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No.1552 2010-11-21
おはらい町の猫
おはらい町の猫。

■早起きして宇治山田駅まで歩き、早朝のバスに乗車。こんな早い時間のバスに乗るやつは他にいないだろうと思ってたら、他に二組くらい乗った。 さすがに道は空いてて、ほどなくして終点の内宮前に到着。伊勢二日目もバスは乗り放題だ。空気が冷えててぴりっとしている。宇治橋前の鳥居のところに人だかりができてた。 もう参拝客がたくさん来てるんだと思ったのと、あと、なんで集まってんだろ、と思いながらそのあたりに歩いていってみて理由がわかった。 鳥居の先、宇治橋の向こうの山からもうすぐ太陽が昇ってくるのをみな待ってたのだ。そんなタイミングだったが、ちょっと、おはらい町のほうへ。 まだ開店前の店ばかりで人通りがほとんどなくて、代わりに猫がいた。やけに人なれした猫で、どうも寒いのか、人のひざに乗ろうとするのだ。 しゃがむとまっすぐこちらにすたすたと歩いてきてぴょんとひざにのった。

鳥居と宇治橋
鳥居と宇治橋。

内宮の手水舎
内宮の手水舎。

五十鈴川と紅葉
五十鈴川と紅葉。

■少し猫と遊んだあと、鳥居のところに戻ってみるとちょうど、山の向こうから太陽が昇ったところで、鳥居のシルエットと橋の上の朝露に反射する光がとてもとても美しかった。 いよいよ橋を渡って五十鈴川の向こうの内宮へ。川の中に、橋と平行に何本か柱が立っている。嵐で流木が流れてきたときに橋にぶつかるのを防ぐためだそうだ。 森の向こうには大きな日の丸が翻っているのが見えた。橋を渡ったところにもう一つある鳥居をくぐり、森の中の参道を歩く。広々としていて京都御所に少し感じが似てると思った。 奉納された酒樽がたくさん積まれている。手水舎や手洗いがあり、第一鳥居をくぐるとその先には五十鈴川のほとりまで下りてゆけるようになっていて、 そこが御手洗場ということになっている。透き通った川の水に手を触れるとつめたい。川沿いの木々の紅葉がきれいだった。 いよいよ森が深くなり、昇ったばかりの日の光が木々の間から差し込んできて、まだ薄く残る朝もやを光の筋が照らす。 とても幻想的で、荘厳とか崇高ということばがぴったりくるような景色にはっとさせられる。第二鳥居をくぐり、 外宮にあったのとよく似ている神楽殿の前を通っていちばん奥にある正宮へ。

内宮の木々
内宮の木々。

皇大神宮
皇大神宮。

光の筋
光の筋。

■内宮は正式には「皇大神宮」といって、御祭神は国家の最高の神様である天照大御神。現在まで続く皇室の遠い遠い祖先ということになっている。 ということは要するに日本人のルーツと言っていいのではないかと思う。そんな神様にようやく参拝することができた。 正宮は石段を登り切ったところにあり、外宮と同じように四重に囲われていて本殿は遠い。いちばん外側の囲いの切れ間に立つ鳥居をくぐると大きな拝殿的な建物があるので、 皆そこで手を合わせてなにか祈願している。早朝から参拝客がぽつぽつそれなりに来てるし、正式参拝の正装の人たちもわりと来ている。早起きの人がけっこういるものである。 カメラ撮影が許可されているのは石段の下まで。
■正宮のとなりには、3年後の次の遷宮のための用地が用意されていて、既になにか準備工事のようなことが始まっている様子だった。「新御敷地(しんみしきち)」というのだそうだ。 正宮のそばには御稲御倉、外幣殿等の小さなお社があって、これらは神社建築の中でも最もプリミティブな様式の一つである神明造の社殿である。 内宮や外宮の正宮本殿の造りが、もっともっと立派だがこれにかなり近いものだという。それらは直接見ることができないが、 御稲御倉や外幣殿は間近で見ることができる。屋根は茅葺で、見た印象は、神棚のお社にも似てるような気がするし、昔、教科書で見た高床式倉庫にとてもよく似ている。 おそらく古代の貴重な作物である稲の保管庫から発展して、大切なものを入れる場所となり、社となったのがこの形なのではないだろうか。 正宮の裏手の小高い場所にあるのが荒祭宮(あらまつりのみや)で、内宮の別宮となっている。石段の真ん中に大きな木が生えているのが印象的だった。 ご祭神は天照大御神の荒御魂ということになっている。「神様の御魂のおだやかなおすがたを『和御魂(にぎみたま)』と申し上げるのに対して、 時にのぞんで、格別に顕著なご神威をあらわされる御魂のおはたらきを『荒御魂』とたたえます」という説明があるが、いまひとつよくわからない。 要するに、神様が本気出したときの魂ということだろうか。
■大きな参道に戻ると、神職の人に連れられた白い馬が歩いていた。神楽殿のあるあたりから森の中への横道に入っていくと、 五十鈴川の支流にかかる風日祈宮橋という橋が現れる。宇治橋を小さくしたような形の橋で、次の遷宮に先駆けて既に架けなおされたようで、 木材が白くぴかぴかしてて真新しい。欄干についてる擬宝珠には「嘉永六年」と刻印されている。木材は新しいが、金属の部材は古いものをそのまま使っているようだ。 調べてみると、嘉永六年は1853年。橋の前後にある鳥居も新しいものだった。その先にあるのが内宮の別宮である風日祈宮(かざひのみのみや)で、 外宮にあった風宮とおんなじ神様を祭っている。神楽殿の裏手に池があり、その近くの小屋の中に、さっき歩いてたのと同じかどうかわからないが、 白い馬がいた。大勢の人に囲まれてたが、おだやかな顔をしていた。馬というと顔の長さのことをよく言われるが、 目もでかい。皇室から牽進された神馬だそうだ。「毎月1日、11日、21日の3度、菊花紋章の馬衣をつけて神前に見参する」というんで、 たまたまこの日が21日だったから、ちょうど歩いてるところを見ることができたのだと後からわかった。 小さな池には大きな鯉が泳ぎ、参道に水を撒く散水車がゆっくり通り過ぎていった。 水のタンクの側面には「神宮司廳」と書かれていた。参集殿という建物が休憩所になっていて、売店やトイレ、椅子、伊勢神宮の祭礼の映像を放映するテレビなどがあった。 あったかいお茶が飲めるのでありがたい。出入口の戸には「鶏が入るので閉めて下さい」と書いてあったが、鶏は見かけなかった。 なんで鶏がいるのかなと思ったが、天照大御神は太陽の神様ということで、太陽の昇る朝に鳴く鳥だから、鶏がいるのではないか。
■参集殿を出ると、参道には次々と参拝客が宇治橋の方向から歩いてくる。団体も多い。朝早く来てゆったり見て回れて本当によかったと思った。 入ってくるときは気づかなかったが、宇治橋の近くに子安神社と大山祗神社がひっそりとあった。 全国の山祇神社、三島神社の総本社である大山祗神社は、愛媛県の大三島にある伊予国一宮で、2007年に一度行ったことがあったが、 源義経の鎧とかすごいのがいっぱいあった。子安神社には、願掛けの言葉を書いた小さな木製の鳥居がたくさん奉納されてて「子宝に恵まれますように」というのがとても多かった。
■宇治橋を渡り、内宮を後にする。気づいたのは、内宮も外宮も、外国人観光客がとても少ない。たまたまかもしれないが、白人系もチャイナ系もほとんど見かけなかった。 奈良や姫路や原爆ドームや厳島神社や日光にはあんなにたくさんいたのに伊勢にいないのは、ようするにおそらく世界遺産じゃないからだと思う。 出雲大社はどうだったかなと思い返してみると、そもそも人があんまりいなかったような気がする。 おそらく今後も、世界遺産に登録されることはないだろう。登録の条件には確か、遠い過去から永続して存在し続ける、という項目があった。 20年毎に遷宮という形で建て替えるわけだから、永続ではない、ということになるのだろう。この20年毎というのはおそらく意味があって、 大きな地震や台風のある日本ならではの価値観であったり、技術の継承だったり、そういうことでもうずっと古代から長い間、遷宮が続いているのだと思う。 世界遺産なんていう箔がつかなくても伊勢神宮は本当にすごくいい。日本人だけのとっておきの場所がひとつやふたつあってもいいんじゃないかと思う。
■今年のはじめにここで「今年は伊勢神宮に行きたい」とか書いてたのを思い出した。行けてよかった。
■おはらい町の入口あたりにある植え込みの中に猫が二匹いた。ちょうど日がの光が当たるんで、日向ぼっこをしていたのだろう。 人が寄っても微動だにせず、じっとしていた。さすがに神様のお膝元にいる猫はちがう。そろそろお店もほとんど開店していて、朝なのになかなかの賑わい。 かなり早起きしたので、早くも腹が減っていて、どこか食事できるところはないかな、まだやってないかなと探していたら何軒か営業してたので、 一軒の店に入ってみた。このあたりの郷土食という「手こね寿司」というのを食べてみることにした。ウィキペディアを見ると「まぐろやかつお等の赤身の魚を、 醤油を中心としたタレに漬け込んだあと、寿司飯と合わせて食べる」と書いてある。この店ではまぐろだった。海鮮丼というか鉄火丼に似てる。 これがとてもおいしかった。前日食べた伊勢うどんは好き嫌いが分かれそうだからちょっとむつかしいかもしれないが、この手こね寿司は、全国区になれるだけの力があるように感じた。 さらに、松阪牛の串焼きも食べてしまったのだ。やわらかくて炭火焼きのいい香りもしておいしかった。

猿田彦神社
猿田彦神社。

麻吉旅館
麻吉旅館。

御幸道路
御幸道路(徴古館前バス停から)。

■次に乗るバスが猿田彦神社の前から出てるというんで、そちらまで歩いてみた。猿田彦神社では、日曜日ということもあり、七五三参りの家族連れが多く訪れていて、 あと、結婚式もやってたようだった。めでたいことである。境内には佐瑠女(さるめ)神社という小さな神社もあり、芸事・芸能の神様だそうだ。 そこではちょうど何かの祭事をやっていた。輪の中にたくさん鈴がついてる妙なものを二人の老女がかき鳴らしていたのだった。それを横で二人の神官が直立して見ていた。 前日訪れたときは気づかなかったが、猿田彦神社の裏手には御神田というのがあった。ちょっとした田んぼである。時間になったのでいそいそとバス停まで行き、 乗車。バスは急坂を登り、しばらく細くて狭い道をゆく。「中之町」というバス停で下車。今ではほとんど面影はないが、江戸時代このあたりは一大遊郭が存在したらしい。 このあたりの地域は古市という地名で、かつては江戸の吉原、京都の島原と並んで三大遊郭と呼ばれるほどの歓楽街だったというのだ。 ちょうど外宮から内宮への道中に位置し、小高い丘陵となっている。往時の繁栄ぶりがわずかに残っているのが麻吉旅館である。創業200年。 丘陵地の端の斜面に建っているこの古い木造の旅館は階段状の6階建ての建物で、今も旅館として営業しているようだ。それを見に来た。 階段で急坂を下りたところには伊勢道という有料道路の高架がそびえている。階段をまたいで渡り廊下が橋のように架かっていて、そこにタオルが干してあった。 建物は相当傷んでいるように見えたが、今の法律では改築すらできないのだろう。いつまでも残っていてほしいと思えるとてもいい建物である。国の登録有形文化財。
■バスで伊勢市駅まで行き、駅から歩いて数分、町の中にある外宮の別宮である月夜見宮(つきよみのみや)へ。きれいな名前の神社である。茂みの中に白黒の猫が一匹いた。大きな楠がある。 人もまばらで、近所の人が気軽に散策に来るような、そんな落ち着いた雰囲気である。駅前の大きな建物の並ぶあたりからちょっと奥に入ったあたりを歩いてたら、 おんぼろのトタン板の壁のアパートがあって、そこの壁には「高級アパート さくら荘」と大きく書いてあった。駅前からバスに乗り、外宮から真東にいったところにある「徴古館前」というバス停で下車。 森の中にある倭姫宮へ。ここは内宮の別宮ということになっている。いろいろ行ったなかで、ここが一番人が少なくて、とても静謐な空気だった。 ここも他の神社と同じく遷宮を行うので、となりに新御敷地がある。大正10年、内宮別宮としての創立が許可され、大正12年に鎮座祭が行われたというから、 他の長い歴史を持つ別宮等とくらべてかなり新しい。このすぐ近くに神宮徴古館がある。いわゆるミュージアムで、伊勢神宮ゆかりの収蔵品が展示されている。 時間があったので、入ってみた。「ご朱印巡りきっぷ」には、ここの入場券もついてたのだ。まず、建物と前庭が美しい。建物は1909年に完成。 その後戦火で消失したが、1953年の遷宮のときに復旧工事が行われたそうである。国の登録有形文化財。建物中央には20分の1スケールの内宮の模型が展示されていて、 吹き抜けを利用して2階からは真下にその模型を見ることもできる。四重に囲まれている様子がよくわかる。この他、本殿に実際に使われていた大きな扉や千木、鰹木の実物も展示されていて、 直接触れることもできる。これらは遷宮のときに解体されたものということだった。鰹木などは、屋根の高いところにあるものなので普通は間近で見れないが、近くで見ると思ったよりも大きい。 神職の人たちが身に着ける装束や奉納された刀剣類や美術品、その他出土品や歴史上の人物直筆の古文書なんかもあって、なかなかわくわくする。
■バスで宇治山田駅へ。窓口で特急の指定席券を出してもらった。伊勢滞在中はずっと天気にも恵まれ、おいしいものも食べることができたし、早朝の内宮参拝はとても気分のいいものだった。 あと、何度も書いたが「ご朱印巡りきっぷ」は使い勝手もよく、いろいろお得で、バスも乗れてよかった。本当はさらに、鳥羽のほうまで行く近鉄電車も乗り放題だし、 特急も乗れるようになってる。それはそれとして、近鉄の特急で名古屋まで。名古屋駅できしめんかひつまぶしを食べたかったが、乗り換えの時間の都合で断念。ひつまぶし弁当という駅弁があったので、 それを買って車内で食べた。名古屋駅の駅弁はいつもコーチンの弁当を買ってたが、今回のひつまぶし弁当もしっかりおいしかった。品川で快速に乗り換えて津田沼。
No.1551 2010-11-20
■朝早い新幹線で品川から名古屋へ。富士山の頂上あたりだけ帽子みたいな雲に覆われていた。 名古屋駅で近鉄に乗り換え。今回は「伊勢の神宮 正宮 別宮 おかげ参り ご朱印巡りきっぷ」というのを使った。 使用する前日までに買わないといけない商品なので、千葉のJTBで買っておいた。 名古屋−伊勢間の特急往復の正規の値段とほぼ同額でいろいろな特典がついてるので得だ。 近鉄の特急を利用するのは、昨年2月に奈良に行ったとき以来二度目だ。快適だった。 名古屋からは約一時間半弱で伊勢市駅に到着。案外こぢんまりとした駅だ。駅のそばにあるホテルに荷物を預けて、 町中を歩いてみた。道が広いわりにはそれほど車の通行量は多くない。昔ながらの商店街のなかを歩いてみたり、 バスターミナルのあるあたりを歩いたりした。シャッターが下りている建物が多い。
■踏み切りを渡って少し歩いたところにある店で初めて伊勢うどんを食べた。なかなか客の多い店だ。聞いていたとおり、 普通のうどんからはかなりかけ離れた食感で、太くてぶよぶよしている。たまり醤油のタレがかかっていて、刻んだねぎをのせて食べる。 見た感じ、醤油の塩っからい味がするのではと思ったが、食べてみるとそうでもなくて、甘みさえ感じる。シンプルだが、悪くはない。ウィキペディアを見ると 「浦田町橋本屋七代目である小倉小兵がお蔭参りの参詣客へと供するためにうどん屋を開業したのが、伊勢うどん屋の最初と言われている。 すぐに参拝客に提供できるように常に茹で続け、必要量を釜揚げていたため、茹で時間を気にしなくてよいコシのないうどんが適していたとの説がある」 と書かれてあった。なるほどこれは昔のファーストフードではないか。讃岐うどんのように、全国区の人気を得られるかというと微妙だが、 高いものではないので一度くらい食べてみるといいと思った。
■以前、同じ三重県の南端に近い尾鷲市を訪れたときもそうだったが、伊勢の町も、正月ではない時季でも玄関先に注連飾りがつけてある。 駅にもついてた。調べてみたら、三重県南部、特に伊勢・志摩のあたりなどでは一年中つけておくそうだ。注連飾りの木の札には「蘇民将来子孫家門」とか 「笑門」と書いてあった。意味は、ネットで調べたらわかった。駅前の大きな通りから一本奥に入った通りを歩くと、若者向けの洋服の店などもあって意外な感じがした。 蔵を使ったパスタの店もある。大通り沿いにはあまりないが、ちょっと奥へ行くと木造の古い家屋が建ち並んでいる。

外宮
外宮。

多賀宮
多賀宮。

外宮正宮
外宮正宮。

外宮手水舎
外宮手水舎。

■歩いて南へ数分、初めての伊勢参りは外宮から。かつては江戸から歩いて15日かかったというが、いまは朝の新幹線に乗れば午前中には伊勢参りができる。 いきなり大きくうねる巨大な松の木が目に入る。火除橋を渡って神域に入ると、太く高い木々が集まり鬱蒼とした林になっていて、 その間を細かい砂利が敷き詰められた道が通っている。豊受大御神をお祭りしている正宮と別宮である土宮、多賀宮、風宮を順に参拝。 正宮、別宮の中で土宮だけが、どういう理由かはわからないが、東を向いている。普通、ここの正宮、別宮に限らず、神社はたいてい南を向いている。 多賀宮は、石段を登ったところにあるので、古代には「高宮」とも呼ばれていたそうだ。滋賀にある多賀大社となにか関係があるのかなと思って調べたが、特にそういうことではないみたいだった。 多賀大社は学生のころ彦根から自転車で行った。風宮は、元寇の時に吹いたいわゆる「神風」がこの神様の神威によるものだったということで、元々小さな社だったのが、 一躍別宮に加えられたということである。幕末時の欧米列強進出の時も、国の危機を退けて下さるようにと強く信仰されたそうだ。今のご時世、最も信仰すべき神様かもしれぬ。
■正宮の御祭神である豊受大御神(とようけおおみかみ)の「うけ」は食物のことを指すそうで、食物・穀物を司る神様であることから、 衣食住、ひろく産業の守護神とされているということである。御鎮座以来約1500年、毎朝夕、大御神に神饌をお供えする祭りが絶えることなく続いているというから驚く。 御正殿は瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣と、塀で四重に囲われているので近くまで行くことはできない。鳥居をくぐると板垣の中には入ることができるので、 そこで参拝することになる。正式参拝を申し込めばもう一つ内側の外玉垣まで入れてもらえる。正式参拝には事前申し込みと正装が必要になるので、 遠方から旅行で参拝する者には敷居が高いかもしれぬ。正装といっても、男ならスーツでいいようだ。何組か、正式参拝をしている人達がいた。 板垣の中に入るとカメラ撮影禁止になっている。
■他の大きな神社にはいくつか行ったが、それらと比べると、参拝者それぞれに緊張感があり、観光地という雰囲気はやや薄い印象だった。 自然と姿勢を正し手を合わせたくなるような、そんな空気がここにはある。 20年に一度の遷宮を3年後に控え、それぞれの宮の隣には、宮を遷すスペースが用意されているのが他の神社との一番の違いで、 伊勢神宮について調べると遷宮直後のぴかぴか白い木の鳥居や社殿の写真や画像を見ることがあるが、今回現地で見たそれらは、前回の遷宮から既に17年経っており、 風雨にさらされていい感じに古びてきていた。ぴかぴか新しくなったときに見に来るとまたかなり違った印象なのだろう。

豊川茜稲荷神社1
豊川茜稲荷神社1。

豊川茜稲荷神社2
豊川茜稲荷神社2。

■勾玉池のほとり、外宮からほど近い場所にある豊川茜稲荷神社にも立ち寄ってみた。もみじの木が赤々と色づいている。参道には奉納された鳥居がずらっと並び、 トンネルのようになっていた。地元では「あこねさん」と呼ばれてるとのことで、元々このあたりの地名が「赤畝(あかうね)」だったので、 それがなまって「あこね」になり「茜」の字が当てられたそうだ。豊川茜稲荷と菅原天神が合わせて祭られており、 納められた小さな狐様がたくさん並べられていた。
■外宮前からバスに乗車。「ご朱印巡りきっぷ」はバス乗り放題なので太っ腹だ。三日間有効。町の規模に対して、バスの本数がとても多く、参拝者にとっては便利だ。 4kmほど南へ行ったところにある内宮方面へ。途中、伊勢道という有料道路の高架の下をくぐり、10分かそこらで終点の内宮前バス停に到着。 内宮参拝は翌朝に行くことにして、門前町の「おはらい町」と「おかげ横丁」へ行ってみた。「ご朱印巡りきっぷ」には赤福が無料で食べることができる券もついてるので、 さっそくそれを使ってみた。すぐに赤福餅が三つ入ったお皿とお茶をくれたので食べたらうまい。屋外で屋根がかかっている一角に畳の小上がりみたいな場所が作ってあってそれが赤福のスペースで、 大勢の人が赤福餅やぜんざいを食べていた。昔の参拝者は伊勢うどんと赤福で腹を満たしたのかなとか考えながら食べた。

おはらい町1
おはらい町1。

おはらい町2
おはらい町2。

おはらい町3
おはらい町3。

五十鈴川
五十鈴川。

■「おはらい町」と「おかげ横丁」には飲食店や土産物の店や酒屋や干物の店などが建ち並んでいてとても賑わっているが、このあたりの特産である真珠の店だけ人が寄り付かずさびしい。 おはらい町の中ほどに赤福本店の古い建物があって、そこの脇から五十鈴(いすず)川にかかる「新橋」という橋の上に出てみると、おだやかな川の流れに木々の紅葉が映りこんで美しかった。 余談だが、「いすず自動車」の「いすず」はこの五十鈴である。このあたりが発祥だそうだ。赤福本店の前には土産の箱に入った餅を買い求める人の列ができてて、 橋の上まで並んでた。「お土産最後尾」と書いた札を持ってる係の人が行列を誘導していた。「豚捨」という妙な名前の店でコロッケを買って食べ歩いてみた。 揚げたてでうまかったし、安かったのもよかった。たしか85円だった。
■古い建物を模した郵便局や神宮道場という建物などがあり、おはらい町の北の端まで歩くと人もまばらになって、大きな道の交差点に出ると、 そのそばにあるのが猿田彦神社で、猿田彦は日本書紀や古事記に出てくる有名な神様だ。天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになったということである。 社殿は横に広く、とても立派で大きな屋根を持ち、独特な造りで、他の神社では見たことがない形をしていた。 なにより驚くのは、この猿田彦神社の宮司さんの姓が「宇治土公」さんだということで、「うじとこ」と読む。

宇治山田駅
宇治山田駅。

■少し歩いてバスに乗り、近鉄の宇治山田駅前で下車。伊勢市駅と宇治山田駅は歩いてすぐのところにあるが、宇治山田駅のほうが立派で大きい。 横幅があり、端には塔屋を持つ堂々とした駅舎で、スペイン瓦やテラコッタによる装飾、八角形の窓など、印象に残るデザインの建物のこの駅は1931年の開業だ。 貴賓室もあるこの駅は、国指定の登録有形文化財となっている。 歩いてホテルまで。チェックインをしていたとき、飛び込みのおばさんが部屋空いてないかフロントに尋ねていたが、あいにく満室です、と言っていた。 自分も、この界隈でホテルをネットで探していたとき、どうも部屋がかなり埋まってるなと感じていて、紅葉の時季だから参拝客が多いのかな、 とか思ってたら、普段から土曜は混む傾向があるが、この日は東海地方の高校の囲碁の大会が伊勢市であるというんで、そのせいもあってこのへんの宿は盛況だったみたいである。 少し休んでから外へ。日が暮れていた。歩いて北へ数分歩いたところに、河崎という町があり、勢田川に沿って古い蔵などが残る街並みがあるエリアである。 でも暗くてよくわからなかった。夜は人通りも少ない。そんな町の中にある「河崎2丁目食堂」という店で夕食。古い町屋の建物の内側にかなり手を入れて使っている。 無国籍料理の店ということだが、地元産の食材を多く使っているメニューだった。伊勢エビのクリームコロッケとか、アワビ飯の出し茶漬けとか、 鳥羽産鮮魚のブイヤベースとか。店の名物だという生春巻きはしゃきしゃきした野菜とえびが入ってておいしい。 しゃれてるし、店の雰囲気もよく、適度にお客さんがいて賑わって、店の人の感じもよかったし、食べ物もおいしくていい店だった。
No.1550 2010-11-13
検見川送信所
検見川送信所。

旧神谷伝兵衛稲毛別荘1
旧神谷伝兵衛稲毛別荘1。

旧神谷伝兵衛稲毛別荘2
旧神谷伝兵衛稲毛別荘2。

見浜園とホテル・ザ・マンハッタン
見浜園とホテル・ザ・マンハッタン。

茜浜の猫
茜浜の猫。

■来年、日本が招待されて参加することが決まっているコパ・アメリカの組み合わせが決まったらしく、 日本は開催国のアルゼンチンとコロンビア、ボリビアと同組になった。 どうにかグループリーグを突破して真剣勝負の場でパラグアイと再戦してほしいなとちょっと思った。 10年くらい前にも一度招待されて参加してこてんぱんにやられた。この10年での成長を見せてほしいと思うものの、 南米で、南米の国と対戦して日本が勝つところをなかなか想像しにくい。
■ところで、よい気候になってきたので自転車でいつもよりちょっとだけ遠出した。 国道14号を東へ。久しぶりに千葉方面へ。驚いたことに、14号線の幕張のヨーカドーとかニトリとかあるあたりに、 自転車専用レーンができてたのだ。車道ではなく、歩道をつぶしてつくったレーンだったのはとても残念だが、 それでも、主要道路に自転車レーンがつくられるなんて、世の移ろいを感じる。車道つぶせ。車なんて楽なんだから、 少し不便な思いするくらいでいいのに。元々、このあたりの道路は、埋立地だったから広くつくられているから、 自転車レーンを作っても歩道は広々しているが。
■検見川陸橋の交差点から坂をよいしょよいしょと登って、登りきった少し先の交差点を入っていくと、 ほどなく見えてくるのが「検見川送信所」である。1926年竣工の建物。ウィキペディアによると 「対外国通信を目的とした施設であり、また日本で初めて短波による標準電波を送信した施設でもある。 1930年10月27日、ロンドン軍縮条約締結に当たり、内閣総理大臣濱口雄幸が記念演説を行い、濱口の演説をアメリカ合衆国とイギリスへ向けて送信した。 またアメリカ合衆国からは第31代アメリカ合衆国大統領ハーバート・フーヴァー、イギリスからはラムゼイ・マクドナルド首相の演説を受信し、 日本各地へラジオ放送を発した送信所でもあった。太平洋戦争(大東亜戦争)中は南方の占領地との通信拠点だった。 表現主義の本館は東京中央郵便局を設計した逓信省技師の吉田鉄郎が設計した」ということである。 1979年に施設が廃止となったが、建物は全ての開口部が鉄板でふさがれた姿で残っている。敷地は千葉市の所有。
■いわゆる廃墟。敷地は立ち入り禁止になっているので、あまり近くまでは行けない。完成当時は「白亜の局舎」と言われたというから、 当時はスタイリッシュできれいな建物だったのだろう。今はくすんだ灰色で表面のコンクリートもところどころはがれて見る影も無いが、 よく見ると角が丸くなっていて、コロンとしたかわいらしいデザインに見える。
廃墟の周辺は、新興住宅街で、すぐ横には真新しい家がたくさん並んでる住宅展示場が広がっており、 遠くには幕張のビル街、千葉市街方面には高層マンションなどが見え、なんだか時空がゆがんでるような感覚になる。 となりのグランドでは少年達は野球をしていた。
■さらに国道14号線を東へ。稲毛の浅間神社では、ちょうど七五三の家族連れが着飾って来ていたようだ。その近くにある 「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」を訪ねてみた。国道に面した、少し高台になった場所に建つ洋館である。同じ敷地内には「千葉市民ギャラリーいなげ」という建物がある。 置いてあったリーフレットによると「この洋館は『日本のワイン王』の異名を持つ明治の実業家、神谷伝兵衛の別荘として大正7年(1917年)に建てられた」ということなので、 先に訪れた検見川送信所よりも古いが、とてもよい状態で保存されているように見える。神谷伝兵衛っていうのはいったい誰なんだと思ったら、 それも書いてあった。「東京浅草『神谷バーのデンキブラン』や『牛久シャトー』の創始者として成功」したそうだ。デンキブランは聞いたことある。 生涯を日本人のためのワイン作りに捧げた人物だそうだ。
■外観は完全に洋館で、入ってすぐある広間や階段ホールなどは完全に洋館のそれだが、二階に上がってみると、いきなり「純和室」といった様相で、 広い床の間もある。ワイン作りの人物の別荘ということで、付け書院の透かし彫りや照明のデザインはぶどうをモチーフにしたものになっているし、 床の間の床柱は、荒くうねるぶどうの木が使われている。先にも書いたが、この建物が面する国道14号線はかつての海岸線で、 もともとこの洋館も海辺の別荘だったわけである。埋め立てで海がはるか遠くへいってしまったが、建物自体の魅力は損なわれることなく、 むしろ手入れが行き届いていて気持ちがいい。「千葉市で最も古い鉄筋コンクリート建造物」で、関東大震災にも耐え抜いたそうだ。 だから、戦前の堅牢な建築物を戦後の耐震基準で診断して「危険だ」といって壊すのはやめてほしい。
■国道14号線から離れて東京湾の方向へ。大きな団地があり、京葉線の稲毛海岸駅の脇を抜け、海浜大通りに出てから習志野方面へ向かった。 ヨットハーバーの交差点や千葉西高のあるあたりを通りすぎ、美浜大橋を渡ると、見慣れた幕張海浜公園。 その中にある「見浜園」という日本庭園へ立ち寄った。紅葉にはまだちょっと早かったようで、ところどころ色づきはじめてきたくらいだった。 池には大きな鯉が泳ぎ、木々の向こうには幕張のオフィスビルや高層ホテルが見える不思議な景色である。 色づいた木の前では、若いカップルをプロのカメラマンらしき人が撮影していた。結婚式のなにかに使う写真を撮っているみたいで、 着物を着ていた。
■茜浜に立ち寄った。午後に来るのは久しぶりだったが、やはり人がたくさん来ている。東京湾の上に太陽があって、海面がまぶしい。 いつもの猫たちは2匹くらいしか見なかった。まろにえ通り経由で帰宅。久しぶりにけっこう走ったが、それでも30kmもいかなかった。 ひさしぶりに、長い距離を走りたい気持ちが少し出てきた。それにしても、自分が知らないだけで、自転車で行ける範囲だけでもいろいろあるものだなと思う。
No.1549 2010-11-07
茜浜の猫
茜浜の猫。

谷津干潟
谷津干潟。

■午前中、自転車で茜浜。少し雲っていた。空気が冷えてきて気持ちがいい。浜辺ではトランペットの練習をしている者と、 サックスの練習をしてる者がいた。一緒にやってたわけではなくて、それぞれ離れたところでやってた。 トランペットの人は、ソニー・クラークの「CANDY」を吹いてて、けっこううまかった。ロード乗りが二人ほど。いつもの猫達数匹。 県道15号近くのケーズデンキは、外観はほぼ完成していたように見えた。帰りは久しぶりに谷津干潟方面。 干潟の外周に整備された遊歩道を中高年がウォーキング。長生きへの執念がすごい。
No.1548 2010-11-05
NHKホール
NHKホール。

■待ちに待った11月5日がきた。職場を早めに出て総武線代々木乗換えで原宿下車。原宿なんて来るのいつ以来だろう。思い出せないくらい昔。 数分歩いて初めてのNHKホール。どうにもおもしろみのない建物である。エントランスロビーにはTOKYOFMとかジャックスカード、 桑田佳祐・原由子夫妻、鈴木雅之などから贈られた花があった。グッズ売場が設けられていて、盛況である。 ホールに入ってみたら豪華だった。でかくて立派なパイプオルガンまである。ここで紅白歌合戦やってんだなあとか思って席についた。 周囲を見回すと、客の年齢層が高い。すごい。おっさんおばさんばっかり。でもこの人たちの多くは、RIDE ON TIMEとか、 それよりもっと前から、達郎サウンドの良さに気づいてたセンスのいい人たちだ。 それにしても、40代、50代とおぼしき女達の見苦しいほどの若作りっぷりはどうしたことか。近年ひどい。年相応という言葉を知らないみたいだった。 おっさんは、ただそのままおっさんだから別に気にならないのだが。
■そんなつまらないことを言ってる場合ではなかった。ステージ上にはとても凝ったセットが設えてある。アメリカの農村の家みたいなのがふたつ建ってて、 風力発電の風車があったり、遠くの山や町並みみたいのが見えたり、荷台のあるトラックが置いてあったりする。こんなにしっかり凝ったセットを組んであるライブを見るのは初めてだった。 座席のあるホールでのライブというのは、自分にとってはおそらく初めてのことなので、なんだか落ち着かないようなへんな感じがした。 音楽のライブを、こうやって座席に座って見るのはナンバーガールの最後のツアー、ゼップ東京の2階席で見て以来ではないか。2002年のことだ。 あそこは「ホール」というのとはまた違うが。関係ないが、あのゼップでのナンバーガールのライブのとき、自分のすぐ目の前に椎名林檎が座ってた。
■また話がそれた。予定時間を数分過ぎたところで開演。アカペラが流れる中、バンドメンバーが登場。その後に達郎さんが登場。 すぐに演奏が始まり、最初の曲は「HAPPY HAPPY GREETING」。自身のデビュー35周年にちなんだのだのではないだろうか。 ここのところ、ライブというと年に一回、ライジングサン・ロックフェスティバル・イン・エゾ(以下エゾ)に行くくらいだったので、 野外の音になれてしまってるみたいで、室内でのライブの音に耳が慣れるのに少しばかり時間がかかった。 あと、ライブの序盤に地震があった。そこそこ揺れてたのだ。で、そのときに思ったことは、避難とか身の安全ではなくて、 たのむからライブ中断とか中止とかだけはやめてくれほんとたのむ、ということだった。
じゃあ、まずセットリストを。
1.HAPPY HAPPY GREETING / 2.SPARKLE / 3.DAYDREAM / 4.DONUT SONG / 5.僕らの夏の夢 / 6.WINDY LADY / 7.砂の女 / 8.SOLID SLIDER / 9.潮騒 / 10.MOST OF ALL / 11.I ONLY HAVE EYES FOR YOU / 12.クリスマス・イブ / 13.希望という名の光 / 14.さよなら夏の日 / 15.今日はなんだか / 16.LET'S DANCE BABY / 17.アトムの子 / 18.LOVELAND, ISLAND / (encore) 19.街物語 / 20.RIDE ON TIME / 21.いつか / 22.DOWN TOWN / 23.YOUR EYES
■曲順に感想なども書いてみることにする。
オープニングの「HAPPY HAPPY GREETING」が終わってすぐに「SPARKLE」。あのカッティングをしながらあの声量で歌えるのがとにかくすごい。 この曲のイントロは日本の音楽史に残る。 カッティングってサイドギターのやるリズム取りみたいなもんだろと思ってたらおおまちがいである。あのクリーンなカッティングはいいよなあと思う。 いろんなギタリストに「日本でいちばんカッティングがうまいのは誰?」と聞いたらたぶんたくさんの人が達郎さんと答えるのではないかと思うくらいうまくていい音が出る。 そして「DAYDREAM」は細かい譜割りのメロディーが小気味よくて楽しい。名盤「RIDE ON TIME」の2曲目に収録されている隠れた名曲で、 エゾのときもやってたが、あの後、家で一番聞いた曲がこれかもしれぬ。 ホールなので客の手拍子がすごく反響した「DONUT SONG」は、バディ・ホリーの「NOT FADE AWAY」やデキシー・カップスの「IKO IKO」の一節を混ぜて歌ったり、 一階席、二階席、三階席それぞれの客に手拍子を促したりして、だんだん客の体が動くようになってきた。今回のツアーは古い曲が多めですが、 これは新しい曲です、と言って「僕らの夏の夢」。2009年に出たシングル曲。 MCを挟んで「WINDY LADY」。アレンジも全部シュガーベイブ時代の完全コピーでやります、ということで、アルバムに収録されているバージョンよりもファンク色が強い。 「SOLID SLIDER」では、終盤のサビでの、太く力強いシャウトがすごい。57歳の声とは思えない張りがある。途中、キーボードの難波さんがスキャットしながらソロを弾いていたが、 最初、それが誰の声かわからなくてステージ上をきょろきょろ見回してしまった。 達郎さんがライブ中唯一腰を下ろしたのが次の「潮騒」を弾き語るためにRhodes(ローズ)ピアノの前に座ったときだった。 Rhodesピアノの音はやわらかくとてもいい音色だった。「私みたいな者にもファンクラブなんてあってですね。 そこでライブでやってほしい曲というのをアンケート取ったら、1位が『潮騒』でした」と言っていた。 12年ぶりに今回のツアーで演奏したとのこと。所有していたRhodesが壊れていて、フェンダー社がこのピアノの生産をやめてしまってたのでずっとこの曲ができなかったが、 ようやくフェンダー社が復刻盤を発売したので、購入したのだそうだ。国内輸入第一号が達郎さんだそうだ。
■ここで二曲ほど、テープにのせて一人アカペラでドゥワップの曲。今年亡くなったムーングロウズのリーダー、ハーヴィー・フークウェイの作品をカバーした「MOST OF ALL」、 フラミンゴズのカバーで「I ONLY HAVE EYES FOR YOU」。一人アカペラということは、複数のパートを一人でやって重ねるわけだから、広い音域の声が出せないとできない芸当だ。 あんまり他の人はやらないのではないか。今でこそ、若い人たちもグループでアカペラをやるが、達郎さんは10代でドゥワップにはまり、友人を誘ってやろうとしたが誰も賛同してくれず、一人で多重録音してたという話や、 ドゥワップが生まれた背景などを話していた。 達郎さんによる「O' COME ALL YE FAITHFUL」のアカペラが流れて「クリスマス・イブ」に入っていく流れは、あまりにも美しくて鳥肌が立った。 もうすぐこの曲がたくさんかかる季節になるのだと思うが、この曲は1983年の作品なのにいまなお聴かれ続けてるのは、 大瀧詠一が「100年に1度出るか出ないかの名曲」と評しているくらいの作品だからだろう。2009年にはオリコンシングルチャートで24年連続TOP100入りという記録を達成した。 打ち込みではなく、バンドでやるこの曲はちょっと新鮮だった。オーケストラをバックにして歌ってほしいと思った。 「希望という名の光」は、映画の主題歌になった曲だよな、くらいにしか思ってなかったが、いい曲だ。達郎さんはこの曲について 「若い頃には、照れやが衒いあって書けなかったような曲も、年を重ねて書けるようになりました」と言っていた。 曲の途中「この曲を作るきっかけをくれた、いま療養中の岡村君と、私の友人である桑田(佳祐)君に捧げます」と言ったあと 「蒼氓」(桑田夫妻と竹内まりやがバックコーラスをやった曲)を途中に混ぜて歌った。 「さよなら夏の日」では、ギターを置いてハンドマイクでステージ上を歩きながら歌った。 エゾのラストで歌った曲で、あの感動的なステージの思い出がよみがえって泣きそうになる。
■「この曲は本当は、シュガーベイブ時代にいつもやってたようにラストにやろうと思ってたんですが、昔これを最後にやって いやな思いをしたトラウマがよみがえるから曲順を変えて途中に入れました」という話の後でやったのが「今日はなんだか」。 CDで聞いてたときは思わなかったが、これが意外にもとてもライブ映えする曲で、バンドの音がとても曲に合っているように感じた。エゾでこれをやってほしかった。 そしておもむろに客が立ち上がり始めた。「LET'S DANCE BABY」から立ち上がるのがどうやらファンの間の暗黙の了解のようだ。 曲の途中、今年亡くなった、この曲の作詞者である吉岡治氏の作品でメドレーをやった。 おもちゃのチャチャチャ、真赤な太陽、命くれない、天城越えなど。後方にいた年配の夫婦がすごくうけてた。 この曲では、途中で多くの客がクラッカーをパァンと鳴らすのが恒例になっているみたいだった。 「心臓に指鉄砲」という歌詞の所に入れたピストルのSEを、あるとき2人の客がクラッカーで真似をして、それが全国に拡がっていったそうである。 会場あっちこっちから一斉に鳴る様はなかなかのものだった。曲の途中、達郎さんが、クラッカーの由来を話していた。で、 みんなこれを楽しみにしてるので、この曲をやめられなくなってしまった、とも。30年間、この曲はライブで欠かしたことがないのだそうだ。 続けてロカビリーの「MEAN WOMAN BLUES」をロイ・オービソンのバージョンで勢いよくワンコーラス歌い、その勢いのまま「アトムの子」。 途中、なぜかウルトラマンのテーマを歌っていた。弾むようなリズム隊の音が客を踊らせる。そして本編のラストが「LOVELAND,ISLAND」。 曲の後半でメンバーを紹介し、大阪フェスティバルホールから譲り受けたという拡声器でラストの「I Love You」をオフマイクで歌って終了。 メンバー全員がなぜか駆け足でステージを去り、客がみな立ったまま手拍子でアンコールを求めた。
■しばらくしてメンバーが再びステージ上へ。「まあみなさん座ってください」と一度客を座らせて落ち着かせてから「街物語」。 そして「RIDE ON TIME」。歌い出しの「青い〜」のところで近くにいた女が、興奮したのか「ギャー!」とすごい声を出した。 途中の「ウォッオッオッ」のところがいつ聞いてもかっこいい。3オクターブの声を存分に見せつける。 声なのに「見せつける」というのは変かもしれないが。力強さに圧倒される。 続いて「いつか」。個人的には、どうしてこれがベスト盤に入ってないのか不思議だなと思うくらいの名曲。 アンコールでやってくれてすごく嬉しかった。イントロのベースラインがとてもスタイリッシュでわくわくする。 コーラスのアレンジには少し時代を感じさせるが素晴らしい。一度生で吉田美奈子のコーラスでも聞いてみたかった。 そしてシュガーベイブ時代の曲「DOWN TOWN」。ひょうきん族のエンディングではEPOによるこの曲のカバーが使われていた。 客の手拍子が小気味よく楽しい。都会の夜に合う曲。メンバーがステージ上から去り、そしてアンコールラストはサックスの土岐さんと二人で「YOUR EYES」。 セットの照明も落ち、スポットライトの明かりだけが灯る中、朗々と英語詞を歌い上げる。 3時間半歌いしゃべり続けてきたとは思えない伸びやかな声。 クロージング・ナンバーとしてアカペラの「THAT'S MY DESIRE」が流れるなか、達郎さんは何度も何度もお辞儀をして、ステージから去っていった。
■終盤、「LET'S DANCE BABY」あたりからたたみかけてぐわーっと上げていって客もぐしゃぐしゃになり、 いったんアンコールで落ち着くも、「RIDE ON TIME」ですぐまた一気にテンションがあがって、最後に「YOUR EYES」でじわーっと、感動の余韻を引くように終わるという一連の構成は、 本当に圧巻だった。終演後に客電がついてホールから出ていく客たちが全員、満足そうな顔でにこにこしていた。
■達郎さんは、たくさんしゃべった。曲と曲の間、そして曲の途中にも、上に書いたようなことのほかにもいろいろな話をした。 なので、記憶にある限りのMC内容を書き留めておこうと思う。本当は盗み録りしたいくらいだったが、 さすがにそういうことは大人はやったらいかんと思ってぐっと我慢して、なんとか一つでも多く記憶して帰ろうとけっこう必死で聞いてた。 そんな記憶を頼りに、だいたいこんなようなことを言ってたというのをなるべくたくさん書き残しておくことにする。 言い回しや細かい部分など、若干ちがってるところもあるかと思うが、だいたいこんなニュアンスだったということで読んでもらえればと思う。
■自身がテレビに出ないことなどについて。
「テレビに出ないので、変な伝説ができてしまったりします。バンドのメンバーが知り合いに『山下達郎ってヤクザなんですか?』と聞かれたそうです。 あと、レコード屋で、店のレコード全部ちょうだいと言って全部買ったとか。そんなことはしません。一枚一枚しっかり見て買ってます。 家族でディズニーランドまでタクシーで行ったとか。うちから3万くらいかかりますよ。自分で運転して行きます。あと、ライジングサンのときに、 前のほうにいた若い子がこっちを指さして『ほんとにいた!』と言ってました。」
「テレビに出ることで発生する『お釣り』がいやなんですね。たとえば駅の売店のおばちゃんに『テレビ出てた人!』って言われたりする。」
「デビューして35年、ずっと音楽やってきましたが、サブカルチャー側にも入れず、ザ・芸能界は御免蒙るというスタンスで活動してきたこともあって、孤立感がありました。」
「でも、嫁の曲づくり等の仕事でなんとか社会性を持つことができていたので感謝しています」
■お客さんのことなど。
「最近はどういうわけか、20代、30代のお客さんが増えてます。ご両親の影響でしょうか。若い世代の人たちは、ライブに、予習してから来るそうです。 演奏する曲目をあらかじめ知って、音源を聞いてから来るらしい。そんなものは必要ないです。 予備知識なしで来て楽しめないのはライブじゃないと思います。もし楽しめなかったら、山下達郎とは合わないということで、他の楽しめるライブを探してください。」
「今日(追加公演)のお客さんは招待なし、コネなし、ファンクラブ枠なし、マスコミなし。本当に自力でチケットを取ってくれた人達です。 普段ならだいたいあのへん(2階の前列あたりを指さして)にずらーっとマスコミ関係がいるんですけど、あんなの本当はいらないんです。」
「このあいだの中野サンプラザでやったときなんて、ファンクラブの連中が前のほうで腕組みして、ほら、今日は何やるんだ、聞いてやるよ、 みたいな態度で座ってて、公開オーディションみたいな状況でした。」
「またこういうこと言うと毒舌だとか言われるんです。洒落が通じない世の中になってますからね。あのひとあんなこと言って大丈夫なの、なんて言われます。大丈夫なんです。」
■ツアーなどについて。
「ライブツアーの間隔があいてしまって、5年とか6年とか間があいて、そうこうしてるうちにバックバンドのメンバーを他のアーティストにとられたりしました。」
「今回は、夏に始まったツアーでしたが、今までは冬にツアーをやることが多かった。とても乾燥してるんで、 地方に行くとホテルで浴槽にお湯をなみなみと入れておいてもそれでも足りないから、床に水をまいて寝るんです。でも朝にはカラカラに乾いてますね。」
「以前はチサンホテル、東急イン、アルファ1とか、出張のサラリーマンにおなじみの宿を利用していました。」
「このバンドで、いま古いアルバムから順に練習してるんで、今回のツアーでは古い曲が多くなりました。まだ『アルチザン』(1991年の作品)あたりまでしかやってません。」
「このバンドでやれてるいまはとても幸福です。」
「ワイヤレスのマイクは使いません。理由は単純です。音が悪いから。ギターもぜんぶワイヤードです。これからもずっとです。 使ってるのも80年代からずっとアナログシンセです。」
「昔はツアーやっても今みたいに満員にならなくて、2階席がぜんぶ空いてて2000人くらいのホールでお客さん700人とか、特に地方行くとそういうことはよくありました」
「MCもツアーの全会場同じでやろうと思ってた頃もあったけど、もう面倒くさくなって。お客さんいじり楽しいしね」
「東京では、中野サンプラザでずっとやってきたんですけど、あそこは音はそんなに良くないです。でも、あそこでは昔からずっとやってるんで、融通をきかしてくれる。 私みたいに長い時間やる人間にはありがたい。あそこのCCレモンホールとかはだめですね」
「このNHKホールも取り壊しという話が出ているようです。もし壊すとなったら、暴れてやろうと思います」
■今後の活動など。
「基本的にツアーというのは、アルバムのプロモーションです。なので、今回みたいに、新譜を伴わないツアーはめずらしいと思います。 これからは切り離してツアーはツアー、レコードはレコード、という風にやっていこうかと。今後はライブを中心にやっていけたらいいなと」
「還暦までは毎年ツアーをやります」
「来年はライブハウスツアーをやりたい」
「オールスタンディングではなくて、ちゃんと年寄りのためにイスも用意します」
■その他、エピソードなど。
「この業界では、レコードを出すとそれがデビューということになります。22歳でデビューして今年で35周年です。 自分はルックスはよくないし、踊りもできませんから、将来はレコード会社でA&Rの仕事でもしているかと思ってました。 まさか自分が35年経った今もNHKホールのステージにこうやって立っているなんて思いませんでした」
「ネットの掲示板で人の似顔絵をつくったバカがいますけども、あんなに唇、分厚くねえってんだよ(笑)」 (→川´3`)これのことかな)
「昔、カラオケにむりやりつれていかれて、『GET BACK IN LOVE』(自身の曲)を歌うことになったんですけど、一般の人が歌うにはキーが高いので、 オリジナルキーよりも二音半低い設定になってて、なんか変だなおかしいなとおもいながら歌ってたら、一緒に来てた女性が「なんか違う・・・下手」とか言ってて、 しかも採点が18点でした。で、評価のテロップが出るんですよ。『もっと曲をつくった人の気持ちになって歌いましょう』だって(笑)」
袖でテープ出しをしてる女性を紹介するためにステージ上に呼んだとき、 「最初彼女はステージ上に出てくるのをすごくいやがってて、泣いていやがるからセクハラとか言われてもまずいなと思ってたんですけど、 何度もやってたらそのうち慣れてきてだんだんのりのりになってきたみたいで。そのうちコスプレとかしだしたらどうしよう(笑)。 (笑いながら)自分で言って自分でうけてんの」
■シュガーベイブ時代の話。
「昔、金沢のあるイベントに出たとき、次が最後の曲です、と言ったら客に『まだやんのかよ』って言われて(笑)メンバーみんなでトボトボと帰ってきた思い出があります」
「レコード・コレクターズという雑誌がありまして、8月号で70年代のロック名盤ランキングというのをやってました。そこではなんと、 シュガーベイブの『Songs』がはっぴいえんど、ジャックスに続いて3位でした。あのころぜんぜん評価されなかったのに(笑)そのときに言ってよ、っていうね(笑)」
「あの時代は、客を煽って盛り上げるような音楽が主流で人気があったので、シュガーベイブはいまひとつ受け入れられなくて。 野次られるくらいならいいんですが、しまいにはものが飛んできたりして、いまでもこのあたりに(おなかのあたりを指して)トラウマが残っています(笑)」
■会場の客に対して。
「あなた声通らないね」(MCで話すべきことをメモしてあるカンペを見てチェックしてたら、客から「マメだね」と声がかけられ、 最初聞き取れなかった達郎さんが「え?」と聞き返して、こう言った)
「我々は日光の猿回しとおんなじで、ほめてのせられればいいパフォーマンスになるんです」
「セットリストはブログとかに書かないで下さい。まだ一本(八戸公演)残ってるんで。 11月8日のライブでツアーが終わるんで、それ以降はもう、煮るなり焼くなりしてください」(この文章を書いてるのは11月11日です)
「いまライブに来てくれてるお客さんの中心はおそらく40代や50代です。この不況の世の中で一番苦労してる人たちだと思います。 大変な時代ですが、一緒にがんばっていきましょう」
「政治家はなにやってんだ。株安と円高なんとかしてほしいですね」
「平和でなければ音楽はできません」
■「予習すんな、俺のライブに合わなきゃ他行け」っていうのは自信の裏返しだなと思った。絶対楽しませるという自信があるんだろうな。 それと、言葉の節々から、シュガーベイブへの強い愛着を感じた。自分のルーツとなったバンドを、いまでも大事に思ってるんだな、と。 あと、ライブハウスツアーをやるとか言い出したのは、ひょっとしたら夏にエゾに出演したときの手ごたえというか客の反応を見て、 なにかしら思うところがあったのではないだろうか、なんて考えたりもした。ライブハウスとなると、チケットを取るのが相当困難になりそうだが。
■他に印象に残ったのは、ドラムの小笠原さんだ。スティックの軌道やフォームがとても美しい。まだ20代だという。 達郎さんに選ばれるだけあるなと思った。恐るべき20代ドラマーである。そして土岐さんのサックスがとにかくすごかった。 サックスってあんなに強くてつやのある音が出るんだ、と思って驚いていた。 曲の途中でドラムの小笠原さんとサックスの土岐さんだけの音になるとき、ジャズのライブみたいだった。 オールディーズのナンバーもちょこちょこ曲中に取り入れてるあたりが、なんとも達郎さんらしい。 で、客の年齢層が高いせいなのか、とてもノリが悪いように見えたのだ。驚いた。東京と地方ではまた違うらしいが、とにかく、 オープニングからじっと座ったままのライブっていうのがちょっともったいないというか、ステージと客席の温度差がとても大きいように感じて、 なんだかテレビを見てるような気持ちになった。正直いって、自分なんかもう2曲目の「SPARKLE」のときには既に立ち上がって体を動かしたかった。 ホールライブなのでいきなり誰も立ってないタイミングで立つのはさすがにはばかられると思って立たなかったが。 もちろん人それぞれいろんな楽しみかたがあるし、むしろ客が画一的なアクションをするライブのほうがおかしいと常々思っていたが、 この日のライブでは、とてももどかしい気持ちがずっとあった。達郎さん自身は、スポーツじゃないんだから、一曲目から客が総立ちにならなくていい、 じっくり聞いてほしい、予定調和はいらない、といったような発言をしているらしいのでこういう状況になってるのかもしれないが、 でもそれにしたって、客みんなが「LET'S DANCE BABY」から立ち上がる、っていう暗黙の了解こそ予定調和なのでは、と思った。 あと、手拍子のリズムがどうもへんな人がまわりにたくさんいて、年齢層が高いから仕方ないのかもしれぬ。
■それにしても、きっと、こんな凄いライブは一生に何度も体験できるものではないから、 この日のライブのことを思い出せば、またあと何年かがんばれるなと思った。 そして、初めて生の達郎さんを長い時間見て、熱心なファンが多い理由がよくわかった。達郎さんの人柄だ。 やさしい、っていうのともちがうが、真摯で、人をひきつけるすごい力を持っている。
■会場の外へ出ると22時をとっくに過ぎていた。3時間半にも及ぶライブだったが、そんなに経ってたんだ、と思うくらいあっという間に終わっていた。 放心状態で駅まで歩き、新宿から津田沼行きの電車に乗り換えて帰った。
No.1547 2010-11-03
国立競技場1
国立競技場1。

国立競技場2
国立競技場2。

■午後、国立競技場へ。ナビスコカップ決勝、磐田対広島の試合を観戦。ここ数年、決勝の日は天気がいい。 千駄ヶ谷駅から歩いて青山門から入場。信濃町駅で降りたほうが早かった気がする。 この日は秩父宮でラグビー、神宮球場で野球、東京体育館では女子バレーの試合もあったりして、 国立界隈で同じ時間にいろんなスポーツの試合が開催されてたみたいだった。にぎやかなことである。
■毎年、ナビスコのお菓子はくれるし、オールカラーで写真の多いパンフレットもくれるのに自由席2000円は安いと思う。 しかもバックスタンドで試合が見れる。国立のバックスタンドの最上部から見る新宿のビル群の風景は素晴らしい。 甲府の小瀬や松本のアルウィンから見える山並みもとてもいいが、人工物の圧倒的な存在感もいいものである。
■というわけでバックスタンド中央の最上段、聖火台付近の座席で観戦。メインスタンドの指定席は、売り切れのはずなのにところどころ空席のかたまりがある。 ダフ屋とか転売屋連中の仕業だろうか。そして両クラブのファンが作り上げたゴール裏スタンドのコレオグラフィが美しい。 試合は、磐田が前から強くプレスをかけ続けていた。その圧力で広島にはいくらかミスが出たが、しつこいくらい後ろからつないでいき、 時折大胆にサイドチェンジのパスを成功させて優位な局面をつくる広島のスタイルには魅力を感じた。 広島の一点目、ミキッチという選手の右サイドの突破がとてもよかった。元ジェフの山岸や中島も頑張っていた。
■磐田対広島という、一見地味な対戦だったが、延長戦までもつれこみ、多くの得点が入った派手な試合となった。 ただ、決して大味だったわけではなく、見所が多くて内容の濃い試合だったように思う。レフェリーのジャッジも大きな問題はなく、 ストレスは感じなかった。磐田の優勝というのはあんまり見たいものではなかったので、延長後半残り数分のところで国立競技場を後にして駅へ。
■これで勝ったほうが優勝、という試合は、リーグ戦最終戦でそういうシチュエーションになる可能性も無くはないが、 いまのところこのナビスコカップの決勝と天皇杯の決勝しかない。 そういう試合の緊張感と、コレオグラフィなどに現れるお祭り感がある試合っていうのはいいものだ。ひさしぶりのサッカー観戦だった。
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