|
トップ |
メール |
BBS
No.1462 2009-12-31
旧函館区公会堂。
カトリック元町教会。
聖ヨハネ教会。
北斗ビル。この界隈で好きな建物の一つ。
かつて路面電車に指令を出していた十字街の操車塔。
■早起きして快速で新橋。新橋駅には、ゆりかもめでコミケへ向かうと見られる者らが早朝からうろついていた。
都営浅草線から京急に直通する羽田空港行きに乗り換え。品川からどっと乗ってくるのは毎度のことである。
この12月から手荷物の大きさを厳しく制限すると聞いてたので期待してたが、べつにそんなに変わってなかったみたいで、
キャスターのついたでかいやつを平気で機内に持ち込んでるのが何人もいてがっかりした。
手荷物検査場は長蛇の列。どうにか定刻10分前くらいに搭乗。手荷物検査で時間がかかったせいで何人もの客が遅れて乗ってきた。
遅れた連中は置いていけばいいのにと思う。いちばん前のほうの席だったので、遅れてきた者らを見てたが、
だいたいがちゃらちゃらしたかっこうの女だった。北日本は荒れ模様の天気だったので、飛行に影響あるかなと思っていたが、
どうにか函館空港に着陸できた。上空から、大森浜が白く波立っているのが見えた。横風がとても強いのに、
それにあおられることなくまっすぐ着陸できるのはすごいなあと思う。地上は吹雪。寒い。バスで函館駅まで。客はけっこう乗っている。
道路が混んでいて、いつもの倍くらいかかった。函館駅からJRで一駅、五稜郭駅で下車し、歩いて実家まで。
路面がてかてか凍ってて、滑るので歩きにくい。
■昼は甥っ子たちも集まって手巻き寿司。この時期のイカは新鮮なのが少ないからいまいち。しかし腹が苦しくなるほどいろいろ食べた。
甥の一人と将棋をやってこてんぱんにやっつけてやった。夜は函館病院前から1系統の高龍寺行きのバスに乗車。
このバスは函館市内を遠回りしながら30分ほどかかって函館山のふもとまで行く。いわゆる西部地区といわれる観光エリアまで行ってみようと思い、公会堂前というバス停で下車。
大晦日の夜、町はひっそりとしていて、道行く人も車もとても少ない。建物のライトアップをやってるんじゃないかと思って行ったのだった。
寒いし雪は降っていたが、教会や古い建築物がきれいにライトアップされていた。夜で、しかもきびしい天候だったので、
観光客はほんの数人しか見かけなかった。寒いと人間、余裕がなくなるもので、撮影もなんだかいいかげんな感じになってしまったが、
なかなかこういう機会もないと思い、たくさん撮った。船見町の船魂神社では、初詣の準備がすっかり済んで、参拝客を静かに待っていた。
帰りは、二十間坂を下りたところの北斗ビルを撮影してから、市電の十字街の停留所へ向かい、
路面電車に乗ろうと思ったのだけど、大晦日の特別ダイヤで、最終便が19時半くらいで終わってたので、やむを得ず函館駅まで歩いた。
すごく吹雪いてて、顔や耳が寒さで痛くなった。こんなのは本当に何年ぶりの体験だった。駅に入ったらあったかくてほっとした。
コーヒーでも飲もうかと思ったが、駅前のドトールも既に閉まっていて、駅の中の店も全て閉店していたので、自動販売機であったかい飲み物を買って飲んだ。
それからJRで帰った。客はほとんど乗ってなかった。静かな年の瀬はいいなと思った。風呂に入って、日付が変わる前にテレビもまったく見ないで早々と寝た。
No.1461 2009-12-30
茜浜の猫1。
茜浜の猫2。左奥に見えるのはマリンスタジアム。
■年も押し迫ってきたが自転車で茜浜。空気が澄んでて、幕張のビル街もよく見える。
猫たちは元気そうだった。子猫も見た。ずっと前からいる体の大きなオス猫もひさしぶりに見た。
穏やかで日差しがあたたかかったが、急に雲が出てきて北風に変わり、寒くなった。
この一年もなんとか無事に乗り切ることができたことに感謝し、帰りに丹生神社に立ち寄ってお参り。
初詣の準備はまだみたいだった。
No.1460 2009-12-28
東羽衣駅前のようす。
■ホテルで朝食。かなりゆっくり目に二日目スタート。ホテルから駅までの道にはアーケードというのか、歩道に屋根のかかった商店街があって、
そこではダンボールハウスのホームレスたちが寝ている。そのすぐそばでは屋台みたいな物売りが何軒か出ていて、
そんなに広くない歩道には蛇行するおばちゃんの自転車、並んであるくおばちゃん、いろいろいる。
そして信号を守らずに赤信号で次々と道を渡ってゆくおっさんおばちゃん。喫煙所でもない場所でタバコ吸ってるおっさん。
駅のホームで電車に乗るために並ぶ列もなんだがまっすぐじゃなくて、ぐちゃぐちゃで、しかも横から斜めから人が入ってくる。
電車の中では携帯電話をマナーモードにしないし、普通に電話で話をする人も少なくない。
大阪はなんだかフリーダムである。無秩序というのか、混沌としている。でもなんだかわからないエネルギーを感じる町である。
■天王寺から阪和線で鳳駅まで。約15分。鳳から出ているおよそ1.7kmの枝線、通称「羽衣線」に初乗車。
幼稚園生みたいなのが集団で乗ってきた。うるさい。一駅3分で終点東羽衣駅に到着。
駅前に出てみると「昭和ホルモン」と「お好み焼き 河内屋」という、いかにも大阪らしい二軒の店が目に入った。
踏み切りの向こうには南海電鉄の羽衣駅が見える。20分後の電車で引き返す。この1.7kmのために天王寺に泊まった。
鳳から天王寺まで戻り、天王寺から大阪環状線の電車で大阪駅まで。関空快速が環状線に乗り入れていたので、それに乗車。
大阪環状線には、阪和線や関西本線、桜島線、紀勢本線など、色々な路線の電車が直接乗り入れてるのがユニークだし、
合理的で便利だ。新今宮駅のまん前の大きい空き地が気になった。あんなにいい場所なのにどうして空き地なのかと思った。
大阪からは東海道線の快速に乗車。なにかのトラブルで少しダイヤが乱れていた。携帯のラジオでfm osakaを聞いてみた。電波がよくて、走ってる車内でもよく聞こえる。
東京事変の新しい曲がよかった。なんとか三分間とかいう曲だったと思う。長岡京駅あたりから京都のαステーションを聞いてみた。
桂川という駅があった。そんな駅、以前からあっただろうか。
■京都駅を過ぎてトンネルに入り、山科を過ぎて大津に着き、滋賀県に入る。このあたりの景色をゆっくり見るのは久しぶりだった。
膳所のパルコや西武のとなりに、パルコや西武よりでかいマンションできてたので驚いた。
石山あたりからe-radio(FM滋賀)に変えてみた。ちょっと電波がわるい。南草津あたりのマンションの乱立ぶりに驚く。
大阪から約一時間で草津駅に到着。草津から草津線に乗り換え。
今回初めて乗った路線のうち一番ローカル線の雰囲気があったのがこの草津線だった。草津線は、東海道線の草津から関西本線の柘植までの約37kmの路線で、
車窓は、遠景が低い山、中景に集落、近景に田圃が広がるという、日本中よくある景色である。
途中に信楽高原鉄道、近江鉄道との接続駅である貴生川、忍者で有名な甲賀などがある。
貴生川駅でたくさん降りていった以外はそれほど目立った数の乗降はなく、草津からおよそ40分で終点の柘植に到着。
■柘植からは亀山行きがすぐの接続。前日通った関西本線を名古屋へ向かって東へ。25分ほどで亀山着。
時間があるので昼食をとろうと思い、また「志ぐれ茶漬」でもよかったんだけど、
二日続けておんなじの食べるのもあれだったんで、駅前のさびれた食堂に入ってみた。客は他になかったが、
店のおばちゃんが「寒かったやろ」と言ってストーブのそばの席をすすめてくれた。カレーうどんを食べてあったまった。
道を挟んですぐ、パン屋があったので入ってみた。ちょっと買ってみて食べたが、ああなるほど、ふだん自分が津田沼あたりで食べてるパン屋のパンって、
けっこうレベル高いんだ、と思った。亀山からは一時間で名古屋着。
■名古屋から東海道本線で大府まで行き、初めての乗車となる武豊線に乗り換え。
いままで何度も乗ろうと思って、計画がうまくいかず断念していた行き止まり線である。今回ようやく乗ることができたこの武豊線は、
大府から武豊までの約20kmの路線で、30分ほどで終点まで行けるから、一時間もあれば往復できるのだけど、名古屋から大府までが20分。
乗り換えやら何やら入れると、名古屋基点で往復二時間ほどかかってしまう。どこか旅行すると、名古屋から新幹線で帰ることが多いので、
なかなか名古屋から二時間かけて武豊線往復というのができなかった。やってみればどうということはない、大都市近郊の住宅街の中を走る路線で、
名鉄線と並行している区間がけっこうある。半田駅前に、高い塀でぐるっと囲われた広い敷地の屋敷があったのが気になった。
ネットの地図で見ても、庭に池があって広い敷地であることがわかる。どんな金持ちが住んでるのだろう。
沿線の景色で、それ以外はあんまり印象に残らなかったが、夕日がまぶしくてきれいだった。
亀崎駅の駅舎が日本最古の現役駅舎ということを何かで読んでたので、せめて車内から見てみようと思って見ていたが、
たしかにホームの屋根なんかも古いつくりに見えた。1886年の開業当時からのものだそうだ。
終点の武豊駅の前には「高橋煕君之像」というのがあった。何をしたひとなのか知らなかったが、今調べてみたら、とても立派な人だった。
興味があるひとは調べてみよう。
10分後の折り返しの電車で戻る。以前も別の路線であったが、どういうわけか、夜でも名古屋の都心方面へ向かう電車に結構客が乗ってくる。
立ち客も多く出るほどだった。大阪や東京近郊では、夜の都心行きは空いてる印象があるのだけど、名古屋は違うのだろうか。
■帰りは武豊線から直接東海道線に乗り入れて名古屋まで行く、区間快速の電車だった。
先日ここで書いた、自分が初めて行ったヴィレッジヴァンガードである、名古屋駅前の旧生活創庫、現ビックカメラにある店舗へ10年くらいぶりに行ってみた。
電器店のなかをエスカレータで6階まで上がると、以前より広くなったヴィレッジヴァンガードがちゃんとそこにあった。
でも、以前よりあんまりおもしろくなかった。年をとったからかもしれぬ。金のなかった10年前、
いつかこういう店においてる、写真がたくさん載った建築の雑誌なんかを買えるといいなと思ってた。帰りの新幹線で読もうと思って、
写真がたくさん載ってる建築の雑誌を一冊買った。
安藤忠雄の特集だった。とてもおもしろかった。夕食は名古屋駅のすぐ近くでひつまぶし。お茶漬けにして食べるとめちゃくちゃうまい。
値段は安くない。なので小を頼んだのだけど、これで小なのかと思うような量で、おなかいっぱいになった。
名古屋からはこだまでのんびり帰って品川から総武線の快速に乗り換えて帰った。
■今回の旅行で桜井線、片町線、阪和線枝線(羽衣線)、草津線、武豊線を乗り終えたので、JR全線のうち乗車率は94.963%になった。
JR北海道に続いて、JR東海の路線も乗車率100%になった。未乗線の残りキロ数が1000kmを切って、999.6kmとなった(乗車済みは18845.1km)。
No.1459 2009-12-27
関の町並み(1)。
関の町並み(2)。地蔵院近く。
関の旅籠「玉屋」の離れ。
■関西未乗路線乗りつぶしのため、朝のこだまでまずは名古屋まで。富士山がよく見える。
名古屋駅について、朝からきしめん。しょうゆベースのつゆより塩味のほうがうまい。ここから18きっぷ。関西本線の快速亀山行きに乗車。
名古屋駅発車待ち中、携帯電話のラジオで久しぶりに名古屋のZipFMを聞いた。快速は名古屋から20分くらいノンストップで桑名まで。次の停車駅が四日市。
このあたりの車窓は、揖斐川を渡るとそれ以降はこれといって特徴のある景色はない。
■約一時間で亀山到着。駅前のいとう弁当店へ。かつて亀山駅で駅弁として売られていたという「志ぐれ茶漬」を購入。
予約しないと買えない、という情報をどこかで見たが、行って頼んだら作ってくれた。店のおじいさんがその場で作るため、ちょっと時間がかかるので、
タイトなスケジュールで買おうとするときは予約したほうが無難だ。
で、「志ぐれ茶漬」である。これを食べるのも今回の目的のひとつなのだった。おそらく日本で唯一のお茶漬けの駅弁というのを知ってから、
なんとか食べてみたいものだのうと思っていたんである。桑名の蛤の佃煮にたっぷりタレをつけて、のりや白ごまをかけて、
紅しょうがをのせたのに熱いお茶(亀山茶だそうだ)をかけて食べる。
うまい。何時の電車で亀山に着く、と連絡しておけば駅まで持ってきてくれるらしい。
■亀山からさらに関西本線で先へ進む。一駅となりの関駅で下車。駅から歩いてすぐのところに、東西1.8kmに渡って古い町並みが残っている。
かつての東海道の宿場町で、古代に鈴鹿の関があったので関宿というらしい。江戸時代には参勤交代や伊勢参りでにぎわったということで、
往時の繁栄をしのぶ風景が残っている。いくつか古い町並みをあちこちで見てきたが、これだけの長さで残っているのは他では見たことがない。
江戸時代の建物もあるし、明治のものもあって、建物のバラエティが豊富である。だからといって、ばらばらな感じの町並みかというと、
そうでもない。高さがそろってるから、ゆるやかな統一感がある。そして真ん中を通る道が微妙にくねくねと曲がっているのがいい。
遠くが見通せないので、歩いてて次は何が出てくるんだろうというわくわく感がある。
そして、観光地にもかかわらず、日曜日なのに休みの店が多い。商売気ないなと思うが、それはそれでいいような気もする。
道に面した窓の内側で猫が日に当たってたので、それを見てたら、その家のおばさんが出てきて話しかけられた。明るくて陽気なおばさんであった。
■本堂と鐘楼、愛染堂が国の重要文化財となっている地蔵院を見てから、かつての旅籠である玉屋を見学。中に入ることができる。
昔の宿泊施設として「本陣」「脇本陣」「旅籠」「木賃宿」というのがあったのはなんとうなく聞いたことがあったが、
それらがどう違うのかいまいちわからないままだったのだけど、ここの展示パネルを読んだら、どうやら将軍とか藩主、大名クラスが泊まるのが本陣、
それに準ずるのが脇本陣、武士・役人クラス、お金持ちの商人なんかは旅籠、旅芸人とかお金ない人は、燃料である炭代を払って泊まる木賃宿を利用したということ。
木賃というのは炭代だったのか。今でいうと、本陣=シティホテル、旅籠=ビジネスホテル、木賃宿=ユースホステルといったところだろうか。
4月に和歌山線に乗ったとき、名手という駅で降りて名手本陣妹背家住宅という江戸時代の建築を見に行ったが、あれがそういえば「本陣」だった。
玉屋の中に展示されていたパネルで、当時の旅のガイドブックである「旅行用心集」に載っていたという「道中泊屋にて蚤を避ける方法」の記述がおもしろかった。
虫除け効果のある植物をいくつか紹介して、それを道中で採っておきなさい、乾かして座布団の下に敷きなさい、とかいろいろ書いてある。
離れからは立派な庭が見え、こちらにおそらく身分の高い武士等が泊まったのだろう。急な階段を上がると二階で、そこにもいくつか宿泊する部屋がある。
全体的に、宿にしては小さいのではないか、これでは何人も泊まれないのではないか、と思ったが、昔は限られた人間しか旅をすることができなかったから、
これで足りたのだろう。それから「関まちなみ資料館」も見てきた。江戸期の町屋の建物に、関の歴史に関する資料が展示されている。
古い建物というと、権力者に関するものや寺社、豪商の屋敷や先に書いた旅籠、本陣など特別な建物が多いが、
こうやって普通の人が住んでいた町屋を資料館として使って建物も見せるのはいいことだと思った。
■駅へ戻り、関西本線で再び西へ向かう。関の町並みを見るのに二時間ほど時間をとっていたのだけど、ぜんぜん足りなかった。もっと見たかった。
加茂行きで終点の加茂まで。一時間と15分ほど。このあたりの区間には二度か三度ほど乗ってるが、ロングシートの座席の車両ということと、
乗るのはだいたい昼間の時間帯でみんなカーテンを閉めてしまってて、あんまり景色をじっくり見たことはない。でもけっこうな山の中である。
関駅を出るとまもなく「加太越」と呼ばれる峠越えがある。「関西本線」というりっぱな名前の路線だが、亀山から加茂までの区間は、
一両か二両のディーゼルカーが走るローカル色の強い路線である。
加茂でJR難波行きに乗り継いで奈良駅で下車。二月に奈良を訪れたときも大掛かりな工事中だったが、それがまだ続いていた。
もう少しかかりそうである。駅のコンコースの柱など、新しく木製の太いものを使っているし、天井も明るい色の木の格天井にするなど、世界的な観光地である奈良の玄関として力の入ったデザインになりそうだ。
■奈良から桜井線に乗車。ようやく今回初めて乗車する区間である。桜井線は奈良を出ると天理や桜井、高田を経由して関西本線の王寺までゆく40kmほどの路線で、
奈良から最初は南へ向かい、桜井あたりから西へ、そして最後は高田あたりから北へ向かって王寺に到る。
高田から王寺の区間は4月に乗ってたので、奈良から高田の間が、初めての乗車区間となる。
車両は二両で、座席下のヒーターがやたらと熱い。外人の女三人組が向かいに座ってて騒がしい。黒人と白人。
一人はバッグにリラックマをつけていた。もう一人はハート柄のバッグで、ハートの中には「原宿」と書いてあった。
車窓で目に留まったのは、三輪駅近くで大きな鳥居が見えたことくらいで、あとは特筆するほどの景色はなかった。
住宅地や畑が続く平凡な都市近郊の路線といったところである。ただ、香具山や畝傍など、万葉集に出てきそうな駅名や京終(きょうばて)、
帯解(おびとけ)、櫟本(いちのもと)、巻向(まきむく)など、歴史を感じさせる難解な読み方の駅名などが多くあり、
古都らしい。天理駅でたくさん乗り降りがあった。畝傍はちょっとした大きな町で、高田駅周辺は大きなマンションも多く見える。
■奈良から一時間ちょうどで王寺に到着。関西本線を東へ。来た方向へ少し戻り、木津から片町線の電車に乗り換え。
奈良の木津から大阪の京橋までのおよそ45kmほどの路線で、京橋から放出の区間は乗車済みだったので、残りの放出から木津の間が初めての乗車となる。
夕方、都心へ向かう電車だったので空いていた。郊外という感じは無くなり、町中の高架を走る。
河内磐船駅の手前で久しぶりに平和堂を見た。滋賀県にやたらと多いスーパーマーケットである。
約一時間で京橋に到着し、下車。地下鉄に乗り換え。10年ぶりくらいに京橋の駅のあたりを歩いたが、そんなに変わってないように感じた。
以前と変わらずダイエーがあって、京阪モールがあって、コムズガーデンがあった。長堀鶴見緑地線に乗車。
大阪の地下鉄の車内の自動アナウンスは「とびらが閉まります」の「と」にアクセントがある。心斎橋で下車。
Acruで首掛け用のカメラストラップを購入。斜め掛けの長いやつを以前買ったのだけど、旅先では不便だったので、首に掛けて前にカメラを提げるやつが欲しかったんである。
店の人がすぐにカメラにつけてくれた。なかなか使いやすくていい。地下鉄の御堂筋線で天王寺。ホテルに荷物を預けてから駅で大学時代の友人らと合流。
駅の近くの「ビストロカフェ」と名乗るしゃれた店へ。おいしかったが若干値段が高め。若い人でとてもにぎわっている。どこかのテーブルでは誕生日の人がいたみたいで、
おそらく店のひとがハッピバースデーの歌をうたってた。その後小さな焼き鳥の店でもうちょっとだけ飲んで、仕事のこととかいろいろ話をして、
解散。ホテルへ。
No.1458 2009-12-20
茜浜。
茜浜の猫。遠くに富士山が見える。
■午前中、冷えた空気の中、手袋をして自転車で茜浜へ。海がきらきらしていて、空気が澄んでいるから富士山が見えた。
富士山を見てたら防波堤の向こう側からちょっと寄り目気味の猫が出てきた。おどおどしているが、カメラを向けるとポーズをとってくれる。
ここの猫たちは寒くてもたくましく生きている。
■寒いので自転車で走るとちょうどいい。帰り、まろにえ通りにある洋食屋コモの二階の洋菓子の店で少し焼菓子など買ってみた。うまい。
■北信越リーグのツエーゲン金沢が入替戦でFC刈谷を下してJFLへの昇格を果たした。J1には新潟、J2には富山、そしてJFLに金沢と、
日本海側のクラブもがんばっている。金沢もいずれはJリーグに上がってくるのだろう。
No.1457 2009-12-19
■ワイヤレスのマウスを導入したので、コードが一本減ってコンピュータ周りが少しすっきりした。Bluetoothのやつなので、
もともと持ってたレシーバで接続できて便利だ。快適である。
■ひっこして少しラジオの電波が受信しにくくなってたので、チューナの感度がいい小さなソニーのラジオを買った。
とりあえずFMヨコハマあたりまでは受信できたし、AMも数局入るようになった。
考えてみれば、純粋なラジオ機能のみのものを買うのは初めてかもしれぬ。
主に土日の番組を聞く。土曜日の朝のNHKFMのゴンチチの番組、夜の東京FMの桑田佳祐の番組、
日曜日午前の東京FMの「ハート・オブ・サンデー」、午後の東京FMの山下達郎の番組、BayFMの小林克也の番組などをよく聞く。
音楽に対するものすごい知識を持ってる人たちの話を聞くのはおもしろい。
■あと、CDを三枚。ソニー・クラークのを二枚。アマゾンで買った。「Standards」と「Sonny Clark Quintets」である。
かなりいまさらだが、アマゾンは便利だ。そこらの店で置いてあるの見たことないCDもたくさん売ってる。
それとindigo jam unitの新しいアルバムが出てたので千葉のタワーレコードで買った。「Collectivity」というアルバムで、彼らの五作目になる。
DVDがついてきたがまだ見てない。聞いたらかっこうよかった。さすがである。ベースがめっぽうかっこういい。
■宮沢さんの「時間のかかる読書」を丸善で買ってきたのでこれから読む。最初、棚になくて、店員にたずねたら、棚の下の引き出しに入ってた。
宮沢さんの本を棚に入れておかないなんてけしからん本屋である。平積みにしたっていいくらいだ。
ヴィレッジヴァンガードでは宮沢さんの「牛への道」とか何冊か平積みにしてる。立派だ。
■そんな最近の買い物である。
■twitterをやってみることにしたのでお願いします。
これです。→http://twitter.com/TAKEDAtsudanuma
No.1456 2009-12-13
茜浜の猫たち。
■津田沼駅前のJTBが閉鎖になるらしい。北口の、りそな銀行のならびにあるやつである。
首都圏で何店舗か閉鎖されるうちのひとつで、まあ、近くのイオンの中にもJTBはあるのでそんなに困らないし、
そもそもそんなに利用しない。「ぷらっとこだま」のチケット買うときくらいか。
■で、まあ、店舗閉鎖とか縮小とか、JTBに限らずいろいろ見聞きする。最近だとウェンディーズの撤退とか、
ヴェルサーチ、グッチ、シャネルなんかも何店舗か閉鎖だ。世の中ではあいかわらず不況とか景気悪化とかいうが、
日本という国自体の衰退なんじゃないかと思う。
■天気がよかったので午前中、自転車で茜浜。引っ越ししたので、前よりも海が少しだけ近くなった。
国道14号からまろにえ通り、秋津経由。釣り人が多い。いつもの猫たちと、ひさびさに見た白黒の猫。
先週見た子猫たちは見かけなかった。
No.1455 2009-12-12
■津田沼のパルコにヴィレッジヴァンガードができて喜んでたが、そんなに行かない。まだ二回しか行ってない。
もっと行くかと思ったが、案外そんなものである。で、引っ越しをして本を棚に並べたりなんかしたときに、
けっこう前に買って一回しか読んでなかった「ヴィレッジヴァンガードで休日を」という本が出てきたので最近読んでた。
ヴィレッジヴァンガードコーポレーション社長の菊地敬一という人が書いた本で、初版が平成9年、手元にあるのは平成13年の4版だった。
この社長さんは北海道出身らしい。
■ヴィレッジヴァンガードは今、全国に300店くらいあるようだ。自分が初めて行った店舗は、
名古屋駅の新幹線口側にあった「生活創庫」というテナントビルの6階にあったやつで、大学一年の夏だった。
名古屋空港行きのバス乗り場がそこのすぐ前にあって、時間があったのでたまたま入った。1階と地下にはHMVがあった。
「遊べる本屋」と書いてあった。棚にははしごがかかってて、わけのわからない本や雑誌がずらりとあって、
雑貨とかお菓子とか、腕時計とかかっこういい電話機も売ってたしCDもあった。おもしれえなあ、さすが都会だな、こんな店があるんだ、
と思って、名古屋へ行くと必ず立ち寄っていた。こんなへんてこな店がチェーン店だなんて思わなくて、各地にあると知ったときはびっくりしたのを覚えている。
ちなみにその名古屋駅前の生活創庫はもうなくて、建物はビックカメラになってる。いまもヴィレッジヴァンガードはその建物で営業してるみたいだ。
■で、「ヴィレッジヴァンガードで休日を」は、最初の店舗開店から数店舗、10店舗、20店舗くらいまで増えたあたりまでのことが書いてあって、
どんどん上り調子になってゆく最初のころのいろんなエピソードや菊地氏の考え、根底にある思想のようなものが書かれていて、
おもしろい。300店舗になっても、それぞれの店には菊地社長の思想がしっかり伝わってる気がするし、これだけ人気を集める理由がわかる本。
■話は変わって、「"■"RINGS」でおなじみの城田あひる師匠がツイッターを勧めてくださったのだけど、
よくわからない。2ちゃんねるのコテハン実況みたいなものだろうか。もうちょっと様子をみたほうがいいのだろうか。
だいたい私は、外で、無線LANが使える場所以外、携帯でネットをやることがほとんどないので、会社か家のコンピュータでやることになる気がするが、
それだとあんまり意味がないというか、家の様子をつぶやいたりするんだろうか。「あ、風呂がわいた」とか「いま窓をあけた」とか、
これはだめなんじゃないか。
No.1454 2009-12-06
茜浜の猫たち。
■午前中、幕張の免許センターへ。引っ越したので、住所の変更に行った。車には乗らないから免許なんてどうでもいいのだけど、
身分証明書としては、顔写真も載ってるし住所氏名書いてあって便利だ。自転車で国道14号、まろにえ通り、秋津、国道357号経由。
京葉線の車両センター沿いの細い道を走ってたら、免許センターのまん前に出た。便利な道を見つけたが、当分免許センターには来ないと思うので、
役に立たないのではないか。更新のほうはものすごい行列ができているが、記載事項変更受付は待ち時間ほとんど無しで、手続き終了。
■海浜大通りに出て県道15号。ひさびさに茜浜。いつもの猫たちが日に当たってのんびりしていた。みんな元気そうだった。
子猫が二匹いた。この冬を越せるだろうか。初冬のやわらかい日差しが海面にあたってきらきらしていた。海の色もやさしい青で、
風もなくおだやかな東京湾は、瀬戸内海みたいだった。
■それから県道沿いにあるビバホームへ。何度も店の前を通ってるが、中に入るのは初めてだった。ものすごい広さだ。
電球を一つ買った。ほかにも欲しいものがあったが自転車だと持って帰れないようなものなのであきらめた。客が多くてにぎわっている。
障子紙の貼り方や、床のワックスのかけ方とか、実演していた。
■帰宅し、前日に続いて全国地域リーグ決勝大会の試合をネットで観戦。YSCC対金沢の試合はPK戦までもつれ、そのPKも12-11まで行った。
見応えある試合だった。その後の日立栃木対松本山雅は1-2で松本が勝利。地元での開催ということもあって、この試合には10000人を超える観客が集まった。
無料とはいえ、4部の試合に一万人はすごい。この日の結果をもって、1位松本、2位栃木、3位金沢、4位YSCCとなり、松本と栃木がJFL昇格、金沢は
JFLの刈谷との入れ替え戦に回ることになった。
■ネット配信された中継には、実況も解説もなかった。試合映像と会場の音だけ。これがすごくよくて、なんだサッカー中継って実況も解説も必要ないんじゃないか、
と強く思った。とくに民放地上波のばかみたいな中継と比べると、見ててものすごく快適だった。歓声だったり、意外なプレーに対するどよめきだったり、
微妙な判定に対するレフェリーへのブーイングだったり、そういう素直なリアクションがとてもリアルに聞き取れるのもいい。
■三国志とか読んでると「事を成すには天の時、地の利、人の和が必要」というのが出てくる。
松本山雅は今大会、ホームでやれるという「地の利」があり、天皇杯で浦和を倒した後という「天の時」があり、多くの観客といい応援という「人の和」の後押しがあって、
それが1位昇格につながったと思った。2006年9月の天皇杯一回戦、アルウィンでの松本山雅対同志社大学の試合を見に行ったことがあった。
そのとき、4部のチームにこんなに熱いファンがいるのか、と強く感銘を受けた。今日の試合、さらにパワーアップした見事な応援を見せた山雅ファンたちを見てたら、
遠くない将来、このチームはJリーグまで上がってくるな、と思った。
■山下達郎のラジオを聞いてから歩いてケイヨーD2まで。欲しかったものが買えた。
No.1453 2009-12-05
谷津の螢明舎。
■午前、雨が降りそうな天気予報だったので、京成の谷津駅から一駅乗って船橋競馬場駅で下車。
駅前から無料のバスが二つ出てる。ひとつはららぽーと行きで、もう一つはオートレース場行き。
ららぽーと行きのに乗車。けっこうたくさん乗ってくる。オートレース場行きのバスには数人のおっさん連中。
全員、くすんだ色の服を着ている。ららぽーとの無印良品は広かった。いつもは混雑しているららぽーとだが、
まだ早い時間だったので、ずいぶん空いていた。
■それからイケアへ。細々したものを買い込んだ。イケアには以前、あんまりいい印象をもってなかった。
なぜなら、ものすごく混んでたからだ。初めて行ったときはまだ日本にイケアは船橋の店舗ひとつしかなくて、
ものめずらしさもあっておそらく遠方からもたくさん来てたのだろう。今は埼玉の三郷とか横浜のほうとか、
関西にもあるみたいだ。
■帰りは国道14号を歩いて帰った。途中、谷津の駅前の商店街に立ち寄った。なかなかにぎわっている。
京葉道路の高架の近くにある螢明舎という喫茶店でコーヒーを飲んだ。とても雰囲気がよくて落ち着く店である。
ばばあ三人が年金とか退職金の話をしていた。
■この日はJリーグの最終戦。降格する三クラブは既に決まってるが、昇格するクラブがまだ一つ決まってなかったし、
J1の優勝もこの日の最終戦で決まるというんで、そちらに注目が集まっていたと思うが、
ネット配信されていた全国地域リーグ決勝大会の試合を見ていた。わかりやすく言うと、
4部(地域リーグ)から3部(JFL)への昇格をかけた大会で、決勝ラウンドに残った4つのチームが総当たり戦をし、
上位2チームが昇格、3位が入れ替え戦に回ることになっている。
松本山雅、横浜スポーツアンドカルチャークラブ(YSCC)、ツエーゲン金沢、日立栃木ウーヴァスポーツクラブが決勝ラウンドに勝ち残った。
■おそらくあんまりサッカーに興味のないかただと聞いたこともないチーム名ばかりだと思う。松本山雅は今年の天皇杯で浦和に勝ってるから、
知ってる人も少なくないかもしれぬ。三日間で三試合というかなりハードなスケジュールの大会だ。今年は長野の松本での開催で、
会場はアルウィンである。日立栃木対ツエーゲン金沢は、3-0という意外な大差で日立栃木の勝利となった。
ゴール裏のスタンドには、選手よりも少ない数の日立栃木ファンがいた。少ないけどとても嬉しそうで、大きな旗を振って喜んでいた。
そこに向かって選手たちが試合後駆け寄り、みんなで芝の上でヘッドスライディングみたいなことをして喜び合っていた。とてもいい光景だった。
下部リーグになればなるほど、選手とファンの幸福な関係を見ることができるような気がする。Jリーグのクラブのファンはちょっと熱くなりすぎだと思った。
↑このページのトップへ
「津田沼ノート」は武田がやっています。
|
TsudanumaNote
津田沼ノート
BACKNUMBER
2002
////////////
2003
////////////
2004
////////////
2005
////////////
2006
////////////
2007
////////////
2008
////////////
2009
///////////
"■"RINGS
PAPERS
ここではありません
多聞日記
Barricade
下北沢スタジアム
Matatabi Online
ここであいましょう
あわわアワー
ボクデス on the WEB
web-conte.com
LINKS
鹿サポさま別館
dots!
ko-trip
津田沼カメラ
|