。ただの思い込みかもしれないが。
■店でアナログ盤を見るとき、CDみたいにジャケットの背のアルバムタイトルを見れないので、 一枚一枚手でパタパタと探していくわけだが、そのときに「山下」という字が見えて、 おっ、と思ってよく見ると山下久美子だったときのあの微妙な気持ち。
■あと、とてもひさしぶりにタワーレコードでCDを買った。なんか割引になるカードを持ってたので、 有効期限が切れる前に使おうと思った。また山下達郎の作品であれだが「IT'S A POPPIN' TIME」というアルバム。 1978年リリース。自分がかろうじて生まれていた頃の作品。山下達郎25歳。
これがすごかった。
「デビュー以来、2枚のフルアルバムをリリースしたにも関わらず、セールスは芳しくなく、シングルカットも行えない状況であった。 必然的に、経費にその皺寄せが来るわけで、当時の山下はレコーディングを行うことが困難な状況であった」(Wikipediaより) そんな中、経費が安く済むライブレコーディングにより制作という、いわば苦肉の策だったというこのアルバムだが、 知らないで聞いたら最初、ライブ盤とは気づかないくらいクリアな音で録れている。エンジニアは吉田保という人のようである。 六本木ピットインという、主にジャズやフュージョン系の人達に使われていたライブハウスでのライブで、 ここがCBSソニー六本木スタジオと同じビル内にあり、音声回線で結ばれていたのだそうだ。
山下達郎のライブ盤というと1989年の「JOY」が有名だが、あの作品は80年代のいろいろな場所でのライブをいいとこ取りしたもので、 クオリティは当然とても高いが、こちらは一発録りならではの緊張感や勢い、グルーヴ感といったようなものがとても強い。 若きミュージシャン達の、いいライブを残すんだ!という鬼気迫る気合、一つ一つの音にこめられた集中力がとても強く感じられる。
■バンドメンバーは、山下達郎(Vo/Gt)、松木恒秀(Gt)、岡沢章(Bs)、村上ポンタ秀一(Dr)、坂本龍一(Kb)、土岐英史(Sax)、伊集加代子(Cho)、吉田美奈子(Cho)といった具合で、 いま書き写しててめまいがしそうになるくらいのすごい面々だ。コーラスにもう一人、尾形道子という人がいたが、 この人はどういうかたなのかちょっとわからない。岡沢氏のベースソロや坂本龍一のポップなプレイなど、とてもめずらしい演奏も聞ける。
No.1570 2011-02-12
■この連休は天気に恵まれず、めずらしく千葉でも雪が降っていた。
■2月の末くらいか3月のあたま、そろそろあったかくなるかなと油断しているころにもう一回くらい雪が降って、 それでだいたい千葉の冬は終わる。それで春がきて、つらい夏がきて、秋がほとんどなくて、また冬になって、 次の正月になって、そうやって毎年、めぐっていく。だんだん死に近づいていく。おそろしいことである。 生きていくほうがおそろしい時代になってきている気もする。
■そういったわけで、すっかり2月も真ん中あたりになろうとしているこの時期に、家でのんびり過ごしている休日なので、 昨年一年を振り返ってみるか、それともこの一年の展望でも書いてみるか、という気持ちになったのだった。 考えているうちに連休も二日目になっていた。昼は、京成津田沼の駅の近くにある、 この界隈ではそこそこ有名な洋食屋である「あけぼの」という店に初めていってきた。オムライスがうまかった。 気取りのない、町の洋食屋といった感じ。
■とりあえず夏、今年もRISING SUN ROCK FESTIVAL in EZOの開催が既に決まっていて、日程は8月12日、13日(と、翌14日の朝まで)ということになっている。 盆直撃で飛行機代もばかにならないが、確実に休める、という勤め人も多いのではないか。
■それ以外で行ってみたい場所はいくつもあるが、それらのうちひとつでも多く行けたらいいなと思っている。函館への帰省もできたらいい。
No.1569 2011-02-08
■気がついたら2月も一週間過ぎていた。更新もひさしぶりになってしまった。
■アジアカップも終わってしばらく経つ。いまさら書くまでもないだろうが、日本が優勝したのでよかった。 印象に残ったのは、見る側の成熟ぶりだ。以前だったら「格下ヨルダンに試合終了間際になんとか追いついて引き分け」 なんていうことになれば「監督を代えろ」とか「日本代表はだめだ」といった論調になってただろうし、 ネット上のブログや掲示板もそういう意見が多く書かれていたと思う。それが今回は、まあそんなこともあるだろう、 最終的にグループリーグ突破できていればいい、と、多くのサッカーファンはいたって落ち着いていたし、 普段それほどサッカーに熱心ではない人達も、そういった感じだった。駅売りの新聞の紙面もそれほどヒステリックではなかった。 見る側の成熟ぶりに、日本サッカーの進歩を見た。
■南アフリカワールドカップ、そしてアジアカップを戦った選手達、それ以外の日本人選手達も次々とヨーロッパのリーグへと旅立って行った。 そして、アフリカサッカーを愛し、日本サッカーを愛し、インテルを愛したジャンルカ・トト・富樫氏の命日に、 一人の日本人がインテルの選手としてセリエAのピッチに立ち、躍動した。 日本サッカーがついに到達した世界のサッカーの頂点。
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